むすび
本報告書では、「日本経済の好循環をどのように確立していくか」という問題意識から、経済財政を巡る短期、中長期の課題について、現状の把握と論点の整理を試みた。その結果を踏まえて、改めて現下の日本経済に関するメッセージを整理しよう。
●景気の先行きとリスク
2013年に入って景気は持ち直しに転じており、長引くデフレ状況にも変化が見られる。まず、政府が経済政策のレジームを成長志向へと大きく転換した。大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略からなる「三本の矢」に一体的に取り組むとの方針の下、政府は「日本経済再生に向けた緊急経済対策」を策定し、日本銀行は「量的・質的金融緩和」を導入した。これを受けて、為替レートが円安方向に推移し株価は大幅に上昇した。家計や企業のマインドも急速に改善した。経済政策のレジーム転換の影響は実体経済にも波及している。個人消費などの持ち直しに加え輸出が上向いてきている。緊急経済対策の効果も現れてきた。こうした動きを受け、生産が持ち直し、企業収益や雇用・所得環境にも改善が見られる。このように支出の増加が生産の増加につながり、それが所得の増加をもたらすという好循環の芽が出ている。
先行きについては、景気は次第に回復へ向かうと期待される。まず、海外経済の緩やかな回復を背景とした輸出の増加と復興需要の景気下支えが続くと考えられる。さらに、経済政策のレジームチェンジの効果が本格的に発現する。緊急経済対策が迅速に執行され、「量的・質的金融緩和」の効果が浸透し、成長戦略も着実に実施に移される。こうした中で、企業収益の改善が家計所得や投資の増加につながり、所得、支出、生産の好循環が確かなものになっていくと期待される。
ただし、海外景気の下振れは引き続き我が国の景気を下押しするリスクとなっている。特に、中国経済の減速や欧州政府債務危機の再燃には注意が必要である。
現在現れている明るい動きを持続的な成長へとつなげていくためには、中長期的な成長力を高める必要がある。そのための成長戦略も動き始めた。成長戦略を着実に実行に移し、経済の好循環の芽を大切に育てていかなければならない。
●デフレ脱却と財政健全化に向けた取組
デフレ脱却と財政健全化は長年取り組んできた政策課題だが、これらは単に過去の負の遺産の処理というだけではなく、日本経済のレジーム転換を実現し、日本経済を再生するために必要な取組である。
現在、「量的・質的金融緩和」の効果が浸透しつつあり、デフレ脱却に向けた歩みが始まっている。家計の低価格志向の緩和や小売の安売り競争の一服などを背景に消費者物価の前年比下落幅は縮小している。家計やマーケットの予想物価上昇率も高まってきている。デフレから脱却し、デフレ下で生じていた後ろ向きの流れを逆転させる好機が訪れている。特に、デフレ下で委縮していた企業活動が活性化することが期待される。これまで実質金利が高止まりし、企業は設備投資を先送りしてきたが、このところ実質金利は低下している。売上げの低迷に対して企業は賃金を抑制して収益を確保しようとしてきたが、こうしたコストカット主導ではなくイノベーション主導の生産性、収益性向上を目指すときだ。また、デフレと円高の悪循環の懸念もあって、製造業は急速に海外に生産拠点を移転してきたが、円安方向への動きが進む中、株価の上昇などもあり、企業の景況感は大きく改善している。政策も「製造業を空洞化から守る」という後ろ向きの政策から、製造業、非製造業の垣根なく海外と対等に競争できるビジネス環境を整えていく方向へと変わるべきだ。
「経済財政運営と改革の基本方針~脱デフレ・経済再生~」に沿って財政健全化に着実に取り組んでいくことも重要だ。今後、日本経済の再生を実現していくためには、人口減少・高齢化、グローバル化、非正規雇用の増加といった経済社会構造の変化にふさわしい財政構造に変えていく必要がある。成長基盤の強化に取り組むとともに、持続可能な財政と社会保障を構築しなければならない。また、財政に対する信認を維持する必要がある。デフレから脱却していく過程で金利は上昇していく可能性があるが、欧州政府債務危機の教訓を踏まえると、引き続き財政規律の順守に明確にコミットし急激な金利上昇を招かないように財政健全化目標達成に向けて着実な取組を進める必要がある。そうすることで家計や企業の将来不安が払拭され、個人消費や設備投資の拡大も促される。成長の促進は税収の増加などを通じて財政健全化にも貢献するものであり、経済再生と財政健全化の好循環を生むことができる。
●日本経済の成長力を高める
マクロ経済環境の好転は、企業の決断を促し、成長戦略を大きく前進させる。また、成長戦略を着実に実行に移すことにより、企業の行動が変わり、それがマクロ経済の持続的な改善につながる。こうした好循環を確立するためには、成長力の源泉である企業の活力を引き出し、企業家がアニマルスピリットを発揮するようにしていかなければならない。そうすることによってはじめて、企業が所得を生む能力、すなわち競争力を向上させ、日本経済の成長力を高めることができる。それでは、リーマンショック後の経済社会構造の変化を踏まえると、どのような取組が重要になるのであろうか。本報告書の分析は、企業のチャレンジ、世界経済の活力の取り込み、イノベーションの3つを後押ししていくことが重要であることを示唆している。
第一のポイントは、企業のチャレンジだ。我が国は2000年代後半に入っていよいよ総人口が減少し始めたが、企業のチャレンジを促し生産性を高めていけば持続的な成長を遂げることが可能だ。しかし、我が国企業の収益性は長期に渡って低下傾向にあり、リーマンショック後の落ち込みも大きかった。そこで、製造業について、その背景を探ったところ、企業を取り巻く環境が制約となる中で横並び的な経営姿勢、非効率な企業の存続、高コスト構造に加えて、設備投資や研究開発投資の効率性の低下が生産性低迷の原因となっていた。企業のチャレンジを後押しすることによって、人材、資本、資金などの資源を有効活用するとともに、生産性の高い分野にシフトさせ、生産性を高めていくことが重要だ。
第二のポイントは、世界経済の活力を取り込むことだ。そのためのキーワードは「貿易可能性」である。リーマンショック後、先進国経済が停滞する中で、新興国経済は輸出基地としての役割に加え、最終需要地としての重要性を増している。製造業は貿易可能性が高く、これまでも輸出や対外・対内投資、海外企業へのアウトソーシングなどを通じて、アジアを中心とする新興国経済の活力を積極的に取り込んできた。こうした貿易可能性は、今や非製造業にも広がっている。TPP協定交渉やRCEP交渉などを通じて知的財産や投資などの新たな分野のルールを作り、製造業のみならず非製造業においても、海外進出などを行いやすい環境を整え、その貿易可能性を高めていくことが日本経済の成長にとって今後ますます重要になる。
第三のポイントはイノベーションの促進である。イノベーションもこれまでは製造業がリードしてきたが、最近では非製造業でも重要性が増している。製造業のみならず非製造業においても、将来の基幹産業育成につながるような研究開発とその実用化への取組を支援し、プロダクトイノベーションを促すビジネス環境を作ることが重要である。また、非製造業ではICT資本の蓄積が低迷しており、特にソフトウェア投資が遅れている。今後、ソフトウェア投資にあわせて組織改革に取り組めば、その生産性が飛躍的に向上する可能性がある。
●成長の基盤を整える
日本経済の成長力を高めるためには、成長力の源泉である企業が活動しやすいビジネス環境を整備し、内外の「企業に選ばれる国」になることが重要だ。デフレ下では、人材や設備への投資が先送りされ、それが将来の成長の可能性をも摘んできた。資金は安全資産で運用され、リスクマネーの供給が不足していた。社会インフラは選択と集中がなされず劣化してきた。デフレから脱却し、これらの流れを逆転させることが重要だ。デフレからの脱却やリーマンショック後の経済社会構造の変化を踏まえて目指すべきビジネス環境も以前とは変化しており、それに伴って企業活動を支える生産基盤のあるべき姿も変化している。本報告書では、特に、人材、金融サービス、社会インフラという三つの生産基盤のあり方について検討した。
第一に、人材については、質を高めるとともに、外国の高度人材を活用することが重要だ。まず、若者の非正規雇用比率が高まる中で、その人的資本形成が課題となっている。非正規雇用者は、正規雇用者に比べて企業の教育訓練の対象となりにくく、人的資本を蓄積することが困難である。社会人の「学び直し」が容易になるよう、大学を始めとして企業内外で教育訓練機会を提供していく必要がある。次に、ICT技術が急速に進歩する中で、技術の担い手が不足している。理系学生の減少、ICT関連職種のキャリアパスの不明確さ、義務教育におけるICT導入の遅れなどの課題への対応が求められる。また、海外の活力を取り込む上で、世界で活躍できる人材が求められる。特に、外国人高度人材の確保が重要であり、そのためには、経済連携協定の締結や留学生の積極的な受入れなどが有効である。加えて、日本企業への就職及び定着促進の取組を強化すること等が重要である。
第二に、金融サービスについては、デフレ脱却によって生じるリスク・リターン環境の変化に対応して、家計の潤沢な金融資産を企業の設備投資に振り向け、経済の新陳代謝を高め、イノベーションを引き起こし、経済全体の生産性を高めていく役割が期待される。そのため、資金供給面では、株式の長期保有を優遇することなどを通じて、長期的な視点からリスクを取りベンチャーを育てる者の背中を押す環境を整備していくことが重要である。また、政策金融機関等を通じた資金フローが拡大しているが、これら公的機関は、民間投融資の「呼び水」機能や民間では担うことが困難な役割に徹するべきである。一方、資金運用面では、家計の余剰資金の運用を担う金融機関が国債に偏った運用からより多様な資産運用を志向するような環境を整備することが望まれる。
第三に、社会インフラについては、財政制約が一段と厳しくなる中で、グローバル競争の激化、人口構造の変化、施設の老朽化といった環境変化に対応していかなければならない。そのため、まず、選択と集中を徹底する必要がある。企業の競争力強化に資する投資効率の高いインフラ(ハブ空港・港湾など)の整備に集中投資する一方、地方は、インフラ機能の集約・減量化を反映するよう都市計画を見直すことが必要である。アセットマネジメントの推進も重要だ。施設の老朽化が急速に進展する中、ICTなどを活用した維持管理、長寿命化などを進めることで、社会インフラを効率的効果的に活用することができる。また、PFIなどを通じて民間の資金やノウハウの積極的な活用が求められる。なお、東日本大震災を契機に、巨大災害に対するリスクマネジメント(ナショナル・レジリエンス)も重要な課題となっている。