昭和51年
年次経済報告
新たな発展への基礎がため
昭和51年8月10日
経済企画庁
1975年は世界経済が74年に引続くゼロ成長,高率の失業,世界貿易の縮小などを経験した。しかし,戦後最大かつ最長となつた世界不況も75年半ばには終止符をうつた。その重要な要因となつたものは,インフレの収束などの市場調整力に加えて各国の政策が景気浮揚へと転換したことであつた。そのプロセスは本報告でみたところであるが, 第1-1表 のように先進各国の景気回復は着実さを増している。ただし,持続的な景気拡大のためには根強い物価上昇圧力(本報告参照)に対処してインフレ再燃を防ぐ必要がある。とくに一次産品は75年秋ごろから上昇傾向にある( 第1-2図 )。
石油価格の急騰により,輸入原油依存度のとりわけ高いわが国は,48年度に総合収支で134億ドルの赤字と未曾有の国際収支の悪化にみまわれたが,49年度には100億ドルの大幅改善を示したあと,50年度も前年度に続き16億ドルの改善を遂げ,総合収支でみた赤字幅は18億ドルにまで減少するに至つた。こうした50年度の国際収支の改善は,貿易収支が引続き改善したことと,長期資本面で外国資本の高水準の流入が続き,流出入がほぼ均衡に近いところにまで至つたことによる( 第1-3表 )。
こうした50年度の国際収支の動向を順を追つてみてみよう。
まず,貿易収支は58.6億ドルの黒字で,前年度に比べ19.2億ドルの改善を示した。これは輸出が年度前半では減少を続けたものの,年度後半に入ると大きく増加に転じた反面,輸入が年度を通じて停滞したためである。貿易外収支は53.6億ドルと依然として赤字幅は大きいものの,前年度に比べ6.0億ドルの改善となつた。これは貿易量の縮小から運輸,保険収支の赤字幅が前年度より縮小したこと,海外金利の低下から為銀の対外支払利子が減少したためである。移転収支はほぼ前年度並みの3.5億ドルの赤字にとどまつた。
この結果,経常収支は1.5億ドルの黒字で前年度に比べ24.8億ドル改善した。長期資本収支は2.6億ドルの赤字で前年度より18.2億ドルとさらに改善を示した。これは,外国資本による対日証券投資の流入が続いたこと,わが国企業の外債発行が多額に上つたことなどによる。
短期資本収支は貿易信用が流出超過になつたことなどから13.8億ドルの流出超過となつた。
また金融勘定をみると,外貨準備は49年度末に対し0.3億ドル増加し142億ドルと石油危機直前の水準に回復した。一方,為銀の年度末負債超過額は143億ドルとなり,総合収支の赤字が主としてこうした為銀部門の負債の増加14.5億ドルでまかなわれたことになる。
50年度の貿易収支(季節調整値)の動きを四半期毎にみると,50年4~6月期は,輸出入の縮小が続くなかで,とくに輸入の落込みが大きかつたため,大幅な黒字を示し,7~9月期に入ると原油価格の値上げを見込んだ先取り輸入の増加から黒字幅が減少した。さらに,年度後半に入ると輸出が大きく増加をみせた反面,輸入の回復テンポがいぜん鈍かつたため,貿易収支黒字は50年度下期においては34.2億ドルにも達した。
以上の結果,50年度のわが国の貿易収支は全体で19.2億ドルの改善を示したが,これは産油国(24.6億ドル改善)及び共産圏(7.8億ドル改善)に対するバランスの改善によつてもたらされたもので,先進国(7.7億ドルの悪化),非産油開発途上国(5.5億ドルの悪化)に対するバランスはむしろ悪化した( 第1-4表 )。これは,(a)先進諸国向けの輸出が年度後半に急増したものの,年度前半においては先進諸国の同時的景気後退から大きく減少したこと,(b)非産油開発途上国では石油危機後の外貨不足にこうした先進諸国の景気後退が加わり,わが国からの輸入需要が減少したこと,他方,(c)産油国との関係では,石油価格急騰後の産油国の購買力の大幅増加からわが国の産油国向け輸出が引続き大きな伸びをみせたものの,わが国の産油国からの輸入は石油の備蓄需要があつたにもかかわらずさしたる増加をみせなかつたこと,また,(d)共産圏との関係では,年度前半の堅調な東西貿易の伸びを背景にわが国の輸出が大きく増加したこと,によるものである。
50年度の輸出入を通関ベースでみると,輸出は総額569.9億ドルで前年度2.4%減となり,49年度の大幅な伸び(47.2%増)から一転して33年度(0.6%減)以来の減少となつた。一方,輸入は総額582.3億ドルで輸出同様前年度比7.1%減となり,37年度(6.4%減)以来の減少となつた。このように,わが国の50年度の貿易は輸出入とも減少を示したが,年度中の動きをみると,輸出と輸入とでは,また年度の前半と後半とではかなり異なつた動きを示している。
そこで商品別,地域別動向をまじえて,50年度の特徴をみてみよう。
わが国の輸出は,49年秋までは国内需要の減退を補つて伸びていたが,50年に入ると数量,輸出価格ともに低下し減少傾向をだどつた。これは,先進諸国の同時的後退が次第に開発途上国を巻き込み,50年に入ると世界貿易の同時的後退が生じたためである。こうした,輸出の減少(前期比)は7~9月期まで続いたが,その後,アメリカを中心に先進国の景気回復がはじまると,世界貿易が再び拡大に向い,それとともにわが国の輸出も急速に増加に転じた。
この間の動きを上期下期に分けて地域別にみると,50年度上期は前期比(季節調整済み)で9.7%(年率18.5%)減となつた。これは,アメリカ向け(前期比19.5%減),西欧向け(同15.3%減)などの先進国向けが18.0%減と大幅に減少したためであつた。また,開発途上国向けは0.4%減,共産圏向けも8.0%減といずれも減少した。もつとも,開発途上国の中でも中近東向けは13.8%増と49年度の著増に比べればその増勢は鈍化したものの,引続き増加を続け下支えの役割を果たした。
ところが50年度下期に入ると,上期とはまつたく逆の様相を示し,前期比10.3%増と急速に増加に転じた。この増加の中心となつたのは,アメリカ向け(前期比33.4%増),西欧向け(19.4%同増)などの先進国向け(同25.6%増)である。まずアメリカ向けが回復し,次いで西欧向けが回復に転じ,51年に入るとそれらはいずれもさらに増勢を強めた。これに対し,開発途上国向け(同0.5%増)はほとんど増えず,共産圏向け(同8.9%減)は減少したが,上記2つの地域向けも51年に入つてからは比較的堅調な動きとなつた。
次に商品別にみると,電気機器,自動車を中心とする機械機器(船舶を除く)は50年度前半から増加に向かい前年度比12.3%増となつたのに対し,49年度にかつてない伸びをみせた鉄鋼,化学製品は輸出価格の低下もあつて(本報告参照)一転して大幅な減少となり,鉄鋼は前年度比20.0%減,化学製品は18.2%減となつた。そして,鉄鋼,化学製品が増加に転じたのは50年度後半になつてからであつた( 第1-5表 )。
以上のようなわが国の商品別の輸出の動きは,世界輸入が先進国を中心に増加していること,先進国の景気回復が初期は個人消費需要中心であつたことなどを反映したものである。
輸入は,わが国の今回の不況の深刻化とともに減少傾向が続いた。通関額でみると,49年7~9月期に前期比(季節調整済の)で減少に転じたあと4四半期減少を続けた(数量ベースでは,48年10~12月期をピークに50年4~6月期まで年率で15%の減少)。これを商品別にみると,前年度比で食料品(1.9%増)を除くすべての商品が減少し,素原材料(4.0%減)なかんずく金属原料(17.6%減)が大幅に減少した。また,機械機器も設備投資の不振から12.1%減となつた( 第1-6表 )。
このように大幅な減少を示した輸入も,50年7~9月期にはOPECの原油価格引上げ直前の原油のかけこみ需要などから前期比で増加に転じ回復の歩みを始めたが,そのテンポは現在までのところ緩やがである。いま,景気の谷から1年間の輸入数量の鉱工業生産に対する弾性値をみても,過去の景気回復局面では平均1.5程度であつたのが,今回は0.7と輸入の伸びは生産の伸びを下回つた。それは,(1)国内生産が依然水面下にあり,さらに50年中は回復テンポがその落込みのテンポや過去の不況期の回復テンポに比べると弱いこと,(2)輸入素原材料在庫率がかつてないほどの高い水準にあり,景気が回復過程に入つたあとも容易に低下しなかつたことなどの理由による(本報告 第2-22図 参照)。
今回弾性値が大幅に低下しているのは,設備投資の低迷を反映して機械類が減少したこともひびいているが,輸入の大宗をなす素原材料輸入の回復力が弱いことが主因である。素原材料輸入の回復力が弱いことの理由について,いくつかの要因に分けてみよう。
まず,素原材料輸入・生産比率(素原材料輸入/鉱工業生産)についてみると,今回の景気後退局面ではこの比率は急速に上昇し,回復局面では逆に低下している。これは,素原材料輸入が後退局面では生産の減少ほどには減少せず,回復局面で生産の増加ほどには増加しなかつたことを意味している( 第1-7図 )。この関係をさらに詳しくみると,次の3点があげられる。
その第1は原単位(素原材料消費/鉱工業生産)はすう勢的には低下の方向にあるが,今回の景気後退局面では急速に上昇した。これは生産の急速な落込みほどには消費が減少しなかつたためであるが,素原材料消費のうちかなり大きなウエイト(約3分の1)を占める鉄鋼の生産が鉱工業生産の減少期間中に全体の減少ほどには減少しなかつたことによる。つまり,鉱工業生産はピーク期(48年10~12月期)からボトム期(50年1~3月期)までの通算落込み幅が19.7%減となつたのに対して,この間の鉄鋼生産の落込み幅は15.0%減にとどまつた。ともあれ,今回の回復局面では生産の回復が主として素原材料消費比率の小さい電気機械,輸送用機械(船舶を除く)などの機械類によるものであり,素原材料消費のウエイトの高い鉄鋼生産は50年中減少を続け増加に転じたのは51年に入つてからであつた。すなわち,鉱工業生産は生産ボトム期から51年1~3月期までの増加は12.2%であつたが,鉄鋼ではわずか0.9%の微増にとどまつており,鉱工業主産が回復に転じても素原材料消費の回復テンポが弱かつたといえる( 第1-8図 )。第2は素原材料輸入依存度(輸入素原材料消費/素原材料消費)をみると,すと勢的に上昇しているが,今回の不況下ではさらに上昇傾向を強めた。これは,一次産品に対する供給サイドの管理が強まるなかで,長期契約や備蓄機運の高まりなどから,輸入を弾力的に減少させることができなくなり,この結果,輸入素原材料在庫が著しく増加したからである。
第3は,素原材料輸入・消費比率(素原材料輸入/輸入素原材料消費)は,今回の景気回復局面では低下しているが,これは,輸入素原材料消費が緩かながらも回復に向つたのに対し,素原材料輸入がほとんど増えていないことによる。その理由としては,第1と第2の要因により輸入素原材料在庫率が空前の高水準のまま推移したことがあげられる。もつとも,この在庫率の上昇には48年の石油危機以降の原油の備蓄がかなり大きく影響しており,原油を除いた輸入素原材料在庫率はそれを含んだものと比べると49年以降10ポイントほど低い水準となるが,それでも51年1~3月期の水準はやつと46年不況時のピークの水準となるにすぎない( 第1-9図 )。こうした備蓄のように構造的に在庫率を上方にシフトさせる要因があるとはいえ,このような高い在庫率は素材部門を中心に在庫調整が十分に進んでいないことを示しており,輸入増加意欲を弱くさせているといえる。
また,今回の景気回復局面における各需要項目の動きからみても,輸入の回復テンポが弱いことがわがる。個人消費支出などは従来の回復局面と同程度の輸入増加寄与度を示しているが,輸入誘発係数が比較的大きい在庫投資,民間設備投資が今回は増加を示さなかつた。これが輸入の回復テンポを弱いものにしたといえよう( 第1-10図 )。
第1-10図 需要項目別輸入誘発額増加寄与度~景気回復局面の比較~
交易条件の大幅悪化をどう考えたらよいのだろうか。48年秋の石油価格急騰によつて急激かつ大幅にわが国の輸入価格が上昇し,交易条件が悪化した。ここで交易条件を定義しよう。交易条件とは外国財と国内財との交換比率を示す。交易条件の変化は一定期間に起つた経済厚生の変化のひとつの指標として用いられるが交易条件の定義にもいくつかある。ふつう一般に用いられるのは商品交易条件とよばれるもので,輸出価格PEと輸入価格PMまたは各々の価格指数の比率を用いるものであり,基準時を0,比較時を1とすると,商品交易条件の変化= 式 となり,輸出価格が輸入価格よりも上昇し,この比率が1をこえると,自国の商品の価値が国際市場で高まることになるから交易条件は有利化したという。
いいかえると,同じ量の輸入財を購入するために以前より少ない数量の輸出財ですむという意味で改善を示す。逆のケースは不利化または悪化という。こうした商品交易条件だけでは,それが悪化してもその原因が輸出価格の低下によるものか,輸入価格の上昇によるものかによつて,必ずしも国民経済の状態が悪くなつたかどうかは一概にいえない。例えば自国内の技術進歩によつて輸出財の生産コストが低下し輸出価格が下がり,結果として商品交易条件が悪化するかもしれない。しかしそのことは,その国の経済状態が以前より悪化したことを示すものではないことは明らかである。そこで貿易商品を生産するのに必要な資源量に焦点をあてて,基準時と比較時との間に生じた要素生産性Fの変化を加味して 式 ,を要素交易条件と定義することも有益である。これは輸入財を獲得するための実質費用を示している。
わが国の交易条件(以下断わらない限り商品交易条件のこと)の推移をみると( 第1-11図 ),昭和35年以降悪化傾向をたどつたあと44年ごろには持ち直した。そして48年秋の石油ショック以降の一次産品輸入価格の急騰によつて大幅悪化(昭和45年の交易条件を100とすると50年は72.2)した。わが国の輸入価格は48年以前までは安定していた。35年以降の交易条件悪化は輸出価格の下落によるものであつた。しかも輸出価格の下落はわが国の輸出関連産業における生産性の向上によつてもたらされたものであつたため,商品交易条件は悪化したものの,要素交易条件は改善しつづけた。つまり,35年以降の交易条件悪化は,わが国輸出競争力の強化の現われであつた。
ところが,今回の交易条件の大幅かつ急激な悪化は石油価格急騰による輸入価格上昇によるものであつた。これを西ドイツ,アメリカと比べてみると( 第1-12表 ),各国の資源供給構造の相違がはつきりでている。石油依存度(エネルギー供給にしめる石油の割合)をみると,西ドイツ55.2%(1973年),アメリカ47.3%(1972年),に対し,日本は77.6%(1973年度)と大きく,輸入価格の上昇率も大きかつた。すなわち1973年7~9月期から1976年1~3月期までの各国の輸入価格上昇率をみると,西ドイツ31.1%,アメリカ59.0%に対し,日本は94.0%となつている。またさらに注目すべきことは,1974年末にかけて上昇を示した各国輸出価格は75年に入つても安定的に推移したのに対し,日本の輸出価格は74年末までの上昇率自体が大きかつた(73年7~9月期から74年10~12月期までの上昇率は46.6%)。一方,その後76年1~3月期まで下落を続けた。これは第1に,わが国の卸売物価が75年に入つて鎮静したのに対し,アメリカ,西ドイツなどの先進国の卸売物価はその後もゆるやかながらも上昇をつづけたこと。第2に74年に世界的需給ひつ迫から急騰した鉄鋼の輸出価格が75年に入り大きく下落した。しかも日本の鉄鋼輸出ウエイト(74年19.4%)はアメリカ(同2.6%),西ドイツ(同9.8%)よりかなり高いので,とりわけ日本の輸出価格を下落させることとはなつたのである( 第1-13図 )。
第1-12表 輸出入価格,交易条件の動き(日本,西ドイツ,アメリカの比較)
次に為替レートが変化したときに交易条件も変るのであろうか。これは輸出入価格のきまり方に依存する。例えば,輸出入価格とも世界市場できまると考えると,つまりドル建てで一定と考えれば為替レートが変化しても交易条件は変らない。しかし,輸入価格はドル建てで一定と考えて,為替レートの切り上げによつて円建てで下がり,一方輸出価格は円建てで一定と考えると,交易条件は為替レートの切り上げで改善する。現実の交易条件と実効為替レートの関係を西ドイツとわが国についてみると 第1-14図 のようになる。為替レートの変化が交易条件に及ぼす効果は,その国の輸出入の変化が世界市場にどの程度の影響を及ぼすのか,によつて異なる。
第1-14図 輸出入価格,交易条件,実効為替レートの動き(日本,西ドイツ)