昭和45年
年次経済報告
日本経済の新しい次元
昭和45年7月17日
経済企画庁
第1部 昭和44年度の景気動向
第3章 景気調整策の新しい課題
以上のように今回の景気調整にはいくつかの困難な問題があつたが,金融市場,銀行貸出など金融面ではしだいに引締め政策の影響が現われるようなつた。
金融市場はすでに6~7月頃からしだいに引締まり傾向をみせていたが,調整策実施後も基調的な引締まり傾向をつづけた。これは日銀券の増勢が強まつたこと,財政資金の散超幅が前年を下回つたこと,さらに日本銀行が引締め政策に対応した市場調整を行なつたことなどが影響している。こうした状況のもとで,コールレートは上昇して,年度後半には前回(42年)引締め時のピークをわずかに上回る水準となり,その後も一高一低で推移している( 第61図 )。
つぎに金融機関貸出の動向をみると,引締め政策が発動されていらい,ポジション指導の行なわれた都市銀行などを中心に銀行の貸出態度はしだいに抑制的となり,全国銀行の貸出増加額は,漸次鈍化するようになつた( 第62図 )。また,相互銀行も余資の減少から増加テンポがしだいに鈍化していつた。
ただ,金融機関全体の貸出残高増加率(前年比)はかなり高い貸出の水準としては比較的大きいといえよう。引締め半年後における全金融機関の貸出残高の増加率は前回の16.3%に対し,今回は18.6%と今回の方が高い。このように前回に比べ貸出残高が高い伸びとなつたのは,①企業の資金需要がきわめておう盛で都市銀行等の貸出も比較的大きな規模となつたこと,②前回のとき伸びが低下した信用金庫などの貸出も高い増加をつづけたことなどによる。
公社債市場にも金融引締め政策の影響があらわれるようになつた。
まず,既発債市況をみると,44年4~7月にかけて一時底堅い動きがみられたものの,9月以降は金融引締め政策の浸透とともにいつそう軟化の度合いを強め,発行条件と既発債利回りとのかい離がひろがつた( 第63図 )。とくに利付金融債におけるかい離が著しくかい離幅は最大1.8%(前回引締め時の最大は1.3%)にも達した。
このような市況軟化の原因として,まず中小企業金融機関,農林系統金融機関が既発債投資には消極的であつたことがあげられる。一方,金融引締めのなかで都市銀行はおう盛な資金需要に応える必要からひきつづき多額の債券売却を行ない,既発債市場を圧迫させる結果となつた( 第64図 )。
こうした市況の軟化は発行市場にも大きな影響を及ぼした。発行条件と既発債利回りのかい離によつて新発債の消化が困難となる一方,企業のおう盛な資金需要を反映して起債希望額は多額にのぼつたため,企業の起債達成率はかなり低下し( 第65図 ),起債市場における資金調達も困難となつていつた。
なお,こうした公社債市場の動きのなかで,とくに注目されるのは45年3~4月にかけて大幅な発行条件の改定が行なわれたことである。今回の条件改定は改定幅が従来になく大幅であつたことや,たんに公社債のみにとどまらず,預金金利を含む長期金利全般に波及したことが大きな特色であつた。従来低位に固定される傾向のあつた各種金利が,市場の実勢に近づく方向で変更されたことは大きな意義をもつ。現に条件改定後は公社債の個人消化がいくぶん増加する傾向にあるが,これは金利メカニズムによつて資金需給の調整がある程度実現している姿であるといえよう。
金融引締めの開始以降,企業金融はしだいに引締まりに向つた。金融機関貸出が全体としてかなりの規模に達しているにもかかわらず企業の資金繰りがしだいに繁忙化してきたのは,設備投資が高い伸びをつづける一方,売上げ増加にともない運転資金の需要も多額にのぼつてきたためである。 こうした企業金融の引締まりの過程で,今回の引締め期の特色として,中小企業では過去の引締め時と比べて引締まり感が弱く,大企業のなかでは鉄鋼,電力など大型設備投資を進めている業種でとくに引締まり感が強いという点があげられる。このような引締まり感の跛行現象は必ずしも資金需要の多寡によつて生じたものではない。たとえば中小企業と大企業の比較でみると,
第66図
からも明らかなように,44年初め以降の設備投資の増加テンポはむしろ中小企業の方が高い。それにもかかわらず中小企業より大企業の方で資金繰りの引締まり感が強まつている。 引締まり感にこうした跛行現象が生じるようになつた背景の第1として,第2部「財政金融の新しい役割」で述べるように,長期的な傾向として都市銀行をはじめ金融機関が収益感応型に移行し,優良な中小企業には積極的に接近していること,中小企業金融機関の預金吸収力が傾向的に強く,しだいに大きな資金供給力をもつようになつてきたことなどがあげられる。 第2には,さらに今回の金融引締め特有の事情も無視できないであろう。今回はポジション指導のもとで,都市銀行等の貸出の伸びは鈍化した一方,信用金庫等ではコール市場の引締まりが36年,39年のときに比べてさほど強くなかつたこともあつて貸出重視の資金運用を行なつた(
第61図
参照)。これが資金の流れの長期的傾向にある程度拍車をかけることになつた。こうした長期的要因,短期的要因が重なり合つて,金融機関の中小企業向け貸出はかなり高い増加ベースをつづけた(
第67図
)。 第3は,企業間信用のしわ寄せが中小企業に及びにくくなつている点である。これは従来の引締め期に比べれば,優良下請企業の確保がより重要な課題となつており,中小企業に安易にしわ寄せすることがむずかしくなつているためである。 以上のような事情から主として大企業を中心に企業の資金繰りが悪化し,まず大企業間で企業間信用の拡大がみられるようになつた。その後45年に入るとしだいに,中堅,中小企業にも企業間信用の拡大がみられるようになつた。大企業についての企業間信用の動きをみると(
第68図
),44年8月以降,債権,債務の増加額が売上高の増加額を上回るようになつている。これまでのところ売上高の伸びが著しいため,売上債権ないしは買入債務対月売上高の比率は高まつていないが,今後,売上高の鈍化が生じた場合には,こうした債権,債務が資金繰り上負担になる場合も考えられる。 こうした企業金融の動向のなかで整理倒産は,44年度中目だつた動きをみせなかつた。これは従来の引締めときわめて異なるが,その理由としては,長期的な好況局面の持続で,中小企業の不況抵抗力が高まり,企業体質も総じて強化されつつあることなどがあげられよう。さらに引締め下にもかかわらず,生産,売上げ活動が活発に推移したこと,中小企業向け貸出がかなり積極的に行なわれたことが大きく影響している(企業倒産の推移については
付表2
参照)。
今回の実体経済面への引締め効果のあらわれ方は,これまでのどの引締め期に比べてもゆるやかであつた。さきに述べたように,今回の金融引締めの環境には,政策効果の浸透を弱めるようないくつかの特徴があり,実体面の経済活動にはすぐには目だつた影響を及ぼさなかつた。 まず,鉱工業生産は引締め後も高い増勢を持続し,年末年始にかけて,乗用車,家庭電器の生産がやや鈍化したものの,一般機械など投資関連財生産の増加を主因に44年度いつぱいかなりの増勢を持続した。また設備投資の先行きを示す機械受注額も年末年始やや増勢が鈍化したものの45年2月には電力,鉄鋼などの受注を中心に大幅に増加を示し,その後も堅調な動きをみせた。さらに,卸売物価は国内需給が堅調に推移する一方,海外インフレもなお衰えをみせなかつたことから45年4月まで著しい騰勢をつづけた。 また,個人消費,鉱工業出荷などの活発な動きを反映して,日銀券は増勢をつづけ,45年1月~3月には月中平均発行残高の前年同期比は20%近い増勢となつた(
第69図
)。 以上のように引締め政策の実施にもかかわらず,引締め後の44年度後半の経済活動は根強い拡大をつづけることとなつた。しかし,抑制効果が軽度にとどまつたのは,景気調整過程に通常みられる政策効果のタイムラグなどによる面も少なくないと考えられる。 44年度下期の実体経済活動がどの程度公定歩合引上げの影響を受けたかを,当庁短期経済予測マスターモデルをもちいて試算してみると,設備投資,在庫投資に若干の影響があらわれている以外はほとんど目だつた変化はみられない(
第70図
)。 しかし,同じマスターモデルをもちいて42年の引締めの場合をみても,政策効果は主として3四半期目以降明瞭にあらわれている。今回の引締め政策も4~6月以降,しだいに効果をあらわしてくるものとみられよう。
前述のように,金融引締め策がとられたのちも,昭和44年度下期中の景気はかなり根強い拡大基調で推移した。しかし,45年度に入つてからは,内外要因の変化を反映して,景気動向にもしだいに変化があらわれはじめている。 国際商品市況は春頃をさかいにして下押し傾向を示している。これから直ちに海外インフレが沈静の方向に向かい始めたとみることはできないが,この海外商品価格の値下がりを反映して,わが国の輸入価格も最近ではやや下落気味である。 一方,わが国の輸出は,アメリカの景気後退などの影響もあつて,これまでの増勢に鈍化傾向があらわれている。対米輸出は,家庭電器,繊維などに伸び悩みがあらわれ,ヨーロッパ輸出も,44年度中に活況を呈した鉄鋼は,最近では成約の停滞がみられるようになつている。国内の経済動向にも若干の変化があらわれはじめている。まず,卸売物価は,これまで騰勢の強かつた鉄鋼,非鉄金属などの反落により,5月以降軟化しはじめた。これは,海外市況の低下のほかに,金融引締めにともなう流通段階の資金繰りひつ迫や,需要家の買い控えによつて生産者製品在庫が増加していることや,内外需要の鈍化から需給がひきゆるみ気味となつてきたことなどを反映したものとみられる。なお消費者物価も,5,6月には45年春に大幅な上昇を示した野菜の反落や,生鮮魚介,鶏卵などの値下がりもあつて低下を示した。 また,生産関連の諸指標にもいくつかの変化があらわれるようになつた。鉱工業出荷は鉄鋼,家庭電器などを中心にその伸びはゆるやかとなつている。鉱工業製品在庫指数も,鉄鋼,工作機械など多くの製品で増加し,4月,5月と連月増加を示した。こうした出荷の増勢鈍化と製品在庫の増加のなかで,鉱工業生産の増勢にも変化があらわれており,本年1~5月の生産は年率15.4%と昨年9~12月の年率18.2%増に比し,その増加率は低下している。 他方,設備投資活動についてみると先行指標である機械受注はいぜん高水準をつづけているが,いくぶん弱含み傾向をみせはじめてきた。各機関の投資予測調査によつてみても,45年度の設備投資額の伸び率はおそらく前年度の伸び率を下回るものとみられる。 労働力需給はいぜんひつ迫基調をつづけている。有効求人倍率は本年2月をピークに,その後低下を示しているが,その水準は高い。また賃金は高い上昇をつづけ,現金給与総額(労働省調べ,調査産業計)は4月,5月ともに前年同月比で17%の上昇となつている。 こうした実体面の変化のなかで日銀券の増勢もやや鈍化しはじめている。金融機関の貸出増加額の増勢も都市銀行等を中心にひきつづき鈍化傾向を示しており,おう盛な資金需要のもとで企業の手元流動性はしだいに低下しているものとみられる。このため,企業の資金繰り繁忙感はこのところさらに強まり,企業間信用の拡大もしだいに大企業,中堅企業から中小企業へと波及している。まだ少今回の引締め下において高水準ながらも落着きを示していた企業倒産件数も6月に入つて若干の増加を示した。 このような景気の現局面からみて,次のようないくつかの問題点があげられよう。 第1は,当面,物価は弱含みに推移するとしても,それがそのまま物価の基調的安定につながるかどうかということである。最近の卸売物価,消費者物価の双方に共通していえる特徴は,労働集約的商品が,45年に入つてもいぜんジリ高傾向をつづけていることである。本年の春季賃上げがかなり大幅であつたことを考慮すると,それが製品コストにはねかえり,今後の物価に影響を与える懸念を少なからず残しているようである。 第2は,海外環境がどのように推移するかという点である。この1年,日本経済は従来にもまして海外要因の影響を強くうけてきた。海外インフレが果してどのようなおさまり方をするかという点は,今後のわが国の物価動向の先行きに少からず影響しよう。またわが国の輸出が国内景気に与える影響が大きくなつてきただけに,今後の輸出が海外景気との関連等により伸び悩みをつづけるか,あるいはふたたび増勢に転ずるかは,やはり国内景気や投資,企業経営にとつて微妙な問題を持ちそうである。 第3は,設備投資の動向である。設備投資は,金融引締めの影響や輸出需要の鈍化を反映してこのところしだいに落着きの方向にむかつてきたものとみられる。過去4年間年率2~3割の速いスピードで増大し,現在,国民総生産との比較ではかなりの規模に達している設備投資が,今後需給バランスと景気動向にどういう影響を与えていくか慎重に見守る必要があろう。 景気は最近に至つて,ようやく落着きをとり戻しはじめ,望ましい経済成長の軌道にしだいに復帰しようとしつつあると思われるが,長期繁栄の持続と物価安定を確実なものにするための経済政策の適切な運用が必要であろう。