経済白書のポイント 平成8年版(平成8年7月26日)

平成8年度年次経済報告~改革が展望を切り開く~

平成8年7月
経済企画庁調査局

1947年の「経済実相報告書」から数えて50回目となる本報告書は、90年代の低成長に直面し時代の大きな転換期にある日本経済の現状を、「景気」、「産業調整」、「経済システム」という三つの軸から分析し、日本経済局面転換の課題とこれからの経済運営の視点を明らかにしている。

第1章 今回の景気局面の評価と今後の展望

消費の動向をみると、物価の低下、資産デフレ、低金利等による消費抑制効果はそれほど大きなものではなく、「現在」の実質所得が重要な消費決定要因となっている。今後、雇用情勢の改善によって実質所得の回復が視野に入ってくると、消費の回復もある程度期待できる。
設備投資が低迷した要因をみると、円高を背景として生産に必要な資本ストックが減少したほか、非製造業において資産価格の下落が投資抑制要因となっていた。しかし、95年夏以降の円高是正等によって投資環境は次第に明るくなってきており、企業収益の高まりを背景に今後の設備投資は更に明るさが増してくるものと考えられる。
雇用情勢は厳しい状況にあるが、時短が失業の増加を緩和する効果も少なからずあった。一方、自営業主・家族従業者から雇用者への大幅なシフト、製造業から非製造業へのシフト、専門的知識や高度技能を備えた雇用者への需要、若年層・高年齢層の失業率の高まりといった構造変化もみられる。
最近の財政政策の景気浮揚効果が顕在化しなかったのは、バブル崩壊により設備投資等が低迷していたこと等が財政出動の効果を相殺するように働いたためである。現在の財政状況は極めて厳しいものがあるが、財政赤字の持続は、政府債務の市場の信認を損う可能性があり、長期的に経済にマイナスの影響を及ぼすおそれがある。 今回局面で金融政策の実体経済に与える効果が不確実になっているのではないかとの議論がある。本格的な景気回復を図る上で金融緩和基調の持続は重要であるが、金融緩和のみでは十分とはいえない。
現在、民需の動きに堅調さが増しており、景気は回復の動きを続けているが、足元のところ、そのテンポは緩やかである。今後、個人消費や設備投資が更にしっかりしたものとならない場合には、一時的にせよ景気の回復テンポが鈍化する可能性もあるが、短期的な視点で政策的なてこ入ればかりに頼っていては、かえって経済のぜい弱性を残すことになりかねない。中期的な視点に立った構造改革を果敢に実行することによって、日本経済を足腰のしっかりとしたものにつくり変えるなかでの自律的な景気回復が期待される。

第2章 産業調整をみる視点

これまでの日本経済の産業構造の特徴は、比較優位産業、比較劣位産業、非貿易財産業の三者の実力が大きく異なる言わば「重層型」産業構造である。「重層型」構造は、1.円高圧力の継続、2.貿易収支黒字の拡大、3.内外価格差の拡大等の問題をもたらす。産業構造改編の視点は、比較優位産業の弱体化ではなく、輸入の増大や規制の緩和等をてことした比較劣位産業と非貿易財産業の一層の生産性の向上であり、それが経常黒字の縮小と低コスト経済への移行のかぎになるとみられる。その際に重要なのは、新しい技術を体化した効率的な投資の増大を通じた資本装備率の上昇や生産効率の向上を通じた前向きな生産性の向上である。
非製造業の生産性上昇率は製造業のそれより低くなるのが宿命とみる向きがあるが、ドイツにみられるように資本装備率の高さ等から生産性格差が縮小ないし逆転している例もある。ただし、この裏側では、製造業から離職した雇用者が非製造業で雇用されず失業者として累積したと考えられるなど、生産性上昇と雇用の確保のトレードオフ問題が存在する。一方、アメリカにみられるように、賃金の伸縮性等を背景に、雇用シフトがスムーズに行われる例もある。
最近の円高やそれを背景とした海外生産の進展、規制緩和といった様々な状況変化の中で、中小企業は厳しい調整を強いられている。今後は、中小企業の個性と活力を最大限引き出すためにも、規制緩和・競争促進等を通じ、中小企業が自らの力を発揮できるような市場環境の整備に努めつつ、側面からの政策支援が重要となってくる。 戦後の経済成長は高い技術進歩によるところが大きいが、最近ではキャッチアップ的な生産性の上昇の余地は小さくなってきているものと考えられ、自前の研究開発が従来にも増して重要なものとなってきている。技術フロンティアに近づくに従って研究開発が生産性に与える影響も変化してきており、研究開発投資の量的拡大を図るに当たっては、成果の不確実性も勘案しつつ効率的な投資を進める必要がある。その際、政府は基礎的研究等民間においては十分な取組みが期待できない研究開発を積極的に推進するとともに、研究開発基盤の整備を図ることにより、我が国の研究開発能力を引き上げることが必要である。

第3章 転換期にある日本的経済システム

これまでの経済システムは一つの「均衡」したシステムとしてとらえることができ、その経済システムを構成するサブシステムは、互いに「制度的補完性」を有していた。しかし、様々な環境の変化の中で、従来のシステムが互いの変化を阻害し、システム全体が有効に機能しなくなることにより、経済全体のダイナミズムが失われるおそれがある。急激なシステム転換のコストは小さくないが、重要なのは、経済主体の自己責任の確立とその下での多様な選択肢を用意することである。
我が国の金融仲介システムの一つの特徴は、間接金融における企業とメインバンク、直接金融における企業と主幹事証券という固定的な関係である。こうした関係には、金融取引における情報の非対称性の問題を解決する方法として経済合理性が存在する。しかし、金融自由化等の環境変化のなかで、メインバンクの役割に一定の限界があり、また、バブル期の直接金融も資金配分の効率性という面で問題であった。近年では、規制緩和等を背景にこうした関係に変化がみられるが、重要なことは、資金の供給者と需要者の双方が金融仲介機能を柔軟に活用できるようにすることである。
長期雇用、年功賃金といった日本的雇用システムについても、一定の経済合理性が存在し、結果として社会的な安定(変動の小さい雇用)を実現した。ただし、こうした雇用システムは、非正規労働者(パート等)が景気循環のバッファーとして支えた面があり、各種環境も変化している。我が国の雇用システムの変化がしばしば指摘されるが、これまでのところ、マクロ的にみればさほど大きな変化ではない。今後は、長期雇用のメリットをいかしつつ、個々の条件に柔軟に対応できるシステムを構築する必要がある。
企業間関係については、「系列」、株式持合いについて徐々に変化の兆しがみられるが、これらが、新しい企業の台頭を背景としたものとは必ずしもいえない。新規企業の台頭の遅れには、コストの高さや資金面の環境等の問題が指摘される。この点に関して、既存企業のスピンアウトは、資金・人材・技術等を活用でき、今後もその役割は重要である。
いわゆる戦後のシステム疲労の問題を語るとき避けて通れないテーマとして公共部門の課題がある。政府介入の態様は時代とともに変化をしており、現在は政府の介在する領域をできる限り絞り込み、効率性重視に軸足を置いた政策展開が求められている。規模の経済性や情報の不完全性がある場合には政府規制が正当化されるが、その場合でも市場メカニズムの誘因を最大限に取り入れた規制制度の設計が望ましい。公的年金、医療保険等の社会保障制度は、国民生活の基本的な部分を保障する役割を果たしているが、急速に人口の高齢化が進展している我が国の現状を踏まえると、社会保障制度全般の効率性を図る観点から、その制度を不断に合理化・効率化する努力が要請されている。


三つの章を通じた分析を踏まえて改めて強調すべき点は次の六点である。第一は、90年代前半の低成長は、様々な内外からの調整のショックに対してこれまでの経済構造やシステムが柔軟に対応できていないために生じたものである。第二は、それゆえ、当面の景気の本格回復はこれまでの経済構造やシステムを改編し、日本経済の足腰を強化することによって達成しなければならない。第三は、日本経済のこれまでの産業構造は「重層型」であり、その改編が経常収支黒字の縮小と内外価格差縮小へつながる。第四は、経済政策の体系に関していえば、今後は効率重視に経済政策の軸足を置き、効率の追求が分配の公正につながるのであるというように発想の転換を行ことである。第五は、そのような産業構造の再編と政策体系の見直しが、生産性の上昇を通じた持続的成長と、日本経済にとっての最後の課題である国民生活の質を先進国にキャッチアップさせる道につながることである。生産性の上昇とそれによる持続的成長が達成されない場合は、社会保障制度の維持可能性が損われる。第六は、これまでのキャッチアップ型の経済構造をポストキャッチアップ型に改革するためには、これまでの日本の市場経済を規定してきたシステムにも変容を図らなければならない。「日本型経済システム」に一定の合理性を認めつつ、今後は更なる柔軟性と多様な選択肢の道を模索しなければならない。そのためには、自己責任原則を徹底し、市場経済を律する透明なルールとインセンティブ・メカニズムをつくり上げなければならない。リスクを恐れていては日本経済の前途に道はない。リスクとともに生きる覚悟が日本経済のダイナミズム復活の道である。