昭和32年
年次経済報告
速すぎた拡大とその反省
経済企画庁
各論
物価
昭和31年度の物価概要
昭和31年度における世界の物価は、30年度に引き続き上昇傾向をたどり、欧米諸国では卸売物価、消費者物価ともに大体3%から4%の騰貴を示し、世界的にインフレ傾向を強めていた。
こうしたなかで我が国の物価も、前年度に引き続いて卸売物価、消費者物価ともかなり広範囲な上昇を続け、特に、卸売物価ではその上昇率は欧米諸国を大きく上回った。すなわち、年度中に卸売物価は8%、消費者物価でも3.4%の上昇を記録している。
それにもかかわらず、欧米諸国の場合、かなりインフレ的色彩が強かったのに対して、我が国では後にでも述べるように、インフレ感は比較的少なかったことが特色である。
年度間の物価の推移
まず、この1カ年間の物価の推移についてみると、卸売物価は当庁調べの「週間卸売物価指数」によれば、 第112図 に示すように31年3月の161.0(朝鮮動乱直前基準)から32年3月の173.9まで8%の上昇を示し、このため年度平均水準も、前年度に比べ9.5%ほど高くなっている。また、消費者物価も総理府統計局調べの「全都市消費者物価指数」によると、同じ期間に118.4(昭和26年基準)から122.4へと3.4%の騰貴を示し、年度平均水準では前年度より1.7%高くなっている。
もっとも物価の上昇テンポは、年度を通じて終始同じであったわけではなく、この1年間の推移に大きく分けて二つの段階があった。
すなわち、 第134表 に示したように、9月頃を境にして、上期と下期ではかなり様相が違っている。まず、上期についてみると、卸売物価はこの間月率1%というかなり速いテンポで上昇を続けていたのに対して、消費者物価の方はほとんど持ち合いに推移にしていた。ところが下期に入ると、卸売物価は0.3%のゆるい上昇テンポに移行し、消費者物価の方は逆に0.6%速いテンポに転じている。
こうした上期と下期の違いはどういう原因によってもたらされたものであろうか。基本的には、後で述べるような、景気の上昇段階との関連もあるが、その他にも種々の原因がある。まず、卸売物価が上期に異常なまでのテンポで上昇していたものが、下期になって緩やかな上昇テンポに変わったもっとも大きな原因は、何といっても鉄鋼市価と繊維価格の大幅な下落であった。いま、鉄鋼市価の動向についてみると、例えば31年初めに丸鋼はトン4万3,000円であったものが、月をおって高騰を続け、9月半ばには9万9,000、円と2倍以上の高値にまで達しているし、型鋼も4万3,000円から10万2,000円に、厚板も5万円から12万5,000円へと異常な高騰ぶりであった。
このように鉄鋼市価をつり上げたのは、いうまでもなく、投資を中心とする鉄鋼需要が極めて旺盛であった反面、生産がそれを賄いきれなかったことに原因していた。しかし、この高騰も9月に通産省で需要逼迫を緩和するための鋼材の緊急輸入措置を講じ、60万トンの大幅な外貨予算が追加されたのを契機として終えんし、特に市中価格は10月頃から反落傾向に転じ、32年5月初めには丸鋼5万9,000円、型鋼6万5,000円、厚板7万5,000円と、ピーク時からは4割も値下がりを示したのであった。
また、繊維についても、31年5月頃までは綿糸の操短などもあって、価格も比較的強調を示していたが、7月からは操短が全面的に撤廃されたために供給力は著しく伸び、そのうえ秋頃から顕著になった設備の増設と相まって、価格を下落させることになった。
こうした鉄鋼、繊維の価格下落が、卸売物価全体の上期と下期との様相の違いをもたらす一つの原因になったわけである。しかし、 第134表 にみるように右のような鉄鋼市価や繊維の下落を除いては、下期に入ってむしろ物価の上昇率が大きくなっていることは見逃してはならない。これは後に詳しく述べるように漸次コスト高による物価上昇が顕在化してきたためである。
次に、消費者物価の上期と下期のちがいをもたらした原因は、景気の上昇過程におけるタイム・ラグ、つまり、卸売物価や原料価格の上昇が、最終段階の消費者物価に波及するまでには、ある程度の時間がかかるということが基本的な理由であるが、その他、野菜、魚などの食品や、木炭、石炭などの燃料が年度後半における供給の不円滑からいずれも例年の季節的変動以上の値上がりを示したことも原因になっている。
なお、以上のような物価動向も卸売物価に関しては、4月頃を境として相当目立った反落傾向を示しはじめ、7月初め頃までに4%以上の下落となっているが、このような反落傾向には種々の要因が混在しているようだ。前にも述べたように金属、繊維の市価は既に31年秋頃から下がり始めていた。このうち金属については、鉄鋼の緊急輸入や非鉄金属の海外相場下落が大きくひびいていたが、またこれらの商品では在庫変動が激しく、その増加率がそろそろ下火になっていたことも市価反落の一因となっている。このうえ、これにかわって1月頃から顕著になっていたコスト高の波及も、4月一杯でほぼ一巡してしまった。しかも食糧価格のうち野菜、鮮魚などは季節的な下落期に入っている。さらにこうした基盤の上に3月、5月と2回にわたって行われた日銀公定歩合の引上げその他の金融引締措置が、心理的影響あるいは流通在庫の調整などの面を通じて一層価格下落を促進したものと考えられる。
広範な物価騰貴
31年の物価上昇は、30年からの延長とみられるが、その内容はかなり異なってきている。卸売物価についても、消費者物価についても、上昇率において31年の方が、前年度に比べて大きかったというだけだはなく、物価上昇の範囲が極めて広くなったという点に一つの特色がある。
まず卸売物価についていうと、 第135表 に掲げたように、30年度の上昇は主に金属価格の騰貴に主導されていて、他の商品にはあまり目立った騰貴が見られなかった。すなわち、総合卸売物価の上昇率は5.4%であったけれども、このうち金属価格の上昇は2割6分にも達しているのに対して、他の商品はせいぜい1%ないし2%の上昇率に過ぎなかった。これに比べると、31年度は、繊維が3.9%下落しているのを除いて、ほとんど全ての商品が上昇を示し、ことに建築材料の1割9分、金属の1割2分、機械の1割などが目立っている。
これら目立って上昇したものの内容について少し立ち入ってみると、建築材料では松角材が年度中に3,300円から4,100円(石当たり)へ、杉平割は、3,200円から4,000円へと上昇を示し、また石材なども2割方値上がりしている。金属でも、非鉄金属は全般的に下がっているけれども、鉄鋼価格は前に述べたように9月頃をピークとして反落したにかかわらず、年度当初に比べなおかなり高い水準にある。例えば、31年3月の丸鋼市価は4万4,000円であったのが、32年3月には6万5,500円に、厚板は同じく5万9,000円から8万7,000円に、山型鋼も4万4,500円から7万4,400円にそれぞれ値上がりしている。しかも、全取引量の6割ないし7割を占めるといわれている建値の方は、年度中に3回の引上げが行われ、丸鋼は4万3,000円から4万9,000円に、山型鋼は4万5,000円から5万2,000円に、厚板は4万8,000円から5万6,000円にといずれも引き上げられている。
また、機械価格も、工作機械、土木機械、精紡機、変圧器、電動機など広範囲にわたって上昇を示し、特に精紡機などは6割もの大幅な値上がりとなっている。
こうした価格の上昇は、いうまでもなく設備投資や建築需要の旺盛なことによってもたらされたものだが、この他にもコスト高や後に述べるボトル・ネック発生などの影響も見逃すことはできない。
次に、消費者物価についてみると、前掲 第135表 にみるように、30年度においては、住居関係の価格が7.9%の上昇率でやや目立っていたけれども、食料価格が0.8%、被服価格が1.3%、光熱関係の価格が0.2%といずれも値下がりを示していて、総合指数では、0.1%の微騰に過ぎず、ほとんど持合いに推移していた。ところが、31年度になると、住居関係が前年度に引き続いて9.3%もの上昇を記録した他、光熱8.1%、食料2.8%、雑品2.3%、被服2.1%と全ての価格が値上がりを示し、全体では3.4%の上昇であった。
こうした消費者物価の全般的な上昇は、前にも述べたように、31年度の下期に入って、コスト高の波及やタイム・ラグなどを通じて物価騰貴が消費段階にも全面的に及んできた結果である。
物価騰貴の諸問題
ボトル・ネック
以上で大体31年度における物価の推移を大ざっぱに述べたわけだが、この間、物価の動向にとって見落としてはならない問題が2、3起こっている。すなわちボトル・ネックの発生やスエズ動乱の勃発などがそれである。
そこでまず、ボトル・ネックの発生と物価の関係についてみてみよう。
ここ数ヵ年の間、経済の発展率があまりも大きかったために31年秋頃から輸送、電力、鉄鋼など基礎部門を中心にしてボトル・ネックの現象が現れてきたが、このネックは物価面にも直接、間接にかなりの影響を与えることになった。
まず、直接物価面に影響をあたえたのは輸送部門のボトル・ネックであった。国鉄貨物の輸送量は31年度平均で前年度より8%多かったが、要輸送量はそれを上回って増加したために、駅頭滞貨は 第136表 に明らかなように31年初めから漸増し始め、ことに秋頃となって増加が著しく、31年1月~3月の平均785千トンから10~12月は1724千トン、さらに32年1~3月には、2193千トンと、前年同期の3倍近くに著増している。こうした輸送力の不足は、木炭、木材、セメント、果物などの価格をかなり引き上げる結果となった。
また、電力部門は、電力料金が他の商品と違っていわば政策的な意味で価格を据置いていたから、直接、価格が高騰するというようなことはなかったけれども、間接的に電力不足によって、化学品などの減産をもたらし、それが化学品価格を上昇させるなどの影響はかなり広範囲にわたった。その他、32年4月からの国鉄運賃の値上げや電力料金の一部引上げなども、広い意味ではこうしたボトル・ネックの影響ということができよう。
これに対して鉄鋼の場合は、前述したような緊急輸入によって供給不足を緩和し、9月頃を境に高騰を冷却させることができた。
スエズ動乱
31年10月27日に起こったスエズ動乱は、世界交通の大動脈といわれるスエズ運河の閉鎖、油送管の破壊による石油の供給杜絶などをもたらし、西欧経済へ深刻な打撃を与えることになったが、こうした事態の発生は、世界的に商品価値の高騰をもたらした。すなわち、 第113図 に示したように、例えばロンドンの銅相場は動乱勃発直前の277.5ポンド(トン当たり)から動乱勃発とともに急騰し、翌月16日には282ポンドまで著騰しており、鉛、亜鉛なども同じような急騰ぶりを示した。またシンガポールの生ゴム相場は、95セント(封度当たり)からはじまって1ヶ月後の11月末には113セントまで上がり、ニューヨークでも羊毛、綿花などが著しい急騰を演じた。このような商品相場の急騰を反映して、アメリカのダウ・ジョーンズ指数やイギリスのロイター指数も 第114図 のように動乱勃発とともに急騰し、ことに影響が大きかったとみられるイギリスのロイター指数は動乱前の468.7から日をおって上昇し、1ヵ月後の11月にはついに512.6の高水準に達した。
以上のように、スエズ動乱の勃発は商品相場の急騰をもたらしたが、それだけではなく、海上運賃の上昇にも拍車をかけた。すなわち、世界的な船腹の不足を原因に、既に動乱以前から強調を示していた海上運賃は、動乱の勃発によってさらに一層の強調を示すこととなった。例えば、世界の海上運賃を代表的に示すといわれる英国海運会議所の指数をみても、動乱が起った10月の153.6(1952年基準)から11月には171.4、そして12月には189.4へと著しい急騰ぶりを示した。
こうした世界市況の急騰は、いち早く我が国へも影響を及ぼし、人絹糸、銅、ゴム、石油などの価格急騰となって現れた。例えば人絹糸は、動乱直前の239円(封度当たり)から動乱とともに急騰し、1ヵ月後の11月末には264円とこの間1割もの上昇を示したし、また銅も43万5,000円(トン当たり)から46万5,000円に、ゴムも113円(封度当たり)から130円に、さらにガソリンなどは、わずか1週間ほどの間に2万6,300円(キロリットル)から2万8,500円へと2,000円値上がりを示し、1ヵ月後には3万円へと1割4分もの著騰であった。
また、我が国に直接関係のある海上運賃も 第137表 のように例えば、ハンプトンローズ~日本間の石炭運賃は10月の21.50ドルから11月には23ドル、12月には26ドルとかなり大幅な上昇を記録したのである。
しかし、こうしたスエズ動乱による物価の高騰も、我が国経済に長期的な影響をもつまでには至らなかった。
なぜならば、前に述べた海外の商品相場急騰も32年1月頃になると反落傾向に転じ、ことに我が国の場合は、ごく一時的な急騰を示しただけで、早くも12月初めには反落に転じたからである。
これに対して、海上運賃の方は、動乱後も依然として船腹の世界的な不足から上昇を続け、32年2月頃までこの傾向を保った。このため、我が国のように原材料の多くを海外に依存する国にとっては、海上運賃の上昇によって輸入価格が高騰し、それはコスト面から物価の上昇に一層の拍車をかける結果になった。
しかし、この海上運賃の上昇も、3月に入ってスエズが再開するに及び漸次反落に転じた。
従って、スエズ動乱の影響も3月頃には全面的に解消するに至ったのである。