昭和49年
年次経済報告
成長経済を超えて
昭和49年8月9日
経済企画庁
第1部 昭和48年度の日本経済
昭和48年度は,激しい物価騰貴との闘いの1年であつた。
物価上昇は,卸売物価で22.6%,消費者物価で16.1%の高率となり,年度中の推移をみると期を追つて加速するという動きを示した。これは,経済拡大過程において,過剰流動性が存在し,供給の弾力性が低下し,また,年度後半には石油危機が発生したからであつた。
こうした事態の進行に対してとられた総需要抑制策は,きわめて強力なものであつた。48年1月から預金準備率,4月から公定歩合が年末へかけてそれぞれ5回にわたつて引上げられ,政府も48年度公共事業を中心とする財政執行の抑制を漸次強化した。さらに,行政指導や法的規制を通じて需要を直接的に抑え,一部の生活関連物資・基礎物資の価格引上げについて事前了承制を設け,選別的な融資抑制を行うという補完的な抑制手段も講じた。
47年1月から始まつた景気の再拡大過程は,従来と違つて,間もなく供給力の限界にぶつかり,需要増が物価上昇に吸収される形をとりながら,なお名目的な拡大を続けた。48年度経済は,こうした名目的拡大が明瞭な姿をあらわした段階であつたが,49年に入るとその拡大に終止符が打たれた。49年2月を境に景気の様相は一転し,3月以降卸売物価の上昇速度は減速した。
このようなインフレーション的ブームが収まつた原因は3つある。1つは,金融引締めの強化で過剰流動性がほぼ解消して,企業金融がひつ迫基調に転じたこと,2つは,消費者物価の上昇等により実質賃金が低下したことや先行き見通し難から,消費や投資の減退が生じたこと,3つは,石油危機の心理的衝撃が石油関連物資の消費を抑制したことである。
49年1~3月に実質GNPが,前期比5%減と鋭角的な落込みを示し,鉱工業出荷も3.9%下落したのは,こうしたインフレーション的ブームに終止符が打たれた証左であるが,その内容からみると,一過性の需要減退とみられる面がかなりあり,総需要抑制策という歯止めを外すと,再びインフレーション的ブームの再燃をもたらす危険性を内蔵しているといえよう( 第I-1-1表 )。
今回の景気変動は,経済拡大が供給力の限界に遭遇し,インフレーション的ブームとその終息というこれまでにみられない軌跡を描いたが,このような収れん過程は自律的には起こりにくい。賃金が遅れを取戻して,投資財の価格が高まり,インフレーションの自生的成長が生じるからである。総需要抑制という歯止めの下で,日本経済の再建を図ることが必要である。