昭和41年

年次経済報告

持続的成長への道

経済企画庁


[前節] [次節] [目次] [年次リスト]

持続的成長への道

持続的成長のための諸政策

金融政策の新しい課題

経済全体の有効需要を調節し、着実な成長を実現するための政策的な手段として、財政金融政策が重要であることはいうまでもないが、戦後の日本でそのための中心的な役割を果たしたものは金融であった。

アメリカ等では景気の回復や成長の刺激の手段としては財政が主役、金融がわき役となり、逆にブームを抑制する手段としては、金融が中心で財政は2次的な役割を果たすことがみられた。 戦後の日本では民間の投資意欲が強かったから、財政で積極的に需要を拡大し成長を促進しなければならないという場合はあまり多くなかった。 金融は、景気の行き過ぎに対しては、その引き締めによって強い抑制効果をもち、成長を回復するためには、引き締めを緩和するだけで足りた。 すなわち、景気の抑制に対しても、回復に対しても金融が果たす役割が大きかった。

金融引き締めは、一度それが実行されると強い効果を持ってきた。 昭和32年にも36年にもそうであった。 それは企業が市中銀行に依存し、市中銀行が日銀に依存するという関係が大きかったため、日本銀行は、企業の経済活動をコントロールする強い力を持っていたからである。

日銀、市中銀行、企業の間に強い依存体制があったのは戦後の日本で経済活動に比べ流動性、ないし投資資金が著しく不足し、その供給を主に市中銀行が行い、市中銀行はまた資金不足の穴埋めを日銀貸し出しに依存したからである。

第109表第110表及び第95図に示すように、企業の投資が急増していったために法人企業の貯蓄投資バランスでみるとその資金不足は年々拡大していった。

第109表 法人企業の投資、貯蓄、賃金不足、内部金融率

第110表 主要部門の資金過不足

第95図 法人企業部門の投資超過、資金調達、流動性

法人企業全体としての産業資金需要は30年代の年平均で、約5兆8千億円に達したが、そのうち内部資金でまかなえる部分は41%にすぎず、企業は資金不足を銀行、株式、社債、政府金融機関等多様な外部金融によって調達しなければならなかった(第111表)。 もっとも、短期資金と設備資金とで、その調達の源泉は違っている。

第111表 産業資金供給実績期間別累積額構成比

30年代の日本経済を特徴づけた設備投資の急増が、どのような資金によって調達されたかをみると、昭和30年ごろまでは設備資金の内部金融率は高かった。 しかしその後の投資急増でその比率は低下し、30年には93%であったものが36年には65%となり、外部資金依存額は1兆3千億円に達した。 その後内部金融率はまた上がっているが、39年でも設備投資の外部資金依存額は7千億円にのぼっている。

過去10年間の設備投資の外部資金供給先は第113表の通りであって、株式の役割が大きく、約4分の1を供給している。 株式が最も大きな力を発揮したのは、昭和34〜36年の岩戸景気の時である。株価は長期的にみると、第96図のように資本金利益率と同じ方向に動き、利子率とは反対方向に動いているが、ブーム期には株価はこうした関係をはなれて急騰し、投資信託によって吸収された大量の大衆資金が直接、あるいは間接に(投資信託のコール放出、証券会社のコール取り入れによって)株式市場に流入して株価を一層つり上げた。 こうした機会をとらえて企業は盛んに増資を行ったが、これによって企業は直接長期安定資金を確保できたばかりでなく、こうした増資による自己資本比率の改善を条件にして銀行信用の利用をも一層容易にすることができた。 株式投資は、増資に伴うプレミアムの高騰によって一層増大した。 ところが、ブーム期が去ると、好況末期に行われた大量増資は株価を圧迫して、株式市場は不振となり、増資も困難になった。 こうして、株価の大幅な変動はブーム期に投資を急増させ、設備投資の変動を加速する1つの原因となった。

第113表 産業設備資金調達実績

第96図 株価と利益率、金利、増資の動き

また、政府金融機関の役割も大きく、特に30年代の初めには電力、海運、機械等に低金利の資金を供給することによって成長をたすけた。

民間金融機関をみると、最近設備資金供給に占める信託、生保、相互、信金等のウェイトが高まってきているが、30年代を通じてみると長期信用銀行のウェイトが非常に高かったことがきわだった特徴となっている。

事業債の比重も11%とかなり高かった。 このように、他人資本からの設備資金調達のなかで、長期信用銀行からの借り入れと事業債が大きなウェイトを持っていたが、かかる量的比重の重要さに加えて、高度成長期において、これら事業債の利回りや資金源泉を金融債に依存する長期信用銀行の貸出金利等が上方に対してやや非弾力的であったことは、設備投資を大きく増大させる要因の1つであった。第97図に示すように、高度成長期には、利潤率は利子率をはるかに上回り、これが投資を刺激することになったのである。

第97図 大企業(製造業)における手許流動性、利子率、利潤率、在庫投資、設備投資

他方、都市銀行をみると、設備資金供給に占める比重は神武景気のごろにはかなり高かったが、その後低下し、10年間を通してみれば、全体の5%を供給したに留まっている。 しかし、だからといって、設備資金調達に占める都銀のウェイトがそれだけ小さかったとみるわけにはいかない。 設備資金供給に重要な役割を演じた前述の金融債と事業債の消化先として、都市銀行の比重(約5割)が圧倒的に大きかったからだ。 換言すると、商業銀行としての都銀は間接的に大量の設備資金を供給したことになる。金融債や事業債は、都銀がこれを収益資産としてもつには利回りが貸出金利に比べて相対的に低すぎたけれども、取引先企業や長期信用銀行との協調関係に対する配慮等から保有が行われ、またこれらの債券は日銀の貸し出し担保になるというメリットもあった。

事実、短期資金需要は都銀に最も集中し、このため、設備資金と合わせた産業資金総供給のなかに占める都銀の比重は、前の設備資金のみの場合と違って、一挙に26%に高まり、都銀の日銀への依存が高まる主因になった。

企業の短期資金需要は、高度成長期の在庫投資の増大を反映して巨額にのぼった。 加えて、その資金需要は、実物面での在庫投資の増大をはるかに上回って増大した(第112表)。 これは、1つには企業が手元流動性の不足を補うためそれを借り入れによって積みます必要があったからだ。 さらに、36年ごろからは、企業は拡充した生産設備に見合って製品の販路を見い出す必要が高まり、企業間信用を膨張させたので、その実物的な在庫投資を上回って短期借り入れが一層必要となったからだ。 また、中小企業を系列化するための投資勘定の増大も、実物投資を上回る外部借入金を必要とした原因になった。

第112表 実物投資の資金不足を上回る外部資金調達とその運用

こうして、企業の短期資金需要は年々増大し、都銀はその大きな部分の需要を満たしていったが、これに前述の設備資金供給に占める間接的役割や、さらには短期資金の一部が実質的には企業の設備資金にも利用された点を考慮に入れると、都銀が30年代に果たした役割は極めて大きかった。 しかも、こうした都銀の役割はこれだけでは留まらない。 第114表をみると分かるように、産業資金供給に占める民間金融機関貸し出しの比重は、不況期ないし好況初期と思われる時期には高く、好況が進むと、株式の比重が大きく高まる。 これは、好況期には株価上昇によって株式発行が容易になることや、金融引き締めが進行すると共に銀行借り入れが次第に困難になり、企業がその分をいわゆる金繰り増資でカバーしようとしたこともあるが、このほか、次のようなメカニズムが働いていることも見逃がせないであろう。 すなわち、不況ないし好況初期における都銀、長銀を中心とした民間金融機関の貸し出しが、企業の投資を可能にし、投資の増大がやがて所得と貯蓄の形成を可能にし、その貯蓄がブーム期になると株式発行によって大きく吸収された。 こうして、金融機関貸し出しと株式の発行は、投資・所得・貯蓄を媒介に、たがいに有機的にからみあうことによって、30年代の高成長を金融面からサポートした。 そのなかで都銀がいわばその中核に座っていたのである。

第114表 資金供給・投資・貯蓄のメカニズム

以上のようにして、銀行の貸し出しが増え、預金に比べて貸し出しの比率が上昇するにつれて日銀信用は増大していった。 銀行の企業への貸し出し増加によって、生産が拡大し、名目所得が増大して現金需要が増えていくからだ。

成長に伴い必要な現金は、(イ)金・外貨準備増大、(ロ)買いオペレーション(対政府貸し付けを含む)、(ハ)中央銀行の対市中貸し出しの三つの道から主に供給されるが、日本の場合には、主に日銀貸し出しに頼った。 それは、戦争直後のインフレで政府の過去の負債はほとんど消滅したし、戦後の財政は均衡し、民間部門は公債を保有していなかった。 また、外貨は増加したが、それは成長通貨を賄うに十分ではなかったからだ。 もっとも、37年以後になると、日銀の債券売買と財政資金(外為を除く)の支払い超過が大きなウェイトを占めるようになってきているが、昭和30年から40年までについて現金通貨供給のルートを国際比較すると、第115表にみられるように、アメリカやイギリスでは買いオペレーションによる供給が、またEEC諸国では、金・外貨準備の増加による供給が大きな比重を持ったが、日本では日銀貸し出しが主な源泉であった。なお、通貨総量(現金+預金通貨)増加の要因別構成比をみると、第116表に示すように、岩戸景気までは金融機関による信用創造が圧倒的なウェイトを占めるが、37年からは財政資金の比重も幾分増えてきている。

第115表 各国中央銀行勘定からみた現金通貨の供給ルート

第116表 現金および通貨の増減要因

日銀に対する強い依存は金融政策による景気コントロールの力を強めてきた。 第98図に示すように、好況期に資金需要が強まると、市中金融部門の流動性が低下し、日銀への借り入れ依存が強まってくるからだ。

第98図 景気循環における主要部門の流動性の増減

企業は不況期から好況期にかけて預金通貨を積み増すが、好況が進むと共に預金通貨を積み増す以上に、それを取り崩すどあいが強まっていく。 それと同時に、他方では、財政の揚げ超も加わって市中金融部門の流動性が低下し日銀の対市中信用(現金供給)が好況の進展と共に増大していく。 通貨(現金+預金通貨)の増分を現金の増分で割った商である、いわば、国民経済的な信用拡張係数の年々の動きをみると、上述の点は、第117表のように、拡張係数が不況期あるいは好況初期に高く、好況が進むにつれて低下していくという形で現れている。

第117表 信用拡張係数の循環的変動

預金の取り崩しによって企業の手元がつまっても、好況の末期には増資等によってそれはある程度緩和されるが、全体としては好況末期には流動性の低下が投資を抑制するように働いていた。

しかし、企業の流動性低下に先立ってはじまっている金融部門の流動性低下はそれだけでは自律的な投資抑制効果をほとんど持たなかった。 外貨準備高の減少が日銀の引締政策を余儀なくしたとき、初めて企業の流動性は急減し、投資は抑制された。 そのようなときには、市中銀行の日銀への依存は大きく高まりつつあったから、日銀の引き締めは一層大きな効果を持つことになったのである。 だから、投資はいわばぎりぎりまで急増し、国際収支の赤字化と共に大きく減少し、総じて投資の大きな変動がもたらされた。

景気循環はまた、コール・レートに極めて敏感に現れた。 コール・レートが循環的に変動するのはほかの国でもみられる現象だが、日本の場合にはそれがしばしば20%をこえる暴騰を示した。

第99図 戦後の金利の推移と戦前の金利

都銀の預金に対する貸し出し及び証券保有の比率(預貸証率)はほかの金融機関よりも水準が高く、しかも30年代を通じて高まっていった。 それが特に高かったのは36〜37年で、37年央には131%にまでなったが、その後も大体120%以上になっている。 預貸証率は好況後半に著しく上昇し、コール・レートは暴騰した。 32年や36年にはコール・レートが暴騰する一方、日銀貸し出しへの依存度が高まった(第100図)。 しかし、39年に入って日銀借り入れ限度額操作と債券売却を基本とした新金融調節方式が引き締めに利用された。 そのため、39年中は、都銀は日銀借り入れ依存度を過去のように高めることができなかったから、コール依存度は上昇を続け、都銀の収益は大きく圧迫を受け、ある程度景気を抑制するような効果を持った。

第100図 都銀の預貸証率の動き(オーバー・ローン)とコールおよび日銀借入依存度

こうして、昭和30年代には企業が強い投資意欲をもち、資金を調達できるかどうかが投資を決定する重要な要因となっていたうえに、企業が市中銀行に、市中銀行がまた日銀に依存する度合いが強かったので金融は景気コントロールの強力な武器となった。

しかし、金融政策は、長期金利の低利回り政策によって、長期金利の割安・短期金利の割高という利子率体系が生まれ、金利機能が働かなかったため、公定歩合操作を建前としつつも人為的な窓口規制(都銀等の市中貸し出しの量的規制)を併用せざるを得なかった。 そこで、日銀は日銀貸し出しを中心とする金融調節から、債券売買と日銀貸し出しに対するクレジット・ライン設定の二本立ての新しい金融調節方式を37年末以降進めてきた。

40年度に入って投資活動の停滞が目立ち、国債発行という新しい事態を向かえ、他方では金融緩慢が続くことによって金利自由化の基盤も整ってきた。 それと共に、今後における金融政策の重要性が一層高まり、とりわけ、金利機能の弾力的な運用の必要性が強まってきた。 民間投資と政府投資との調和を図っていくためには、これらの投資が市場金利の動きに従って調整されることが望ましいからである。 こうした市場メカニズムは、信用力の確定している国債のかなりの量が市中に供給されることにより作用しやすくなり、真の意味で公開市場操作が行いやすくなる基盤ができてくる。

過去のように、企業が銀行に、銀行が日銀に依存するような体制のもとで行われた貸し出しの量的規制を中心とする金融のコントロールは景気抑制の手段としてはかなりの効果をおさめた。 しかし、今後金融が景気引き締めの武器としてだけでなく、引き締めと刺激の両面をコントロールする力をもち、均衡のとれた成長を進めるための政策手段として役立つには、金利機能をより活用できるような環境整備を図り、金融政策の手段を多様化して日銀が積極的に通貨を調節できるような体制を整備していくことが大切である。


[前節] [次節] [目次] [年次リスト]