むすび

 景気のなかで見られる前向きの動き

我が国の景気は、2002年1月に谷を越え、景気循環上は景気回復局面に移行している。しかし、その後の展開は必ずしも平坦ではなく、2002年末には踊り場的な状況に入っていった。それは、輸出の伸びが次第に弱まったことによるところが大きかった。しかし、そうしたなかにあっても、企業部門では、企業収益や設備投資を中心に前向きの動きが続いた。それは更に雇用情勢にも波及しつつあり、その影響は家計部門にも及ぼうとしている。今後、アメリカの成長率が再び高まり、輸出が回復してくれば、景気の持ち直しに向けた動きは更に強まっていくであろう。

他方、デフレは依然として続いており、日本経済にとって下押し圧力となっている。しかし、その中にあっても、変化がみられる。まず株価が上昇に転じた。このことは、企業部門における前向きの動きを受けて、景気の先行きに対する見方が明るくなったことの現れであるが、同時に、これが景気にとって好ましい影響を及ぼしていくことも期待される。また、一般物価も、下落幅が縮小し、横ばいの動きがみられるようになった。この背景には、一時的な要因の影響があるものの、商品市況が堅調になっていることの影響もみられている。

景気がこのような動きをみせるなかで、財政政策面では、財政構造改革が進められている。しかし、一般政府の財政支出がほぼ横ばいで推移する一方、収入が弱含んでおり、財政赤字は若干拡大している。したがって、一般政府ベースの財政政策のマクロ経済への直接的な影響について考えると、歳出改革の下でも、マイナスの影響を及ぼしているわけではない。また、経済及び財政の状況によっては、財政再建が非ケインズ効果を持ち得ることにも留意する必要がある。他方、金融政策面では、量的緩和政策が続けられ、市場に対する豊富な流動性の供給を通じて、金融システムに対する不安感を払拭するのに大きく貢献した。しかし、量的緩和政策のマクロ経済への影響という面では、期待された効果が十分に現れているとは言い難い。不良債権や過剰債務の問題によって銀行が媒介する金融政策の効果波及過程が寸断されていることが影響している。

 景気は持ち直しへ

こうした現状を踏まえて先行きについて展望すると、景気は次第に持ち直していくものと考えられる。企業部門における前向きの動きは、輸出が回復してくるのに伴って、更に強まっていくであろう。そのような前向きの動きは、雇用・賃金にみられる変化を更に確かなものにし、やがて家計部門にも好影響を及ぼしていくことになるであろう。その中で、一般物価面でのデフレについても、脱却に向けたよりはっきりとした展望が開けてくるものと期待される。

もっとも、この基本シナリオは、アメリカ経済の成長率が高まるという前提に依存するところが大きい。アメリカ自身の景気も決して盤石ではなく、仮に弱い面が現実化すると、我が国の景気持ち直しに必要な輸出の増加に大きな影響が及ぶというリスクがある。依然として民間需要の自律的な回復力ではなく、輸出に依存した景気の持ち直しを基本シナリオとして想定せざるをえないところに、現在の景気の脆弱性が現れている。

景気が、単に持ち直すだけでなく、民需を中心とした自律的な回復を示すためには、民間部門が前向きな支出活動を行うようにならなければならない。そのためには、現在の景気の「重し」となっている不良債権・過剰債務の問題や社会保障制度改革の課題等を解決し、先行きに対してより明るい見通しが持てるようにしなければならない。それによって、金融の量的緩和政策の効果も、はじめて十分な効果を発揮し、デフレ脱却に向けた強い力となっていくであろう。

 金融・企業の再構築の重要性

日本の金融システムは、金融機関が仲介する間接金融が中心である。しかし、その間接金融の機能が低下している。資金が経済成長のために効率的に利用されるためには、直接金融の機能向上を図るとともに間接金融を正常化することが必要である。

間接金融の機能低下の背景には、金融機関が多額の不良債権を抱え、リスク許容力が低下し、貸出に慎重になっていることがある。また、企業が過剰債務を抱えながら収益力も低く、信用リスクが高まっていることも影響している。すなわち、金融と企業の双方の問題が影響しているのである。設備投資の動向や中小企業金融の現状をみてもそれが確認できる。間接金融の機能を正常化するためには、不良債権の処理と過剰債務の削減の双方に取り組むことが何よりも必要である。

金融部門では、不良債権の処理が着実に進展している。依然として不良債権は新規に発生しているが、それを上回る額の債権流動化や債権放棄等が行われている。不良債権処理を一層促進するためには、破綻懸念先以下の債権の削減に引き続き取り組むとともに、要管理債権として残っている不良債権の処理に力を入れること、正常債権の不良化を防止することが重要である。また、不良債権処理の原資を確保するためにも、リスクに見合った金利設定を行い、収益力を高めることが必要である。さらに、金融機能が十分に発揮できるような条件を整えるためには、融資を企業単位ではなくプロジェクト単位で行えるようになること、債権の流動化を容易にすること、政策金融を見直すことなどが必要である。

他方、企業部門では、リストラが進展し、キャッシュフローを生み出す力がついてくるのに伴って、過剰債務の削減も進んでいる。しかし、建設、不動産、卸小売の三業種や、非製造業の中小企業を中心にまだバランスシート調整を進めなければならない企業が残っている。特に、多額の債務を抱えながら、収益基盤の弱い企業は大きな困難に直面している。そうした企業の一部には、整備が進んでいる事業再生の枠組みを活用して、徐々に再建への一歩を踏み出す動きもみられるが、そうした動きが他の企業にも広がっていく必要がある。また、企業は、過剰債務の削減と事業再生を超えて、厳しい競争環境を生き抜くために必要な収益力を確保するための継続的な努力をすることが求められており、その一端が、近年法整備が進んできた会社組織再編手法も活用したM&Aの増加などに現れている。このような動きが更に強まることが期待される。

 企業が当面する新しい課題

企業が収益力を高めていくためには、次々と投げかけられる新しい課題に果敢に取り組んでいくことが必要である。

情報通信手段の発達や直接投資や経営資源の移転の活発化によって、内外関係は緊密化しており、グローバリゼーションの拡大・深化への対応が問われている。また、研究開発の成果が新製品や新事業に結実しておらず、技術を事業展開の中核に据える「技術経営」の手法の重要性が増している。さらに、環境問題への意識の高まりの中で、環境問題をビジネスチャンスととらえようとする動きも出てきている。

企業がこのような課題に積極的に取り組んでいくことは、我が国経済の活性化にもつながることになる。

 企業再建・事業再生の評価

不良債権処理や過剰債務処理の中で重要性を高めているのが、企業再建・事業再生である。すなわち、企業を清算するのではなく、不採算部門の売却や人員削減等を通して企業を再建することによって処理しようとする手法である。そうした動きは、不良債権処理において再建型処理が多くなっていることに、また過剰債務処理では債権放棄型の私的整理が多くなっていることに現れている。

このような手法の活用は、企業がこれまで蓄積してきた資本ストック、人的資源、経営資源が、散逸することなく、引き続き活用されるという意味で重要である。

しかし、再建型処理が行われたということは、再建への第一歩が踏み出されたことを意味するに過ぎない。債権放棄と再建計画の策定が、実際にその企業の再建をもたらすのかどうかは、ひとえにその再建計画の内容と、それを確実に履行していく実行力にかかっている。企業再建は、それが実現して初めて実体的な意味を持ってくるのであり、企業再建が実現することなく終われば、現在の再建型処理も単なる「先送り」に過ぎないことになってしまう。企業再建のためにはまだ多くの努力が払われなくてはならない。

 「構造改革の痛み」をどう考えるか

構造改革は、生産性の低い部門から生産性の高い部門へ、資本や労働力などの資源が移動することを意味する。労働力の場合、それによって離職が増加する可能性が高まることになる。したがって、不良債権処理や過剰債務削減が進展すれば、離職も相当増加するものと見込まれた。しかし、最近における離職者の動向をみると、不良債権処理や過剰債務削減が進展しているにもかかわらず、離職者数は大きく増加していない。その理由は、前述のように、企業を清算するより、企業を再建する動きが強まっているからである。

しかし、離職した場合、再雇用が必ずしも円滑に行われるとは限らない。むしろ、雇用に関するミスマッチが存在していることもあって、離職者がそのまま失業者として労働市場に滞留する確率が高い。また、最近の特徴は、若年失業者や長期失業者が増加していることである。調整に伴って発生するこのような損失を調整コストと呼ぶならば、調整コストを最小限にする努力は重要である。その意味では、雇用政策の重要性は今まで以上に高まっており、特に雇用される能力を高めるために教育訓練を中心とする積極的雇用政策を強化することが重要である。

このような動向について考える際に、注意すべきことは、このような意味での調整コストが、必ずしも「構造改革によって新たにもたらされた痛み」ではないことである。日本の経済社会システムについては、バブルの発生と崩壊を経験するなかで、様々な問題点が浮き彫りにされてきた。また、発展途上国の追い上げや急速な技術進歩が進むなかで、それに十分に適応できるシステムへの変革が求められてきた。しかし、システムの変革はこれまで先送りされてきた。それが1990年代以降の日本経済の低迷の最大の理由である。現在取り組んでいる構造改革は、このような現状を踏まえて、これまで先送りされてきた変革を今度こそ実行しようとするものである。したがって、現在負担しようとしている調整コストは、本来であれば、もっと早くに負担しなければならなかったはずのものであり、もしそうしていれば、おそらく今日より少なくて済んだかもしれないコストである。それは、時代にあったシステムを構築するためには避けて通れないコストなのである。

 高齢化・人口減少の経済成長への影響

日本経済が当面する長期的な課題として、高齢化・人口減少に対する対応がある。高齢化・人口減少は、経済発展に伴って、先進諸国を中心にみられる現象である。しかし、そのペースは、我が国が過去に経験したことがないばかりでなく、諸外国でも類がないものである。したがって、それが日本経済にどのような影響を及ぼすことになるのかについては、不透明感が強い。しかし、高齢化・人口減少は、それだけを取り出せば、労働投入や資本投入の減少を意味するので、マクロの経済成長に対してマイナスの影響を及ぼすことになる。今後の出生率の動向、人口減少の程度によっては、マイナス成長の可能性もある。

確かに、その影響を必ずしも悲観的にとらえる必要はない。一人当たり所得で考えれば、引き続き増加を続けることが見込めるし、マクロの経済成長の大幅な鈍化の影響を相殺するようなメカニズムも存在するからである。人口減少が進めば、個人への教育投資や省力化のための技術進歩等が促進される。また、貯蓄率の低下が資本ストックの蓄積を制約する可能性も、外国からの資本流入が円滑に行われれば、補うことができる。さらに、就労意欲の高い女性や高齢者が労働市場に参加してくれば、労働投入の減少それ自体も緩和することができる。

しかし、問題は、高齢化・人口減少のもたらすマイナスの影響を相殺する要因の多くが、今後の努力いかんにかかっていることである。生産性を高めようとする企業の不断の努力、就労しようとする個人の意欲、そうした動きを支援しようという政府の政策等に大きく依存している。こうした努力が十分に行われれば経済成長は維持できる。しかし、もし努力が不十分なものに終われば、マイナス成長の可能性もある。我々の高齢化・人口減少に対する取組が問われている。

 持続可能な財政・社会保障制度の確立に向けて

高齢化・人口減少は様々な経済社会システムにも影響を及ぼしている。特に深刻であるのは、財政及び社会保障制度である。

現在の財政・社会保障制度は、人口構成が若く、経済成長率も高い時代に基本的な骨格が構築されており、そのような時代が続いていれば、大きな問題を生じることはなかった。しかし、高齢化が進み、人口が減少に向かい、経済成長も鈍化するのに伴って、現在の受益と負担の構造を維持した場合、既存の制度の持続可能性に問題を生じさせる。例えば、年金は、このままの制度を維持すれば国民の保険料負担は現在の2倍程度まで上昇すると見込まれ、将来の現役世代の負担が過重になり、制度が持続可能でなくなるのではないかとの不安を生じている。こうした問題は早くから認識され、制度の持続可能性を維持するための対応がとられてきたが、少子・高齢化のスピードが当初の予想を上回るものであったこともあり、改革は途半ばの状況にある。こうした現状を目の当たりにして、制度に対する不安から、若年世代では年金保険料の未払い等が急増している。財政・社会保障制度の持続可能性には大きな不安が生じており、一刻も早く大胆な制度改革を遂行することが求められている。

制度改革に際して考えられるべきポイントは二つある。まず、人口減少の予測について一定の幅があることや、経済成長にも不確実性があることを踏まえ、将来にわたって持続可能で安定的な財政・社会保障制度を構築することである。そうしたことによってはじめて長期的に安定し、信頼できる制度が確立されることになる。また、制度改革は、年金や医療をそれぞれ別個に考えて実施するのではなく、財政・税制とも整合性をとりながら、総合的に考えることが必要である。そのような改革を通して、はじめて将来世代に大きな負担を転嫁することを回避し、持続可能な社会保障制度を構築することができることになる。

 制度改革を促すようなインセンティブ

金融・企業の再構築や高齢化・人口減少への対応は、いずれも課題と認識され、取組が始まってからかなりの期間が経過している。にもかかわらず、いまだにその取組が十分でないのはなぜだろうか。

それは、必ずしも、家計や企業、金融機関が非合理的な行動をとっているからではない。非合理的な行動をとらなければならない理由はない。むしろ、各経済主体にとって、実質的な「先送り」は、合理的な行動の結果であった可能性さえある。現在の当事者が負担をしなくてすむならば、それを負担せず、全て次代の当事者に転嫁することは、現在の当事者にとっては合理的な選択であると考えられるからである。

もしそうだとすると、問題は、現在の当事者にとって合理的な行動が、社会全体としては、必ずしも合理的な行動であるといえないということにある。換言すると、現在の当事者が行動を決定するときにその前提となり、そのあり方によって行動に大きな影響を及ぼすことになる誘因(インセンティブ)の構造が適切なものになっていないということである。現在の経済社会システムが内包する家計や企業を取り巻くインセンティブ構造が、日本経済の当面する課題の解決に対応していないのである。

例えば、金融面でいえば、すぐに不良債権を処理することへの政策面での対応や株主からの圧力が弱ければ、困難な処理は先送りされがちである。また、企業単位の貸出が原則とされ、しかもそのような貸出債権を流動化することができなければ、不良債権処理は、企業そのものを整理することにつながるので、二の足を踏みがちである。年金制度面でも、収支の悪化が現役世代の負担や給付に大きく影響することがない限り、本格的な改革を先送りし、将来世代に負担を転嫁してしまう誘因が存在する。逆に、改革を先送りした結果、過重な保険料負担を将来世代に負わせることになれば、将来世代は、保険料を払い、社会保障制度を支える意義を見出せなくなってしまう。

したがって、古くなったシステムの改革を進めたり、新しいシステムを確立したりするためには、それと整合的なインセンティブ構造をもあわせて確立する必要がある。今後の制度改革に求められているのは、インセンティブのあり方を十分に考慮したシステム改革であり、システム設計である。