平成11年度年次世界経済報告(世界経済白書)の公表に当たって
1999年10月までの世界経済を印象的にいえば、アジア経済の回復とアメリカの長期好況の2つに集約できるだろう。どちらも、予想できたことではあるが、実際にそうなってみると、やはり感動的である。
アジア経済の回復
1997年後半、東アジア諸国-韓国、タイ、マレイシア、インドネシアなど-の経済が急激に悪化した時、私はこれを、65年に日本経済が経験したのと同様の「高度成長過程での深刻な調整局面」と指摘した。
日本経済は、50年代から急速な工業化によって高度成長を続けていたが、64年末からは過剰投資によって景気が過熱、輸入の拡大による外貨の準備の払底などから下降に転じた。このため、株式の暴落等から一部金融機関の経営不安が生じた。
しかし、当時の日本社会には、豊富な労働力があり、勤勉の慣習が根付き、導入できる先進技術や土地開発の余地も多かった。このため、短期間で危機を克服し、66年に入ると急成長に転じ、その後約7年間で実質GDPが2倍になるという高度成長を達成した。この間、国内政治の安定、海外市場の拡大、豊富な資源供給などによる交易条件の向上に恵まれたことも、日本経済の長期にわたる高度成長に寄与した。
30余年前の日本と現在の東アジア諸国とは国情も国際環境も技術・社会条件も大いに違う。また、東アジアの国々の間にもそれぞれに特色があり相互に違いがある。しかし、急速な工業化の過程で生じた激しい調整局面という点では類似性も多い。それだけに、今年に入って東アジア諸国の経済が急速に回復し、再び成長路線に戻りつつあるのは決して驚くに値しない。
東アジア諸国の工業化は、伝統的な発展途上国の開発理論とは異なる方法で進められてきた。70年代までの開発理論では、まず交通通信網などのインフラストラクチャーの整備や基礎教育の普及によって国内市場を統一し、これを対象に輸入代替産業を育成する。ここから徐々に資本蓄積を進め、工業経営の人材を育てることで、より高度な産業を興すとともに、労働集約的な分野で輸出産業を育成する、というものであった。
ところが、80年代から始まった東アジア諸国の工業化は全く違っている。まず最初に、外国の金融市場から資金を調達し、外国の技術を導入して、外国市場向けの輸出産業から興したのである。
80年代には国際的な資本移動が拡大されたこと、情報制御技術の発展で多数の中間管理職者がいなくとも高度の工業製品が生産できるようになったこと、そして貿易の自由化で海外市場が開放されたことなどが、これを可能にしたのである。
80年代から90年代前半にかけての10年余、この方式(東アジア方式)による工業開発はおおむね順調であり、「21世紀はアジアの時代」と信じられるようになった。
この方式を維持するためには常に外貨の潤沢な流入が必要である。したがって東アジア諸国は、外国資本が安心して投資する環境を整えるため、国際基軸通貨の米ドルと自国通貨の為替レートを固定するドル・ペッグ制を採った。この間にも小刻みに対ドル為替レートを引き下げることで国際競争力の維持を図った中国とは対照的である。もっとも90年代前半までは米ドルは日本円やドイツマルクに対して下落傾向だったので、ドルにペッグした東アジア諸国の通貨も相対的に下落し、国際競争を有利にした。
ところが、90年代中頃からは、円やマルクに対してドルの為替レートが上昇に転じた。このためドルにペッグした東アジア諸国の通貨も相対的に上昇することになった。加えて、東アジア諸国では、工業化に伴う賃金の上昇や地価の急騰、社会資本の不足などから生産コストが上昇し、工業製品の国際競争力が徐々に失われた。
この結果、東アジア諸国の外貨繰りは、短期資本依存となり、これが不完全な金融システムに流れ込み、不動産や株式などに投機的に運用された。
国際的に流動する短期資金は極めて臆病であり、逃げ足が速い。97年に入ると、短期資金はアジア諸国から流出しだした。
97年7月、タイ・バーツが政府の買い支えが途絶えて暴落すると、東アジア諸国の通貨は次々と崩落、各国の金融システムは破綻状態に陥ってしまった。東アジア方式による工業化の成否が試されたといってよい。
これに対して、IMFの示した対策は専ら財政金融の引締めと金融機関の整理、血縁企業グループの解体であった。誤った調合ではないにしても劇薬である。このため、多数の企業が倒産し、資金の流通が停止するなど、東アジア諸国の経済活動は急速に縮小した。これによって輸入が激減したばかりか、為替の大幅下落にもかかわらず輸出も減退した。
それでも輸入の激減で東アジア各国の経常収支黒字が拡大し、外貨準備は増加、為替レートも上昇した。これを受けて、98年後半には引締め政策から緩和政策へと転換が図られた。99年に入ると輸出も回復し、東アジア主要国の生産活動は急回復した。99年10月には、韓国、シンガポールでは、危機以前の水準を上回るようになっているし、マレイシア、タイでもそれに迫っている。また、韓国では、相当数の企業が上場廃止になったとはいえ、10月末現在、平均株価は危機以前の水準を超えている。本白書の第1章では、この過程と状況を詳細に分析している。
99年に入ってからの生産、輸出の急回復によって、東アジア方式の工業開発が肯定されたといえなくもない。だが、そう断定することをためらわせる問題点も存在する。その第1は、金融機関や企業組織の健全化がどこまで進むかという点である。東アジア諸国では、危機克服の過程で多くの金融機関や企業が整理されたが、なお残存する負債や人脈・縁故関係の整理には困難が予想される。
第2は、社会的政治的安定が保てるかである。この点、韓国、タイ、インドネシアでは政権交替があったが、大きな社会的混乱に至ることがなかったのは心強い。特に政治情勢が憂慮されたインドネシアで民主的な選挙結果を尊重した新政権が成立したことの意義は大きい。
第3は、国際環境、とりわけアメリカ経済の好調と日本経済の回復が重要である。また、中国の通貨切下げなども不安定要素に挙げられる。この点でも、99年10月の時点では明るい材料が多いといえるだろう。
アメリカ経済の長期好況
一方、アメリカ経済は、1991年以来103か月、平時では最長の好況を続けている。この状況については、本白書の第2章で詳細に分析している。
アメリカ経済の長期好況は、伝統的な景気循環が消えたのか、それともこの8年間の特殊事情によって好況が持続しているのか、という議論を呼んでいる。
伝統的な景気循環論では、好景気が続けば企業の利益が拡大し、株式配当や経営者所得が増加するが、一般勤労者所得はそれほどには上昇しない。この結果、貧富の差は拡大する。ところが、所得の高いクラスほど貯蓄率は高いから、全体としての貯蓄率が向上する。景気上昇の初期にはこれが投資に回り、一層の経済拡大になるが、やがて投資が供給力化すると供給過剰となり、不況に陥る、というものである。
最近のアメリカ経済の長期好況は、この理論を打ち破ったといえるだろうか。まず第1段階の「好況が続くと貧富の差は拡大する」という点については、90年代半ばまではそのとおりであった。アメリカの所得格差は、ごく最近(90年代半ば以降)は、低所得層の給与の上昇と失業率の低下で貧富の差は拡大していないが、80年代から90年代半ばまではかなりの速度で拡大していた。
だが第2段階の「貧富の格差の拡大が貯蓄を増やす」という点では、はっきりノーである。アメリカでは80年代以降貧富の格差が拡大したにもかかわらず、消費性向は上昇、99年には100%近くになっている。貧しい人はもちろん、豊かな人々も大いに消費しているのである。その理由として、伝統的な立場の人々は、株価の上昇による資産価格の上昇に主な原因を求めている。92年以降の8年間では、株価が3倍以上にも上昇したため、株式保有率の高いアメリカでは、一般市民や年金基金の評価額が上昇、「みんなが金持ちになった気分で」大いに消費している、というのである。
もし、これが消費ブームに支えられたアメリカの長期好況の主な理由だとすれば、その不健全性を憂慮する声が出るのももっともだろう。アメリカの株価は既に2~3割過大評価されているという見方があり、たとえ大きな下げがないにしても、今後もこれまでのような調子で上がるとは考え難い。したがって、消費の拡大は限界に達していることになるだろう。また、100%に近い消費性向は、アメリカ経済全体の需給バランスを崩し、国際収支の膨大な赤字を生むことにもなっている。このことが、やがてはドル通貨の下落を招くのではないか、と危惧する向きもある。
これに対して「ニューエコノミー派」といわれる人々は、情報通信技術やバイオ技術の進歩でアメリカの産業構造が変化し、企業利益と投資対象はまだまだ増加する、経済の効率化による生産性の向上は、統計に現れているよりも大きく、今後とも株価は維持され好況も続く、という。
また、より本質的な社会的パラダイムの変化を指摘する人々もいる。今日の長期好況とそれを支える消費ブームは、アメリカ経済社会の本質が改革されたためだという。この立場の論者は産業構造のソフト化や需要内容の情報化など一連の「知価革命」によって、豊かな人々でも所得の多くを消費するばかりでなく、勤労年数の短い高給取りが増加した結果、生涯を通じての所得と消費がバランスするようになったと指摘している。この根底には、家族に対する考え方の変化によって有形の資産を子孫に残そうという意欲が薄れた上、長命化によって老後の貯蓄取崩しが拡大したことも影響している、という。
要するにこの派の論者は社会(人生)のパラダイムが変わり、近代工業社会的な景気循環を生む要素が壊れたと考えるわけだ。もっとも、この派は「不況が来ない」と主張しているわけではない。社会全体としての知価創造力が停滞する時期になれば、長期不況が来る可能性を否定していない。
本白書は、この論争に関して、次の2点を指摘している。第1は、90年代における長期好況は、経済成長率が高い結果ではなく、その変動幅が少なく、持続的な成長が維持された点にあるというものだ。第2章第1節に示すように、90年代を通じてのアメリカ経済の平均成長率は2.9%(新基準)で、60年代や80年代よりも高いわけではない。
第2は、こうした変動幅の縮小には、産業・需要構造のソフト化が深くかかわっているという点だ。景気の短期波動には耐久消費財の買換え時期の波長や民間設備投資の変動にも原因があるとされている。ところが、需要がソフト化(サービス化)すれば、需要の変動が小さく、「買換え時期の波長」による影響が小さくなる。また、設備投資でも、大量生産型の重化学工業よりもサービス産業の方が投資が細分化され、平準的に行われる傾向がある。新型設備投資の中心といえる情報関連投資も時期による変動が少ない。
アメリカ経済を巡る論争は、なお長く続くだろう。しかし、本白書が指摘した点は、国際的にもこれに一石を投じることになるだろう。
アジアとアメリカ以外でも、99年の経済は概して良好だった。EU諸国の多くでは依然として失業率は高いものの、全体としての経済は順調に伸びている。
この年には、前年(98年)のロシア危機に当るものはなく、年末から99年冒頭にかけて生じたブラジルの問題も早期に収束し、市場経済移行国でも概ね経済は回復へと向かっている。これが世界的な市場経済化の定着、発展に繋がるものであることを期待したい。
平成11年11月26日
経済企画庁長官
堺屋 太一