昭和41年
年次経済報告
持続的成長への道
経済企画庁
持続的成長への道
諸部門の動的均衡
農業の近代化
経済の成長が農業に与えた変化は、もっとも端的には、農家人口の減少に現れている。慢性的に過剰といわれてきた、農家の人口は、昭和27、8年を ピークに少しずつ減りはじめたが、30年代に入ると流出の度を強め、35年以後になると一層激しさをました。 昭和30〜35年の間に、農家人口は約200万人減り、35〜40年には440万人減った。 はじめは流出の主流は、新規学卒者を中心とした若い人々と昭和20年代にかかえていた過剰人口で離村してほかの職業についたが、35年ごろからは、 今まで農業に従事していたものや、世帯主、あととりまでが主に在宅就職等の形をとって流出するようになった。 流出が高まったのは、非農業部門の労働力需要が高まったからであるが、それに応じられたのは、農業においても投資が進み、労働生産性が高められ、 少ない労働力で生産を行うことができるようになったからである。 農業に労働力があまっているようなときには、機械化をしてもひき合わない。 しかし、農村労働力が減り農業労働賃金も上がり、兼業の機会も増えてくるということになると、労働力を節約するために投資が進んできた。 35年度価格になおした農業投資額は、30年度の2,100億円から40年度には3,600億円と7割増え、農業機械に対する投資は倍に増えた。 この結果、農業の労働生産性は、農林省「農家経済調査」によると32年度を基準にすると39年度は約60%高まった。
このように、機械化が進んだことは、日本農業にとって大きな変化であり、それは日本経済全体の発展に伴って生じてきた労働力過剰から労働力不足へという構造変化に適応するために行われたものであるが、その適応はまだいろいろな面で十分とはいえない。
その第1は、農業経営規模が小さいため機械をいれても、それを経済的に年間稼働させることができないことである。 従来のように、狭い土地を多くの人手をかけて耕作することをやめて、機械てやるようになったために、労働生産性は高まったが、農業経営規模が小さく、機械化が十分効果を発揮していないため資本の生産性は低下している。 資本の生産性の低下の原因としては土地条件が整備されていないことや、日本の経営規模に適したような機械化の一貫した技術の開発がまだ進んでいないことも見のがせない。 例えば、外国で使われているような30馬力トラクターや、それに関連した刈り取り機等一貫した大型機械体系を導入すると、経済的に年間稼動できないこと等があるため、労働生産性は著しく上がっても、償却費用等があまりに増加し、かえって生産費は高まり、一般的な普及性を持っていない。 また、小型機械の体系では、田植え、刈り取りの機械化が行われていないため、機械体系の有利性が充分発揮されていなぃ。 水田単作の庄内地方等でさえ2〜3.5ha経営層がそれ以上の階層より経営的には有利だとさえいわれている現状である。 労働生産性を高め、しかも経営収益をも増すような一貫した機械体系が開発されないと、資本生産性は、現状では上がり難い。
第2は、兼業という型をとって、農業人口が減っているためにそれだけ生産の能率が低下していることである。 総農家数中の兼業農家の比率は、30年当時は、約65%だったが40年には79%に達した。 特に農業よりも、ほかの職業を主とする第2種兼業農家の増加が大きかった。
「農家経済調査」によると、農家所得のうち農外所得の割合は32年度には43%だったが、40年には56%となり、所得の半ば以上を農業以外でかせぐようになった。 農家としてみると、兼業によって所得を高めることが出来たが、その反面専業農家に比べると2種兼業農家の生産性は2割ないし3割くらい低かった。
農業経営規模が小さいままでいることも、兼業化ということとうらはらの関係にある。 農業人口は減っても農家の戸数はあまり減らず、零細経営の農家が依然多数を占めている。 もっとも農家戸数の変動をみると、昭和30年の608万戸から35年606万戸、40年には567万戸となっており、30年代の前半にはほとんど減らなかったのが、後半にはかなり減少している点は注目してよい。
しかし、30年代を通じても40万戸の減少に止まり、戦前の540万戸にまで減っておらず、総農家数のうち2ha以上の農家の割合は30年代の4%から40年にはと5%と微増に止まっている。
経済の成長は、農産物需要に対しても大きな変動を引き起こす。 農産物の需要のうち特に増加が著しかったのは野菜、果実、畜産物等であり、農業生産の内容をみると麦は30年には農業粗生産の7%を占めていたが、40年には3%になり、畜産、野菜は10%、7%から、それぞれ19%、12%に増加するというように10年間に大きな変化をみせた。 しかしこうした、労働力や需要の変動に農業が十分適応してゆけないと、農産物価格の上昇や農産物輸入の急増等を引き起こすことになる。 製造工業に比べて、農産物は生産性の上昇が難しいものが多いから、価格の値上がりをすべて適応の遅れとみることは正しくないし、日本の経済的条件から考えれば、農産物の輸入がある程度増加することもやむを得ない面もある。 しかし農産物価格の上昇をみると、昭和35年以降になって激しくなっており、31〜35年度の間には年率1.4%の上昇に止まっていたが、35〜40年度には8.3%の上昇となった。 30年代の後半から価格上昇が目立つようになってきたのは、需要の伸びに国内生産が追い付けず、また労働費用や飼料、光熱、動力、農薬、肥料等の物財費用が増えているのに生産性の上昇がそれに遅れていてコスト高となっているからであり、これには前述のような農家の経営規模が小さいことや、兼業農家等生産性の上昇を妨げるような事情があったことも無視できない。 こうした事情にはまたそれぞれの社会的経済的原因があり、それを改めていくことは容易ではないが、大規模経営の有利性が十分発揮できるような技術、機械を発達させることはその改善の一手段であろう。 現在では第104表にみられるように、土地生産性と労働生産性とが平行して上昇していくのは、経営耕地面積1.0〜1.5ha階層までで、それ以上の層になると、労働生産性は上昇しても土地生産性はかえって低下している。 例えば水稲の作業別労働時間をみると第105表のように10アールあたり、総労働時間は33年から39年へかけて、37時間と大幅に減少したが、その主な原因は「本田耕起から整地」と「除草」「脱穀」の労働時間の減少によっている。 「田植え」「稲刈り」はわずかに各2時間程度の減少に過ぎない。 つまりこうした段階が機械化されていないため、耕起、整地、脱穀等の機械化の効果が中断されてしまっているわけで、大規模化の有利性が技術、機械体系によって十分裏打ちされていないことを示している。
また、土地の流動性を高め、それによって経営の大規模化を進めていくことも大切だ。 39年の「耕作を目的とする農地の有償権利移動」面積は75千haで総耕地面積のわずか1.2%に過ぎないが、流動性が低いばかりでなく第106表に示すように、移動しても経営規模の拡大にほとんど結びついていない。
北海道を除くと農地売買面積のうち64%は1.5ha以下層内の動きで、1.5ha以上が以下層から農地を買ったのは、売買面積中の19%に過ぎない。 農業の遅れを取り戻していくためには大規模な経営の有利性を発揮できるような技術の開発、機械を導入できるような土地基盤の整備、土地の流動性を高め、しかもそれが経営規模の拡大に結びつくような施策、離農するものへの職業訓練や住宅、社会保障の確保等を通じて、農業の生産性を引き上げていかなくてはならない。