昭和46年

年次経済報告

内外均衡達成への道

昭和46年7月30日

経済企画庁


[次節] [目次] [年次リスト]

第1部 昭和45年度の日本経済

第4章 景気後退下のジレンマ

1. 国際収支黒字の拡大とその要因

最近約1カ年半の世界経済が,欧米を中心に,不景気とインフレの相剋と通貨問題などをめぐつて複雑多様な変動をとげつつあるなかで,わが国国際収支は大幅な黒字をつづけ,とくに,46年度にはいつてからはいつそうの黒字拡大がみられる。こうした黒字拡大には,世界インフレのもとでわが国の輸出競争力が相対的に強化されていることのほか,45年度後半以降,国内景気が後退したことが影響している。

そこでわが国の貿易および国際収支の近況を検討するにさきだち,その外的背景をなす世界経済の動向について概要をみておこう。

(1) 波紋を広げた世界インフレ

1970年(昭和45年)の世界経済の重要な動きとしては,①アメリカおよび西欧主要国で経済成長が減速する一方物価上昇が著しく,スタグフレーションと呼ばれる事態が進行したこと,②経済成長の鈍化にもかかわらず,世界貿易はかなり高い増加を示したこと,③アメリカの金融緩和政策をきつかけとして世界的な金利低下が生じたが,その過程でアメリカから短期資金が西欧に流出し,過剩ドルが累積されていつたこと,などをあげることができよう。

(スタグフレーションの進行)

1969年中ごろてはじまつたアメリカの景気後退が70年いっぱいもつづき,さらに西欧諸国も経済成長テンポが70年にはいつてあいついでスローダウンをしたため,OECD(経済協力開発機構)全体の経済成長率は70年にはなり減速する結果となつた( 第42図 )。西欧諸国で成長鈍化がみられるようになつたのは,多くの国で総需要抑制策等がとられたことが影響している。

成長の減速にもかかわらず,インフレ傾向は70年においても収束をみず,むしろ多くの国で物価は高い上昇をつづけた。このように世界経済の拡大が鈍化しているにもかかわらず物価が高い上昇をつづけたのはなぜだろうか。

第1は超過需要が物価に及ぼす影響にはタイムラグがあるためである。多くの国で1968~69年の景気過熱期に十分な抑制策がとられず,超過需要はかなりの期間放置され,そのあとしばらくたつて抑制措置(アメリカの増税など)がとられた。約2年にわたる景気過熱のなかで発生したインフレ圧力は,超過需要が後退したあとも長く尾を引くことになる。企業家の投資行動は将来にわたるインフレを想定したものになるし,労働者の賃上げ要求はインフレ補償を要求するようになるためである。

第2の要因は,現代社会共通の現象として,所得要求が著しくなり,コスト圧力が強くなつていることである。 第43表 でみるように,70年にはいつてイタリア,西ドイツ,イギリスなどで賃金上昇率が一段と高くなつているが,これは単に好況の落とし子であるばかりでなく,強い組織力を利用したより積極的な所得要求を反映したものといえよう。

第3の要因としては,インフレが国境を越えて相互に輸出入しあつていることである。現在の世界経済の仕組みのもとでは世界貿易の高い成長がもたらされる反面,諸国間で経済変動が相互に影響しやすく,インフレも伝播しやすい面をもつている。とくに基軸通貨国のインフレは諸外国に過剰流動性をもたらす場合があるため,世界インフレに重要な影響を及ぼすことである。

(世界貿易の増勢)

スタグフレーションの進行にもかかわらず世界貿易は高い増勢をつづけた。後にみるように,わが国の輸出が45年度に高い伸びを示したのもこうした世界貿易の拡大基調を背景としたものである。

世界貿易(共産圏を除く)を輸入額でみると( 第44表 ),68年11.5%増,69年13.6%増,70年14.4%増と戦後はじめて3年つづきの10%をこえる高い伸びを記録することとなつた。地域別にはアメリカ,西欧いずれも高い伸びである。このように貿易が高い伸びを示したのは,世界インフレの進行で貿易価格の上昇が著しかつたことが影響している。貿易価格(ドル価格表示)の推移をみると,68年1.0%低下(前年比,以下同じ),69年3.9%上昇のあと70年は4.7%程度の上昇となつた。こうした貿易価格の動きから実質ベースの世界貿易の増加率を試算すると,68年12.6%増,69年9.4%増,70年9.3%増と増勢は鈍化していることがわかる。しかし,過去の世界景気の後退局面に比べれば70年の世界貿易は著しく高い伸びを示したといえる(たとえば67年には世界貿易は実質4.8%,61年には実質5.4%にとどまつた)。

世界経済の成長が鈍化しているにもかかわらず,世界貿易がかなりの伸びを示しているのは,世界的に輸出入依存度が高まる傾向にあることを意味している。これは第2部に述べるような各種の要因が背景になつているが,とくに70年について,各国の物価上昇テンポに格差が生じ,輸出をいつそう拡大した国と輸入をいつそう拡大した国とがあつたことにもよる。

(世界的金利低下と国際通貨不安要因)

最近2,3年の世界的な傾向であつた高金利現象は70年にはいつてしだいに後退し,秋以降世界的な金利の低下傾向が著しくなつた。

この金利低下はアメリカを起点とするものであつた。アメリカの中央銀行(連邦準備制度理事会)は景気後退がいつそう明確化したこともあつて,70年はじめ金融緩和政策に踏切つた。この結果,アメリカの短期市場金利が低下し,ユーロ市場を通じて西欧諸国にもその影響が及ぶこととなつた。西欧諸国では70年前半を通じて金融引締め基調が維持されたが,後半以降は景気鎮静化の動きがみられるようになつたことに加え,アメリカの金利低下によつて漸次金利引下げが必要とされるようになつた。まず,フランスでは比較的早めに景気が鎮静化したこともあつて,引締め政策がしだいに解除され,70年8月,10月に公定歩合引下げが行なわれた。一方西ドイツでは景気調整の遅れもあつて引締め政策がつづけられたが,短資流入に対処するため7月,12月に相ついで公定歩合が引下げられた。

このようなアメリカを始発点とした金利低下過程で,国際通貨不安の原因もしだいに強まつていつた。アメリカの金融緩和が進展することによつて同国の資金が流出しユーロ借入れも返済に向かつて,ユーロ資金は金利が割高なヨーロッパ諸国とくに西ドイツに流入することとなつた。この結果,西ドイツを中心としてヨーロッパ各国の通貨当局にはドルが累積する一方,アメリカの国際収支赤字(公的決済ベース)は,70年全体で98億ドルの巨額に達した。70年中は国際通貨情勢は概して小康を保つたが,こうして累積された過剰ドルの存在は71年5月のマルク投機に始まり,西ドイツの変動相場制採用,スイス・フラン等の切上げにいたる国際通貨情勢のひとつの背景となつた。

(2) 国際収支黒字の拡大

(国際収支黒字の3局面)

世界インフレの基調はわが国経済の景気後退と相互にからみあいながら,わが国国際収支黒字をいつそう拡大させる方向に働いた。こうした国際収支の動向をみるためには,45年度から最近までの期間を3つの局面に分けて検討するのが適当であろう( 第45表 , 第46図 )。

第1の局面は45年度の上期である。この時期には,輸出入はともに堅調な増加を示し,貿易収支は月平均304百万ドル(季節調整値,以下同じ)の黒字基調で推移した。しかし,本邦資本の流出や外人証券投資の減少などにより,総合収支では月平均87百万ドルの黒字にとどまつた。

第2の局面は45年度の下期である。この時期は国内景気の後退が顕著となり,このため貿易面では輸出圧力が働き,輸出の増勢が加速化する一方,輸入は生産の停滞から横ばい基調に転じた。この結果,貿易収支の黒字は10~12月期に月平均370百万ドル,46年1~3月期に月平均525百万ドルと黒字幅が加速的に拡大した。他方,欧米との金利差の拡大もあつて,外人公社債投資が増大し,総合収支は月平均249百万ドルの黒字となり,外貨準備高も急増を示した。

第3の局面は46年度にはいつてからであり,この局面では西欧通貨不安がわが国国際収支にも影響を及ぼすこととなつた。景気後退による貿易収支黒字の拡大に加え,外人公社債投資,輸出前受金などによる資本流入がマルク投機の余波もあつて増大した。このため総合収支の黒字はさらに拡大し,外貨準備高も6月末には76億ドル近くになつた。

(輸出増大とその要因)

国際収支黒字拡大の最大の要因である輸出増加について,上述のような局面区分にしたがいながら検討を加えよう。

世界的なインフレの傾向を背景にわが国輸出は45年度上期に19.5%の増加(前年同期比)を示した。市場別にはアメリカ,西欧向けが著しい増加をつづける一方,東南アジア向けは伸び悩みに推移した( 第47表 )。アメリカではインフレの進行や産業の国際競争力の低下が著しく,景気の後退がみられたにもかかわらず輸入は大幅に増加し,わが国の対米輸出も高い増勢をつづけることになつた。このようなアメリカにおける不況下のインフレ,輸入増加はわが国輸出の増大をもたらすとともに,アメリカ産業界の保護貿易的動きを強める誘因となつた。わが国の繊維輸出の制限をめぐる問題はその一端である。この間,わが国輸出の3割を占める東南アジア向けは著しい伸び悩み傾向をみせた。これにはベトナム特需が減少したことや,東南アジア諸国で貿易収支赤字に対処するための輸入制限が広範囲化したことも影響している。

(景気後退と輸出圧力)

45年度下期にはいると,輸出が一段と高い伸びを示すようになつた。輸出は45年10~12月期に前年同期比20.4%増となり,さらに,46年1~3月期には22.9%増,4~5月では26.3%増へと増勢を強めている。このようにわが国輸出が加速的増加に向かつた原因は,内需後退による輸出圧力が働いたことにあると考えられる。商品別にみるとアメリカ向け自動車,テレビ,化学製品などにこうした傾向が著しい。アメリカ向け乗用車輸出は45年度における対米輸出増加額の25%を占めているが,46年にはいつてからも増加が著しく46年5月には前年比で倍増となつている。またカラーテレビもダンピング問題が一応の解決をみたことから45年度下期以降急速な回復を示している。

第48図 主要市場向け輸出と各市場の輸入(季節調整値,3期移動平均値の前期比増減率)

45年度下期の輸出を市場別にみると,アメリカ向けおよび中南米,アフリカなどへの急増と西欧向けの伸び悩みが特徴的である( 第48図 )。とくに46年1~3月のアメリカ向け輸出の急増,わが国の内需不振とアメリカの景気回復という両者の需給の動きのギャップが相乗的に働いたものとみられる。また,鉄鋼ストにする備蓄買いからわが国の鉄鋼輸出が増加したことも影響している。西欧向け輸出の増勢鈍化は西欧景気の後退の影響によるものとみられるが,西欧市場,東南アジア市場での鈍化はその他市場に対する輸出圧力を増大させ,その他地域での高い伸びの原因となつた。なお,最近,西側諸国と中国(大陸)との貿易関係は世界的に注目を集めているが,わが国の貿易を通ずる日中関係をみると( 第49図 ),45年度の輸出は前年度比21.2%増加し,5.7億ドルとなつた。西側諸国の同地域向け輸出のなかでわが国は第1位を占めており,また,わが国の輸出相手国としては中国(大陸)は第9位となつている。

(国内景気後退と輸入の停滞)

45年度後半に輸出が加速化したのと全く対照的に,輸入は45年度後半にはいり著しく減速した。輸入通関額は45年度全体としては20.9%増加であつたが,上期の12.2%増に対し,下期は2.9%増(季節調整値の対前期比)にとどまつている( 第50表 )。

第51図 素原材料輸入,関連生産,在庫率の動き

この輸入の減速には,輸入総額の約55%を占める素原材料および製品原材料輸入が,国内の景気後退によつて著しく停滞したことが影響している( 第51図 )。原材料消費は,45年夏以降の生産財産業の伸び悩みを反映して急速に鈍化したが,これに若干遅れて素原材料在庫圧縮の動きが本格化し,ともに輸入停滞要因として働いている。

輸入の停滞にもかかわらず,原材料在庫調整の進展ははかばかしくなく,輸入素原材料在庫率は現在もなお高水準である。これは44年度から45年度にかけて在庫積増しがつづいた一方,45年度になつて原材料消費が急速に鈍化したため,それが意図せさる在庫に転じた結果である。このことからして,原材料輸入の増勢回復にはなお時日を要するとみられる。原材料輸入停滞のうちでも,鉄鉱石,原料炭,銑鉄など,とくに国内の鉄鋼不況を反映した素原材料輸入の減少が目立つている。

以上のように原材料輸入は全体として大きく鈍化したが,鉱物性燃料についてはOPEC(石油輸出国機構)問題に関連した値上がりがあつたため,鉱物性燃料の輸入額は輸入数量の伸びを上回つてかなりの増加となつた。

一方,年度半ばまで増大をつづけた機械類の輸入も,民間設備投資の後退につれて増勢が鈍つている。

なお,45年度平均の輸入価格(日銀指数)は2.4%上昇したが,年度初めと年度末の比較では0.7%の小幅上昇にとどまつた。これを商品別にみると,石油・同製品か13.4%と著しく上昇した反面,金属は14.7%の低下を示し,両者が相殺しあつている。

(資本収支面などでの流入要因)

貿易収支の黒字幅拡大に加えで,45年度下期以降は,内外の資本移動が国際収支の黒字を拡大させ外貨準備の増大をまねく要因となつた。

その第1は,外人証券投資(純流入)上期の約0.5億ドルから下期には6億ドル強へと急増したことである。これは外人株式投資が回復したこと,アメリカの金利低下によつて利回りの内外格差が開き,公社債投資が増加したことなどを反映したものであつた( 第52図 )。この外人証券投資の急増のために,長期資本収支は対外援助支払いや借款に供与の増大にもかかわらず,上期から下期にかけて赤字額は縮小することとなつた。

第2の要因は,輸入規模の拡大,海外金利の低下などから短期資金の流入が増加したことである。貿易金融のための短期資金調達は,アメリカの金利低下,為替市場におけるドル先安(ドル先物ディスカウント幅の拡大)によつて米国銀行の融資にたよる方がしだいに有利になつた(いわゆるドルシフト)。さらに,46年5月の西欧通貨不安のあおりを受けていつそうドル先安となり,ドルシフトが促進される一方,輸出前受金などによる資金流入の増加がみられるようになつた。

(3) 現局面の国際収支の問題点

現在の国際収支は第2部で述べるような基調的な要因に加え ①世界インフレによつて貿易収支黒字がかさあげされていること,②景気後退によつてそれがさらに拡大していること,③そのうえに,内外金利差やマルク投機の余波もあつて資本流入が強まつたことなど循環的要因によつて増幅されたものである。最近における月間5億ドルを超す国際収支黒字(輸出入季節調整後の総合収支)や半年間で倍増するほどの外貨準備の動きは,対外均衡回復を緊急の政策課題にしているといえよう。

事態は進んでおり,対策が急がれなければならない。

第1には,確実な景気回復によつて,景気後退による貿易収支の黒字拡大要因を消滅させることである。輸入自由化や関税引下げなどとあいまつて景気の回復を背景に,輸入面から貿易収支黒字はかなり圧縮されることとなろう。同時に最近の輸出前受金等にみられるような短期資金の流入も為替管理の適切な運用とあいまつて,かなり減少するものと思われる。

その第2は,海外要因に対する対処である。世界インフレの影響下では,わが国のように卸売物価や輸出物価が安定している国の国際収支は黒字が拡大する傾向をもつている。一方,基軸通貨国の大幅赤字は世界のインフレ傾向をさらに強め,黒字国の対外均衡回復努力を著しく阻害することは否定できない。こうした理解に立つて世界インフレ抑制のための国際的な政策協調が進められなければならない。

第3には,国際収支黒字の背景となつている構造的要因を是正し,新しい視点に立つて積極的な対外経済政策を進めることである。国際収支が赤字傾向をつづけた時代に形成された諸制度や,外貨獲得・外貨節約的な経済全体の仕組みをあらため,充実した経済力を対外的にも有効に活用していくことが必要である。