昭和56年

年次経済報告

日本経済の創造的活力を求めて

昭和56年8月14日

経済企画庁


[次節] [目次] [年次リスト]

第II部 日本経済の活力,その特徴と課題

第3章 世界に生かされ,受け入れられる日本経済の活力を求めて

第1節 厳しさ増す貿易摩擦

1. 対先進国貿易摩擦の推移と現状

まず,先進国との間の貿易摩擦の推移をみると,当初は素材型製品が多かったが,次第に加工型製品をめぐる摩擦が強まるようになった。すなわち,1960年代から1970年代前半頃までは繊維や鉄鋼などをめぐるものが多かったが,1970年代に入ってからカラーテレビ,船舶等が問題となり,近年では自動車,工作機械等機械類が焦点になるようになった( 第II-3-1 , 2図 )。

(対米貿易摩擦問題)

貿易摩擦の推移は,輸出先国における日本製品のシェア変動の中に反映される面もある。こうした視点からアメリカ市場における鉄鋼,カラーテレビ,乗用車の主要品目について日本製品のシェアの動きを見てみよう( 第II-3-3図 )。

まず,鉄鋼では,1974年までの二次にわたる対米輸出自主規制のあと1975~76年には,アメリカの鋼材消費が激減するなかで,鋼材消費に占める日本製鋼材のシェアが再び高まった。このため,対日ダンピング提訴やエスケープ・クローズ(輸入被害に対する救済措置)発動申請が相つぎ,特殊鋼について日米OMA(市場秩序維持協定)が締結され(1976年6月),一般の鉄鋼製品についてトリガー価格制度が導入(1978年1月)された。カラーテレビでは,第1次石油危機後,アメリカの国内販売台数が落ち込む中で,日本の輸出が増加し日本製品のシェアは1976年には約30%に達した。こうしたなかで,輸入制限的な動きが表面化し,77年5月には日米OMAが成立した。その後は,アメリカの国内販売台数が回復する中で,シェアは大幅に低下し,OMAも80年6月をもって終了した。もっともこれは,77年以降数多くの日本のメーカーが相次いで現地生産を開始したことが大きく影響している。

この間,乗用車輸出はアメリカ市場における需要構造の変化(すなわち小型車需要の増大)を主因として高い伸びを示し,1980年の販売台数に占めるシェアは2割を超えた。

こうしたなかで80年6~8月に全米自動車労組(UAW)とフォード社が国際貿易委員会(ITC)に1974年通商法に基づぎ,輸入車による被害の救済を求めて相ついで提訴を行った。これに対しITCは80年11月にアメリカの自動車産業の困難の主たる要因は輸入車の増大ではないとの判定を下したものの,その後も議会では輸入規制を目指す法案を成立させようとする動きが続いた。このため,日本政府は,81年5月に1984年3月までの三年間を限度として米国向け乗用車輸出を抑制する等の措置を実施することを表明した。

このほか,対米関係においては1978年末から電電公社の調達が大きな問題となった。アメリカは東京ラウンドで交渉された「政府調達に関する協定」の適用範囲について通商機会のバランスを主張し,同協定の電電公社への適用を強く要求した。こうした中で1979年6月の牛場・ストラウス共同発表に基づいて交渉が続けられ,日本側は80年8月に電電公社の調達について新しい調達手続(三段階方式)を提示し,80年12月には合意に達した。

(対EC貿易摩擦問題)

対EC関係では1970年代にはいって,鉄鋼,自動車,ベアリングなどの日本の輸出が増加し,ECは再三にわたって日本側に自主規制の要求を行ってきた。77年にはEC委員会がベアリングに対しダンピング防止税の賦課を決定した(ただし,79年に欧州裁判所において無効の判決が出た)。鉄鋼では1976年以降日本は第二次輸出自主現制を行うこととなり,EC向け輸出は近年減少している。

さらに80年には日本の乗用車輸出がEC市場においても急増し,大きな問題となった。1980年のECの販売台数に占める日本車のシェアは8%を超えた。ECのうち輸入制限的な措置をとっているフランスやイタリアではシェアが低く,また,イギリスでは業界間会談により一定のシェアに抑えられている。西ドイツでは日本車のシェアは10%を超えている。とくに自由な市場を維持している西ドイツでは最近2~3年のシェアは高まっている。また,オランダやベルギーでは日本車のシェアが約4分の1に達している。このような状況下で,ECは日本がアメリカに対してとった輸出抑制措置と同様の措置をとることを強く要求し,これに対する対応措置がとられた。

このほか,一般機械(NC旋盤,MC)電気機械(カラーテレビ)等のうち日本からの輸出が急増している品目についても,EC委員会は日本側が輸出抑制措置をとるよう主張している。また,日本の国内市場の積極的な開放とECからの製品輸入の増加も要求するようになった。

2. 貿易摩擦の背景

(日本製品の価格競争力の強まリ)

以上を整理すると,貿易摩擦の発生時期に二つの特徴がある。その一つは,対米,対ECとも1970年代後半になって激化しているようにみられることである。その二つは,年毎にこまかくみれば,78年以降一時若干緩和した後再び激化するという動きがみられることである。

この背景としては,日本製品の品質やアフターケアの良さなど非価格競争力の強まりもあるが,価格競争力の変動も寄与しているとみられる。日米の相対的な価洛競争力の動きを見るために,製造業の賃金コストを比較してみると,1970~75年には日本の賃金上昇率が高かったことを主因に,日本の賃金コストの上昇率のほうが高かった( 第II-3-4表 )。このため,日本の価格競争力は相対的に低下したとみられる。

ところが,1975~79年でみると,日本の生産性上昇率がアメリカのそれを大きく上回り,賃金コストは自国通貨表示でみるとアメリカでは年平均6.1%も上昇しているのに,日本では0.8%低下しているという顕著な対照が見られる(もっとも,とくに日本の場合,1975年の生産が非常に低水準にあったため,景気回復による生産性上昇要因が大きく響いているため,賃金コストの上昇がその分だけ小さくなっているという点は割引いておく必要がある)。

このような賃金コスト上昇率の差は日本の価格競争力を著しく強めることとなった。こうした価格競争力の強まりは,機械類を中心とする輸出の増大をもたらし,貿易摩擦を激化させる契機の一つとして働いたと考えられる。

75~79年の価格競争力の強化をより具体的にみるため,業種別の賃金コストの動きを日米間で比較すると,自国通貨表示では繊維・衣料,輸送機器を除くすべての品目で日本の賃金コストは大幅に低下しており,日本の競争力が強化されていった状況が理解される( 第II-3-5図 )。ドル表示でも一部品目ではアメリカの賃金コスト上昇率を下回っており,円レート上昇にもかかわらず競争力が強まった。なかでも電気機器では,アメリカでは年平均3.6%の賃金コストの上昇があったが,日本では3.8%下落し彼我の競争力格差の拡大が大きかったことがうかがわれる。

第2の貿易摩擦が78年以降一時小康状態を取り戻した後,再び激化した理由の一つとして,78年の円レートの上昇がわが国の価格競争力の上昇を相殺する要因として働いたことを指摘できる。

円レートの動きが貿易の動きにかなりの影響を及ぼすことは1978年と1979年以降の両者の推移を比較するとはっきりする。1978年には円レートが大幅に上昇したため,日本の価格競争力はかなり低下した。78年の日本のドルベースでみた賃金コストの上昇率はアメリカのそれを大幅に上回っている。これが一定の時間的遅れを伴って貿易摩擦を一時的に緩和する要因として働いたものとみられる。ところが,1979年には円レートは一転して低下し,日本の価格競争力は再びかなり強化された。これが一定の時間的遅れを伴って貿易摩擦を再び激化させる一つの要因として働いた。

このように,わが国の価格競争力が強まって輸出が増加し,それが欧米側の事情とあいまって貿易摩擦の一因になったという関係は認められるものの日本からの輸入の増大が輸入国の産業に大きな被害を与えたとは必ずしもいえない。この点について雇用面からみてみよう。70年代のアメリカの製造業について雇用変動を,需要要因,生産性要因,輸出入要因に分けてみると,アメリカ国内の需要や生産性の変動が雇用に対してはるかに大きな影響を及ぼしており,輸入変動の寄与は相対的に小さい。輸入変動の寄与が小さいのは,品目にもよるが,輸入のシェアが小さいからである( 第II-3-6図 )。

したがって日本からの輸入の増加が,貿易摩擦に結びついているのは,輸入国側の事情によるところが大きいと考えられる。

(欧米における競争回避体質と雇用不安の高まリ)

さらにより基本的にみると,日本の対先進国関係で貿易摩擦の生じた品目にあっては,アメリカの例にみられるように繊維,鉄鋼,自動車等多くのものが賃金コスト,プロダクト・サイクルの観点から見て相手国において徐々に比較優位を失いつつある業種である。70年代のアメリカにおいてはこれらの業種での雇用の減少が目立っている( 第II-3-6図 )。

国際分業の観点から考えると,比較優位を失いつつある業種については規模の縮小をはかり,その業種が比較優位を持っている国に市場を明け渡すことが望ましい。そして余った労働力と資源は他の比較優位のある業種又は,品目に振り向けることが望ましい。

例えば,製造業の雇用に占める繊維産業の比重は,先進主要国や中進国では低下してきている。これに対して他の発展途上国では繊維産業の比重が高まっている。

このように賃金・資本蓄積,資源,プロダクト・サイクル,その他の技術条件の変化等により,各国における各産業毎の比較優位が順次変化し,それによる産業構造の変化が絶えず生じるというのが世界経済の発展の自然のなりゆきである。自由市場経済体制の成果はそうした変化が,市場の力によって進行するという点にあることはいうまでもない。

しかしながら,近年のアメリカや西欧諸国の一部のように潜在成長率が低下してくると,比較優位を失いつつある産業が新製品の開発を行うとか,他産業ヘ転換をはかるという形の対応が成功する機会が少くなるため,積極的な対策をとらない限り現状をできる限り固定化させ,現在得ている利益を失わないようにしようという後向きの対応がますます前面に出やすくなる。

たとえば,日米の繊維,鉄鋼産業の対応振りを比較してみると,日本の繊維産業では一部の品目を除いて輸入制限はなく,設備投資の内容を見ても他部門への投資をかなり積極化し,比較優位変化に対応しようとしている。一方,アメリカでは繊維産業は1950年代からほぼ一貫して繊維製品の輸入を制限する種々の規制を求め,それを実現してきた。この結果,1960年代においては,繊維業界の既得権益が守られただけでなく,比較劣位産業である繊維の雇用が増えるという状況が生じた。しかも,雇用は当然のことながら賃金コストの低い大西洋岸南部や中部の東南部で増え,従来からの生産地であるニュー・イングランドや大西洋岸中部の繊維産業の雇用減少傾向は防止できなかった。つまり,輸入制限はこれら地域での失業を救済する効果を何らもたらさなかったのである。

70年代にはいってからも,アメリカの繊維産業の輸入制限措置は続いている。1971年には日米で,化合繊政府間取決めが成立した。また,1974年には多国間繊維取決め(MFA)が成立し,これに基づき,日本,東南アジア諸国等と二国間協定を結び繊維製品の輸入を抑えている。

鉄鋼業についても,日本ではとくに第1次石油危機以降,減量経営を強力に推進し,かなり大幅な生産性の上昇を実現した。これに対し,アメリカの鉄鋼業は60年代から輸入制限を求める動きがみられ,日本,ヨーロッパ諸国に自主規制を求めてきたが,1970年代にはいってその動きが強まった。まず,1974年に通商法が成立し,これを契機に特殊鋼エスケープ・クローズの発動申請,厚板や鋼材のダンピング提訴の動きが相次いだ。他方これに対して米国政府は鉄鋼貿易の混乱回避を目的として,1978年にはトリガー・プライス制度を導入した。これは,輸入品の価格が財務省が日本の生産費で調査して決める一定の価格を下回れば必要とあらばダンピング調査が開始されるという制度である。

このような対米鉄鋼取引の混乱回避のための新たな貿易のワク組みが導入された後も,アメリカの鉄鋼業の活力が回復するという動きは明らかになっていない。それは,アメリカの議会の下部機構である会計検査院(GAO)の報告(”New Strategy Required for Aiding Distressed Steel Industry”81年1月)自体が鉄鋼業の設備投資(実質値)はトリガー・プライス制度が導入された1978年以降もほとんど増えていないことを指摘している面にも現われている( 第II-3-7表 )。

以上みてきたように1970年代後半以降において先進国との貿易摩擦が強まっているのは,基本的には,第1次石油危機以降,アメリカやECの国々の潜在成長力が低下し,そのために競争回避体質が強まっているところに大きな原因があるとみられる。

加えて,1980年に入って,欧米で景気後退,労働力人口の増加から失業者が急増しており,雇用不安が高まっていることも貿易摩擦を深刻化させている要因として見逃せない。

(相互理解の不足)

このほか,貿易摩擦の背景として無視できないのが,日米間,日・EC間の相互理解の不足である。相手が不公正な手段で競争力を強化しているという誤解が対抗措置を求める要求となり,輸入制限を新たに設けたり,自由化を遅らせる動きにつながるという関係がしばしば生じている。かつて欧米では日本は低賃金を維持することにより実質的にはダンピング輸出と同等の輸出を行っているという根強い誤解があったが,最近はこのような批判は影をひそめるようになった。日本の製造業の賃金水準が現実にフランスやイギリスなどの水準を上回るという状況になったためである。1979年の日本の賃金水準は西ドイツを24%,アメリカを23%下回っているが,フランスを10%,イギリスを17%上回っている。

とはいえ,この種の誤解は後を断たない。

その第1は,「日本特殊論的な誤解」である。こうした誤解のうち最も典型的なのは日本政府と日本の企業が共同して,欧米に不公正な輸出攻勢をかけているという誤解である。

たとえば,アメリカ鉄鋼協会(AISI)は77年5月に,輸入制限を理論的に正当化するための白書を発表した。この白書は,「日本鉄鋼業が①政府援助の下で②独得の金融制度により巨額の投資を行い,③その結果,高い操業率を維持する必要が生じたが,それを輸出により,それもしばしばコスト割れ価格による輸出によって維持してきた」と指摘する。

これに対して,日本鉄鋼輸出組合は次のように反論した。すなわち,「①政府の援助および政府との特別な関係は一切ない。②戦後の激増する需要と民間企業として競争力強化のため設備投資を借入金に頼らざるを得ず,かつ,日本の経済環境もそれを可能とした。③輸出市場のみを目的とした設備拡張がはかられたことはなく,コスト割れ輸出という事実はない」というのがその骨子である。

一昨年,問題となったEC文書の「日本人はうざぎ小屋に住んでいる」とか「働き過ぎ」という見方も日本特殊論的な誤解の一つである。日本の住宅事情と輸出競争力とは何の関係もなく,これまでかなり高い住宅投資水準を維持してきたことから着実に住宅事情は改善してきている。労働時間についても徐々に減少してきており,欧米との格差は縮まっている。

第2のより重要で,かつ根強い誤解は,「日本の市場は閉鎖的である」。つまり日本の市場が関税,非関税障壁で守られており,欧米の製品をしめ出しているという見上方である。ECの人々のうちには日本についてかなり知識を持っている人々でさえ,日本は外に対しECに比べてより保護主義的な政策をとって成功した国であり,その性格は現在でも基本的に変わっていないという見方が根強い。

しかし,現実には近年,日本の市場は急速に開放され,現在ではアメリカやEC諸国と比べてもほとんど遜色ない。残存輸入制限品目数でみても,農産物についてはフランスと同程度であるが,ECは,可変課徴金制度により,まだアメリカはガットの義務免責(ウェーバー)により別途保護措置を講じている。また,鉱工業品でみる限り,フランスを大きく下回っており,アメリカよりも少ない( 第II-3-8表 )。鉱工業品の関税率についても東京ラウンドの関税引き下げ後の税率でみると,日本はアメリカ,ECよりも低い( 第II-3-9表 )。

そして以上のような誤解はなお根強いものの,製品輸入対策会議の設置等種々の活動を含むわが国の努力によりようやく日本が閉鎖的でないことは国際的にも理解され始めている。55年に出版された米国議会の下院歳入委・貿易小委員会に設けられた日米貿易作業部会がとりまとめた「日米貿易報告」(いわゆる第2次ジョーンズ・レポート)は次のように述べている。「今日の日本は,過去の遺物としして非常に強固な保護主義的姿勢が一部残ってはいるものの,一般的には開放された貿易国である。日本は市場を閉しているという苦情は的を射ているであろうか?あるいは,こうした苦情は,日本が事実輸入に対して大部分閉鎖的であった最近までの事実と認識に基づくものではないのか?」(日本貿易振興会訳「米国議会の対日貿易分析」による)。

第3に「日本が輸出に過度に依存して成長しているのでないか」。つまり,日本が輸出依存型の成長を目指しているのではないかという誤解がある。確かに第1次石油危機後の数年間,第2次石油危機後の1980年についてみれば,実質GNPの成長率に対する経常海外余剰の寄与度はかなり大きい。欧米ではこのような状況をとらえて,日本が意識的に輸出依存型の成長を推進しているという見方が一部にある。しかし,石油危機のような混乱時に,内需や為替レートが大きく変化し,これがため一時的に輸出の急増が生じるという事態は避けられない面がある。しかしそのような状況は長期にわたって続くものではない。事実,その後,為替レートの反転上昇等により,経常海外余剰の急増にブレーキがかかった。1978年や1980年の後半の円レートの急上昇はその例である。その結果,ならしでみれば日本経済の成長は経常海外余剰に大きく依存しているとはいえない。1970~75年についてみれば経常海外余剰の年平均成長率に対する寄与度は0.5%,75~79年は0.2%であり,他の主要国と比較してとくに大きい数値ではない。

3. 貿易摩擦緩和への道

(先進国経済の再活性化)

先にみたように貿易摩擦の基本的な背景としては,先進国経済の潜在成長率の低下という状況下で,衰退産業が新製品の開発とか他分野の進出という前向きの対応よりも,政府に働きかけて現状の既得権益を守ろうという傾向が強まっていることにある。しかしながら,こうした傾向は消費者の利益を害することになり,また中長期的にも当該産業の国際競争力の回復をもたらすという可能性は小さい。アメリカの自動車部門では小型化のための投資を行っているものの,鉄鋼の対応について既に触れたように,そうした積極さは決して強くなく,また,一方では国際競争力の大幅な回復はみられていない。

したがって,より根本的な対策は,これらの産業が保護主義を求めるよりも,新製品の開発,新分野への進出などを目指して積極的な合理化や設備投資を行うほうが有利となるような環境を創り出すことである。このような観点から考えると,現在,アメリカのレーガン政権やイギリスのサッチャー政権が進めている経済の再活性化のための,政府支出の削減,減税,政府規制の見直し,設備投資の促進措置などの政策展開が成功し,これら諸国の再活性化が進むことが最も基本的に重要である。OECD(経済協力開発機構)も保護主義的な圧力の高まりに抗するために,できる限り市場メカニズムに依存した産業調整を推進することをその内容とする積極的調整政策(PAP)について検討を行っている。

(自由貿易体制維持のためのリーダー・シップ)

1970年代それもとくに後半になって保護主義的な動きが強まっているのは,先進自由世界のリーダーとして自由貿易体制を推進してきたアメリカの経済力の低下によるところが大きい。このような中で,相対的に経済力が上昇している日本や西ドイツの役割が高まっている。西ドイツはEC内においても自由貿易主義を貫いており,経済がより不振な近隣の国々の保護貿易主義傾向に歯止めをかける役割を果している。日本も近年においては一貫して輸入自由化を推進し,多国間貿易交渉東京ラウンドの成功にも大きな役割を果した。

日本は経済的な繁栄の基盤として,自由貿易体制に大きく依存し,これを失うことによって最も大きな打撃を受ける国の一つである。したがって世界の自由貿易体制の維持のために,アメリカ,西ドイツ等とともに今後ともリーダー・シップを発揮しなければならない。そのことが同時に貿易摩擦の緩和にとって第1の対策となる。

第II-3-10表 非関税措置の分類

そのため,具体的な政策としては,引き続き開放的貿易体制を推進し,多国間貿易交渉(MTN)におけるコミットメントを完全かつ効果的に実施するとともに,引き続き財のみならずサービスも含む国際取引の状態を改善,自由化するための手段を探し求めていかねばならない( 第II-3-10表 )。

(製品輸入の促進)

貿易摩擦の緩和のための第2の対策として,先進国からの製品輸入の促進が重要である。

日本の貿易構造は近年徐々に変化しつつあるものの,基本的には一次産品供給国から素原材料を輸入し,工業製品を輸出するという形になっている。

国際収支をみる場合,貿易収支だけでなく,貿易外収支,資本収支をも含めて考慮すべきであり,またグローバルベースで判断すべきである。しかしながら,特定国との間で大幅な貿易収支の不均衡が生じ,特定国に過大な負担を強いることは,長期的な自由貿易体制の維持という観点からみて望ましくない。相互に工業品を輸出しあって貿易の利益を享受する形になれば,円滑な貿易関係を維持しやすくなる。たとえば水平分業が進む場合には,それだけ相互に輸入制限をしにくくなることを意味している。その例として,近年,日本では一部製品で中進国からの輸入が増えているが,当初予想されていたほどの摩擦は生じていない。その理由は,わが国の当該業種において高付加価値分野への進出,産業調整を積極的に推進する一方,海外直接投資を進めてきており,その中で中進国からの輸入が増える形で両者の水平分業関係が進んでいるからである( 第II-3-11図 )。このような観点からみて,相互の比較優位をみきわめつつ対米,対ECとの関係ではこれまで以上に水平分業化を進めることが重要だといえよう。

(幅広い経済関係の形成)

直接投資を含む産業協力の進展も貿易摩擦の緩和に資するものといえよう。

直接投資についてみれば,これは基本的に民間企業の自主的判断と責任に基づいて行われるものであるが,進出先での雇用機会の創出,経営手法,技術面での波及効果等進出先の経済に与えるプラスの効果も小さくない。

こうした直接投資の進展が貿易摩擦の緩和に結び付いた例としては,米国へのわが国カラーテレビメーカーの進出があげられる。日本のカラーテレビメーカーは70年代半ばから相ついで進出し,生産を開始した。米国の日系カラーテレビ生産工場の生産は,1980年には323万台に達しており,アメリカの国産品の3割を超えている。このため,1976年に67.5%まで低下していたアメリカの国内生産のカラーテレビのシェアは1980年には89.2%まで回復した( 第II-3-12表 )。

このようにして,日系のカラーテレビメーカーは米国で雇用を創出しただけでなく,アメリカの貿易収支の改善にも寄与したのである。

このほか,先端技術の共同開発,共同プロジェクト等の第三国市場での協力等の幅広い産業協力の推進が重要である。

このような産業協力の進展により,各国との幅広い経済関係が形成されることは,貿易収支を2国間で均衡させることが現実的に難しい状況においては,貿易摩擦緩和に大きな役割を果たすことが期待される。

(相互理解の促進)

先に見たように相互の誤解や情報不足が貿易摩擦の背景の大きな要因の一つとなっている。したがって,政府レベル,企業レベル等,いろいろなレベルでの相互理解を促進する必要がある。

海外において「日本政府は最後通牒をつきつけられるまで行動しない」,そしてまた「米国では,日本政府は主要な事件の予測能力に欠けるし,又,それらをイニシアティブをとって解決出来ないという風によく見られている」(総合研究開発機構委託研究,Arther D.Little.Inc.「日本の貿易非関税障壁に関するアメリカ人の見方」による)という見方があることは注意しなければならない。その背景として,情報不足やコミュニケーションの問題という面もあるがもしれないが,より基本的には日本と米国との意思決定方式の違いという要因も否定できないと思われる。したがって,この文化的,慣習的な差異が新たな誤解につながらないように,日本の政府機構の広報体制強化コミュニケーション技術の向上が必要であると思われる。

他方,民間レベルの相互理解の促進のためには,日本の輸出企業の代表が直接相手国に出かけて視察,意見交換を行うことや,相手国の輸出企業の代表を日本に招いて直接,日本の貿易制度,流通機構等について調査してもらうことも非常に重要である。また,積極的な広報活動を行うことや人的交流を促進することにより高い生産性をもたらした日本企業の経営管理方式や企業体制をはじめとする日本の経済,社会の現状についての正しい理解を促進することも重要である。

(市場動向に配慮した節度ある輸出)

相手国市場である国の特定商品が短期間に増大し,更に十分な産業調整の時間がないといった状況の下では,保護主義の動きが強まりやすい。このような場合,わが国としてもGATTに具現された自由貿易主義原則を維持するとの大局的見地に立って,相手国の市場動向にも十分配慮した節度ある輸出に留意することが必要であろう。

しかし,いたずらな保護主義は産業調整を遅らせることにもなるので,わが国としては産業調整の重要性を主張しつつ,自由貿易主義の基本的立場から毅然とした態度をとっていくことが必要である。

今年5月の対米乗用車輸出の自主規制の場合も相手国政府,産業界,労働界が,当該産業のために真剣な再生努力を限られた時間内に行おうとしていることに鑑み,臨時,異例の措置として行ったものである。