昭和41年
年次経済報告
持続的成長への道
経済企画庁
≪ 附属資料 ≫
昭和40年度の日本経済
金融
昭和40年度の金融動向
昭和40年度は著しい金融緩和の年であった。公定歩合は40年1月に続き4月、6月と各1厘ずつ引き下げられ、その水準は1銭5厘(商業手形再割引利率)と26年秋以降の最低を記録するに至った。さらに7月には準備預金制度の準備率が39年12月に続いて、再度引き下げられる等、金融緩和政策の進展がみられた( 第8-1表 )。
こうした情勢から、金融市場も総じて緩和基調を続け、コール・レートは大幅低下を示し、債券の消化は好調となり、起債市場は拡大した。
しかし、一面では、一部の大証券会社の経営行き詰まりに端を発した信用秩序の不安動揺に対して、5月以降数次に渡り、日銀の特別融資がなされる等、かつてみられなかったほどの株式市場の不振が表面化した。こうした事情は産業界の大型倒産を含む多数の倒産続発とあいまって、年度当初の金融機関の貸し出し態度を概して慎重にし、貸出金利の下げ渋りもみられた。だが、日銀特融によって信用不安への波及のおそれも解消に向かうと、政府の景気対策を直接のきっかけとして、株価は急速に立ち直り、金融機関の貸し出し態度も積極化し、貸出金利の水準は23年以降の最低となった。
一方、企業の資金繰りは、財政支出の増大や輸出の好調に加えて、金融機関の貸し出し増大により緩和傾向を強め、その手元流動性は高水準に達している。それにもかかわらず、企業の投資意欲は依然として沈静傾向を持続している。
このように、40年の前半において、証券市場の極度の不振がみられたが、その後は30年代に図ってみられなかったほどの金融緩和を現出した。しかし、実態経済は活発化せず、41年になってから国債が発行される等、30年代にはみられなかった事態が生じている。
そこで、ここでは、(1)40年度の金融の最大の特徴である上記のかつてないほどの金融緩和の進展を、金融市場と企業金融についてその具体的様相と特色を明らかにし、続いて(2)それにもかかわらず企業の投資活動が沈静を続けている原因を解明すると共に、他方では、(3)日銀特融を必要とするほどの株式市場の低迷がどういう要因に基づくものかを明らかにし、次に、(4)公社債市場の問題として、今までのところ国債の市中消化がいわゆる資金偏在を激化させないで済んでいるメカニズムを多少解明し、今後の資本市場のあり方を展望してむすびとしたい。
金融緩和の進展
緩和基調を続けた金融市場
現金需給バランスの動き
39年10~12月期における財政資金の大幅散布や40年1~3月に入っての証券界救済の日銀融資が日本証券保有組合等に多額に行われたこと等から、金融市場は40年初頭には既に緩和基調に推移していた。
40年度の現金需給の動きをみると、日銀券は年度の初めから、企業の取引活動の停滞や個人消費の伸び悩みを映じて、低水準の増発を続けた。月中平均発行高の対前年同月比増加率は4~6月の13.3%増、7~9月の11.4%増へと低下し、10~12月には11.4%増と下げどまりを示した。41年に入ってから、実態経済面の動意を映じて、その水準は1~3月で12.1%増と若干増勢に転じたものの( 第8-1図 )、年度間の増発額は2,580億円で増発率は12.8%(前年度2,475億円14.0%)に留まった。一方、財政資金対民間収支は新規国債発行代わり金の引き揚げ(1,085億円)等もあって、2,531億円の散超(前年度4,066億円の散超)に過ぎなかった(〔7.財政〕参照)。この結果、準備預金の積み増し等を加えると、現金需給は1,120億円悪化した( 第8-2表 )。この間、日銀の債券売買は1,855億円の売却超過となったので、日銀貸し出しは2,975億円増加した。
40年度に入ってからは、日銀の金融調節手段にいくつかの変化がみられた。37年秋の新金融調節方式の導入以来、日銀は売戻し条件つきの債券売買操作を実施してきた。しかし、3回に渡る公定歩合の引き下げとコール・レートの低下は、それらと債券売買金利との格差を大幅にした。債券売買金利は固定化された長期債の応募者利回りを基準としたものであったからだ。このため、7月13日に実行されたのを最後に、売戻し条件つき買いオペレーションは一時停止となり、不足資金は日銀貸し出しによって賄われることになった。こうした事情もあって、41年2月には公社積み取り引所取引(いわゆる流通市場)が再開されたのを機に、日銀は、2月、3月の両月に渡り、合計1,144億円の市場相場を基準とする債券の無条件買いオペレーションを実施した。
このほか、日銀保有手形の売買が多額に行われたのも40年度の金融政策上の特徴であった。すなわち、9~11月にかけて、コール・ローンの大口出手である農林中央金庫や全国信用金庫連合会に対して、それぞれ、2,400億円、300億円の日銀保有手形売却が実施され、40年12月と41年2月にそれらの買戻しが実施された。これは金融市場を緩和基調に維持しながら季節的繁閑を調整するのに役立った。これは同時にこれら金融機関の資産運用を助けることにもなった。
さらに、日銀は、コール・レートの低下を背景に、短期の金融市場調節手段として、41年1月政府短期証券の売買(485億円)を短資業者に対して行った。
このような日銀の弾力的金融調節手段がとられたこともあって、金融市場の1季節的繁閑も比較的順調に調整され、40年度の金融市場は平穏のうちに推移した。
コール・レートの低下とその影響
コール・レートは3回に渡る公定歩合の引き下げや財政資金の散超月を契機に急速な低下を示し、40年10月には月越しもの1銭8厘、無条件もの1銭6厘の水準となった。年初からの低下幅は月越しもので1銭、無条件もので7厘を記録した。月越しものの低下幅が大きいことからも分かるように、長期ものに対する需要は短期ものに比較して大きく減退し、レートも弱含みに推移することが多かった。 第8-2図 でも、月越しもの比率は40年3月には36%であったが、6月には20%、その後、季節的要因もあって上昇しているが、総じてその比率は低くなっている。これは、コール市場での主な取手である都市銀行の資金ポジションが大幅に改善されていることや、先行きも金融市場の緩和傾向が続くものと予想されたこと等によるものと思われる。
第8-2図 コール市場資金とコール・レートおよび月越しもの比率の推移
この間、市場資金は5月の1兆3,410億円をピークに漸減傾向を示し、41年3月には9,921億円と1兆円の大台を割り込んだ。取手側の都市銀行の実質預金に対するコール・マネーの比率はこの間14.5%から7.4%に減少した。
市場資金の出手別構成をみると、農林系統金融機関、信用金庫、信託等の比重が依然として大きいが、41年に入ってから長期信用銀行の比重が増大しているのが特徴的である。
金融緩和はコール市場に以上のような変化をもたらしたが、コール・レート低下の影響を最も受けたのは、大口出手筋である農林系統金融機関や中小金融機関であろう。高度成長期にはコール・レートが月越しもので1銭8厘という比較的低い水準になったこともなかったし、それが長期間持続、したこともなかった。そのため、これらの金融機関は、ともすれば収益の場をコール市場に求めて多額のコール・ローンを放出してきた。それだけに、コール・レートの急速な低下は、これら金融機関の資金運用難を激化させた。すなわち、企業の資金需要は沈静しているので、貸し出し先の質的低下は避けられなかったし、貸出金利下げ要求も強いこと等から、収益低下は免れなかった。しかし、年度の後半には、中小金融機関の貸し出しは増大し、有価証券投資も増大した。
例を信用金庫にとって、その資産運用の変化を39年度と40年度について比較したのが 第8-3表 である。この間、コール放出は18.1%減少したが、それから生じた収益は実に44.8%と大きく減少した。有価証券投資は52.9%増と拡大したが、それによる収益の伸びは45%に留まっている。資産運用の中心をなす貸出金においても、金利の低下を映じて、収益の伸びが貸出金の伸びを下回っている。一方、資金コストは0.13%しか改善されていないので、運用資産利回りの低下が、利ザヤの縮小を余儀なくさせている。こうして、中小金融機関の資金コスト問題は、国債の大量発行ともあいまって、今後日本の金融における問題点の1つとなるだろう。
極めて低水準となった金融期間の貸出金利
今回の金融緩和の特徴の1つは、長期短期とも金融機関貸出金利の低下が著しく、金利水準が23年の臨時金利調整法施行以来の最低になったことである。もっとも、貸出金利の低下は、金融引き締めの解除と共に順調に進行したわけではなかった。
金融緩和の初期には、金融機関の貸し出しは総じて低調であり、貸出金利も下げ渋りの傾向がみられた。それは、40年の前半は、山特鋼を始め大型倒産が続発したうえ、株価の急落、投信解約の急増から株式市場は極度の不振に陥り、経済界に信用不安への波及のおそれが広がったためである。こうした信用不安への波及のおそれは基本的には企業利潤の低下によってもたらされたものであり、金融機関の貸し出し態度を慎重たらしめた。また、40年の初めは減産・滞貨資金等後ろ向きの資金需要もあったし、他方1月の公定歩合引き下げに伴って全銀協の市中貸出金利の自主規制最高限度が引き下げられた際、並手金利が据え置かれたこともあって、貸出金利の低下テンポは鈍いものとなった。さらに都銀については、39年中の新金融調節方式による金融引き締めの影響を受けて、40年の前半までは外部負債依存度は依然として高水準であった。都銀の実質預金に対するコール・マネーと金融機関借入金等の比率をみると、引き締め期の39年6月の14%から40年6月には19%に上昇している。こうした都銀の資金ポジションの悪化が、当初都銀の貸し出し態度を慎重にさせ、貸出金利の低下テンポを鈍らせた面も見逃し得ない。
しかし、40年後半になると、金融機関の貸し出し態度が次第に積極的になる一方、企業の手元流動性の上昇に伴って金融機関に対する企業の借り入れ需要は沈静を続けたので、貸出金利もその下げ足を速めた( 第8-4表 及び 第8-3図 )。それには、日銀特別融資によって株式市場の不安の拡大が回避され、信用不安への連鎖的波及が未然に防止されたこと、さらに40年7月末、公共事業の促進や財政投融資計画の拡大等財政面から政府の積極的な景気対策の実施が決定され、景気の先行きに明らかるさが感じられるようになってきたことも影響していたとみられる。
しかし、これに加えて、金融機関別にはさらに次のような事情が介在していた。
第1に、コール・レートの急速な低下によって、中小金融機関や農林系統金融機関がその資金運用の重点を貸し出しや有価証券投資に置かねばならなくなったことである。そのうち貸し出しについてみると、 第8-4表 にみるように、地銀、相銀、信金、農中等40年後半からは資金需要を求めて貸し進んだ。その際、企業の資金需要が全般に弱いこと、特に優良中小企業については金融機関相互の競合が激しいことから、金利面で逆選別を受け、これら金融機関の貸出金利の低下テンポは大きかった( 第8-3図 )。
第2に、都銀についても、コール・レートが急速に低下したうえ、40年後半からは、ほかの金融機関が貸し出した資金が都銀預金に歩溜まる傾向もあって預金が増加し、資金ポジションも好転したため、資金ポジションの改善に対する圧力が減じ、これが貸し出し態度を漸次積極化させた。それと共に、40年前半下げ渋った都銀の貸出金利も下げ足を速め、41年に入ってからも下げ続けている( 第8-3図 )。もっとも、投資活動の沈滞から企業の資金需要、とりわけ大企業の資金需要は停滞しているので、都銀の貸し出しそのものは40年後半から41年にかけても前年を下回る伸びに留まっている( 第8-4表 )。他方、企業の手元流動性の上昇に伴って預金の吸収が好調であったため、都銀の資金ポジションは40年度中2,800億円の大幅好転(39年度中4,600億円の悪化)を示す結果となった( 第8-5表 )。
第3に、長銀、信託等長期資金供給金融機関の余裕資金の増加が、全般的な設備資金需要の停滞とそれら金融機関の資金吸収の好調とから表面化したことである。このことは、 第8-5表 にみるように、39年度中資金ポジションの好転が著しかった地銀、相銀、信金のポジションが貸し出しの進ちょくによって40年度中かなりの悪化をみたのに対し、長銀の資金ポジションが39年度の悪化から40年度にはかなりの好転を示したことによっても明らかである。国民所得ベースでの設備投資が低迷を続けているなかで、40年度中の長銀の貸し出し増加額は39年度中の増加額を16%上回り、停滞的な都銀貸し出しと対照的な動きをみせた。しかし、これには、38、9年に増加した設備投資の代金決済が40年中にずれ込んでいる点が影響していたほか、39年後半から、株価低落の影響もあって個人消化を中心に金融債の発行が急増し、資金余剰圧力から貸し進んだ事情も働いていたと思われる。 第8-4図 にみるように、40年に入ってから長銀貸し出しと金融債発行による資金吸収との間にはかなり大幅なかい離が生じてきている。
この結果、過去の設備投資の代金決済需要が一段落した40年度下期には、長銀の貸し出し増加額は前年同期の5%増(上期は28%増)に鈍化すると共に、貸出金利の低下テンポも41年に入ってからは前回の金融緩和期のそれを上回るに至った( 第8-3図 )。さらに、41年3月の長銀のコール放出額(平残)は1千億円に達している。それは長銀の余裕資金増大の具体的な現れといえる。
また、長銀と同様、設備資金等長期資金供給金融機関である信託銀行についても資金余剰の発生がみられ( 第8-4図 )、現在のような設備投資の停滞が続くとすれば、30年代の設備投資主導型の高度成長期において設備資金供給面で重要な役割を果たした長銀、信託の資金運用の在り方にも変化が生じることになろう。
企業金融の緩和と企業間信用の増勢鈍化
大幅に上昇した企業の手元流動性とその特徴
市中金利の低下や金融機関の貸し出し態度の積極化にみられる金融緩和の進展は、企業段階にも浸透し、40年度の企業金融かつてないほどの緩和を示した。企業の手元流動性(売上高に対する現預金の比率ないし流動負債に対する現預金の比率)を大企業についてみると、40年の初めにはほぼ38年のピークに達し、その後も急速な上昇をみせている( 第8-5図 の(I)及び(II))。企業の資金繰りの繁閑を示す指標である預金通貨回転率(預金通貨残高に対する全国手形交換高の比率)もまた40年に入ってから急落し、38年の水準を下回っている( 第8-5図 の(1))。
第8-5図 (Ⅰ)企業流動性(現預金/売上高)と預金通貨回転率の推移(Ⅱ)企業流動性(現預金/流動負債)の推移
こうした企業の手元流動性の高まりを大企業について前回の緩和期のそれと比べると、38年に比し金融機関からの借り入れによった面は小さく、売り上げ代金として回収された現預金が、投資の停滞からあまり外部には流出せず、大企業の内部に歩留まったことによる面が大きかった。
この辺の事情をやや詳しくみたのが 第8-6表 の大企業の資金繰り表である。まず、 第8-6表 の(I)で企業の経常支出に投資支出を加えた総支出を営業収入(売上高─売り上げ債権増)でまかなった程度をみると、前回の金融緩和期の91%から今回の金融緩和期には93%に上昇しており、それだけ前回に比べ今回の方が企業が外部資金に依存する必要が小さかったことを示している。事実、総支出に対する借入金増、社債増、増資等の比率は前回に比べかなり低下している。また、総支出に占める投資支出の割合は前回の7%から今回は6%に低下しており、売り上げ代金が投資資金としてあまり用いられなかったことを裏付けている。
さらに、 第8-6表 の(II)でみるように、大企業の設備投資等固定資産運用の資金源として借入金増や増資のウェイトが前回に比べ今回は大幅に低下している反面、内部留保と減価償却を合わせた内部資金のウェイトは52%から55%に高まっており、長期資金に限ってみても企業の外部資金依存度が低下したことを示している。
ただ、ここで注目すべき点は、 第8-6表 の(1)で総支出に対する営業収入の比率が高まったといっても、それは総支出に対する売上高の比率が高まったためではないことである。総支出に対する売上高の比率は前回の96%から今回は94%にむしろ低下している。総支出に対する営業収入の比率が高まったのは、もっぱら売り上げ代金の回収率が上昇したことによる。これは、38年に比べ大企業の中小企業に対する企業間信用の供与が鈍ったことにもよるが、売上高に占める輸出や財政関連の比重が高まっていることがかなり影響しているように思われる。 第8-7表 にみるように、大企業(製造業)の売上高に占める輸出分の比率は前回の金融緩和期の11%から今回は14%に高まっていることが分かる。
第8-7表 売上高に占める輸出分の割合の増加(今回と過去の金融緩和期との対比)
そもそも、企業外部から流入してくる現預金の資金源は、金融機関借入金のほか、輸出代金、財政資金、個人部門への売り上げ代金であるが、37年の後半からは金融機関借入金のルートによるよりも、それ以外からの資金流入ウェイトが高まる傾向がみられる。
すなわち 第8-6図 にみるように、企業保有の現預金は37年央頃までは金融機関貸し出しとほぼ一致して増加してきたが、その後は金融機関貸し出しの伸びを上回って増加しており、輸出の好調と一般財政資金の大幅散超を背景に輸出と財政からの企業への現預金流入が増大してきていることをある程度裏付けている。なお、国民経済全体に対する現預金の供給要因の推移をみても、現預金供給総量のなかで、37年ごろから金融機関の政保債、地方債購入と財政資金の払い超による現預金供給のウェイトの増大がみてとれる( 第8-8表 )。
企業間信用の増勢鈍化とその背景
このように、40年中企業の手元流動性が著しく高まり、企業の資金繰りが大幅に緩和した一方、企業間信用の増勢は鈍化した。大蔵省「法人企業統計速報」によって企業間信用の限界部分の動きをみると、大企業の売上高増加に対する売り上げ債権(受取手形割引残高を含む)の増加の比率は、37年(69%)、38年(41%)、39年(32%)に対し、40年は18%に大きく低下している( 第8-9表 )。この結果、いわは残高ベースでみた企業間信用は弱含みに推移し、企業の販売条件(売上高に対する売り上げ債権の比率)及び支払い条件(売上高に対する買い入れ債務の比率)は、40年中、改善ないし横ばいとなっている( 第8-7図 (I)、(II))。
第8-7図 (Ⅰ)大企業の決済条件と与信率(Ⅱ)中小企業の決済条件と受信率
しかしながら、企業間信用のいま1つの指標と考えられるネットの与信、受信の動きを、大企業の与信率(買い入れ債務に対する売り上げ債権の比率)及び中小企業の受信率(売り上げ債権に対する買い入れ債務の比率)についてみると、40年中の大企業の与信率、中小企業の受信率とも38年並に上昇している。
しかし、今回の場合は、与信率、受信率の高まり方がその内容において38年とは違っている。すなわち、今回大企業の与信率が高まっているのは、販売条件が横ばいなのに対して、支払い条件が漸次改善していることによるのであり、38年の場合は大企業の販売条件が多少悪化しているのに対し、支払い条件は横ばいに留まっていたからである( 第8-7図 (1)、(II))。
これは、金融、財政両面からの景気刺激策にもかかわらず、40年中は製品需給バランスの改善があまりはかどらなかったから、大企業はさもなければ生じたであろう製品販売価格の低下を手元流動性の高まりをテコに、信用販売によって防ぐ一方、下請け企業等に対する支払い条件については現金比率を高め、購入価格をできるだけ引き下げようとした大企業のビヘイビアと無関係ではない。こうした大企業の行動に対応して、中小企業の販売条件の改善は支払い条件の改善の程度を上回り、中小企業の受信率は上昇する結果となった。
もっとも、40年末から41年にかけて、従来の輸出需要の増勢に加え、財政需要面からの景気刺激策の効果が働き、製品需給のアンバランスに若干回復の気ざしが現れると共に、大企業の販売条件も多少改善してきている。
このように、大企業の企業間信用は40年度中弱含みに推移してきたが、概していえば、40年度中の大企業は企業間信用を解きほぐすこともできなかったし、反面、37~8年のようにそれを積極的に増大させることもできなかったといってよかろう。大企業が企業間信用を解きほぐす(販売条件を改善する)ことができなかった理由については既に指摘した通りだが、大企業の手元流動性が38年の水準を超えていたのにもかかわらず、企業間信用の積極的な拡大が40年度中なぜみられなかったのであろうか。これは、後述するように37年以降の企業間信用の膨張に伴う自己資本比率の悪化といった大企業内部の要因にもよるが、企業間信用を受ける側の中小企業の資金環境もかかわっている。資金調達の観点からみて、中小企業が大企業からの企業間信用に依存するのは、取引金融機関から必要資金を調達することが困難な場合か、あるいは資金調達が量的に可能であっても、金融機関からの借入金の金利と企業間信用の利子負担の程度を比較して、企業間信用に依存した方が有利な場合のどちらかだからである。
そこで、40年度の中小企業の資金環境についてみると、金融緩和政策の進展によって、大企業と同様、中小企業の資金環境も好転した。金融機関貸し出しの推移を貸し出し先規模別にみると、大企業向け貸し出しが依然40年度中も38年末来の増勢鈍化傾向を続けているのに対し、中小企業向け貸し出しは、中小金融機関の余資運用難による貸し進みも影響して、40年後半からはかなり顕著な増加率を示している( 第8-8図 )。このようにして中小企業に流入した資金のかなりの部分は大企業からの買い入れ債務の返済に回され、それが大企業と取引関係の深い都市銀行に預金として流入してくることになったから、それらの資金がそのまま全部中小企業内部に歩留まったわけではないが、39年の引き締め期にいったん落ち込んだ中小企業の手元流動性は40年中着実に回復した(前掲 第8-5図 (I)及び(II))。
さらに、40年度中の中小企業の資金環境は量的に緩和しただけではなかった。中小企業向け貸出金利も、相銀、信金等中小金融機関の余剰資金の発生を背景にかなりの低下を示した(前掲 第8-3図 )。中小企業向け貸出金利の低下は、中小企業にとってそれだけ銀行信用のアベイラビリティが豊富になったことを示すものであり、中小企業が大企業からの企業間信用にあまり依存せずに資金調達を行うことを可能にした。
金融緩和はなぜすみやかな景気上昇を導かなかったのか
今までみてきたように、40年初来の金融緩和政策の展開のなかで、金融市場は緩和基調を保つ一方、各金融機関の貸し出し態度は漸次積極化し、貸出金利の低下から企業金融は量的にも質的にも大幅に緩和した。しかし、40年の場合、そうした金融の緩和は投資活動を始め企業活動の活発化とはただちに結びつかなかった。従来の景気転換点では、金融引き締めが解除され、金融政策が緩和に転じると、生産等企業活動はただちに、しかも急速に上向くのが常であった( 第8-9図 )。今回の金融緩和の際は、39年の引き締め期間中も、豊富な企業の手元流動性等に支えられて投資や鉱工業生産が38年以来の増勢を続け、国際収支の急速な改善から金融引き締めが解除されるころになってようやくその増勢が鈍化ないし減少し始めたというタイミングの問題もあって、金融引き締めが解除された後、半年近くも鉱工業生産が停滞する一方、企業の設備投資マインドの指標となる機械受注も半年近くに渡って低下を続けた。そのうえ、回復に転じた後の両者の上昇テンポも従来に比べ緩慢であった( 第8-9図 )。
このように、企業の投資活動が、今回、金融緩和に対して非感応的であったのはなぜであろうか。これには、既に(2)の(二)でみたように40年の前半、金融緩和の初期における、市中貸出金利の、下げ渋り等金融緩和政策に対する金融機関の対応の遅れや企業倒産の続発等がある程度影響を与えたことは事実であろう。しかし、そこにはもっと根深い、30年代の高度成長期とは異なった実態経済面での変化がかかわっているように思われる。
30年代の高度成長期には、企業の投資機会が多く、期待利潤率が高かったので、企業は強い投資意欲を持っていた。そのため、一般に、投資資金を調達できるかどうかか企業投資の決定を左右した。しかも、企業が市中銀行に、市中銀行が日銀に依存する度合いが強かった。だから、景気の過熱から国際収支が赤字になり、金融引締政策がとられ、資金の供給が制限されて初めて企業投資が減少する一方、国際収支が均衡を取り戻し、金融政策が引き締めから緩和に転じ、資金供給の制限が解かれるとただちに投資活動は上向いたのである。
このことは、36年の引き締めの際、国際収支が赤字になり、金融引き締めが行われ、資金供給の制限が始まって初めて、企業の投資意欲を示す機械受注額が急落したことにも現れていた( 第8-10図 )。ところが、38年の場合は、金融引き締めが開始される前から既に機械受注は頭打ちになっているうえに、38年の好況期中の受注の上昇テンポは弱く、36年のピークをはるかに下回ったままだった。また、企業の製品在庫率も、38年中は金融緩和後もあまり下落することなく、比較的早い時期から横ばいになっているのも高度成長期とは異なった特徴といえる( 第8-10図 )。
第8-10図 機械受注、製品在庫率と利潤率、利子率、自己資本比率の推移
要するに、38年の好況の場合には、金融引き締めによって資金供給が制限を受けたために企業の投資上昇力が弱まった、あるいは弱含みに転じたという面はあまりみられないのである。もはや、投資資金調達の成否のみが投資活動を決定する条件ではなくなったことが分かる。この点はまた、39年中も40年中も、機械受注額の変動が、金融引き締めや緩和にあまり影響されず、比較的なめらかであるところからもうかがわれよう。
こうして、38年ごろからは、資金供給以外の点にも投資活動を停滞させる原因があったとすれば、今回の金融緩和が、それだけでは、投資の活発化に結びつかなかったのは当然ともいえる。40年度の投資停滞の主因は、企業の期待利潤率の低下に伴う投資意欲の減退に求められなければならない。
第8-10図 でみる限り、企業の利潤率(利子支払い前総資本収益率)は、38年に若干持ち直したものの、37年以降急落した。その間、企業の借入金利子率(利子対有利子負債比率)はほぼ横ばいに推移したため、企業の利潤率と利子率は接近し、39年度下期以降、利潤率は利子率を下回るようになった。
もっとも、 第8-10図 でみる限り、企業の利潤率が利子率を下回ったのは今回の不況期だけにみられる現象ではなく、29~30年、32~33年、37年等過去の不況期にもみられた。それが、特に今回、企業の投資活動に大きな影響を及ぼしたのは、投資の急成長と供給圧力の増大に起因する企業間信用の膨張、そのほかの要因から、37年以降企業の自己資本比率が低下を続け、現在、企業の不況抵抗力が著しく弱まっているためであろう( 第8-10表 )。
自己資本比率の低水準は、企業利潤率が少しでも利子率を下回るような場合、自己資本に帰属する企業利潤に大きなマイナスの影響を与え、それが期待利潤率を押し下げることによって、企業の投資意欲を一段と弱めるのである。
さらに、39年から40年にかけてみられる、こうした企業の自己資本比率の低下と、不況抵抗力の極端な低水準は、37年以降の企業間信用の膨張によるところが大きく、そしてそのことが、前述のように、40年度中大企業の手元流動性が、38年の水準以上に高まったのにもかかわらず、大企業が積極的に企業間信用を伸ばし得なかったことの原因にもなったのである。これが、企業間信用を主なテコにしてもたらされた38年型の好況が、40年度には現れなかった理由でもある。
転機を迎えた資本市場
極度の不振状態から回復に向かった株式市場
金融緩和の動きとは逆に、株式市場は不振の様相を濃くし、ついに5月には山一証券が、7月には大井証券が破たんし、「信用秩序の維持安定を図るため」、日銀法第25条による日銀の特別融資をあおがねばならないまでに至った。このため、7月には株価は1,020円と年度間最安値となり35年5月と同水準にまで落ち込んだ。しかし、その後は政府の景気対策を直接のきっかけとして、株価は急速に立ち直り、41年3月には1,584円にまで回復した。この間の上昇率は実に55.3%であった。このように、40年度の株式市場は前半と後半の明暗が、株価の上でかなりはっきりした形となって現れたことが特徴であった。
39年中における共同証券の株価防衛、さらには40年に入ってからの日本証券保有組合による投資信託や証券会社の過剰株式棚上げあるいは増資ストップ等の市場対策の実施にもかかわらず、株式市場は立ち直るどころか、ますます不振の様相を濃くしたのはなぜだろうか。
それはいうまでもなく、戦後我が国の株価形成において、特に高度成長期に醸成されてきたひずみの顕在化であろう。株価の下落は基本的には企業の利潤率の低下にある。 第8-11図 をみても分かるように資本金利益率は30年代を通じて、循環変動を繰り返しているが、36年以降は特にその水準は著しく低くなってきている。その間、配当性向の上昇によって、ある程度の抵抗をみせるが、配当率は漸次低下を余儀なくされ、40年上期に入ると10%を割る水準にまで低下している。株価を直接的に規定するのは配当率であるから、この面からも高度成長の反動期における株価の下落は必然であった。
これを株式市場へ流入する資金の動きについてみると、 第8-12図 の通りである。30~31年における株価上昇は金融機関の株式保有の増大によるところが大きかった。36年のブーム期には金融機関と、若干時期外れるが、個人の株式保有が増加した。38年には個人の株式保有比率も上昇するが、日証金残高の高水準が示すように、信用取引による資金の流入が顕著であった。40年に入ると、個人はほとんど株式市場から姿を消し、金融機関の株式保有増加率も低下を示した。そのうえ、信用取引も、39年中から共同証券の株価防衛が値動きを小幅化させていたから、縮小傾向を示していた。このため、株式市場への流入資金はわずかなものになっていた。それが取引高を減少させ、証券会社の収入減を大幅にし、経営を悪化させた。
こうした経営悪化を促進したものに、我が国特有の証券会社の業務形態があり、それが、株価の下落を一層激しいものにした。すなわち、手数料収入に依存するブローカー業務のほかに、ディーラー業務やアンダー・ライター業務もかね備えており、しかも、ブローカー業務よりも、ディーラー業務として株式を自己売買するウェイトが高かった。その資金源泉はコール・マネーと銀行借り入れの一部によって賄われる。投資信託の放出するコールはほとんど証券会社に向けられるから、証券会社は高度成長期にはその資金で大量推しょう販売方式をとって株価をつり上げることができた。しかし、金融引き締め等から株価が下落に転じると、大量の手持ち株式はキャピタル・ロスを生ずる。そうした時期には銀行借り入れも容易ではなく、コール・マネーもとり難くなり、証券会社の資金繰りはひっ迫し、手持ち公社債や株式の売却が行われる。こうした悪循環が累積的に証券会社の体質を弱めていき、株価の下落を促進し、投資信託の解約を増大させ、それが株式市場の不安を一層高めた。
ここで、投資信託の動きについてみておこう。特に、株式投信についてみると、36年以降解約額が次第に増大し、運用可能資金の増分は急減していった( 第8-11表 )。このため、資金繰りは余裕に乏しく、手持ち公社債の売却によって、株式を調達する姿が続いたのであるが、39年10~12月には、解約の増大から大量の株式を市場に売却し、株価の圧迫要因となった。40年に入っても資金の減少は続き、日本証券保有組合が投信組入株式1,827億円を肩代わりすることに上がって投信の経営建直しを図ったものの、年度間を通じて解約額は設定額を上回り、償還分等をあわせると、運用可能資金は1,705億円の鈍減となった。 第8-13図 は株式投信の残存元本と純資産(手持ち株式を時価で評価したもの)の動きをみたものである。残存元本は39年9月の1兆2,288億円をピークに急速に減少し、40年9月にはついに1兆円を割り込んだ。一方、純資産は株価とほぼパラレルに動いているが、38年9月以降、残存元本額を下回り、評価額及び売却損の幅は拡大している。40年後半の株価の上昇が、この評価損及び売却損を小幅にしてはいるが、解約の増加は依然、として続き、残存元本の減少を余儀なくさせている。
以上、株式市場不振の要因をいくつかみてきた。そうした要因の累積的悪化が、ついに、山一証券と大井証券の経費を行き詰まりに落とし入れた。証券会社のコール・マネー取り入れの担保は、顧客から運用預かりとして借り入れた債券(主に金融国債)が大部分を占めており、証券会社の経営上の行き詰まりが信用不安への連鎖的波及を起こしかねない面を持って至らこのため、日銀は、上記の2証券会社に対し、それぞれ5月と7月に、市中銀行を通じて、合計335億円の特別融資を実施した。
この結果、 第8-14図 にみられるように、運用あずかり債券の急激な減少もさげられた。しかも、39年から40年にかけて増資調整、共同証券及び日本証券保有組合による過剰株式の肩代わり等の措置が既に行われ、他方で、公定歩合の引き下げ等金融緩和が進んでいったので商品有価証券としての株式とコール・マネーは減少を示すことになり、証券会社の合理化も効果を現して、証券会社の経営の立ち直りの基盤が作られていった。
こうして、日銀の特別融資は信用不安への波及を防ぐのに役立ち、7月27日の政府の景気対策を直接のきっかけとして株価は急速に立ち直り、12月には月中平均株価で1,367円となり、41年3月には1,546円にまで回復した。しかし、この騰勢はもっぱら信用取引によるもので(前掲 第8-12図 )、投機的色彩が強く、値がさ仕手株の上昇が顕著であった。しかし、株価の急速な立ち直りによって、既に41年3月には共同証券手持ち株式が110億円売却され、さらに保有組合凍結株式も208億円売戻された。39~40年にかけて行われたこれら一連の証券市場対策は5,000億円近くの日銀の資金をバックに実行されてきた。その資金の返済をも含めて、今後の証券界の健全な立ち直りが要望されている。
量的、質的に発展した公社債市場
金融緩和の進展は、公社債の消化を極めて順調にし、起債規模の拡大をもたらした。まず、直接のきっかけとなったのは、コール・レートの急速な低下であった。すなわち、公社債の応募者利回りがコール・レートよりも上位になったから、多額の余剰資金をかかえる中小金融機関や農林系統金融機関の債券消化意欲を高めた。もっとも、これらの金融機関の多くでは、資金コストが政保債の利回りを上回っているのであるが、コール・レートの急落の影響もあって、40年度におけるこれら金融機関の公社債の消化比率は利回りの高い事業債はいうに及ばず、政保債、地方債についても前年度に比べ著しく上昇したのである( 第8-12表 )。また、個人の事業債の消化比率も高まっている。これは株価や投資信託の不振もあって、「個人」の金融資産選択が確定利付債券へ指向していることを物語るものであろう。また、年度間の事業債発行額は3,914億円と前年度(2,478億円)を大幅に上回った。これは基本的には金融緩和基調の浸透による消化の好調のためであった。
さらに、既発債利回りと新発債利回りの接近にみられるように、既発債の購入意欲もさかんであった( 第8-16図 )。
なお、41年3月になってから、発行会社の資本金の下限が低められる等、社債の発行条件が緩和された。
こうして、40年度の起債額は7,367億円(新規国債を含む、純増ベース)と従来の最高であった35年度(4,146億円)の水準を上回る空前の起債ベースを記録した。しかし、その内訳をみると、発行額では未だ事業債の方が高いが、純増額では、政保債や地方債の起債額が、事業債の起債額を上回るに至った( 第8-17図 )。さらに41年1~3月には2,000億円の新規国債が発行され、そのうち、1,100億円が市中消化された。もっとも、国債の消化を資金コストの関係だけから考えるのは適当でないが、政保債や国債を順調に消化できるのは、資金コストの面からでは順ザヤとなる都市銀行や一部の地銀、相銀等に限られよう( 第8-15図 )。従って、都市銀行の消化能力が多分に政保債や国債の消化の難易につながってくるわけだ。
ところが、上記のような多額の政保債や国債は都市銀行を中心に比較的順調に消化されたが、これは、前述の都市銀行の預貸率の低下、資金ポジションの改善に加えて、中小金融機関や農林系統金融機関の公社債の盛んな消化と密接な関連を持っていた。
これまでだと、特に37年以降は、公社債の消化先は都市銀行(長銀を含む)や地方銀行が全体の80%近くを占めていた( 第8-12表 )。特に、都市銀行(長銀を含む)はだいたい50%以上を消化してきた。ところが40年度に入ると、都市銀行の消化比率は40%台に落ち込んだ。これは、事業債消化層の多様化が、都銀の債券消化の負担を軽くした面が大きい。そのうえ、都市銀行の預貸率は改善の傾向にあり、しかも国債の発行を控えて、手持ち有価証券を、前記の農林系統金融機関や中小金融機関等に多額に売却したことも、政保債や国債の消化を順調にしたのであった。
以上のように、1都銀の預貸率の低下もさることながら、40年度の公社債市場は余資をかかえる金融機関の債権購入意欲の増大が、事業債を始めとする公社債の消化を順調にし、それが都市銀行の債券消化力を増大させるはたらきをした。これが、都銀中心の国債消化によっても、これまでのところ、いわゆる資金偏在が激化しないですんでいる主要なメカニズムだと思われる。
だが、今後には次のような問題が残されている。例えば、41年度に予定されている7、300億円の国債発行額だけをとってみても、40年度の公社債起債総額(国債を除く)にほぼ匹敵する。それだけに、これからの国債発行に伴い、その消化先にとって、国債の十分な流通性いかんが問題になってこよう。そのうえ、今後消化層の多様化を図っていくためにも、十分な流通性の付与等が重要な課題となり、それゆえに、公社債流通市場の存在がますます必要性を帯びてくる。
しかし、41年2月に再開された公社債の取引所取引(いわゆる流通市場)では、いまのところ実質的な出来高は少ないようだ。また、金利メカニズムを回復し、国債発行下における金融政策の有効性を十分に発揮するためにも、公社債流通市場の本格的な発展と整備が一段と必要となってこよう。節をかえて、この点も含み、当面の金融上の問題点を考えてむすびとしよう。
むすび─当面の金融上の問題点
第1に、既に指摘したことだが、公社債流通市場の未確立の問題が挙げられる。大量で本格的な国債の発行による政府投資の推進は、国民経済における政府投資のウェイトを高めることになるから、「持続的成長」を達成するためには、民間投資のみならず国債発行を通じる投資をも調整する必要がますます増してきた。
その調整には、市場利子率による自律的調整が最も有効であり、そのためには国債の市中消化とその流通市場の確立が必要となる。市中割り当てでない本来の意味での市中消化が実現されることによって、すなわち、流通市場で成立している実勢金利により市中消化されることを通じて国債の過大な発行をチェックすることが可能になる。
ところで、国債の完全な市中消化のためには、国債を消化し得るだけの市中の需要が確保されなければならない。その需要は、(イ)国債利回りと金融機関の資金コスト、(ロ)金利体系、(ハ)それに国債に流動性が付与されているかどうか、換言すると国債の流通市場が十分整備されているかどうかの3つにかかっている。
まず、国債の利回りと金融機関の資金コストについてみると、いまのところ、都銀等の資金コストは国債利回りを下回っているが、余裕資金をかかえている多くの中小金融機関や農林系統金融機関等の資金コストは国債利回りをかなり上回っている。もし、国債の本来の市中消化を順調にしようとすれば、これら金融機関のコストの低下が必要となってこよう。
次に、金利体系をみると、都銀の預貸証率はまだ依然高く、かつコールを取り入れて国債を消化することになると、現在のようにコール・レートが国債利回りのすぐ下にあるような金利体系の下では、コール・レートの上昇はただちに国債の市中消化の困難と結びつきやすい。コール・レートの上昇が都銀の収益を圧迫し、都銀の国債消化を妨げるだけでなく、コール・ローンを放出している金融機関が余裕資金を国債に運用しないで、ますますコール・ローンに向けるようになるからである。現在のように、依然として日銀のオーバー・ローンが巨額に残っている場合には、コール・レートのいま一層の低下は困難である。正常なものとみなされている戦前の金利体系では、コール・レートは公定歩合を下回っていたのであり、今後、国債の市中消化を確保するためには金利体系を正常化できるような環境の整備が課題とならざるを得ない。
さらに、国債の流通市場が確立すると、換金性が保証され、そのことによって国債に対する需要が増大することになる。国債に流動性を付与する1つの方法は、日銀が国債を買いオペの対象に加えることだが、その場合にも、買いオペの価格を市場価格の実勢に応じて決めるためには、国債の流通市場の存在が前提となる。
こうして、国債の市中消化にとって重要な公社債の流通市場が日本で十分に確立していないのは、公社債の利回りと金融機関の資金コストとの関係、利子率体系のあり方による面もあり、そのほか、都銀が消化した債券の多くが日銀借り入れの担保になり、市場に登場しないことにも因っている。
ところで、40年以降のように、投資の停滞が続き、都銀の預貸率が急速に低下すると、それによって、一方では都銀の資金ポジションの改善が国債の消化能力を増大させると同時に、他方では、日銀借り入れ依存度の低下がその担保にたっている都銀所有の債券を引き出すことになる。こういう状況の下では、公社債流通市場の形成と金利の自律的調整機能の確保への基盤かつくられつつあることになる。その場合でも、前に述べた中小金融機関の資金コスト軽減の問題が残されていることを見逃がしてはならない。
こうして、今後の日本経済では、確立した公社債市場での市場利子率の自律的変動によって、民間及び政府投資が調整されることが、循環をある程度ならした「持続的成長」の必要条件となろう。そういう意味で、金利メカニズムが今後重要性を増すであろう。
第2の問題は、今日の企業の不況抵抗力の低下と金融政策の有効性との関連である。36年までの投資の急成長(実物投資金融)とそれ以降の供給圧力増大からくる企業間信用の増大(生産物金融)等は、大量の株式発行にもかかわらず、企業の自己資本比率を30年代を通して低下させてきた。オーバー・ボローイングは、一方では高度成長を可能にしたが、他方では自己資本比率の悪化から不況抵抗力を弱めた(当庁調査局「経済月報」41年1月号、金融の項参照)。
自己資本比率の低下は、利潤率と利子率の動きいかんで、自己資本利益率を急激に変動させる。その結果、投資の大きな変動を引き起こしやすくなる。これは持続的成長にとってはマイナスの要因となる。
また、自己資本比率の悪化は不況抵抗力を低下させるから、いったん不況が訪れると、不況の累積的悪化と企業心理の大きな動揺は免れない。これも持続的成長にとってマイナスだ。
こうした不況抵抗力の低下は、また、金融政策の弾力的運用をも妨げる。オーバー・ボローイングやオーバー・ローンは金融政策の有効性を高めるかにみえるが、企業の不況抵抗力が極端に低いと、有効性の発揮は不況激化につながる。こういう場合は、金融政策の有効性は可能性としては強いが、現実性は弱いことになる。
もっとも、これまで金融政策は引き締めの効果も、緩和の効果も大きく発揮することができた。それは、結局、有効需要が強く、企業の期待利潤率が常に利子率を上回る高いところにあったので、投資を制限する要素は利用可能な資金だけだったからである。金融を緩和しさえすれば投資と景気が回復するということになると、金融政策の有効性(現実性)が発揮しやすくなる。これが過去の姿であった。
今後は、オーバー・ボロイングのままで、金融政策の有効性が発揮されると、利潤が低下しているおりから、引き締めが不況の激化につながりやすく、金融政策の有効性の現実性は弱まるおそれがある。
それゆえに、金融政策が今後有効性を発揮するとすれば、それは好況をぎりぎりまでひきのはしたあとで引き締めることではなく、前向きの予防的金融政策としてきめ細かく有効性を発揮することになっていこう。それは、また、金利機能の自由化と密接な関係を持っているのである。
第3の問題は、国内金利と国際金利との関係である。周知のように、オーバーボローイングが企業の金融費用を著しく高め(粗付加価値に占める金融費用のウェイトは、30年の10%・→40年18%)、しかも最近では、既に述べたように、利潤率の急激な低下から、利潤率と利子率は38年以降極めて接近することになった。ここから利子率軽減の要請がでており、貸出金利等の引き下げが必要であるが、金利水準を低下させることは、今日の世界経済の下では、日本の資本収支を悪化させ、金・外貨準備の減少につながりやすい。なお、国内的にも、預金金利の低下は消費者物価上昇との関係から、問題であろう。