むすび

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今回の「日本経済レポート(2023年度版)」では、我が国経済が、3年以上にわたるコロナ禍を乗り越え、緩やかな回復基調を取り戻した中にあって、今後、デフレから脱却し、持続的な回復を継続できるかという重要な局面に際して直面する課題を取り上げた。

(2023年の我が国経済)

第1章では、2023年の日本経済を振り返るとともに、過去四半世紀にわたり達成しえなかったデフレからの脱却に向けた展望を行った。我が国経済は、2023年5月に新型コロナウイルス感染症が5類感染症に移行された後、経済の自律的な回復メカニズムが働き始めた。GDPは名目・実質ともに過去最大水準となり、業況感や経常利益にみられるように企業部門は好調である。一方、その好調さが賃金や投資に必ずしも十分に結び付かず、個人消費や設備投資といった内需が力強さを欠く状況にある。GDPの約55%を占める個人消費の力強い回復には、コロナ禍で積み上がった超過貯蓄が取り崩されることも重要であるが、我が国の超過貯蓄は、アメリカと異なり、未だ本格的には取り崩されていない。所得や資産が相対的に高い世帯において、貯蓄率がコロナ禍前よりも切り上がっていることが背景にあり、賃金が持続的に増加していくこと等により、超過貯蓄が着実に取り崩されていくかどうか注意が必要である。

(デフレ脱却に向けた課題)

我が国経済がデフレ状況に陥る以前の1980年代から1990年代前半を含む約40年を振り返れば、デフレに後戻りする見込みがないかどうかを判断していくに当たっては、物価の基調と背景について様々な指標をみる必要があるが、特に、賃金上昇、企業の価格転嫁の動向、物価上昇の広がり、予想物価上昇率など、幅広い角度から総合的に経済・物価動向を確認することが重要である。名目賃金については、企業収益が過去最高水準となり、物価動向や人手不足への対応を賃金設定において重視する企業が増える中で、2024年度における力強い賃金上昇の継続に向けた環境は整っている。主要先進国やデフレ前の日本では、物価上昇と労働生産性向上が名目賃金上昇をけん引していた。物価上昇を賃金に反映させ、物価に負けない名目賃金上昇率を実現・継続し、賃金と物価の好循環を回すとともに、労働生産性を高めていくことが重要である。価格転嫁については、仕入価格の販売価格への転嫁は、デフレに陥る以前の姿に近づきつつある。一方、人件費については、中小企業を中心に、必ずしも販売価格への転嫁が進んでおらず、受発注企業間の円滑な取引環境の整備が重要である。物価上昇の広がりという点では、輸入物価上昇を起点とした食料品等の財物価の上昇は落ち着きつつある一方、サービス物価の上昇率が徐々に高まっており、デフレ状況に陥る前の1980年代の姿に近づいている。人件費の割合が高いサービス部門において、賃金から物価への転嫁が適切に行われることが、サービスを中心とする安定的な物価上昇という姿が定着するかどうかという点で極めて重要である。家計の予想物価上昇率は、極端に高い物価上昇を予想する割合は低下し、安定化に向かっている。また、企業の中期的な予想物価上昇率が2%程度にレベルシフトし、安定化しつつある点は前向きな動きと評価できる。

(労働供給拡大に向けた課題)

コロナ禍の影響により最大9%まで高まった負のGDPギャップが解消に向かいつつある中で、今後は、供給力を強化し、潜在成長率を高める努力が不可欠となる。第2章においては、労働投入面に着目し、人口減少・少子高齢化が進む中で、労働供給の制約による経済成長率の下押しを緩和するための課題について整理した。就業者数については、2010年代半ば以降、女性の労働参加率の向上、高齢者の就業促進を通じた非労働力化の抑制により、人口減少の中でも増加してきた。潜在的な就業希望者が存在する中で、今後も労働参加率の一定の向上は期待できるものの、人口減少の波を打ち返すのは容易ではなく、経済全体の生産性向上に加え、労働時間の面での追加就業希望を実現することがより重要となる。特に、追加就業希望者の半数程度を占める非正規雇用の女性については、正規雇用への転換・復帰を後押しするようなリ・スキリング支援や、年収の壁による就業調整のインセンティブを減じる恒久的な制度の確立等が重要となる。また、幅広い年齢層で広がりが出てきている副業について、より柔軟な実施を可能とする環境整備が必要となる。

追加就業希望の実現は、一人当たりの所得向上につながる。限られた人材が適材適所で能力を発揮し、能力に見合った賃金を得るという観点では、転職の促進も重要となる。コロナ禍を経て、転職市場は正社員間を中心に活発化し、収入の高い層では転職によりさらに賃金が上昇するケースが増えつつある。こうした動きを幅広い層に広げる観点でも、リ・スキリング支援の充実等が重要となる。また、パート労働者の所得向上につながる最低賃金の引上げについては、我が国では、40年ぶりの物価上昇に対応し、高い伸びを実現し、最低賃金近傍の就業者の実質賃金を維持してきた。今後、物価や賃金が上昇することがノルムとして定着していく中にあって、諸外国の動向を踏まえつつ、最低賃金設定のあり方の再検討、とりわけ、物価上昇に対してより機動的に最低賃金が調整される仕組みの検討にも意義があろう。

(企業部門の設備投資拡大に向けた課題)

我が国の潜在成長率を長期的に低下させてきたのは、主に、バブル崩壊以降の企業による設備投資の抑制を通じた資本投入の寄与の縮小であり、無形固定資産を含めた投資の抑制は、新たな価値の創造を阻害し、全要素生産性の停滞にもつながっている。第3章では、バブル崩壊後の約30年間における企業行動の変化を振り返り、今後の投資拡大に向けた課題について整理した。企業部門の経常利益は、生産効率の改善を含めた変動費率の低下のほか、人件費の抑制及び過剰債務の解消といったコストカットや海外生産の拡大に伴う配当収益等の増加によって拡大してきた。こうした利益は、主に財務体質の強化、リスクへの備え、海外投資の更なる拡大等に充てられた一方、人件費や国内設備投資は長期にわたって抑制され、1990年代末以降、投資が貯蓄を下回る貯蓄超過の傾向が継続している。企業の収益力や財務基盤の改善は、設備投資を再起動させる条件が整っていることを示しており、国内経済の期待成長率が高まれば、非製造業を中心に、企業の国内投資の積極化につながることが期待される。

賃金や設備投資の原資につながる企業の価格設定力、すなわちマークアップ率については、米欧企業は近年マークアップ率を高める傾向にあるのに対し、日本企業においては、一部業種を除いて、過去20年程度の間、低位に安定した状態が続き、企業間の分布にも大きな変化がみられない。マークアップ率の違いには、研究開発投資を含む無形固定資産投資の量・質両面での違いが反映されている可能性がある。これまでの日本企業における無形固定資産投資の拡大はアメリカに比べると小さく、無形固定資産投資とマークアップ率向上の関係性は、日本企業の方がアメリカ企業よりも著しく低い。企業の価格設定力やこれを通じた収益力の向上は、賃金と物価の好循環を実現するための鍵であり、企業の無形固定資産投資、さらには、そうした投資の成果の社会実装を促進していくことが重要である。

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