昭和31年
年次経済報告
経済企画庁
財政
財政投融資
財政投融資の地位と変遷
戦争によって荒廃した生産設備の復旧、拡充及び近代化のためには、膨大な資本を必要とした。しかし、戦後民間資本の蓄積が不足している状況においてはおのずから財政投融資の役割が重大にならざるを得なかった。この間において主導的な役割を演じたものを時期的にみれば、(1)まず復興金融金庫(特に21~22年度)であり、(2)ついで見返資金(24~28年度)(3)さらに開発銀行(27年度以降)、その他政府金融機関がある。この開発銀行時代はさらに二期に分けられる。すなわち、第一期(26~28年度)には、過去の蓄積資金や減税国債を財源として、朝鮮動乱ブームを背景としたインフレ期待のなかで財政投融資が行われたため、結果的に過剰投資を招来するに至った。ただこの時期には、投資の方向が経済の自立達成を目標とする産業の合理化や基盤の育成、国内自給度の向上など多分に投資の量から質への転換がみられた。次に第二期は、29年度の緊縮政策を転期として、金融の正常化と金利の低下を背景とする一つの転換である。
この戦後10年間における財政投融資の趨勢をながめてみると、まず資金配分の特色としては、(1)当初大きかった基幹産業への投融資がその比重において著しく低下し、(2)輸出の振興は漸次ウエイトを増し、(3)農林、中小企業、住宅などの社会政策的ないし公共事業的色彩の強い部門の比重は急激に増加し、(4)地方債は漸減に向かい、(5)政府事業投資も減少に向かった、ということである。他方これを資金源泉別の推移でみると、(1)一般会計のウエイトが急激に低下し、(2)これに代わって資金運用部の比重が急速に高まり、(3)分離後の簡保資金もまた重要な地位を占め、(4)産投会計は恒常的な水準で推移し、(5)余剰農産物資金が30年度から新たに登場してきたこと及び自己資金、公募債が増加傾向をたどっていること、などである。
以上のような趨勢からいえることは、財政投融資の量(規模)と質(資金配分)は民間の物的ないし貨幣的資本の蓄積に応じて変わるべきものであるから、最近時におけるように民間の蓄積資金量が増大してくると、財政資金は大幅に後退して民間資金に対する補完的役割という本来の機能に戻ると同時に、民間の金融ベースにのりにくい部門への資金配分が増加する傾向にある、ということである。
こうした一連の流れにおいて30年度の財政投融資の機能をとらえてみると、投資の停滞と金融緩慢を背景として前述の方向をさらに一層促進したものだといえよう。
30年度の財政投融資
昭和30年度の財政投融資実行計画は、政府資金では2,505億円と前年度実積を若干下回っているが、公募債発行及び自己資金などの増加が見込まれているので、これを含めた総額では4,810億円と前年度を逆に120億円方上回る。
次に、この投融資額の資金配分を前述した投融資の方向と関連してとらえてみると、
(1)大企業にとっては、金融緩慢と投資の停滞とから、戦後において財政投融資に対する依存が最も減退した年であった。すなわち30年度当初計画においてはほぼ前年度並の投融資計画であったが、年度中途において郵便貯金の不振、特殊物資輸入差益の納付不能などを中心とする財源不足が生じたために、実行計画では、(イ)電源開発株式会社に対しては米国映画輸出協会積立円による28億円(資金運用部資金から融資予定)の肩代わりが、また(ロ)開発銀行に対しては回収金の増加及び市中銀行の肩代わりによって資金運用部資金90億円、産投会計60億円、合わせて150億円の削減が予定された。
そこで、この開発銀行融資の肩代わり状況を全国銀行協会の調査によってみると 第77表 に示すごとく、当初予定は58社、132億円であったものが、3月末までに22社、55億円が不要となったので、実際の肩代わり対象としてみれば36社、77億円である。他方3月末までに33社76億円の肩代わりが実施されているので、社数では94%、金額では99%と極めて順調な進捗ぶりであるといえよう。
かように肩代わり不要がかなり生じたのは、経済情勢の好転に伴って事業会社の資金繰りや収益が好転し、自己資金などで開銀借入予定分を賄えるものが増えてきたこと、投資態度が比較的慎重であったことなどのためである。
また金融債の引受けは従来資金運用部資金によって行われていたが、30年度からは金融情勢を反映して暫定予算中の引受け分28.9億円以外は計画からはずされたのも注目される。
(2)こうした大企業向けの投融資額の減退に対して、国民金融公庫、中小企業金融公庫、商工中金などの中小企業向けはほぼ前年度並であったが、農林、住宅、農業開発などの公共事業ないし開発事業向けは政府資金、さらに公募債、自己資金を加えた総額においてもかなりの増加をみせている。政府事業、地方債はいずれもほぼ前年度並である。
(3)以上の資金配分を資金源泉別にみると、 第79表 に示すごとく、一般会計が前年度の約半分に、また資金運用部資金が若干減少した他、公募債が金融緩慢から消化状況が好転したために前年度の7.2%から9.8%に上ったのが注目される。なお30年度から余剰農産物資金が資金源として登場してきたが、これは財源的には電源開発株式会社、農業開発及び生産性本部の三つに初めから決まっているのが特色である。
また資金調達に当たっては、過去の蓄積資金の放出などインフレ要因となるような方法は極力排除されたので、実行計画で財源不足から60億円増えたにもかかわらず、前年度の191億円から90億円と半分以下に低下している(第80表参照)。
財政投融資の今後の方向
戦後における財政投融資の変遷過程でみたように、29年度の緊縮政策経過後の30年度は確かに一つの転換点であった。政府資金の原資不足問題は、好運にも金融の正常化と金利の低下を背景とした民間資金の肩代わりによってスムーズに解決された。この結果、財政投融資においては基幹産業への民間資金の導入が今までになく大幅に進み、この傾向はさらに31年度計画で一層おし進められている。他方、住宅公団や農業開発が30年度に新設されたことを中心として、住宅、道路、開発などの方面への投融資が前年度以上の増加をみたが、31年度にはさらに公団、公社が設立されてその傾向を強めている。
こうした一連の方向は、産業復興の現段階からみて一般的には確かに是認せられるものであろう。だが長期的にみれば、日本経済の基盤を強化、育成してゆくことは極めて重要なことである。原子力の平和利用を初めとして技術の革新は着々と進んでいく。しかし、これら新規産業は民間の金融ベースにのりにくいものであるから、世界の技術競争に負けないように、低利かつ長期の財政資金を最小限確保する必要があろう。
また社会的ないし開発的投資も、30年度から31年度にかけてさらに増加し、いわば公団、公社時代が出現しそうであるが、総花的に流れることなく効率的運営をはかる必要もある。