おわりに

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本報告では、「直面する世界的な物価上昇にどのように対応すべきか」、「人口減少が本格化する中で今後、雇用面でどのような対応が求められるのか」、「長期にわたり伸び悩んできた投資活動を拡大していくためには何が必要か」という問題意識から、経済財政を巡る短期、中長期の課題について現状の把握と論点の整理を試みた。それらを踏まえて、特に重要なメッセージは次の通りである。

デフレ脱却に向けて継続的・安定的な賃上げが今こそ求められる

我が国経済は感染症の影響により戦後最大の落ち込みを経験したが、2021年秋以降、ウィズコロナの考え方の下、経済社会活動の正常化が進んでいる。2022年に入りオミクロン株の感染が拡大したものの、メリハリの利いた対策を講じたことにより、経済への影響はこれまでよりも小さなものとなった。このように感染症による危機を乗り越えつつあったところで、我が国経済は、感染症からの世界経済の同時回復、ウクライナ情勢などを背景とした原材料価格の高騰に伴う世界的な物価上昇と海外への所得流出という課題に直面している。

現時点で物価上昇は主に原油価格等の上昇に起因する輸入インフレにとどまっており、消費者物価上昇率や期待物価上昇率も欧米と比較して著しく高い状況ではない。景気は、企業収益が高水準にあり、個人消費や設備投資は上向くなど持ち直しの動きが続いている。こうしたことから、我が国経済はスタグフレーションと呼ばれる状況にはない。

需給ギャップが依然としてマイナスにとどまるなどマクロ経済環境からみた我が国の物価上昇圧力は欧米と比べてむしろ弱い状況にある。上述した通り、海外への所得流出に伴う景気への下押しも受けている。我が国経済がスタグフレーションに陥らないようにするためにも、デフレ脱却に向けた取組を強化すべき局面にある。今こそ継続的・安定的な賃上げと官民連携での計画的投資等を通じた需給ギャップの着実な縮小を進め、賃金と物価がともに上昇していく経済を実現する必要がある。

一人当たり賃金の伸び悩みは成長と分配の両面での課題を示唆

我が国の実質GDPは約30年間、緩やかな増加にとどまってきたが、人口減少と完全週休二日制の普及や非正規雇用者の増加等による一人当たり労働時間の減少の影響を大きく受けている。労働時間当たりの実質GDPは主要先進国と遜色のない伸びとなっており、日本経済の成長力について過度に悲観的になることはない。ただし、2013年以降、デフレ状況ではなくなったにもかかわらず、投資活動は引き続き低調にとどまり、他の主要先進国との資本の伸びの差はさらに拡大している。この間、企業の投資先が国内から海外にシフトしてきたのは確かだが、内外をあわせてみても企業の投資活動は慎重にとどまってきたといわざるを得ない。また、賃金は人への投資ではなく、コストと捉えられる傾向が強く、人への投資も十分ではなかった。成長に向けた国内への投資が十分に行われてこなかったという点が成長面での最大の課題である。

分配面での課題も大きい。一人当たり名目賃金は物価上昇率と労働生産性の伸びに見合って上昇していくことが想定されるが、デフレ状況となった2000年以降、名目賃金上昇率は物価上昇率と同程度か下回る傾向にあった。こうした中で時間当たり実質賃金の伸びは実質労働生産性をおおむね下回って推移しており、成長の成果は労働者に十分に分配されてこなかった。長引くデフレの下で、企業は賃金決定に当たって労働生産性や物価動向をほとんど考慮しなくなっており、名目賃金上昇率と物価上昇率、労働生産性という本来、関係の深い変数のバランスを保つメカニズムが十分に機能しなくなっている。賃金引上げに向けた社会的雰囲気を醸成していくとともに、経済や物価動向等に関するデータやエビデンスを踏まえ、適正な賃金引上げの在り方を官民で検討していくことが必要である。

経済あっての財政。経済を立て直し、財政健全化に取り組むことが重要

感染症という危機を克服するため、累次の経済対策等を策定した結果、債務残高対GDP比は大きく高まった。一方、政府の経済支援を通じて家計所得が維持されたことや企業収益の二極化が生じる中で利益計上法人の利益総額が増加したことなどを背景に、名目成長率が大幅なマイナスとなる中で税収はむしろ増加することとなった。

感染拡大前の財政動向を振り返ると、デフレ状況ではなくなった2013年以降、名目GDPの拡大は税収増を通じて基礎的財政収支の改善に寄与し、さらに分母の拡大を通じて債務残高対GDP比の安定化につながってきた。着実な歳出改革の取組に加えて、経済成長が財政の改善に果たした役割が大きかった。感染症下での危機対応、感染拡大前の財政動向のいずれをみても、経済あっての財政であり、経済をしっかり立て直し、そして財政健全化を進めていくことが重要であることが確認できる。

今後、成長力を高めていくためには、民間投資を拡大するとともに、人口減少が本格化する中で労働力を確保し、その質を向上していくことが必要である。長期にわたり低迷してきた民間投資を喚起するためには、民間の予見可能性を高めつつ、民間投資の呼び水となる財政支出を効果的・効率的に活用していくことが求められる。労働分野の取組には、予防・健康づくりの推進や勤労者皆保険の実現など社会保障制度が果たす役割も大きい。経済と財政、社会保障に関する取組はそれぞれが相互に影響を及ぼすものであることから、一体的に推進していく必要がある。

少子高齢化と人口減少の本格化を見据えた働き方の見直しと人への投資が必要

2013年以降、少子高齢化と人口減少の下でも女性や高齢者をはじめとする多様な人材の労働参加が進み、雇用は大きく増加した。こうした成果もあって、近年は人口減少による経済への下押し圧力は大きく顕在化しなかったが、今後、人口減少や少子高齢化が本格化する中、マンアワーベースの労働投入量(一人当たり労働時間×就業者数)は、労働参加が一定程度進んだとしても年率0.6~1.1%程度減少する可能性がある。働き方改革等により労働参加を促し、労働の量を確保するとともに、人への投資の強化等を通じ労働の質を高めていくことなどにより、時間当たり労働生産性を引き上げていくことが一層重要となる。

労働の量の減少を緩和するためには、女性や高齢者をはじめ、働く意欲を持ちながら十分に就業できていない者の労働参加を促していくことが重要である。人口の1割弱程度を占める不本意非正規雇用者、失業者、就業希望者に加え、就業時間の増加を希望する短時間就業者、就業時間を調整している者などに対しても、制度の見直しや就労支援を通じ、活躍を促していくことが求められる。賃金の上昇を伴う転職は若年層を中心にみられ、感染症下で正規雇用の転職希望者も増加している。転職や副業・兼業の拡大を通じて、既に就労している様々な年齢層の活躍の場を広げていくことも待ったなしの課題である。

働き方が多様化する中で労働の質を高めていくためには、性別や雇用形態、学歴等の労働者の属性によって給与や処遇が決まるのではなく、同一労働同一賃金の考え方の下、能力や成果に応じて賃金が支払われ、誰もが教育訓練を受けられる環境を整備していく必要がある。こうした視点でみると、我が国の労働市場には多くの課題が残されている。我が国の男女間の賃金格差は縮小してきたものの、依然として諸外国と比べて大きい。男女間の賃金格差の背景には、<1>女性の方が正規雇用、高い職位のシェアが少ないこと、正規の平均勤続年数が短いこと、<2>女性の方が正規雇用での就業や年齢の上昇による賃金増加の程度が小さいことなどがある。非正規雇用に就いた背景をみると、労働者の能力ではなく学歴という属性による影響が大きい。また、第三次産業で比較的割合の高い短時間労働という就労形態が非正規雇用という雇用形態につながっている可能性もあり、正社員の多様で柔軟な働き方を広げていく必要がある。

リカレント教育やリスキリングの重要性は高まっており、企業や政府による社会人の学びへの支援がより一層活用されることが期待される。企業は指導する人材や時間の不足、労働者は時間や費用負担等が学び直しの課題となっている。また、OFF-JTの受講割合をみると、雇用形態や最終学歴で差がみられる状況が続いている。学校卒業後の初職における非正規雇用の割合は高まっているが、初職が非正規の者は現職も非正規である割合が大きく、非正規雇用が固定化する傾向もうかがえる。我が国における人への投資は総じて、働き方や労働者の属性の多様化に十分に対応できておらず、その見直しと強化は急務である。

予見可能性の向上とボトルネックの解消を通じ、民間投資を喚起していくことが重要

我が国企業の投資活動は海外への投資割合が高まっているものの、期待成長率の低下や長引くデフレ下での保守的な経営の広がりなどを背景に、全体として慎重に推移してきた。長年にわたり低迷してきた民間投資を喚起していくためには、社会課題の解決に向けた取組自体を付加価値創造の源泉として成長戦略に位置付け、官民が協働して重点的な投資と規制・制度改革を中長期的かつ計画的に推進していく必要がある。その際、本報告の分析からは以下の点が特に重要である。

第一に、予見可能性の向上を伴う形で民間企業の需要見通しに影響を与えていくことである。業種別の期待成長率と設備投資見通しの間には相関関係があり、デジタル化や脱炭素化は幅広い産業の需要構造に変化をもたらす可能性がある。実際、感染拡大以降、デジタル化が進んだ企業ほど同業他社と比べて業績が良好に推移しており、デジタル化は企業の競争力確保にとってさらに重要性を増している。こうした状況は次に述べるボトルネックの解消とあいまってデジタル投資の加速につながることが期待される。一方、企業の脱炭素に向けた取組は現時点で一部に限定されており、民間投資の喚起に向けて企業の予見可能性をさらに高めていくことが求められる。2050年のカーボンニュートラル達成に向けて、我が国を含め各国は過去にないペースで温室効果ガスの排出量を削減する必要がある。また、ロシアによるウクライナ侵略以降、原油価格が高水準で不安定に推移しており、エネルギー消費効率の改善の重要性は一層高まっている。相対的に高い水準にある我が国の環境分野の企業競争力について、補助金と排出量基準・排出量取引制度などを組み合わせた規制・支援一体型の投資促進策によりさらに強化し、脱炭素に向けて拡大する世界的な需要を積極的に取り込んでいくことが期待される。

第二に、投資拡大に向けたボトルネックの解消である。脱炭素化の推進に当たりノウハウと人材の不足を障害として認識する企業が多い。デジタル化を推進する場合にもそのための人材不足の解消が課題となっている。我が国のIT人材の競争力は全体として諸外国と比べて低いほか、IT人材がIT企業に偏在しており、非IT企業においてデジタル化を進めるための人材の不足が深刻となっている。我が国は技術の収益化に課題を抱えているが、ここでも人材がボトルネックとなっている。オープンイノベーションには研究人材の国際交流や産学官での連携がカギを握るが、その担い手となる高度な研究人材を十分に育成できていない。また、スタートアップの育成強化はこれまでも我が国の課題とされてきたが、GDPに占めるベンチャーキャピタルの投資規模でみる限り、諸外国との差は近年拡大している。この点においても人への投資や労働移動の促進が重要である。これらの民間投資やその収益化を担う高度人材の育成に向けた人への投資を強化し、その強化がグリーン投資やデジタル投資の実行の原動力となることでさらに投資が拡大していく好循環の実現を目指す必要がある。

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