むすび

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(アジア通貨・金融危機からの回復)

97年7月のタイ・バーツ危機に端を発するアジア通貨・金融危機の影響は実物面及び金融面から世界経済全体に重大な影響を与えた。そうした中、98年8月中旬にはロシアで金融危機が発生し、その影響もあって8月末にはアメリカで株価の急落が生じた。その後、中南米などの新興国通貨・金融市場の混乱が一層強まり、それに伴い市場で損失を被ったアメリカの大手ヘッジファンドの経営問題も生じた。こうして、98年後半には世界経済の先行きに不透明感が一挙に広がり始めた。しかし、9月末からのアメリカの三度にわたる金利引下げを始めとする、主要先進国の金融緩和等もあって、世界同時不況といった最悪のシナリオは回避された。

99年に入ると、危機に見舞われたアジア経済が底入れから回復に向かい、またアメリカ経済も予想以上の成長を続けた。さらに、ロシア、ブラジルといった新興国経済についても、通貨・金融危機の影響による落ち込みは、予想されたほどではなかった。また、日本も年前半には2四半期連続でプラス成長を記録した。こうしたことから、99年の世界経済は緩やかながら回復に向かっている。

こうしてみたように、97年央以降の世界経済は、アジア通貨・金融危機の深まりとその影響の世界的規模での広がり、そしてそこからの回復という点に集約することができるであろう。幸いアジア経済も予想以上に速いスピードで回復しつつある。しかし、このことはアジア危機等の残した教訓の重要性をいささかも減ずるものではない。世界の通貨・金融システムの危機的状況がひとまず収まった今こそ、危機の再発防止のための努力を腰を据えて行っていくことが必要であろう。危機に陥った諸国では、危機の要因となった金融システムの改革などの経済構造改革に対する取組を強化する必要がある。それと同時に、世界各国は、互いに協力しながら、国際通貨・金融システムの安定化に向けた議論を深めていくことが必要である。

(世界的な物価安定の時代)

1990年代の最後の年にあたる本年の白書では、こうした近年の世界経済情勢からはやや離れ、90年代の世界経済の大きな特徴について扱っている。一つは世界的な物価安定である。1970年代にはほとんどの先進国でインフレ率は二桁に達したが、今日では数パーセントにまで下がってきている。先進国以上に高いインフレ率に悩まされた途上国や市場経済移行国でも、近年総じてインフレ率は大幅に低下してきている。

物価安定という新しい状況下では、政策当局も、各経済主体も、長らく続いた高インフレ時代の行動様式をそのまま踏襲するのではなく、新しい時代にふさわしい行動様式に切り換えていくことが必要である。政策当局は、財・サービスの価格が安定しているからといって安心することなく、資産価格の動向にも十分注意を払う必要がある。近年、資産価格の大幅変動がマクロ経済の不安定性の大きな要因となっている。また、高インフレ下では物価上昇率を引き下げることが常に望ましい政策対応であったが、数パーセントといった低い物価上昇率が達成されている現状では、物価上昇率が過度に下落することに対しては、それが過度に上昇することに対してと同様に警戒すべきと考えられる。とりわけ、政策当局は経済がデフレスパイラルに陥ることのないよう、最大限の注意を払うべきである。

企業にとっては、高インフレ下での増収増益の時代とは異なる発想が必要となる。減収の下でも利益があげられるように、生産性の向上、新製品開発等の努力が従来以上に重要となる。また、高インフレ下とは異なり、債務の負担が物価上昇によって実質的に軽減されるということが物価安定下では期待できないことから、企業も消費者も過度の債務を負うことには慎重に対応するべきであろう。

(アメリカ経済の長期的・安定的拡大)

また、90年代はアメリカ経済の好調さが目立った10年間でもあった。90~91年の景気後退は軽微なものであり、その後の景気拡大は、2000年2月まで続けば、戦後最長となる。構造的な失業の高さに悩むヨーロッパ経済、バブル崩壊後の低迷から脱しきれない日本経済と比べ、アメリカ経済の好調さは90年代において際立っていた。安定的な成長が長期にわたって続き、失業率が低下する中で、通常であれば高まる物価上昇率も低下してきている。また、90年代の初めには大幅な赤字に悩まされていた財政収支も、98年度には黒字に転じている。

こうしたアメリカ経済の好調さの背景には、情報技術革新やグローバル化が急速に進展する時代に、変化への対応力に富んだ柔軟なアメリカの経済構造(柔軟な労働市場、効率的な資本市場等)がマッチしていたという点が挙げられるであろう。また、マクロ経済政策も概して適切に運営されてきたと言えよう。

ただし、マクロ経済の長期的・安定的拡大は、必ずしも労働者、企業といった個々の経済主体にとって安定的な生活ないし企業経営を意味するものではない。労働市場が柔軟で、職種間・産業間・地域間移動が多いということは、逆に言えば、個々の労働者はそれだけ頻繁に転職を余儀なくされるということである。また、企業の開廃業率が高く新陳代謝が激しいということは、企業経営者にとっては極めて厳しい経営環境を意味する。アメリカ国民はもともと変化を前向きに受け止める性向が強いと考えられるが、いずれにしても個々の経済主体がこうした激しい変化を受け入れることが、マクロ経済の安定的成長につながっている。

情報技術革命の急速な進展にもかかわらず、従来アメリカの労働生産性には向上がみられないと言われていた(生産性パラドックス)が、この点についても96年以降変化がみられ始めており、耐久財製造業を中心に生産性が向上している。この生産性向上のうち一部は物価上昇率の下方改定や景気拡大に伴う循環的要因で説明されるが、一部は真の意味での向上と言ってよいようである。ただし、今後の生産性向上の持続性については、ここ数年の向上は旺盛な投資によって支えられた面が大きいことから、今後景気が減速して、投資も下降局面に入ったときに生産性がどのような動きをするのかをも含め、今後の動向を見極める必要があろう。

また、情報通信革命の生産性に対する影響については、これまでのところIT(情報技術)関連資本ストック比率が高い産業ほど生産性上昇率が高く、またIT関連資本ストック比率が上昇するにつれ生産性上昇率も高まる傾向がある。したがって、総じてみれば、情報通信革命と生産性の間には正の相関があるとみることができよう。しかし、IT関連資本ストック比率を急速に高めている卸売業で生産性上昇率の加速はわずかであること、非耐久財製造業ではIT関連資本ストック比率の上昇にもかかわらず生産性上昇率が高まっていないこと、サービス業においてはIT関連資本ストック比率が上昇しているものの生産性が低下していることなどから、情報通信革命の成果が広範囲の産業に行き渡っているとは言い難い。この理由については、アメリカ政府機関を含め解答は出ていないが、サービス産業における生産性計測の困難性もその一因とみられている。いずれにしても、情報技術革新の成果が目に見える形で経済の広い分野に浸透するにはまだ時間がかかるものとみられる。逆に言えば、今後成果が浸透していけば、生産性の継続的向上も期待できるということである。

(アメリカ経済の懸念材料)

アメリカは97年以降4%程度の成長を続けているが、これは潜在成長力(CEAの推計では2.4%程度)を大きく上回るものとみられている。それにもかかわらずインフレ率が高まらないのは、これまでのドル高、一次産品価格の下落等の一時的要因によるものである。したがって、今後これらの条件が剥落していく、あるいは逆に物価上昇要因に転化する場合にはインフレ圧力が高まることが懸念される。既に、原油等の価格は反転上昇し始めている。

アメリカの高い成長は旺盛な国内需要によってもたらされたものであり、またこの旺盛な国内需要には最近の株価の高騰による資産効果が大きく貢献している。99年4~6月期現在、株価は金利、企業収益によって説明できる水準を40%程度上回っていると推計される。したがってこれが急落する可能性は決して低くはなく、仮にそのような事態に陥ると、国内需要は消費を中心に大きな影響を受けることになろう。また、そうした実体経済面だけの影響にとどまらず、株価急落はアメリカのみならず世界の通貨・金融市場に大きな影響を及ぼすことが懸念される。もちろんその際、アメリカ政府は金融緩和等拡張的なマクロ政策によって対応しようとするであろうし、また今のところその余地は十分にあると考えられる。しかし、仮に物価が高騰し始め、その面からは緊縮的な政策が要請されるような状況下で株価の急落が生じる場合には、政策対応が極めて困難となろう。そのような意味からも今後の物価動向には注意が必要である。

また、旺盛な国内需要を反映して、経常収支赤字は実額で見てもGDP比でみても過去最高と並んだ(99年4~6月期GDP比3.5%)。このような高水準の赤字を長期にわたって持続することは極めて困難であると同時に、ドル安を生み出す危険性が高い。そして、ドル安はインフレ要因となる。

いずれにしても、株価やドルの急落を招くことなく、アメリカが現在の高成長から持続可能な成長へと軟着陸することが、アメリカのみならず、世界経済全体にとって極めて重要な課題である。

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