昭和32年
年次経済報告
速すぎた拡大とその反省
経済企画庁
各論
金融
信用膨張と景気の調整
信用膨張の要因
昭和31年度の信用の膨張が、何故に前述のような速さと異常な激しさをもって起ったかという点については、第一にこれを引き出さずにはおかなかった景気の内生的な力、特に信用と結びつくことなしに伸び得ない企業投資の盛行を挙げなければならないが、この点は、「投資の増大と銀行貸出」の項でみたところであるからそれにゆずるとして、そのような投資を可能にしさらに促進した銀行の態度と、それに関連して調整力を失った金利並びにこの間の政策についてみることとする。
貸出積極化の要因
金融緩慢の余波
30年度下期から銀行の過剰資金が顕在化し、銀行の貸出競争が激しくなってきた。31年度上期に金融小締りになっても、銀行はこの状勢を一時的とみる向きが強く、貸出競争を緩めなかった。もともと利回りの悪い政府短期証券に資金を固定させるよりも貸出しに回した方が収益率が高く、しかも、景気はまだ若い段階にあったのだから資金の回収もほぼ確実であった。このことは不渡手形の動きにも現れている( 第105図 )。こうして中小企業や商社に対する貸出競争は続けられ、貿易商社に対する当座貸越なども大幅に増加した。また企業は銀行が容易に貸応ずるところから資金調達の目どを気にかけず自由に買掛けをし、手形を振りだした。そして銀行が事実それに貸応じた。
大企業の投資競争に対する銀行の追従
貸出競争は中小企業や商社にまで及んだくらいだから、優良大企業への貸出しは極度に積極化し、大企業の銀行選択(いわゆる逆選択)を通じて、両者の結びつきは強まった。
下期になると大企業の投資が競争的に行われ、銀行の手許資金が逼迫してきたが、この投資は企業間の競争条件に重大な影響を与えるから、企業にとって浮沈にかかわるだけでなくこれと取引している銀行の勢力にも影響する。かくして銀行は企業の投資競争に追従して貸応ずる結果となった。
企業経営の好調
31年度には、投資需要が極めて強く企業は一般に順調に代金を回収し、大きな利益をあげた。このことは、銀行信用の支えによって初めてできたことではあるが、個々の企業としてはたとえ借入が増えても、それによって投資をすれば利益も増えるし、投下資本が増加してもなお資本の回転は良好であった。(以上 第131表 から銀行借入の返済も順調に行える見込があった。
特に大企業は、収益見込、決済条件等が極めて良好であり、社債、株式などによる資金調達の途もあったから、金融繁忙下において前述のいわゆる系列関係を別としても銀行に対して優位を占めることができた。
銀行の貸出態度と金利
銀行は個々の貸出しに不安がなく、あるいは取引関係維持などのためには貸応ずる必要を認めたとしても、供給すべき資金に不足をきたした場合には、当然貸出の抑制が生じてしかるべきであるが、31年度には銀行手許資金の逼迫にもかかわらず貸出しを抑制する力は弱かった。
いま貸出しの多かった都市銀行の資産についてみると、 第132表 のごとく、現金をはじめとする流動的な資産の預金、借用金に対する比率は31年4、5月までは従来より高く維持されていたが、金融情勢の変化を境として、その比率が低下し、貸出しの比率が増大している。そしてこれは、先に「銀行の金繰り」の項でみたように日銀信用による資金調達を必要とした原因をなすとともに、日銀貸出の増大は、それ自体銀行資産の流動性の極度の低下を示すものである。それにもかかわらずなお銀行の貸出しが抑制されなかったのは、銀行にとって、資産の流動性、すなわち安全性を維持する必要があまり認められていなかったからであり、そのことは日銀貸出への依存によって、支払準備が肩代わりされている結果であることとともに、反面それを大銀行としてことさら異としなかったことも無視できない。しかも31年度には金融繁忙要因として財政の揚超があったことから、日銀貸出を当然視する向もあったようである。
かくして銀行は資金繰りに困難を感じつつも、結局は日銀貸出に依存して貸出を増加させたから企業には金詰りというような事態は生じなかった。
このことは金利の動きにあらわれている。すなわち、一方で先にみたように銀行の資金調達に関係するコール・レートが上昇した反面、貸出金利及び起債利回り( 第126表 参照)は上半期に低下したあと、下半期には下げどまったが、反騰するまでには至らなかった。
まず、短期の貸出しである割引手形の金利別貸出構成を 第106図 によってみると、30年6月から2銭5厘以上の比重が低下し、31年3月からは2銭3厘以上の比重が低下し、2銭及び2銭1厘の比重が増加している。全国銀行貸出平均金利をみても、30年6月から31年3月までに1厘1毛4糸その後31年9月までに8毛8糸低下し、以後ほとんど下げどまり状態となった。すなわち下半期には金利は調整段階に入って優良企業などで下げ後れていたもの(紡績、電機メーカー)は若干引下げが行われ、既に下がり過ぎていたもの(商社、証券会社)は引上げが行われたが、全体としてはあまり変わらなかった。
貸出金利など企業に対する金利が上がらなかった理由を採算面からみると、 第133表 のごとくであって、銀行は貸出金利を上回る第二次高率日銀借入やコール資金をとり入れても、それの何倍かの運用資金の増加が可能であったから、貸出金利を上げなくても十二分に採算がとれた。この場合もし市場資金のみに依存したとするならば、信用供与は早期に限界に達するとともに、採算上も金利引上げが必要となったであろう。比較のために示す最近のアメリカ( 第108図 )あるいは我が国でも典型的な好景気といえる大正6~8年( 第109図 )の金利は、資金需要の増大に対しては極めて敏感であり、公定歩合の動きもこれと歩調を合わせているのであって、これらに示されるような金利の上昇と比べるとき、31年度の貸出金利が、資金需要の強さや銀行手許資金の逼迫( 第107図 に示す余裕金の推移を参照)を全く反映していないことは、まことに異常であったといえる。
情勢の変化と政策
30年度の金融緩慢によって、金融政策は従来の高率適用を中心とする変則的な手段よるものから、正常化への方向に進むとともに、さらに売オペレーションなど別個の調整策も実施されるに至った。そして31年度に入っても、当初は金融緩慢の度が強く、過剰資金の吸収策が課題となっていた。
まず、政府短期証券発行方式の改訂により、31年5月から、それまでの日銀売オペレーションは廃止されて、政府による公募発行が行われることとなった。ところが新方式実施後、一般の資金需要が強くなったため、低利の短期証券は資金運用上魅力を失い、銀行は既に所有していたものを売却する一方であった。( 第120表 参照)かくして、公募発行方式にみられる金融調整上の特色 (注(1)) も、現実には効果を示さなかった。このことは、公募発行を行うことを決定した当時の金融緩慢の程度の強さ(それは例えば、31年4月のコール・レート1銭3厘によく示されている)や当時の情勢見通しから、発行利率が日歩1銭4厘5毛とされたまま、その後の改訂されなかったことによるところが大きい。この点に関しては、一方で、収益の追求に赴きやすい銀行のあり方にも問題があると同時に、金融調整のためには、短期証券の発行条件を弾力的に変更することを前提として、緩慢時に早期に積極的な市中消化をはかることも今後の課題であると思われる。
短期証券発行(売オペ)新方式の特色
(イ)短期証券の発行は原則として政府の市中に対する公募による。
(ロ)売オペ応募者の範囲を拡大し、生保損保各社及び4大証券を加える。
(ハ)市中金融機関相互間の売買を自由にする。
なお以上の方針にもかかわらず、消化でない分の日銀引受、買戻条件などはおおむね従来通りとされた。
次に社債市場の正常化 (注(2)) も、その後の売買市場の不振や発行条件の硬直性にみられるようになお十分の効果を示すに至っていない。
社債市場の正常化の足取り
30年12月23日 日銀は適格社債事前審査を1月分より廃止する旨決定。(これに伴い起債懇談会等は、起債の条件と額の調整を行うに過ぎなくなった。) 31年4月 2日 社債流通市場を再開(東京、大阪両証券取引所) 31年7月11日 8月以降起債分について条件を自由にする旨決定(起債懇談会等の機能は停止することとなった)。
さらに、公定歩合その他の日銀貸出条件は30年8月から31年8月まで据置かれた。そのうち、公定歩合は32年3月まで引き上げられず、そのため市中金利が上がらなかったという一面もあったと思われる。公定歩合の引上げが行われなかったのは、情勢判断の困難などの事情もあったが、それに先立って公定歩合が市中金利の動きと離れて、ひとり従来の高さを維持していたことが、情勢の変化に伴う弾力的引上げを困難とする一因をなしたといえよう。金融緩慢時には、銀行の日銀依存が解消して、公定歩合の金融調節上の機能は発揮できないにしても、弾力的運用の見地からする考慮が必要とされるわけである。
このように、公定歩合そのものは、32年3月まで変更されなかったが、日銀貸出の増大を伴いつつ銀行貸出が急増したことに対しては31年8月から、担保制度と高率適用制度の改正によって、警戒的態度が表明された。しかし現実に銀行の貸出しが増大し銀行の手許資金の不足の生じた後では、日銀は信用秩序を維持するうえから、この不足を埋めないわけにはいかない。31年度には、このような形で日銀貸出が増大し続けた。
金融政策による景気の調整と今後の問題
輸入増大と金融の役割
31年度の投資景気は輸入の大幅な増加をもたらしたが、輸入にあたってその資金調達は、まず国内通過に影響のない外貨ユーザンスや、日銀貸出に依存する輸入手形決済資金の貸出しによって行われた。 第110図 のようにそれらの貸出しは輸入(信用状開設高でみる)の増加に伴って増大している。例えば銀行の輸入手形決済資金貸だけみても、31年度には366億円増加し、年度末残高は929億円となったが、その年度間の日銀信用依存増加額は603億円に及んだ。これら輸入金融の期間は、 第111図 に示すように、28年度以降短縮され、その実質金利も多少高くなっているが、そのなかで一番高い輸入手形決済資金貸でも、年利7.66%(日歩2銭1厘)と市中貸出金利年平均8.43%(日歩2銭3厘1毛)をかなり下回る優遇を受けていた。(31年9月現在)
右のような輸入金融は、輸入を容易に行わせる効果をもったが、輸入を増加させた原因としてより根本的なものは、投資の増大そのものであり、またそれを可能にした銀行信用の膨張であった。他方、現在のメカニズムのもとでは、輸入の増大に伴う外貨支払の増大が金本位制下におけるように通貨収縮を必ずしももたらさないで日銀信用によって賄われる場合が多い。従って国際収支の悪化を予防するためには、日銀信用の拡大に対して警戒的態度が必要ある。ところが現実には日銀貸出の増大は必ずしも警戒信号とはされず、銀行信用に支えられて投資が増大し、国際収支の急速な悪化を招くこととなった。
公定歩合の引上げ--金融引締めの実施
このような情勢に対して、政府、日銀はついに、32年3月20日及び5月8日の2回にわたってそれぞれ日歩1厘及び2厘公定歩合を引き上げ、同時に市中銀行の貸出しを抑制するように指導につとめた。また輸入金融の面では、5月上旬以降現地貸の制限、市中預託外貨の引上げ、ポンド・ユーザンスの制限、担保率の引上げなど一連の引締め措置がとられた。
市中金利については、臨時金利調整法に基づく預金及び貸出(輸入前貸手形を除く)金利の最高限度が引き上げられ、実際の金利も上昇に向かった。また、社債発行条件等についても改訂されることとなった。
以上のような引締措置は財政支出の繰り延べ等需要抑制策によって捕捉されるとともに、他方では引締めの影響が中小企業に集中するおそれがあるので、この方面への資金供給の円滑化により影響の緩和を図ることとなった。
金融政策への反省と今後の問題
金融引締めが実施されるに至ったのは、31年度において投資の異常な速さが急激に国際収支の悪化をもたらしたことによるが、金融面については、銀行貸出の自動的調節は行われず、政策面ではその手段が限られ、かつ情勢判断にも困難が多くて景気の予防的調整が十分できなかったといううらみを禁じ得ない。
景気調節の手段として世界各国では、公定歩合政策、準備預金制度及び公開市場操作の三者が併用されていることは、「総説」でも指摘した通りであって、今後においては、一方で銀行が極力日銀依存を排し、それによって投資が調整されることが望ましいが、他方、政策を通ずる景気の調整にも、まつべき点が多い。すなわち、公定歩合政策の弾力的運用はいうまでもないが、その他、準備預金制度は、既に制度として採用されたので、その活用をはかるとともに、公開市場操作による調整についても有効な実施に努めることが今後の課題であろう。