昭和31年

年次経済報告

 

経済企画庁


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金融

昭和30年度の金融政策

 昭和30年度の金融政策は正常化を促進する方向に展開され、金融調節機能の充実と金利水準の引下げを狙いとした。日銀公定歩合の改訂、日銀売オペレーション政策の活用などは前者であり、コール・レート及び市中貸出金利の引下げ、数次にわたる起債条件の改訂などは後者であった。もちろん二つは全く別々のものであったわけではない。金融緩慢化を背景とした金利水準の引下げや金利の自然的低下傾向は金融調節機能が充実された基盤であったともいえよう。

日銀公定歩合の改訂

 日銀の公定割引歩合は、最近数年間は日歩1銭6厘と市中貸出金利に対してはもちろんのこと、銀行預金コストをさえ下回っていたが、金融調節手段として日銀の高率適用制度があり、これが実際上金利水準に大きな影響をもっていた。

 ことにこの制度は28年秋以降強化され、29年3月には市中貸出金利に対しても逆鞘の最高日歩2銭6厘の二次高率が決定され、公定歩合及び一次高率の適用範囲はますます圧縮されることになった。しかしその反面、二次高率の適用を受けた銀行がその肩代わりとしてコール資金に対し強い需要を示したので、コール・レートが二次高率にさや寄せされ、本来短期金利として低位にあるべきコール・レートが異常な高利となって金利体系が混乱し、またそのためにコール資金を基礎とした債券などの長期資金市場や割引市場を育成することができなかった。

 30年8月の日銀公定歩合及び高率適用制度の改訂は、まずこうした金利体系の歪みを是正し、貸出(金利)政策を通ずる金融調節の基盤を整えることが目的であった。かくて新公定歩合は、取引先平均預金コスト(当時全国銀行平均日歩1銭9厘強)より高目に市中金利とは1厘の順鞘とし、当時の日銀貸出実効金利とほぼ等しい水準にすべく日歩2銭(基準金利)に定められ、高率適用は例外的罰則的な範囲にとどめるよう改められた。

 30年度においては、下半期以降の金融の緩慢化と銀行の日銀依存脱却によって、公定歩合の金融調節上の直接的役割はなかった。しかし、一方高率適用制度の改訂は、まずコール・レートの低下を促し(8月末コールの日銀指導レート廃止)、ひいては証券流通市場の再開に拍車をかけることにもなった。

第102表 日銀公定歩合の改訂

日銀売オペレーションの実施

 市中銀行の日銀依存が解消してゆき、しかも金融市場の資金が必要以上にだぶつきまたは逼迫する場合には、貸出金利の操作すなわち割引政策に代わる別の金融調節手段が考えられねばならない。その第一に挙げられるのは、公開市場操作である。30年度下半期に実施されたいわゆる日銀売オペレーションは、原則として取引先金融機関との相対取引であり、またその売買価格も市場の需給によって形成されたものではなかったが、やはり公開市場操作と呼んでいいものである。

 日銀売オペレーションの推移をみると、 第103表 のように金融緩慢の波及と深まりに応じて四段階を経て発展し、その取引範囲も広まり、また売オペ材料も逐次利回りの低いものに移行した。最初の段階は直接に農中余裕金を対象としたものであった。そして第二段階では長期国債が売オペの材料となったが、これについてはその利回りが当時急速に低下傾向を示していたコール・レートを上回り、金利の低下を支える懸念もあった。ついで第三段階として30年12月からは政府短期証券(日歩一銭五厘)が使用され、その取引範囲も拡大された。なお第四段階として、31年5月からは日銀売オペ方式は廃止され、政府が市中消化の可能範囲で政府短期証券を直接に市中に公募して余裕金を吸収する方式を原則とすることに改められ、市中で消化されない分に限って従来どおり日銀引受とすることになった。これは広汎活発な証券市場の存在を前提とし、市中公募、市中消化の方法によって行われる本来のオペレーションの携帯にまでは至らないにしても、確かに一つの新生面を開いたものであった。

第103表 売オペ方式の変遷

 なお金融調節機能の充実については、最近欧米式の支払準備制度の採用が論議されている情況にある。

金利引下げと起債条件の改訂

 金融正常化のもう一方の流れはインフレ期の高金利の是正であった。金利体系の歪みについては、先に日銀公定歩合のところでもふれたが、歪みは公定歩合と市中貸出金利や預金コスト、あるいはコール・レートとの関係のみには限らない。戦後のインフレ過程で、各種金利は上昇し、短期貸出金利は臨時金利調整法によって最高を抑えられていたものの、両建、歩積を含めた実質金利はそれ以上に上昇し、また規制外の長期金利や社債の利回りはかなり高くなっており、長短各種金利間のアンバランスも目立っていた。例えば、社債は金融機関の流動資産として広い意味では支払準備となるものであるから、応募者の利回りは市中貸出金利を下回ってもよいのであるが、これが逆になっていた。従って発行者利回りはさらに高くなるという状態であった。このため金利水準の低下をはかる政策は、まず6月のコール・レートの引下げや市中貸出金利の1厘引下げに始まったが、その後は主として起債条件の改訂を中心にすすめられた。

 このように起債条件の改訂が円滑に行われたのは、企業の長期資金需要が少ないうえに社債発行条件改訂を見越して起債が少なかったのに対して、余裕資金を背景に金融機関が証券投資に殺到したからである。そうしてこのような起債条件の改訂は市中貸出金利低下の呼び水ともなった。

第104表 起債条件の改訂

社債売買市場の再開

 戦後企業は長期資金獲得のため割合活発な起債を行ったが、これができた背後には日銀適格担保社債事前審査制度があった。これは日銀が適格担保社債を指定し、これを日銀借入金の担保と認める制度で、流通市場のない戦後において社債に唯一の流動性を附与した。このために銀行は社債投資を積極的に行ったのである。しかしこの制度も銀行の借入がほとんど解消したため、その存続は無意味となり、31年1月債以降廃止されることとなった。

 他方30年初来、金融機関、特に地方銀行筋を中心として金融機関保有社債の流動性維持のため、売買市場再開が要望され、また秋以降にはコール資金の増加とコール・レートの急速な低下をみたために、コール資金による証券業者の手持保有も可能となったので、有価証券取引税の軽減、委託売買手数料の改正と相まって、31年4月から売買市場を再開する運びとなった。社債流通市場の再開は社債に流動性を与えてその市場性を増すことはもちろんであるが、コール市場と社債市場間の資金の移動によって長短金利の結びつきが可能になるという効果をもっている。しかし現在までのところでは社債の売り手が少ないため取引は余り活発には行われていない。


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