おわりに

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本報告では、日本経済の現状と課題について分析するとともに、人生100年時代に対応するための人づくりや多様な働き方の実現、「Society 5.0」のイノベーションにおける競争力強化に向けた課題等について論じた。ここでは、本報告で論じたこれらの課題について、あらためて整理するとともに、主要な分析結果とそれを踏まえた対応の方向性について述べる。

現下の日本経済の課題

我が国経済は、アベノミクスの取組の下、2012年末から緩やかな回復を続けており、名目GDPも過去最大を記録している。雇用・所得環境が着実に改善する中で、消費や投資といった国内需要が堅調に推移する一方、潜在成長率が実際のGDPの伸びに追いつかずGDPギャップがプラスとなっており、生産性の向上と労働参加の促進が喫緊の課題となっている。こうした課題に対応し、持続的な経済成長を実現するためには、世界的に進む第4次産業革命の成果を、生産性の向上、多様な働き方の実現、国民生活の豊かさにつなげることができるかどうかが大きな鍵を握っている。こうした現状認識を踏まえ、今後の持続的な経済成長の実現を展望する上での重要課題としては、短期及び中長期の観点から以下の3点が挙げられる。

第一は、経済再生をより確かなものとし、景気回復の持続性を高めるため、家計や企業のデフレマインドを払しょくし、所得・収益の増加が消費や投資につながる好循環をさらに進展させることである。こうした観点からは、家計の所得・消費の動向、企業の収益・投資の動向、デフレ脱却・経済再生に向けた物価・賃金の動向において、それぞれプラスの動きが進展することが重要である。また、人手不足への対応や、各国の通商政策・海外経済の動向、為替レートなど金融資本市場の動向等が景気回復の持続性に与える影響にも留意する必要がある。

第二は、技術革新や人生100年時代に対応した人づくりや多様な働き方を進めていくことである。人手不足や少子高齢化が進む中で、技術革新を生産性の向上や働き方の見直しにつなげるためには、技術革新を担う高度人材の育成に加え、IT等新技術に対応できる人材、機械に代替されにくいスキルを身に付けた人材を育成することが重要である。同時に、技術革新によって時間や場所にとらわれない柔軟な働き方が可能となる中で、女性や高齢者が働きやすい多様な働き方の環境整備を行うことも重要である。

第三は、第4次産業革命というイノベーションの大きな波を確実に捉え、日本経済の競争力を高めるとともに、様々な社会課題を解決する「Society 5.0」の実現を世界に先駆けて進めていくことである。そのためには、知識・人的資本・技術力などの「イノベーションの基礎力」を強化するだけでなく、組織の柔軟性・起業家精神などの「イノベーションへの適合力」を高めていくことが重要である。同時に、イノベーションの成果が人材にも還元されることが必要である。

こうした3つの課題についての本報告の主な分析結果とそれを踏まえた対応の方向性は以下のとおりである。

景気回復の持続性と経済再生に向けた展望

今回の景気回復が長期化した背景には、世界経済の回復、国内における好循環の進展、技術革新や建設投資の波の到来といった3つの大きな要因が同時に寄与していると考えられる。

第一に、海外経済の動向については、世界金融危機後はじめて先進国及び新興国経済が同時に順調に回復しているとともに、第4次産業革命が進む中で、我が国が比較優位を持つ情報関連財の需要が世界的に伸びていることが、我が国経済にとって追い風になっている。今後についても、世界経済の緩やかな回復が続くことが見込まれているが、各国の通商政策の動向、アメリカの金利引上げが世界経済に及ぼす影響、英国のEU離脱交渉の行方等の影響、リスクにも留意する必要がある。

第二に、国内における好循環については、少子高齢化という人口制約を跳ね返し、女性や高齢者を中心に就業者数が大きく増加するとともに、緩やかな賃上げが実現することで個人消費は持ち直している。加えて、訪日外国人客による日本国内での消費の拡大も、地方にまで景気回復の動きが波及するのに大きく貢献している。

第三に、技術革新と建設投資については、第4次産業革命という大きなイノベーションの波の到来に対応し、新商品開発や新技術導入のための投資が進んでいることに加え、建設投資についても、都市の再開発、訪日外国人客の増加に対応した運輸・宿泊施設の増設、電子商取引の拡大による物流施設の拡大といった多方面にわたる投資需要が押し寄せている。こうした要因は、構造的な変化を反映した側面を持っており、今後も経済成長をけん引していく可能性が高いと考えられる。

家計部門、企業部門、物価の動向からみた課題

他方、景気回復の持続性の観点から、家計部門、企業部門、物価の動向をみると、いくつかの課題も残っている。

家計部門については、雇用・所得環境の改善に加え、消費税率引上げ後の駆け込み需要に伴う反動減や家電エコポイント時の需要の先食いに伴う耐久消費財の調整が終了したこともあり、個人消費は持ち直している。ただし、所得の伸びに比べて個人消費の伸びはやや力強さを欠いている面があり、特に、若い世代においてモノを持たない傾向や将来に備えた消費の手控えなどがみられている点には留意する必要がある。こうした観点からは、持続可能な社会保障制度を構築するとともに、若者が将来にわたって安心して働ける環境を整えていくことが重要である。また、共働き世帯や単身世帯の増加といった世帯構造の変化に合わせた消費スタイルの変化に対応することも重要であり、時間や場所を選ばず購入ができるネット消費のさらなる活用などが期待される。

企業部門の回復の持続性については、企業の体質強化の取組もあって企業収益は過去最高となり、損益分岐点比率が大きく低下したことにより、売上高の急な変動に対する頑健性も高まっていると考えられる。他方、為替レートの動向については、企業の海外活動の拡大もあり、一部の企業の収益には影響を与える可能性がある点には留意する必要がある。また、人手不足感の高い企業の多くは売上や収益が増加しているが、人手不足による事業規模の縮小といった企業経営への悪影響も一部の企業にはみられている。今後さらに人手不足感が高まる可能性があることを考慮すると、人づくり革命や生産性革命を進め、企業の生産性を高めていくことが重要である。

デフレ脱却に向けた物価の動向については、食料品価格や人件費上昇を反映した個人サービス価格の上昇を背景に、消費者物価は緩やかに上昇しているが、デフレに後戻りしないという意味でデフレ脱却の状況までには至っていない。グローバル化が進む中で、財の価格については輸入品との競合等によって上昇しにくいが、サービス価格についてはアメリカなどでは人件費上昇を反映して上昇している。このため、より力強い賃上げを実現することによって、消費者の購買力を高め消費需要を拡大させつつ、サービス価格を中心に物価が上昇することが望まれる。

賃上げについては、2018年の春季労使交渉では月例賃金や一時金のみならず諸手当込みの総額で3%程度の賃上げを実現した企業もあるなど進展がみられた。他方、一部の企業では、一旦ベアを行うと将来的に引下げが困難になると考えていることや、固定費になりにくい一時金の引上げで対応する傾向もみられる。賃上げの動きをさらに続けていくためには、企業の労働生産性を着実に高めるとともに、技術革新の波を活かして将来の成長につながる未来投資を促すことで、賃上げの原資をしっかりと確保することが大きな課題である。

人生100年時代に向けた人づくりと多様な働き方の実現

技術革新や少子高齢化が進展する中で、技術革新に対応したスキルを身に付けた人材を育成するとともに、技術革新の成果を活用して、時間や場所にとらわれず、女性や高齢者が働きやすい多様な働き方を実現することが、持続的な経済成長と国民生活の向上のために重要な課題である。

第4次産業革命に対応するためには、先端技術を専門に扱うIT人材を育成するとともに、専門家以外の労働者も、人生100年時代を見据えた学び直しによって基礎的なIT技術を身に付け、機械では代替できない読解、分析、伝達等のスキルを伸ばしていくことが重要である。

先端技術を専門に扱うIT人材については、日本は先進諸国と比べて就業者に占める割合が少なく、また、大学等の高等教育機関における理工学系を専攻する学生の割合も低い。加えて、企業が必要とする知識分野として、コンピュータ・プログラムや通信ネットワーク関連の知識を多く挙げているのに対して、該当する専攻分野で学んだ人材は不足しており、ギャップが生じている。このため、企業に勤めるIT人材のうち多くが企業に入ってから必要な専門知識を学んだとしている。こうしたことから、大学等において実務経験のある専門人材を活用したり、社会のニーズに応じてカリキュラム等も柔軟に見直していくことが重要である。

技術革新に対応した社会人のスキルアップについては、現在の日本では、主に企業の教育訓練によるところが大きく、新技術の導入を積極的に行っている企業ほど教育訓練にも力を入れている。人材育成方針としては、管理職になる人材については自社内での育成が重視されている一方、研究開発人材やIT人材は、比較的中途採用で補強する傾向もみられる。実証分析によれば、社内での訓練に加えて、社員の自己啓発の支援を行っている企業の生産性はさらに高まることが示されており、企業内訓練と企業外での自己啓発の双方をうまく活用することが重要である。

他方、大学で学び直しを行う社会人の割合は、日本は国際的にみても低く、その背景としては、勤務時間が長く学び直しの時間がとれないことに加え、学び直しに適した教育訓練コースを設定している大学や質の高いリカレント教育を提供している大学が少ないことがあると考えられる。こうした点を踏まえると、社会人の学び直しを促進するためにも、大学改革を進め、より実践的で質の高い学び直しの機会を提供することが重要である。また、企業側においても、従業員の自己啓発を適正に評価し、支援する姿勢が必要である。

また、技術革新によって時間や場所にとらわれない柔軟な働き方が可能となる中で、WLBを促進し、女性や高齢者の就業を促進することについては、多くのメリットがある。テレワークや長時間労働の是正などのWLBの取組は、労働生産性を向上させるとともに、買物・自己啓発・育児等の時間を増やす効果がある。また、女性の活躍はダイバーシティによる効果を通じて企業業績を改善させる効果があることが実証的に示されている。女性活躍の促進のためには、男女の育児休業の取得、柔軟な働き方の促進、限定的正社員制度の導入などの取組を促進することで、女性の離職を防ぎ能力を十分発揮できる環境を整備することが重要である。また、高齢者の活躍を促すためには、年金制度や企業の人事制度の設計について様々な選択肢を比較衡量し、就業意欲のある人々の就業を促すようなバランスの取れた制度設計を行うことが必要である。

技術革新の進展や就業年数の延伸によって就業と学び直し等の行き来が盛んになると、雇用の流動化が進む可能性がある。円滑な労働移動を促進するための労働市場のマッチング機能の強化や、フリーランスなど雇用関係によらない働き手に対するセーフティーネットのあり方等についても検討する必要がある。

「Society 5.0」に向けた日本経済の競争力と今後の課題

第4次産業革命に向けて世界各国の企業がしのぎを削る中で、イノベーションの大きな波を確実に捉え、日本経済の競争力を高めるとともに、新技術の社会実装により、人口減少・高齢化、エネルギー・環境制約などの様々な社会問題を解決できる「Society 5.0」の実現を進めていくことが重要である。

まず、第4次産業革命の進展度という観点からは、我が国の場合、情報通信ネットワークの発達やAI・ロボット等の新技術の導入といったインフラや技術面では各国と遜色ないか、むしろリードしている面もあると考えられるが、そうしたインフラを利用したeコマースの利用割合やIoTの利用意向は低く、電子決済の利用も極めて限定的となっている。今後、AIや機械・システムによるサービスの自動提供、自動車の無人自動走行の実用化などが進展していくと予想されるが、我が国では、少なくともこれまでは新技術の社会実装が遅れがちであった点は否めない。その背景には、企業において新技術に対応する人材が不足していることや雇用の流動性が低く従来のシステムの切り替えが進んでいないといったことが考えられ、安全面、人材育成、雇用面等での対応を十分に図りつつ、実用化に向けた動きを加速していくことが課題である。

次に、国際的にみたイノベーションにおける日本の強みと弱みについて、知識・人的資本・技術力などの「イノベーションの基礎力」と、組織の柔軟性・起業家精神などの「イノベーションへの適合力」の2つの大きな要素に分けて整理すると、以下のような課題が浮かんでくる。

第一に、「イノベーションの基礎力」という観点からは、我が国は、研究者数が多く、ICT関連の特許件数のシェアが高いほか、製造業におけるロボット化が進んでおり、それを活用するスキルも高いなど、諸外国と比較しても相応の競争力を有しているといえる。他方で、研究開発の進め方をみると、自前主義の傾向がみられるほか、革新的イノベーションよりも漸進的イノベーションを志向する企業の割合が高いこと、研究開発における国際連携の度合いが低いことなどが課題として挙げられる。

第二に、「イノベーションへの適応力」という観点からは、ICT戦略を進める上での組織体制に向上の余地があり、人的資本投資をはじめとする無形資産投資の水準も低い。また、企業の参入・退出が不活発であり、起業家精神の低さや起業家教育の不十分さが企業の新規参入を妨げている可能性があること、リスクマネーの供給が少ないこと、電子政府の利用が進んでいないことなど、様々な点で弱みが存在することが確認された。さらに、企業レベルのデータを活用した実証分析でも、経済全体の生産性は、企業の新規参入によって押し上げられる一方、非効率な企業が残存することによって押し下げられている可能性が示唆された。

これらの点を踏まえると、イノベーションの競争力をさらに高めていくためには、<1>研究開発において国際連携も含めたオープンイノベーションを促進し、革新的なイノベーションの能力を強化すること、<2>イノベーションに対応した組織の見直しを行うなど柔軟性を高めるとともに、人的資本やICTなど無形資産の蓄積や利用を促すこと、<3>労働市場や金融資本市場の効率性を高め、また起業を促進することにより、経済全体としての経営資源や労働資源の再配分機能を強化すること、<4>時代の変化に対応した制度・規制の速やかな見直しや電子政府の利便性を大きく高めることが重要な課題である。

イノベーションによって労働が機械に代替されたり、一部の巨大IT関連企業など人件費比率の低い企業(スーパースター企業)の出現によって労働分配率が低下しているのではないかという懸念が指摘されている。企業レベルのデータを用いた今回の実証分析の結果からは、日本ではスーパースター企業による労働分配率への影響は限定的であるものの、イノベーションの進展は、ICT関連財など資本財価格の相対的な低下等を通じて、労働分配率を低下させている可能性が示唆された。他方で、企業がIoTやAIなどの新技術を導入することは生産性を高め、併せて教育訓練を強化し人材育成を行うことで、新技術導入に伴う生産性上昇効果がさらに高まることも示唆された。

このように、イノベーションは生産性を高める一方で、一部の労働を代替することで労働分配率を低下させる可能性もあることを考慮すると、イノベーションに対応した人材を強化し、労働が新技術によって代替されるのではなく、むしろ人材を新技術が補完する形とすることが重要である。その上で、イノベーションや生産性向上の成果を、賃金や教育訓練等の形で人材育成に還元することで、イノベーションを促しつつ、労働分配率の低下にも歯止めをかける効果が期待される。

日本は前人未到の「Society 5.0」の経済へ足を踏み入れていく。この新しい世界での日本の強みと弱みは何なのか正しく理解し、日本が今後、国際競争力とイノベーションの優位性を保つための課題にスピード感を持って対応していくことが何より重要である。

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