昭和57年

年次経済報告

経済効率性を活かす道

昭和57年8月20日

経済企画庁


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第II部 政策選択のための構造的基礎条件

はじめに

第I部でみたように55年度から56年度にかけての日本経済は,第2次石油危機の一次的影響は克服したが,なお安定した成長軌道に乗るには至っていない。その要因として構造的,政策的,短期循環的なものがあり,さらに海外要因が不安定性を増大させていることは前述した通りである。第II部ではこうした構造要因,政策要因および対外要因を,中長期的な観点からどのようにみるべきかを検討することとする。

現実の政策決定は,幾つかの政策目標を前提とした選択可能な政策過程の選択枝から,最も適切と思われるものを選び出すことによって行われ,その中には常に幾つかの相矛盾する要素を含んでいる。しかしながら,現在の日本経済が直面している政策課題はこうした一般的条件以上に大きな相矛盾する諸要因をはらんでいるように考えられる。

(1)その第一は,内需の拡大と財政の均衡化という二つの政策目標の関係である。もちろん内需の拡大に対しては,米国の高金利の波及という問題が大きな制約になっていることはいうまでもない。しかしその問題を別にしても現在の日本経済には内需の順調な拡大を阻む構造的諸要因があることは否めない。55・56年度の経済をみると,景気調整というマイナス要因があったにもかかわらず,民間設備投資のGNP比率は15%台の高い水準を維持している。それにもかかわらず内需の伸びは非常に低いものにとどまった。他面内需については既にかなりの分野で国民需要が充足されており,今後伸びを余り期待できないし,期待すべきではないという意見もある。もし国民全体が高い生活環境に満足し,これ以上多くを求めないという段階に達したのであればそうした意見も妥当するといえるかもしれない。しかしながら,現在の国民生活をみると,確かに日常の生活物資についてはかなりの充足度に達した部分もあるが,住宅都市環境を始め,国民の合理的欲求がいまだ未充足のままに残されている分野は数多くある。国民が求めているものを十分に見極め,いかにしてその充実を図っていくかが政策の課題であろう。

一方,財政は第I部3章で述べたように,構造的な赤字状態にあり,債務残高のGNP比率も国際的にみても高い水準に達しつつあり,今後の国民負担の問題にも十分配慮する必要がある。したがって財政の均衡化回復はぜひ推進しなければならないが,問題はそれが少くとも当面の内需拡大とは相反する作用を生ずる可能性があることである。財政の均衡化が国内需要拡大と矛盾するとは,一般的には言えない。やや長い目でみると,民間部門の貯蓄超過,財政赤字といったバランスにも何らかの均衡作用が働くと考えられるからである。しかし当面の日本経済では,他方で民間部門が構造的な貯蓄超過状態にあるという条件がある。II部の第1章で詳しく見るように,家計部門の貯蓄率は他国に例を見ない程高く,しかもそれは種々の要因から急速に低下しそうにない。そのため50年代に入ってからは民間の投資活動が活発な時期にも,家計と企業を併せた民間部門はなお貯蓄超過となっている。民間部門の貯蓄超過が構造的である場合には所得を一定に維持しようとすれば,海外部門に対する黒字が政府部門の投資超過がもたらされることになる。

このように,内需の拡大と財政の均衡化という二つの重要な政策目標が相互に相反する作用をする可能性がある。したがって第1章では,家計部門の貯蓄行動と企業部門の投資活動に焦点をあて,以上のような経済バランスの構造をどう判断するかを検討することとする。

さらに内需の拡大については別の構造的問題が存在する。その一つは住宅土地問題である。先に述べたようにわが国の住宅投資は更新需要が主体となりつつあり,現状のままでは建設戸数は先細りとなる可能性がある。住宅の質的改善に対する潜在需要は依然強いが,それを実現するためには居住空間の拡充,生活環境施設の充実,都市内の住宅立地などについて大幅な改善がなされなければならない。しかし,土地価格の重い負担を現状のままに放置すれば,そうした需要の充足は不可能に近いであろう。いま一つは社会資本投資の問題である。わが国の社会資本投資の年々の水準は国際的にみても高く,ストック量でみても欧米の半分程度であるがかなり高くなっている。確かに,幾つかの分野については国民の社会資本充実に対する欲求はなお強い。しかしそうした国民ニーズに応えるためには,従米の投資配分のあり方について目を向けてみる必要がある。以上の構造問題については第2章第3節で検討する。

(2)政策選択上の第二の問題は効率的な経済体質の維持と福祉政策の充実との関係である。「効率と公平」の両立は難かしい面があるという指摘は古くからなされている。まだそれはいわゆる「福祉国家」の現実をみても言えるであろう。いわゆる「福祉国家」の理念は,二つの要因から大きく足元をゆるがされた。一つは福祉的支出に対する国民の負担が過重になってしまったことである。しかも受益と負担の関係が不明確な分野が拡がり,負担に対する不満が生じて社会的連帯感が損なわれる結果を招いた。いま一つは所得保障や雇用保障の強化に伴って経済的に硬直化要因が生じ,効率性の低下がみられたことである。経済の効率性が低下すると福祉国家を維持する能力自体が低下する。これらのため,いわゆる「福祉国家」諸国は政策体系の再検討を迫られることになったのである。

日本の場合,これまでも福祉水準は各分野について大きく改善はされたが,今後とも全体の所得上昇に伴って一層充実すべき面は多い。一方,幸い,日本経済は全体としては非常に効率的な経済として運営されている。したがって,わが国としては,経済的効率性を維持しつつ必要な福祉政策の充実化を図るという「効率性のある福祉国家」を実現していく必要がある。しかしながら,他面,わが国においても福祉政策に関する受益と負担の関係はかなり不分明な分野が生じつつある。福祉的支出に限らず,公共部門を通じる受益と負担の関係は基本的な国民的合意の上に形成されなければならず,それが不充分であれば,やがて社会的連帯が損なわれる恐れが大きい。

以上のような問題意識から,まず第1章では,先の貯蓄・投資のバランスの問題と併せて,わが国の高い貯蓄率や弾力的投資活動がいかに日本経済の効率的成長に寄与しているか,また労働力や技術力の成長力への寄与はどうであるかを検討し,日本の成長力の問題を検討する。また第2章では,福祉政策をめぐる受益と負担の関係が,日本でもギャップを生じつつあること,福祉政策の選択の優先度があいまいになりつつあることを指摘し,効率と福祉をいかにして両立しうるかを考える。

(3)第三は対外経済関係における政策選択の問題である。最近わが国を巡る貿易摩擦現象が強まっているが,これには一時的要因もあるものの,より基本的な背景として世界的に拡がってきた保護主義的傾向の問題がある。これはとくに70年代に入ってからの国際経済の構造的変化と先進工業国の国内的硬直化要因とに根ざしている。一方わが国では後に述べるように従来比較的順調に産業調整が進められてきた。しかし第二次石油危機以後は,直接国内市場への輸入製品の進出が増えつつあるという意味で,従米とは性格を異にした局面に立っている。したがってわが国としては,日本経済の柔軟な体質を最大限活用しつつ,硬直性を増した他の先進諸国と肩を並べて保護的色彩を強めることなく,自由貿易体制を堅持していくべきであろう。

以上の問題意識から,第3章では,国際経済の構造変化と保護主義の増大,及び従来の産業調整の経験について検討してみたい。


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