昭和54年
年次経済報告
すぐれた適応力と新たな出発
昭和54年8月10日
経済企画庁
第1部 内外均衡に向かった昭和53年度経済
第1章 昭和53年度の日本経済―その推移と特徴―
53年度経済をふりかえるに当たり,まずその特徴を理解するために年度の始まる頃までの状況を想起してみよう。
昨年度の「年次経済報告」の「はじめに」において,「52年度全体としては,景気の回復感は浸透せず,業種間の業況の跛行性が目立ち,雇用情勢は依然厳しいといった情勢が続いており,経済は決して満足すべき状況ではなかった」と述べられている。50年度以降,景気は回復局面にあるものの,52年度の状況は,実感としての好況感からは程遠く,雇用の厳しさ,経常収支の黒字幅拡大などむしろ内外不均衡の度合いが高まるような様相を呈していた。
こうした状況は,結局のところ民需が力強さに欠けていたこと,その背後には企業や家計といった経済主体の経済活動に対するコンフィデンスの弱さがあったことに帰因する。
そのような事態は,要するに石油危機後の調整過程が尾をひいたということである。正確には,石油危機のみではなく,それ以前の内外経済情勢からつながっている。
そこで,石油危機直前の状況から52年度までの経緯を簡単に回顧しておこう( 第I-1-1表 参照)。
まず,46年のスミソニアンの合意による円レートの1ドル360円から308円への切上げのデフレ効果が危惧され,また円切上げにもかかわらず経常収支の黒字幅が拡大し続けたため黒字減らしの必要に迫られ,47年末ごろまで総需要拡大策がとられ続けた。また,海外でも景気拡大策がとられ,日本の輸出が増加した。こうしたことから内外需とも急増し,48年には景気過熱的状況になり,折からの海外一次産品市況の上昇も加わって物価の2ケタ上昇,国際収支の赤字という事態がもたらされた。すなわち,もはやそれ以上経済拡大は続けられない局面にきていた。そこへ石油価格の4倍引上げという石油危機が48年末に登場し,インフレと国際収支赤字を加速するとともに交易条件の悪化がデフレ効果ももたらすことになった。
そこで,インフレと国際収支赤字に対処すため,48年の前半からとられ始めていた総需要抑制策は年末からは一層強化された。かくして,企業は一転して過剰設備,過剰在庫,過剰雇用に直面することになった。さらに,資源価格の高騰による相対価格の変化も加わって,企業収益は極端に悪化した。こうした中で企業はコンフィデンスを喪失していった。それはいわゆる減量経営をもたらし,マクロ的には経済成長率の鈍化につながっていく。消費者もインフレや雇用不安から守りの姿勢に転じ,消費性向が低下した。民需が極めて弱くなったわけである。49年度の経済成長率は戦後初めてマイナスを記録した。インフレ,不況,国際収支赤字のいわゆるトリレンマが出現することになった。投資関係の需要が落ち込んだことに代表される需要構造の変化や相対価格の変化は投資財産業や素材産業に打撃を与え,業種間の跛行性やいわゆる構造不況業種問題を生み,雇用構造も第二次産業から第三次産業に重点が移行していった。
このような事態は,輸入を減少させ,経常収支は50年度にはほぼ均衡するに至る。輸入物価の騰勢も一服し,国内の物価上昇率は急速に下がっていく。しかし,雇用は悪化の一途をたどる。かくして政府は景気刺激策に転ずることになったが,企業や家計の石油危機後の状況への適応が未だ不十分でコンフィデンスが弱いため民需への波及は極めて弱いものにとどまっていた。他方,日本の輸出産業の合理化努力もあり,輸出が増加し,経常収支の黒字が増え,円高が登場する。この円高が52年初来相当期間にわたり続いたことも企業へのコンフィデンスにマイナスに作用した。一方,財政支出と輸出を中心に51年度以降5%台の経済成長が続き,経済が着実に拡大しているという意味では不況は終り,トリレンマは解消した。
53年度が始まる直前の状況は以上のようなものであった(なお,49年不況以降の状況をもたらした要因は石油危機のみではないが,石油の影響は大きかったし,現象の変化は48年を境にして生じたものが多いので,以後経済環境の転換点を「石油危機」という語で代表することとする)。こうした状況の中でそれまでの民需の回復力,円高の進展,減量経営の進展等が変わらなければ,例えば,①民需の回復力が弱いので財政の相当の拡大が続かなければ経済は失速する,②経済の拡大が緩やかで円高もあり企業収益の改善もはかばかしくない,③円高にもかかわらず輸出は減らず輸入は増えないので経常収支の黒字は減らない,④減速経済の下で雇用情勢は引続き厳しい,⑤需要構造も変わっているので構造的な不況業種の深刻さはなかなか弱まらない,といったことが53年度経済に想定されてもおかしくなかったといえよう。
それでは,現実の姿はどうであっただろうか。①経済成長率は52年度の5.6%に対し53年度は5.5%と大差はなかったが,民需の寄与度は2.4%から5.5%へと大幅に高まった。②企業収益も顕著に改善し,企業(製造業)の業況判断も日本銀行「主要企業短期経済観測」(以下「短観」という)によれば,53年2月調査時点においては「悪い」とするものが「良い」とするものを29%上回っていたが,54年2月時点では「良い」とするものが6%上回るという逆転現象が現われた。③経常収支の黒字幅(季節調整値)は53年1~3月期には51億ドルもあったが,54年1~3月期には2億ドルに激減し,月別には3月以降赤字になっている。④完全失業者数は53年7~9月期まで増大したがその後減少に転じ,54年1~3月期は前年同期を若干下回るに至った。⑤物価上昇率も年度平均でみれば,53年度は一段と落着いたものとなった(前掲 第I-1-1表 及び 第I-1-2表 参照)。このような特徴的な指標をいくつか拾っても,その前年度からの変化には目を見張らせるものがある。
そのような動きの内容や要因については後に詳しく触れるところであるが,ここではまず53年度中の経済の推移を概観しておこう。
53年初から最近に至るまでの経済の流れは以下の三つのような時期に分けて考えることができる。
第1は,53年初から4~5月頃にかけての在庫調整が最終局面に入り,経済が比較的順調な拡大テンポを示した時期である。1~3月期の実質GNPは前期比2.3%の高い伸びを記録し,鉱工業生産は52年11月から53年6月まで連続8か月の上昇を示した。
これは,それまでの厳しい在庫調整の過程で作用してきた生産に対するマイナスの圧力が次第に小さくなっていったのに加えて,一時的要因もあって輸出も増加し,さらに,公共投資についても切れ目のない執行が図られるなど政策的下支えが大きかったためである。
第2は,5~6月頃から53年末にかけて,マクロ,ミクロ両面で経済パーフォーマンスの改善が目立ち始めた時期である。
実質GNPは,4~6月期1.0%増,7~9月期0.8%増とやや増加テンポが鈍ったが,その内容はかなり変化してきた。すなわち,52年来の累積的な円レート上昇の効果が,輸出数量の減,製品輸入を中心とした輸入数量の大幅増という形で顕在化してきたため,実質経常海外余剰は,実質GNPをかなり引き下げる方向に作用するようになった。しかし,財政の前倒し執行による公共投資の高い伸びや,堅調な消費活動に支えられて,国内需要の伸びが高まったため,経済全体は着実な拡大を続けることとなった。
こうした中で,経済の各面に次第に明るさが広がっていった。円高による輸入原材料価格の下落の影響もあって,企業収益は着実に改善し,企業マインドも好転していった。卸売物価は下落を続け,消費者物価も3~4%台の落ち着いた動きを示した。大幅であった経常収支の黒字も,53年1~3月期をピークに減少傾向に転じた。
上昇を続けていた円レートは,10月末に1ドル176円の最高値を記録した後,11月1日のアメリカ政府の総合的ドル防衛策の発表を機にそれまでの上昇局面は終り反落に転じた。
第3は,53年末から最近に至るまでで,経済が内需中心の拡大を続ける一方,卸売物価の上昇,石油情勢の変化などの新たな問題点が現れ始めた時期である。
10~12月期の国内需要の伸びは個人消費や設備投資を中心にさらに高まり,実質GNPは1.7%の増加となった。こうした着実な景気回復が続く中で,53年初来目立った動きを示さなかった在庫についても,53年末以来一部業種に積み増しの動きが見られるようになり,商品市況も上昇し始めた。改善が遅れていた雇用情勢にも改善の動きが広がり始め,54年初には失業率もかなり低下した。経常収支黒字の縮小はさらに進み,長期資本の流出幅が拡大したこともあって,10~12月期以降総合収支は赤字となった。
円レートは,53年末以降は円安傾向で推移するようになり,さらに,先進諸国の景気回復や国際政治情勢の変化等で海外一次産品価格が上昇に転じたため,輸入価格はかなり上昇テンポを高めた。景気回復が続く中で需給地合が改善してきていたため,輸入価格の国内物価への影響はかなり急速に浸透し,53年11月以降卸売物価は様変りの上昇となった。
54年に入ると,イラン革命を契機とするOPEC(石油輸出国機構)諸国の石油輸出量の不安定化と価格の急騰が始まり,我が国の物価や成長への影響が懸念されるようになった。
こうしたなかで,政府は54年度の公共事業の実施については,引続き景気の回復基調の定着化に資するよう,物価の動向に十分留意しつつ,経済情勢に応じた機動的な施行を図るものとし,一方,日本銀行は4月17日から公定歩合を0.75%引上げた。
以上のようなここ1年余の経済の動きを振りかえってみると,二つの特徴が目につく。
一つは,内外均衡という点からみて,我が国経済の姿がかなりバランスのとれたものになってきており,とくに民需が動き始めている点に景気回復の底固さがうかがわれるということであり,もう一つは,そのなかで,卸売物価の上昇,石油情勢などの新しい問題が出てきたということである。
前者については,①内需中心の景気回復,②企業収益の改善,③物価の安定,④国際収支の均衡化,⑤雇用情勢の改善という五つのポイントに要約することができる。
また,後者は,①均衡回復の過程の中から生じたもの(例えば需給改善による卸売物価上昇,円高から円安への転換もある意味ではそうである)と,②石油情勢の変化のように外的条件が変ったことによるものにわけられる。以下では,まず,五つの側面における均衡回復の動きを,石油危機後の推移を踏まえつつ概観し,次に,その後に生じた新しい問題点について検討する。さらに,今後の日本経済にとって重要な意味をもつ,物価,エネルギー等の側面については章を改めて検討することとする。
石油危機以降の実質GNP(国民総生産)の推移を前年同期比でみると( 第I-1-3図 ),49年末までの停滞局面,50年初から51年初までの回復局面,その後のゆるやかな拡大が続く高原状態の局面と三つの時期に区分できる。
その内容をみると,第1局面から第2局面へかけての変化は,それまで極端に落ち込んでいた内生需要(消費,民間投資等の国内民間需要)が次第に回復してきたことによる面が大きい。前述のような石油危機前後の内外環境の変化や総需要抑制策によって民間投資は減少し,個人消費の増加率も鈍化したが,50年に入ってからは個人消費は持直し,設備投資のマイナス幅も縮小した。
第3局面を支える主役は興味ある交代を示している。これを国内需要と海外需要(輸出等)にわけてみると,51年度中は総需要の増加に対して海外需要の寄与度が国内需要とほぼ等しく,いわば「海外需要依存型」の経済であった。しかし,その後外需の寄与度は徐々に下がり,53年度にはマイナスになった。すなわち,53年度経済は文字通り「内需主導型」であり,対外的にも,まだ自前の力で経済拡大を行っているという意味で景気自体の底固さからいっても,重要な意義を有するものといえよう。53年度経済が良好なパーフォーマンスを示したことの象微としてこのことがとりあげられるゆえんである。
ところで,両者の中間にある52年度はいわば「外生需要(外需と政府支出)依存型」経済である。低下しつつあったとはいえなお外需はプラスであり,さらに景気回復のため財政支出は公共投資を中心に大幅に拡大した。他方,前年度に急増した在庫の調整のため民需は力を弱め,総需要の増加に対する寄与度は外生需要が内生需要を上回った。すなわち,51年以降の緩やかな経済拡大は,期を追って「海外需要依存型」,「外生需要依存型」,「国内需要主導型」と性格を変えてきたことになる。
53年度も公共投資の大幅増加は続いており,これは国内需要に含まれているので,内需主導型といってもそれは相当程度財政に支えられたものである。国内需要から財政を除いた民需が主導する経済になって初めて自律回復が始まったといえよう。図からみる限り,53年後半の内生需要の寄与度は石油危機後かつてない高さに達している。しかし,これには政策的要請もあって大きく増加した電力の設備投資等が入っていることに留意する必要がある。そこで,これからの景気の行方に重要な意味を持つ民需回復の底固さ,すなわち景気の自律回復の確からしさの検討は節を改めて行うこととするが,少なくとも年度後半には民需回復のきざしが生じたことは否定できないとみられ,そういった意味でも53年度経済は重要な意義をもつものといえよう。
ところで,このような石油危機後の需要動向は過去の景気回復局面と比較してどのような特徴がみられるであろうか。
まず,経済成長率については,前回の景気の谷(46年12月)を含む年(46暦年)の翌年(47暦年)には9.5%,2年目(48暦年)には10%となっており,前々回においては,景気の谷(40年10月)を含む年(40暦年)の翌年(41暦年)には9.8%,2年目(42暦年)には12.9%と,いずれも回復後直ちに10%前後の拡大をみせるようになったが,今回は,景気の谷(50年3月)の後の成長率が3~6%(前掲 第I-1-1表 )ときわめて緩やかな点が目立つ。これが石油危機後の景気回復の第1の特徴である。
第2は,内容的にいっても景気の本格的な回復には相当の時間を要しているという点である。前回の場合も前々回の場合も景気回復が始まるとともに民需が急速に盛り上がり,1年後にはGNPの増大の8~9割を占めるほどになった( 第I-1-4図 )。1年にして「民間需要主導型」経済になったのである。しかし今回は,「海外需要依存型」,「外生需要依存型」,財政支出に支えられた「国内需要主導型」と主役が代りながらも,景気回復後4年目にしてなお「民需主導型」とはいい切れない段階にとどまっている。図をみても,今回の場合,当初は総需要抑制のため財政は抑えられており,海外需要も弱かったので経済拡大に対する民需の寄与率はむしろ高かったが,その後急速に下がり,51年に若干の盛上がりをみせたがすぐ腰くだけになり,53年に入って徐々に持直してきたという経過をたどっており,回復期間中をならしてみれば横ばいといった姿である。海外需要や財政支出によってどうやら景気は支えられており,本来の景気変動の主役であるはずの民間需要がなかなか出ないというのが今回の特徴である。それだけ石油危機が我が国経済に与えたインパクトは大きかったわけである。しかし,観点を変えれば,現在動意がみられる民需が今後着実に拡大していくとすれば,長い新環境への適応のための苦闘の時をへて,ようやくこれからが本来の意味での景気回復過程を歩むことになるわけであり,そういった節目として53年度は注目される年となった。
石油危機後,企業収益は大幅に悪化した。日本銀行「短観」によると,製造業の48年度上期の経常利益(最近のピーク)を100とすると,50年度上期(ボトム)には15.7にまで落ち込んでおり,売上高利益率も6.05%から0.76%に低下した。
これは,総需要の鈍化に伴って売上高が伸び悩んだのに加えて,輸入価格の上昇を主因とする原材料価格の上昇のほか,賃金コストの上昇,金利の高水準と稼働率の低下による固定費の上昇など生産コストの上昇が激しかったためである。
こうした企業収益の悪化は,企業行動を萎縮させ,投資活動の停滞,減量経営に伴う雇用情勢の悪化等,経済全体のパーフォーマンスを悪化させる大きな原因となった。
その後も,51~52年にかけての在庫循環の上昇局面で一時収益が好転するという動みがみられたが,52年度には再び2期続けて減益になるなど,収益の改善は足踏みを続けていた。
しかし,53年度に入り,企業収益は改善の動きに転じた。すなわち,53年度上期は25.7%,下期は9.3%,54年度上期(予測)は11.8%と,増益が続いており,53年度下期の経常利益水準はほぼ48年度上期のピークに近いところまで戻ってきている( 第I-1-5図 )。こうした点からみて,今や企業は石油危機後の収益の悪化から一応脱出したものと判断される。
53年度に入ってから経済全体の拡大テンポは特に高まったわけではないが,企業収益は着実な改善を示した。これは,①景気回復傾向が定着してきたこと,②こうした中で企業の減量経営の成果が現われてきたこと,③金利の引続く低下,④円高による輸入原材料コストの低下,⑤賃金コストの安定,等の要因が総合された結果であると思われる。
また,石油危機後目立っていた業種間の跛行性も後退した。すなわち,53年度に入ってからは,円高による輸入価格の低下がかつての相対価格の変化を逆転させたことに加え,輸出の停滞,在庫調整の終了,内需の好調など,これまで跛行性をもたらしてきた諸条件の変化を打ち消す方向に企業環境が変化した。このため,業種間の跛行性も縮小することとなったのである。現在では,一部の業種を除いて,深刻な不況状態にある産業は解消する方向にある。
かくして,これまでのところ景気の自律的回復の主体的条件が形成されつつあるように思われる。
48,49年に急騰した物価は,50年以降次第に鎮静化してきたが,53年度にはさらにその度合いが強まった(前掲 第I-1-1表 及び 第I-1-2表 参照)。
卸売物価は,49年には31.4%の上昇を記録したが,景気が停滞する中で急速に上昇率を低めた。その後,51年には在庫循環の上昇局面にあったこともあって,前年同月比で6%を上回る上昇を示す月もあったが,再び鎮静化し,52年に入ってからは円高による輸入価格の下落の影響で一段と上昇率が低まった。
53年度に入ってからも同様の傾向が続き,54年2月まで前年を下回る状態が続いた。これは,52年と同様,引続いて生じた円レートの上昇による輸入価格下落の直接的・間接的影響が大きかったためである。53年度平均の卸売物価は前年度比マイナス2.3%となった。年度平均の上昇率がマイナスを記録したのは,46年度(マイナス0.8%)以来のことである。
消費者物価も,49年には24.3%の大幅な上昇を記録したが,その後年を追って鎮静化してきた。53年度に入ってこの傾向はさらに進み,53年度平均の上昇率は3.4%となった。これは石油危機前の47年度(5.2%)をさらに下回る低いものだった。
消費者物価の落ち着きは,①工業製品価格が円高によるコスト低下で落ち着いた推移を示したこと,②サービス価格が賃金コストの落ち着きを反映して低い伸びにとどまったこと,③農産物価格が円高による輸入飼料価格などの生産資材価格の低下,需給の緩和等のため安定した推移を示したこと,などのためである。
消費者物価の安定は,石油危機後の国内経済における最優先の課題として考えられてきたが,その課題はほぼ確実に達成されたといえよう。こうした消費者物価の安定は家計など経済主体のマインドを改善し,経済の各面が落ち着いた動きを示している基礎となっているものと思われる。
しかし,53年末からの物価情勢は急速に変化していた。消費者物価は依然安定基調にあるが,卸売物価は,53年11月以降上昇に転じ,最近は大幅に上昇している。こうした最近における物価情勢の変化は,石油危機後の調整を終えた我が国経済の行手に最初に現われた重要な問題となりつつある。
国際収支も,石油危機後,いくつかのステップを踏みながら変化してきた( 第I-1-6図 )。
最初のステップは,石油危機後から,49年にかけての大幅赤字の時期である。49年以降,実体経済は極度の不振となったにもかかわらず国際収支が大幅赤字となったのは,数量ベースでは通常の不況期における輸出増,輸入減というメカニズムが出現したにもかかわらず,輸入価格が大幅に上昇し,名目輸入額が急増したためである。
しかし,結局輸入価格の上昇は1回限りの変化であり,その後は価格面での変化はほとんどなかったため,やがて数量ベースの変化が名目ベースにも現われるようになる。このため50年の国際収支はほぼ均衡した姿に戻った。だが,これは一時的なもので,その後,国際収支は51~53年にかけての大幅黒字の時期につながっていった。そして52~53年にかけては円レートが急騰し,我が国経済に大きな影響を及ぼすこととなった。
しかし,53年度に入ってからは,こうした円高の影響と内需の拡大,さらには緊急輸入等輸入促進策の実施もあって経常収支の黒字は年度後半に急速に減少し,年度末にはほぼ均衡するに至った。また,総合収支は53年10~12月期からすでにかなりの赤字となった。
OPEC諸国が構造的な経常収支の黒字を保ち,世界の多くの国が景気低迷と失業増大の中で国際収支の赤字からの脱却を容易になしえないといった石油危機後の世界経済の中で,我が国が巨額の黒字を記録したことは,我が国が国際的にアンバランスな状態にあることを意味していた。
しかし,現在では上記のようなアンバランスは解消したといってよかろう。すなわち,第1に,基本的なバランス指標である基礎収支(又は総合収支)は大幅な長期資本の流出超過によってすでに赤字になっている。第2に,経常収支も月次ベースでは最近は赤字にすらなっているが,53年度を合計すると119億ドルという相当な黒字になる。しかし,それは円高によるドル建輸出価格の上昇に由来するものであり,実質べースでみると,53年度に入ってから輸出数量の減,輸入数量の増が続いていることからもわかるように,我が国の経常収支(ここでは国民経済計算上の実質経常海外余剰)が諸外国の実質GNPにマイナスの影響を及ぼすという状況は53年度当初からもはや生じていないのである。
このような我が国国際収支が最近赤字傾向となっていることもあって,53年11月以降円レートは下落の方向に転じている。
改善が遅れていた雇用情勢にも,53年度に入ってから次第に改善の動きが広がってきた( 第I-1-7図 )。
雇用情勢の動きは,もともと景気変動に対して遅行的になる傾向がある。景気循環の過程において雇用調整を行う場合,企業は相対的に調整コストの低い手段を優先的に発動していくため,労働時間の調整→求人活動の調整→雇用者数の調整という順序で雇用面に変化が現われる。
石油危機後の雇用の動きにも上記のような変動がみられる。まず,残業時間を示す所定外労働時間(製造業)は48年央をピークに減少し始め,次いで企業の求人活動の停滞によって,49年以降有効求人倍率が低下し始めた。常用雇用は最も遅れて,49年央以降,減少に転じ,完全失業率も急上昇し始めた。
その後,景気の回復とともに,50年以降,所定外労働時間は増加に転じたが,今回の局面では通常の景気後退局面以上に,企業の成長期待の下方屈折が大きかったため,雇用の調整は長びくこととなり,求人倍率,失業率の面には改善の動きがなかなかみられなかった。
しかし,53年度に入ってからの雇用の動きをみると,所定外労働時間は引続き増加傾向にある一方で,有効求人倍率は緩やかながら一貫して上昇傾向をたどり,完全失業率も54年に入って目立って低下した。これは,景気拡大の雇用面への効果がようやく現われてきたことを示している。
しかし,有効求人倍率は1をかなり下回っており,完全失業者数は100万人を上回った状態が続くなど,レベルとしての雇用情勢はまだ満足すべき状態にあるとはいえない。
石油危機後の日本経済は,景気循環としての後退局面の中で,石油価格の大幅上昇という外的ショックが加わったため,特に厳しく,長い調整局面を経験しなければならなかった。
しかし,以上のような五つのポイントからみて,日本経済は大勢としては,石油危機後の調整過程を終えたといえるように思われる。
以上みてきたように,石油危機後,経済の各面にみられた不均衡は,53年中にかなり解消してきた。しかし,その一方では,均衡化を支えた諸要因のなかでいくつかの新たな状況の変化が現われてきた。
その第1は,53年11月以降,それまでの円高傾向が一転して円安傾向になったことである。53年10月31日に円の対ドルレート(直物中心相場)は176円であったが,54年6月初には220円前後とほぼ一年前の水準にもどった。
円高は物価安定,企業収益の改善,経常収支の均衡化に寄与した。円安はそれらに対して逆の方向に作用するはずである。ただし,企業収益は内需好調,産出価格の上昇で当面悪化の兆しはない。また,経常収支も,円安のJカーブ効果が働くこと,輸入が円高効果による製品輸入の増加に加えて,内需好調と海外一次産品価格高により原燃料輸入額が増え始めていることなどにより,当面赤字傾向にある。従って,問題は物価上昇である。
第2は,53年末からのイランの政情不安に端を発した石油情勢の悪化である。イランの石油輸出は一時中断したがその後回復している。しかし,中断前に比して1日当たり200万バーレル前後下回っている。他のOPEC諸国は輸出量を増やしているが,世界的に需要が増加していることもあって石油が不足気味になっている。また,このような需給逼迫を背景に,石油価格が急上昇し始めた。昨年中アランビアン・ライト(標準油種)の公式販売価格は12.7ドル/バーレルであったが,OPECは54年1月から13.335ドル/バーレルに,4月からは14.546ドル/バーレルに引上げ,かつ産油国が独自に割増金を上乗せすることができるようにした。さらに,6月28日の総会では,18ドル/バーレルに引上げ,各産油国は一定の限度で割増金を上乗せすることができることが決定された(割増金は2ドル/バーレルまで,但し,上限価格は,油質,地域的優位性,市場プレミアムのいかんを問わず23.5ドル/バーレル)。
このような状況に対し,IEA(国際エネルギー機関)は5%の節約を決め,我が国も冷暖房の温度管理を厳しくするなどそれに相当する節減措置をとることにした。さらに,6月末に東京で行われた主要国首脳会議において国別石油輸入目標の設定等が決定された。これらは,当面の産業活動に直接大きな影響を及ぼすものとは考えられず,石油の量的な不足によって経済成長が大幅に制約されることはないものと思われるが,長期的な問題としてエネルギー制約の厳しさを改めて認識させられることになった。
しかし,石油価格の上昇は,国内の物価上昇をもたらすとともに,経常収支を赤字の方向に動かす。さらに,交易条件の悪化により,所得が産油国に流出し,ひいては国内経済にデフレ効果を及ぼす。
いま,インパクトの程度を48年末の石油危機と大まかに比較してみよう。48年度なみの石油輸入量を前提とすると,48年末の石油価格の上昇(48年10月~49年3月の上昇幅7.2ドル/バーレル)は輸入金額を約130億ドル程度増やす要因となった。これは約3.6兆円(1ドル273.8円で換算)になり,48年度の名目GNPの約3%程度に相当する。今回,仮りに日本への原油輸入価格が19.52ドル/バーレルとすると,これは53年末に対して51.8%の上昇となる。53年度なみの輸入量を前提とすると輸入額は約115億ドル程度増える。これは約2.5兆円(1ドル220円で換算)になり,53年度の名目GNPの約1.2%に相当することになる(輸入増加額,購買力移転額はいずれも53年末の石油価格と19.52ドル/バーレルとの差の1年分の影響を試算したものであり,54年度に現われる影響を示しているわけではない)。従って,国際収支面ではかなりの影響を及ぼすが,購買力の移転という形でとらえた経済に対するデブレ効果は石油危機時の半分以下ということになる。
物価については,石油価格上昇の卸売物価に与える影響を産業連関表によって試算してみると,3月末のOPECジュネーブ臨時総会の決定によって,54年度の卸売物価を追加的に0.9%引上げ,更に6月末のOPECジュネーブ総会の決定によって,同じく0.9%引上げることとなる。
石油危機前の日本の卸売物価の上昇率がならしてみれば年率1%台であったから,今回の石油値上がりの影響は相当なものといわざるをえず,やはり物価が最も注目を要する問題ということになろう。
第3に,53年度の内外均衡回復に大きな役割を果した公共投資は,実質公的固定資本形成の動きにみるように,53年4~6月期7.6%(前期比,以下同じ),7~9月期5.4%,10~12月期4.3%と大幅な伸びを示したが,54年1~3月期には1.7%減となり,このところ伸びが鈍っている。しかし,これは景気回復を目ざした53年度の公共事業の前倒し執行の影響であり,以下にみるようなことからも,当面経済全体にマイナスの影響を及ぼすものとみるべきではない。
すなわち,第1に,前期比では下がったとしても,前年同期比では16.8増とGNPの5.9%よりかなり高く,依然として経済拡大の牽引力になっている。
第2に,前述のように民需に盛上がり傾向がみえ始めているので,従来と同じテンポで拡大させる必要はなくなってきている。
第3に,53年末から卸売物価の騰勢が目立っており,このため財政の執行についても物価情勢に及ぼす影響を勘案しつつ慎重な姿勢で臨む必要性が高まっている。
なお,公共事業の執行についてみると,現在のところ公共事業関連産業の稼働率は全体としてみればあまり高くなく( 第I-1-8図 ),資材価格は海外市況高,需給地合堅調などからこのところ一部物資について上昇傾向を示してきている( 第I-1-9図 )ものの,今後も全体として公共事業は円滑に執行されると考えられる。
こうした状況のもと52年度について行われた第2次の補正予算は53年度は行われず,54年度の公共事業の規模自体は引続き大型である(政府経済見通し,政府資本支出(名目)前年度11.9%増,名目GNP9.5/増)が,その,執行については,上半期の契約目標率はこれまでの執行促進年度よりやや低目のおおむね65~70%程度とし,経済情勢に応じた機動的な施行を図ることとした。
以上のように,53年度の後半に現われたいくつかの新らしい状況のうち,第1の問題は物価である。事実,卸売物価は53年11月から上昇に転じ,54年に入って騰勢は加速している。消費者物価は前年比2~3%台と引続き落着いている。また,54年の春季賃上げ率も6%と穏やかなものとなり,この面からのインフレ加速化要因はない。しかし,卸売物価の動向は楽観を許さず,インフレの未然防止と景気の自律回復の定着という容易でない課題をかかえることになった。第2の問題は,中長期的に資源制約に真剣に立ち向かう必要が生じたことである。いったん内外均衡の回復という良好なパーフォーマンスを示した我が国経済は,新たに短期的にも長期的にも解決を要する重要な課題に直面することになったのである。