昭和32年
年次経済報告
速すぎた拡大とその反省
経済企画庁
各論
物価
31年度物価騰貴の基本性格
以上のように31年度の物価は卸売、消費者物価ともかなり大幅な騰貴率を記録したわけだが、それにもかかわらず、この物価騰貴は年度間を通じて経済の発展にそれほど積極的な阻害条件とはならなかった。
特に31年度上半期の物価騰貴にはほとんどインフレ感がなく、32年に入って、はじめて少しずつインフレ感を濃くしてきたに過ぎなかった。ところが欧米諸国に目を向けてみると、年度中の物価上昇率は3ないし4%といずれも我が国の場合に比べてはるかに小さかったにもかかわらず、インフレ問題がやかましく論議され、現実に年度初めから種々のインフレ抑制政策がとられてきた。
一体卸売物価の騰貴率が8%に及んだ我が国でそれがあまり問題にならず、かえって騰貴率の小さかった欧米諸国でインフレ的様相が強かったという理由はどこにあるのだろうか。
我が国経済は明治以来急速な発展を遂げてきたために常に物価上昇率は欧米の先進諸国を上回り、いわば絶えざるインフレの並の中に推移してきた。そのうえ終戦直後は極めて強力な悪性インフレを体験している。こうしたことが日本人にインフレに対する免疫性をつくり出し、8%程度の物価騰貴に対してもいわば一種の不感症におち入らせているからだということもいわれている。確かにそうした面もないとはいえない。しかし、最大の理由は、31年度の物価騰貴のもつ特殊な性格にあったということができるようだ。
そこで以下31年度物価騰貴の基本的性格について若干の検討を行ってみたい。なぜならば、この性格を明らかにすることは、とりもなおさずインフレなき物価騰貴の謎を究明することになると思われるからである。
さて、31年度の物価騰貴の基本的性格は、これをほぼ三つの現象面を通じて明らかにすることができる。
第一の側面は物価騰貴における投資財物価と消費財物価との乖離という現象であり、第二の側面はコスト高が製品価格へあまり波及しなかったという現象であり、また第三の側面は輸出物価と国内物価との乖離という現象である。
投資財物価と消費財物価の乖離
物価騰貴率の乖離
我が国の31年度の物価騰貴率がかなり大幅であったにもかかわらず、経済の阻害条件にならなかった最大の原因は、物価の騰貴が一様でなく、投資財部門と消費財部門との間にかなり大きい偏差があったという点にある。
第115図 は当庁調べ「週間卸売物価指数」を投資財物価、消費財物価という部門に特殊分類したものであるが、この図に明らかなように31年度の卸売物価は投資財部門では14%もの異常な上昇率を示しているにもかかわらず、消費財部門では、6.6%と投資財の半分以下の上昇率にとどまっていて、この二つの部門の乖離はかなり顕著である。また消費者物価の上昇率は3.4%で一層その比率は小さい。
一方欧米諸国の物価上昇率を見ると、資料の関係で、投資財、消費財という分類での比率はわからないが、卸売物価と消費者物価とを比べてみても、この両者はかなり接近している。
すなわち 第139表 にかかげたように、米国では年度中の卸売物価の上昇率3.9%に対して消費者物価は3.6%、フランスでは1.1%と0.7%、西ドイツも2.5%と1.8%、さらにイギリスなどは卸売物価3.3%に対して消費者物価は4.3%と逆に消費者物価の方が上昇率が大きくなっているほどである。
こうしてみると、31年度の我が国物価の騰貴はその主要原因がもっぱら投資財物価の上昇にあり、国民生活に直接関連の深い消費財物価、消費者物価の上昇率が比較的小さかったことがわかる。そしてこのことが、物価騰貴をインフレ的にしなかった第一の原因であった。特にインフレ感のほとんどなかった上半期は前述のように消費財物価はほとんど横ばいであったし、32年に入って消費財物価の騰貴率が大きくなった頃からインフレ感がやや深まったという事実もうなずける。
これに反して欧米諸国では全体の物価騰貴率こそ我が国より小さかったが、国民生活を直接おびやかす消費財の物価騰貴率が著しく、国によっては賃金上昇と、物価上昇が悪循環的上昇の様相をさえ深くしていたようであり、インフレの危機感が強かったのも当然といえるようである。
物価乖離と景気循環
それでは31年度の我が国の物価騰貴はなぜこうした投資財と消費財の乖離を形成したのだろうか。これには初めに述べたような色々の偶発的原因もあったし、また供給面では投資財部門はどちらかというと投資が行われてそれが生産力化するのに長い期間を要するのに反して消費財部門は比較的速く生産力化するという性格をもっていたこと、米麦等主要農産物が2年続きの豊作であったことなどの原因もあったが、なんといっても基本的には景気循環の過程として31年度が投資景気の段階にあったことが主な原因とみられる。
いま昭和29年秋以降、今日までの景気上昇の過程を物価面からみると、ほぼ三つの性格の違った段階があったことがわかる。すなわち 第140表 に示したように第一の段階は29年9月頃から翌30年9月頃までの期間で、この期間には海外からの刺激に応じて輸出物価は月率0.6%の比率で上昇し、投資財物価も0.5%の比率で上昇したが、消費財物価や消費者物価はむしろ下落傾向をたどっていた。
ところが30年9月から31年9月頃までの第二段階になると、物価上昇はもっぱら投資財物価によって主導され、月率2.6%と他の輸出物価、消費財物価の上昇率をはるかに上回ってくる。そしてさらに31年秋以降今日までの第三段階に入ると投資財物価の他に、消費財物価が1.5%、また、消費者物価も0.6%と消費部門の物価上昇率がようやく目立ってきている。
ところで以上のように29年秋以降の物価上昇に三つの段階があったということは、景気上昇過程の三つの段階を忠実に反映しているという意味で注目に値する。一般に海外受容の増大に刺激されて一国の経済が景気上昇運動を起こした場合、ほぼ三つの景気段階を通過するのが原則のようだ。まず、第一の段階は海外からの需要の増加に対応して輸出が増加し、輸出産業が活況を呈する。しかしこの段階ではその需要の増加は、既存設備の操業度の上昇や既存在庫の吐きだしによって賄われるから、物価は輸出価格のみが上昇して国内物価にあまり影響を与えない。いわば数量景気の段階である。
次に第二の段階に入ると、増大する輸出需要を既存設備や、既存在庫によってのみ賄うことが難しくなり、新たに設備や工場を造る動きが活発になる。言い換えると国内の設備投資需要が増大するわけである。従ってこの時期には物価も輸出物価だけではなく、投資財物価の上昇率が他を圧して大きくなってくる。いわば投資景気の段階である。そしてさらに第三の段階に入ると、こうした輸出産業の活況、投資財産業の拡大の結果、企業利潤や賃金が上昇し、商品のコスト上昇が目立つようになって物価上昇も漸次、高次製品、消費財部門に波及してくる。いわば景気の爛熟段階であってこの時期になってはじめて景気の上昇は一循環を完結するわけである。
もちろんこうした三つの景気段階の原則的段階であって実際にはその国の経済、社会事情の違いによって時期、または現れ方にかなりのニュアンスがあることはいうまでもない。
31年に第三段階に入ったとみられるヨーロッパ諸国の景気も、完全なインフレーションを起こしたイギリス及び北欧三国や、設備や労働力に余裕があったために生産、物価が平行的上昇を続けたイタリア、フランスなどや、外貨に十分の余裕があったために輸入の増大によって価格インフレを輸入インフレに転化した西ドイツ、ベネルツクス、スイスなどさまざまのタイプがあったことは周知の通りである。
我が国の場合、前述の物価上昇の三つの段階が、この景気上昇の三段階に比較的よく対応していたことは 第116図 に示した三段階の需要の変動と比較してみるだけでもかなりはっきりする。すなわち、輸出物価の上昇率の大きかった30年9月頃までの時期は需要も輸出の増加率が最も大きかったし、投資財物価上昇率の大きかった31年9月頃までは投資需要は4割もの増加を示し他を圧倒している。また投資財物価の他に、物価騰貴が消費財部門へも波及してきた31年9月以降は需要も投資財、消費財ともに堅調を続けて、それが物価騰貴の全般的波及の裏付けとなっている。ただこの場合、31年9月以降の投資需要の増加率が依然として大きいのに、投資財物価が下落に転じている点が対応していないが、これは投資財物価のうちの金属価格指数は市価のウェイトが大きいために実勢とは逆に下落になっているという技術的な理由によるもので、金属を除いた指数はかなりの上昇率を保っている。
以上のようにみてくると、31年度の投資財物価と消費財物価の乖離という現象は基本的には、31年度の景気が上昇期の第二の投資景気段階から第三の爛熟段階に入る過渡期にあったという基本的な性格に原因しているものであって、従ってインフレなき物価騰貴も決して偶然ではなかったということができる。
コスト高の潜在化と輸入冷却作用
次に31年度の物価騰貴をインフレ化せしめなかった第二の理由として、投資財、消費財という関係でなくて原料、半成品など低次商品の物価騰貴が高次な製品価格にあまり波及しなかったとういうことを挙げることができる。
第141表 は29年9月頃以降の原料価格、半成品価格、完成品価格の動向である。もともと、完成品の価格は直接最終需要に結びついていて在庫変動による影響を受けることも少なく、物価変動の幅は他の半成品、原料などよりも小さいものである。しかしそれにしても29年9月以降31年9月頃までは、原料が月率1.3%、半成品が月率1.2%程度の上昇を続けているのに、完成品が0.3%程度の上昇率にとどまっているということはかなり不均衡である。そしてこの不均衡が物価騰貴を最終需要者に直接インフレ感を持たさなかった一つの理由となっている。しかし31年秋以降は表にみるように完成品価格は月率0.6%と相対的にはかなり大きく急上昇して、インフレ感を強めた原因の一つともなっている。こうした関係は 第142表 に示した鉄鋼素材、鉄鋼一次製品、同二次製品、機械という一連の原料から製品までの段階の価格変動にもかなりはっきりと現れている。
このように31年9月頃までは、原料、半成品の価格上昇が完成品に波及せず、31年秋以降急速に波及した理由は一体どこにあるのだろうか。前述のように景気上昇過程の原則として、価格の波及が時間的なズレを持っていたということが最大の理由であろう。しかしその他にも、29年秋から31年9月頃までとそれ以後とでは生産性、操業度の増加率がかなり様相を異にしたという原因もあるようだ。
元来、原料特にエネルギー部門の価格はどちらかというと、ここ数年来相対的に高く形成されてきた。 第117図 にみるように、農業部門、エネルギー部門など原料部門を代表する生産部門は生産性の上昇率が他の部門に比べて著しく小さかった。昭和26年を100とした生産性の上昇率は31年には投資財、消費財部門では150から190に達しているのに、エネルギー部門はわずかに130、農業部門も120前後に過ぎない。こうした生産性の不均衡は我が国経済の資源の貧困という点に最大の理由があると思われ、我が国経済のもつ生産構造の基本的な不均衡ということができるだろう。ところがこういう生産性の不均衡があるにもかかわらず、各部門の賃金水準はほぼ均衡した上昇率を示したので賃金コストとしてこれをみるときは第117図に示したようにエネルギー、農業などの部門が相対的に常に割高に形成されてきたことになる。投資財部門では26年以降賃金コストはほぼ横ばい、消費財部門も1割程度の上昇に過ぎないのにエネルギー部門では約4割、農業部門も2割から3割程度高くなっている。
こうした生産構造、コスト構造の不均衡は長期的には当然価格構造にも影響を及ぼしてくるわけで、価格の26年以降の趨勢はほぼコスト構造の動きに対応してエネルギー、農業部門に相対的に高くなっている。つまりここ数年来、長期的にみた価格構造は原料高、製品安の姿を保ち、この関係は経済水準が大きくなるとともに一層開きを大きくしてきたといえるようだ。従ってこうした関係からみる限り原料価格の面から製品価格を押し上げようとする圧力は常時働いていたと考えられるが、29年秋以降、31年9月頃まではたまたま生産性や操業度の上昇率が異常に高かったために、操業度上昇によるコスト引下げ要因が勝って、製品価格への原料高の波及が阻止されていたとみることができる。
ところが、31年の秋以降は操業度も限界に近づきその上昇率の漸次鈍化して、コスト高を今までのように大きく潜在化させる動きが鈍くなってきたし、またスエズ動乱の影響を受けて、海上運賃の上昇などによる輸入原材料の値上がりも顕著になってきた。そのうえ輸送、電力など基礎部門に発生したボトル・ネックが実質的にコストの上昇に拍車をかけてくることになった。こうして今まで潜在化していたコスト高は、たちまち顕在化し、鉄鋼部門、ゴム、木材製品、はては食料品部門に至るまで極めて広範なコスト高による製品価格の値上りを引き起こしてきたわけである。
以上のように考えてくると、31年9月以降はそれまで続いていた国内需要の逼迫に加えて、コスト高の表面化という二重の要因によって、物価上昇率はかなり大きくなるはずであった。しかし実際には外貨事情に比較的余裕があったことから輸入が大幅に増大し、かえってこの面から物価上昇率は前述のように鈍化するに至ったのである。言い換えると、インフレは上期には生産性や操業度の著しい上昇によって潜在化し、下期には輸入の増大によって価格インフレよりも輸入インフレ的な様相に転化されてしまったということができる。
輸出物価と国内物価の乖離
輸出物価と国内物価
最後に、31年度の物価上昇が積極的な経済発展の阻害条件にならなかった一つの原因として、物価が主として、金属、機械など投資財を中心として騰貴したために、我が国の主要輸出商品である繊維などの国際比価をあまり悪化せしめなかったということと、金属、機械など国内物価の上昇率の大きかった商品についても、その輸出価格は海外価格の水準に近く抑えられていたために、二重価格現象が起こっていたことを挙げなければならない。
初めに述べたように、31年度の世界物価はほぼ3ないし4%の上昇率であったが、我が国のそれは8%程度であった。このことは当然我が国物価の海外比価を悪化させ、輸出にも悪影響を与えるはずであった。しかし実際には31年度の輸出は「貿易」の項にみるように必ずしも減少してはいない。つまり物価の上昇が直接輸出の阻害条件とはなっていなかったわけである。それではなぜ31年度の物価騰貴が輸出に直接影響を及ぼさなかったのだろうか。これはいうまでもなく、国内物価の騰貴が輸出価格へはあまり波及しなかったからである。
いま31年度の国内物価と輸出物価の騰貴率を比較してみると 第143表 のようになる。すなわち、国内卸売物価はこの1年間に8%騰貴したが、そのうち輸出に関連の深い商品だけをとってみると3.8%しか騰貴していない。またさらに輸出商品の輸出物価そのものは1.4%の騰貴率で海外諸国の物価騰貴率よりもむしろ小さかったことがわかる。つまり、我が国の卸売物価の騰貴率は海外諸国のそれを大きく上回っているけれども、輸出商品だけをとり、さらにその輸出価格をとるという二重のフィルターを通してみた結果は、我が国の輸出物価は海外の物価とほぼ均衡のとれた水準に維持されていたことになる。
それではこの国内物価と輸出物価の開差の原因はどこにあるかというと、二つの原因を考えることができる。第一の原因は国内価格構造と輸出価格構造の違いである。国内価格の構造は国内で流通する各商品の流通高の大きさによって構成され、金属や、食料、石炭などの比重がかなり大きい。ところが我が国の輸出構成は、海外先進諸国に比べて、綿糸、綿布など繊維類の比重が圧倒的に大きく、金属、石炭、食料などの比重はかなり小さい。従って31年度のように物価の騰貴率が投資財部門に大きく、消費財部門に小さいという偏りをもっている場合には、輸出価格だけをとってみると繊維などの消費財の比重が大きいことによって、国内卸売物価の騰貴率よりもはるかに小さき騰貴率となるわけである。前表の8%と3.8%の騰貴率の相異はここからでてくる。
次に第二の原因は、同じ輸出商品についてもその輸出価格と国内価格との間に乖離があるという点である。いわゆる二重価格である。例えば 第144表 は主要な輸出品について、その国内価格と輸出価格とを比較してみたものだが、この1年間に最も値上がりの大きかった投資財関係の商品はいずれも国内価格よりも輸出価格の方が低くなっている。この1年間に値上がり率の大きかった棒鋼では国内価格は5割近い上昇率を示しているが、輸出価格の方は4割弱の上昇である。また厚板も国内価格は3割7分の上昇率であるにもかかわらず、輸出価格は2割5分の上昇にとどまった。もともと輸出商品についてこうした二重価格の現象が起こったのは 第118図 にみるように、昭和27年から8年にかけてであったが、それが29年から30年にかけての金融引締政策による物価低落で、特殊な一部商品を除いては解消していた。それが31年になって再び金属、機械などの投資財商品を中心にして再現してきたわけである。
二重価格の経済的意味
それでは金属、機械などを中心にしてこうした二重価格現象が再現したということは一体いかなる意味をもっているのだろうか。
前の 第118図 で明らかなように、二重価格の発生している時期は27年後半から29年にかけてと30年後半から32年にかけての二つの時期であるが、この二つの時期にのみ二重価格が現れたことは決して偶然のことではない。その意味は次の 第119図 に明らかである。この図は二重価格のあまり現れていなかった昭和25年と30年の2ヵ年と二重価格の顕著に現れた28年と31年の2ヵ年を対比して、これら4ヵ年の各々について輸出需要、投資需要、消費需要の各要素がどの位の比率で前年より増加したかを現したものである。この図によると二重価格現象のあまり現れなかった25年と30年では輸出需要の伸び率が他の投資需要の伸び率を大きく上回っている。ところがこれに反して二重価格現象がかなり広範に現れた28年には輸出需要に比べて投資需要、消費需要の伸び率が相対的に大きくなっている。また投資財商品に二重価格の再現した31年には輸出需要に比べて投資需要の伸び率がはるかに大きく現れていて、いずれも二重価格の現れなかった25年と30年とは著しく様相を異にしている。
ところでこうした事実は前述の景気の三つの段階と深い関連をもっている。景気上昇の第一段階では輸出需要が旺盛で輸出物価もどんどん上るのに反して国内需要は相対的に小さいから輸出価格の方が国内価格を上回って部分的には逆二重価格の現象さえ生ずるが第二、第三段階になると、輸出需要よりもむしろ国内の投資あるいは消費需要の伸び方が強くなり、さらに価格上昇の波及も広範になって、勢い国内物価の方が輸出物価を上回ってここに二重価格の現象が生じてくるわけである。つまり25年と30年は景気上昇の第一段階にあったし、28年は第二、あるいは第三段階にあった。また31年の景気は第二の投資景気の色あいを強くもっていたとみることができる。
こう考えてくると、31年に投資財を中心として二重価格現象が再現したことも、31年の景気の段階のもつ特色からいわば必然的に起こってきたこととして理解することができる。換言すれば、31年の景気が投資景気の段階にあったということが、主要輸出品である繊維などの価格を国際的に割高にせず、また、金属、機械のように価格の割高になったものについても二重価格を発生させ、これらの二つの面を通じて物価騰貴を直接輸出面の阻害条件として大きく表面化させなかったのである。
ただここで注意しなければならないのは、前述の二条件のうちの二重価格の発生という現象は一面では、間接的に輸出にかなりのブレーキをかける結果になっていたという点である。それは二重価格の発生するような国内需要の旺盛な時には、企業としては国内市場に商品を高値で販売できる条件が整っているということであり、従って輸出に対してあまり積極的な努力をかたむけなくなるという理由からである。言い換えると、国内からの輸出圧力という点では二重価格はその力を弱める作用を果すということで事実31年度の鉄鋼輸出は、旺盛な国内需要のために減少し、また機械の輸出も伸び悩みの状態にあったのである。
以上のようにみてくると昭和31年度の物価騰貴が表面的にはかなり大きかったにもかかわらず、あまり実質的な経済発展の阻害条件にならなかったのは、一つには景気循環が投資景気の段階にあったために、これが一面では投資財と消費財の間の大きな物価騰貴率の乖離をもたらして、直接国民生活に悪影響を与えなかったし、また他面輸出商品のなかで大きな比重を占める消費財の輸出価格を割高にせず、輸出をあまり阻害しなかったことにある。また二つには生産性や操業度の増加テンポが速く、これがコスト面からの物価騰貴を潜在化させたことにあったと考えることができる。