昭和41年
年次経済報告
持続的成長への道
経済企画庁
≪ 附属資料 ≫
昭和40年度の日本経済
貿易
国際収支
40年度の国際収支は、輸出の好調を主因に急速な改善を示した。 まずこの間の国際収支の推移を概観してみよう。
39年度に輸出の急増から106百万ドルの黒字を出した総合収支は、40年度にさらに323百万ドルも改善して429百万ドルの大幅黒字となった。 39年度に比べ、貿易外と移転収支が悪化したほか、長期及び短期資本(金融勘定に属するものを除く)収支も赤字に転化したのに、このような改善を示したのはもっぱら貿易収支の改善によるものであった。
貿易収支(季節修正値)は39年4〜6月に黒字に転じ、以後急速に黒字幅を拡大した。 この出超幅拡大は第1-1図にみられるようにほとんど輸出の拡大によってもたらされた。 輸出の動きを四半期別に前年同期比でみると、39年10〜12月の30.7%増、40年1〜3月37.6%増に続き、4〜6月にも30.8%増と急膨張を続け、7〜9月26.7%増、10〜12月8.9%増、41年1〜3月14.2%増と、10月以降増勢がかなり鈍化したとはいえ、40年度としては好調な39年度をさらに19.3%上回った。 これに対し、輸入は輸入関連産業の根強い生産上昇、食料輸入の増加、輸入価格の上昇等もあって底がたい動きをみせ、ほぼ前期並の水準だった40年1〜3月から4〜6月には1.8%増、7〜9月3.7%増、10〜12月1.3%増、41年1〜3月4.0%増と、41年にはいるとやや増勢を強め、年度全体としては39年度を2.7%上回った。
この結果、40年度の貿易収支尻は前年度の黒字幅871百万ドルを大きく上回り、2,094百万ドルの大幅黒字となった。
32年以来赤字を続けている貿易外収支については、39年度に赤字幅拡大のスピードがやや鈍ったが、40年度は運輸収支の悪化を主因にして再び赤字幅の拡大テンポを速め、前年度より183百万ドル悪化して942百万ドルの赤字となった。 運輸収支の悪化はソ連、中共、インド等の穀物の大量買い付け、ベトナム紛争の拡大、40年6〜8月のアメリカの海員スト等によって引き起こされた海上運賃の上昇及び40年11月〜41年1月の海員ストによるところが大きい。 受取においては輸出量の伸びに船舶拡充が追いつかなかったため邦船積み取り比率が大幅に悪化し、受取の伸びは比較的小さかった。 これに対し支払いでは輸入が景気の不振を反映して落ち着いていたことと、タンカー及び専用船の増強による邦船積み取り比率の向上がみられたが、輸送量の増加と運賃の上昇により支払い額は大幅に増加した。 このほか外国用船の増加と用船料の上昇により用船料の支払いが大幅に増加した。
一方、ドル防衛の強化によって減少傾向をたどってきた特需収入は、ベトナム動乱の影響から増加したとみられる。 また投資収益は延べ払輸出信用供与残高の増加や海外投資の増加によって受取が増えてきているのに対し、支払いは景気不振等によって増勢が鈍ったため改善を示した。 しかしこれら収支の改善も運輸収支の悪化をカバーするにはほど遠かった。
移転収支は受取が減ったのに対し、支払いが賠償の進ちょく等によって増加し、39年度より12百万ドル悪化して95百万ドルの赤字となった。
このように、貿易外、移転収支とも赤字幅を拡大したが、経常収支は第1-2図にみられるように貿易収支と歩調を合わせて改善を示し、40年度としては前年度より1,029百万ドルも改善して1,057百万ドルの黒字を実現した。
一方、長期資本は外国資本(負債)が30百万ドルの純流出となっただけでなく、本邦資本(資産)も511百万ドルの純流出となったため、近年の黒字傾向から一転して541百万ドルの赤字となった。 本邦資本の純流出は本邦企業の海外進出意欲の高まりや低開発国援助増大、輸出構造の重化学工業化等によって、海外投資、円借款供与額等が増えてきているためである。
これに対し、外資はアメリカのドル防衛策強化の影響やアメリカの好況持続、西ドイツの景気過熱化等によって借り入れ条件が悪化したことと、国内企業の資金需要の沈滞によって借入金の導入が大幅に減ったばかりでなく、利子平衡税の免除枠1億ドルの外債も消化しきれなかった。 一方、38年後半から急増した償還期限3年以下の借入金のうち返済期限に達するものが増えてきたのも外資の細流出を促進した。
なお、短期資本収支(金融勘定に属するものを除く)は、前年度の53百万ドルの黒字から82百万ドル悪化して29百万ドルの赤字となった。
以上のように貿易外及び移転収支の悪化、長期及び短期資本収支の赤字化がみられたものの、貿易収支の好調は十分にこれをカバーし、総合収支は429百万ドルの大幅黒字となった。
このように総合収支で大幅黒字を実現できたが、40年度末の外貨準備は2、109百万ドルと、年間56百万ドルの増加に留まった。 これは主として、輸出の急増によって輸出ユーザンスが大幅に増えたのに対し、輸入の落ち着きによって輸入ユーザンスが微増に留まったためである。 このようにして外貨準備は40年度にあまり増えなかったが、為銀部門の対外支払いポジションの改善がみられた。
輸出
好調だった輸出
40年度の輸出(通関ベース)は前年度より21.4%増加し、過去10年間(29〜39年度)の成長率13.7%をかなり上回って8,726百万ドルとなった。
40年度は世界全体としても貿易が好調に伸びた年で、世界(共産圏、インドネシアを除く)の輸出は過去10年間の成長率6.3%をかなり上回る9.6%程度の伸びを示した。 従って日本の輸出は世界の2.2倍の伸びであった。 40年度は欧米諸国の輸出の伸びも概して高く、イタリア15.5%、フランス11.4%、アメリカ11.1%、イギリス11.0%、カナダ9.1%の増加であったが、いずれも日本の伸びには及ばなかった。
品目別には、第1─3表に示したように、化学製品が35.4%増、機械27.1%増、金属及び同製品が30.4%増と重化学工業品の伸びが高く、いずれも最近5年間の平均増加率(化学製品21.2%、機械19.5%、金属及び同製品23.9%)を上回った。 これに対し、39年度に最近の停滞をうちやぶって16.4%の伸びを示した軽工業品が、綿織物やスフ織物等の減少によって伸び悩み、前年度比10.7%増に留まった。 この結果、重化学工業品の輸出増加寄与率は39年度の74.8%をさらに上回る79.7%に達したのに対し、軽工業品は前年度の21.3%をかなり下回る16.3%に留まった。
仕向地別には第1─4表にみられるように、韓国、琉球、台湾向けの40.5%増、EEC向け35.5%増、アメリカ向け32.7%増、共産圏向け23.0%増等が全地域向け平均を上回る増加率を示した。 東南アジア向けは前年度比12.3%増と最近4年間の平均増加率8.6%を上回ったものの、39年度の伸び(15.9%)をやや下回った。 このほか、ラテンアメリカ向けが1.6%減、前年度に46.5%も伸びた先進1次産品輸出国(オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ共和国)向けが17.1%増に、アフリカ向けが39年度の42.8%増から11.1%増に伸びを鈍らせたのが目立った。 このように、先進地域向けはアメリカやEEC向け等の好調によって前年度比28.1%増と39年度の28.4%増とほぼ同じ伸び率を維持したのに対し、低開発地域向けは前年度の24.2%増から14.0%増へ著しく伸びを鈍らせた。 この結果、仕向地別の輸出増加寄与率はアメリカが実に42.0%にも達し、前年度の28.0%を大きく上回ったのを中心に、先進地域が39年度の50.1%から64.0%に上昇した。 これに対し、低開発地域は韓国、琉球、台湾向けが3.0%から11.3%に上昇したのを除けばいずれも低下し、東南アジアも12.9%から11.6%へわずかながら下がる等、低開発地域全体としては40.9%から29.6%へ大幅な低下をみせた。 共産圏向けは中国向けが6.1%と前年度とほぼ同じ寄与率を維持したが、ソ連向けの不振から共産圏全体としては、前年度の9.0%から6.2%に下がった。
こうした輸出の動きを第1─5表によって商品別・地域別に概観すると、鉄鋼はEECを除く先進地域共産向けの伸びが大きい。 機械は北アメリカ、EEC向けの伸びが大きく、また自動車は先進1次産品輸出国を除けは著増した。 化学製品はEEC、共産圏向けの伸びが著しい、軽工業品では合成繊維織物の北アメリカ向け好調が目立った。
輸出好調の要因
輸出好調の要因としては、(1)海外の輸入需要の好調な伸び、(2)国内の景気不振による輸出圧力の増大、(3)日本の価格競争力の強化、(4)輸出商品構造の高度化等をあげることができよう。
海外需要の好調
40年の世界景気は引き続くポンド不安、西ドイツ、オーストラリア等の景気過熱化等の問題があったが、一方では、アメリカの力強い上昇、イタリア、フランス等の景気回復があり、39年ほどではなかったが順調な経済の拡大がみられた。 アメリカの工業生産は40年に最近5年間の平均増加率4.7%を上回ったばかりでなく、前年の増加率7%をも上回る8%の上昇率を示した。 これに対し西欧では西ドイツやイギリス等の増勢鈍化によって前年の7%増から4%増に低下した。 このため日本を除くOECD諸国の生産上昇率も前年の7%から40年には6%台に低下したが、最近5年間の平均増加率5.2%を上回っていた。 これらの工業生産の動きを反映して、日本を除くOECD諸国の輸入も前年の12.1%増には及ばなかったが、最近5年間の平均増加率8.6%をやや上回る9.2%増となった。
一方、1次産品輸出国からの輸出は、銅、すず等非鉄金属の需給ひっ迫によって金属関係の価格は上昇したが、農産物関係の価格低下によって輸出全体の価格が低下し、数量も前年に比べてかなり増加率が落ちた。 これは1次産品の自給度が高いアメリカの経済拡大が加速されたのに対し、1次産品に対する輸入依存度の高い西欧や日本で上昇率が鈍ったためである。 このため低開発諸国の輸入も、第1─6表にみられるように概して不振に陥り、ほとんどの地域で39年のみならず過去10年間の平均増加率をかなり下回った。
また近年輸入増加の著しい先進1次産品輸出国は輸出の不振による国際収支の悪化、労働力不足等による国内景気の過熱から引締政策を実施したため、年末には輸入が減少するに至り、年間としてもかなり輸入増加率が下がった。
このように、先進諸国の経済拡大率の鈍化によって、世界の輸入は引き続き好調だったとはいえその増加率は39年を下回った。 しかし、西欧を中心としてみられた成長率の鈍化は、その原因が供給面のあい路にあったため、工業製品の世界貿易量の伸びは39年に比べてもあまり鈍化しなかったとみられる。 しかも、我が国にとって重要な輸出市場であるアメリカの力強い経済拡大や、韓国、台湾における近年の順調な経済発展やベトナム紛争の拡大等が我が国の輸出好調持続の支えとなったとみられる。
また、景気の山から谷、さらに谷から5ヶ月以後までの世界の輸入の伸びをみると、32年6月〜33年11月が0.3%減、36年12月〜38年3月が4.2%増だったのに対し、39年10月〜40年3月は9.6%増となっている。 これまでの景気後退期から回復期にかけての経験に比べ、今回が海外の需要面てはるかに恵まれていたことが分かる。
輸出圧力の増大
40年度上期の輸出増加率は前年同期比で31.3%増と、前期に続いて30%以上の著増を示した。 これは39年中ごろから強まってきた輸出圧力が40年度にはいって一段と強化されたことを示唆している。
輸出圧力は39年4〜6月ごろから強まってきたとみられるが、製造業の生産(季節修正値)の動きを前期比でみると、39年4〜6月2.8%増、7〜9月2.6%増、10〜12月2.3%増、40年1〜3月0.8%増、4〜6月0.3%減、7〜9月0.9%増、10〜12月横ばいとなった後、41年1〜3月にやや増加を示した。 これに対し、生産能力は同じく3.1%増、2.8%増、39年10〜12月から40年4〜6月までそれぞれ1.9%増、7〜9月3.3%増、10〜12月0.6%増、41年1〜3月1.1%増と着実に伸びた。 このため稼動率も生産の季節性を考慮すると39年中は緩やかに、40年中はやや速度を増して低下したとみられ、これが輸出圧力の増大となって働いた。 これまでの景気後退期に比べ輸出圧力のかかり方は、やや緩やかであったが、一番長期に渡っていたとみられる。
価格競争力の強化
我が国の価格競争力は40年に強化されたが、価格競争力を支えるコスト面、特に労働費用は第1─7表にみられるように、主要工業国に対して幾分悪化したとみられる。 これは景気不振による操業度の低下から労働生産性が4.7%増という近年にない低い伸びに留まったのに対し、賃金が9.1%と高い伸びを維持したためである。 一方、海外の主要工業国では近年アメリカの賃金が安定しており、労働費用がやや低下気味になっていることや、40年の場合、イタリアやフランスの賃金が比較的落ち着いていたため、労働費用の面で我が国が不利になったとみられ、40年における輸出価格の低下は利潤圧縮による面がかなりあったとみられる。
このようにコスト面ではやや不利化したとみられるが、輸出圧力の増大もあって輸出価格は低下した。 しかし第1-3図にみられるように、輸出価格は過去の景気後退期に比べて底がたい動きを示している。 これは同図にみられるように、西ドイツ等のコスト・インフレ、アメリカの盛んな国内需要によって主要工業国の工業製品価格がやや値上がりを示しているほか、世界の輸入需要もこれまでの景気後退期に比べて最も高い伸びを示したためである。 このようにして40年度の我が国の輸出は価格を比較的下げないで価格競争力を高めることができたといえよう。
輸出構造の高度化
我が国の輸出商品造の推移をみると、3年には世界の需要の伸びが高い重化学工業品(30〜39年におけるスイス、スペインを除くOECD加盟国の輸出増加率は重化学工業品が軽工業品の1.3倍)の割合が38%に留まっていたのに対し、軽工業品の比重は49%に達していた。 しかし34年になると重化学工業品の比重が45%に上昇し、43%に低下した軽工業品の比重を凌駕した。 さらに38年には重化学工業品が54%と5割のラインを越すようになり、海外需要の波にのりやすい体質ができあがった。 このような体質改善の成功は、重化学工業品を中心とする盛んな設備投資が行われ、第1-4図、第1-5図にみられるように、機械や化学工業で高い労働生産性ないし原料生産性の伸びが実現されてきたためである。 重化学工業品の比重は40年度に62%に達し、輸出構造の高度化が着実に進んでいることが分かる。
下期の輸出増勢鈍化
40年度下期の輸出は前年同期比13.0%増と39年度下期から40年度上期にかけての急上昇に比べればかなり増勢が鈍化した。
この鈍化の概要を第1─8表によって商品別ないし地域別にみると、ほぼ全般的に下期の伸びが上期のそれを下回っていることが分かる。 商品別には輸出規模の大きい鉄鋼、船舶の増勢鈍化が全体の伸びを抑えたし、地域別にはアフリカ、先進1次産品輸出国で減少、アメリカ、東南アジア等で増加率の低下がみられた。
このような輸出の増勢鈍化は種々の要因がからまって起こったといえよう。 すなわち、海外面の要因としては、例えば鉄鋼の場合、アメリカにおいて鉄鋼ストの回避から下期は備蓄在庫の調整期となり、我が国からの鉄鋼輸出をやや頭打ちにさせたとみられる。 また年央以来ナイジェリアやケニア等のアフリカ諸国が対日輸入制限を強化したし、東南アジアでは印パ紛争、インドネシアの政情不安等による経済情勢の悪化や輸出の不振がその輸入力の伸びを頭打ちにさせた等の諸事情がみられる。 一方、国内面では不況への突入と共にスピードアップされた価格競争力や輸出圧力の増加スピードが徐々に鈍ってきた。 船舶の場合はむしろ生産能力の限界が増勢鈍化の原因と思われる。 このほか、我が国企業による輸出秩序確立への意欲の高まり等も下期の増勢を鈍化させたと思われる。
輸入
不況下での輸入の堅調
昭和40年度の輸入通関額は8,417百万ドルで、前年度に比べ6.3%という、景気後退期としては高い増加率を示した。 第1-6図の示すように、過去の景気後退期には鉱工業生産の増勢が鈍り、あるいは微落に転ずるにつれて、輸入素原材料の在庫減らしを中心とした輸入圧縮が行われたが、今回は鉱工業生産の停滞が輸入の減少をもたらさなかった点が際立った特色となっている。 輸入を底支えしたものは第1-9表の示す通り、前年度よりさらに増加率を高めた素原材料と食料品であり、この両者の増加分は資本財や製品原材料の大幅な減少を補ってなおあまりあるものであった。 さらに輸入価格が、砂糖を中心とした食料品の大幅下落にもかかわらず、非鉄金属や機械類の上昇から前年度比1.2%の上昇となったことも輸入堅調の一因であった。
国民総生産に対する輸入依存度の推移をみると第1-7図の通りで、40年は名目では下がっているもののこれは国内の物価上昇が輸入価格の上昇を上回ったためで、実質ではほぼ横ばいとなっており、大幅な低下をみせている過去の景気後退の年、33年、37年と著しい相違をみせている。
素原材料輸入の増加
これまで、素原材料の輸入は景気後退期には生産の増勢鈍化に伴う素原材料消費の伸びの鈍化と、さらに素原材料の輸入を手控えて在庫を取り崩すという一連の動きによって大きく減少し好況期にはそれに先立つ景気後退期における在庫取り崩し分の補てん、さらに積み増しが行われ、急増するという大幅な変動を繰り返し、しかも全輸入額に占めるウェイトが約半分にも及んでいるため、素原材料輸入の変動が輸入全体の動きを左右してきた。 40年度の素原材料の輸入は9.5%の増加となり、輸入全体の増加に対する寄与率は72%に達している。
ではこれまでの景気後退期にはみられなかった素原材料輸入の増加が今回はなぜ起こったのであろうか。
その理由の第1は、生産財関運の製造業の生産が堅調で、輸入素原材料に対する需要が強かったためである。 第1-6図及び第1-8図をみると、今回の景気後退期には、過去2回とほぼ同程度の鉱工業生産の停滞がみられるものの、輸入素原材料の消費は、過去2回の景気後退期には、大幅な減少を示しているのに反し、今回は増加基調を続けるという著しい相違が認められる。 これは、輸入素原材料が機械工業や各種2次製品製造業ではほとんど消費やされず、大体生産財関連の製造業に集中しており、しかも40年度には生産の停滞は主に機械工業や、そのほかの最終需要財関連の製造業に顕著で、生産財関連の製造業の生産は、鉄鋼1次製品が輸出の好調、石油製品が内需の堅調に支えられる事、増勢を保ったためであろう。 業種別の生産の動きを、輸入素原材料の消費ウェイトで合成したのが第1-9図であるが、その場合の生産の伸びは石油製品、鉄鋼1次製品、及び紡績業等の好調を反映して9.2%に達し、鉱工業生産指数の伸び3.3%を大幅に上回っている。
これが景気後退期にもかかわらず輸入素原材料の消費、ひいては輸入を堅調に推移させた主因であろう。
第2は、あまり大幅な輸入素原材料の在庫取り崩しが行われず、概して消費量と輸入量とはパラレルに動いたためである。 第1-8図をみると、前回の景気後退期には消費量の減少を上回る在庫量の大幅な減少が起こり、その後の景気上昇期にも在庫量の回復は消費量に比べ、相対的に低位に留まり、そのため在庫率はほぼ一貫して低下を続け、前回の景気の谷から、今回の景気の山に至る2年あまりの間に24.5ポイントに及ぶ在庫率指数の低下があったことが読みとれる。 このことは、今回の景気後退の始まった時点で既に輸入素原材料の在庫圧縮の余地が少なかったことを意味しており、景気後退期を通じて消費量の増加分に見合う輸入の増加が必要であった。 40年度の輸入素原材料の消費の対前年度増加率が8.6%であるのに対し、輸入の増加率(名目値)も9.5%と、ほぼ相等しい。
米を中心とする食料品輸入の急増
食料品及びそのほかの直接消費財の輸入は、第1-9表の通り、輸入全体の増加に対する寄与率は46%に及んだ。 輸入全体に占める食料品のウェイトは、30年代前半は一貫して低下を続けたが、36年度の11.6%を底に、37年度13.7%、38年度17.0%、39年度17.2%と上昇し、40年度には18.3%に達した。 その中で米の輸入はこれまでごくわずかであったものの、37年ごろより加速度的に急増しているのが目立つ。
第1-10図は米の輸入比率の変動をみたものであるが、35年まで米の作付け面積とヘクタール当たり収穫量は着実に増加したため、国内産出高は増勢をたどり、逆に輸入量は減少して輸入比率も年々低下しているが、作付け面積は35年を、へクタール当たり収穫量は、37年をピークに下降に転じたため、国内産出高も37年以降減少を続け、その反面輸入は37年から大幅な増加となり、特に、39、40の両年には前年比倍増となっている。 その結果36年には米の総供給に占める輸入分の割合は1%に過ぎなかったのが、40年には7%を超えるまでになった。
このように国内産出高の絶対数量の減少が起こったのは労働力の非農業への継続的流出による農業労働力の質、暈両面に渡る低下ということや、水田の工場敷地・住宅地化による作付け面積の減少等構造的要因に根ざしており、一方米に対する需要は今後の人口増加等を加味すると強含みに推移すると考えられるので、米はこれからの輸入増加要因の焦点のひとつとなろう。
著減した資本財輸入
38年度以降伸びが鈍った資本財の輸入は40年度には13.7%の大幅な減少に転じ、37、38両年度をも下回るに至った。
減少に転じた原因としてはまず第1に、国内の設備投資の沈静化が挙げられる。
第1-11図は資本財輸入と設備投資の関係を示したものであるが、両者の動きはほぼパラレルであり、とりわけ機械装置に対する投資額とは全くよく似た動きとなっている。 設備投資の減少による機械に対する需要の比例的減少のほかに、国内機械メーカーの受注手持ち月数の減少が納期の短縮をもたらし、一層輸入需要を沈静させたと考えられる。
第2に、国内の機械工業の技術進歩により、これまで輸入に依存していた機種の国内調達が可能になったことが挙げられる。 第1-12図は機械の輸出入依存度を示したものであるが、28年には輸入依存度が輸出依存度を上回っていたのが以後逆転し、37年以降両者のかい離はますます広がり、40年には輸出依存度は15%に達したのに反し、輸入は2%にまで落ち込んでいる。また主要な機械についてその輸出入動向をみると第1-10表の通りで、これまでの輸出超過商品の輸出超過幅拡大、もしくは原動機のごとき輸入超過商品の輸出超過への成長等が伺われる。これらはいずれも我が国の機械工業の技術進歩のあとを物語っており、今後輸出比率は一層向上し、輸入比率は当面相対的に低位に留まると思われる。
製造業稼動率低下に伴う製品原材料の輸入減少
素原材料の輸入増加に反して製品原材料の輸入は前年度を12.4%下回った。 輸入製品原材料の主なものは各種化学工業製品及び鉄鋼、非鉄金属であるがこれらな国内の当該産業の稼動率が上がっている時、限界的に輸入される性格を持つ。 第1-13図をみても、鉱工業生産と製品原材料消費の伸びは33年以降ほぼパラレルに動いているが、鉱工業生産と輸入製品原材料消費の比率は稼動率指数の動きと全く酷似しており、さらに興味深いことに、稼動率の上昇がほぼ同程度であった32、36、38年の3時点を比較すると、稼動率の水準の高い時ほど、輸入製品原材料消費の伸びが生産の伸びを大幅に上回っていることからも、製品原材料の輸入が非常に限界的な性格を持っていることが分かる。
このように40年度の製品原材料の輸入の減少は国内製造業の稼動率低下によって説明される部分が大きかったと推測される。
資本収支
大幅な赤字となった長期資本収支
長期資本収支は黒字幅が38年度をピークとして39年度には減少に転じ、40年度について赤字となった。 しかも長期資本収支に影響を与える国内要因と海外要因とが共に赤字化促進要因として働き、その赤字幅を大きくした。
40年1月に金融引締政策が解除されたものの、景気回復はその後なかなか進まず企業の資金需要は40年度中を通じてずっと落ち着いたままであった。 このことは企業の投資意欲が弱かったことと共に、39年ごろからは企業の自己資金が大きく高まっており、そのことが外部資金に対する依存の度合いを減少させたことの結果でもあった。 このような企業の資金需要の減退が、長期資本収支を赤字にさせた国内要因として最も基本的なものであった(第1-14図参照)。
海外要因としては、第1にアメリカのドル防衛の影響をあげることができる。 40年2月アメリカは金利平衡税の適用範囲を拡大すると共に(いわゆるゴア修正条項により期間1年以上3年未満の銀行対外貸し付けにも課税するようになった)、銀行に対して1965年末の対外与信残高を前年末残高の5%増以内に抑制するように要請した。 その結果、65年中の銀行貸し付けは急減したが、銀行貸し付けに対する依存度の大きかった日本は、アメリカからの外資導入の総額が急減するほどの大きな影響を受けた。
第2にアメリカ国内の景気上昇と共に金融市場が著しくひっ迫したこともアメリカからの外資導入を困難なものにした。 このことは、65年末におけるアメリカの銀行の対外与信残高が105%の自主規制限度枠に対して大幅な余裕を残していたことや、66年3月に発行を企図した第5回電電債(15百万ドル)の発行を延期せざるを得なかったこととなって現れた。
一方、39年度に大きく増加したヨーロッパからの外資導入も40年度には急減した。 これは、ドル防衛の強化に伴い在欧の米系企業が現地での資金調達に努めたことや、金融引き締まりに伴う西ドイツ債券市場の混乱等の結果であった。
次に外資導入額を認可ベースでみると、38年度から39年度にかけて伸びが鈍化したあとを受けて40年度は大きく減少した。 40年度に急減したのは、項目別にみると貸し付け金の導入額が大きく減ったからであった。 これまでの外資導入においては、貸し付け金の占める割合が圧倒的に大きかった。ところが40年2月におけるアメリカのドル防衛強化措置が銀行の対外貸し付けに対する規制を中心として行われたために、その影響が日本に対して特に大きかったことは前述した通りである。 またヨーロッパからの貸し付け金導入額は39年度に急増してその年の貸し付け金導入額全体の前年度に対する増加分の50%以上をまかなったが、40年度には大きく減少して35年度以前の水準に戻った。
貸し付け金の期間別内訳の推移をみると、38年度上期に米国市中銀行からの借り入れが急増したことに伴い3年物が大きく増加したが、38年7月の金利平衡税提案により、下期からはそのうえに2年11ヶ月物を中心とした3年未満の貸し付け金が加わった。 そして39年度下期まではそれらの3年以下の貸し付け金(3年物及び3年未満の物)が高水準のまま続いたが、40年2月のゴア修正条項の発動により、40年度はそれらが急減したのである。一方、これらの返済が既に39年度上期から始まっており、借入金返済額はその後急激に増加してきたが、ここしばらくはそれらの返済が高水準を続けるものと予想される。
外資導入認可額を減少させた第2の要因である外債発行状況をみると、40年度は39年度とは全く対称的であった。 すなわち、39年度はアメリカにおける外債発行は金利平衡税の提案により皆無となった一方、ヨーロッパにおける発行が急増したため、38年度に比較してそれほど減少しなかった。 ところが40年度は前述のように在欧の米系企業が現地での資金調達に努めたことや西ドイツ債券市場の混乱等によってヨーロッパにおける日本の外債発行は皆無となった一方、アメリカにおいては国債及び政府保証債に限り年1億ドルの免税枠が与えられた。 しかしながら、アメリカにおいても起債ラッシュと金融の引き締まりのために免税枠の全額を消化することができず、6,250万ドル発行したに過ぎなかった。
第3に、証券取得認可額は39年度に引き続き低水準のままであった。 これは市場経由の株式投資や米国預託証券(ADR)の発行が37、38年度をピークとしてその後減少したためである。 経営参加の株式投資は40年度にこれまでの最高を記録したものの、貸し付け金等に比較して未だそれほど大きな金額とはなっていない。
認可ベースでみた経営参加の株式取得額は39年度に比較して40年度は増加したけれども、一方IMF方式でみた外国資本の直接投資の純流入額は逆に減少した。 これは主として外国系の在日子会社の親会社に対する借入金返済が増加したことの結果であった。 また第1-15図のアメリカの長期民間資本の流出状況をみると、日本を除く全地域向けでは、もともと直接投資の比重が大きく銀行貸し付けの比重が小さいうえに、1965年は銀行貸し付けの減少を直接投資の増大が完全に補い、そのために合計額でも64年に比較してわずかながら増大している。 ところが日本向けの流出状況をみると、もともと直接投資の比重は銀行貸し付けの比重に比較して小さいうえに、その額は65年に銀行貸し付けが減少したのと同じように減少している。 従って、65年におけるアメリカのドル防衛の強化が銀行貸し付けの抑制を中心に行われたために、それの影響が特に日本に対しては大きかったと同時に、他方諸外国に対しては65年にさらに増大したアメリカの直接投資が日本に対しては(在日子会社の親会社に対する借入金返済を主因に)逆に減少したことから分かるように日本国内の資金需要も相対的に弱かったのだということができる。
これまでは外国資本の流入(と流出)の状況を主として認可ベースの統計によりみてきたわけであるが、他方で我が国は外国に対して信用を供与している。 そして、それは37年度以降一貫して増加し続け、40年度には511百万ドル(IMF方式)に達した。低開発国に対する援助を拡大しなければならないことや、我が国の輸出構造の重化学工業化に伴う延べ払信用の増大の必要性を考えると、これからも本邦資本の純流出額は増加し続けることが予想されよう。 そしてこれまでに外国資本の純流入額が511百万ドルを超えたのは38年度だけであることを考えると、長期資本収支を黒字にすることはかなり困難なことといわなければならない。
短期資本収支(金融勘定に属するものを除く)も、40年度はインパクト・ローンの返済を主因として赤字となった。
改善著しい為銀部門の対外ポジション
つぎに金融勘定に属する短期資本の動きをみよう。 金融勘定は為銀部門と公的部門とに分けられる。 そして公的部門の中に外貨準備が含まれている(本報告第25図は金融勘定を外貨準備とその他とに分けている)。 金融勘定に属する短期資本の動きはほとんど大部分が為銀部門を通じるものである。 そこで外国為替公認籤行の対外短期資産負債残高の40年度中の推移をみると次のことが分かる。 (1)資産面では輸出好調を反映して輸出ユーザンス等の対外信用供与残高が大きく増加した。 (2)これに対して負債面をみると輸入の落ち着きのために輸入ユーザンス等の貿易関連借り入れは落ち着いていた。 (3)輸入ユーザンス等を除いた外貨建負債は40年度中わずかながら増加したのに対して、自由円預金の流出のために邦貨建負債は大きく減少した。
(1)と(2)の要因に基づく短期資本の流出は我が国の輸出入の動きの反映として当然のことであった。 しかしながら、第1-18図に示されるように内外金利差は40年度中ほとんど一貫して縮小してきており、そのことが、41年に入って輸入ユーザンス等の動きに影響を与えたことがうかかわれる。 第1-19図に示されるように、40年末までは輸入ユーザンス等と輸入通関額とはたいたい平行して動いてきた。 ところが41年に入ると季節的要因も加わって輸入はかなり増加したのに対して、輸入ユーザンス等はわずかなから減少した。 このようなかい離は内外金利差の縮小ないいま逆転の影響がある程度あったものと思われる。
内外金利差の縮小ないしは逆転が最も大きく影響したのは邦貨建負債に対してであった。 これは自由円預金として為替銀行に預けられていたものが引き上げられた結果であると思われる。 他方、輸入ユーザンス等を除いた外貨建負債は40年度中わずかながら増加した。 これは、ロンドンのユーロ・ドル市場からの借り入れが堅調であったことがアメリカ等そのほかの地域からの借り入れの減少を補った結果であると思われる。
第1-20図 ロンドンにおけるユーロ・ダラー市場の資金量と日本の取り入れ量の推移
最近約3年間のロンドンのユーロ・ドル市場からの日本の取り入れ量の動きをみると、それは第1に市場全体の資金量の大きさに依存し、第2に我が国の国内の資金需給のひっ迫度に依存している。 そして影響を与える度合いとしては前者の方が圧倒的に大きかった。 このような動きを示した背景として次の点をあげることができる。 第1に、ユーロ・ドルの取り手である我が国の事情としては、ユーロ・ドルに過度に依存することを避けるため取り入れがある程度規制されてきたので、たとえ国内の資金需給がいかにひっ迫してもより高い金利を付してより多額の導入を計ることが困難であったということをあげることができる。 その結果、こんどは逆に内外金利差が接近してきてもそれが逆転しない限りは取り入れ意欲を大きく減退させるものではなかった。 第2に、ユーロ・ドルの出し手としては、これが実質的に無担保の貸し出しであるために危険分散を考えて、たとえある国の取り入れ意欲が強くてもその国に対して集中的に預けることをきらう傾向があった。 その結果、資金量全体に占める我が国の取り入れ量のシェアはかなり安定的であった。 以上のような事情の結果、40年度における我が国のユーロ・ドル取り入れ量は、資金量全体の増加を背景に、内外金利差の接近にもかかわらず堅調に推移したものと思われる。 また、先にヨーロッパの外債市場においては米系企業の進出が非常に大きな影響を与えたことを述べたが、短期ユーロ・ドル市場に対しては65年中アメリカが長期市場におけるほどは急激な進出を企てなかったことも我が国にとって有利であった。
以上の結果、為替銀行の対外資金ポジションは大きく改善し、そのために総合収支尻は40年度中429百万ドルの黒字にもかかわらず、外貨準備は56百万ドルの増加に留まったのである。