昭和56年

年次経済報告

日本経済の創造的活力を求めて

昭和56年8月14日

経済企画庁


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第II部 日本経済の活力,その特徴と課題

むすび

―学ぶ活力・創造的活力―

日本経済は,先進国の仲間入りをした。

四半世紀前(昭和30年)アメリカは世界の総生産の約3分の1で第1位を占め,第2位はイギリスの同じく5%,そして日本はたった2%だった。現在(昭和54年),アメリカの比重は約5分の1に下がり,日本は世界の総生産の1割を占めるにいたった。

国民1人当たりのいろいろな指標も,日本経済の先進国化を示している。

だが,日本経済は「後から遅れての参加者」(ニュー・カマー)だった。どんな社会関係でも,遅れた参加者には困難が伴う。まず参加する資格を手に入れる努力が大変である。参加してからも,異和感なしに付き合ってもらえるようになるまでに時間がかかる。

日本経済は,欧米先進国に「学ぶ強い活力」をもっていた。それも一部のエリートだけが学ぶのではなく,多くの人が,多くの企業が学んだ。「天は人の上に人を造らず,人の下に人を造らず」という有名な書出しから始まる福沢諭吉の「学問のすすめ」は,1872年(明治5年)から数年にわたって刊行されたものだが,「学問のすすめ」全17編は,合せて340万部出版されたと推算されている。当時の人口3,500万人に比して,いかにこの啓蒙書が普及していったかがわかる。

第2次大戦後にも,この「知識大衆化」を基盤に学ぶ活力が生かされた。欧米のエリートの勤勉さはよく知られているが,わが国ではそうした階層のすそ野は広く,働く人達全体としての学習意欲も高かった。こうした学ぶ活力は「自由な市場競争」と相まって,日本経済の生産性を高め,高い経済成長をもたらした。

しかし,日本経済の急成長と1973年(昭和48年)以降の石油危機後の良いパフォーマンスは,欧米先進国をして,何か「日本的特殊性」があるのではないかという眼で,このニュー・カマーをみさせることとなった。だが果たしてそうだったか。

既に,昭和31年の年次経済報告は,「世界の二つの体制の間の対立も,原子力兵器の競争から平和的競争に移った。平和的競争とは,経済成長率の闘いであり,生産性向上のせり合いである。われわれは,日々に進みゆく世界の技術とそれらが変えてゆく世界の環境に一日も早く自らを適応せしめねばならない」と指摘している。もちろん,生産性向上のためとはいっても,国情によってやり方は違うだろう。国土が狭く,資源に乏しい日本経済は,生産性向上のせり合いに生き抜くため,学ぶことと自由な市場競争のカを生かすという最も普遍性ある合理的な手段を選んだといえる。

しかし,「特殊性」か,「普遍性」か,について相争うことは,それ程生産的とは思われない。むしろ,世界の各国はそれぞれ固有のものがあり,それぞれ違っていることがまず認められるべきではなかろうか。そしてそれを認めた上で,固有であっても,違っていても,真に良い成果をもたらすものは,その根底におい上て,実は高い共通性をもっているとみるべきではなかろうか。「学ぶ」とはその共通性を見出し,身につけることと思われる。その意味で,日本経済は今後も「学ぶ活力」を維持しなければならない。と同時に,そうした共通性を見出す眼を,世界各国,とくに先進主要国にも期待したい。

とはいえ,ニュー・カマーとして日本経済自体の地位は変った。また,世界経済も,多極化の中で変貌し,激動している。

そして,こうした中で,日本経済はいくつかの問題解決を必要とされるようになった。

第1に,先進国経済の一員としても,引き続き民間経済部門の活力を維持・向上させていかなければならない。多くの先進国が再活性化に桃戦しつつあるが,わが国としても活力が衰えるようなことがあってはならない。第2に,民間経済では分担しえない公共部門の役割を効率よく,かつ公平に達成していかなければならない。第3に,世界の中で自由貿易を守り,日本経済を含めて世界経済の活力を生かしていかなければならない。自由貿易の利益を説き,その成果を分かち得る国々は,その体制の維持に責任がある。第4に,経済の活力の結果であると同時に源泉である国民生活,なかでも住宅や余暇の充実が重要となっている。

これらの問題を解決していくには,今までのような「学ぶ活力」に加え,自らを変革し,他者とも調整するより主体的な,いわば「創造的活力」をも一層必要とするようになったといえる。「他人の振り」をお手本とするだけでなく「自らの振り」を創造しなければならない。その基本的考え方は,本年次報告において述べた通りである。

しかし,最後に重要なものとして次の2点を強調したい。第1は,アメリカの独立宣言の起草者の一人であり,かつ第3代大統領であったトマス・ジェファソンの「国民の保護という口実のもとに,政府に国民の働きを無駄使いさせないことができてこそ,国民は幸福になれるのである」,という指摘である。公共部門の役割はこうした観点の上で成立つものといえよう。わが国で現在進められつつある「行政改革」についてその経済的影響が懸念されているが,石油価格上昇による実質所得減は,海外への購買力移転となるのに対し,行政改革による政府支出の抑制は,民間部門にそれだけ資源が残ることを意味する。それをどう生かすかが,民間部門の活力といえよう。第2は,現在では大国化した多くの国でも,国際社会に初めて登場し,大きくなっていった過程では,必ずしも最初から異和感なしに受け入れられていったわけではなかったということである。現在の先進国の多くも,努力して次第に国際的に信頼されるようになった。ましてや,急速に大きくなった日本経済が,まだ国際的に「ぎこちない存在」であることも避け難い。しかし,それは大きくは国家的努力によって,一つ一つは小さくとも急速に増えている国際交流の場での,個々の企業の,一人一人の日本人の努力によって,克服できるはずである。


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