昭和55年

年次経済報告

先進国日本の試練と課題

昭和55年8月15日

経済企画庁


[次節] [目次] [年次リスト]

第I部 景気上昇と物価安定への試練

第4章 今回の石油危機における財政金融政策と物価対策

第1節 抑制色を強めた金融政策

53年3月に戦後最低(終戦直後の混乱期を除く)の水準にまで下がった公定歩合は,54年4月に5年半ぶりに引き上げられた。その後54年中2回,55年に入って2回,合計5回(通算5.5%)にわたり引き上げられ,55年3月には,9.0%と前回石油危機直後に並ぶ史上最高の水準となった。また,これに伴って日本銀行の窓口指導が漸次強化され,第4次,第5次の公定歩合引上げ時には預金準備率も同時に引き上げられ,金融政策は大幅緩和からかなり強力な引締めへと転換してきた。

(予防的引締めのねらいと効果)

この54年以降の金融引締め政策には過去の引締めにはみられなかった特色がある。

第1は,今回の引締めが実体経済の過熱,国内物価の一般的上昇といった状況を待たず,比較的早めに始まったことである。引締めの開始直前の経済指標の動きを過去の同じような局面と比べると,54年初め頃の経済情勢は,①景気は上昇局面にあるがそのテンポは緩やかであり,②需給ギャップがまだかなり残り,雇用情勢も改善に向かいつつあったもののなお厳しかったし,③通貨供給量の増加速度も特に高いものではない,等総じて落ち着いた動きを示していた( 第I-4-2図 )。

しかしながら,物価情勢の面では,53年末から上昇圧力が頭をもたげつつあった。もちろんその主因は海外要因であり,それ自体を政策によって抑制しにくいものではあった。しかし,輸入インフレであっても,物価の上昇は人々のインフレ期待を高め,物価の先高を見越した投機的な需要を誘発する。そしてインフレ期待に基づく「仮需要」は当然,その為の通貨への需要を増加させることになる。こうした通貨需要の増加がマネーサプライの増加に結びつくと,輸入インフレがホームメード・インフレに転化する可能性が強くなる。従って,物価の安定,マネーサプライの安定を達成するためには輸入インフレに対しても金融引締め政策の発動が必要になるのである。

石油危機によってもたらされるような輸入物価の上昇は,後にみるように(第II部第2章),本来,インフレとデフレの両面の効果を持っている。この場合,インフレ効果を市場メカニズムを通じた相対価格変化の範囲内にとどめることができればデフレ効果も少なくて済む。逆に,輸入インフレがマネーサプライの増加によって国内物価の全般的な上昇すなわち「ホームメード・インフレ」に転化すると,その後の景気後退はより深刻なものとなる。この点前回の石油危機の場合には石油危機以前からホームメード・インフレーションが加速していたため,デフレ効果もより強いものになったのである。

ところで輸入インフレがホームメード・インフレに転化する大きな原因は人人のインフレ期待が高まるからである。インフレ期待が仮需的な行動に結びつかないようにするためには,金利水準を上げることにより投機に伴う犠性を大きいものにすることが有効な手段である。現実に54年以降の公定歩合の変動は,期待インフレ率の推移にほぼ見合ったものとなっており,46年から47年にかけて,期待インフレ率が急上昇しているなかで,逆に公定歩合が引き下げられたのとは著しく対照的である( 第I-4-3図 )。

第2に,為替相場の動向が政策変更の一つの重要な背景となった。これは前にみたように(第I部第3章)円相場の下落が輸入物価上昇の影響をさらに進めたからである。54年中の円相場の下落はそれまでの行き過ぎた円高の修正という面もあったが,石油危機の発生が円相場を実勢以上に下落させたことも否定できない。55年4月半ばに至って円相場がはっきりと反転したのにはそれまでの強力な金融引締めが大きく貢献したものとみてよい。

(落ち着いた推移を続けたマネーサプライ)

金融政策の変化は金融情勢に次のような影響を与えた。

まず,マネーサプライの伸びは54年中平均残高の前年比で10~12%と落ち着いた推移を続け,しかもその伸びは期を追って低下していった。こうした落ち着きの背景を信用面の対応からみると( 第I-4-4図 ),対外資産は総合収支の赤字化を反映して54年以降マイナスになっている。また,対政府信用は53年から54年前半まで財政支出の増大を反映してかなり伸びを高めたものの,その後,54年後半からは銀行部門による国債の対市中売却の急増を主因に鈍化した。なかでも注目されるのは,引締め政策を反映した対民間信用の伸びの大きな鈍化である。全国銀行の貸出は52年以降ほぼ10%台の安定した伸びであったが,54年はさらに伸びが低下した( 第I-4-5図 )。この伸びは54年の物価の騰勢を考慮すると,実態的にはかなり低いものだったとみてよい。普通輸入インフレによって通貨需要が増加すると,それに伴って銀行部門で信用拡大が起こり,通貨の一般的増大をもたらす可能性があるが,マネーサプライがこうした伸びにとどまったのは,その可能性が防がれたことを示している。

(高金利の中での長短金利の逆転)

マネーサプライが落ち着いた動きを示した反面,金利は54年中一貫して上昇した。また,54年以降短期金利が上昇に転じ,しかもその上昇テンポは長期金利を上回り,55年に入ると短期金利が長期金利を上回る「逆転現象」が生じた( 第I-4-6図 )。長短金利の格差は53年頃から金融機関による国債の対市中売却の急増を背景に長期債の需給不均衡感が強まったため拡大傾向にあった。54年に入ると,金融の緩和基調が続くなかで輸入インフレに伴う期待インフレ率の上昇が金利先高感(債券価格の下落予想)を生み,投資家の資金運用がリスクの少ない短期債ヘシフトした結果一段と乖離が進行した( 第I-4-7図 )。しかし,金融引締めの浸透過程では,短期金融市場の資金不足傾向が強まるから,短期金利は急上昇を続ける。そして金利の頭打ち感が強まる段階に至ると,今度は投資家は長期債への選好を強め金利の長短格差は縮小から逆転に向かっていく。今回の逆転現象もこうした過程を経て生じたとみられる。

わが国のみならず今回石油危機後,主要国でこのような短期金利を中心とした市場金利の急上昇がほぼ同時期に生じたことも特徴であった。各国政策当局の間に,期待インフレ率が高まったときに名目金利が上昇してもマネーサプライの管理が適切であればそれは実体経済に悪影響をもたらすものではなく,むしろ逆に名目金利の上昇を抑えようとすればするほどマネーサプライが増加し,ひいては物価上昇が加速されるという悪循環が生じるという認識が強かったからである。アメリカの連邦準備制度理事会は54年10月の新金融措置の中で「政策運営の目標を金利から銀行準備に変えその結果起こる名目金利の上昇を容認する」という態度を表明した。これは,以上のような認識の変化を裏付けている。

こうした金融引締め下の短期金融市場の引締まりを背景に,金融機関の貸出金利の上昇も54年4月以降急テンポで進んだ。公定歩合引上げに対する貸出約定平均金利上昇の追随率は,55年5月には全国銀行で49.8%とほぼ前回の引締め局面に匹敵する上昇となった( 第I-4-8図 )。

(企業金融面への浸透の遅れ)

以上のような金利の動きとともに,日本銀行の窓口指導も漸次強化されたので,引締めの効果は,金利,資金の利用可能性の両面で金融機関段階に浸透していった。

しかし,企業段階への引締め効果の浸透は著しく遅れている。企業金融に関する企業の見方の動きを,日本銀行「主要企業短期経済観測」によってみると,53年に金融緩和から軒並みかなりの好転を示したものの,54年に入ってからは悪化が増えている。しかし,その悪化のテンポは前回の引締めに比べると極めて鈍い。特に資金繰り判断DI(「楽である」-「苦しい」)の下がり方の遅れが目立っており,引締め後1年経過してようやくマイナスに転じつつある程度である( 第I-4-9図 )。

企業金融面への浸透の遅れの理由として,次の諸点があげられよう。

第1は,企業の資金需要自体が小さかったからである。企業の資金需要(投資活動と自己資金の差としての資金不足)の内訳をみると,今回の場合,設備投資はほぼ内部留保の範囲にとどまり,かつ在庫投資が前回景気上昇期を大きく下回っているから企業の外部資金需要はそれだけ小さくなり,売上高に比べた資金不足の程度は前回に比べてかなり小さい( 第I-4-10図 )。

第2は,53年までの長い金融緩和の時期に,企業が手元流動性を増やし,特に短期有価証券を積極的に持つようになったことである。最近の企業の手元流動性比率は,すでに前回の最も低い水準並みにまで下がっているが,短期有価証券の保有量はむしろ前回を上回っている。特に,こうした手元流動性の増加がもっぱら自己資金によって行われ,企業の借入れ依存度は低い水準で維持されてきたことが前回の緩和期とは大きく異なっている。このため,手元流動性の水準は金融機関借入れとの対比でみれば必ずしも低くないことが,企業金融の引締めへの抵抗力を強めているとみられる( 第I-4-11図 )。

第3は,円安による輸出の増加が輸出関連企業の資金繰りを好転させる要因になったことである。前に述べたように(第I部第3章),今回の円安局面で企業は採算重視(ドル建て価格を引き下げるよりは円建て手取りを増加させた)型の輸出行動をとったため,輸出の増加は,①売上げ増,②採算上昇,③回収条件改善の3つの経路を通じて資金繰りを好転させた。事実,引締めの直前とそれが始まってから1年目の金融機関の貸出や資金繰りに関する企業の見方の変化は前回ではほぼ全業種にわたって両方とも悪化がみられたが,今回は資金繰り判断の低下がかなり緩やかであり,輸出関連産業を中心に,1年経過後も判断に関するDIがプラスになっている業種が多い( 第I-4-12図 )。ただ,企業金融のひっ迫感が弱かったからといって,引締めが不十分であったわけではない。企業の短期保有有価証券の保有が高いのは,金利の上昇によって在庫投資の機会費用が高まった結果とも考えられる。すなわち引締めにより企業が仮需的な行動を自制したからこそ企業金融面のひっ迫感が弱かったのである。