昭和31年
年次経済報告
経済企画庁
貿易
経済発展と外国貿易
経済成長と国際収支
戦後の日本経済の成長は国際的にも高く、1951年から54年までの間に実質国民所得で年率10%増加し、アメリカの4倍、イギリス、フランスの1.5倍で、西ドイツやイタリアに比べても高い。これは一つには日本経済が回復段階にあったためであるが、この復興需要は輸入を増やし、輸出を妨げる圧力となった。戦後久しい間貿易収支が逆調を続けざるを得なかったのも、一つにはこのような事情によるものであった。最近6ヵ年間の日本の実質輸入超過額をみると、 第19表 の通りで、50年以降年々の赤字が、最初は援助で、ついで特需によって埋められてきた過程を示している。この赤字は戦後暫くの間はむしろ増加の傾向にあって、特に53年の実質入超は950百万ドルに近く、特需は高水準にありながら国際収支はついに2億ドルの赤字となった。
長期的な経済成長の過程では、各国の相対的成長率の相違は国内市場と国外市場との拡大率の差となるので、拡大テンポの速い国では輸入増加率は輸出増加率を超え、貿易バランスはマイナスとなる傾向がある。ところが、日本の国際収支は1953年を境にして急速に改善され、55年にはついに特需なしの均衡に到達したことは前述の通りである。国内経済成長率は世界のほとんどいずれの国よりも高いのに、輸出増大率が高く、輸入増大率が低くて国際収支は自立的均衡の方向へ向っている。このようなことはなぜ可能であったのだろうか。
輸出成長率
戦後(1952~55年)の世界の輸出成長率は名目額で年4%であるのに対し、日本の輸出成長率は16%で、 第27図 にみられるように世界の主要国のいずれよりも高率である。世界諸国を上回る日本のこの輸出成長率はいかにして達成されたか。
朝鮮戦争による撹乱が一応おさまった1952年を基準にして55年の日本の輸出をみると、総額で6割近く増加しているが、商品別では増加率として最も高いのが船舶の7倍、ついでスフ織物の3.8倍でそのほか平均率以上に増加しているものは、衣類、化学肥料、玩具、木材、ミシン、魚介類などであった。また綿布は増加率では比較的小さかったが、日本の輸出中に占める比重の大きさからいって、この間の日本の輸出増加に対する寄与率という観点からみれば、比較的大きかった。鉄鋼が減少しているのは、52年の輸出がアメリカの鉄鋼ストで異常に大きかったためであって、53年を基準としてみれば増加率も高い。
また市場別に拡大率の高いのはアルゼンチンの8.7倍をはじめその他リベリア、中共、ベトナム、カンボジア、ラオス、カナダ、ブラジル等で、フィリピン、インド、オーストラリア、アメリカ、ナイジェリア、ゴールドコースト、タイ、南阿連邦等に対しても平均以上に増大した。また寄与率としては、その比重の大きさからいってアメリカが圧倒的で、この間の輸出増加額の3割はアメリカ向けである。
上記のような商品及び市場への進出が、日本の輸出拡大を先導したのであるが、このめざましい進出には次のような原因が作用していたようである。
第一に商品別には、日本の輸出が世界需要の増大の方向へ適応したことである。世界需要の増大は第21表に示すように、スフ織物、船舶、雑貨、ベニヤ板、電気機械、化学肥料などにみられるが、日本の輸出はこれら世界需要の増大商品において著しい増加を示している。戦前においても日本の輸出は世界需要の変化に柔軟対応することによって実現されたものであり、このことは常に貿易拡大のための第一条件をなすものであろう。
第20表 日本の輸出上昇(1952~55年)に対する市場別商品別寄与率及び拡大率
第二に市場別にみると、日本の輸出増大にはいくつかの異なった要素があるようだ。その一つは拡大市場への進出である。すなわちアメリカへの輸出増大はこれにあたる、その二は新市場の開拓である。南アメリカ、アフリカなどは総輸入規模が停滞しているにもかかわらず、日本のこの地域に対する輸出は増加した。もっとも1955年のアフリカへの輸出増加にはリベリア向け船舶が含まれている。その三は東南アジアに対する輸出増加である。この地域も総輸入が減少しているにもかかわらず、日本の輸出は増加したが、これは東南アジア地域における日本の地位が回復過程にあることを示すものであろう。これらの結果ヨーロッパを除くと、各地域における日本からの輸入の比重は高まった。このように拡大市場に対してはその需要増加に適応して進出し、また停滞市場に対しても積極的に市場開拓を行ってきたことが、日本の輸出の増加をもたらした第二の要因である。
第三に、生産の上昇が輸出商品で特に著しかったことである。1952年から55年までの間に、国民総生産の増大は23%であるのに、他の産業に比べて輸出率の高い工業生産では48%上昇している。工業生産のうちでも特に輸出比率の高いミシンが73%、発電機が87%、カメラが190%と平均以上に増加している。生産上昇も、それがどの部門でより速やかに行われているかということは、貿易収支に重要な影響を与える。輸出産業の生産の上昇が国内の平均的な生産増加率よりも高かったことは、輸出の上昇を高め、国際収支を好転させた国内的条件であった。
第四に、輸出商品の質的向上がみられる。綿織物は世界の需要が減少しているなかで日本の輸出で減少が少ないのは、染色、加工品や交織に移行し、スフ織物、人絹織物も品質の向上が価格の低落と相まって輸出圧力となったということができよう。
第五に、1954年から55年にかけては、国内需要増加を超えた生産の増大ということが挙げられる。生産の増加が著しくても、それによってかえって投資、消費需要の増大を呼びおこし、国際収支が悪化することがあるのは53年の投資景気の時代に経験した。その後54年の緊縮機を経て55年に入ってもなお国内供給量は増加したのに対し、投資需要、消費需要は遅れていた。世界諸国が好況で需要が盛んになったとき、国内では設備の増大や生産力の向上によって増加した供給能力は停滞気味の需要を上回りこれが輸出圧力となって作用していた。このような状況はまた「物価」の項にみられるように、価格関係の変化を通じても日本の輸出を有利にさせた。国際市場では競争国の数が多いから、わずかな価格変化でも常に輸出の増減に強い影響を及ぼしている。以上の所得要因、価格要因の作用によってこの1~2年日本の輸出比率は軒並みに上昇した。
日本の輸出上昇が世界を超えているのには、先にふれたように、我が国の緊縮政策と世界の好況が強く作用している。また基準年次の1952年に日本の貿易の回復がまだ遅れていたため、その後の拡大率が特に高くなったという事情もある。しかし経済の内部に上述のような輸出上昇を支えるべき力が働いていたという点も否定できない。
輸入拡大率
1952~55年の日本の輸入拡大率は年7%であった。これは世界の主要国と比較しても、西ドイツ、オランダ等につぐ相当の高率であるが、この間の輸出成長率16%、国民所得成長率8%と対比してみれば低く、この輸入増大の低率が貿易収支を好転させた他の一因であった。
輸入拡大率及び寄与率を商品別、市場別にみると 第24表 の通りである。商品別拡大率は各類別にかなり目立った差異があるが、結局食糧と繊維原料の減少が、その他の原材料や製品輸入の増大傾向を相殺して全体の拡大率を比較的低率にとどめたものということができるであろう。
第24表 日本の輸入上昇(1952~55年)に対する市場別商品別、寄与率及び拡大率
食糧の停滞は国内生産の増加にもよるが、価格低落によるところが一層大きい。数量でみれば米は約3割、砂糖は3割5分、小麦は4割近く増加しているが、金額では2%の増加にとどまっている(ただし大麦は数量でも4割ほど減少している)。繊維は総輸入額が減少しているが、その主因は綿花にある。すなわち国内の繊維産業の比重が急速に化学繊維に移っているため、綿花は輸入量としても1割の増加にとどまり、その上価格が低落したので金額的には11%も下落した。この反面、レーヨン・パルプの輸入量は5割増えたが、この場合も価格が低落したために金額的には1割の増加であった。羊毛の輸入額は2割ほど増加した。このほか鉄鉱石は国内原料使用の増加によって鉄鋼生産が増加した割合ほどには輸入は増加しなかったし、粘結炭では現実に輸入量が減少した。
これに対して増加が顕著なのは、大豆、木材、鉄鋼くず、生ゴム、原油などであった。これらのうち木材、鉄鋼くずなどについては価格の騰貴にもよるが、概して国内供給量に限度があり限界輸入比率は極めて高くなる傾向があるためである。
以上のように、大口輸入品目における国内生産の増加、国内品による代替、価格の低落は、その他の原料及び製品における輸入量の上昇と価格の上昇を相殺し、平均輸入性向を高めなかった。
なお市場別には、以上の商品の変化と政策的な輸入の非ドル地域転換を反映して、北米からの拡大は小さく、南米及びアジアからの輸入が増大している。特にアジアはこの間の輸入増加額中6割以上を占めている。これは輸出増大に対して北米の寄与率が高いことと相まって、市場別アンバランスの是正に役立った。
日本貿易の課題
戦後の日本貿易の発展と最近の国際収支好転の過程は、上述のようにかなりめざましいものであった。世界貿易における日本貿易の順位も著しい上昇をみている。1950年には日本の輸出は17位であったが、51年にはアルゼンチン、ベネズエラ、スイスを抜き、ついで52年の停滞期を経て53年には、インド、マレー、シンガポールを、54年には、スウェーデン、ブラジルを、さらに55年に入ってオーストラリア、イタリアを抜いて8位となった。このような成果は、前述のように決して偶然的なものではないが、しかし一方最近の好転は、国内の緊縮政策や、海外の好況に助けられたところも大きく、日本経済の実力以上とみられる点が少なくない。輸出を有利にしていた国内事情も一部の商品では供給力の限界と国内需要の増加によって次第に弱まっている。市場の問題としても、当面インドネシア、韓国、アルゼンチン等に対しては債権が累積して輸出の障害となっているし、アメリカでは綿製品、陶磁器、まぐろ、合板などについて輸入を制限しようとする動きがでている。さらに長期的には、近接市場との貿易回復の不十分や、後進国の工業化や先進国との輸出競争の激化によって貿易発展が困難になるという問題が常に存在している。特にアメリカ、イギリス、西ドイツなどではその輸出構成において重化学工業が5~7割を占めているのに対し、日本では、繊維品や雑貨の比重が高いことは、世界需要の将来の変化の方向を考えるとき、日本の貿易構造がなお困難な調節過程を経なければならないことを予想させる。日本経済の発展のためには最近の好転に満足することなく、なお貿易水準を一層高めなくてはならないということは、一人当たり貿易水準の国際比較を示す 第31図 からも明らかである。
戦後のめざましい貿易の回復にもかかわらず日本の貿易水準は諸外国と比べて非常に低い。日本の一人当たり貿易額は、イギリスの7分の1、ドイツの5分の1、フランスの4分の1、アメリカの3分の1、イタリアの2分の1に過ぎない。この貿易の低水準は何よりも日本の所得水準の低さを反映している。国民所得は一国経済の生産、交換、消費の全活動の結果であり、これの増加は通常、より多くの商品の輸出を必要とするし、またより多くの輸入需要を生ずる。逆にまた、輸出、輸入の増加は国民所得の拡大を可能にする。もちろん一人当たり貿易額と国民所得との関係は、各国の経済構成の差異に従い貿易依存度の如何によって異なるから必ずしも比例的関係にはないが、多くの場合貿易額の低さはその国の貧しさの表現であることを先の図は示している。貧しい国は低い生産水準、従ってまた低い購買力水準のために輸出入貿易もまた低い。
もっとも、日本経済は戦前に比べ現在ではその産業構造の変化によって、より少ない輸入でより大きい財貨サービスの生産を行い、またその生産物のより大きな部分を海外市場でなく国内市場へ販売している。日本の輸出、輸入の国民所得に対する比率は、戦前、すなわち1934~36年各23%、(もっとも当時は準戦時体制にあったため備蓄的な輸入もかなりあったと思われる)であったものが、55年には、輸出11%、輸入14%まで低下している。現在では国際的に比較しても日本は国民所得、貿易比率の最小の国に属している。輸入依存度が半減した理由は数多いが、原料輸入依存の強い天然繊維産業から化繊や重化学工業へと国内産業の重点が移行したことなどによる原料輸入依存度の低下が、この全体の比率低下に対して約7割の寄与をしている。他の2割は国内工業の発達等で、戦前輸入に依存していた硫安、紙、銑鉄、ガラスなどの自給化による製品、半製品輸入の節約である。食糧関係では、主食は生産の増加にかかわらず、人口増加などのために輸入依存度は低下しなかったが、油粕などの輸入は化学肥料工場の発達によって国内産物に代替された。
産業構造の変化によって貿易依存度が低下することは、その産業構造の変化が国際分業の趨勢と一致したものである限り、望ましいものである。東南アジア諸国の綿工業発達の方向に即して、日本の輸出産業の比重が綿布から化繊繊維の方へ次第に傾き、これによって綿花輸入が減少するごとき、また国内の化学肥料工業の発達によって、油粕や硫安の輸入が代替されたごときは、この例である。しかし日本の貿易依存度の低下には、戦争中国際経済から切り離されていたために生じた経済構造や戦後の外貨不足によって強制された輸入制限によってもたらされた面もある。現在保有外貨には次第に余裕が生じていたにもかかわらず、なお輸入制限措置を多くの物資について継続しなければならないことは、一部にはこの長期にわたる国際経済からの隔離による産業構造の歪みに原因をもつものがあろう。もちろん比較生産費の体系は、経済の成長とともに絶えず変動しているのであり、成長産業に対しては過渡的に保護を加えることは必要であろうが、戦後の世界諸国の貿易動向をみると、国民所得に対する貿易比率は戦前よりかえって高まっている例が多く、特に工業国相互の製品貿易の拡大が顕著である。戦後の日本の輸入依存度が国際的に低くなったのは、戦争をさしはさんだ10年余の間の産業構成の変化によるところが大きいのは確かであるが、世界貿易の自由化に伴って輸出、輸入を拡大し、国際交換の増大によって利益を得られる余地も多く残されていると思われる。国際市場の需要変化にマッチした産業構造と、世界市場で通用する輸出産業の高生産性とによって高い経済水準を高い貿易水準で支えてゆくこと、これらの可能性を最近の貿易好調は暗示しているようにみえる。