昭和41年
年次経済報告
持続的成長への道
経済企画庁
持続的成長への道
持続的成長のための諸政策
財政政策の新展開
経済の中には、自由に放任しておいても、バランスがとれた成長ができるような、自動調節装置が取り付けられているわけではない。 発展に伴って、需要と供給のギャップ、民間経済の発達に比べた社会資本の遅れ、所得分配の不平等等が起こるおそれがある。 こうした点を調整していくために、財政が負担しなければならない仕事は多い。
このような事情から、欧米諸国では、国民経済に占める財政の比重は非常に大きくなっている。 国民総生産に対する財政支出の割合をみると第118表の通りで、経常支出だけでも最高のフランスでは31%、最低のカナダ、ベルギ1つで23%となっている。 日本の比率は、これら国よりもずっと低く13%、固定投資支出を加えても2割に達していない。経常支出が低いのは、防衛費支出が小さいこともあるが、年金の支給がまだ本格化しておらず、また、保険料の水準が低いため社会保障費が少ないので、移転的支出が小さいことが大きな原因になっている。 国際的に比較してみると日本の財政は、経常収入、経常支出とも小さく、政府の貯蓄率や財政バランスの黒字が大きかったという点特徴があった。 そのために、日本は昭和22年の財政法制定以後均衡財政の方針を維持することができた。 しかし、第119表にみられるように、日本の財政もだんだん移転支出が高まり、政府の粗投資の比率も増大して、財政の投資超過が拡大してきている。 これは財政の役割が増大してきたためであり、そのため昭和40年にこれまでの均衡財政の方針を転換して国債の発行に踏み切ることになった。
国債の発行を必要とするようになった具体的な事情として、次の3点をあげることができる。
第1は、政府支出の増大を不可避とする理由があったことである。 そのうちでも特に社会資本と社会保障の充実への要請が高まっている。 経済の成長に伴って民間設備投資の伸びが大きく、民間資本と社会資本のアンバランスが激しくなっていった。 また社会保障の水準も低くこれも高めていかなくてはならない。 30年代の一般会計支出の伸び率をみると、第102図の通りで、社会保障費、公共事業関係費とも年率18%で、国民総生産や一般会計の平均増加率よりも高かった。
しかし、民間設備投資が活発であったので、前掲第85図に示したように、民間資本に対する社会資本の比率は低下を続け道路、港湾、生活環境施設等の立ち遅れが目立つようになっている。 民間設備投資の急成長は30年代の日本経済の成長のエンジンであったが、今後は社会資本の立ち遅れを取り戻し、バランスを回復していかないと、経済の着実な成長が困難であろう。 産業基盤の拡充や、生活環境の改善がないと、民間の生産設備そのものが有効に働くことができないようになっており、そのために、今後一層の財政支出の増大を必要とするような情勢におかれている。
第2は、財政は積極的に景気の変動をならし、安定した成長を実現するための手段として使う必要が高まったことである。 前述のように、戦後の景気調節の主役は金融であって、財政はどちらかといえば副次的な役割を果たすに留まった。 しかし、昭和30年代の景気循環期の財政支出の動きをみると、第101図のように、民間需要の伸びが大きい時は、財政の伸びは小さく、民間需要が沈滞している時は、財政が大きく増加するという関係がみられ、財政もかなり景気変動の激しさを緩和する力を持っていたことを示している。 これは、第120表にみられるように、好況期には税収が増えるから財政支出以上に、財政収入が増加して民間資金を吸い上げ、不況期には、前年度剰余金受け入れ使用という形でそれが支出されたからである。 例えば、昭和31、32年度の好況期に発生した剰余金は33、34年度の不況期の財源となり、35年度の好況期の増収が37年度の財政支出を増やすことを可能にする一因となった。
しかし、38、39年度のように財政資金に余裕が乏しくなってくると、剰余金も少なくなって不況時にそれを支出増大に回すことができなくなる。 そればかりでなく、不況期には、税収が減るから財政支出を縮小しなければならないことにもなり、財政の景気調節機能は小さくなってしまう。 ところが民間の設備投資意欲がおちている時には、金融をゆるめても経済活動は活発化してこないから、景気安定の手段として財政に期待される役割は一層大きくなる。 このように、財政の景気安定機能に対する要求の増大と、その能力の低下という矛盾を打開していくためには、国債の発行が必要となった。
第3は財政の資金不足が増大してきたためである。 財政支出をまかなうための財源としては、これまで主に税金に頼ってきた。 日本の経済の成長率が高かったからこれまで税収の増加率が大きく、第102図にみられるように昭和30年代の税収の伸び率は全体で15.7%、法人税19.8%、所得税13%であった。 一方、歳出は14.1%であったから租税収入は支出を上回り、均衡財政が可能であった。
しかし、財政に対する需要が増加してくるので、租税負担率をどんどん引き上げていかない限り、財政資金は不足してくる。 法人税、個人所得税、間接税等による政府の経常収入が経常支出を超えた部分が、政府の貯蓄であり、その範囲内で政府が投資を行っているうちは財政はバランスがとれているはずだが、それ以上に財政需要が強まってくれば、政府は、どこからか資金を借りてこなければならない。 日本の財政は資金循環勘定により分析すれば第121表にみられるように、35、36年は黒字であったが37年以後資金不足となり、その後だんだんその幅は拡大し、昭和40年には不足額は9、000億円となった。 中央財政は、資金余剰であったが、その余剰額がだんだん減少し、一方公社公団・地方公共団体では資金不足が拡大していった結果である。 国鉄、電電、道路公団等では、その事業の投資規模が大きく多額の投資資金を必要とする反面、その回収は遅れるから、投資の拡大期は資金不足が大きくなっていくわけである。
財政部門でこうした不足資金を賄うために、郵便貯金、簡易保険、郵便年金等を通じて個人の貯蓄を吸収したり、あるいは政府保証債の発行や、市中借り入れ等金融市場を通じて資金を調達してきたが、37年以後資金不足の拡大につれて、政府保証債等有価証券発行による資金調達の割合が急速に高まって40年には調達1兆6、873億円中1兆530億円と6割をこえるようになった。 このように、30年代を通じてだんだん外部資金への依存が強まってきたが、昭和40年度に至って、一般会計でも国債が2、590億円発行されるようになったわけだ。 昭和40年度の国債発行は不況の影響から、租税収入が当初の見積もりを下回ってきたためそれを補てんするために行われたものである。 しかし、現在日本が国債発行を必要とするに至った経済的原因は単に歳入補てんのためといった消極的な性格のものではない。 国債発行によって現代の国家の財政に課せられた社会資本の充実、社会保障の拡大、景気の安定、均衡のとれた成長の実現等の機能を発揮していくための道が広まることになってきたのである。
国債発行については、戦時中の軍事費調達のための国債がインフレを引き起こしたという記憶があるため、再びインフレを招くのではないかという懸念も一部にあるが、現在の国債は、次の2点を考えても当時のそれとは性格を異にしていることが分かる。 第119表にみられるように、戦前では政府の経常収入は、経常支出を賄うことができず、その差額を国債で補った。 しかもそのような資金は軍事費に投入され、生産力を高めるのに役立たなかった。 現在では、政府は経常バランスでは黒字であり、貯蓄を行っているが、投資の必要性がそれ以上に強いため、国債の発行が必要となっているわけであり、昭和41年度から発行される国債も公共事業費や出資金、貸し付け金にあてられる建設国債であって、その資金は社会資本の拡充に向けられて生産力を高めることができる。
第2に、国全体としての貯蓄、投資のバランスが維持されていることである。 戦前では、国債は日銀が直接引受け、国の蓄積をこえて発行されインフレを生ずるに至った。 現在では日本経済全体の貯蓄投資のバランスをみると第122表の通りで、貯蓄不足は、法人企業と政府で起き、それを、個人の貯蓄超過で賄ってきた。 今後、法人企業でこれまでのように強い投資需要が起きなくなれば、政府が投資超過を強めることがかえって全体でみて経済が持つ貯蓄力と投資とをバランスさせる条件となる。 国債が発行され政府の投資が拡大されても、それが国民の蓄積によって賄われるならば、それでインフレが起きるとはいえない。 国民の貯蓄力が増えていけば、それを政府が借りて社会資本の充実にあてることが可能になる。
しかし、有力な武器は使い方をその危険も大きい。 国債が国の蓄積力をこえて発行されればインフレの危険がある。 この点からみても財政規模を適切に維持することが根本的に重要なことは明らかである。 また、民間資金と競合して、民間の経済の発達を妨げたり、国費が無駄使いになる心配もある。 従って経済情勢を十分に検討すると共に中央、地方の行政機構の合理化、能率化を進め、歳出の効率化に十分注意を払い、国債の発行方法や、金額、使い道等についても厳しい節度を保つことが必要である。
また、公社債流通市場のような金融機構面の整備も併せ進め、国債が市場法則に則して発行され、財政金融政策が景気動向に応じて弾力的に運営されるための環境を整えていくことが重要である。