昭和29年

年次経済報告

―地固めの時―

経済企画庁


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総説

地固めの時

緊縮政策とその影響

一兆円予算と金融引締

以上の説明によって日本経済が何故に引締措置をとらねばならないか明らかになったであろう。国際収支の危機の焦点は過大輸入にある。輸入が正常輸出で賄えないというばかりではない。その点では27年も同じだ。しかし27年度は特需を含めれば1億ドルの黒字であった。28年は8億ドルの特需ありながら3億ドルの赤字になったのである。二重の意味で実力以上の過大輸入である。従って輸入を輸出プラス特需収入の範囲まで削減することが何よりも先決でなければならない。そのためには輸入を無理に削減するというよりも、むしろ輸入増大の根因である国内購買力を緊縮し、輸入需要が自ら減ってくるように仕向けなければならない。前に述べたように国内購買力増大の推進力は財政支出と設備投資であった。従って購買力を抑えようとする場合に、財政規模の圧縮と金融の引締めから着手することはむしろ当然であろう。

昭和29年度一般会計は右のような緊縮方針に従って前年度の規模を200億円余下回る総額9,995億円のいわゆる1兆円予算として成立した。昭和25年度予算以来膨張を続けた一般会計はここに初めてわずかながら減少に転じ世間一般のインフレ気構えにまず歯止めをかけることができたのである。1兆円予算最大の特色は財政投融資の削減にある。その状況を前年及び前前年度に比較すれば 第22図 の通り、前年度に比して約2割、600億円の減少を示している。また公共事業や食糧増産対策費なども前年度に比して約1割、200億円減少している。このような投資的支出の緊縮の反面、消費的支出は、旧軍人恩給、防衛関係費あるいは公務員のベースアップによる人件費など増大した面が少なくない。なお、地方財政計画は前年度よりさらに500億円の増大を示し、総額9,677億円とほとんど一般会計に匹敵する規模に膨張している。このため中央財政の圧縮にもかかわらず、中央、地方を通ずる財政の規模としてはなお若干拡大した。次に財政の対民間収支については、前年度からの歳出繰越額も相当見込まれるので外為会計等を除いた純財政としてはやはりある程度の撒布超過を残す見通しである。以上の諸傾向を総括してみれば、本年度の財政は昭和24年度の超均衡予算ほどの激しいデフレ的影響をもつものでなくいわば中立予算ということができるであろう。

第22図 戦時別財政投融資計画

一方金融財政の緊縮より早く、昨年の10月以来引締めに転じた。引締措置の中心は二次高率の引上げと輸入金融制度の変更にある。二次高率の引上げについては、従来その利率が市中貸出金利に対し並手形を除き無鞘であったものが一率に2厘方逆鞘となった。また輸入金融の引締めでは別口外為貸が廃止され、輸入決済手形も不要不急品目についての適用が除外されたほか、その期間も1月短縮されて、2─3ヶ月となり、さらに輸入物資引取金に対するスタンプ手形も鉄鋼、皮革を除いて廃止された。このような措置は金融を特に引き締めるというよりも、甘かった輸入金融によって本来ならば発現すべき入超のデフレ効果が、今までほとんど打ち消されてしまっていたのを正常な状態に引き戻したという意味をもっているのであるが、これまで甘い金融になじんできた経済界に引締め気構えを吹込む役割を果たした。

以上の財政と金融による引締措置を前章に述べた有効需要の膨張要因と比較できるような形に書きかえてみると、財政投融資の減少に基づく設備投資の圧縮と金融引締による在庫投資の抑制ということができるであろう。

本年度の外貨予算は右に述べたような収縮要因に基づく国内購買力引締を前提として編成され、輸入規模は前年度を約1割下廻る20億ドル内外と見込まれている。

緊縮政策の影響

引締策がその影響を本格的に及ぼし始めたのは3月初旬の第三次金融措置以来のことである。従って引締めに対する経済の対応状況を総括的に考察しうる段階にはまだ達していない。そこでこの数ヶ月の経済指標を概観することによってまず引締め初期の影響の度合いを検討することにしよう。経済指標を引締措置の影響の現れ方の遅速によってみれば、次のような四つのグループに大別しうるであろう。

第一は影響の最も速やかに現れた面である。その例としては物価、通貨、銀行の預金、貸し出しなどが挙げられる。卸売物価は2月半ばをピークに以後漸落を続け6月末までに7%低落した。通貨量も例年に比して年初以来の還流の割合が大きい。また銀行の預金、貸し出しも年初来5月までの増加額は何れも前年同期の1割程度に過ぎない。

第二はまだ実際面への影響は顕著でないけれどもやがて効果を及ぼすことが予想される部面である。輸入は通関統計においてはなお高水準を示しているが、為替統計にみる支払高あるいは金融引締めを敏感に反映する信用状の開設高においては、すでに減少が顕著である。なお輸出はポンド地域の輸入制限の緩和に加えて、国内市場狭隘化に伴う輸出意欲の高まりもあって契約高、通関実際も共に漸増している。従って特需が減少傾向を示しているにもかかわらず為替収支は次第に改善の方向を辿り、6月の国際収支は7ヶ月ぶりで黒字に転じた。

第三は影響のまだ浅い面である。工業平均賃金及び都市家計の消費水準は共に前年同月を1割ないし2割上回る高水準を続けており、上昇率こそ多少鈍くはなったものの、まだ停滞傾向を顕著にみせていない。なお鉱工業生産も高水準を保っていたが、最近ではメーカー在庫の急増とともにやや頭打ちの模様を示し始めた。

第四は経済的効果というよりも引締めに伴う副作用の面である。不渡り手形、商社倒産、失業保険の受給者の数などは漸増を示している。

以上によって明らかなように、緊縮の現段階は流通面から生産面への波及過程に相当し、所得、消費への響きは、なお微かである。輸入の減少も需要の減退に伴って減ったというより輸入金融の引締めに負うところが多いであろう。従って、物価は下り輸入は減り出して、一見引締政策が既にその効果を十分に発揮したようにみえるかも知れないけれども、実はそうではない。生産や消費が引き締って、輸入の減少と見合うようにならないならば、輸入在庫の食いつぶしから再び輸入を増大させねばならなくなる惧れがある。しかし生産や消費に急速に響くように引締めを強めるならばその過程で生産や消費の収縮よりも先に社会的な副作用が進んでしまう。この傾向は経済収縮期にありがちな現象なのであるけれども、副作用が余りに昂進するようでは緊縮政策を円滑に進行させることはできない。そこでこれからの影響の深さを見きわめるために、ここでもう一度引締策の目的を確認しておこう。

政策当面の狙いは、過大になった輸入を輸出プラス特需に見合う範囲内におさめることにある。決して一足飛びに特需なしでの国際収支の均衡を意図しているのではない。その場合の国内経済規模引締め程度としては前章に述べた国内均衡と国際均衡のすれ違った時期、すなわち27年下期から28年上期にかけての水準が一応の目安になるであろう。従って物価水準も2割、3割下落させることを意図してはいない。本年度においては5分ないし1割弱引き下げればそれで目的を達するのである。また国民生活も戦前水準を約1割上回る現状から若干引き締めればしれで済むのであって、決して終戦直後のような窮乏生活に戻ることが要求されているのではない。これを要するに今回の措置は昭和初年の井上財政の時のような強いデフレ政策ではなく、その目的は28年における行き過ぎの是正にある。しかもその目標は国際収支の改善にある。輸入の削減も国内購買力の圧縮もその目標を達成するために必要なのだ。景気を後退させることは目標でなくして手段なのである。国民の所得を無理に縮めなくても各人がその所得のうち消費に充てる割合をできるだけ抑え、同じ消費でもなるべく外国の品を買わないようにすればそれだけで目的に近づくのである。国民各自がこの筋道を理解し、貯蓄を増強し、国産品愛用に努力するならば、それだけ国内を不景気にする度合が軽くてすむわけである。例えば煮物をし、コーヒーを飲む時の砂糖を1人1日に1サジ節約するだけで年間約1,000万ドルの輸入負担の軽減になり、それだけ他の重要工業原料の輸入を増やす余地を生むことができる。企業もその意味で情勢に順応して経営の引締めをはかるとともに輸入原料の効率的使用に努めねばならない。もちろんこの段階においては国としても緊縮政策を円滑に進行させるために一そうの努力を注がなくてはならない。そのために国の財政支出も実行予算においてさらに節約が企てられている。これまで放慢に流れてきた地方財政については支出の効率化の必要が大きい。また物価や賃金についても国がその決定に対して影響力をもっている価格、料金、給与についてはできるだけ抑制の趣旨を貫いてゆかなければならない。その反面とかく緊縮の皺のよりがちな中小企業については金融面からの配慮を加えるとか、不可避的に発生する失業その他に関しては社会保障対策によってこれを受け入れる用意が必要である。しかし締めるばかりでは経済政策の最終の目標とはなり得ない。ある段階に至ったならば輸出伸長を基軸にした伸びる政策に移らなければならない。それでは縮小均衡から拡大均衡への契機をいかなる段階においてつかむことができるのであろうか。


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