昭和29年

年次経済報告

―地固めの時―

経済企画庁


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総説

地固めの時

発展のための健全な基盤

積極策への反省

ここ数年来の合理化投資も資源開発も、その方向においては正常貿易の振興と自給度向上とを目指した積極策以外の何ものでもなかった。企業の旺盛な投資意欲は、設備の復旧補修と近代化のためであったし、年々巨額に上った財政投融資も、私企業的な資本調達のみでは賄えなかった重点部門の設備投資を推進する不可欠な手段であった。

その結果、電力供給力は、動乱前に比べて1割数分増大し、船舶も100余万トン増強された。また炭鉱の機械化は進み、さらに竪坑開さく計画も漸進している。鉄鋼においては、製銑、製鋼作業も能率化し、圧延部門にも多くの近代化設備が導入された。その他一般産業においても、近代的技術の採用、隘路部門の打開、工程の単純化、廃品の回収、副産物処理の進捗、あるいは、合成繊維、合成樹脂、尿素肥料ないしチタンなど新製品の生産が軌道にのるなど、その成果にはみるべきものが多い。動乱以来の2兆円に及ぶ設備投資が、日本産業の量的ならびに質的の力を強化したことは疑をいれない。

しかし、この強化された力も、多くはまだ潜在力としてとどまっている。28年の投資はその所得効果が拡大されて消費の増大と輸入の増加を呼び、自立のための積極的努力が国際収支の悪化をもたらす結果となってしまった。

何故にこのような逆効果が生まれたのであろうか。その原因として第一に挙げなければならないのは、投資が過大であり所要資金の調達がインフレ的であったという事実である。財政投融資の拡大にしても、見返資金や資金運用部における過去の蓄積を数百億円取り崩して賄った。第二に、乏しい資本蓄積力にもかかわらず、投資の重点化が必ずしも十分に行われなかったことである。西欧諸国の投資計画においては基礎産業を優先するか輸出産業から手をつけるべきかという選択が常に慎重な論議の対象となっている。我が国の場合は業種の選択に対する考慮が十分でなかったばがりでなく、同一業種内において企業間の競争のままに投資が総花的になったきらいがある。その結果今日に至って必要な投資が十分に実を結ばないうちにひとまず投資規模を削減せねばならなくなった。第三の原因は、インフレ的な雰囲気の存在である。仮にコスト引下げの効果が上ったとしても、インフレ気構えが存在する限り、それは利潤や賃金の上昇となって物価の低下をもたらさなかったのである。また重点部門の投資が容易に不急の消費財部門の投資をも誘発し、所得─消費増大の効果を一層著しくした。

これからの経済建て直しに当って、インフレによる資本蓄積は厳に戒しむべきであろう。過大投資や総花投資は慎まなければならない。しかし、インフレ的な歪みの存在をそのまま放っておいてよいものであろうか。日本経済という電車は復興を急ぐあまり暴走し、動揺が激しく今にも脱線しそうになった。それは過大投資であまりスピードを出し過ぎたばかりでなく、レールが歪んでいたからである。積極策をやめて停止すれば、確かに動揺はなくなる。

しかしレールの歪みを直しておかない限り、前進を開始すれば動揺も再び始まる。そこで経済水準を引き上げる積極策を展開するより先にレールの歪み、すなわちインフレによる経済基盤の歪みの是正に着手しなければならない。物的な回復が自動的に経済基盤の正常化をもたらすと考えるのは誤りである。鉱工業生産が対戦前6割増、消費水準1割増の今日に至るまで経済の基盤はインフレの遺産を累積しているのだ。

従って国際収支の破綻を痛切に味わった今日は、一歩退却、地固め(コンソリデーション)のときである。地固めは常に縮小を必要とする。しかしそれは次の拡大均衡へのスタートラインとしての縮小である。伸びんがために屈する政策である。現下の緊縮政策を単に輸入を切り下げ、いじけた形で国際収支の辻褄を合わせる措置と考えてはいけない。窮極の目標は今後の経済の発展のために健全な基盤を整備することにあらねばならない。

正常化より発展へ

資本蓄積の正常化

インフレの遺産の第一に挙げなければならないのは企業のオーバー・ボロウイングである。戦前において企業の自己資本は、使用総資本の61%を占めていたが、戦後はわずか35%に過ぎない。また他人資本のなかでも社債の比重が減少して借入金、ことに短期借入金の比率が著しく増大している。戦前は自己資本と社債と固定資産及び棚卸資産と有価証券のほとんど全部を賄い短期借入金は現金預金と見合程度に過ぎず、資金繰りは極めて安定していた。しかるに戦後は、自己資本と社債だけでは固定資産も賄いきれないような状態であり、棚卸資産はほとんど短期借入金によって賄われているような恰好となっている。従って企業は単に再生産を続けるためにさえ銀行借入に依存しなければならぬようになり、経営者にとっては工場にあって製品の品質向上やコスト引下げなどに努力するよりも資金の借り入れのために銀行間を馳回る方が大事な仕事となっている。

このような企業のオーバー・ボロウイングと表裏の関係にあるのが銀行のオーバー・ローンである。戦前の銀行は総資産の27%を有価証券保有にあて、貸出しは37%に過ぎなかったのに、戦後は66%を貸出しに向け有価証券保有はわずか8%にとどまっている。また戦前は自己資本、預金及び発行債券と貸出しの比率が5割余に過ぎなかったのに反し、現在は100%を遥かに突破し日銀借入に対する依存度は戦前の4%から最近では15~6%へ上昇している。

企業のオーバー・ボロウイング、銀行のオーバー・ローンは、企業、銀行の経営の自主性と安定性を失わしめ、経済不健全化の大きな要因となっている。このようなインフレの遺産は戦争及び戦後の長期にわたって積み上げられ、いわば日本経済の基盤の一部を形づくるまでになった。従ってその根本的解決は短期的には期待できないであろうが、第一に今後の資本蓄積の正常化を著しく阻害する面から整理に着手しなければならない。そのためには何よりもまず企業が資産再評価を十分に行って減価償却の適正化をはかり、内部留保の増大、増資の積極化と相まって企業の自己資本の充実に努めることが望ましい。また企業の自己資本の充実と並んで銀行の金利体系の整備も必要である。金融引締め後、日銀の二次高率の引上げによって日銀金利と市中金利との関係は一応調整されたが、いまだその他の金利を含む全面的な金利体系は十分に整備されていない。さらに銀行は本源的な預金の吸収に努力して、日銀に対する借入依存度の低下をはかることが必要であるが、そのためにも国民一般の貯蓄増強が基本であることはいうまでもない。

第23図 戦前戦後の企業資産及び資本構造の対比

第24図 全国銀行勘定

拡大均衡への途

経済基盤の正常化は発展のための必要条件ではあるけれども十分条件ではない、レールの歪みを直しただけでは電車は前進しないわけである。しかし人口は年に120万人も増加する。人口増加のために要する食糧や繊維原料をそのまま追加輸入するとすれば、外資負担は年に4,000万ドルも増加するであろう。しかも人口問題は単に衣食住だけの問題ではない。増加する労働力に職を与えなければならない。前に示した通り動乱以来鉱工業生産は9割も増大したのに雇用量は4%しか増えていない。あの異常に高い経済成長率も雇用問題を解決することができなかったのである。従って経済規模の長期的停滞は国民生活の低下とともに社会問題の激化を意味するであろう。 このような情勢に対処して、我が国は今後できるには速やかに経済の収縮から地固めの過程を終え、正常化された基盤の上に輸出振興と自給度向上の長期的発展策を展開しなければならない。輸出の振興のために海外市場面の対策が必要なことはいうまでもないが、国内面においてももっとも基本的な課題は、内需増大に応じて国際水準から乖離したコスト──価格構造を是正することである。物価割高は前に示したように今後我が国輸出の中核としての責務を担わなければならぬ重化学工業において著しい。従って石炭、鉄鋼等基礎産業の合理化と単なる生産量増大の反映でない真の意味の生産性の上昇が国際競争強化の不可欠な前提条件である。

次に自給度の向上、国際収支改善の効果において産業の近代化による輸出の増加よりさらに確実性をもった計画がある。我が国の主食と綿花、羊毛等繊維原料の輸入は合計10億ドルに達して輸入総計の4割余を占めているばかりでなく、ドル輸入依存度が大きい。我が国の対ドル地域貿易は戦前大きな比重をもっていた生産輸出の激減によって年に4~5億ドルの赤字を続けている。しかし動乱以来の入超額20億ドルは特需収入24億ドルで賄って余りあった。従って食糧と合成繊維の増産による輸入負担の軽減は特需収入が減少傾向を示し始めた現在一層その重要性を増したということができるであろう。しかも自給度向上によって仮に3億ドル程度輸入負担を軽減することができたとしても、特需なしで現在程度の経済水準を維持しようとするならば、輸出を現状よりさらに5~6割増加せねばならないことになる。我が国産業の輸出競争力の強化がいかに重要な課題であるかが明らかであろう。


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