むすび
2020年の我が国は、新型コロナウイルス感染症(以下「感染症」という。)の世界的流行(パンデミック)による大幅な下押しと、感染防止を図りながら社会経済活動の水準を引き上げるという未曾有の経験をした。年後半に経済の稼働水準は次第に高まったものの、新規感染者数が増加に転じたことから、2021年1月には、再び社会経済活動の抑制を求めることになった 。
今回の「日本経済2020-2021」では、こうした2020年後半から2021年初頭の日本経済の現状を点検するとともに、感染症の影響によって変化した雇用や家計、そして企業について、その動向や課題を分析している。各章の内容をまとめると、以下のとおりである。
(2020年後半の我が国経済)
第1章では、2020年後半以降のマクロ経済の動きを概観し、内需・外需の状況や、家計・企業部門での特徴的な動きについて確認した。我が国経済は、昨年5月末の緊急事態宣言解除以降、感染防止を図りながら社会経済活動の水準を引き上げるとともに、政策支援によって総需要の下支えが図られたことから、年後半以降、内需面では個人消費を中心に持ち直しが続いた。また、外需面では、諸外国における経済活動再開にともない、財輸出の持ち直しが続いた。しかし、秋以降の新規感染者数の増加を受けて、地域レベルで経済活動の制限が拡がり、本年1月には再び緊急事態宣言が発出された。
ただし、今回の緊急事態宣言では、これまでの経験・知見や専門家の分析を踏まえ、感染の起点といわれる飲食とそれにつながる人流を抑える措置を講じた。昨年4、5月の時のように全国において経済活動を幅広く人為的に止めたわけではないため、経済的な影響も抑制されたと見込まれるが、消費は弱い動きとなっている。
また、雇用・賃金の動向をみると、総じてみれば弱い動きに止まっているものの、政策支援の効果もあり、雇用者数等には持ち直しの動きがみられる等、ある程度の底堅さがみられている。また、企業の資金繰りも維持されている。ただし、企業の予想物価は下振れし、GDPギャップは依然として大きなマイナスとなっていることから、デフレリスクは残っている。したがって、感染防止を図りながら需要水準を押上げることが重要である。
最後に、感染症の影響下での対外収支と海外投資の動向や為替レートの変動要因について分析した。我が国の対外収支は、サービスは赤字で推移したものの、貿易収支は年後半に輸出が持ち直し、所得収支は継続的に黒字で推移したことから、経常収支全体では黒字を維持した。また、対外直接投資や証券投資は、感染症の影響が比較的大きい欧米向けを中心に下押しされた。為替レートについては、近年では金融政策のレジーム変化もあり、金利よりも通貨供給量に影響されていた。こうした為替レートの変動が経済に与える影響について、企業の輸出行動を分析したところ、リーマンショック以前とは異なり、為替レートの変動に対して輸出数量よりも輸出価格を変動させるといった変化が引き続きみられること、また、想定為替レートの変更が企業収益に与える影響に低下がみられることから、経済全体への影響は緩和されている可能性が示唆される。
(感染症の影響による雇用と家計の変化)
第2章では、雇用・所得の観点から感染症の影響を考察した。2020年4、5月には休業者が増加し、女性や非正規雇用を中心に大きな影響が生じた。また、多くの高齢者や子育て世帯の女性が非労働力化した。その後、休業者は経済活動の再開と共に減少し、就業者も持ち直したが、2021年に入った段階でも、感染拡大以前の水準には戻っていない。非労働力化した人々も次第に労働力へと戻ってきたが、高齢層の労働参加はあまり進んでいない。失業率は全体としては抑制されているものの、失業者は男性を中心に増加しており、失業期間の長期化もみられる。
他方、厳しい経済環境にあっても、2020年4月から始まった大企業に対する同一労働同一賃金の適用開始を踏まえた正規化の動きは、女性を中心に続いている。男性についても、55歳以上では、正規雇用での定年延長や再雇用の拡がりがうかがえる。こうした正規化の動きによって非正規雇用者は減少した面もあるが、2020年後半においても感染症の影響による雇用減少が大きい。特に、女性の宿泊・飲食業の雇用者数は大幅に減少している。
雇用面の弱さは賃金動向にも表れている。産業別には、宿泊・飲食、運輸・郵便、生活関連サービス等の賃金が下振れした。特に、これらの産業では、冬の賞与が全体の5.6%減よりも一層大きく下回った。他方、雇用形態別にみると、一般労働者の賃金は、賞与を含む特別給与の下振れで弱い動きもみられる一方、パートタイム労働者の賃金は、2020年4月から大企業に適用された同一労働同一賃金による処遇改善もあって底堅く推移している。
所得面から振り返ると、特別定額給付金を含んだ特別収入の増加に加え、勤労所得においては世帯主の配偶者の収入が全体を下支えした。2012年以降、女性配偶者の収入は、平均収入の上昇もあるが、有業率の上昇によって増加が続いている。今後、2021年4月に中小企業にも導入される同一労働同一賃金や、現在、感染症をきっかけとして普及・定着に向けた取組が強化されているテレワークなど柔軟な働き方の推進等が正規雇用や賃金の比較的高い雇用の増加など女性のさらなる活躍につながり、経済の好循環に寄与することが期待される。
経済ショックの大きさに比べて、失業等の発生は抑制されているが、これは政府による事業・雇用維持のための支援策に加え、人口減少に伴う先行きの人手不足も見通した企業における人雇用確保の動きによるところが大きい。企業による雇用保蔵は昨年4-6月期にリーマンショック時を大幅に上回る規模となったが、経済活動の回復と共に減少している。ただし、製造業では、生産活動の減少に対して労働時間の削減と生産性の低下でおおむね対応できたが、サービス業では雇用量も削減された。特に、宿泊業では損益分岐売上高の水準が高いにも関わらず、売上の低迷が続いており、厳しい状態にある。
雇用調整助成金等によって企業の雇用維持を支えた規模は、失業率換算で2~3%と見込まれるが、ポストコロナに向けた中長期的な生産性向上や経済成長の観点からは、感染症の動向を踏まえつつ、ニーズの高い分野や成長分野に失業なき労働移動を促進していくことも実施していく必要がある。産業や職業を変える労働移動には、労働者の能力開発やスキルアップ、能力開発投資が必須である。ただし、調査によると、個人も企業も人的投資には消極的であるため、こうした状況を変えて、両者を動かしていく環境整備が必要であろう。
(ポストコロナに向けた企業活動の活性化と課題)
第3章では、企業活動の状況について収益及び資金繰り、倒産の観点から整理し、ポストコロナに向けた企業活動の活性化に必要な課題を検討した。企業収益を分析すると、サービス業は企業規模を問わず大幅な減収に陥ったが、それ以外の業種については、とりわけ中小企業で大幅な減収となった。これは、大企業を中心に収益が悪化したリーマンショック時とは対照的な動きである。ただし、企業の資金繰りはリーマンショック時ほど悪化していない。また、企業の負債比率や負債コストは共に低位であり、今のところバランスシート調整圧力は弱いと見込まれる。ただし、宿泊・飲食サービス業など、感染の影響を大きく受け、営業時間短縮等の事業抑制を余儀なくされている一部業種の負債比率は大幅に上昇している。今後の事業再建に向けて、資本性ローンの提供による事業継続の支援や感染動向を踏まえた早期の需要回復が必要である。
また、倒産・廃業及び開業について長期及び感染拡大下の動向を整理した。我が国の倒産は減少傾向が続いてきたが、感染拡大の影響による収益悪化を受けても、政府・日銀の金融支援等による手元流動性の増加もあり、2020年の倒産件数は前年から減少した。
他方、開業件数は増加傾向にあり、人手不足や後継者難要因によって増加傾向にある廃業件数を上回っているが、開廃業率はともに主要国と比べて低い。開業率とマクロの経済成長率との間には正の相関がみられる。また、企業レベルの分析からは、事業を継続している存続企業と廃業した企業の生産性上昇率を比べると、存続企業の生産性上昇率が高い傾向にあることから、生産性を通じた企業間競争による成長メカニズムがミクロ面で確認できる。ただし、存続企業と廃業企業の生産性上昇率の差が縮小傾向にあり、存続可能な生産性の高い企業であても、後継者不足や人手不足といった生産性以外の要因による廃業を選択している可能性が示唆されている。
さらに、ポストコロナに向けて我が国の企業活動を活性化させるために必要な課題について検討した。我が国経済では、中小企業が事業所・従業員数に占める比率は8~9割と高いものの、付加価値に占める比率は5割弱に止まっており、中小企業の付加価値を引き上げることは、一国全体の成長につながる。その手段の一つとして、生産性向上に資することが明らかな無形資産投資(ソフトウェアを含む)の積極化が挙げられる。現状、中小企業では、キャッシュフローをソフトウェア投資に振り向ける比率が低く、有形資産に投資が偏っている。こうした投資配分の見直しや、政府によるデジタル投資支援策の積極的な活用を促す必要がある。また、中小企業の高齢経営者の多くが事業承継を望んでおり、例えば、担い手の減少や後継者不足といった課題に対し、事業承継を目的としたM&Aの活発化が望まれる。
こうした中小企業等のニーズに応えることが期待されているのが地域銀行である。地域銀行の貸出は、感染拡大下で増加したが、保証の効果により自らの信用コストの増加は限定的であり、自己資本も安定している。ただし、低金利環境と人口減少に直面するなか、長期的な収益環境は厳しい。今後、統合による自らの経営基盤強化を図りながら、先の中小企業等の課題解決に向けて、人材仲介やM&Aといった金融以外での仲介機能のサービス強化による収益多角化を同時に進め、地域内での新規事業や雇用機会を創出することで、地域経済とともに成長していくことが求められている。