昭和31年
年次経済報告
経済企画庁
鉱工業生産・企業
数量景気の実態
昭和29年には、緊縮政策によっていったん下降し始めた鉱工業生産も、輸出増加を契機として29年の秋から上昇に転じ、 第32図 にみる通り30年度に入ってからは、おおむね順調に上昇を続けた。このため生産指数(当庁調、昭和9~11年=100)の年度平均は187.7となり、前年度に比べて12%の上昇であった。これは29年度の対前年上昇率3.4%に比べると相当めざましいものといえる。
特に30年度は下半期に至るほど上昇テンポが著しく、好景気の印象を深めるものがあった。これを外国と比較すれば、29年からの生産の増加率は、西ドイツの16%(暦年対比)につぎ、米、英、仏とほぼ同率であるが、これらの諸国に比べて日本の生産の動向にはおのずから特徴的なものがみられる。またデフレ後の外需増加という点では朝鮮動乱期と同様でありながら、26年には物価の著しい上昇がみられたのに対し、今回は価格への影響はあまりなかった。これらの諸点を通じて、以下にいわゆる「数量景気」がどのような要因から生れ、どのような特徴を持っていたか、その実態を分析してみよう。
高い生産を支えた輸出と消費
29年から30年への生産増加分がどこに向けられたのかを産業連関表(26年についての通産省試算のもの)を用いて試算したところによれば、半分以上が輸出、ついで国内消費で、在庫増加、設備投資に向けられたのはいずれもわずかであった。これら最終需要部門の変化は各産業の動きにどのような影響を与えたのであろうか。
輸出の好調
30年度の輸出は約21億ドルで29年に比べて約4億ドルの増加となったが、この増加額は全体の生産活動の上昇分に比べれば25%に過ぎない。それ故増加が前述のように経済の拡大に大きく貢献したのは、船舶が輸出されれば鉄鋼の生産も増加するといった間接効果によるものである。そのうえ輸出の所得効果による国内消費の増加まで考慮に入れると、その影響は非常に大きいといえよう。特に、30年度において増加率の高かったものは鉄鋼、船舶、金属製品、スフ織物、衣類等で、綿織物をブラウスにし、鋼材を船にして輸出したことは付加価値率の高いものを輸出したことになり、同じ1億ドルの輸出でも生産に与えた影響は大きかったと考えられる。
輸出のうちで一番大きいのはやはり繊維である。繊維製品の伸長率は約7%で大したことはないが、30年度の繊維製品の需給のバランスを織物の段階でみると、 第31表 の通りで、国内消費はわずか2%足らずの増加であるから、繊維の生産増加の大半は輸出によるものである。特に、スフ織物の輸出量は対前年比72%も増加して、輸出比率(輸出量÷生産量)も29年度の49%から58%に達し、全世界輸出量の半分を占めるに至った。この影響がスフ糸、スフ綿、ソーダに順次波及して、これらはいずれも生産が増加した。
30年度の船舶の建造実積は75万総トンに達して29年度の約8割増加であるが、うち50万総トンが輸出船で全量の67%に当る。30年度の輸出契約は 第32表 の通りで、現在なおたくさんの受注残をもち、造船業の仕事量を示すと思われる着工トン数の過去10ヵ月平均をみても 第33図 のごとく著増しており、船台はフル操業に入っている。
造船業は元来下請率の高い産業であるが、仕事量の増加とともに、下請率も上昇して、28、9年度に約40%だったものが30年度には約60%にも達している。これが後述のような景気の谷間にあった機械工業特に中小企業をうるおしていることは高く評価しなければならない。また、輸出船の納期短縮のため造船業においてもクレーン、工作機械等の設備投資が盛んになったし、このほか、船舶用厚板等の需要増加による鉄鋼業への波及もあって、船舶の輸出増加の重工業部門に与えた影響は大きかった。
鉄鋼は29年の秋以降デフレの圧力でかなり無理な輸出を行ったが、国際価格の値上がりにつれて正常な輸出に移行し、その後も著しく伸長してきた。輸出量は鉱塊に換算して第33表の通り、28年度約96万トン、(輸出比率12%)、29年度186万トン(24%)、30年度243万トン(25%)と増加しており、輸出船用厚板までを加えると30年度には輸出比率33%となり、本年度の鉄鋼の景気が直接間接の輸出によっていかに大きく支えられていたかがわかる。
非鉄金属は29年秋以来の国際価格の上昇に支えられ輸出がかなり増加したし、国内価格も引きづられて高騰した。しかし年度初めの全鉱連のストの影響もあって、生産はあまり増加せず、輸出の増加と相まって、需要が逼迫し、特に需要バランスが破れた銅については、地金等の加工度の低いものの輸出の停止措置がとられた。これは鉄鋼における輸出停止とともに金属類の需給のアンバランスを物語る30年度の出来事であった。事実、取引単価の少ない、力の弱い中小企業においては建値以上の高価格を忍ばねばならなかったし、必要な銘柄の入手に困難を感ずることすらあったが、これは輸出の好調が関連産業に生産の隘路をもたらした一例である。
国内消費の堅調
個人の消費水準は29年度、30年度とそれぞれ約5%ずつ上昇したが、消費水準が上昇したばかりでなく、内容にもかなり大きな変化がみられる。「国民生活」の項にみるごとく、その第一は生活の近代化のために消費構造が変化して、繊維品から耐久消費財に重点が移行してきたことである。このため、繊維の国内向け出荷は前述の通りあまり増加していないのに、電気冷蔵庫、電気洗濯機、テレビ等の耐久消費財の生産は 第34表 にみるごとく著しく増加している。これは同じく機械の中でも後述の設備機械の生産が停滞的であったのに比べて極めて対蹠的である。第二は消費水準が上昇した結果高級なものを消費するようになってきたことである。このために、石鹸、写真フイルム、食料品の中でもバター、缶詰、薬品のなかでもビタミン剤などの生産が高い。また印刷用紙の生産、印刷製本業にしてもかなりの上昇率を示している。このほか、国内消費に大半あてられるプラスチック、合成繊維などの生産も高く、化学工業は、スフの輸出増に伴うソーダの増産などの輸出からの波及効果や、豊作に伴う肥料の需要増大もあって全般的に生産は上昇し、伸長率は20%で各業種の中でも一番高い。
在庫の動向
鉱工業生産の好調に見合って、またはそれ以上に出荷が増大したため、メーカーの製品在庫は、指数(通産省調、昭和25年=100)でみると30年度間に約12%減少した。この間生産は約12%増加したのだから、在庫率(在庫量÷生産量)は20%以上も低下したことになる。一方原材料在庫は約10%増加したが、生産の上昇によって在庫率は2.4%の減退を示した。流通段階の在庫は、全体の経済規模の拡大から、ある程度増加しているが、販売業者在庫指数でみると約6%の増加に過ぎず、法人企業統計の数字からみると卸、小売業の在庫率(在庫高÷売上高)もほぼ横ばいでさして全体の在庫の増大が大きかったとは考えられない。このように生産の増加に比べて在庫の増加の大きくなかったのは、後述するように在庫の回転率の増大によるものであるが、数量景気の特色として、価格上昇があまりみられず、思惑的な在庫投資のなかったことが指摘されよう。
しかし、仕掛品などは操業度の上昇を反映して増加しており、30年度の下半期からは原材料在庫の増加もテンポを速めており、しかも、メーカー在庫の一部には異常に在庫率を落としているものもあるから、今後はむしろ漸次在庫の増加がみられるであろう。
上半期における投資の停滞
設備投資は戦後の回復過程でかなり高い水準を保ってきたが、28年度で一応一巡して能力に余裕を残しており、その上29年の緊縮政策で従来の借入金の増大に対する企業家の反省もあって、今次の景気好転に際しては、今までほど設備投資がただちに活発になることはなく、30年度上半期までは停滞気味であった。設備機械は受注から完成までに平均3~4ヵ月かかるという時間的なずれから 第34図 にみる通り、受注は既に下半期からは増加に転じたにもかかわらず、生産は横ばいを続け、年度比較では29年度に比べてわずか1%の増加にとどまっている。
しかし暮頃から生産は増加しており、ようやく設備機械生産にも景気が訪れていることを思わせる。
エネルギー部門への景気の波及
前述のように、30年度の鉱工業生産は29年度を12%上回って戦後最高の水準に達したわけだが、これらの鉱工業生産の影響を受けてエネルギー部門(電力、石炭、石油、ガス)においても高い水準を続け、エネルギー部門から生産を阻害した事実はなかった。25、6年頃のように電力が生産を左右した時代に比べて、水力開発、火力増設の効果が着々実を結びつつあることがわかる。また石油精製は、製品輸入から原油輸入、国内精製への政府の方針と、精製能力の増加によって生産も増加し、エネルギー源としての比重は漸増している。これに反し、石炭においては一時の極端な不況を脱し、貯炭は後半300万トンを割る久しぶりの好況のうちに30年度を終ったが、31年3月のストの影響もあって出炭量は29年に比べてやや減少しており、景気の波及の少ないことを物語っている。炭価の国際的割高もいまだ解消されておらず、30年に成立した炭鉱合理化及び重油関税引上げ、重油使用制限に関するいわゆるエネルギー三法の成果も次年度以降の問題として残されている。
30年度の好況の特徴
欧米諸国との比較
このように日本の景気はかなり好ましい姿のうちに30年度を終ったのであるが、これを欧米諸国に比べると、輸出が増加し、消費も高く、生産も上昇したなどの共通点も多くみられるが、また日本の特徴的な点もある。その第一は設備投資である。日本においては前述の通り、投資は後半上昇したとはいえ全体としてはそう活発ではなかった。欧米諸国においては、多くの産業が能力不足になやまされたうえに技術進歩に伴う設備変更もあって、設備投資は極めて活発となり、30年度の景気の主導権を握っていた。
このため各国とも機械の生産が著しく上昇し、イギリスのごときは設備機械の国内需要の増加が輸出余力を減少させ、それが国際収支悪化の一因となっているほどである。
第二に耐久消費財の生産の動向である。日本も諸外国も消費の高水準、耐久消費財生産の上昇という形においてはおおむね同様であったが、消費水準にはかなりの差があったため、耐久消費財のウエイトも低く、機械の生産に及ぼした影響も少なかった。この点、外国においては乗用車の生産の急増が、設備機械とともに重工業ブームを形成する一因となったのに反し、日本の場合には重工業部門の景気が鉄鋼、一部の非鉄金属、造船にとどまって、機械工業への波及が少なかった原因でもある。
輸出景気の波及
同じ景気の上昇でもこのように日本は欧米諸国と異なり、輸出に支えられた景気であったが、30年度の景気の特徴として比較的早く輸出の好況が各方面に波及していって、年度平均でみると消費の増加も大きく、遅れていた設備投資も後半からは上昇を示し、全国的に好況が及んだことが指摘される。輸出産業とそうでない産業にわけて生産の上昇率をみても大差なく、国内関連産業も相当活況を呈していたことがわかる。
しかし、全般的活況のなかにも、ゴムなどの一部業界にはメーカーの乱立から過当競争が行われて中小企業の倒産、発生を繰り返しているところもあり、その他零細企業のなかには十分好況の余恵を受けていないところもあるようだ。
数量景気になぜなり得たか
このように、30年度の好況は輸出増大を契機として国内に波及していったのだが、それがいわゆる数量景気になぜなり得たのだろうか。同じように輸出の急増の起った25年の朝鮮動乱ブームのときには、逆に、物価が55%も上昇するという価格景気となった。25年にしても、30年にしても、その前年は国内経済が引締政策によって沈滞しており、デフレ政策の終期において外需が急増したという現象は全く同じだった。では、どうしてこのように近似した状況でありながら結果が異なったのだろうか。以下動乱時と30年を比較しながら、30年度が数量景気になり得た原因を追求してみよう。
外需の影響
25年度における輸出(特需を含む)は約111千万ドルで、対前年度増加額は61千万ドルであり、これは当時の国民所得の6.5%に相当する。一方、30年における輸出の対前年度増加額は約38千万ドルで、国民所得に対して2.2%に当る。
従って、25年度当時の輸出の増加が、当時の経済規模に与えた影響は、30年に比し、その大きさは約3倍であったことになる。しかもこの輸出増加が動乱時においては約9ヵ月の間に達成されたのだから、増加速度においても動乱時は30年より速く、25年度当時の輸出増大の産業界に与えた衝撃は結局30年のほぼ4倍ということになり、いかにその衝撃が大きかったかがわかる。
在庫の調整力
かかる急激な需要の増大は、まず在庫の調節によって賄われるのが普通である。そこで、在庫がどのように動いたかをみてみよう。第35図は製造工業生産指数(当庁調)出荷指数及び生産者製品在庫指数(通産省調、昭和25年=100)を移動平均法により、季節変動を除いて画いたものである。これでみると、25年度初めから出荷は急テンポに伸び始めたのに対し、製品在庫水準が低かったために生産が同時に急テンポで上昇している。
これに反し、30年は29年後半より需要が増加したが、生産は29年いっぱい横ばいで、主として、製品在庫がこの需要増を賄っていた。すなわち28年末のデフレ政策により、29年初めから急増していた在庫が30年初め頃までは外需の増大にあてられていた。生産は30年初めからやっと上昇し始め、製品在庫の減少が一段落した4月頃から上昇のテンポを早め、非常な活気を呈している。
いま、この二つの場合における出荷、生産及び在庫の変動率がどのようであったかをみると、25年は30年に対して、3.2倍、生産において2.7倍となっている。一方製品在庫の減少率はほぼ同じで、25年にもっと在庫に余裕があったならば、より急速に在庫を減らしたであろうし、8ヵ月位で底をついて再び在庫をまさねばならないということもなかったであろう。こらに比べ29年後半の出荷増に対しては30年度中在庫の再補充をせずに、生産が続けられ、在庫の余裕のあったことを示している。
このように30年度の経済は外需の衝撃に対して、それだけのゆとりをもっていたわけで、経済の底の浅さを指摘されていた25年当時とは違いがある。
生産余力の存在
以上のように、在庫の調達だけでは需要増大を賄えないため生産を増加させたわけだが、それには生産余力がなければならない。
25年当時はまだ生産水準が低かったが、前述の通り、需要増大と同時に急激な生産増大の行い得たことは、当時相当の生産余力のあったことを物語っている。しかし、生産余力にもアンバランスがあったであろうし、このような急激な生産増大は必ずや生産隘路を生ぜしめたであろう。ことに 第36表 にみるごとく、業種により生産の伸率に相当の差異があり、30年度の平均した伸率を比べると、なおさらこの感が深い。これに対して30年度は生産水準も高く、27、28年の合理化投資による余力があり、在庫減少による調節期間もあったので比較的スムースな生産増大が可能であった。
第36表 25年度、30年度における業種別生産指数の対前年伸率比較
通産省調べの各産業度数表でみると、なお一層のことがはっきりする。30年3月における各産業の操業度が一応正常であったものと仮定して、これを100とした場合、25年3月末における製造工業66業種の操業度指数のちらばりかたは 第36図 のようになる。その平均値は約80で30年3月末に対し平均してみると低操業度だったといえるが、図にみるごとく非常に大きな拡り方である。
これからわかる通り、25年度は全産業の操業度すなわち生産能力には余力があったようにみえるとはいえ、業種別には非常にアンバランスであり、前述の急テンポの生産増大には相当無理な面もあったと思われる。
これが25年度においてはその後の設備投資の急増となって現れてきた。しかし30年度は生産余力があったこと、25年当時に比し全体の経済規模が高水準にあったことから、前年度に比しすぐには増大しなかった。
第37表 は国民所得統計での各四半期の生産耐久施設の額を生産財物価指数で修正し、29年度平均を100として指数化した値である。これでみると、当時の生産水準に対する投資規模は、25年度も30年度も大差はないが、増加率は25年度の方が非常に大きく、それだけ設備投資の経済に与えた影響は大きい。この投資上昇がひいては生産を引き上げ、物価を強調にしたものといえよう。
コスト低下と合理化投資
30年度の経済はこのように経済自体のうちに相当大きな緩衝機能をもっていたが、さらにコスト面からみても25年当時とはかなり異なっている。
25年当時も30年当時も操業度上昇による間接費の低下が可能であった。しかし、動乱時には、いわゆる戦争景気に支配され、海上運賃も高騰し、原材料価格が上ったため、コストは操業度上昇による単価当たり間接費の低下額を上回って高騰した。これに反し、30年度は原材料価格もあまり変わらず、また合理化投資の効果に基づく原単位向上等による単位あたり原料費も25年度当時に比べれば低下した。さらに、単位あたり間接費の低下も30年度の方が大きかった。すなわち、人件費についても雇用、賃金、いずれもその増加率が小さく、また金利負担についても、借入金はさして増加せず金利も低下している。このように直接費も間接費も低下し、コスト低下が可能だったところに30年度の特徴があり、これは2、3年前の合理化投資の完全燃焼化におうところが大きいと考えられる。
以上のごとく、30年度は生産水準が高く、ことに27、28年の設備合理化投資による生産余力があり、在庫水準も高く、さらに企業の合理化態勢の進んだ時期に経済規模に相応した需要の増大があったので、スムーズな発展ができたものと思われる。これがすぐには設備投資の増大をきたさず金利も低下し揃って好条件に恵まれた結果、数量景気をかもし得たものといえよう。次に数量景気を可能にした諸条件のうち、過去の合理化投資の効果についてさらに吟味してみよう。
第38表 25年度下半期、30年度上半期におけるコスト要因比較