昭和31年
年次経済報告
経済企画庁
数量景気の発展過程
数量景気の展開
一般財政の均衡と金融の緩慢化
昭和30年度の経済が数量景気の基調を保ちえた陰には財政が均衡の線を維持したことがあずかって力がある。一般会計の予算規模は1兆133億円で前年度に比べて134億円(1%)の増加にとどまり、その国民所得に対する割合は前年度の17.1%から15.0%に低下した。もっとも財政全体としてみれば年度間2,768億円の対民間払超となっているが、これは、国際収支の黒字と豊作を反映して外為、食管両会計から資金が流れでたためであって、これを除いて一般財政についてみれば、わずか1億円の散超に過ぎなかった。
中央財政がこのような健全性を示したのに対して地方財政には問題なしとしない。30年度地方財政計画によれば、この規模は9,989億円と前年度に比べて159億円の増加で収支均衡の建前になっているが、実際には例年のように歳出が増え赤字が生まれる見込みである。
外為(1,699億円)、食管(1,068億円)両会計の大幅散超は、直接には輸出企業や農業を、間接にはこれらの関連部門をうるおし、結局金融機関の預金増加をもたらした。全国銀行の預金増加は前年度を約2,200億円上回って6,209億円に達した。一方銀行の貸出増加や有価証券投資は前年度より約1,500億円増えて4,487億円に達したが、預金増加には及ばなかったので、そこに生じた余裕金は日銀借入の返済(2,185億円)にあてられた。ただし下半期には日銀借入をほとんど返済し尽くすに至ったため、銀行手許資金の過剰は顕著となり、金利の低下は下半期において急歩調を示した。全国銀行の平均貸出金利は、31年3月には金利低下の始まる直前の30年5月に比べて日歩1厘強の低下にとどまって2銭3厘6毛となっているが、両建、歩積などの減少を考慮すれば実質的な金利の低下はさらに、はるかに急ピッチであったと考えられる。金利の低下は次第に長期資金に波及し、例えば社債の発行者利回りは30年1月に11.39%であったが、31年4月には8.80%に下がった。このような金融緩慢化、金利の低下は、輸出の増加と豊作によって資金の供給が増えたことに直接の原因があるが、資金の需要が停滞してきたことも見逃すことはできない。資金需要面の変化の原因の第一に挙げるべきは、企業資本の流動化である。27~8年の投資ブーム期には、設備投資に巨額の資金が固定化されていたうえにその設備稼働率も低かったために投下資金の回収も進められず、設備を動かすためにかえって巨額な運転資金を必要とし、さらに作ったものが十分に売れないから滞貨融資も仰がねばならないという事情があった。しかるに輸出の増加を転機として滞貨は一掃され、在庫の回転率は上昇し、また販売品の代金回収についても内需面に売れば少なくとも2~3カ月位もかかったものが、輸出向けは1カ月以内で代金が回収され、さらに商品が滞りなく売れてゆくから企業相互間の信用(売掛・買掛)は極めて安定した姿で自然に拡大するなど、運転資金の節約が可能になった。そのうえ、合理化設備に固定していた資金が設備のフル稼働とともに流動化したため、元本の一部と利潤とを企業者の懐に回流せしめるに至った。
このように企業の金繰りに余裕ができた反面、設備投資、在庫投資は後に述べるように落ち着いた動きを示したために、外部の貸付資本に対する需要は減少し、それが資金の供給増と相まって金融緩慢化の基調を決定したのである。従って優良大企業のなかには借入金を返済するところも多く、増加した銀行貸出の6割までは資本金1,000万円以下の中小企業向けであった。
もっとも産業投資が再上昇を示すにつれ、31年度に入ってからは次第に銀行に対する資金需要も増え、また国際収支の黒字の幅が縮小するとともに資金供給の量も減少し、両々相まって金融緩慢化のスピードはやや鈍ったように見える。しかし、企業資金の流動化と外部貸付資本に対する需要の相対的停滞という基調からみれば、金融情勢が直ちに数年前のごとき金詰りの事態に逆転するものと考える必要もあるまい。
投資ブームの収穫期
昭和30年度の投資は経済規模が拡大した割に、比較的落ち着いた動きを示した。設備投資の水準を開銀調べの産業設備資金供給でみると、緊縮政策で投資の沈滞した29年度に比し約13%の増加で、28年度とほぼ同程度であった。ただし上、下の2期に分けると、上半期は前年同期と大して変わらなかったが、下半期は約2割増で下半期に入っての騰勢が顕著である。
このように好況に際してもすぐに投資が積極化しなかった理由は、30年が27~8年の合理化投資の収穫期にあたっていたことと、企業者の投資態度が堅実になってきたことによるものと考えられる。年々の投資水準の変動にもかかわらず、いわゆる実稼働能力はほとんど一直線に上昇しているが、30年度の能力の増加には次のような理由が考えられるであろう。第一に、27~8年の合理化投資が大規模な投資であっただけに、すぐには生産効果を発揮せず、着手してから1~2年遅れて、ちょうど30年度の生産に間に合ったということである。鉄鋼圧延設備やセメント、石油精製などがその例であろう。第二に、これまでの合理化投資で残されていた部分や生産工程で隘路となっていた部分に、ちょっと手を入れさえすれば能力を急増させることができるものがあった。ストリップミルでロールスタンドを1台と剪断機をつけ加えるだけで、能力を3割も増加することができたという例がある。第三には、遊休していた設備を復旧補修して稼働させた。その適例は造船用厚板にみられる。第四には、スフなどのように着手してから生産能力化するまでに時間の短くてすむ投資が行われた面もある。さらには、生産及び管理技術の発展によって公称能力以上に実働能力を増加させたものも多い。製鉄所において、原料炭品質の向上と相まって、鉱石の事前処理によって原単位が向上し、同じ高炉の容量でも能力が増大して年間平均の出銑量が公称能力を約1割も上回ったのはその好例であろう。合理化投資の効果は、操業度の上昇と相まって生産性、原単位、品質などの向上に現れている。製造工業平均で30年度は28年度に比して、労働者一人一時間当たり生産量で1割5分、原単位で1割の向上を示した。従ってコスト面での改善も著しかったようで、前にも述べたごとく輸出増大の支柱にもなり得たし、海外物価の騰貴、海上運賃の上昇などの悪影響を相殺して国内物価の騰貴を抑える一因となった。
好況期に産業投資があまり積極化しなかった半面の理由は、企業者の投資態度の変化に求められる。企業者は需要増大に対する過度の期待を改めて、将来の市場に対する見通しを確実にしたうえで設備拡張の決意を行うようになった。在庫投資にしても思惑的な仕入れは少なくなり、むしろ在庫を控え目にして資金の活用をはかるというように変化してきた。30年度中には生産者在庫は約12%の減少を示し、原材料在庫は増加したけれども、その増加も生産増加を下回る10%にとどまった。
しかし30年度下半期に至るに及んで一部には操業度が高まった結果、これ以上生産を上げるには設備増加を行わねばならぬ業種もでてきた。27~8年の投資ブーム期には投資が主として製品に近い部面で行われたために、現在の設備能力の不足業種には銑鉄、鋼塊、硫酸、ソーダその他工業薬品など基礎資材が多く含まれているようである。また輸出景気が次第に国内に波及し、内需の増大から市場の見通しが確実性を増してくるにつれ、各業種とも投資にやや積極性を示すようになった。
国内投資向けの機械発注の実積でみると、既に30年の7~9月期から騰勢に転じており、最近では前年を8割も上回る高水準にある。この機械の生産、出荷はすでに30年の秋頃から増加しており、投資の景気を上向かす力は既にある程度発現されつつある。
国民消費の二つのタイム・ラグ
昭和30年度の都市家計の消費水準は、前年に比べて7%、農家々計は3%、総合して国民全体の消費水準は対前年度5%の上昇を示した。輸出、生産、国民所得の伸びに比べて消費の上昇が相当程度下回っているのはほかでもない。消費水準の運動が景気に対してタイム・ラグ(時間的遅れ)をもつからである。タイム・ラグには二つの種類がある。その一つは景気に対する収入の遅れである。例えば工業生産や労働生産性の上昇に対して、賃金の上昇はこれに遅れがちのものである。30年度上半期の対前年同期比において、生産性は14%上昇しているのに、賃金は4%の増加に過ぎなかった。しかし、この遅れは次第に取り戻され、下半期になると生産性上昇の20%に対して、賃金も9%の増加となっている。
しかし、消費のタイム・ラグを収入の遅れのみで説明することはできない。豊作によって農家の所得は対前年約10%上昇しているのに、農家の消費水準は前に述べたごとくわずか3%の上昇にとどまっていたからである。従って、タイム・ラグの第二として、収入に対する支出の遅れを挙げなければならない。収入が増加しても、消費はすぐその割合では増えなかったために貯蓄性向は13%から17%に高まった。収入の増加分に対する貯蓄の増加分の割合、すなわち限界貯蓄性向にしてみると、その関係はさらにはっきりしてくる。収入が100増えると、都市ではそのうちの38を、農村では62を貯蓄に回したことになる。もちろん、この貯蓄性向の高まりは円の価値が安定したことによって助長されたことは疑いないが、他面終戦直後のように生活がひどいから収入が増えれば増えただけ使わざるを得ないという状態が薄れたことも手伝っているに違いない。
また30年度の消費動向においては、控え気味ながら増加した家計支出の使途が大きく変わったことを見逃すことはできない。増加した収入は終戦直後にはヤミ米の購入にあてられたし、27年頃までは衣類の買いこみに回された。しかし30年において顕著に増えているのは、 第9図 、 第10図 にみるように、娯楽や行楽のようなサービスにあてる部分と、家具や家財などのいわゆる耐久消費財である。テレビジョン、電気冷蔵庫、電気洗濯機などの売れ行きはすばらしいテンポで伸び続けている。国民の生活は食、衣の順序で回復してきた。しかし住宅はまだ十分とはいえない。30年度には、景気好転による自力建設の増加もあって、目標の42万戸建設をほぼ実現したようであるが、いまだ270万戸の住宅が不足している。なお後にも述べる通り、消費の型の変化は雇用の構造及び輸入の依存度に大きい影響を与えている。
さて30年度の下半期以来増加している消費の動向は、タイム・ラグの追いつき過程であるには違いないが、それは収入のうち貯蓄にあてていた割合を減らしながら消費を増加させるのではなく、ある程度増大した貯蓄の割合はそのままにしながら、収入が増えるに従って支出を増やすという運動の結果である。そして景気に対する収入の遅れは次第に取り戻されてきた。31年の春季闘争による前年より大幅な賃上げも、その追いつき運動の一つの現れであった。そして、このタイム・ラグの追いつき過程と一部重なり合いながら、前節に述べたような投資の増加による乗数効果としての消費の上昇が接続している。従って、ここしばらくの消費の動向はかなり底固い上昇傾向を持続するのではないだろうか。
需要に応じた供給力の増大
右に述べた需要の増大に対して鉱工業、農業ともに時宜をえた生産増加を達成し得たことが、数量景気の基調を形づくった。
鉱工業は輸出の急増に対して、まず製品在庫からの供給によって対処したが直ちに生産も上昇し、30年度の鉱工業生産指数は戦前基準(昭和9~11年=100)で188と前年を12%上回った。生産上昇における輸出の役割は予想外に大きい。生産増加のうち輸出増大に直接基づく部分は25%に過ぎないが、船舶の輸出が増えたため鉄鋼の生産も増えるとか、スフ織物の輸出増加がスフ糸あるいはその原料のパルプやソーダの生産まで増やすという間接効果まで入れて考えると、生産上昇のうち5~6割までが輸出のお陰だったとみられる。輸出増加が船舶だとか、スフ織物だとか加工度の高い商品に多かったことは、輸出景気の国内への波及を助けた。例えば造船業の活況は下請機械産業の生産増大をもたらした。しかも造船は元来下請企業に発注する比率が高い業種であるが、28~9年にはその比率が40%台であったものが、30年には60%に急増している。
このような関連によって輸出景気は大企業にとどまらず、中小企業にも波及していった。輸出景気の国内への波及とともに消費も次第に上昇し、消費財生産もかなりの増加を示したが、特に耐久消費財は消費構造の高度化を反映して前年比3割余の急増となった。他方、前述のように設備投資の上昇が遅れたためにセメント、設備機械など投資財産業の伸びは上半期は低かったが、下半期から次第に増加し結局 第11図 に示すように各業種ともにその生産は一様に増加している。
農業生産は未曾有の豊作となって、総合生産指数は前年度を19%上回った。米にいたっては79百万石と開びゃく以来の大増産を記録し、麦以外の農産物はほとんど全て増産になった。豊作の主因が気象条件にあったことはいうまでもないが、他方、戦後において培われた土地改良など食糧増産の努力と農薬や品種改良など農業技術の進歩が、この天与の条件をうまくとらえたことも忘れてはならない。
このように鉱工業、農業ともに需要の増加に伴って生産を増加したので、一部工業製品については、原料の海外相場の高騰に伴って若干値段の上向きがみられたけれども、原料の値上がりは操業度上昇と合理化設備の効果のうちに吸収され、また豊作による食料価格の低下もあって、30年度の物価は 第12図 に示すように比較的平穏のうちに推移したのである。
輸出景気の雇用面への波及
次に昭和30年度の経済過程を雇用の面から概観してみよう。
総人口の増加は100万人と戦後最低であった。しかし過去の高い出生率の影響で生産年齢人口の増加は136万人に達した。従来の比率からいうならばこの生産年齢人口の増加に対応して就業を求める人口は約90万人のはずである。しかし30年度の我が国の就業人口は実に146万人増加している。つまり就業人口増加のうち50万人以上は、今まで家庭にとどまっていたりして労働市場にでてこなかった女子などが労働し始めたことによっているのである。少しでも収入の途があれば、家計の助けとするために働きにでる人達が多いということ自体が、所得水準の低位と過剰人口の存在を物語るものであろう。 この労働力吸収を上期と下期に分けてみると大きな相異がみられる。上半期においては、農業の家族労働者の増加と、卸・小売、サービス業における労働力吸収が目立っており、下半期においてサービス業の増加は同様だが、製造業に最も多くの部分が吸収されている。つまり労働面についてみる限り、輸出増加、生産上昇の波及は下半期に至るまであまりみられなかったということになる。
この製造業における雇用の増加は、どういう規模の、どういう業種に吸収されたのであろうか。「毎月勤労統計」によってみる限り、臨時工を除いて製造業に大きな雇用増加は起こっていない。この統計は30人以上の事業所に関するものであって、統計の性質上雇用の増加する場合にこれを若干低目に現わす性格をもっているが、中以上の規模の工場においてはそれほど大きな雇用の増加がなかったとみてよいであろう。「労働」の項ににかかげた「地域別就業実態調査」(労働省調)をみてもわかるように、500人以上の大企業においては雇用量はほとんど停滞し、規模の小さくなるに従って大幅な労働力の増加が起こっているのである。
生産が増加しても大企業ではなぜ雇用が増えなかったか。一つには、いわゆる合理化投資によって労働生産性が上がり、ある程度の生産の上昇は雇用を増やさないですますことができたのである。しかし造船業の例に顕著なように、輸出の増加を中心に生産が増えてくると、大企業でもその仕事を下請けに回す部分が次第に増加してきた。また国内の消費の増加とともに、国民消費に関係の深い中小企業は活況を呈してきた。中小企業は大企業と違って常々から労働力に余裕のない生産をしているので、生産の増加とともに雇用の増加がみられるに至った。また中小企業の事業所の数は景気の上下とともに増減するので、30年のような好況のときには事業所数が増え、それに比例して中小企業の雇用が増えたということも考えられる。なお中小規模の製造業の雇用増加を業種別にみるならば、機械業の増加が下請け関係や、耐久消費財の関係で圧倒的に多い。
以上を要するに、30年の輸出景気は労働面への直接効果として大企業の労働時間延長と、大企業の下請けに直結し、あるいは自ら輸出向け商品の製造にたずさわる中小製造業における雇用増加とをもたらした。しかし、労働力吸収における役割からみると、中規模以上の企業の賃金上昇を起点とする消費購買力の増大や、一般的な生産、流通の増大に伴う中小製造業、卸・小売、サービス部門などにおける雇用増大の間接効果がさらに大きかったと認められる。
このように雇用は比較的賃金水準の低い部面において伸び、低所得就業者の数は相対的に増大した。また賃金水準の前年度に対する上昇率でみても中小企業のそれは、大企業に及ばなかったので、賃金格差は若干拡大した。
このような事態は雇用増加の理想的なあり方だといえないかも知れない。しかし今後もしばらくは経済の規模が拡大するにつれて、今まで家庭にとどまっていたものが労働力となり、また生産が増加しても、その割合には大企業の雇用増加をみないことがあるであろう。従って、前に述べた間接的な雇用吸収は理想的でないまでも、年々生産年齢人口が高いテンポで増加する現状においては、次善の途といわなければならない。