昭和36年
年次経済報告
成長経済の課題
経済企画庁
昭和35年度の日本経済
物価
昭和35年度における我が国の物価は、前年度に続く著しい経済拡大のなかにあって、卸売物価、消費者物価共に上昇したが、卸売物価の上昇が比較的小幅であったのに対し、消費者物価の上昇はかなり顕著であった。以下それぞれについて年度間の推移、特色などを振り返ってみることにしよう。
卸売物価
年度間の推移
まずこの1年間の卸売物価の動向を当庁調べ「週間卸売物価指数」(昭和25年6月24日基準)によってみると、総合指数は35年3月の166.1から36年3月には168.2と年度中に1.3%の上昇を示した。また景気動向に直接の関連のない食料を除いた総合物価の上昇率は1.8%であった。第1表にみるように、商品によってその変動及び総合物価上昇への影響率は異なるが、特に建築材料の上昇とその影響が著しかった。しかもその大半は木材の騰貴によるものであるから、これを除いてみるとその他の鉱工業製品価格は年度中に0.05%の上昇となっているにすぎない。35年度の卸売物価の上昇は建築材料なかんずく木材の騰貴によるところが大きく、その他はおおむね横ばいであったといえる。こういった卸売物価の上昇は 第11-1図 に示したように年度間を通じて終始一様のテンポを続けたわけではなく、およそ次の三つの時期に分けてみることができる。すなわち、第1の時期は微落傾向(年率4.1%)を続けた年度当初から8月ごろにかけてであり、第2の時期は緩慢な反騰(年率3.3%)に転じた9月から12月にかけてである。また第3の時期は上昇テンポの高まった(年率10.0%)1月から3月にかけてである。このように35年度の卸売物価は年度前半の軟調傾向を脱して、後半に堅調となったこと、特に第4.四半期においてそれが顕著であったところに特色がある。そこでつきに年度間の推移を以上の三つの時期のそれぞれについて振り返ってみよう。
微落傾向を続けた4~8月
34年12月をピークとして、年初来軟調を続けていた卸売物価は、35年度に入っても8月ごろにかけてほぼ同様の動きを示した。その主因は 第11-2表 に示したように金属と繊維、中でも鉄鋼と 原糸の大幅な下落であった。
これらはいずれも在庫需要の減退によって需給が著しく緩和したことによるものである。この間、機械生産が著しい増加を続け、織物価格が比較的堅調であったことからもうかがわれるように最終需要は堅調であったが、生産の大幅な増加が需要の増勢も上回ったため、生産財需要者が先安を見込み、いわゆる当用買い態度を保持したからである。このような鉄鋼、繊維市況の不振から7月末には鉄鋼公販制度の改正とそれに基づく減産及び公販価格の引き下げが行われ、また繊維工業設備臨時措置法の改正を契機に自由糸の取締り強化や一部品種についての操短率の引き上げなど一連の市況対策がとられ、市況は次第に下げどまりから回復の兆しをみせはじめてくるのである。
非鉄金属の地金類や生ゴム、皮革等は関連産業からの需要が好調であったにもかかわらず、海外市況の不振を反映しておおむね軟調を続けた。最もすず、鉛等一部の商品は国内需給が引締り、またコンゴ情勢の悪化から国際市況が強調となったことから一時的に騰貴を示したが、まもなく、国際情勢の落ち着きと緊急輸入措置によって市況は冷却した。また建築材料、燃料は季節的な需要減退から軟化した。このように在庫需要の減退、海外市況の軟化、さらには季節的な影響もあって総じて軟調を続けていたなかで、ひとり化学品のみはソーダ、肥料、油脂等の需要好調から堅調を持続していた。
微反騰をみせた9~12月
先に述べた鉄鋼と繊維における市況対策の奏功と建築材料及び燃料が季節的な需要増加期を迎えて上昇したこと等によって、卸売物価は9月以降緩やかな上昇を示した。その主役を演じたのは建築材料なかんずく木材の上昇である。木材以外の商品は騰落相殺し、木材だけでこの期の物価上昇がもたらされた形となっている。木材価格の高騰には季節的な上昇要因も含まれているが、基本的には建設ブームを反映した建築用材、紙パルプ生産設備の増強に伴う原木需要の増大等経済の拡大に伴って需要が大幅に増加した反面、生産の増加が相対的に小さく、その結果著しい需要超過となったからである。このように部分的需要超過が供給弾力性の小さいものに現れ、大幅な価格上昇を招いたことは35年度卸売物価の特色の1つである。その他の建築材料では木材同様建設ブームを反映して砂利や建具類にも価格上昇がみられたが、セメントは生産増加に伴う競争激化から下落とした。
一方、繊維、鉄鋼の在庫需要はいぜん本格的な回復をみせず、従って市況も完全に上向くには至らなかったが、市況対策によって需給がかなり改善され、底固い動きをみせていた。非鉄金属、生ゴム等は海外市況の軟調から引き続き下落を示したが、化学品は塩化ビニルの好調からカーバイドの値上りを中心に堅調を続けた。このようにこの時期の卸売物価は、木材の顕著な騰貴と燃料の季節高がみられたが、主要商品の基調はなお弱含みであったわけである。この間最終需要の増勢は一段と強まったものとみられるが、生産が引き続き増勢を続けていたことのほかに、12月における米国のドル防衛措置の発表が需要者の先安見込み観を強めさせたことも見のがすことはできない。
騰勢を強めた1~3月
しかし、36年1月以降3月にかけては金属、繊維など主要商品をはじめとして強調を示す商品がかなり広範囲にわたってみられるに至った。まず鉄鋼は3月から4月初めにかけて中形形鋼、溝型鋼、厚中板を中心に急騰をみせた。これは原料屑の高騰や建設、造船、機械メーカー等の鋼材需要が予想外に増加したからであるが、8月以降減産体制をとっていた反面、設備投資の好調を反映して需要が増加し、需給自体がかなり改善されてきていたことも見落とせない。このような情勢から、在庫需要が特定品種にせよ急速に回復をみせたことが鉄鋼市場の回復をもたらしたものである。
繊維も所得増加に伴う末端需要の好調や原綿、原毛筆素材の上昇、さらには賃上げなどの強材料を入れて強調を示した。しかし、鉄鋼と異なり在庫需要が回復したことによるものとは必ずしも見られない。また、久しく低迷を続けていた生ゴム、皮革なども海外市況が強調に転じたことを反映して上昇をみせた。そのほか建築材料、燃料、化学品等も引き続き堅調に推移するなど価格上昇が全般にわたってみられたため、卸売物価の騰勢も強まったのである。
しかし、4月以降最近にかけては価格上昇の著しい鉄鋼公飯品種の増産、木材の伐採量及び外材輸入の増加などの行政措置により、さらには繊維の操短率緩和の動きもみられ、ようやく騰勢にも落ち着きがみられるに至っている。
35年度における卸売物価変動の特色
前項でみたように、35年度の卸売物価は、35暦年中はむしろ軟調に推移し、86年に入ってからかなり堅調な動きをみせた。高度の経済成長を実現しつつ卸売物価がこのような動きを示した背景ないし諸条件についてみることにしよう。
34年の卸売物価の変動は、過去のそれと若干異なるものではあったにせよ、依然として在庫需要の急激な増加を中心とする景気上昇期に特有のものであったのに対し、35年中のそれは多分に在庫調整期にみられる特色を持っていた。すなわち、最終需要は設備投資、個人消費などを中心に堅調な増勢を続けたものの、鉄鋼、繊維などの生産財ないし半製品に典型的にみられたように在庫の相対的減退によって大勢は弱含みに推移したわけである。
このことは 第11-2図 に示したように、完成品がわずかながら上昇を示しているのに比べ、半製品が下落としていることによって明らかである。
過去の卸売物価の変動をみると、在庫調整期においてはかなり大幅な下落を示すのが例であった。 第11-3図 にみるように、29年の初めないし32年の春以降における卸売物価の急速な下落はそれを示している。しかし、35年の場合にはこれらに比べ物価下落の程度ははるかに小さかった。それは景気変動パターンの変化に基づくものである。すなわち、過去2回の循環における在庫調整期では景気の行き過ぎから強力な金融引き締めを招き、設備投資の減退さえも引起こすような景気後退がもたらされたのに対し、今回の場合は在庫需要が相対的に減退したものの、最終需要の堅調に支えられて大幅な在庫調整が行われなかったからである。一方において、需要の増加も総体としての供給面にボトル・ネックを生じさせるほどのものではなく、また国際収支も比較的好調であったため金融引き締め措置を必要としなかったことも物価の大幅な下落をもたらさなかったものといえる。
この間における需給両面の動向についてみると、まず供給面では、例えば鉄鋼公販品種の減産、繊維における操短率の強化のように比較的早目の生産調整が行われ、供給過剰に基づく物価の大幅な下落を阻んだことが特徴的であった。過去の在庫調整期にみられたように、製品出荷と製品在庫の相対比としての製品在庫率が上昇しなかったのはこのためである。
次に需要面では、供給量の調整にもかかわらず物価が依然弱含みであったため需要者在庫を供給者在庫に比べ相対的に減少させる動きがみられ、これが生産調整の効果を減殺し、価格下落をもたらしたものとおもわれる。このことはたとえは鉄鋼についてみた 第11-4図 によってもうかがわれる。
在庫需要の相対的減退には循環的要因ももちろんあったが、需要者の在庫ビヘービアが変化したことによる面も少なからずあったものとおもわれる。
それは生産力の増強によって需給が相対的に緩和され、また海外原料価格及び海上運賃の落ち着き、さらには自由化政策の進展などもあって需要者のインフレ・マインドが薄らいだことが基本的なものであるが、事務用機械の発達、モータリゼーションの進展等によって在庫管理技術が進歩したことも真のがせない。
一方コスト面についてみると、製造工業の生産性の上昇は依然賃金の上昇を上回り、賃金コストは30年を100として、33年99.1、34年92.7、35年89.6と引き続き低下した。また海外原料品及び海上運賃市況は年度後半になってやや強調を示したが、少なくとも35年度中においては原材料コストを上昇させる要因とはならなかったものとおもわれる。
ところが、36年初めより原料品価格の上昇もあって卸売物価はかなり堅調な動きを示しはじめた。原料品価格の上昇は35年秋以降からの木材の上昇傾向に加え、鉄くず、原綿、生ゴム、原皮など輸入原材料が国際商品相場の堅調を反映して上昇したことによるものである。また最終需要の堅調、あるいは次第に高まってきた成長ムードのなかにあって需要者の在庫回復が原料品、半製品を中心に図られたことが多分に影響していたものとおもわれる。
このように36年に入ってからは最終需要の増勢に在庫投資の回復がオーヴアラップし、それに海外市況の堅調も加わって卸売物価を上昇させたのである。
このように35年度の卸売物価は最終需要が一貫して堅調であったことからみると、大幅に下落とする要因は乏しかったともいえるが、反面供給力の増大や在庫需要の減退、さらには賃金コストないし原材料コストの低下があったことからみると、下落とする要因も少なからずあったとおもわれる。しかし、相次ぐ設備投資の増加が資本費ないしは資金需要の増嵩をもたらし、この面から供給価格の積極的な引下げ意欲を鈍らせていることも否めない。(この点については後に第3部において詳しく検討することとする)。
これらの要因が絡み合って、我が国の卸売物価が長期にわたって高水準ながら安定的に推移したことは高度成長のなかにあって、景気変動パターンの変化に即応しつつ物価変動のパターンにも変化が生じたことを意味するものといえる。
国際商品及び海上運賃市況の動向
35年度の国際商品市況の動向をロイター商品相場指数によってみると、 第11-5図 にみるように、35年中は下落の一途をたどり、36年に入って2月、3月とわずかながら反騰に転じている。
35年中の国際商品市況が一貫して軟調であったのは、電気鋼、羊毛、生ゴムをはじめ主要な国際商品が過剰生産によって低落としたからである。それには35年後半以降の米国景気の不振も影響しているが、羊毛、生ゴムの市況不振には合成繊維、合成ゴムの進出のように、最近の著しい技術革新の進展によって天然原料品が人工的に代替されるようになってきたことによる需要構造の変化がかなり大きな影響を与えている。亜鉛、鉛、コーヒー、砂糖などの価格低下にはこのような代替品の進出による影響はないが、生産の増加が需要の増加をはるかに上回っていることによるものである。一方、ジュートとすずは凶作や国際情勢の悪化などから高騰した。
しかし、35年中の国際商品市況の大勢は需給実勢のままに軟調を続けたものといえる。これらが我が国の物価の安定に寄与したことは既にみたところである。
ところが36年に入ると、米国景気に回復の兆しが現れはじめ、またラオス情勢の緊迫も加わって国際商品市況は反騰に転じた。その中心となったのは銭の急騰である。それは主要産山国の採鉱設備の老朽化等から生産増加がほとんど期待できないのに対し、特に米国からの在庫需要が大幅に回復したため供給不足が顕著となったからである。また銅、生ゴムに対する需要も活発となり、綿花も米国の支持価格の引き上げが行われたため、それぞれ堅調に転じた。さらに大豆も中共の減産によって高騰を示したが、そのほかの原料品は鉛、亜鉛、コーヒーをはじめ生産過剰はいぜん改善されず、引き続き軟調であった。
このような国際商品市況の好転が我が国の物価上昇の一因となったことについては既に触れた。しかし、すずを除き多くの商品の基調にはなお構造的な生産過剰要因が内在しており、米国景気の回復をはじめ、工業国からの需要、さらには国際商品協定、また産出国の価格政策などの動向かいかんにもよるが、本格的な上昇に転じたものとは言い難い。従って、国際原料価格の上昇から我が国の物価が大幅に上昇する可能性も少ないのではないかとおもわれる。
次に海上運賃市況についてみると、 第11-5図 に示したように、英国海運会議所調べによる不定期船運賃指数は、35年初めから10月までおおむね軟調を続けたあと11月から36年3月にかけて漸騰している。年度後半に至って市況が堅調となったのは、米国景気の後退にもかかわらず西欧、日本などの引き続く好況によって世界的に輸送量が増加し、船腹需給が相対的に引締ってきたことによるものである。それには中共の凶作によって、中共向け食料輸送量が増加しているという一時的要因もある。
船腹の供給過剰は依然解消していないことからみて35年度後半にみられた海上運賃市況の立ち直りが本格的なものとはおもわれないが、国際商品市況と共に今後の動向は一応注目に値しよう。