昭和57年
年次経済報告
経済効率性を活かす道
昭和57年8月20日
経済企画庁
第I部 鈍い景気の動きとその背景
第5章 今回景気循環の特徴と現在の景気局面
55年度から56年度にかけて日本経済の調整過程が長引き,回復力も弱かったことは以上に述べた通りである。ここでその景気循環としての特徴とそれらの要因をまとめてみよう。
第一の特徴は第1,2章を通じて述べたように,国内需要の伸びが以前の循環期に比して,名目,実質ともに弱かったことである。しかもこれは,民間設備投資が54年度に引き続いて55年度も実質5.7%伸び,56年度には伸び率は弱まったものの高水準が維持された中でそうなったのである。
その要因の一つは,第1章で述べた通り政策運営が以前の循環期より金融・財政両面にわたって慎重に行われたことであろう。金融政策は,景気の実情に鑑み緩和基調を維持したが,同時に中長期的にインフレの種子をまいてはならないとの考えから,引き続き通貨供給量を重視した運営が行われた。また財政政策も,赤字が構造的なものになりつつあることから,経常支出,資本支出とも従来より伸び率が低くおさえられた。こうした厳しい財政事情や米国の高金利といった環境の下で,政策運営の余地が相対的に狭められたため,その景気浮揚の効果は小さかったとみられる。もっとも,金融・財政政策はもっと景気刺激的ないし拡張的に運営することができたか,またそうすべきであったかということについては,次の二点を指摘しておかねばならない。すなわち,一つは56年度についてみると,通貨供給量の伸び(M2+CDの平残)は9.7%と,同年度の名目成長率5.2%をかなり上回っており,中・長期的にインフレを加速させないという観点からは上限の増加率と考えられることである。
いま一つは56年度財政についてみると,一般会計の赤字は実質的には15兆4000億円に達したものと見込まれており,事後的に見ればかなり景気支持的な収支バランスとなったことである(しかも決算上の歳出歳入不足額約2兆5000億円は国債整理基金からの繰入れを含む決算調整資金からの組入れによって処理された)。もしもっと支出を増やして,それを民間からの借入れで資金調達した場合(それでなくとも中小企業の設備投資や住宅投資にマイナスの影響を与えていた),市中金利の水準を更に上昇させ,民間需要の回復を一層遅らせるおそれがあった。日本経済でこうしたいわゆるクラウド・アウトに似た現象が生じやすくなっていることは,海外高金利の影響で,円安傾向が生じているため,国内金利が高目に推移したという状況も影響を及ぼしている。こうした意昧で,海外高金利の影響は,わが国の内需回復を遅らせたのみでなく,政策運営に対しても大きな制約要因となったといえる。
他方,内需の回復力が弱い背景としては,いくつかの構造要因が挙げられる。エネルギー価格の相対的変化は,一方で省エネルギー投資を増やすといったプラス面もあったが,他面多くの分野で供給の採算性を低め,需要を減退させた。これは特に素材型産業に対する需要誘発度を低下させたとみられる。また,50年代に入ってからの住宅需要の基調的変化は,住宅投資の回復が力強さに欠けることの背景にあるものと考えられる。さらに,家計の所得に対して非消費支出の伸びが高く,可処分所得の伸びが低いことは,民間消費支出の回復力を弱める結果となっている。
以上のような国内需要の上昇テンポの鈍さは,第2章第2節で述べたように,55年初頭におけるかけ込み在庫の累積と併せて,在庫調整を長引かせ,しかも最終需要の伸びが弱いため,在庫調整が一応終了するまで景気の上方転換点が来ないという形となったものである。
第二の特徴は,今回の景気循環がいくつかの構造変化の中で生じ,それだけに景気の跛行性が大きかったことである。その一つはいうまでもなくエネルギー価格の相対的変化であり,これはわが国産業の供給構造及び需要構造に大きな変化をもたらした。またエレクトロニクスを中心とした技術革新の進展は,わが国の比較優位構造,設備投資,生産技術等に大きな影響を与えた。さらに50年代に入ってからの,地域構造の変化,建設・建築需要の変化の影響も無視できない。こうした構造変化は,業種別,企業規模別,地域別の跛行性を拡大する要因として作用したと考えられる。このためとくに素材型産業はかなりの調整を必要としたし,内需依存度が相対的に高く,かつ外部資金への依存度の高い中小企業部門は,景気の影響をより強く受けた。また地域間でも構造的諸要因に加え2年間にわたる農業生産の不振もあって,跛行性が目立った。
今回の景気循環の第三の特徴は,景気調整過程の中でも,マクロ経済のバランスが余り崩れなかったことである。これは弱い内需の中でも民間設備投資が大企業を中心に拡大局面を維持したこと,外需の伸びが56年秋まで続いたこと,資本と労働の分配率が安定的に推移したこと,生産性と賃金の伸びが余り乖離しなかったこと等が影響している。経済のバランス項目である物価,失業率,企業収益,対外経常収支では比較的良好な水準に維持された。このようにマクロ経済上の大きな不均衡が生じなかったことが,最終需要の伸びの弱さにもかかわらず経済に一種の底固さを与えている大きな理由であると考えられる。ただし,政府部門の収支はこれと異なった動きとなっている。
第四に海外要因の影響が特にマイナス面で作用したことである。わが国の輸出は相対的な競争力の強さと,比較優位構造の有利な変化で,55年から56年度秋までかなり急速に伸びたが,世界貿易自体は,第4章でみたように,55年度中は減少を続け,その後2四半期は上昇したが,56年末ないし57年初には再び減少に転じたとみられる。日本製品の輸出の速い伸びが海外市場で摩擦を生じたのも,短期的にはこうした海外市場の状態が背景をなしている。他方,米国の高金利がわが国のみならず,ヨーロッパを始め世界の各地域に需要拡大のマイナス要因として作用したことは先に述べた通りである。
以上のような今回の景気循環の特徴とその諸要因をみると,景気調整過程が長引きかつ回復力が弱いのは,何か一つの要因によるものではなく,政策要因,構造要因,循環要因及び海外要因が複合的な作用をなしたものと云わざるをえないであろう。