第2節 デフレ脱却に向けた展望と課題

2002年から景気回復が続く中で、これまで長期にわたって下落が続いていた物価状況にも変化が見られ始め、ようやくデフレ脱却が視野に入りつつある。デフレは先進国においては戦後の期間には発生しなかった経済現象であり、今後デフレ状況を脱却し物価上昇率がプラスの領域にはいる正常な状態へ移行する過程でどのような政策対応が必要となるかについて注目が集まっている。

以下ではデフレに関する経済状況の変化と今後の展望を概観した上で、金融政策面からの対応を検討する。

1 最近の物価動向と今後の展望

(1)改善がみられるデフレ状況

 各種物価指標で見るデフレの改善状況

物価動向を示す経済指標には様々なものがあり、1990年代末頃から日本経済が物価の持続的な下落を示すデフレ状況に落ち込んだ時期には、各種指標が前年比で下落を示した。第1節で見てきたようにデフレ下での景気回復が続くという特殊な状況の中でようやくデフレ脱却へ向けた動きもみられるようになってきた。ここではそのようなデフレからの脱却に向けた動きを、経済統計上の物価指標の動向で確認する。

まず、経済活動の段階でみると川上に相当する国内企業物価(前年比)については、2004年以降、中国などの経済発展による世界的な景気拡大や投機資金の流入を背景とした国際商品市況の上昇等により、上昇を続けている。さらに消費者段階での物価動向をみると、消費者物価(同)については、固定電話料金等の公共料金引下げの影響が剥落したことや、石油製品、電気代、都市ガス代といったエネルギー関係の品目が押上げに寄与していることにより、2005年11月以降は前年比で上昇に転じている。

一方、国内で生産された付加価値一単位当たりの価格に相当するGDPデフレーター(同)については、8年連続のマイナスが続いている。2004年以降は、原油価格上昇などの影響から輸入デフレーターが押下げ要因として作用しており、GDPデフレーターの下落幅は横ばい傾向で推移しているものの、国内需要デフレーターの下落幅は縮小傾向にあり、2006年1-3月期には0.1%とプラスに転じている(第1-2-1図)

 輸入価格上昇によるGDPデフレーターの下落

GDPデフレーターは名目GDPを実質GDPで除して求められるインプリシットデフレーターであり、国内要因に基づく『ホームメイド』な物価変動を表す指標である。その動きは、おおむね生産量一単位当たりの付加価値(利潤と賃金)の動きを表す。そのため、例えば、原油コストの上昇が製品価格に転嫁されなかったり、転嫁の幅が小さかったりすると、その分だけ利潤や賃金が圧縮され、転嫁された場合と比較してGDPデフレーターが押し下げられることになる。このように、GDPデフレーターの性格上、他の物価指数と異なる動きをすることがあることに注意が必要である。このため、国内の経済活動における物価上昇圧力を把握するためには、最終財等の価格動向に注目することも有効な手段である。

国内需要デフレーターは、国内需要全体の物価動向を把握するための重要な指標である。

民間最終消費支出デフレーター(以下、個人消費デフレーター)は消費者物価指数とその対象とする範囲が広く重なり合うことなどから、物価動向を判断するための重要な指標である。消費者物価(総合)と個人消費デフレーターを比較してみると、消費者物価はゼロ%近傍で推移しているにもかかわらず、個人消費デフレーターは2006年1-3月期で▲0.2%と依然としてマイナスが続いている。これは、1消費者物価が上方バイアスの傾向があるラスパイレス型固定基準方式で作成されるのに対し、個人消費デフレーターはパーシェ型連鎖方式であること、2消費者物価は約600の代表的な品目をとりあげて調査しているのに対し、個人消費デフレーターは、より包括的な消費活動を捉えており、約2000に分類される項目に対応する価格データについて、消費者物価指数だけでなく企業物価指数や農業物価指数など様々な価格データを利用していること、3医療関連の項目について、消費者物価は医療費の自己負担割合が増えると医療関連品目の指数が上昇するのに対し、個人消費デフレーターは自己負担割合の変更による影響は受けないことなどが影響していると考えられる(第1-2-2図)。なお、個人消費デフレーターに関しては、消費者物価のように要因分解ができないことや、四半期ごとの公表となっていることなどから、足元の基調判断に活用するためには難しい点があることには留意する必要がある。

 企業レベルで川上から川下への転嫁は緩やかに進行

GDPデフレーターを押し下げる要因となる国内での価格転嫁の遅れについては、2006年に入り、変化がみられる。国内企業物価の最終財価格をみると、長期間下落を続けていたが、2005年11月に13年ぶりにプラスに転じた(前掲第1-2-1図)。しかし、為替要因や特殊要因(石油製品の上昇等)を除く最終財価格をみると、いまだに前年比では下落が続いている。それでも、下落幅を徐々に縮小してきており、川下への転嫁が緩やかに進んできていることが分かる(第1-2-3図)

(2)経済指標から物価動向を判断する上での留意点

 消費者物価は経済活動主体の実感に近いが石油製品、その他特殊要因の調整も必要

物価の状況をみる際には、それぞれの物価指数の特性を考慮しつつ、物価統計以外の様々な経済指標も含めて物価上昇圧力の背景などを総合的に判断することが重要である。その中でも消費者物価は、各種物価指標の中でも家計や企業といった経済主体が物価をみる際の実感に近く、生産・投資、労働供給・消費といった経済活動を行っていく上で最も重要な物価指標である。

消費者物価の基調をみる際には、天候要因、国際商品市況、制度要因など、国内経済の需給要因を反映しない様々な特殊要因による変動を「総合」から除いた「コア指数」が利用されている。欧米では、コア指数として食料とエネルギーを除くことが一般的である。しかし、日本については食料のウエイトが大きいため、除去後に残るウエイトが小さくなりすぎるという問題点がある12。アドホックに特定の品目を除く手法に対し、変動の大きい品目を上下それぞれ一定割合除く「刈り込み平均指数」13もある。この手法では除く品目についての恣意性を排除することができ、かつ特殊要因による変動を受けにくいメリットはあるものの、例えばパソコンのように特殊要因とは関係なくすう勢的に下落している品目まで除かれる場合には、水準にバイアスが生じるというデメリットもある。さらに個別の理由で特殊要因を除いて消費者物価を判断する手法がある。この方式では、何を特殊要因とするかの明確な基準が存在しないため、恣意性が排除できない、あるいは除く品目が時点により変化するため長期時系列データがとれないなどのデメリットがあるものの、足元の物価基調をみることには適しているといえる(第1-2-4図)

いずれの物価指標でみても、2005年末から2006年にかけて下落から上昇に転じつつあることが分かる。その中でも安定的な動きを示している石油製品、その他特殊要因を除く消費者物価をみると、2004年後半から下落幅を縮小しつつあり、2006年4月には0.2%に達している(第1-2-5図)。しかしながら足元では上昇ペースは極めて緩やかとなっている。

なお、消費者物価については、2006年8月下旬に基準改定が行われる。消費者物価指数は価格調査を行う品目やウエイトを基準年で固定するラスパイレス方式で算出されているため、基準年から離れるほど、価格が低下する財に需要がシフトするといった消費行動の変化が織り込まれてないため、バイアスが生じやすくなる。また、基準改定の影響については、品目の改廃やウエイトの変化に加え、指数水準が基準年=100に戻ることによる影響も大きい。例えばパソコン(デスクトップ)の2005年平均の価格指数は2000年基準で17.7であったが、2005年基準では100に戻るため、下落寄与は約5倍に拡大する。基準改定により前年比では2006年1月から遡及改定されることになり、家計調査等を利用してウエイトを補正し、2005年=100とした指数で再計算をすると、改定後は0.2~0.3%程度下落するものと見込まれる(第1-2-6図)。これは2006年春の段階で石油製品、その他特殊要因を除く方式で見た消費者物価は依然としてゼロ近傍で推移していることを示唆している。

 実体経済からみて上昇しつつある物価上昇圧力

デフレ状況を判断するためには、結果としての物価指標に加えて実体経済面からの物価上昇圧力の状況を把握することも重要である。

まず需要面からGDPギャップ(潜在GDPに対する現実GDPの比率)をみる。GDPギャップは長期的にみればインフレ率と正の相関関係をもつ。一方でインフレ率が一定以下に低くなると、GDPギャップの変化ほどにはインフレ率が変化しないことなどが知られている14。この点に留意する必要はあるものの、GDPギャップは2002年以降、2004年秋から2005年夏頃にかけての踊り場局面を経て、改善を続けており、2005年10-12月期には0.2%と1997年1-3月期以来、約8年ぶりにプラスに転じている15(第1-2-7図)

次に、供給面から物価との相関関係をもつ単位労働コスト(1単位の生産に必要な労働費用)をみる。近年、賃金の低下が単位労働コストを押し下げる中で、消費者物価との相関関係が弱くなっている16。足元では労働生産性の向上と賃金の上昇が相殺する形で横ばいとなっており、景気回復期に一般的にみられる動きではあるものの、依然として単位労働コストの伸びは前年比でマイナスの領域にある(第1-2-8図)。しかし今後、賃金面での上昇が続けば費用面からの物価押上げ要因となる可能性がある。

以上、GDPギャップや単位労働コストといった物価を取り巻く環境をみれば、特にデフレ状況下においていずれも消費者物価との相関関係が弱まっていることには留意する必要があるものの、少なくともデフレが悪化するリスク要因とはなっていないことがみてとれる。

 物価上昇につながる期待インフレの加速状況

インフレ期待は、実質金利を通じて経済活動を左右することに加えて、実質賃金を通じて労働供給の決定にも影響を与える。経済活動主体の期待インフレの加速は結果的に実際の物価上昇圧力に結び付くことになると考えられる。

家計のインフレ期待をみると、石油製品価格等の動向やその情報量に大きな影響を受けるため変動がややあるものの17、基調的には上昇傾向にある(第1-2-9図)。企業のインフレ期待について、短観の販売価格DIをみると、非製造業においては緩やかな上昇を続けているものの、製造業加工業種では横ばいとなっている。ただし、さらに消費者に直面する企業の販売価格DIでみると、財・サービスともに販売価格DIは上昇傾向がみられる。

民間エコノミストの予測(ESPフォーキャスト調査)は、2006年度は横ばい傾向にあるが、2007年度にかけては緩やかな上昇を見込んでいる。

コラム 4 国際的にインフレが定着したのは戦後

第二次大戦後の主要先進国の中で、物価が持続的に下落するという意味でのデフレ状況となった事例は少ないが、戦前には、デフレは世界的にも特に珍しい現象ではなかった(※)。金本位制の時代やそれ以前には、貨幣供給量は金や銀といった金属の量に制約された。そのため、金銀産出量の増大や貨幣改鋳によるインフレ局面はあったものの、第一次大戦前までは長期的な物価変動は比較的小さい中で、短期的に物価の上下動を繰り返した(コラム4図)。戦時において戦費調達などのために保有する金属の量と関係なく不換紙幣を乱発した際にはインフレが高進し、戦後はその収束のためのデフレに苦しむこともあった(例:西南戦争と松方デフレ)。

1870年代に確立された国際金本位制は、国際収支の自動調整メカニズムの機能を内在化しており、経済の安定的発展をもたらす国際通貨体制として先進国に導入された。第一次世界大戦勃発により各国は戦費調達のために金本位制を離脱したものの、その後は各国とも金本位制への復帰を目指し、日本の浜口内閣も金解禁を行った。金本位制への復帰は当時の共通認識であり、デフレは調整過程として政策に折り込まれていた。しかし、1920年代後半に金流入国であるアメリカやフランスは国内通貨量を増加させないための不胎化政策をとり、金本位制の自動調整メカニズムが機能不全となる中、世界恐慌は一層深刻なものとなり、国際金本位制は崩壊した。

インフレが恒常化したのは戦後のことである。金とドルがペッグするブレトンウッズ体制の下で、基軸通貨国であるアメリカはマーシャルプランを中心とする巨額の対外援助を通じて世界にドルを供給し、各国は比較的安定した経済成長を享受した。こうした状況の下、労働組合の発展等により、賃金と物価の下方硬直性が制度化され、インフレが恒常化することとなった。ブレトンウッズ体制から現在の管理通貨体制への移行により、各国中央銀行は金本位制のような物理的な制約を離れて貨幣供給量の調整ができるようになったこともインフレ恒常化を後押しする方向へ作用した可能性がある。

(※)詳細は、岡本(2001)、北村(2002)を参照。

コラム4図 歴史的にみた物価の推移

(3)デフレ脱却に向けての今後の物価動向の展望

 デフレ脱却の意味するもの

デフレは物価が持続的な下落を示す状況であり、1990年代末以来緩やかなデフレ状況が続いてきたが、2006年春には改善がみられる。こうしたデフレ的な状況を脱却するためには物価が安定的に上昇を続け、再びデフレ状況に後戻りすることがないような状況にまで到達することが必要となる。

その際に上昇を示す価格状況を把握するためには消費者物価指数、GDPデフレーターなどの様々な指標の動向を評価することになる。既に詳しく述べたように各種価格指数のもつ固有の特性を見極めつつ、国内経済活動を反映した物価の動向を見極める必要がある。物価上昇が安定的で後戻りしないことを確認するためには物価指標の動向だけでなくその背景となる実体経済面での物価上昇圧力の状況を把握することが求められる。マクロ経済全体の需給状況を示すGDPギャップの動向、費用面からの物価上昇圧力を示す単位労働コストの動向などは重要な判断材料であると考えられる。

デフレ脱却の判断に当たっては、このような観点から各種の経済指標を総合的にみることが必要となる。実際にこれまで得られた経済統計指標をみると、物価をめぐる環境は好転しており、今後はデフレ脱却に向けた着実な進展が続くと思われる。

 物価上昇圧力の減殺要因

デフレ脱却へ向けた進展が続いてはいるものの、今後の物価上昇の程度については、幾つかの留意点がある。

第一には、中国やインドなどのいわゆるBRICs諸国の経済発展を背景とした供給力の増加により、世界的なディスインフレが進んでいることである。日本において、輸入圧力による消費者物価への影響をみると、電気製品を除く輸入競合品目のデフレ圧力は、2003年以降徐々に縮小し、足元ではほぼゼロ近傍となっている(第1-2-10図)。しかしながら、アメリカやEUにおけるインフレ率をみると、コアインフレ率も2%程度を保っているものの、財のインフレ率は、ほとんどゼロ%に近く(第1-2-11図)、今後、財がインフレ圧力になるかどうかは不透明である。

一方、欧米において、上昇に寄与しているのはサービス関係であるが、日本のサービス物価についてみると、近年では極めて変化率が小さい18

第二に、広範な規制緩和を背景とした価格競争の激化があげられる。電話などの公共料金を中心に規制緩和要因をとりあげて消費者物価をみると(ただし、エネルギー品目として電力、ガスは除かれている)、2005年では▲0.2%程度下落に寄与している(前掲第1-2-10図)。一方、規制緩和の流通面での影響として、国民経済計算を利用して運輸・商業マージン比率をみると、95年以降低下を続けてきた。ただし足元では下げ止まりの傾向もみられ、流通面でのデフレ圧力が緩和していることもみてとれる(第1-2-12図)

第三に、技術進歩による製品の性能向上が、物価下落に寄与することである。例えば、性能向上の著しいパソコンを例にとると、2000年=100とした指数は2005年平均で17.7まで下落している。これは、物価の測定にあたっては品質一定を原則とするため、品質向上がある場合、消費者が支払う購入単価に変化がなくても、物価は下落する。特に品質向上の早い電気製品を取り上げて、上方バイアスが少ない基準年の翌年(1986年と2001年)の前年比寄与度で比較すると、電気製品の消費者物価に占めるウエイトはほとんど変化していないにもかかわらず、2001年で約▲0.4%の下落寄与となり、1986年とは約▲0.3%の差がある。

2 金融政策の動向

(1)金利水準の低位安定に寄与した量的緩和政策

 解除された量的金融緩和

日本銀行は、本年3月の金融政策決定会合で、2001年3月以来5年間にわたって続けてきた量的緩和政策を変更し、短期金利(無担保コールレート<オーバーナイト物>)を金融市場調節の操作目標とし、これをおおむねゼロ%で推移するよう促すことを決定した。併せて、「物価の安定」の明確化を含め、金融政策運営の新たな枠組みを導入した。

 量的金融緩和の効果:金融システム安定と金利の低位安定

量的緩和政策は、日本銀行に各金融機関が設けている当座預金口座において、1準備預金制度によって金融機関が預け入れを求められている金額(所要準備額)を大幅に上回る当座預金を日本銀行が供給し、2そうした潤沢な資金供給を消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで継続することを「約束」するものであった。当時金融システムに対する不安感が高まる下で、景気悪化に伴う需要の減少が物価の下落を招き、それがさらに需要の減少につながる悪循環-いわゆるデフレ・スパイラル-に陥る可能性も懸念された。このため、物価が継続的に下落することを防止し、持続的な経済成長のための基盤を整備する観点から、量的緩和政策が採用された。

具体的に量的緩和政策の効果としては、第一に「金融システムの安定化効果」があげられる。所要準備額を上回る潤沢な資金供給は、金融システムに対する不安感が強かった時期において、金融機関の流動性需要に応え、1997~98年に生じたような大規模なクレジットクランチを回避できた。量的緩和政策が続けられるもとで、2005年4月には、ペイオフ全面解禁が混乱なく予定通り実施された。

第二に、「金利の低位安定化効果」がある。上記2で示された「約束」は、消費者物価(前年比)の下落が続く中、ある程度の期間にわたって、ゼロ金利が継続されるとの市場の予想を生み出し、その結果、中期より長めの金利も低位で安定的に推移した(いわゆる「時間軸効果」)。実体経済への効果という点からも、金融市場における「金利の低位安定化」が、緩和的な企業金融環境を実現させた。社債の信用スプレッドは低下し、企業からみた資金繰りに関する判断は、90年代以降で、最も良好な状況にある。こうした緩和的な金融環境が実現するもとで、企業は「3つの過剰」の調整を進めたと言える(第1-2-13図)

 時間軸効果からみた金利の低位安定効果

実際に「金利の低位安定化効果」を円金利市場の先行きの見方をあらわすユーロ円3ヶ月金利先物を利用してみてみる。中央銀行の政策金利(無担保コールレート<オーバーナイト物>)について、ゼロ金利が継続されるとの予想は、消費者物価(前年比)の下落幅が徐々に改善することに伴って短期化し、消費者物価指数の前年比が安定的にゼロ%以上という「約束」が満たされた時点で消滅する仕組みになっている。同金利先物を利用して、市場が予想する量的緩和政策の継続期間(ゼロ金利政策時の同金利先物の平均金利を上回るまでの期間)をみると、2005年夏に1年超に及んでいたが、消費者物価(前年比)の下落幅が改善していくにつれて、徐々に縮小している。そして、2006年1月の消費者物価(前年比+0.5%と三ヶ月連続の前年比プラス)が公表された2006年2月下旬には3か月弱まで縮小している。こうした市場参加者の見通しの下で、3月初めに量的緩和政策は解除された(第1-2-14図)

一方、長期金利(10年物国債流通利回り)をみると、2005年後半にかけては景況感の改善やこれを受けた株価の上昇等から1.6%台まで上昇した。もっとも、量的緩和政策の継続期間を通じて、10年物国債流通利回りは1.6%以下で低位で安定していた。(こうした日本の長期金利の動向は、国内要因だけではなく、第3節で分析するとおり海外金利との連動性を強めている点に留意する必要がある。)量的緩和政策の解除後、従来までの金利水準を切り上げて、4~5月は1.8~2.0%で推移していることを踏まえると、政策金利(短期金利)が相当期間ゼロ金利で継続することを前提とした時間軸効果が長期金利にも及んでおり、長期金利の見通しが量的緩和政策の解除により影響を受けたと考えられる。

(2)デフレからの出口における金融政策

 デフレ脱却局面での金融政策に求められる市場安定化機能

金利の動向は様々な要因によって規定されるものの、上記でみたとおり従来までの金融政策のフレームワークを何らかの形で変更する場合、市場の期待形成チャネルを通じた効果には注意を払う必要がある。言い換えれば、量的金融緩和の解除や今後のゼロ金利の解除を含めた何らかの金融政策運営の変更が行われるという場合、市場の期待を安定化させるような、代替的なフレームワークを示すことが不可欠である。

この点を考慮した場合、具体的な金融政策運営として、例えば(i)デフレの出口においても、低金利を一定期間続けるといったこと(あるいは実体経済の動きに対して、金融政策面での対応をやや遅れ気味に行うこと)を事前に約束することが考えられよう。このほか、(ii)デフレに戻るリスクやそのコストを考えた場合、中央銀行の信認低下やインフレ期待の不安定化を避けつつ、プラスの高すぎない値のインフレ目標値(ないしインフレ目標範囲)を導入すること(インフレ目標政策)も考えられる(Bernanke et al.[1999])。さらに、(iii)過去のデフレによって物価水準が低下し、最適な物価経路から乖離していることを考慮して、本来デフレが生じていなければ実現したであろう一定の物価水準までに物価を引き上げることを目標とし、それが達成されるまで、より高いインフレ率を許容すること(物価水準目標政策)も提案されている(伊藤・ミュシュキン[2005])。なお、主要国では、中長期的にみて「物価の安定」を実現するため、インフレ目標値又は物価安定の数値的定義を公表している国が多い。

以下では、量的緩和政策の解除に際して公表された新たな金融政策運営の枠組みを、市場の期待形成の安定化やデフレからの出口における金融政策の観点から整理する。

 新たな金融政策運営の枠組み導入

日本銀行は、今回の量的緩和政策の解除に際して、1「金利政策」への移行、2量的緩和政策解除後も当分の間、ゼロ金利を継続すること、3当座預金の削減を数カ月かけて徐々に行うこと、4金融市場調節は短期オペによって行い、当面はこれまでと同額の長期国債の買入れを維持すること、などを公表した。2については、経済がバランスのとれた持続的な成長過程をたどる中で、物価上昇圧力が抑制されていくのであれば、極めて低い金利水準による緩和的な金融環境が当面維持される可能性が高いとしている。(「当面の金融政策運営の考え方」として位置づけ)

日本銀行は、上記の「金融市場調節方針の変更」に加え、「量的緩和政策」から「金利政策」への移行にあたり、金融政策の透明性を向上させ、市場の期待形成を安定化させるため、新たな金融政策運営の枠組みの導入を公表している。新たな金融政策運営のプロセスは、(i)「物価の安定」の明確化、(ii)2つの「柱」に基づく経済・物価情勢の点検、(iii)同点検を踏まえた「当面の金融政策運営の考え方の整理」から構成される。

(i)は、日本銀行の9名の政策委員会メンバーが、中長期的に見て物価が安定していると理解する消費者物価上昇率(「中長期的な物価安定の理解」)として0~2%(中心値は1%前後)を示し、一年ごとに見直しをしていくというものである。その上で、(ii)の第一の柱に基づく点検とは、先行き1~2年において最も蓋然性が高いと判断される経済・物価情勢の見通しが、(0~2%という数値で表現された)物価安定の下で、持続的な成長経路として実現していくかどうかを確認するプロセスである。さらに、もう一つの柱に基づく点検とは、上記の最も蓋然性が高いと判断される経済・物価情勢の見通しにおける「上振れ要因」と「下振れ要因」を整理した上で、発生確率は低くてもいったん発生すれば、経済・物価に大きな影響を与える可能性のあるリスク要因(例えば、バブル発生やデフレ・スパイラル発生のリスクなど)を確認するプロセスである。最後に、(iii)として、二つの「柱」に基づいた点検を踏まえ、政策判断としての「当面の金融政策運営の考え方」が整理され、定期的に公表される仕組みとなる。

 望まれる中央銀行と民間部門との適切なコミュニケーション

「物価の安定」の明確化において、「中長期的物価安定の理解」として示された「0~2%」という数値を巡っては、金融政策運営上どのように用いられていくかについて、様々な議論がなされている19。日本銀行からは、これはあくまで個々の政策委員が理解するものを幅で示したものに過ぎず、「物価安定の数値的な目標を定め、ある期間内に達成を目指すといったインフレーション・ターゲティングのような枠組みではない」との説明がなされている。今回の新たな枠組みが、金融政策運営の透明性を確保するために導入されたものであり、今後の政策運営が、0~2%という「中長期的な物価安定の理解」を念頭におきながら判断されていく以上、市場参加者が先行きの金融政策を読み取る際の手掛かり材料として理解していく可能性がある。

ちなみに、金利設定の在り方を示すものの一つにテイラー・ルールがある。これは、経済状態に応じて、政策金利(日本で言えば、無担保コールレート・オーバナイト物)を導出する金融政策ルールである。具体的には、現在のインフレ率が長期的な目標値からどれだけ乖離しているかと、景気変動に対応する需給ギャップが均衡値からどれだけ乖離しているかに応じて、政策金利を導出していくルールである。そこで「中長期的な物価安定の理解」として示された0~2%の物価上昇率を前提にテイラー・ルールから導き出される政策金利を推計してみた。具体的には、消費者物価指数と内閣府が推計した需給ギャップを用いて、0%から2%まで目標インフレ率を仮定し、それから導き出される政策金利を推計した。この推計による足元の金利水準は、おおむねプラスの領域に入っている(第1-2-15図)。ここで導き出された金利水準の解釈に関しては、需給ギャップの計測誤差や金融政策の波及効果のラグなど、留意すべき諸点20がある。このように金融政策の運営パターンを機械的なルールに基づき導き出すことには課題があると言える。金融政策の透明性を向上させる(予見性を高める)ことによって、民間部門の円滑な期待形成が促され、経済活動を安定化させる仕組みは極めて重要である。そうした点からも、今回公表された「新たな金融政策運営の枠組み」の下で、日本銀行と民間部門との間の適切なコミュニケーションが図られていくことが期待される。

(3)緩やかな増加を続けるマネー関連指標

 景気回復下でマネーサプライは緩やかに増加

90年以降のマネー関連指標の動き(第1-2-16図(1))を見ると、95年以降、マネタリーベース(日銀券発行高+貨幣流通高+日銀当座預金)が大幅に増加してきた。しかし、足許の伸び率(第1-2-16図(3))をみると、2006年に入って、前年比1~2%程度まで低下している。これを日銀券発行高・貨幣流通高と日銀当座預金に分解すると、当座預金による押上げ効果が、量的緩和政策の下で、残高目標が2004年1月以来据え置かれたため、ほぼゼロで推移し、足元をみれば量的緩和政策の解除の下で、押下げ効果として効いている。一方、日銀券発行高・貨幣流通高は、金融システム不安に伴う現金保蔵や日銀券保有の機会費用低下からマネタリーベースの増加に寄与してきたが、2002年初をピークにその影響は徐々に弱まりつつあり、わずかに押上げに効いている程度である。

マネーサプライ(以下、M2+CD)も、マネタリーベースの伸びほどではないが、90年代以降増加傾向にあった。一方、マネタリーベースやM2+CDの増加傾向に対して、これまで名目GDPや消費者物価指数は緩やかながら低下傾向にあった。こうしたことから、名目GDPをマネーサプライ(M2+CD)で除した貨幣の流通速度(第1-2-16図(2))は、長期的な低下傾向にあった。最近の動向をみると、M2+CDの伸び率の鈍化に対して、景気回復を反映して名目GDPがむしろ緩やかに増加していることから、流通速度に下げ止まりがみられる。

このように、M2+CDの伸び率は、景気回復の継続にもかかわらず、2003年半ば以降、均してみればほぼ横ばいの1%台後半から2%台で推移している。

 バランスシート分解によりみたマネーサプライの動向

M2+CD(流通現金+銀行預金+譲渡性預金)は、通貨保有主体である企業や家計が経済取引や貯蓄手段としての現金や銀行預金などをどの程度保有したかという需要面の動向と、金融機関が銀行貸出などを通じてどの程度与信を行ったかという供給面の動向の相互作用の結果によって決まってくる。この需要・供給両面における各要因を、通貨保有主体(企業や家計)の金融資産・負債の「バランスシート分解」と呼ばれる方法によって定量的に把握できる。この方法によれば、M2+CDの増減は、1通貨保有主体(企業や家計)の金融資産内における資金シフト(M2+CDの対象資産と他の金融資産<国債や株式>との間の資金シフト)、2銀行借入や社債の発行等による通貨保有主体(企業や家計)の金融負債増減、3通貨保有主体(企業や家計)のネット金融資産(純貯蓄)増減-その裏返しとして企業や家計以外の政府部門や海外部門の資金過不足(純投資)増減などに分解できる。

90年代後半以降のM2+CDの動向(第1-2-17図)を分析すると、企業による借入金返済や金融機関の貸出姿勢の慎重化を背景に「金融負債減少要因」がM2+CDの伸びを押し下げる一方、金融システム不安を背景とした「資金シフト要因」や財政支出拡大等による「財政赤字要因」がM2+CDの伸びを押し上げる方向にあったと言える。

今後の M2+CDの増加要因としては、企業による借入金返済が止まり、景気回復の持続に伴い家計や企業の資金需要が高まり、銀行貸出が増加していくことになるかどうかということが注目される。