平成12年度年次世界経済報告(世界経済白書)の公表に当って
世界経済は今、重大なテストを受けている。近年の米国を中心とする長期経済成長は、技術進歩や国際政治状況の変化による刺激と期待による「これまでにもあった長期成長」か、経済社会構造の大きな変化による「新しい革新的発展」か、あるいは人類文明の方向性の変化による「歴史的発展段階の飛躍」なのか、世界の経済学会には3つの見方がある。いずれも、90年代における技術進歩やグローバル化の影響を重視する点では認識を共通しているものの、歴史的観点はまったく違っている。
第1の見方は、ニューテクノロジーを重視するもので、90年代における米国を中心とする長期成長も、1920年代や60年代の場合と同じく技術の進歩や国際政治情勢の変化が重なったことで続いているのであって、経済社会の基本構造には重大な変化はない、と考える。従って、90年代の長期成長にも、遠からず堅い障壁が現れ、成長の停止、景気の後退が現れるに違いない、とも予想することになる。
第2の見方は、情報通信技術(IT)の急激な発展は、新しい産業形態や社会情況を生み出し、これまでの経済理論や経験では律し切れないニューエコノミーを作り出した、という主張である。このため、経済の潜在成長力が向上、これからも長期かつ持続的な好況が続く、と見ている。
第3の見方は、1980年代にはじまったコンピュータ技術の進歩から今日の情報通信技術やバイオテクノロジーの急発展に至る一連の技術開発が、産業革命に匹敵する人類文明の方向変化を生んだと考えられ、近代工業社会とは別の歴史的発展段階に入ったと見る、との学派が注目するのは、産業革命によって始まった労働と生産手段の分離から、労働と生産手段の合体へと変換させつつあるのではないか、という点である。新しい文明規範(ニューパラダイム)の出現になる、と強調するわけだ。この発想からすれば、90年代の世界経済は巨大な変革の途上にあるが故に、短期的には大きな波動を見ることもあるということだ。超長期的な観測では最も先端的な反面、中期的な見通しにおいては、むしろ第1のニューテクノロジー派に近い。
1997年、日本とアジア諸国の経済が激しい不況に陥った時、多くのエコノミストは世界経済の景気循環を認め、ニューテクノロジーの限界を想定した。しかし、それからの2年余、米国経済が9年余りの長期成長を続ける一方、アジア経済は予想以上に急回復、98年にロシア、99年初頭にブラジルで発生した通貨危機も短期間で克服された。このため、世界経済の成長率は一段と高まり、2000年には4.7%にも達すると見られるに至った。99年から2000年の前半には、ニューエコノミーの出現による長期成長が多くの人々に信じられ、それを背景にして、IT関連企業の株式価格が高水準に達した。
本年の世界経済白書は、主としてこのような世界経済の発展時期を分析の対象としている。したがって、全般的には楽観的な見方が強くなった。特に第2章では、米国、欧州、韓国、オーストラリアなどを対象に知識技能の向上と労働市場の関係を分析、人的能力の向上と労働市場の柔軟性が、新しい経済発展に重要な意味を持つことを明らかにしている。
「IT革命」といわれる情報通信技術の急激な成長と普及に、これら諸国に立ち遅れた日本としては、抜本的な規制の緩和と構造転換を急いで、「IT革命」の劇的な展開を成し遂げなければならないことは、これらの分析からも認められるところである。
しかし、2000年後半になると、「IT革命」がニューエコノミー派が主張するほど経済社会の改革と拡大に特効を持つか否か、疑われる事態も生じている。
その第1は、米国におけるIT関連企業の株価下落である。「IT革命」を旗印に新興のインターネット関連企業の株価は、成長の期待で大きく値上がりしてきたが、2000年9月頃からは多くの銘柄が大幅な下落になった。このため、新興IT関連企業が多く含まれているナスダック株価指数は3月には5,000を超えていたのに、11月には3,000台を割り込んだ。
第2は、米国の消費需要の伸びの鈍化とアジア経済の回復テンポの低下である。いずれもなおプラス成長を続けているが、「間もなく鈍るかもしれない」という警戒感が強まっていることは否定できない。
第3は、原油価格の上昇である。1979年の第2次石油危機の際、42ドル/バーレルまでに上昇していた原油価格は、その後の需要の伸び悩みや採掘技術の進歩による供給拡大で、98年12月には9ドル/バーレル台まで値下がりした。そのため、新しい油井を掘る者が減り、99年前半には世界全体の稼動リグ数が1,100基程度にまで減少した。当然生産余力は低下、アジア経済の回復などで需要が増加したこともあり、2000年3月には30ドル/バーレルを超え、2000年半ばからは概ね30ドル/バーレル前後の高値で推移した。石油価格の経済全体に与える影響は、日本や欧米では軽減しているが、工業化の進行したアジア諸国ではむしろ大きくさえなっている可能性がある。今日までのところ、原油価格の上昇も各国経済にそれほど重大な影響は与えていないが、地球上の資源制約を思い出さしめた効果は小さくない。
90年代の世界経済は、技術改新による長期成長期なのか、IT革命によって成長力が押し上がったニューエコノミーか、それとも歴史発展段階を異にするニューパラダイムに突入したのか、その回答は21世紀まで持ち越された。20世紀最後の月に発表される本白書でもこれには回答を与えていない。
平成12年12月5日
経済企画庁長官
堺屋 太一