昭和41年
年次経済報告
持続的成長への道
経済企画庁
昭和40年度の日本経済
景気立ち直りの原因
景気が40年秋に底入れし、その後次第に明るさをとりもどすようになってきたのには二つの原因が挙げられる。第1は経済の内部における需給バランスの回復の進行、第2は財政、金融面からの景気対策の効果である。
需給バランスの改善
生産調整
需給のアンバランスは、昭和39年中進行し、39年末に非常に激しくなり、生産調整を実施する産業が相次いで現れた。すなわち鉄鋼では39年末からホットコイル、亜鉛鉄板、鋼管の生産調整がはじまり、40年7〜9月からは粗鋼の1割減産が実施された。繊維でもナイロン、ポリエステル、人絹、綿、スフの操短が行われた。そのほか、特殊鋼、伸銅品、電動機、テレビ、扇風機、冷蔵庫、工作機械、ベアリング、塩化ビニール、自動車タイヤ、セメント、紙パルプ、砂糖等、多数の業種で生産調整が行われた。
生産調整には、独禁法第24条の3の適用除外規定による不況カルテル、通産省等の行政指導による勧告操短、個々の企業の判断に基づく自主減産等各種のものがあるが、40年から41年1月までに認可された不況カルテルは第2表の通りで18品種という戦後最大の件数にのぼった。こうした生産調整の結果、鉱工業生産は40年に入ってから微減に向かった。しかし機械の生産の停滞は鉄鋼の需要を減らすというように、一産業の生産調整は他産業へ波及し、しばらくは出荷の低下と製品の在庫率の上昇が続き不況感は緩和されなかった。
しかし、日本経済には不況下でも伸び続ける需要があったので、供給の抑制が続いているうちに、需給バランスには少しずつ改善の光がさしてきた。こうしたことは第1図からも知ることができよう。不況が底をつき、回復に転じた40年10月の鉱工業生産は39年10月とほとんど同水準であった。しかし、39年には、生産と出荷とはバランスせず、製品在庫は6ポイントも高まったのに40年10月には出荷水準が高まり、製品在庫は前月比7ポイント低下した。すなわち、需給が高まっていくので、供給が横ばいに抑えられていると、供給過剰幅は次第に縮小し、やがて需給がバランスすることになったわけである。
在庫率指数は総合では40年8月をピークとして低下しているが、需給の改善は、まずテレビ等耐久消費財に現れ、次いで建設資材、資本財、生産財等へと及んでいった。
不況下の需要増大
不況下でも高まった需要として特に注目すべきものは、輸出、農村の消費、製造業以外の設備投資の三者である。
輸出
昭和40年度の輸出は、8,591百万ドルと、前年度を19.3%上回る大幅な増加となった。これは最近の10年間(29〜39暦年ベース)の平均増加率13.3%をかなり上回る増加である。
輸出増大の原因は、内外両面にある。まず世界貿易の動きをみると、昭和40年は、世界全体としても輸出の拡大率が大きく前年比8.4%増であった。これは、アメリカを中心にして世界の景気がよかったからで、特に輸入増加率が大きいのはアメリカ(14%増)、カナダ(15%増)であった。このことが日本の輸出を大きく伸ばす力となった。市場別にみても、アメリカ向け輸出の好調が目立ち、対米輸出は2,623百万ドルで総輸出の約3割を占め、輸出増加に対する寄与率では42%に達した。対米輸出の増大は、アメリカで鉄鋼ストの懸念から上半期中備蓄輸入が行われ、それにつれて日本の鉄鋼輸出が増加したということもあるが、より基本的なのはアメリカの好況の影響によるものであって、鉄鋼ばかりでなく、機械、雑貨等の輸出も増加した。
しかし、日本の輸出は、世界貿易の拡大に比例して増えるだけでなく、はるかに高いテンポで伸びている。昭和40年における世界の輸入増加率に対する日本の輸出増加率の倍率、すなわち輸出弾性値は3.1と高率であった。これは日本の輸出増加の原因として国内側の力が強く働いていることを示している。こうした要因として、輸出構造が重化学工業化したこと、新商品の輸出競争力がついてきたこと等が挙げられる。輸出総額中の重化学工業品の比重をみると、38年度54%、39年度59%、40年度62%と非常に早いテンポで高くなっている。日本の輸出商品を金額の大きい順にみると、第1位鉄鋼(13.0億ドル)、第2位船舶(7.1億ドル)、第3位綿織物(3.0億ドル)、第4位自動車(2.5億ドル)、第5位ラジオ受信機(2.2億ドル)で、上位5商品中4つまでを重化学工業品が占めている。
また、輸出増加率の高いものをみても、オートバイ(99%増)、合成繊維(短)(85%増)、有機化合物(51%増)、乗用車(39%増)等、新しい商品で輸出の伸びが極めて大きいものが多いが、これは日本の輸出構造が急速にかわる過程にあることを示している。この他国内の不況で輸出圧力が強まったこと、日本の輸出価格が安定しているのに対し、欧米の価格が上昇して、輸出競争力が強まったこと等も輸出の増大の原因となった。40年度の日本の輸出増加の要因を、海外需要、価格競争力、輸出圧力の三者に分けて第4図に示すような方法でその寄与率を計算してみると、この三者は80:14:6の割合で輸出増加に寄与したものといえる。世界貿易が好調なことと、日本の輸出構造が重化学工業化して世界需要に対する日本の輸出弾力性が高くなっているため、海外需要が好調であると、日本の輸出は大きく増加するわけである。輸出の増大は、それ自体が有効需要の増加であるばかりでなく、国際収支の黒字幅をひろげ、景気対策の実行の余地を拡大したという点で、景気回復の重要な要因となった。
このように、アメリカの好景気と、日本の重化学工業品の輸出競争力の強化と国内の不況による輸出圧力の増大等によって、輸出がめざましい増加を示し、これが内需の落ち込みを一部相殺する役割を果たした。
農村の消費の増大
昭和40年には都市の消費の伸びが鈍かったが、これは40年の不況を激しいものにする一因となった。都市の消費支出は39年の後半から伸び悩みを示し、これが40年に持ち越された。都市勤労者世帯の消費支出は39年度に比べてわずか8.4%しか増えなかった(第5表)。その最大の原因は不況の影響で実収入の伸びが小さかったことである。都市勤労者世帯の月平均収入は、39年度の6万3千円から40年度には6万9千円と9%の増加に止まった。これは昭和34年以降最低であって、勤労者の収入は35年度以降は年々11%をこえていたのである。
所得の伸びが小さかった上に、消費性向も前年に引き続き83.2%という戦後の最低水準であった。費目別にみると雑費支出の増加が鈍り、また被服費の支出も低調であった(第6表)。被服の伸びが低いのは、衣料消費の循環の底にあったためとみられるが、そのほか消費性向が低かった理由として不況の影響から、消費者の消費態度がひかえ目になったことも挙げられる。前年と比べると平月は家計の黒字率は低下したが、ボーナス月に消費に向ける割合を引き下げている。これは消費者のこのようなひかえ目な態度を示すものとみてよいだろう。ただ、家具器具は、39年度を底にして、40年度は幾分回復しており、特に、乗用車、台所用品(ステンレス流し台、レンジ、湯沸かし器)等が伸びており、またテレビも40年度の後半にはかなり増加し始めている(第7表)。
所得の伸びが低く、消費支出が低調であった上に、消費者物価が大幅に上昇したため、実質消費は前年度比0.8%増に止まった。
これに対し、農村の消費の伸びは大きく、これが都市の消費の伸びの鈍化をカバーして全体の消費需要の停滞を緩和した。農村では、農外所得、農業所得とも伸びが大きく両者を合わせた農家現金所得は15.7%の増加となった(第8表、第9表)。
農外所得が増えたのは、兼業就業人口の増加や職員俸給等不況の影響をあまり受けない種類の兼業収入が増加したためであり、また農業所得の増加は、農産物販売量が増加したうえに価格が前年度比11.4%上がり、一方農業用品価格は5%の上昇に止まって、農家の交易条件が有利となったためである。このように所得が増えているので、家計支出も14.9%と大幅な増加を示した。実質消費は5.1%増であったが、農村では被服(7.5%)や、住居費(8.4%)の伸びが大きく、都市とは対照的な動きを示した。都市に比べ、農村では、耐久消費財や被服の普及の水準が低いので、その需要が強いことを示している(第10表、第5図)。
非製造業の設備投資の増大
民間設備投資は、39年7〜9月まで増加を続け5兆2千億円のピークに達したが、10〜12月から低下に転じた。これは製造業の投資が減少したからである。しかし第6図にみられるように非製造業は不況下でも一貫して上昇をつづけておりこれが今回の景気回復の特色になっている。開銀調査によると石油化学(20%増)、硫安尿素(22%増)等増加する産業もあったが設備過剰の著しいセメント(46%減)、一般機械(24%減)等で大幅に減退したためである。しかし、電力、海運、私鉄等非製造業では投資は増加を続け、これが全体の設備投資の落ち込みを緩和した。製造業では設備は過剰となっても、非製造業には私鉄の複線化、新線建設、海運の専用船の建造、電力業における送配電部門の拡充等、未充足の需要が多く残っているのである。また電力では不況対策への協力のため投資のくり上げや拡大等が行われた。この結果、開銀調べの設備投資(支払いベース)は製造業では7%減であったが非製造業は16%増加した。
国民総支出に対し、輸出、農村消費、非製造業の設備投資は、それぞれ約1割を占めており、合計して約3割に及ぶ需要が、不況下にもかかわらず、15〜20%も増加したことは、不況の進行を防ぐ強い力となった。
在庫投資の回復
今回の景気調整においても、有効需要減少の中心となったものは、在庫投資p低下であったが、しかし生産調整によって、供給の増加が抑えられ、一方輸出・財政・消費等が増加して出荷が伸び在庫調整が進むと在庫投資は増大に向かってきた。
在庫投資のうち、景気変動と関係の深い民間非農業在庫投資(総在庫投資から政府、個人農業在庫投資を除いたもの)の動きをみると第7図の通り、39年1〜3月の年率2兆円をピークにして、40年7〜9月の1千億円まで1年半に渡って減少した。ピークからの減少の中心となったのは、製造業の仕掛け品在庫投資と製品在庫投資であった。一方、流通在庫投資は、生産者の押込み販売によってかえって増加した。しかし、こうした状態は、景気調整の進行につれて次第に変化をみせ、原材料や仕掛け、品在庫投資が40年4〜6月ごろから増加をはじめ、逆に流通在庫投資は7〜9月になると、減少した。また、製品在庫投資は7〜9月にはマイナスとなり、在庫は純減した。このような変化は、在庫の圧迫が薄らいできたことを示すものであり、10〜12月になると在庫投資は5千億円へと増大に転じた。
製品在庫調整の進み方が特に目立ったのは、テレビやナイロン糸で、例えばテレビでは40年6月ごろの1.7ヶ月分の在庫は、8月ごろから低下し41年3月には0.7ヶ月分まで低下しナイロン糸は39年12月の1.1ヶ月分が41年3月には0.4ヶ月となった。そのほか汎用モーターや鉄鋼、塩化ビニール等在庫圧迫の大きかったものでも在庫率が低下した。流通在庫も第9図のように、40年10月ごろからは自動車が減少し、また、41年に入ると鋼材等も減少するようになってきた。鉱工業の製品在庫率が最も高かったのは、40年9月であるが41年の4月までに非鉄金属30%、電気機械27%、鉄鋼20%、輸送機械6%、一般機械5%といずれも大幅な低下をみた。
今回の在庫調整は、ナイロン、テレビ等これまでの成長業種で在庫過剰が著しく、製品在庫や流通在庫を大幅に減らしたことが特色だった。しかしこれらの業種は、過去の投資で国際競争力が強まっていたから、生産調整を行っている間に輸出が伸びたことも在庫圧迫を緩和する要因となった。
こうした在庫率の低下に伴って企業の在庫過剰感は急激に減少してきた。不況下にあっても最終需要自体が低下していたわけではないから、在庫投資の減少テンポが鈍ると最終需要の増勢が表面に現れてくる。41年にはいると、財政需要の増加や個人消費の回復もみられ、生産は毎月1〜l.5%の率で増加するようになったので、原材料や仕掛け品の在庫投資増加テンポが早まってきたとみられ、これが景気の明るさを生みだす重要な原因となったと考えられる。