昭和47年

年次経済報告

新しい福祉社会の建設

昭和47年8月1日

経済企画庁


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第5章 新しい発展への出発

3. 新しいポリシー・ミックスの確立

(当面する政策課題)

日本経済の当面する政策課題は,景気の確実な回復,国際収支の均衡,物価の安定,福祉の充実にある。これらが政策課題とされるのは,40年代後半こそ,40年代前半の超高度成長がもたらした需給ギャップ,国際収支ギャップ,および物価上昇をふくめた福祉ギャップを解消し,活力ある福祉社会ヘの第1歩を踏出す好機であるからにほかならない。問題は成長パターンの転換局面においてこれらの課題をどのように位置づけ,どのような対策をとることによつて,内外均衡の達成を実現するかである。それにはこれまでと異なつた政策運営の態度が必要となろう。

当面の日本経済は,①供給面での余裕をもちながら,②国際収支の黒字基調が続き,③物価上昇圧力が根強く存在するという性格をもち,こうしたなかで,④社会的意識,欲求の変化によつて福祉充実をめざす成長パターンへの転換が強く要望されている。

こうした経済的社会的条件のもとで上記の諸目標を相互に矛盾なく実現することは,困難であつても不可能な課題ではない。それは新しいポリシー・ミックスと新しい事態に即応した制度の改編によつて達成しうるものであることを強調したい。

すでに第3~4章を通じて,各種の通商政策,都市政策,社会保障政策等構造政策の推進とその前提となる制度改編の方向について検討してきたが,経済運営についての一般的な政策手段の組合せについても,いまや新機軸が打出されなければならない。なぜなら国際化の進展や国民意識の変化など大きな内外経済情勢の流れのなかで,政策目標相互の関係は複雑化してきており,それだけに諸目標を達成する政策手段を多様化させ,それぞれの政策手段に適切な任務を割当てることがますます重要となつているからである。

(経済運営の方向)

新しいポリシー・ミックスの第1の柱は,福祉充実のための公共支出の着実な増加である。これは,上記の政策課題のなかでは,福祉充実こそもつとも基本的な課題であり,また各種の条件変化のなかでは,人間と環境とを調和させ,豊かな生活を実現しようという国民的欲求の高まりこそ,もつとも重要な要請だからである。もとより,福祉の向上をはかるには,公共支出の増加だけでは十分ではない。第4章でもその一部をみたように,福祉向上は国民の連帯と参加なしにはありえず,それを可能とする制度の枠組みを整えること,より具体的には有効な物価政策,土地政策,環境保全政策,福祉制度整備等を推進することが前提でなければならない。しかし,それとならんで福祉充実のための社会資本,社会保障の充実を積極化することは,これまでの高輸出・高投資に代わる成長パターンの定着のためにも,今後の経済運営の基調とされなければならない。今後は40年代前半のように,民間投資中心の高成長に道をゆずるといつた経験は繰返してはならないのであり,このためにも,経済運営の長期的指針とそのなかでの福祉充実への財政プログラムについて,国民の合意を確保するにたる青写真を用意しなければならないといえる。

新しいポリシー・ミックスの第2の柱は,租税政策の積極的活用である。福祉の増大には,負担の増加がともなう。もちろん,この負担の増加は,福祉向上のためのものであり,かつ公平なものでなければならない。また,社会資本整備のための国債のいつそうの活用,社会保障における積立方式と賦課方式の選択など,世代間の負担の分担を適正化する必要もあろう。それにしても福祉充実の実績が十分でないために負担増加について国民の合意がえられず,負担の増加がないために福祉が充実されないままに残されるという悪循環に陥つてはならない。不況期には国債政策に大きく依存するのは現代の財政のあり方として当然であるが,長期的には租税面でも負担の増大をともないつつ,福祉の充実に進むべきであろう。とくに,福祉充実のために財政支出が計画的に伸長させられなければならず,財政支出を抑えて民間経済の行き過ぎを放置することは許されないだけに,公共経済活動と民間経済活動との調整に当たつては,租税政策の機動的活用がいつそう重要となる。わが国の税制は累進性が強く,かなりの自動安定機能をそなえており,年々の減税幅の操作によつてもかなりの裁量を発揮することができるが,反面,機動的に操作されうるたてまえの特別償却制度の運営が硬直化していたり,40年不況で引下げられた法人税率が45年まで据置かれた事例もある。諸外国ではレギュレーターの制度を備えるものもあるが,こうした制度の導入も考慮に値するものといえよう。

第3に,国債政策が弾力的に活用されなければならない。今後高輸出・高投資型から福祉充実型の経済運営ヘ移行するとすれば,租税面で福祉にみあつた負担の増加をはかる必要があることは前に述べたとおりであるが,他方国債の発行額はできるだけ抑える方が望ましいというような従来の考え方に反省を加える時期にきているとも考えられる。また,世代間の負担の公平の見地からも,その活用が考えられるべきであろう。

もちろん,年々の国債の発行には,こうした長期的な考慮のほかに,景気変動を小幅化するという観点がつけ加えられなければならない。アメリカでは「完全雇用余剰」などの考え方が用いられているが,わが国においても,わが国の実情にあつた国債発行のあり方を検討していく必要があろう。前に述べた金融構造の変化は,資本市場での公共部門の資金調達拡大の余地を増大させてきているが,こうしたなかで金利の弾力化と公社債市場の正常化を推進することによつて市場メカニズムにそつた国債の発行,管理を行なうことも今後いつそう重要となろう。

なお,国債と租税との役割分担についても配慮が必要である。すなわち,社会資本整備が財政支出の中心である場合,これをすべて租税負担でまかなうことは国民の現在の消費を過度に圧迫することになりがちであり,その便益が後世の人々に及ぶという性格から国債に依存しうる余地が大きい。これに対し財政支出の重心がやがて社会保障に移行する場合には,これを租税,社会保険料として負担しても,それは振替支出として同世代の国民に直接還元されるから,国民の現在の消費は全体では犠牲にされることは少ないであろう。

このように財政支出の構造と国民の消費水準との関連で妥当な租税負担,国債依存度も変化すべきであると考えられる。

第4は,金融構造の変化に対応して金融政策の多様化をはかることである,金融政策は,これまでもつとも強力な総需要調整の手段であつたが,40年代に入つてからの金融構造等の変化もあり,従来の金融政策手段の有効性には限界がでてきている面もある。国際収支の黒字と財政収支の赤字のなかで金融政策の影響力は相対的に減少しており,とくに,都市銀行の資金不足の緩和や中小金融機関の成長の結果,窓口規制を中心とした金融のコントロール力は限られたものとなつている。さらに投機的資金移動には為替管理によつて対処する面が大きいとしても,金利政策については,国際的関連をふまえて運用せざるをえず,国内の需要調整や公私両部門間の資源配分のみの観点でこれを利用することは困難となる場合も予想されよう。こうした条件変化のなかで金融政策の方向としては,まず,これまでの資金不足状態から解放された現在を好機として,金利の硬直性を打破し,その弾力化を推進すべきである。また,国際収支黒字,財政収支赤字という内外両面の要因から過剰流動性傾向が強まる場合も予想されるので,その吸収には公開市場操作のほか,さらに準備率操作の範囲拡大と活用がいつそう重要となろう。なお,住宅・個人・中小企業金融の充実など福祉向上への資金配分は当面の金融緩和下でかなり進んでいるが,これを定着させ発展させていく工夫も大切である。

第5に為替政策についてみよう。わが国は,これまで国際収支が赤字になるたびにきびしい総需要調整によつてこれを克服し,360円レートを堅持して,戦後IMF体制の固定平価原則にもつとも忠実であつた。しかしベトナム戦下のアメリカを中心に世界インフレのうねりが高まるなかで,360円レートを維持することは,物価を上昇させ過度に輸出に傾斜した資源配分をもたらすなど福祉充実をさまたげるという弊害があり,また対外不均衡の増大から国際的摩擦の増大をもたらすにいたつた。こうした事態を解消するため,わが国も進んで通貨の多国間調整に応じ,先進国中最大幅の自国通貨切上げを行なつた。今後についても世界インフレが収拾され,安定した国際通貨制度が再建されるよう努力を重ねなければならない,今後の国際通貨体制にあつても固定平価制度は第一原則であるべきである。しかし一般には基礎的不均衡が存在するにもかかわらずレートを不変に維持することは,資源配分をゆがめ福祉充実をさまたげるなど,かえつて混乱を大きくするものであることが考慮されなければならない。また,世界通貨への信認維持の観点からは,為替調整に当たつては赤字国の責任がまず重視されるべきであるとしても,黒字国側も相応の協力をなすべきであると考えられる。わが国としても国際通貨制度改革への世界的潮流にそいつつ為替政策の活用を政策手段に組入れなければならない。またそのことによつて,物価の安定にも有力な手段が付け加えられたことになる。もとより,福祉充実への成長パターンの転換こそ内外均衡達成への道であり,また現在の国際収支不均衡には第2~3章でもみたように,当面は景気の回復を確実にするとともに,輸入の拡大,資本輸出の増大,経済援助の増加によつてまず対処すべきである。またこうした構造政策は,今後もつねに必要である。ただ海外情勢が変化するなかで,平価固定に執着して物価の上昇や内外の資源配分の歪みを放置することは,福祉向上の観点からさけなければならない。

なお,物価の安定については,供給体制整備や流通機構改善,輸入拡大,競争条件の整備など構造対策による生活物資,サービスの価格安定が中心となるべきであるが,国内の物価上昇により,国際収支を均衡させるような方針は許されず,世界インフレの進行阻止のための国際協力に努めるとともに,必要な場合には為替政策の活用の可能性も検討さるべきものといえよう。

以上のポリシー・ミックスを,これまでのそれと対比して図式的に整理すると,従来は国際競争力強化をめざす制度的枠組みのもとで民間部門に経済の主導力を求め,政府は国際収支の赤字には金融引締めと財政支出削減をもつて対処する形をとつていたが,今後は福祉充実への制度をととのえ,そのための財政支出の計画増大を根幹に,租税,国債,金融,為替各政策をそれぞれの機能に応じ弾力的に運用することによつて内外均衡の達成をはかり,公私両部門の経済活動の調整を進めることが基本となろう。当面は福祉向上への財政支出拡大が同時に景気回復をいつそう確実にし,また国際収支の黒字を縮小するのにも役立つなど各政策間の矛盾は少ないが,景気が回復した後にあらためて経済運営の基準が問われることになる。この場合,経済運営の基準は,かつては国際収支の形で明確に与えられたのに対し,今後は,国民的欲求をどのようなテンポでどのような負担で満たしていくかにその主たる基準がおかれなければならない。

福祉充実の課題を達成するには,制度の改革,構造対策の推進,社会資本・社会保障の充実,福祉に見合う負担の増加,地方自治の強化,新しいポリシー・ミックスの展開等が必要である。これらはいずれも国民全体の長期的利益増進につながるものであるが,過渡的には一部の既存利益に衝突する可能性もあり,その犠牲なしには実現しえないものもある。これへの対処を誤まれば,福祉社会の建設の企図がかえつてインフレや非効率,社会集団間の利害対立激化を招来しかねない。福祉充実への道は必ずしも平坦ではない。福祉充実の目標と手続きについて参加と連帯に基づく国民的合意を確立し,新しい政策基準を明確にすることは,決して容易ではないが,それを果たすことこそ今後の長期経済計画の課題であり,その重要性は公共部門主導型経済においていつそう高まつている。


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