昭和55年
年次経済報告
先進国日本の試練と課題
昭和55年8月15日
経済企画庁
第II部 経済発展への新しい課題
むすび
1970年代は,激動のうちに終わり,われわれは,改めて対応を求められる1980年代の初頭に立っている。
世界経済,特に先進国経済は,過去10年間の中で次の5つの大きな問題に直面した。しかも,これらは1980年代にも引き継がれている。
第1は,自由な経済交流を生かす世界経済秩序の維持である。1971年におけるアメリカの経済政策の転換は,第二次大戦後の世界経済の発展を支えてきたブレトンウッズ体制に大きな影響を及ぼした。それは,この体制の安定に主導力を発揮していたアメリカ経済の影響力の低下を示すものであり,本格的な経済力の多極化時代の到来を告げるものであった。以来世界経済においては,為替相場は,固定制から変動制に移行し,その中で,主要国の経済政策・貿易制度調整のための真剣な努力が重ねられた。
第2は,経済発展と福祉国家の両立である。
このいわゆる先進国問題は,とくに政府の福祉制度の充実した西欧経済で大きかった。経済発展の重要な目的のひとつは福祉,すなわち国民生活の向上・安定にある。従って,政府による福祉の充実は必要であるが,半面,それに伴う政府の規模の拡大は,経済発展において最も重要な役割を果たす民間経済の活力の及ぶ範囲を狭め,経済発展そのものの基盤を弱める面も生じた。これは,先進国問題としてのスタグフレーションの一因にもなった。
第3は,南北問題への対応である。世界経済の発展の中で,発展途上国の経済成長が促進されたとはいえ,貧しさから抜け出た中進国は限られており,全体としての南北格差は縮小せず,発展途上国は,現在の世界経済秩序は発展途上国にとって不利であるという不満を持ち続けた。主要先進国の経済協力,国連その他の国際的な場を通じて,この面での対応が進められたが,なお発展途上国の不満は強い。
第4に,こうした過程で石油危機が勃発した。石油危機そのものには,民族的,政治的対立が背景にあるとはいえ,経済的には,石油資源の供給限界に対する不安,上述の発展途上国の現行世界経済秩序に対する不満,そして,70年代におけるドルの減価傾向等が働いた。そして今日では,産油国の価格,供給上のカルテル的性格は,全面的でないとしてもかなり強い。こうして石油消費国は,石油制約への対応を迫られることになった。特に先進諸国では,先に述べた先進国的スタグフレーションに加えて,このいわば石油によるスタグフレーションの克服が重要課題となった。
第5は,国際的な経済交流の中にも,政治的な要因が強く働くようになったことである。
石油危機にもこうした背景があるが,特に近年における国際緊張の高まりは,その傾向を避け難くしている。もちろん世界各国の経済的相互依存の深まりは,このような障害を越えて,経済交流を進め,国際緊張を経済の論理によって緩和している。とはいえ,経済に対する政治の影響は増大した。また,各国の国際収支,物価,雇用の不安定化傾向は,各国間の経済摩擦を拡大させている。経済摩擦それ自体は,関係国の産業調整によって解決すべきものであるが,各国ともに困難さが拡大しつつある状況では,経済的問題が,政治的問題としての性格をも持つようになった。
この間において日本経済は大きく発展した。国民の所得水準は,主要国首脳会議参加国中,中位を占め重要な位置にある。また,国際的に大きな比重をもつ産業も増え,高い生産性をもつ企業も登場するに至った。しかも,この過程で各国経済との相互依存が深まった。わが国自身の貿易依存度はそう変化してはいないが,それはわが国自身が巨大化し,高加工度化したためであって,貿易や金融上の関係は彼我にとって大きくなったのである。そして,こうした中で,国際経済社会からわが国の果たすべき役割と責任を強く求められることとなった。
翻って,第二次大戦後の日本経済の発展には,次のような発展要因が寄与した。国際的には,世界が総じて平和であり,自由な経済交流が維持され,資源の量・価格両面での安定的供給も確保された。国内的には,国内の生産要素および製品市場の競争的性格が維持され,企業の活発な設備投資は,国民の高貯蓄でまかなわれた。また,国民は勤勉で知識水準も高く,何よりも欧米先進諸国へのキャッチング・アップを目指して,民間部門,公共部門あげて努力が行われた。
しかし,こうした要因のいくつかは変貌しつつある。第1は,先にも述べたように,70年代以降,世界径済が大きな問題に当面し,わが国にも,その影響が及んでいることである。しかも,影響が及んでいるだけでなしに,これらの問題解決のため,わが国の自主的な役割と責任を果たすべきことを強く要求されているのである。正確にいえばわが国にとって,世界経済は「与件が変わった」という今までのような認識ではなしに,「働きかけねばならない条件に変わった」といわなければならない。
第2に,国内の発展要因は引き続いているとはいえ,国内問題の解決においても,国際的視野,先進国的視野を必要とするようになった。率直にいえば,「われわれはまだ豊かではない」という意識では,国内問題それ自体も解決しえないだろう。過信は避けなければならないが,「わが国の先進国的状況」を正しく理解することなしに,国内問題,そしてその国内問題は,世界各国の経済的相互依存関係が深まった今日では国際的問題ともつながりをもっているのだが,それを解決できないだろう。輸出入関連分野,金融取引関連分野はもちろん,日常の国民生活の末端まで世界経済とつながっているのである。
第3に,わが国経済社会それ自体にも,人口構造,雇用構造,国民の価値観の変化が生じてきている。
要約していえば,わが国は三重の問題の渦中にある。世界経済の当面する問題,加うるに先進国化したわが国に課せられる問題,そしてわが国自体の変化に伴う問題,がそれである。
わが国は,こうした中で,1980年代における経済発展の新しい道を求めなければならない。経済発展なくして,国民生活の一層の向上・充実,世界経済への貢献を実現することは期し難い。しかし,それはこれまでのような量的側面中心の拡大だけではなく,より質的な側面,たとえば,国民の高度化・多極化する欲求への対応,拡大のみならず,経済の安定性や安全性の確保,世界経済と日本経済の一層の調和に重点を置いた発展でなければならない。
未来は,量だけでは賄いうるものではなくなってきている。先進国経済としての日本が,変貌する内外環境に対応して,どれだけのことをなしうるかが,日本経済の今後の生きる道を決めていくといえる。
このための課題として,特に次の諸点が重要である。
第1に,最も基本的なものとして,石油制約への対応があげられる。このためには,わが国経済社会が,そして国民1人1人がもっている豊かな適応力が,まず生かされなければならない。日本経済は,資本が不足の時代には,海外から技術を導入して,資本の効率性を高めた。石油が安価で豊富に供給された時は,その状況に最もよく適応した。労働力不足になると,省力化投資を増やして対応してきた。この背景として,特にわが国の市場機構が競争的性格を強く有し,価格機能が効果的に働いたことが大きい。今後においても,それを維持・活用し,省エネルギー投資の拡大・石油代替エネルギーの開発利用,国民のエネルギー節約への契機としていくことが必要である。また,石油価格上昇による輸入インフレがホームメード・インフレやスタグフレーションに転化することのないよう適切な物価・経済政策の展開も重要である。
第2は,国際経済社会への貢献である。
このためには,日本経済の発展が,世界経済の繁栄に寄与し,調和することが最も重要である。ちょうど10年前,70年代の初頭において,当時の年次経済報告は,「これまでの日本経済は他国からの影響を懸念する経済であったが,いまやわれわれの経済発展のあり方が世界経済の繁栄にどう影響するかということから,世界の評価をうける経済へと変化しつつある」と指摘した。80年代において,このことは,より重要であり,切実である。
もとより,先進国,発展途上国を問わず,その経済発展は自助努力が根幹をなすべきことは,いかに強調されても強調されすぎることはない。しかしそうであればあるほど,大きくなった日本経済は,各国の自助努力に手を貸さなければならない。国際経済摩擦への対応,発展途上国への経済協力,その他多くの国際経済問題の解決においてそうである。自由な経済交流を支える国際経済秩序の維持安定が急務となっている今日,しかもそれが日本経済のかけがえのない存立基盤となっている今日,わが国自身が,経済,人間,文化の交流の各側面で,主張すべきものは主張し,誤解を解くべきものは解き,なおかつその上で積極的に手を貸さねばならない必要性は高まっているのである。
第3は,国内経済社会の活力の維持とその変化への対応である。物質的資源の乏しいわが国では,経済発展のためには他の国に比し,一層人間的資源と未来を賄っていく蓄積を大切にしなければならない。なかでも,重要なのは,人間的資源がもたらす科学技術という所産である。わが国は,導入した科学技術の適用,改良等という段階を経過し,いまや自らの手で科学技術を研究・開発していかなければならない段階に至っている。現状では電子工学・通信工学・機械工学を複合・結合した技術革新が進行しつつある。それはかつてのようなはなやかさはないにしても,国内の,そして世界の工場の現場で,家庭の日常生活で,広がりつつある。また,発展のために貯蓄も必要である。特に重要なのは,わが国民の貯蓄が増大して,多くの人々が等しくいろいろな資産を取得し,運用する機会を求めていくことである。預貯金,債券,株式のような金融資産のみならず,住宅のような実物資産も含めて,その取得・選択・運用の機会を高度化・多様化していく必要がある。さらに,人口の高齢化,教育の大衆化,婦人の職場進出の増大等の変化に対応し,年齢,学歴,性別を問わず,多くの人々がライフサイクルを通じて,プロフェッショナルに生きるような雇用慣行を求めていかなければならない。最後に,わが国でも,政府の比重の増大,大衆社会における集合的意思決定の難しさ等,先進国に共通する問題が生じている。こうした中で,民間経済の活力を生かし市場機能による解決がこれまで以上に必要であるが,同時に引き続き,公共部門が担うべき問題も多く,公共部門の効率化が必要である。また,大衆社会化の進展の中で人々が相互に対話し,理解し,信頼して問題の解決に当たっていくことも重要となっている。
1980年代における上記の課題を達成していくためにも,日本経済はまず物価の安定と景気上昇の持続に努めなければならない。物価が上がったり,景気が悪化しては,困難な問題に取り組む余裕も生まれない。さきのベネチアにおける主要国首脳会議では,物価安定を世界経済の安定のための最優先課題であるとするとともに世界的景気後退に備えるためにも効果的な国際協調を続けていかなければならないことが合意された。幸いにして,わが国は物価パフォーマンスは相対的に良好であり,物価安定を確かなものにして,その上に立って持続的成長の道を維持していかなければならない。
1980年代の日本経済の生きる道は,世界の生きる道につながっている。しかも,それは,先進国化した日本経済が貢献し,寄与して建設しなければならない道である。また,国内経済・国民生活の向上・充実をはかっていくためにも,国際的視野・先進国的視野が必要となっている。この道は,われわれにとって未踏のものであるが,それを切り拓いていくことから80年代の歴史が始まる。