昭和31年
年次経済報告
経済企画庁
貿易
昭和30年の貿易
国際収支の改善
経済の成長と国際収支の均衡を自力で実現することは、戦後の経済自立にとって大きな目標であった。昭和30年は輸出増加を主因として経済の拡大と国際収支の改善が両立した。30年における生産増加の約半分は直接、間接に輸出の伸長に負うており、また輸出の伸長は国際収支をして特需なしでも均衡が取れる状態にまで改善させた。
年間の推移を外国為替統計によってみると、5月を除けば各月ともかなりの受取超過で、特に6月以降はおおむね5,000万ドル前後の黒字を続けたが、国際収支好転の様相は次の諸点にみられる(以下貿易の項では原則として暦年を採用する)。
第一に、30年の国際収支(外国為替収支)は総額で494百万ドルの黒字を記録した。これは前年に比べ約4億ドルの改善であって、年間の受取超過額としても戦後最高である。外貨保有額も年間260百万ドルを加え12月末の保有額は13億ドルを越している。
第二に、貿易収支だけで受超となったことが特徴的である。すなわち30年中の輸出は、1,954百万ドル、輸入は1,848百万ドルで約1億ドルの出超であった。こうしたことは戦前戦後を通じてほとんどその例をみない。一般貿易外収支は170百万ドルの払超であったが、国際収支はほぼ特需にたよらないで均衡に近づいた。
第三に、貿易収支の改善が輸出の拡大によって実現された。すなわち、輸出為替受取額で28%増加してこれが収支改善の主要因となった。
第四に、通過地域別バランスも好転した。オープン勘定地域との貿易はやや縮小したが、ドル地域に対しては輸出増大、輸入縮小によってバランスは目立って改善され、またポンド地域とは輸出入ともに増大し、かつ収支は前年に比べて均衡に近づいた。オープン勘定地域との貿易も、アルゼンチンに対する出超の累増等の例外はあるが、インドネシア、韓国に対する出超の減少、西ドイツ、フィリッピンに対する入超幅の改善など全体として均衡化の方向に向かった。
第五に、国際収支の好転が国内均衡と比較的よく両立した。26年にも輸出は目立って増大したが、この年には国内物価が急騰して経済はインフレ化した。また29年にも輸出は急増したが、これには国内緊縮政策の結果の出血輸出とみなされるものも含まれていた。これに比べれば30年は輸出増加が国内経済をインフレ化することもなく、また国内需要を切り詰めて輸出を強行したのでもなく、国際均衡は国内経済の比較的安定した拡大を伴って実現された。
第六に、いわゆる貿易の正常化を漸進させつつ、国際収支が好転した。輸入外貨予算の枠は下期に入って特に拡大され、グローバル予算や自動承認制度の適用範囲も漸進的に拡げられている。またLUA(政府が我が国の為替銀行の支払いを外国銀行に対し保証する--保証及び授権書――制度)の適用の幅を狭めたこと、30年の末に西ドイツ、31年に入ってからはイタリア、スウェデン、タイ、アルゼンチン等とオープン・アカウント制度を廃止して多角的貿易を拡大したこと、輸出貿易管理令による政府の直接統括制から自治統制への漸進的移行、リンク制度など輸出助成措置の廃止、商社外貨保有制度の実施などがこれである。
以上のように30年の国際収支の改善はめざましかったが、なお残された問題も多い。例えばこの年の輸入には、為替の支払いに現れたもののほか、余剰農産物が70百万ドル、またユーザンス等で支払いが繰り延べとなっているものが169百万ドルあって、これらを含めた実質輸入額は輸出額を上回っている。この意味で真に貿易収支だけで均衡したとは言い難い。またこの年の輸出増大は、世界景気の好調によるところが多く、この景気の波がおさまった後になお輸出入の均衡がとれるかどうかは疑問であろう。さらに世界における貿易政策の動向をみると、貿易の自由化がEPU(欧州決済同盟)諸国を中心として世界的に漸進方向にあり、ガットにおいても規約の改正を行い、輸入制限適用に関する制限の強化、輸出補助措置の一般的禁止などがはかられた。しかし日本経済の現状はまだ多くの商品について外貨割当制度を残留することを必要としている。また30年9月、正式にガットに加入したが、規約第35条を適用して我が国とガット関係に入ることを拒否している国が14カ国も存在し、消費財輸出に対しては一部に輸入制限の気運がみられる。しかも現在の輸出入水準は中共及び旧植民地である韓国との貿易が異常な低水準に抑えられているため、これら近隣諸国を除けば、その他の地域に対しては既に戦前水準を回復、または凌駕しているにもかかわらず、全体としてはなお低水準にとどまっているという根本問題も残されている。次にまず30年1ヵ年間の貿易の特徴を述べ、ついでこの数年間の推移をあとづけることによって長期的な問題にふれよう。
輸出入貿易
世界的背景と日本の貿易趨勢
1955年は世界経済の好況の年であった。ヨーロッパでは53年後半以来の経済拡大テンポが55年に入って一層速まった。しかし経済拡大の機動力は54年の住宅建築や耐久消費財から55年には産業投資へとその様相を異にしている。アメリカでも54年秋から住宅建築と自動車を先導として経済は回復の兆しを示し、55年を通じて耐久消費財を中心に経済の拡大がみられた。しかしこれら諸国においても、年末に至って全般的に経済拡大の鈍化ないし停滞がみられるようになった。後進国では景気は国により異なった。米、小麦、コーヒー、ココア、羊毛など食料と繊維原料の価格は弱かったが、非鉄金属、ゴムを初め、原油、木材、パルプ等の工業原材料価格は強調だったので、食料、繊維原料輸出国と、その他の工業原料輸出国との間にはかなりの差異を生じたが、全般的にいえば年の後半から後進国においても経済の好転した国が多い。また東西貿易(中共を含む)も54年8月に共産圏向け禁輸措置が解除せられた結果、西ドイツを初めフィンランド、フランス、イギリス等を中心に顕著に増加し、朝鮮動乱前の水準に戻った。しかも共産圏諸国の後進国(ビルマ、インド、アラビア、エジプト等)に対する経済的接近は極めて積極化しており、これら両地域間の貿易は拡大の方向をたどっている。
世界全体の鉱工業生産は前年を約10%上回り、生産の好調は貿易量の増大をもたらした。世界の輸出額は前年に比べて比率で8%、金額で65億ドル増加し、838億ドルという新記録をつくった。地域別にみて増加が著しかったのは西欧大陸(EPU地域)及びアメリカであり、輸出増加率はそれぞれ14%(増加額30億ドル)及び11%(14億ドル)に達した。
このような世界経済の好況を背景にして日本の輸出は、昭和29年の初めからほぼ一貫して増大を続けてきた。一方輸入は、29年中には引締政策の結果として年初の高水準から急落を続けたが、年末を底として上昇に転じ、30年に入ってからは増大傾向を維持している。輸出が直線的に増加しているのに対し、輸入は29年と30年の境を底にして弧を描いているので(第24図参照)、この輸出入趨勢の相違から30年の貿易収支は通関額で前年に比べ3億ドル余り改善された。
輸出
昭和30年の輸出通関実積は2,011百万ドルで、前年に比べ金額で381百万ドル、比率で23%増大した。商品類別では、 第25図 に示すように金属の55%増を最高に、雑品、非金属鉱物、機械、薬材化学製品、繊維の順でいずれも顕著に増加している。主要商品別では19品目中、衣類、非鉄金属、鉄鋼、スフ織物、船舶、木材、玩具など15品目が増加し、繊維機械、人絹糸、綿織物、硫安の4品目が減少したが、そのうち特に目立っているのは繊維機械で、これはパキスタンにおける綿紡増錘の一段落による需要の減退が主因となっている。金額でみると、29年に第1位であった綿織物(同年輸出総額に占める割合15%)が30年第2位(同11%)となり、第2位であった鉄鋼(10%)が第1位(13%)と首位が変わったが、依然としてこの2商品が大きなウェイトを占めている。
また通貨地域別には、ドル及びポンド地域に伸び、オープン勘定地域に対しては縮小した。国別ではアメリカの増加が顕著であって、30年の輸出増加額の半ばを占めている。ついで、香港、インド、アルゼンチン、リベリア、オーストラリア、カナダ、ベトナム、カンボジア、ラオス、シンガポール、フィリピン等への増加が目立った。一方輸出が減少した主な国は、債権が累積して、日本が輸出調整を行っているインドネシア、前年為替競売制によって不自然なかたちで輸出が増加したブラジル、政治的な問題が未解決な韓国、前年三角バーターで輸出が増大したメキシコ等であって、やむを得ない事情によるものが多い。
30年の輸出は年初から直線的に伸びたあとをうけて、31年に入ってから1~6月の平均は193百万ドルとなお高水準を保っており、商品別には船舶及び金属製品が比較的好調な反面、繊維類は伸び悩んでいる。
輸出がめざましく増加した原因の第一は、世界景気の好況である。アメリカの好景気のお蔭で、対米輸出は雑品、衣類、綿織物ばかりでなく金属製品、鉄鋼、非鉄金属などまで増加した。またヨーロッパの好況は、直接同地域に対する鉄鋼、非鉄金属などの輸出増をもたらしたばかりでなく、欧州諸国の輸出余力の減退によってインド、オーストラリア、アルゼンチンなど第三国市場に対する鉄鋼、機械等の進出の余地を作った。またこれら先進国の好況は、原料輸出国の経済を好転させた。マレー、シンガポール、香港、英領西アフリカなどに対する繊維品の増加には、このような理由によるものが多いとみられる。特に日本の輸出は相手側の需要の増減に敏感に反応する傾向があり、世界景気に左右されることが多いようである。30年中の日本の主要輸出国20カ国についてみても、日本の輸出が増加した国はいずれも輸入規模を拡大している国であるし、また日本の輸出が減少した国はほとんど輸入規模を縮小した国であった。しかも増加の場合も減少の場合も、日本の輸出変動率は相手国の輸入変動率よりもはるかに大きかった。( 第7表 参照)
第7表 1955年の輸出の対前年増減率と相手国側の輸入規模の変化
このような海外からの要因のほかに企業の合理化、輸出体制の整備、国内の需給関係から生ずる輸出圧力など国内にも輸出を増加させるべき要因が数多くあった。
設備の近代化、合理化が輸出増大を可能にしたものとしては、まずスフ、人絹等の化学繊維が挙げられるが、これらは世界の諸国が減少気味のなかで日本の輸出のみは著しく増加した。綿布も競争力は強く、世界総貿易量が減退したにもかかわらず従来の輸出水準を大体維持している。また鋼材や船舶の輸出増は、世界需要の増加が主因ではあるが、その背後にはやはり競争力の強化があってこれを支えていた。さらに30年には我が国のガット加入が認められ多くの国が相互に関税を譲許したこと、輸出貿易管理令が改正されて輸出承認を必要とする品目が約4割減となったこと、我が国の多年にわたる市場開拓の努力(見本市の開催、貿易斡旋所の活動など)の結果、日本商品に対する信頼度が向上したことなども輸出伸長に大きな力があったといえよう。
次に国内需要の停滞が輸出圧力となって働いたものとしては、生糸、鉄道車両、セメント、タイヤ、チューブ、紙などがあり、また国内の過当競争による価格の低落が輸出増大の一因になったとみられるものに、まぐろ缶詰、衣類、人絹織物、双眼鏡、カメラ、合板などがあった。しかしこれらについては、日本の交易条件を悪化し、また相手国側の関税引上げや輸入制限を惹起する恐れがあるので、輸出組合などの手によって過当競争の防止措置がとられたものも多かった。
なお昨年の輸出の増減を、輸出単価の変動と組み合わせてみると、次の三つに分れる。
① 輸出額、単価とも上昇したもの……銅、アルミ、鉄鋼、木材、陶磁器、船舶
② 輸出額は増大したが、単価は下落したもの……衣類、スフ織物、ミシン、人絹織物、セメント、絹織物、生糸、スフ糸
③ 輸出額減少し、単価も下落したもの……人絹糸、綿織物、茶、繊維機械
このうち ① と ③ に属するものは輸出の増減が海外需要の変動により強く左右されたとみられるが、 ② のグループには生産性の向上によって価格引下げが可能となったものもあるが、過剰生産、国内需要の停滞などによって価格を下げながら輸出を強行したとみられるものも多い。
輸入
昭和30年の輸入通関実積は2,471百万ドルで、前年に比べ金額で72百万ドル、比率で3%の増加であった。
商品類別にみると第26図に示すように、増加した筆頭は大豆、生ゴム、木材などの動植物性原材料を主内容とする「その他の原材料」であり、鉱物性燃料、非金属鉱物、薬材化学製品、金属鉱などがこれにつぎ、総額で183百万ドルを増加した。一方減少品目は機械類、繊維原料、食糧、飲料などで、総計110百万ドルの減少になった。主要商品別では、20品目中大豆、生ゴム、石油、鉄鋼くず、羊毛、鉄鉱石など14品目が増加し、米、綿花、乗用自動車、大麦、石炭等6品目が減少した。しかし輸入金額の順位では綿花が依然首位を占め、石油、米、小麦、羊毛などがこれにつぎ、これら上位5品目の輸入総額に対する割合は46%(前年50%)とやや低下したが、次位5品目の比率は17%(前年14%)と逆にその割合を高めた。
また通過地域別にみると、ポンド地域はビルマからの輸入が減少したほかいずれも増加し、特にオーストラリア、マレー、シンガポール、インドからの輸入増加が著しい。これは主として日英通商協定による輸入増の取り決め(日本側の出超是正)、同地域物資の価格割高性解消、及び輸入商品の構成変化に伴うポンド物資買付の増加(例えば羊毛、生ゴム)などによるもので対前年167百万ドルの急増であった。一方ドル地域は急減したが、これは輸入総額中約3割を占めるアメリカを初め、カナダ、サウジアラビアなどからの輸入が減少したためである。なおオープン勘定地域はアルゼンチン、ブラジルが主として同国物資の価格割高から減少したが、台湾、フィリピン、インドネシアからの輸入が増加し、全体としては横ばいであった。
さらにその内容を国別、商品別に組み合わせてみると、アメリカは前年に比べて顕著に減少したが、772百万ドルと日本の輸入のなかで圧倒的地位を占めるばかりでなく、商品別にみても、主食、工業原材料など種類が多く、また日本の主要商品別輸入額中に占める割合も大豆68%、小麦49%、鉄鋼くず43%、綿花34%、米21%、石油16%とかなり高い。ところがアメリカ以外の国は、第2位のオーストラリアが178百万ドルで羊毛輸入の75%を、また第3位のマレー、シンガポールが109百万ドルで生ゴムの79%、鉄鉱石の29%を供給しているが、ケタ違いに小さく、その対象も一部物資に限定されている。従って、これらアメリカ以外の地域からの輸入は国内需要の変化によって常に大きく影響される性格を有している。
30年の輸入は、以上のように3%の増加にとまり、輸出や国民所得の伸長に比べて低く、平均輸入依存度(国民所得に対する割合)は前年の14.2%から13.5%微減した。このような現象は、世界各国の輸入需要が景気好況から大きく増加し、いずれも10%前後の増大をみせ、輸入依存度を上昇させたなかで、極めて例外的なことである。
日本の輸入増加が小さかったのは、好景気による輸入需要の増大を打消すべき相殺要因が存在したためである。輸入増大要因としては、国内の設備投資、消費の拡大による工業原料及び製品(繊維原料及び機械を除く)の消費の増加が最も大きく、輸出急増に伴う必要輸入原材料の増がこれについでいる。このほか輸入原材料在庫投資も生産の増加に伴って幾分増加した。これらの合計は約180百万ドルとみられる。これを相殺する減少要因は、食糧、繊維原料及び機械であった。すなわち食糧では、29年に緊急輸入で増加した米の輸入が、30年には豊作で国内生産が増加したうえ、輸入価格も低落したため、約55百万ドルを減少した。綿花は国内市況悪化による綿業の操短、先案予想から買付を控えて在庫を減少させたこと、及び単価の下落から総額約50百万ドルを減少した。また機械類も完成車輸入の抑制から乗用自動車が、緊縮政策と合理化計画の一段落で産業用機械が減少し、全体で45百万ドル減った。この結果、食糧、繊維原料及び機械類の減少額は総額で110百万ドルとなり、その他の原料、製品の増加額合計をかなり相殺することとなった。なお、米、綿花以外にも細かい品目では減少したものがある。その主なものは買付時期のおくれによる大麦、在庫食いつぶしによる人絹パルプ、国内炭使用増加による原料炭などである。以上のように、30年には国内の特殊要因から大口輸入品目で輸入量の減少があったほか、日本の主要輸入品が、世界の原料価格騰貴の影響を受けた反面、低落したものがあったということが、日本の輸入増加率を諸外国に比べて低くした一要因であった。すなわち、鉄鋼くず、鉄鉱石、木材、非鉄金属、生ゴムなどの工業原料は、世界需要の強調、運賃の続騰から全般的に高騰したのに対し、綿花、羊毛、米、小麦、大豆などは国際的に需要が緩慢であったのに加えて、輸入地域がアジア州、大洋州など近隣市場に重点を移行して運賃が節約されたため単価が下落して輸入全体としては世界的価格高騰の影響がほぼ相殺されたわけである。
なお年間比較でほぼ前年並みであった30年の輸入も、上期から下期にかけては緩慢な上昇傾向をたどった。しかし所得や生産の上昇から原材料消費は極めて活発となり、在庫率としても鉄鉱石、鉄鋼くず、石炭、綿花等の在庫減少を中心に、年初の85.2(昭和28年=100)から年末には74.4と著しく低水準となった。この動向を反映して外貨予算枠は著しく拡大せられ、31年に入ってからの輸入はほとんど全品目にわたって著しい増加を示し、水準としても前年同期を2割近く上回って、5月には戦後最高の271百万ドルを記録した。その結果31年上半期の輸入は従来の最高である1,411百万ドル(29年上半期)を突破し、15億ドルとなっている。
貿易外取引
特需収入の動向
広義特需の推移と特徴
広義特需は米軍預金勘定振込、円セール、ICA資金(米国対外援助資金)による買付などを含んでいるが、この広義特需収入は30年557百万ドルと前年を40百万ドル下回った。これは主として大口勘定項目である米国預金勘定振込が、極東軍予算の削減などから物資調達特需(狭義特需の項参照)を中心に減少したことによるものである。一方駐留軍人、軍属の個人消費を主体とする円セールは微減にとどまったが、これは駐留米軍の一部撤退による減少要因があった反面、在外米軍の日本における消費が多かったためである。このほか沖縄建設工事、UNKRA(国連韓国復興期間)、英豪軍消費などの小口項目もほとんど全般的に減少した。このような減少傾向のうちにあって特異な存在を示しているのは、米国の東南アジア援助強化などに基づき、総額70百万ドル(前年25百万ドル)に達したICA資金による買付であり、民生安定物資(ベトナム、カンボジア、ラオス)、化学肥料(韓国)、鉄鋼素材、車輌(インド)などを中心に買進められた。
狭義特需契約(ドル・ベース)の動向
狭義特需契約は総額173百万ドルと前年を27%下回ったほか、その内容をみると、物資では韓国の復興目標の重点が鉄道の復旧と電源開発に置かれたため、鉄道枕木、レール、転轍器、セメント、電気器具などを中心に増加したが、28年以降最も多く契約されていた兵器発注高が800万ドルと前年の8分の1以下に激減し、物資契約総額としても4割を減少した。一方サービス契約はその対象がほとんど国内にあって撤兵等の影響を受けないで、自動車修理、建設、電信電話などの減少を航空機、船舶等の修理、電力供給などの増加で補充し、サービス契約全体としては比較的僅少の減少にとどまった。その結果、29年の物資、サービス比1対1は30年1対2と物資契約の割合は相対的に低下した。
一般貿易外取引
次に広義特需を除いた30年の貿易外取引についてみると、民間資本取引、海外旅行者など小口項目の収支尻が改善したほかは、全般的に悪化したため、前年の払超67百万ドルから168百万ドルの払超となった。もっとも運輸関係では本邦船積取比率の増加、建値別契約条件の改善( 第17表 参照)、29年10月頃よりみられた海上運賃の上昇などから、また保険関係では本邦保険会社の附保率上昇に伴う保険料の対外支払減少などからそれぞれ実質的には17百万ドルを改善したのであるが、外国為替収支のうえではその一部が商品貿易に含まれるので両者あわせて70百万ドルの払超(29年53百万ドル払超)とかえって悪化を示している。収支改善をみた海外旅行関係は主として国際旅行者の入国増加によるが、そのほかの政府取引は在日仏軍ミッションによる調達、外国外交団消費の減少に加えて、前年行われたMSA麦代金の補填(48百万ドル)がなかったため、対前年54百万ドルとかなりの収支悪化を招いた。また投資収益の収支も若干悪化したが、これは受取が保有外貨の運用増により増加した以上に、支払が外貨債利子及び綿花借款利子などが増加したためである。このような動向を反映して、貿易、広義特需を除く経常取引全体としては148百万ドルの払超(前年56百万ドルの払超)と顕著な収支悪化を示した。最後に資本取引をみると、民間長期資本では定期的償還(政府証券)その他の返済などから収支悪化した反面、民間短期資本ではスイス資産の受入(戦前における本邦資産凍結分)があったため収支改善をみた。また政府及び金融機関関係の資本取引では、タイ特別円の債務償還、赤十字委員会に対する補償費の支払金(平和条約第16条履行)外貨債の元本償還などがあったので、その反面米国の水爆実験よる補償費、在日外銀の円不足による新規スワップなどの受取があったものの、収支バランスとしては若干の悪化を招いた。なお海外投資は29年以降一層活発化し、30年においても生産的事業に対する証券募集を中心として前年を上回ったが、いまだ資本取引中に占める比重も小さく、世界の海外投資趨勢からみてもかなりの立ち遅れとなっている。