昭和50年
年次経済報告
新しい安定軌道をめざして
昭和50年8月8日
経済企画庁
総需要抑制策が展開されるなかで,49年の地域経済は次第に停滞色を強めていつた。
まず,地域別の生産活動を鉱工業生産指数の前年同期比でみると,各地域とも48年後半から増勢が鈍化し始め49年に入ると急速にその傾向を強め,後半には前年同期を下回る水準にまで落込んだ( 第13-1図 )。相対的に落込みが速かつた関東,東海,近畿など三大都市圏を中心とする地域では,49年4~6月には前年同期の水準を下回つた。これに対して,北海道,四国,九州などの地域では,年後半に入つてから前年水準を下回つた。しかも前者では前年水準を20%前後下回つているのに対し,後者では10~15%程度の落込みにとどまるなど,地域別に若干の差異が認められる。この結果,49年年間の生産は東海(前年比5.6%減),近畿(同4.9%減),関東(同4.8%減),北陸(同4.2%減)の減少に対して,四国(同2.9%増),九州(同1.2%増)ではわずかながら増加を示したのが対照的であつた。
このような地域的な相違がみられた背景には次の点があげられよう。
まず本州地域では,個人消費の減退を背景に繊維,家庭電器,自動車などが早くから減産体制をとつたことや,49年後半に入つて一般機械,鉄鋼,化学などの基幹産業が落込みを示すなど,総じて重化学工業の不振が著しかつたことが工業地帯の集中しているこれらの地域での生産の減少を大幅なものにした。
一方,北海道,四国,九州などの地域では49年前半までは食料品(北海道),機械工業(四国),食料品・タバコ,機械工業(九州)などの業種が比較的順調であつたことや農業のウエイトの高いことが不況の影響を軽微にしていた。特に北海道では,水産加工をはじめとする食料品工業など生活必需品のウエイトの高いことが鉱工業生産の減少幅を相対的に小幅にとどめた。四国においては,生産者米価の大幅引上げに伴う農家所得の大幅上昇,またこれと関連して機械工業で農機具の売れ行きが好調だつたことや,中小造船が年前半までは生産が高水準を保つたことがあげられる。九州については,49年秋ごろまで鉄鋼,化学の輸出が好調だつたことに加えて,南九州地域では四国と同様農家所得の大幅上昇から機械工業(農機具)が順調だつた。ただこれらの地域でも,49年秋以降鉄鋼の輸出不振,化学工業の在庫調整,タンカーなど大型輸出船の新規受注の減少,農業所得の伸び悩みなどからやはり前年同期の水準を下回るに至つた。
こうした産業活動を電力使用量の動きからみてもほぼ同様なことがうかがわれる。
ここでも関東,近畿,東海などを中心とした工業地域での減少が著しいが,繊維,一般機械が不振であつた北陸や,電機機械,一般機械の停滞色を強めた関東(特に首都圏)では小口電力の減少が目立ち,中小企業の生産活動がかなり落込みをみせたことを示している( 第13-2表 )。
建設活動も不振をきわめた。建築着工は49年に入ると各地域で増勢が大幅に鈍化し,九州を除く各地域では49年1~3月に前年同期の水準を下回つた。
まず,建築着工床面積の約半分を占める住宅着工の動きをみると,九州のみが49年1~3月に前年水準を上回つていたが,その他の地域ではいずれも49年に入ると前年水準を下回つた。なかでも関東,近畿では年後半に入ると,前年水準を20%以上も下回り,札幌オリンピック後の反動も大きかつた北海道でも大幅な減少を示した。
このような住宅建設不振の要因は①資材の高騰に伴なう建築コストの大幅上昇と個人の実質所得の低下,②金融引締めによる住宅ローンの抑制,③公的住宅の伸び悩みなどがあげられよう。
一方,鉱工業用建築物の推移を前年同期比でみると,48年半ばにピークに達したあと,その後増勢は鈍化傾向を強め,九州を除く地域で住宅同様49年1~3月には前年同期の水準を下回つた。その後も鉱工業生産活動の停滞とともに企業の設備投資意欲が減退したため,各地域とも近年にない大幅な落込みを示した。しかし,こうしたなかで注目されるのは四国のみが農家所得の上昇に支えられた農機具の売れ行き好調などもあつて49年秋以降設備増設に向う企業も出はじめ,さらに公共小口工事も比較的良好であつたため下げどまりをみせている。中国でも四国と同様鉱工業建築物のうち小口工事が比較的良好だつたためその減少はゆるやかであつた( 第13-3図 )。
このように企業の設備投資は49年後半から急速に減少を示してきたが,この間の状況を特定工場(大規模工場,増設を含む)設置届出件数でみると, 第13-4表 のようになつている。これによつては,景気後退にともない,新設工場が48年の652件から49年には622件へと減少しているが,特に,49年7~9月を境に,工場の新設は著しく減少し,新設と増設の比率が逆転している点が目立つ。これには,工場建設は南関東,近畿,東海などの大都市圏でも減少しているが,かつてのような能力増強投資を目的とした地方進出が手控えられ東北,中国,九州などの新設工場建設は大幅に減少している。
今回不況の特徴点の1つである個人消費活動の停滞も各地域に広がつている。
石油ショック後の消費者物価の高騰は名目消費を押し上げたものの,同時に個人の消費意欲を大幅に減退させ,実質消費の停滞を招いた。
各地域における個人消費活動を総理府統計局「家計調査報告」(全国,全世帯)によつてみると消費支出の伸び率(前年同期比)は,1~3月には各地域とも物価の上昇に伴い名目支出は増加したが,4~6月には関東,東海,近畿など三大都市圏と中国で頭打ちとなつた( 第13-5図 )。これに対し,北海道,東北,北陸,四国,九州などでは米の概算払いが48年度に比べて3倍に増額支払いされたこと,野菜果樹収入が比較的良好であつたこと,出稼収入が引続き高水準であつたことなどから4~6月の消費支出は前年同期比20~30%増と高水準を示した。
しかしながら7~9月以降になると各地域とも産業活動の停滞を反映して所定外労働時間の削減による残業手当の減少,出稼ぎ収入の大幅な減少などから名目消費支出は伸び悩んだ。しかも物価上昇を考慮した実質消費支出の動きでみると,48年後半から名目とのかい離が著しくなり,49年はさらにこの傾向が強まつた。
地域別にみると,関東,東海,近畿などの三大都市圏では,49年に入ると実質消費支出は前年水準を下回り,その後も低下が続いた。これは,勤労者世帯が耐久消費財等の随意支出を大幅に抑制し,生活必需品の購入に重点を移し,いわゆる生活防衛型へ転化したためである。これに対して農業所得の上昇に支えられた北海道,東北,北陸,四国,九州などでは名目消費支出が20~30%前後の高い伸びを示し,実質消費支出も前年同期に比べて5~8%前後の伸びを維持したが,10~12月には四国,九州では前年同期を下回つた。
一方,百貨店販売額も期を追つて伸び悩み傾向を強め,49年後半にはほどんどの地域で伸び率が大幅に低下した。
特徴的な動きを示した北陸についてみると,4~6月には農家経済の好調を背景とした個人需要が比較的順調であつたこと,また法人需要も高水準を持続したことから売上高は上昇した。しかし,年央から繊維,機械などを中心に景気の後退が強まるにつれて法人需要は伸び悩み,10~12月には店舗増設の一巡もあつて百負店販売額の増勢は著しく低下した。九州では景気後退が他の地域よりも相対的に遅れたこともあつて百貨店販売額は比較的順調に推移した。また,北海道,東北などでも49年前半は比較的順調に推移した。
これに対し関東,東海,近畿などの三大都市圏では景気後退が速かつたために,49年に入ると増勢が鈍化した。その後,年後半にはほとんどの地域で百貨店販売額は大幅に伸びが鈍化した( 第13-6図 )。
ところで地域別の消費格差をやや長期的にみてみよう。これまでの高度成長経済は所得格差の是正を通じて,地域間の実質消費格差が急速に縮小してきた( 第13-7図 )。40年代後半以降この傾向が顕著である。北陸,中国,北海道などは49年には全国平均に接近しており,東北,四国,九州でも次第に格差は縮まつている。消費減退を伴なつた今回の不況下では,こうした消費格差の是正を背景として,過去の不況局面に比べ地域における不況の拡がりを大きくしたものといえよう。
総需要抑制策が進行するなかで,全国銀行実質預金残高は49年に入ると大幅に増勢が鈍化した。
地域別には関東,東海,近畿などで増勢鈍化が目立つた( 第13-8図 )。これは消費節約によつて個人預金は増加したものの,ウエイトの高い法人預金が不振であつたからである。製品在庫の累増,大幅な減産に伴なう滞貨減産資金需要が増大する反面,金融機関の資金供給の制約から法人預金の取崩しは急速に進んだ。
これに対し,北海道,東北,中国,四国,九州などの農村経済圏では,法人預金は不振であつたが,相対的に個人預金のウエイトが高いため大都市圏に比べて預金の落ち込みは小さかつた。
一方,全国銀行貸出残高は日銀の貸出増加額規制が実施されたことなどもあつて増勢は鈍化の一途をたどつた( 第13-9図 )。とくに,都市銀行店舗が多く存在する大都市圏での伸び率低下が著しい。
このように,資金供給が制約される一方,企業活動が停滞したことから各地域とも倒産件数は48年後半から一様に増加傾向に転じた( 第13-10図 )。
それまで地域別倒産件数の動きにはかなりの跛行性がみられたが,総需要抑制策が次第に強まる48年末から各地域とも増加に転じ,49年上半期にはいずれの地域でもピークに達した。その後下半期には各地域とも増勢が鈍化している。もつともこうしたなかで近畿などのように,比較的中小企業の多い地域においては機械産業などの不振を反映していぜん高い増加を続けた。
こうした企業活動の停滞は労働面にも大きな影響を残した。まず,地域別労働需給( 第13-11表 )をみると,景気後退を反映して各地域とも4~6月以降新規求人の減少をきつかけに有効求人は減少に転じ,その後も減勢を強めた。とくに,北陸では7~9月以降前年水準を約40%以上も下回つた。これは今回不況過程で不振の著しい繊維が49年初以降急速に悪化傾向をたどつたことによる面が大きい。10~12月になると,関東でも電気機械,鉄鋼などの悪化が一段と強まり,東海でも繊維の不振に加え,オートバイ,楽器類が停滞し,近畿でも機械の受注が大幅に減少したことなどから,有効求人は,それぞれ前年同期に比べて43.0%減,46.2%減,51.2%減と大幅に減少した。中国,四国においても主要業種の停滞と,49年前半までは比較的順調だつた機械,中小造船の低迷から10~12月には30%以上の減少となつたが九州では7~9月に27.8%滅となつたあと,10~12月には下げどまりをみせた。
一方,有効求職者の動向をみると,全般的には49年4~6月から前年同期を上回りはじめ,その後急増している,地域別には,九州,四国の増加テンポがゆるやかであるのに対し,関東,東海,近畿など大都市圏や北陸での急増が目立つた。
この結果,有効求人倍率はほとんどの地域で低下した。もともと倍率の低い北海道,東北,九州でも労働需給の緩和はかなり急ピッチで進んだ。たとえば,北海道では49年1~3月の1.31倍から10~12月には0.25倍にまで低下した。
一方,三大都市圏の労働需給の緩和も著しかつた。特に東海では48年の6倍台から49年10~12月の1.74倍にまで低下した。また関東,近畿でも同様の傾向を示した。しかし,これらの地域ではいぜんとして1倍以上の水準を保つている。
このように,労働需給の変化には地域別の差異が認められるが,これは東北,中国,九州などでは,地方進出企業の減少,既存企業の求人手控えなどから求人増加が大幅に鈍化し,逆に,出稼ぎの就業機会の減少などから求職者の増加が目立つた。東海では繊維,木製品などの不振が影響し,求人数が大幅に減少し,また関東,近畿ではサービス業の減少が小幅であつたが,弱電,一般機械などの減産により求人の大幅減少が目立つた。
以上のように49年度の地域経済は,地域別には不況の程度に若干の差異はみられたものの,総じてみれば49年後半にかけては同時的かつ大幅な落込みを示した。しかしながら50年春以降総需要抑制も一応の転機を迎えた。三次にわたる不況対策が実施されるなかで,公共投資の一部や住宅投資に若干の明るさがみられ,在庫調整の一巡した繊維,家電,自動車などの産業にも回復の兆しがみられる。しかし,設備投資,輸出はいぜん停滞を続け,個人消費の盛上がりもとぼしいことから景気回復の足どりは各地域とも従来に比べかなり鈍いものとなつている。