昭和36年
年次経済報告
成長経済の課題
経済企画庁
昭和35年度の日本経済
昭和35年度経済の推移
昭和35年度の日本経済は、34年度に引き続き高い成長を実現し、前年度に比較し実質国民総生産で11%、鉱工業生産で23.7%の上昇となった。
しかし、年間を通じて一様な拡大テンポを示したわけではない。 第1図 に示すように、35年に入ってから生産にはやや伸び悩みがみられ物価も下落を続けたが、6月ごろから生産は再び上昇率が高まり物価も9月からは反騰するという姿をとった。国際収支も、経常収支では上期には黒字であったが、下期には大幅な赤字を示した。このような経済動向の変化は、当庁の景気動向指数(ディフュージョン・インデックス)にも認めることができる。 第2図 に示した指数は、景気と一致して動く経済指標7系列から合成されたものであって、それが50%ラインをきるとき、景気の転換を示すものであるが、35年に入って下がりはじめ50%の線に近づき、景気も山をこえるのではないかと思わせるものがあった。ところが、その後50%ラインを切らずに、6月以後は上昇に転じている。戦後の日本の景気循環は、上昇も下降ももっと一本調子であって、上昇過程で短い休止期がみられたのは35年度の特色といえる。
35年前半の軽い停滞を引き起こした主因は在庫投資の減少であった。これは 第3図 の国民総需要の推移から明らかであろう。在庫投資は34年度の回復過程で急テンポに増加し、34年の10~12月にピークに達したが、その後減少に転じ、特に35年度の第1・四半期には急減した。それが全体の国民総生産をも減少させることになっている。これは在庫蓄積が進んで、おのずから蓄積速度が鈍る時期にさしかかっていたうえに、34年末に公定歩合が引き上げられ、35年1月には貿易自由化政策が決定されるなどのことがあって、企業の景気の先いきに対する考え方が慎重にたったことも影響している。しかし、設備投資は技術革新の波にのって依然さかんで、消費も堅調を続けていたことから、これが下支えとなって、在庫投資が減退しても、33年のような全体の景気後退をよびおこすことがなく、国民総生産は1・四半期の減少に留まった。
物価の軟調などから夏ごろには、景気も成熟期に達しており当分景気は横ばいを続けると予想する向きが多く、こうした情勢のもとで8月に公定歩合の引き下げ、買いオペレーションが行われた。次いで「国民所得倍増計画」など政府の強い成長政策が打ち出されたことは、企業に一段と積極的な設備投資意欲を盛り上げさせることになり、再び強い上昇局面を形づくることになった。当庁が年4回実施しているビジネスサーベイ(企業経営者見通し調査)によると、 第4図 に示すように法人の設備投資意欲は2月から8月まで幾分低下してきたが、11月に反転し漸次強まっており、これらの施策の心理的影響の大きかったことを物語っている。
秋に入ってからは、アメリカの景気後退が日本の輸出にもひびき、またアメリカは金の大幅な流出から海外支出削減方針を発表し、その日本への影響も憂慮された。しかし、年末には大規模な補正予算がくまれ、大型の36年度予算案が発表され、36年に入ってからは公定歩合の再引き下げと市中貸出金利や、預金金利の引き下げなどが行われ、その後の経済成長は引き続き高水準を維持した。
以上の推移にみられるように、35年度経済は、上期に軽い足踏みをみせた後に下期にかけては拡大テンポをはやめ、高度な成長を遂げた。それではこの成長を可能にしたメカニズムは何か、またそれは経済の諸分野にどのような影響を及ぼしているか、これらの点を次に検討しよう。
著しい需要の伸び
総需要と総供給
昭和35年度の日本経済の需要と供給の構成を、国民経済計算によって示せば 第1表 の通りである。総供給は、国内総生産14兆3千5百億円、輸入1兆8千億円を合わして16兆1千6百億円で前年比15.2%の増加であった。これが消費に47.6%、民間設備投資に18.6%、在庫投資に3.7%、政府の財貨サービスの購入に16.7%、輸出に11.3%の割合で支出された。最も目立つのは、設備投資の著しい増大であるから、まずこれからみてみよう。
民間設備投資
35年度の民間設備投資総額は3兆円に達し、34年度を88.4%上回る増勢をみせ、経済成長の最も有力な支柱となった。すなわち、35年度における総需要の増加分のうち設備投資の増加による部分は39%に及んでおり、また、設備投資によって引き起こされた直接、間接の需要額は、鉱工業生産額の約30%を占め、生産上昇分に対する寄与率でみれば50%にも達している。35年度の特徴をとらえて投資景気の年とよぶのもゆえなしとしない。
設備投資の特色の第1は、経済全体は上期に中だるみをみせたにもかかわらず一貫した増勢を持続したことである。当庁調べ「法人企業投資予測統計調査」によれば、対前期比で34年度下期20.7%、35年度上期19.6%、同下期22.2%の増加率を示し、35年度全体の34年度に対する増加率は45.4%となっている。36年度上期の計画額も36年2月の調査によると前期比17.1%の増加が予想されており、企業の設備投資意欲は依然さかんである。
特徴の第2は、 第5図 のごとく、総じて成長産業の投資の伸びが大きいことである。前年度に比べ伸びの著しい産業は、石油精製、アルミ(非鉄金)、自動車(輸送用機械)、一般機械、電気機械、化学などで、建設業の伸びも著しい。
第3の特徴は中小企業においても技術革新の*透や労働力不足の激化などにより、設備投資の増勢が極めて強いことである。中小企業金融公庫の調査(36年2月末現在、従業員10人以上300人未満の企業、抽出標本2,773社)によれば、35年度の設備投資は前年度に比べ33%の増加となっている。
以上のような35年度の設備投資増加要因をたずねていくと2つの面を持っていることに気づくであろう。すなわち、1つは30年以降の技術革新の波に乗った動きであり、他は貿易自由化の進展及び35年度後半の景気上昇、成長ムードによってかきたてられた投資意欲の強まりである。
技術革新的動機による投資増加要因の第1は、設備投資に大きな比重を占める主要産業が、大規模な新規計画へ台がわりしつつあることである。たとえは、鉄鋼は第2次合理化計画の仕上げから第8次合理化計画の着手に向かっており、石油化学は第1期計画から第2期計画への移行をはじめ、石油精製も原油処理量の増大による効率向上をねらった新精油所建設によって投資規模が大型化する動きにある。また電力も、新長期開発計画によってひと回り大きい開発規模に進めつつある。
第2は、上と関連して、新しい工業立地による新工場建設やその基礎工事が次第に増大していることである。名古屋、千葉、水島などの新工業地帯を求めての鉄鋼、石油化学、石油精製、電力などの大規模投資の展開、自動車における乗用車専用工場建設、またはアルミの大容量精錬設備新設のための新工場建設などはその例である。従来の技術革新は既存工場内部の設備近代化が中心であったが、この「工場内部のイノベーション(技術革新)」は、いまや「工場ぐるみのイノベーション」へ、さらには、石油精製と石油化学、鉄鋼と化学といったコンビナート化による「工場群のイノベーション」へと跳躍していく段階にある。
第3は、新立地による新工場の建設に伴って、生産直結部門とは別に、土地造成、港湾整備、用排水施設など関連施設への投資が増加していることである。第4は、新製品導入のための先行投資が増加していることで、石油化学(ポリプロピレン、クロロプレンなど)、合成樹脂(ポリカーボネートなど)、電子工業(電子計算機、工業用計器など)などではこの種の投資が目立っている。第5は、貿易自由化をひかえて、量産体制を強化し生産技術を向上するための投資がみられることで、自動車、産業機械、特殊鋼、アルミなどに多い。第6は、原料転換のための投資で、アンモニアのガス源転換やパルプの広葉樹転換のための投資がここ2、3年来継続しているほか、塩化ビニールのアセチレン源転換工事も着手されている。
これらの投資誘因からみて、現在の設備投資の主流をなすものは長期見通しのもとに行われ、短期の需給バランスに左右されない独立投資的な性格が極めて強いということができよう。
しかし35年には、次のような諸事情が加わってさらに設備投資を増加させることになっている。すなわち第1に、好況下の需要増大、設備稼動率の上昇、企業収益の向上などが企業の投資意欲を盛り上げ、第2に、引き続く高成長と35年度後半にとられた成長政策により、日本経済の高成長に対する企業の信頼感が高まっていることなどである。この信頼感が企業を強気にさせ、企業が既存分野での自己の市場占拠率の確保、拡大をめざし、あるいは他に先んじて新分野に進出しようとする企業間競争を激化させ、設備投資に増幅作用をもたらしている。
在庫投資
経済の拡大基調のなかで在庫投資の減少をみたのは、35年度においてはじめて経験したことであった。33年7~9月期から回復に転じた在庫投資は、34年10~12月期をピークとして減少に転じたが、負の在庫投資(在庫減らし)が行われるまでに至らずに35年10~12月期には再び上向いた。在庫投資の調整としては軽微なものであったといえよう。
こうした在庫投資の動きは、生産者の原材料在庫投資と流通在庫投資の変動に起因している。 第6図 のごとく、原材料在庫投資も流通在庫投資も、35年1~3月期から減退をはじめ、秋ごろまで減少を続けたが、35年暮れから36年1~3月にかけて上昇気味となった。在庫投資の減退が比較的短期におわったのは、設備投資の強調に支えられた生産の上昇が続き、もともとあまり高くなかった在庫率が、ますます低下する結果となり、在庫の回復が図られるに至ったためである。そのうえ35年秋ごろからの金融緩和や成長政策の心理的作用も響いていると思われる。一方、生産者の製品及び仕掛け品の在庫投資は、生産の順調な拡大のなかで、35年度中ほぼ横ばいで推移した。前回の在庫調整期には生産を落としても製品在庫の滞貨が累積したのであったが、35年度の動きはこれと異なっている。
以上のような経過をみせた結果、年度間の在庫投資総額は前年度を下回り、需要増加分としてはマイナスの効果を持ったことになる。34年度において在庫投資が需要増加の最大の要因となったのに比べ、著しい変化である。33年夏の在庫回復にはじまる今回の在庫循環において、在庫投資の山が31年当時のように高くならず、その下降期にも大幅な減少を示さないでサイクルの振幅が縮小していることが、今回の景気変動の型を今までと変化させている最大の要因といえる。
では在庫循環の姿を変えたものはなんであろうか。在庫投資を落ち着いたものにした外的な条件として大きな役割を果たしたのは、国内の供給力に比較的余裕があったこと、及び海外原料価格が軟調であったことであろう。第2には、貿易自由化の方針が35年に入って確立したため企業の態度が慎重になったこと、第3には34年12月の公定歩合の引き上げが抑制的に働いたことがあげられる。
一方企業の内的条件としても、在庫管理方式の近代化が進められ、倉庫の整備や運搬系統の改善が行われると共に、量産による流れ作業の採用など生産方式の進歩がみられ、工場内あるいは工程内の在庫が少なくてすむようにたったことがあげられよう。原材料ストックの価格変動によって利益を増やすよりも、在庫管理を合理化するこしによって運転資金の負担を軽減しようとする傾向が強まったのである。
財政
需要要因としての財政の役割は、35年度においても大きかった。国民所得統計による政府の財貨サービスの購入は2兆7千億円で、前年に対し18%増加し、国民総生産に占める比率も幾分増加した。
35年度の当初予算は、一般会計1兆5,697億円、財政投融資5,941億円で、前年度当初予算をそれぞれ10.6%、14.3%上回るものであった。この予算は、伊勢湾台風による災害の復旧や国土保全、公共投資の充実など投資的支出の拡大に重点が置かれたものであったが、予算編成当時、物価上昇や国際収支の黒字幅の縮小など、景気のいきすぎを懸念させる徴候があったので、財政面から一層景気を刺戟することのないよう特に注意が払われた。
財政支出の増加率は、35年度当初に予想されていた経済成長率にほぼみあるものとされ、また戦後例年のようにみられた減税も見おくられた。その後経済の推移によって多額の自然増収が見込まれることになったため、2回にわたって合計2,000億円に近い巨額の補正予算がくまれ、給与改善、社会保障、文教関係、食管会計及び産投会計資金への繰り入れ、地方交付税交付金などにあてられた。この補正額は、35年度当初予算の34年度補正後予算に対する増加額が575億円であったことからみると、かなり大型なものであったといえるが、この間の経済規模の拡大を考慮すれば、補正後予算の規模自体が特に過大であったとはみられない。
またこの補正予算は短期外資の流入にもとづく外為会計の大幅な払超とあいまって、巨額の自然増により予想された大幅な国庫の揚げ超による金融市場のひっ迫を、ある程度緩和する方向に作用した。さらに 第7図 にみるごとく、規模において35年度当初予算を24.4%上回り、かつ大幅な減税を含む36年度予算が組まれ、経済の高度長をおし進めることになった。
財政支出の内容をみると、35年度としては文教関係費、社会保障費、地方交付税どの伸びが大きいが、主力は公共事業費であった。公共事業費の増大に加えて、国鉄、電々など公企業の投資も大きかった。
個人消費支出
消費支出の増加も大幅であった。個人消費支出の伸びは対前年度比12.6%と29年度以降最大の増加率を示し、消費水準も6.3%と大幅な向上を示した。
消費増加をもたらした主因は、いうまでもなく所得の増大である。35年度の全都市勤労者世帯の可処分所得は前年度に比べ11.9%増となり、これまた29年度以降最高の増加率であった。個人業主世帯も都市勤労者と大体同程度の増加を示し、農家の可処分所得も現物を含めて10.6%の増大であった。
都市勤労者世帯の収入増加は、定期収入の増加と夏期及び年末のボーナスの大幅な増大とによる。世帯主臨時収入は前年を25%も上回った。また農家収入では、農業生産の増加、農産物価格の上昇もあったが、特に労賃俸給収入の増大によるところが大きい。35年度の農家所得増加の5割は労賃俸給収入によってえられた。
これらはいずれも、好況の影響が個人所得を高めていることを示すものであるが、35年度は消費者物価の値上がりが大きく、都市の消費水準は所得の増加が大きかったほどにはあがらなかった。35年度の消費者物価(全都市)は、前年度比4%の上昇で、全都市全世帯の消費支出の増加は9.8%であったが消費水準の上昇は5.6%に留まっており、支出増加の4割が物価騰貴に吸収されてしまったことになる。農家の消費水準は7.4%と前年に引き続き大幅の増加で、都市のそれを上回った。
物価騰貴はある程度家計を圧迫したといえるが、貯蓄率を下げるほどのものではなく、全都市勤労者世帯の可処分所得に対する純貯蓄率は34年度の9.8%から35年度の10.4%へ上昇した。
35年度の消費内容で特徴的なことは、都市世帯でテレビの普及段階が一応終わったため耐久消費財の伸びがにぶったことで、農家では家具器具支出はテレビを中心に前年度を40%上回っている。都市では、テレビに代わって、電気冷蔵庫、扇風機が増加しており、停滞気味であった衣服が16%も増大した。
また、都市では高所得者層を中心に、ドライブ、旅行などいわゆるレジャーブームの兆しがみえている。当庁の「消費者動向予測調査」(36年2月調査)によれは、過去1年間に11泊以上の慰安観光旅行を家族連なれで行った世帯は調査世帯の29%を占め、自家用車の所有者は半年間に2倍以上に増えた。また国鉄の周遊券利用者も前年度より41%増えた。布地よりも既製の衣服が売れ、また即席ラーメン、即席スープなどいわゆるインスタント食品が流行したのもこの年の特徴であった。家庭の主婦がミシンを踏んだり、料理をつくる労をはぶこうという家事労働節約意識が強まっているが、これは、最近の国民生活が消費の量的増大だけでなく、意識の上でも急速にかわっていることを示すものである。
輸出
前4者の需要要因に比べると、輸出は上半期は好調、下半期は伸びなやみという異なった推移を示した。35年度の輸出額は、通関額で4,117百万ドルで前年度を14%上回ったが、四半期に分けて各期の対前年同期比増加率をみると、18%、19%、13%、7%と下期の鈍化が著しい。
35年度の日本の輸出に最も大きく影響したのは、アメリカの景気後退である。アメリカの景気は35年はじめから停滞し、夏以後下降に向ったため、日本の対米輸出も35年1~3月をピークとしてその後減少に向かい、前年同期比でみると、35年1~3月には31%上回っていたが、36年1~3月には21%下回っている。アメリカ向け輸出は日本の輸出の約3割を占めているから、その動向が日本の輸出全体に及ぼす影響は大きい。
対米輸出の不振にもかかわらず上期中輸出の増勢が続いたのは、東南アジア、西欧、大洋州向けが好調であったためである。それは西欧で好況が持続し、東南アジアでは34年中の外貨蓄積を反映して輸入が増え、またオーストラリヤで設備投資ブームや貿易自由化が進むなど相手市場の輸入需要が強まったことに負うところが大きい。
しかし、下期に入ると後進諸国の外貸準備も減少にむかい、オーストラリヤでも引締政策がとられるなど日本の輸出に不利な事情が増えてきたために、輸出の伸び悩みがあらわになってきたのである。
このように35年度には海外の景気動向は一様でなかったが、日本の最大の輸出市場であるアメリカの輸入が減少したので、日本の輸出にとって国際環境は不利な年であったといえよう。それにもかかわらず、対前年比では、日本の輸出増加率は世界を上回り、世界市場における占拠率も前年の8.4%から3.6%へと上昇を続けた。これは日本経済が数年来の高成長によって供給力を著しく増大し、また競争力が強まったことを示すものであろう。
商品別にみると、伸びの大きかったのは鉄鋼、綿織物、機械類(除船舶)などであった。
鉄鋼と綿織物は年度前半に輸出の増加が顕著であった。これは海外需要の好調が主因であるが、輸出圧力が強かったことにもよると思われる。しかし36年に入ってからは、外需が衰え、内需は強まったので、これらの商品の輸出も伸びなやみとなっている。また合板、ミシン、絹、毛織物、生糸、衣類などアメリカ向けの比率の大きい商品の輸出は、35年度には軒並みに前年を下回った。
需要にみあった供給の増大
工業生産
35年度の鉱工業生産指数は238.2(昭和30年=100)で、前年度にくらべて23.7%の上昇となった。2年続いて20%以上の上昇を示したのは、戦争直後を除いては戦後はじめてのことであった。
しかし生産上昇が年間を通じて一本調子であったわけではない。季節変動指数に幾分問題があるが、第1図にみるごとく3月、4月にやや停滞がみられた。これは前述したような在庫投資の変動に基づくもので、7~9月ごろから設備投資需要や自動車需要が増大すると、生産も一段と高まった。
生産増加の内訳をみると、 第11図 の通りで資本財(自動車を含む)の上昇率が大きく、耐久消費財や生産財の伸びは前年を下回った。これは需要の構成が、34年度が在庫投資とテレビ需要に代表されていたのに対し、35年度は設備投資と自動軍需要に移ったためである。
生産の上昇に対する寄与率の最も大きかったのは機械工業で、生産増加分の55%を占める。機械工業で伸びの大きいのは資本財機械と自動車である。
重電機、産業機械の伸びが目立つほか、特に自動車の増大がめざましい。35年度においては、各種各様の自動車の生産上昇が著しく、特にオーナー・ドライバーを目当ての軽四輪車が増産されたのが特徴であった。自動車の生産は前年度に比べ73%増、84万5千台に達した。自動車は鉄鋼、非鉄金属、工作機械、合成樹脂、ゴム、合成繊維、ガラス、塗料などの諸工業の力が結集された製品で、関連産業の技術水準を高めたり、需要を相互いに呼びおこす効果が大きく、急速な重化学工業化をおし進めるための1つの軸となっている。
機械以外でも、ほとんどの産業で生産が増大した。特に著しいのは、自動車用燃料や鉱工業、電力業の重油需要に支えられた石油精製業と、機械工業、建設業の活況に支えられた鉄鋼・非鉄金属であった。また石油化学製品は前年の2倍に及ぶ著しい増加を示し、生産開始後わずか3年にしてソーダ工業品と肩を並べる産業に成長した。一方、繊維や石炭のように長らく停滞気味であった産業も、前年を10%以上上回る伸びを示した。
35年度の生産はほぼ需要に応じて順調な伸びを示し、特に生産のあい路を生じなかったことも35年度の特色としてあげえよう。
31年度の好況時には、鉄鋼、電力、輸送、機械においてあい路が問題となったのであるが、35年度では下期に電力に一部供給不足がみられたものの、それほど著しい需給のアンバランスを生ずるものはなかった。これは鉄鋼については、第二次合理化工事が完成期に入って生産能力が拡大され、電力では発電設備が、34年度中に急激に増加しており、また火力設備が増え、渇水による電力不足を補うことができたことなどこれまでの供給力拡充の効果が表れてきたことが大きい。輸送については、緊急輸送対策などによる応急的な輸送力強化が行われたことが効果的であった。
機械の生産能力も増加し、 第12図 のごとく設備投資の急増から、受注額は前年度の5割増となったにもかかわらず、31年度のごとき手持ち月数の急増という現象はみられなかった。資本財機械の生産能力が大幅に増えたのは、資本財関係の機械工業の投資の実が上がりはじめたこと、工作機械などでロット生産方式のような能率向上策がとれるようにたったこと、あるいは造船メーカーが、産業機械生産に力を入れてきたことなどの理由による。
農業生産
農業生産は、前年より3%増加した。これは米の豊作によるところが大きく、収穫量1,285トンで、昨年の記録をさらに2.9%上回った。そのほか小1麦8.2%、果実10.8%などの増産が目立った。畜産では牛乳、鶏卵が前年度対比で、それぞれ10.3%、22.4%上回ったが、肉生産の方は枝肉数量で肉牛5.8%、肉豚15.1%とそれぞれ大幅な減少となった。
農産物は、需要の変化に対する供給側の適応が遅れがちのものであるが、35年度には特に需給の不均衡の目立つものが少なくなかった。果実や畜産物には、所得水準の上昇につれて需要が伸び供給が追い付かないものが多く、牛乳、豚肉、牛肉、みかん、もも、ぶどうなどかなり大幅な値上がりをみせた。また木材の値上がりも需要の増大に供給が追いつかないためであった。逆に過剰生産傾向が強まっているものとしては、大、裸麦、でんぷんなどがある。需要減少が激しかったのに生産はそれほど減少せず、政府の在庫は増加の一途をたどっている。このような作物の価格支持及び需給操作を行うことから生じた赤字も加わって、食糧管理特別会計は、35年度には前年度の3倍をこえる314億円の赤字に達するものとみられている。
輸入
年度中輸入は増加を続け、通関額は、4,661百万ドルと前年度を18.3%上回った。
輸入を食糧、原燃料、製品の3グループに分けてみると、原燃料の増加率が15%と比較的小幅であったのに対し、食糧が19%、製品が28%と大幅な増加を示している。食糧の増加率が大きいのは、飼料、肉類、酪農製品など。の増大によるものである。また製品では、機械類、金属、消費財の増加が中心である。
原材料では、鉄鉱石、非鉄金属鉱、石炭、石油などの輸入は大きく増えたが、全体としての増加率は工業生産の伸び24%をかなり下回った。これは、生産の増加が機械工業を中心とするものであったため、あまり原料を必要としなかったことや、くず鉄などで国内供給の比率が高まったことなどによるところが大きく、輸入素原材料消費量の増加率は18%に留まった。また輸入原材料価格が前年度より3.2%低下したことも、輸入の安定に役立った。そのほか輸入原材料在庫投資が減少したことなど、いろいろな原因がかきなって原料輸入の増加はあまり大きくならなかったのである。
このように、35年度の輸入は34年度に比べて比較的安定していたが、畜産の発展に伴う飼料輸入、投資の旺盛を反映する機械輸入、自由化や生活水準の向上による医薬品、化粧品、繊維製品、時計などの消費財輸入など、新しい輸入増加要因がみられることは注意を要する。また原材料輸入の相対的な安定をもたらした要因にも35年末ごろから海外原料商品価格や海上運賃が引締り気味となり、輸入原料の在庫投資も積極化するなどの変化が生じている。
輸入は工業生産の引き続く上昇に加え、上記のような新しい事情を反映して漸増を続けているのに対し、輸出は前述のように停滞しているので、 第15図 に示すように36年に入ってから輸出入のギャップは急速に拡大してきた。
経済拡大の諸影響
労働力高給の引き締まり
好況が続いて、労働力需要が高まったうえに、新規学卒者が減少し、供給が少なかったので、労働力需給は引き締まった。新規学卒者の減少は、昭和35年3月の中学卒業生が、出生率が低下した終戦直前の昭和19年生まれの者にあたるためである。労働力不足のために、農業から製造工業への労働力移動がさかんで、農林省調べ「農林漁業就業動向調査」によると、35年中に農業から非農業へ就職したものは離村による者で29万人、在宅通勤で21万人に達している。製造業や建設業における雇用増加は著しく、毎月勤労統計による常用雇用の対前年増加率は、それぞれ15%、21%であった。製造業のなかでは金属、機械産業の増加が著しく、製造業における雇用増大の約60%を占めている。
第16図 は35年度において必要な労働者がどれだけ充足できなかったかを示す未充足率を、規模別、種類別にみたものである。大企業でも5.6%の未充足がみられ、小規模となると37%もの不足を訴えている。特に技術者不足が目立つが、大企業の臨時工もなかなか雇えなくなったことを示している。
このような状況から求人難の中小企業で大幅な初任給の引き上げが行われたため、若年層での賃金格差もいく金ちぢまった。平均賃金(毎勤全産業常用労働者)は好況を反映して前年にくらべくると7.3%の増加となり、また、36年春のベース・アップの上げ幅も大きかった。
物価の強調
需要の大幅な増大に対しても供給力がついていったため、35年度の卸売物価は比較的落ち着いたものであったといえよう。当庁調べ「週間卸売物価指数」によると、総合物価(除食料)は、35年3月の164.3から、36年3月には167.1と年度中1.8%の上昇であったが、もともと供給の弾力性に乏しい木材の騰貴を除くしほぼ横這い、であった。
前述した在庫投資の低下から、上期中はむしろ金属、繊維を中心に全般的に弱含み傾向であった。9月ごろからは、鉄鋼と繊維で市況対策の効果が現れて下げどまり、一方木材価格が高騰したため、卸売物価は上昇に転じた。木材価格の高騰は、季節的な要因も含まれているが、建築やバルブなどによる原木需要の増大と、基本的に供給力が不足しているためである。36年に入ってからは金属、繊維など主要商品が次第に強調となり、建築材料、化学品なども上昇を示しており、全般的にも強調を続けている。
消費者物価は、卸売物価とは異なり食糧、雑費を中心にかなり顕著な上昇を続け、年度中4.9%という大幅な上昇となった。上昇率の最も大幅なものは住居費の6.4%で、次いで食料、光熱、雑費、被服の順となっている。
食料の上昇は魚介、野菜、肉など一時的な供給不足によるものが多いが、食パン、みそ、しよる油など加工食品も騰貴しており、雑費関係では、教育費、映画、入浴、理髪、美容などサービス価格の上昇が中心である。そのほか、電力、運賃などの公共料金も上昇傾向を維持している。 第17図 にみるととく、35年度中の消費者物価上昇分のうち、約半分は食料価格によるものであった。このように大幅な上昇は生鮮食料品の値上がりによる一時的現象もあるが、その他の費目については、後述するごとく根強い上昇傾向にあることは注目に値しよう。
経常収支の赤字と国際収支の黒字
35年度の輸出為替受取額は3,920百万ドル、輸入為替支払額は3,917百万ドルで、貿易収支ではわずかに4百万ドルの黒字を残したが、貿易外収支が、運輸、特許権使用料支払いなどの増加で、73百万ドルの赤字となったため、経常収支は3年ぶりで69百万ドルの支払い超過となった。
35年度の為替収支の最も大きい特徴は、為替の自由化に伴って、短期資本の流入が巨額にのぼったことである。ユーザンス残高の増大と、自由円の創設、ユーロダラーの流入などによって、短期資本収支は676百万ドルの受取超過となった。そのため、総合収支は、年度中一貫して黒字を続け、年度では608百万ドルの黒字となった。この結果、外貨保有高も、年度末には1,996百万ドルとなり、前年度末に比べ636百万ドルの増加となった。
輸入ユーザンスの増加には、輸入規模の拡大に伴うものもあるが、品目制限の撤廃、期限の延長など制度的変化による分も大きい。ユーロダラーの流入も、アメリカから短期資本が海外に逃避したことの影響もあるが、自由円の創設によって可能になったのである。
経済の拡大によって、輸入が増えたり輸出が伸び悩んだりして貿易収支が悪化すると、外貨が減少するというのが従来の国際収支の動向であったが、35年度は為替自由化によって巨額な短期外資の流入がみられ、経常収支の赤字にもかかわらず、大幅な黒字を可能にしたのである。
金融の果たした役割
経済の拡大に応じて、35年度における総流通通貨(現金、預金通貨)の増加額は8,132億円と、前年度のそれを67%も上回るものであった。日銀券も2,003億円の増加で、年度間平均残高の対前年度増加率は18.2%と今までに例のない急増をみた。産業資金供給額(外部調達分)も年度間3兆3,503億円と前年度を47%上回っている。その内容も盛んな設備投資を反映して設備資金の需要が大きく、特に自動車、機械、化学などいわゆる成長産業でこの傾向が著しかった。
35年度におけるこうした情勢のなかで、金融にはつきの2つの面でみるべき動きがあった。その第1は、景気動向に対して金融政策が弾力的に運用されたことである。34年12月に行われた金融面からの早目の景気調整策は上期の在庫投資の低下を誘発して安定的に働いたことは既に述べた。そして35年春以降景気が落ち着いてくると、同年8月には公定歩合が再び12月以前の水準に引き下げられ、同時に季節的な金融繁忙を緩和するために、はじめて市中から公社債を買い入れるという措置がとられた。窓口規制もこのごろを境として徐々に緩和された。このような弾力的な調節を行いえた背景に、企業側の変化があったことも見逃せない。すなわち企業の在庫投資態度は落ち着きを示し、特に、調達された資金をあげて物的投資に投入し資金繰りの極端な悪化をかえりみないといった、前回の景気上昇期にみられた態度は改善され、流動性の維持に意を注ぐようになっていた。金融抑制態度の緩和は、このような事情を勘案しつつ行われたものである。
第2は、年度末近くに進められた起債規模の拡大、預金金利をふくむ広汎な金利引き下げなどの動きである。35年度の事業債発行額は3,400億円と前年度の2.5倍以上に達し、また増資も5,376億円と前年度を34.4%も上回った。特に従来その大部分を金融機関の消化に依存していた社債が、公社債投資信託の発足などによって、その消化層を大きく拡大したことは画期的な出来事であった。36年1~3月には、公社債投資信託による社債の消化は991億円に達している。これによって、個人貯蓄形態の多様化が進み、企業の外部資金調達が銀行以外のルートから安定的な形で行われうる素地ができたといえよう。また36年1月から4月にかけて広汎な金利の引き下げが行われた。
戦後はじめて預金金利が引き下げられ、事業債の応募者利回りもかなり大幅に引き下げられた。これらの金利引き下げは、金利負担の低下を通じて、貿易自由化に備えるための国際競争力の強化に寄与するという効果を持つであろうと考えられる。
このような35年度における政策の展開は、戦後の金融政策でも画期的なものといってよい。しかし景気上昇のなかにあってかかる政策が行われた背景には、経済力の充実と共に、為替自由化に基づく短期外資の流入が、国際収支の黒字と金融緩和の両面の働きをなしていたことも見逃しえないだろう。
その間にあって、金融政策の実施についてはなお今後において解決されるべき問題を残していることも否定しえない。金利引き下げが行われたが、金融市場になお多くのゆがみを残していること、起債市場の拡大も、それが流通市場の拡大を伴っていないことなどがそれである。
以上にみるごとく、金融政策は景気動向に大きな影響を及ぼしており、今後経済の推移に応じて金融政策の弾力的連旨が望まれるのである。
昭和35年度経済の特徴
昭和35年度経済の特徴を一言にしていえば、息の長い繁栄の達成である。
35年度の実質国民総生産の増加は前述のように11%であった。しかもそれが、34年度の17.7%という高成長に引き続いて実現されたのである。
戦後の日本経済は、1年ないし2年急激な拡大を続けると、かなり激しい景気後退が生じた。しかし今回の上昇は、33年の7月を底として現在まで3年間続いている。それは過去10年間で最も長い成長期間であって、高率の成長を長く維持したことは、高く評価されてよい日本経済の成果であろう。
35年度の高成長を実現したものは、需要の面からいえは設備投資の増大である。35年度の成長率の年初の見通いま6.6%であったが、これが11%になった最大の要因は、設備投資が予想を5割もこえる額にまで拡大したからである。
しかし、設備投資の増大だけの要因では、息の長い成長は実現しえない。むしろ日本では、今までだと景気上昇期に設備投資が大幅に増えるとそれが在庫投資の増加をよび、景気を過熱させて国際収支の悪化をもたらして景気を反転させることになっていた。28年、32年の経験がそれである。従って、昭和35年度経済の特徴としては、需要面における設備投資の増大と並んで、景気を過熱に走らせなかった要因に注目しなければならない。
第1の要因は、我が国経済成長の最大の制約条件といわれる国際収支の天井が高くなっていたことである。これには短期外資の流入が大きく貢献している。
35年度には貿易為替の自由化が進展したが、輸入自由化による輸入増大は少なく、為替自由化に伴う短期外貨の大幅な流入があって国際収支の天井を高める方に作用した。以前には、経済の拡大が輸入を増やし経常為替収支が悪化すると、直ちに外貨準備が減少して引締め政策をとらざるをえなかったが、35年はこれと異なった。
第2に、供給力の余力が生じていたことが物価を落ち着かせ、それが思惑をよはなかった面と共に輸入を押さえる役割も果たしている。32年当時の国際収支の急激な悪化のなかには、スエズ動乱による輸入価格の上昇など外的条件もあったが、国内の鉄鋼の供給力不足を補うための鋼材の緊急輸入など、原料のみでなく製品、半製品の輸入も大きく、供給力不足が輸入増大の主因であった。今回は基本的な資材に供給余力があったことが輸入へはねかえる度合いを小さくさせていた。
第3は企業態度の変化で、これが在庫投資の動向に大きな影響を与えている。貿易自由化政策が打ち出されたことや、在庫投資についての企業の考え方が変わってきたことが、在庫投資を控え目にした。さらに、物価の落ち着いていることと国際収支についての懸念の少ないことが、在庫投資に対する企業態度を落ち着かせていた。
第4に、金融政策が景気に対して予防的に働いたことがあげられる。今までの経験では、在庫投資と設備投資とは常に同方向に変動した。景気後退期には在庫投資減少の姿をとるが、同時に設備投資を減少させ、需要の変化は増大の場合も減少の場合も大幅だった。在庫投資が減少しながら設備投資が増加したのは35年がはじめてのことである。従来は金融引き締めが強すぎて、在庫投資だけでなく設備投資をも減少させねはならないほど企業の資金繰りを圧迫したのに対して、今回は34年12月と35年8月の公定歩合の変更を中心とした金融政策が早目に適切に行われて、大幅な変動を起こさせずに、安定成長を実現するに役立ったとみられる。
これら4つの要因は相互いに影響しあっているのであるが、結局高成長を制約する国際収支や供給力に余力があったことと、高成長といってもむやみな上昇テンポでなく、需要要因の役者がかわりあったことによるところが大きい。いいかえれば、日本経済力の充実と、金融政策の弾力的活用に加え、為替自由化が好条件として働いて、このような息の長い繁栄を可能としたとみられるのである。
しかし、最近にいたって、これらの諸要因のうちのいくつかが、次第に失われつつあることに注目されねばならない。それは卸売物価の動意や、経常収支の赤字がついに総合収支の赤字にまで進展してきたことなどにみられる。
景気の現局面と展望
3年越しの高成長の前途に不安のかけを与えているのは物価と国際収支である。卸売物価(除食料)も36年に入ってから強調に転じ、5月までに3%高となった。卸売物価上昇の中心は建築材料と鉄鋼である。国際収支の経常収支は、1月に99百万ドルの大幅赤字を記録して後、毎月払超を続け、5月までの累積赤字額は4億6千万ドルに達した。総合収支は資本収支の黒字によって4月まではなお黒字を保っていたが、5月に至って79百万ドルの赤字となった。
これらの現象は、19図のごとく昭和32年の景気過熱期と似たところが多く、景気の行きすぎを危倶されているが、現在の景気動向には、当時とかなり異なったものがあることも考慮されねはならない。
設備投資の上昇テンポも32年とくら/くると低いし、生産の上昇率も落ち着いている。卸売物価も木材、鉄鋼で供給増加対策が行われてその上昇がとまり、5、6月には全般的に落ち着きを取り戻した。在庫や輸入にも思惑的な動きは見られない。輸出の停滞によって経常収支の赤字が増大しているが、外貨蓄積も20億ドルに近く、国際収支の赤字に耐える力も強化されている。
それに、国際環境も明るくなってきた。アメリカの景気後退は1961年第1四半期でおわりを告げ、現在かなり急速な回復過程にある。欧州経済も従来の緩慢な拡大基調を続けており、後進諸国も年初来の国際商品相場の回復や、後進国援助機運の高まりなどにより、やや明るさを取り戻している。1960年後半から61年はじめにかけて世界経済の騒乱要因となった通貨不安の問題も、各国政府の協力によって著しく好転してきた。ドル不安はケネディー新政権の対策と国際協力により一応解消され、マルク相場の不均衡も1961年3月はじめの切上げその他の措置で漸次解決の方向にある。このようにみてくると、世界経済の後退期に遭遇していた昭和32年当時と比べて、ずっと明るい条件に恵まれているといえよう。
これら諸般の事情を考慮すれは、経済の現局面が32年当時のような危機に直面しているわけではない。しかも国際収支の赤字増大などの経済動向から、今回は32年当時と異なって民間企業に慎重な態度をもとめる気運が醸成されつつあり、それが年初来つよかった企業の設備投資意欲にも影響をあたえはじめている。このような傾向がより確実なものとなり、輸出が期待通りの伸長を示すならば、日本経済は36年度も順調な成長を実現し得るであろう。
仮に国際収支などの事態の推移によって景気過熱に対する予防措置を必要とする場合があるとしても、それは32年のような大幅な景気変動を引き起こすものではないであろう。
しかし、短期的な景気波動を乗り切りえたとしても、現在の日本経済の成長過程における長期的な問題は残されている。つきにその点について触れよう。