第1章 グローバル化と経済成長・雇用(第3節)
第3節 アメリカ・ドイツにおけるグローバル化と製造業
以下では、既存文献からグローバル化と経済成長の関係について経済理論・実証分析上の知見を概観した上で、グローバル化の進展を成長の機会として活用している国々の貿易・産業構造やGVCでの位置づけなどを分析し、グローバル化の進展が経済成長や雇用に与える影響には、国ごとにどのような特徴がみられるのか考察する。
1.グローバル化と経済厚生、成長
グローバル化は成長を促し、経済厚生を改善するのだろうか。経済学者は従来、貿易が自由化されることで、競争が完全であれば資源配分の組合せが変わり、技術的に生産可能なフロンティアが広がったのと同じ効果がもたらされ、厚生が改善する16としてきた17。例えば、中国や中東欧諸国は相対的に安い労働コストを活かして輸出を拡大することにより、高い成長を遂げたとされている18。
グローバル化はどの程度経済厚生を改善するのだろうか。アメリカのピーターソン研究所の試算結果によれば、第二次大戦以降アメリカが世界経済との結びつきを強めることで、実質世帯所得は年間10,000ドル増え19、同期間にグローバル化から受けた恩恵は年間でGDPの1兆ドル相当以上との試算結果もある20。
グローバル化が経済厚生を改善する経路を大別すると、(1)資源再配分を通じた経路と、(2)生産性上昇を通じた経路があることが指摘されている21。すなわちグローバル化が進むことで、企業、業種、国、地域間など様々なレベルでの資源再配分が促されると同時に、海外からの技術のスピルオーバーや輸入競争に直面した企業の投資活動等により、生産性が押し上げられる。以下では、両者の経路に関する最近の議論を簡単に整理し、グローバル化が経済厚生を改善することを示したい。
(資源配分の経路:製品や中間投入財の選択)
標準的な貿易理論では、貿易の自由化による業種間や国の間での資源再配分や相対価格の変化に注目し、各国は比較優位のある業種の生産に特化していくことで、規模の経済のメリットを得ることができると指摘した。
90年代半ば以降になると、業種間や国の間の資源配分ではなく、企業間の配分が注目されるようになった。その契機となったのは、一つの産業内に多数存在する企業のうち輸出企業はごく一部で相対的に生産性が高い企業であることが明らかになった22ことにある。これを受け、同じ業種に属する企業を同質のものとは扱わずに、個別企業の行動に焦点を当てた分析が主流になった。貿易の自由化を通じて、生産性が低く貿易を行わない企業から生産性が高く貿易を行う企業に資源の再配分が進む結果、産業レベルの平均生産性が上昇する23。また、グローバル化が進めば、各企業はより多くの選択肢の中から、より安価で効率的に活用できる財やサービスを選んで中間投入するようになり、投入製品・サービスの選択を通じた資源の再配分が起きることで、生産性や収益性が上昇すると考えられる。
Halpern et al.(2015)では、ハンガリーにおいて、93年から10年間で製造業の生産性は21%上昇したが、うち2割以上が中間投入する輸入品の量や種類を増やしたことによると指摘し、関税引下げが企業収益を大きく増加させたと論じられている。また、インドでは、中間投入財に係る関税自由化の結果、輸入される中間投入財の品目数が大幅に増加し24、海外と国内の投入財を組み合わせることで、国内で生産される製品の幅が広がり生産が増加したとの指摘25もある。
グローバル化が生産性の押上げに寄与したのはこれまで使えなかった様々な中間投入を使えるようになったことよりむしろ、製品を変更することなどにより、資源再配分が進んだため、との指摘26もある。例えば、複数の製品を作っている企業が、企業内の生産資源の配分をより収益性が高い製品(高付加価値製品)にシフトさせれば、企業レベルでの収益性が改善し、生産が伸びる。後述するように、高付加価値製品には国際市場での需要の価格弾力性が低い製品が含まれることも多く、成長の原動力になりやすい。アメリカの企業は生産する製品の見直しを頻繁に行い、例えば貿易自由化等消費者の需要構造を変化させるショックに際し、生産する製品をこまめに変えることで、資源再配分が促されている27。
(資源配分の経路:オフショアリング28)
グローバル化により生産プロセスや生産以外の企業活動が多くの国の間に分散する(国際展開される)動きが広がっている。こうした分散化が広がった背景には、ICTによる情報通信費用の急激な低下があるとされている。分散化が進むと、各国の比較優位を活かした国際分業が徹底し、部品や中間財の越境取引が何度も記録されることになる。一般に、企業の財やサービスの調達先(特に企業固有の特注品やサービスの委託・外注について)が国境を超えることをオフショアリング29と呼ぶ。こうしたオフショアリングを通じて、企業が比較優位のない業務を海外に移転し、国内では比較優位のある業務に生産資源を集中することができるようになれば、国内外での資源再配分を通じて企業の生産性が上昇する可能性がある。
ただし、自国より他国でより安く労働力が使える場合、それを用いる業務を他国に移転すると、労働者の監視や他の業務との連携を取ることがより難しくなる。このため企業は、オフショアリングのメリットとコストとのバランスを考えながら、オフショアリングに関する意思決定を行うと考えられる。オフショアリングと生産性の間の因果関係は明らかではないものの、相対的に大企業かつ生産性の高い企業がオフショアリングを行う傾向も確認されている30。本節の後段では、ドイツの自動車企業がオフショアリングを通じて中欧諸国等への中間財依存を高めるとともに、国内で生産する製品を高付加価値製品に特化させた例を紹介する。
これに対し、例えば従来自社開発していたプログラムを海外から購入するなど、非生産部門の内部業務が企業の境界や国境を越えて立地するようになることをアンバンドリング31と呼び、サービス貿易の増加につながっている(非生産部門の内部業務を海外から調達する例として、スウェーデンの自動車産業のケースを後述)。アンバンドリングは、財のオフショアリングと比較して、企業の内部再編により大きな影響32を及ぼし、生産可能フロンティアをより大きく押し上げる可能性があるため、生産や雇用の増加につながるとの見方がある33。
(生産性の経路:技術のスピルオーバーやイノベーション投資)
上述の通り、データ上輸出企業の生産性が高いことは複数の研究で指摘されているが、ここでは輸出を始めるとなぜ生産性が上がるのか考えてみよう。輸出企業の生産性の上昇経路は、第一に、輸出競争に直面することで、パフォーマンスの改善を目的にイノベーション投資が活発化するといった点が挙げられる。企業投資のうち、無形資産(ソフトウェア、データベース、研究開発、デザインなどの知的財産やブランドなど)投資にはより多くの高スキル労働力が必要となるため、グローバル化が進むほど先進諸国企業は国内に相対的に豊富な高スキル労働力を活用して無形資産投資を拡大し、国内の生産性を高めることに重点を置くようになっている34。例えば、Bloomらの最近の研究では、中国との輸入競争が高まったことで、欧州企業のイノベーション投資が活発化し、それによって起きた特許申請や研究開発投資額の増加によって2000年から07年の欧州企業の技術進歩の15%を説明できるとされた35。第二に、輸入品や海外企業との接触により、新興国などを中心に、海外の高い技術の学習効果等が得られ生産性が押し上げられる36 37といった点が挙げられる。第三に、企業が輸出に携わること自体に伴い、例えば海外市場でのマーケティングに係る投資や、海外のバイヤーとの交渉力強化等を通じた生産性押上げ効果がかなりの大きさであるとの議論38もある。加えて、企業が国際競争に直面することで、経営陣を刷新したり経営慣行を見直すことを迫られ、非効率性が改善される可能性があるとの指摘もある39。
(グローバル化の恩恵を受ける主体、受けにくい主体)
グローバル化は成長にプラスの効果を持つものの、一つの経済でそのプラス効果を受けやすい主体と受けにくい主体を生み出すという特徴も持っている。両者の間のプラス、マイナスの影響が相殺されて、全体としてのプラス効果は限定的との指摘40もある。こうした指摘の多くは、国内生産や消費が輸入品で代替される結果、国全体の厚生はあまり改善されない、との見方を示している。特に、グローバル化の雇用への影響は全体としてマイナスとの分析は輸入が急増した場合等に数多くみられ、第1節の冒頭で指摘したような、先進国の一部にみられる内向き志向の動きの背景となっている。
グローバル化が経済厚生を悪化させたとする研究では、アメリカと中国の貿易自由化が進んだことで、アメリカの消費者が安価な中国製品にアクセスできるようになったものの、製造業の雇用が減ったことで、経済厚生の増加幅はネットで0.6%増に留まるとの試算結果が示されている41。以下では、貿易自由化やオフショアリングが雇用や賃金に与える影響に関する分析結果を整理する。
(貿易の拡大が雇用に与える影響)
前述の通り、貿易は資源再配分を促すことから、産業や職種レベルの雇用者数や賃金に影響を及ぼし、結果的に産業間、職種間、さらに産業構成や職種構成が異なる地域間の賃金格差にも影響しうると考えられる。これまでの研究成果では、業種や地域ごとの貿易自由化の進捗状況と、雇用や賃金との関係を調べたものが多い42。例えばKovak43は、90年代初めのブラジルの貿易自由化が、業種別の労働需要の変化を通じて賃金に及ぼす影響を分析した。各地域で生産されている製品の関税の引下げ幅(加重平均)と賃金との関係を分析した結果、10%ポイント以上の輸入関税引下げに直面した地域では、それによって平均実質賃金が4%ポイント以上押し下げられたと論じている。なお、労働・資本共に部門間の再配置には長時間を要し、例えばDix-Carneiroの試算44では、ブラジルのハイテク産業での貿易自由化の労働市場への影響は9年以上にわたっており、30年以上影響が持続する可能性もあるとの結果が得られている。
(オフショアリングが産出・雇用に与える影響)
仮にオフショアリングが国内業務と代替的に行われるのであれば、オフショアリングが進むほど国内企業の雇用や産出にはマイナスの影響があると考えられる。アメリカではオフショアリングを行った企業は行わない企業と比べて、4~6年の期間でみると、産出で28%、付加価値で32%、雇用で32%程度押し下げられたとの結果もある。試算の結果、オフショアリングから6年が経過しても、産出や雇用の水準はオフショアリングを行う以前の水準には回復しないことが指摘されている45。
これに対し、高いスキルを必要としない工程をオフショアリングして生産した製品を中間投入として用い、国内では高いスキルを必要とする生産に特化すると、高いスキルを用いて作られる製品の国内価格が低下し、需要が増加することで国内での高スキル労働者の雇用がむしろ増える可能性46もある。フランス企業のデータを用いた研究例では、オフショアリングによってこうした垂直分業が進むと国際競争力が高まり、親企業の雇用が増えた可能性が指摘されている47。こうしたことから、オフショアリングを行えばどの企業でも一律に雇用が減少するとは考えにくい48。
2.世界貿易シェアから見た先進国、新興国・途上国の存在感の変化とGVC
以上みてきたとおり、貿易の拡大が経済厚生を改善する方向である一方、雇用への影響は部門間や職種間で異なることが予想される。そこで以下では、貿易の拡大が一国の経済や雇用にどのような影響を与えるのかについて、アメリカやドイツの例を取り上げながら具体的に分析していく。
世界の輸出入総額(グロス)に占める先進国と新興国・途上国のシェアをみると、95年以降、中国にみられる新興国・途上国の台頭が著しいことがわかる。日本やアメリカを始めとして、先進国は総じて輸出シェアを低下させているものの、後述するとおり、ドイツについてはEU諸国との貿易強化等を通じ、シェアの低下幅は相対的に小さいものとなっている。なお、こうした動向は中間財より資本財で顕著といえる(第1-3-1表)。
また、付加価値輸出に占める各国のシェアをみても、ドイツのシェアの低下幅は比較的小さなものに留まっており、グロスの輸出総額と同様の傾向がみられることがわかる(第1-3-2表)。
このように、中国に代表される新興国・途上国経済が国際貿易の場でも存在感を増していった結果、世界経済全体がGVCを深化・発展させていくことになったものと考えられる。国別に中間財・サービスの輸入比率を主な産業でにみると、2000年から14年にかけてほとんどの国・産業で上昇しており、世界的な経済統合のプロセスが広範な産業で発生しているものと理解できる(第1-3-3図)。
3.アメリカとドイツの貿易構造
(業種別に見たアメリカ・ドイツの輸入浸透度の推移)
輸入浸透度とは、国内市場にどの程度輸入品が入っているかを示す指標である。ここでは、既存研究49の方法に倣い、財が最終財か中間財かを区別せずに、t年の浸透度を以下のように計算した50。
製造業でのグローバル化の影響を、アメリカとドイツの2か国を例にとってみてみよう。比較可能なデータが利用できる95年以降、ほとんどすべての業種で、アメリカ・ドイツいずれでも各業種の輸入浸透度が着実に上昇を続けている。水準を比べると、業種横断的にドイツの輸入浸透度はアメリカのそれより高く、近年上昇幅も大きくなっている(第1-3-4表)。各産業の製品には最終財、中間財の双方が含まれるが、アメリカと比較するとドイツの特徴は大量の中間投入物をより多くの国々と売買しており、より深くGVCに組み込まれていることが指摘されている51。
第1-3-5図はアメリカ、ドイツのいくつかの製造業の業種について、95年から11年の間の輸入浸透度の変化と実質化した雇用者一人当たり付加価値の推移を示す。ドイツの織物・衣類等、アメリカの電気機器・部品では輸入浸透度が大きく上昇する一方、国内生産による一人当たり付加価値の上昇は限定的であった。他方、アメリカとドイツの化学製品やドイツの自動車、その他輸送機器では輸入浸透度の上昇は国内の他産業と比べ限定的で、一人当たり付加価値の上昇は大きかった。後者では、相対的に低コストの労働力や諸資源が利用できる新興国に部品等の生産工程が移転し、アメリカやドイツ国内では同一業種の製品でもより付加価値の高い製品の製造に特化する動きがみられた可能性がある。国や業種に応じて、GVCにおける役割分担や国内産業の高付加価値化の度合いが多様であることが示唆されている。
(GVCでの役割分担の変化)
各国のGVCでの役割分担は、比較優位、企業戦略、市場構造、立地条件、政治・歴史的背景等様々な要因に依存して、長い期間をかけて徐々に決まってきたと考えられる。また、自由貿易協定の締結やユーロ圏の拡大を契機として、例えばアメリカとNAFTA諸国、もしくはドイツと中東欧諸国との貿易関係が急速に深まったと考えられる。以下では世界産業連関データベース52等で、同じ基準で比較可能な期間を対象にアメリカ、ドイツが周辺国との貿易関係をどのように深めていったかを概観する。
第1-3-6表はアメリカとメキシコの貿易関係を要約したものである。表の左半分は、アメリカの製造業の中間投入の輸入比率を業種別の組合せで計算し(「中間投入のうち輸入財・サービスの割合、全体」列)、輸入のうちメキシコからの輸入比率が特に高い順に例示している(「同、メキシコから」列)。例えばアメリカの製造業の各業種の中で、14年にメキシコの電気機器製造業からの中間投入の輸入比率が最も高かったのは電気機器製造業で、投入の11%以上をメキシコの電気機器が占めているが、これは輸入品シェア39%の1/4以上に相当する。メキシコとの貿易関係で投入シェアが高いのは専ら電気機器で、アメリカの様々な製造業で、メキシコの電気製品が中間投入として重要な役割を果たしていることがわかる。
さらに、表の右半分にはアメリカの製造業の産出物のうちどれほどが輸出されているか(「産出対輸出比率、全体」列)、特にメキシコに輸出されているのは全産出の何割か(「同、メキシコへ」列)を示している。メキシコ電気機器製造業の製品を輸入し中間投入として多用しているアメリカ電気機器製造業の製品の約1/4が輸出されるが、その約1/4はメキシコに輸出されている。従って、メキシコから中間投入を輸入して作られたアメリカ製の電気製品の一部が再びメキシコに輸出されている貿易構造がうかがえる。
アメリカとメキシコの間でNAFTAが締結されたのは94年であるが、その6年後の2000年の貿易関係と14年の関係を比較すると、中間投入として用いられるメキシコ製品の比率は各産業で上昇傾向にあるものの、輸入品比率も上昇しており、メキシコのシェアが特に目立って上昇したとは言えない。メキシコ製品の比率が高い分野もほぼ同じで、2000年にすでに形成されていた貿易関係にはその後大きな変化はなかったと考えられる。また輸出対産出比率にもそれほど大きな変化は見られない。
同様にして、ドイツと中東欧諸国との貿易関係を整理したのが第1-3-7表である。ここでは中東欧諸国として、世界産業連関表からデータが利用可能であった6か国(チェコ、ポーランド、ハンガリー、スロバキア、スロベニア、ルーマニア53)をまとめて扱った。これらの国々はいずれも2000年時点ではEUに加盟していなかったが、2000年と14年の間で貿易関係が大きく変化したことがこの表から明らかである。まず14年の特徴を概観すると、どの分野でも投入・産出共に輸入・輸出に依存する比率がアメリカより高い傾向にある。例えばドイツの電気機器製造業で海外の電気機器製品を投入物として用いる比率は49.5%であり、アメリカより10%ポイント程度高い。ドイツの電気機器製品の輸出比率は65%を超え、アメリカの25%超を大きく上回っている。こうした結果は先に述べた輸入浸透度の違いとも整合的であり、ドイツの製造業がより深くGVCに組み込まれていることが第1-3-7表からも読み取れる。
14年の中東欧諸国との関係に注目すると、中東欧諸国で自動車等(自動車、トレーラ及びセミトレーラ製造業)の製品として産出された財が、ドイツの様々な業種で高い比率で中間投入として用いられている。電気機器製造業では中間投入のうち1/3以上を、コンピュータ、電子製品等製造業では1/4以上を中東欧諸国の製品に依存しており、これらの一部はドイツの自動車産業の部品となることが推察される。なおドイツ製品の輸出については、輸出全体のシェアと比較して中東欧諸国のシェアはそれほど高いわけではないことから、中間投入ほどの強い関係にはなく、部品輸入先としての役割が特に顕著であることが示唆されている。
こうした関係は、中東欧諸国のEU加盟を契機に発展してきたものと考えられる。2000年時点の貿易関係は中間投入財の輸入、製品輸出の両面で14年時点よりはるかに希薄で、当時から自動車関連の製品を電気機器やコンピュータ、電子製品産業の中間投入財として輸入する貿易関係にはあったものの、そのウェイトは14年の半分程度であり、また輸入シェアが高かったのは家具や材木製品など異なる分野の製品だったことから、2000年代以降GVCの裾野が自動車関連の様々な製品に広がった可能性が指摘できる。中東欧諸国の一部は古くから自動車生産を行ってきたため生産技術や設備等の蓄積がもともと存在したことや、ドイツ国内と比較して安価な労働力が利用できたこと、加えてEU圏内での取引には様々なメリットがあったことなどから、ドイツ製造業がオフショアリングを進めると同時に製品の輸出比率を高めていったことが顕著に読み取れる。
従来先進各国は比較優位の観点から、労働集約的な生産過程をより労働コストの安い海外に移転し、労働コストが高く相対的に高スキルの労働力を多用する生産過程を国内に残す方向での国際分業を進めてきた。こうした分業をスムーズに実現できたドイツを始めとする国は、グローバル化の過程で相対的に国際競争力を維持し、高い生産性を実現できたと考えられる。
(自動車産業に注目した分析)
以上の分析から、ドイツと中東欧諸国の間には自動車産業等で分業体制の深化がみられることが示唆された。またアメリカでも自動車産業が安価な労働力を求めてメキシコとの貿易関係を深めている可能性が考えられる54。このため、以下ではドイツとアメリカ、そして日本の自動車産業の生産・貿易構造を比較してみたい。
最初に第1-3-8表は3か国の自動車産業の中間投入を工業製品、サービス、自然資源等の3種類に分割し、それぞれ国内産・輸入の別で投入内訳を比較した結果を示す。2000年時点ですでにドイツ、アメリカ、日本の順で中間投入の輸入依存度が高かったが、14年にはいずれの国でも輸入依存度が高まり、ドイツで1/3以上、アメリカで2割、日本で1割以上が海外で生産された中間投入となっている。特にドイツでは工業製品については国産品と輸入品のシェアの差が10%ポイント程度に小さくなると同時に、サービス投入比率が高いことも特徴的と言える55。アメリカや日本も輸入依存度を高めているが、日本では依然として低水準であることや、サービス投入比率が相対的に低いことが、ドイツ自動車産業での変化とは異なる。
製造業の中でも自動車産業はとりわけ集積度が高い業種とされている56。自動車産業は小さな部品を組み立てて最終的に重量のある車体となる生産工程であるため、生産工程を最適化すると集積の中心が相対的に最終財の消費市場に近い場所に立地し、出荷コストを抑制する(部品を各地で分散的に生産し、最終的に1か所に集めて組立て、完成車の輸送の便が良い幹線道路沿いなどに最終組み立て工場が立地する)ことが指摘されている57。北米の自動車生産はアメリカミシガン州からアラバマ州にわたる南北の通路(auto alley)を中心にカナダまで伸びた地域に集中している(第1-3-9図(1))。欧州では北海とドナウ川の間の北西から南東方向の軸に分布し、両者の集積地域の形状は類似していると指摘されている58(第1-3-9図(2))。欧州ではこの回廊が複数国59にまたがっているため、完成車の生産までの部品の取引が貿易取引として記録される。第1-3-8表でみたようにドイツ自動車産業では中間投入として用いる工業製品の輸入依存度が高いが、調達元の国・地域の内訳を第1-3-10図でみると、2000年から14年の間に、国内生産が中東欧諸国やその他ヨーロッパ地域にシフトしている。
第1-3-11図は貿易統計からドイツの自動車部品輸入における中欧諸国の割合を推計した結果60であるが、15年時点で輸入に占めるポーランド・ハンガリー・チェコ・スロバキアの4か国のシェアは35%と20年前の8%から急増しており、産業連関表を用いた分析と整合的な結果となった。既に論じたように、輸入依存が高まる一方製品輸出のシェアはそれほど高まっていないことから、自動車部品での貿易収支の赤字幅は拡大を続けており、赤字は特にチェコとの間で急速に拡大している(第1-3-12図)。
こうしたGVCでの役割の変化を通じて、ドイツの自動車産業のパフォーマンスはどのように変わったのだろうか。ドイツの自動車メーカーは世界の主要なマーケットで高い競争力を維持し販売台数を伸ばしている。ドイツからの自動車の輸出台数は01~16年の間年平均で3.7%増加し、16年の輸出台数は日本の1.8倍、アメリカの3.8倍、イタリアの13.1倍となっている61。粗付加価値率の変化を国際比較しても、ドイツのパフォーマンスの良好さが指摘できる。
第1-3-13図はアメリカ・ドイツ・日本・イタリア及びスウェーデンの自動車産業の粗付加価値率62を比較した結果である。2000年時点ではアメリカやスウェーデンの粗付加価値率が相対的に高く、他の3か国には大きな違いがなかった。以降14年までの間にドイツがこの比率を5%ポイント程度高めたのに対し、日本は微増、アメリカは5%ポイント近く低下、イタリアも低下し粗付加価値率で見た各国のパフォーマンスの差が明確になっている。ドイツで粗付加価値率が高まったことの背景には生産・需要両面の影響があると考えられるが、生産側については、労働集約的な生産工程を労働コストが相対的に低い中東欧諸国に移転する一方、高品質モデルの生産や高付加価値の生産過程を国内に残し、高品質モデルをブランド化して販売するなどの戦略がプラスに寄与したことが指摘されている63。スウェーデンは粗付加価値率が低下したが、14年時点で日本とほぼ同水準となっている。
高付加価値な生産工程への特化は、ドイツだけでなく他の先進国でも進展したことが予想される。しかしながら、ドイツと同じくEUに加盟するイタリアの自動車産業では、低コストの労働力が利用できる近隣諸国との国際分業がドイツほど進んでいないとの指摘64がある。実際、第1-3-14図はイタリアの中間投入製品の製造地域の変化をみたものであるが、ドイツと異なり、2014年時点でも依然として、国内のシェアが8割近くを占めており、2000年から大きな変化がみられない。また、第1-3-15図、第1-3-16図はドイツと同様にそれぞれ、イタリアの自動車部品輸入に占める中欧諸国の割合と同中欧諸国との貿易収支の推移を見たものである。イタリアでも自動車部品の中欧4か国への依存度は高まっているが、15年時点でドイツの35%に対しイタリアは15%弱にとどまっている。貿易収支も多くの国との間で貿易黒字を計上しており、部品輸入で大きく依存するという産業構造にはなっていない。中欧諸国との距離はドイツとはそれほど大きな差がなく、同じEU圏内という共通点をもつ一方で、イタリアの自動車産業の粗付加価値率は下落傾向にあることに鑑みると、両国は対照的であると評価できる。
ドイツの他の業種でもGVCでの役割分担は自動車産業と同様に変化しているのだろうか。以下ではドイツ国内で自動車産業と並んで重要な位置を占める機械産業の動向をみてみたい。まず第1-3-17図は自動車産業と機械産業の付加価値の対GDP比、及び雇用者数のシェアの推移を示すが、製造業の中ではいずれもドイツにとって重要な業種であると考えられる。機械産業の投入構造を、自動車産業に倣って日米独で比較すると(第1-3-18表)、ドイツでは中間投入の輸入比率が1/3程度と自動車産業とほぼ同水準であり、日米の比率を上回っている。
他方、ドイツ自動車産業と一般機械産業の対外直接投資額を地域別に比較すると、14年時点でどの地域でも前者が後者の20倍程度の水準と圧倒的に自動車産業の投資額が大きい(第1-3-19図)。直接投資先別に比率を見ると、自動車産業では中欧4か国で7%、その他欧州を合わせると58%と過半を超え、部品の調達元となる地域のシェアが高いのに対し、一般機械産業ではヨーロッパ全体で4割未満と比率はやや低い。こうしたことから、自動車産業では直接投資を通じた生産拠点の海外進出とそれを通じたGVC構築が欧州諸国間で進んでいるのに対し、機械産業では相対的に低賃金の諸国への直接投資を伴う生産移転が限定的にしか進んでいないという特徴がうかがえる。他方、ドイツ自動車産業が生産を相対的に低賃金の諸国に拡張するに伴い、ドイツの工作機械等生産活動に用いられる機械の輸出が増え、機械産業をさらに強くしたことが指摘されている65。
4.アメリカとドイツの労働市場とグローバル化
(グローバル化の進展と国内雇用:アメリカの労働市場)
2000年代に入り中国がWTOに加盟、アメリカの中国からの輸入が急増したことなどを受け、中国との貿易がアメリカの労働市場に及ぼした影響に焦点を当てた実証研究が数多くみられるようになった。そうした研究成果のほとんどは、中国からの輸入の増加がアメリカの労働市場に有意に負の影響を及ぼしたとの結論を得ている66。Autorらの最近の研究では、輸入競争により晒された業種ほど、そこで働く労働者への負の影響が大きい上に、アメリカの労働者の地域間移動も限定的であった67ため、そうした業種が集積している地域ほど負の影響が顕著であったとしている68。
以下では、アメリカの労働市場のデータを概観することでこうした議論と実態との整合性を確認する69。
(輸入の増加はどの程度雇用に影響するのか)
アメリカでは、製造業の雇用シェアの低下が顕著である70。理論的に言えば、経済のある部門の生産性上昇が他の部門より相対的に大きければ、その部門の生産物の相対価格が下落し需要が増加する。仮に需要の価格弾力性や所得弾力性がそれほど大きくなければ、需要の伸びは生産性上昇率を下回り、その部門の雇用シェアは低下する71。製造業では様々な技術革新を通じて生産性が上昇してきたが、これに比して製造業製品に対する需要が伸びなければ、製造業の雇用シェアが低下する方向で調整されることになる。加えて、最終財等で輸入浸透度が上昇すればさらに雇用シェアを押し下げる要因となりうる72。
こうした考え方に基づけば、製造業の中でも特に新興国との競争に晒される度合いが高かった業種では、その他の業種と比較してより雇用シェアの低下が顕著となる。第1-3-20図は業種別の輸入浸透度の推移と製造業での雇用者数シェアの推移の関係を示しているが、輸入浸透度が大きく上昇した電気機器・部品やコンピュータ・周辺機器ではシェアが緩やかに低下しているのに対し、浸透度が相対的に低めの化学製品や自動車ではシェアは上昇ないし上下を繰り返す動きとなり、結果的に浸透度が大きく上がった業種からそれほど上がっていない業種への雇用者シェアのシフトが起きている。業種間で比較すると、11年の自動車と化学製品の雇用者シェアは共に6%強であるが、化学製品の雇用者一人当たりの付加価値は自動車の3倍程度と高水準で、95年からの伸びもより大きい。同期間中化学製品の雇用者シェアが上昇、自動車では低下していることから、製造業の中で高付加価値業種へのシフトが起きている面もある(第1-3-21表)。
(雇用への影響が業種によって異なるのはなぜか:「品質の段階」論)
このように、輸入浸透度と業種別雇用には全体としては負の関係がみられるものの、第1-3-20図や第1-3-21表からも明らかなように業種によって浸透度の影響には違いがみられ、高付加価値化を追求できるかどうかが鍵と考えられる。先行研究では、業種ごとに製品の「品質の段階(quality ladder)がどの程度あるか」(最も高品質のモデルから低品質のモデルの間にどれほどの違いがあるか)に応じて、新興国・途上国との輸入競争が先進各国の雇用に及ぼす負の影響の度合いが異なる、と指摘している73。例えば、第1-3-20図に示した化学製品はアメリカの製造業の中ではこうした品質の違いが最も大きい業種の一つであり、先進国では資本面やスキル面、技術面の比較優位を活かして高い段階にある製品に特化することにより、雇用減を避けることができる。対照的に皮革製品や一次金属などで品質の差が小さい業種であり、輸入競争の影響が大きくなりやすいとされている。
(地域別産業構造と雇用への影響:アメリカの州別分析)
労働市場の調整コストを地域別に比較すると、地域間の労働移動が限定的であるため、製造業が集積する地域とそれ以外の地域の間で差が大きいとされている74。例えば州別に輸入競争に晒された度合いを指標化(以下「州別輸入浸透度」)し、これと各地域の雇用喪失の関係を分析したAutorらの分析では、州別の産業構造の違いを利用して、輸入浸透度がより上昇した産業が中心の州ほど雇用者が減少したかを検証した。彼らの手法に倣って05年から16年の間の州別輸入浸透度の変化を試算した結果が第1-3-22図である。ここでは州別輸入浸透度として、通常の方法で業種別に輸入浸透度の変化を計算した後、各州の業種別雇用者シェアでウェイト付けして加重平均の輸入浸透度を推計75し、その経年変化を求めた。輸入浸透度が大きく上昇した産業で雇用される労働者の割合が高ければ、州別浸透度もより大きく上昇する。具体的な計算式は以下の通り。
結果を見ると、世界金融危機時の08~09年にはどの業種でも輸入浸透度が低下したため、州別浸透度も軒並み低下したが、その前後の期間は浸透度は上昇しており、累積で見れば05年から16年の間にどの州でも浸透度が上昇した(第1-3-22図)。ただし、14-16年の3年間は浸透度の上昇幅が小幅であったことがわかる。州別に見ると、自動車産業などの集積がみられる中西部の諸州の上昇が顕著で、それに次いで近隣州の上昇も目立つ。これに対し、ネバダ州、ワイオミング州、アラスカ州等鉱業・エネルギー産業が中心の州では浸透度上昇は小幅にとどまり、輸入品増加の労働市場への影響が相対的に小さかったことが示唆される。
(輸入の増加は本当に雇用を減らしたのか)
こうした議論に対し、昨今では異論を唱える分析例も出てきている。例えばRothwell(2017)では、先行研究の結果には2000年代にアメリカの成長率が低下したことによるバイアスが存在するとし、これを除くと輸入競争が雇用の伸びや賃金上昇率にマイナスの影響を及ぼさないことを指摘した。
Magyari(2017)は、アメリカの企業データを用いて、より輸入競争にさらされている企業では高賃金の生産労働者や、ハイテク製品の生産を補完するサービス(例えば研究開発、製品デザインや本社機能)生産に従事する労働者の雇用の伸びが、それ以外の企業より年間2%ポイント程度高かったことを示した。第1-3-22図で示したような、業種別の輸入増と雇用減を結びつける議論は単純化しすぎである可能性もあり、実際の雇用調整は業種レベルではなく業種と業務の組み合わせで行われていることが予想される。
(労働市場の制度要因)
アメリカでの五大湖周辺諸州の雇用喪失や高失業率は専ら労働組合の問題であるとの指摘も行われている。技術革新やグローバル化の影響はいずれの先進国も直面したものであり、産業構造の違いで多少の差はあったにせよ、五大湖周辺諸州の問題が深刻になった背景には、強い労働組合の存在により高賃金が維持され、構造調整が進まなかったという地域固有の問題があったとの見方がある76。後述するように、ドイツの自動車産業が雇用者シェアをむしろ伸ばしながら成長し続けている背景には、労働組合のより柔軟な対応があったとの指摘もみられる。
第1-3-23図では第1-3-22図で推計した州別輸入浸透度と、同期間での州別の製造業雇用者シェアの変化幅の関係をプロットした。2000年代半ば以降製造業の雇用者シェアはほぼすべての州で低下し、州によっては3%ポイント以上下がったところもある。こうした低下幅と輸入浸透度の上昇幅の間にはおおむね負の関係、すなわち浸透度が大きく上昇した業種中心の産業構造であった州では製造業の雇用者が相対的に大きく減少し、非製造業への雇用のシフトが起きたと考えられる。但し、第1-3-22図で見た最も浸透度が上昇した五大湖周辺諸州やその周辺州77は最も製造業の雇用者シェアが低下した州とは一致せず、こうした州では浸透度の上昇に直面してもスムーズな産業構造転換が容易ではないことを示唆しているとも言える。
グローバル化の負の影響を受けた労働者は、工場閉鎖等に伴い仕事を失った場合、地域間を移動して転職する可能性がある。地域間では産業構造の違いから生産性や賃金が違うと考えられるが、より高生産性、高賃金、低失業率の地域への労働移動が進むことが望ましいと考えられる。最近の研究成果78によると、TAAプログラム79の対象となる労働者が多い地域では、貿易関連以外の仕事もより失われやすく、地域内での転職がより困難になっている。業種を問わず雇用全体が減少することから、結果として地域間での所得格差の拡大が予想され、格差縮小に向け労働力の地域間移動を円滑にするような施策の重要性が高まっている。
第1-3-23図の累積変化を期間別に分解し、05~07年と14~16年のそれぞれの変化について描くと(第1-3-24図)、後者では浸透度の変化と雇用シェアの関係が州によって異なり、以前ほど明確でなくなっている。既に議論したように、製造業の雇用が相対的に減少している背景にはグローバル化のみならずICT化など様々な技術革新があることから、傾きの変化の背景となる、製造業の雇用を取り巻く様々な環境変化に注意していくことが必要である。
(グローバル化の進展と国内雇用:ドイツの労働市場)
ドイツの国際競争力の背景としてしばしば指摘されるのが、2000年代の労働市場改革の結果形成された柔軟な労働市場と低い単位労働コストである80。これにより、国際的に見て労働分配率が低く抑えられると同時に、企業間や部門間の労働移動が進みやすかったと考えられる。
(ドイツの製造業雇用の特徴)
ドイツの業種別雇用者数の推移をEU-Kremsデータベースで見てみよう。ドイツの輸送機器業の雇用者数は、90年代後半以降2000年代初めにピークとなり、世界金融危機時に大きく減少したものの、その後再び上昇傾向にあり、95年の87万人から14年には98万人に増加している。第1-3-25図に示すように、製造業に占める雇用者数シェアで見ても11.3%から13.6%まで上昇している。機械機器産業も同様に雇用者シェアを高めた業種である(同13.6%から15.4%に上昇)。輸送機器業では、前述のように中東欧諸国への直接投資の増加、生産拠点の移転が進んできた。それに伴い、内外での生産体制を補完的なものとし、国内生産は高品質モデルの生産に特化するとともに、質に担保されたブランドイメージを確立した。またプレミアムセグメントでは「メード・イン・ジャーマニー」ラベルで優位を確保する一方、中東欧での生産はコンパクトカーを中心とするとの差別化を徹底して行った。こうした高付加価値化による国際競争力の維持はドイツ製造業の雇用維持に貢献したとされている(第1-3-26表)。ただし、多くの先進国の製造業にとって高付加価値化は積年の課題であり、潜在的には生産性を高めていくチャンスが残されているものの、政策主導で円滑に構造転換を進めていくことは容易ではないとの指摘もある81。
ドイツ企業は、正規労働者については3年程度の職業訓練を経たスキルを持つ労働者を中心に採用し、労働組合への加入を通じた労働者の経営への関与や雇用保障の重視等正規労働者側が比較的強い交渉力を持つ一方、中東欧諸国への生産移転のプレッシャーから派遣労働者の活用も拡大し、安定した高賃金の正規労働者と不安定な雇用形態の労働者との二極化が進んだ。また90年代以降、業界横断的な労働協約から離れ、企業レベルでの雇用協定が結ばれるケースが急増した。こうした協定では雇用保障の強化の代償として、景気が良くないときには賃上げ抑制を受け入れるなど労働者側の柔軟な対応がみられた82。
なお、各企業の雇用の維持という観点でドイツの労働組合の柔軟な対応を評価する議論がある一方、より本質的な解決策である雇用の部門間調整はドイツでもうまくいったわけではないとの指摘もある。例えば、個人の転職状況を調べると、製造業から非製造業への部門間調整が円滑に進んだのではなく、専ら新たに就業した若者や失業者が非製造業で職を得る傾向が強まり非製造業の雇用が増えているとされている83。
ドイツ自動車産業の雇用者の内訳の変化を見ると、中東欧諸国への生産移転が進むなか、大きく減少したのはブルーカラーの低スキル労働者でも高スキル労働者でもなく、単純労働に従事するホワイトカラーだったとの指摘84がある。対照的に、研究開発など高度な業務に従事するホワイトカラーは増加している。オフショアリングの結果、国内の低スキル労働者が海外の低スキル労働に代替されたわけではなく、むしろ、国内の生産工程が再編されたことにより、一人一人の労働者が従事するタスクの範囲が狭まりシンプルになったことで、低スキル労働に対する需要が増えたとされている85。他方、輸入競争で製造業から転出した労働者は、留まった労働者と比較してより質の低い労働者であり、業種固有の高いスキルを持った労働者は残った、との分析結果もある86。
製造業の生産性を高め一層の成長を可能にするような将来を考える上では、従来型のスキル構成や生産体制では対応していくことは難しく、今後の一層の変革が必要となろう。次に、そうした製造業の将来を考える上で鍵の一つとなりえる「製造業のサービス化」に焦点を当て、スウェーデンの例を取り上げて議論を深めてみたい。
5.製造業のサービス化とグローバリゼーション
(スウェーデンなどの例)
第1-3-8表では製造業の変化の一つの兆候として、中間投入のうちサービスの比率がドイツ自動車産業等で高まっていることを指摘した。アンバンドリングを通じたサービス投入の高まりも、製造業企業の効率化努力の一環と考えることができる。すなわち、従来の製造業ではメンテナンス、運送、マーケティング等をすべて内生で行ってきたが、これらをビジネスサービスとして購入することでコスト削減を試みる動きが一般的となっている。
また、コスト削減だけでなく、GVCの川上部門では、研究開発やデザイン等の知識集約型サービスの利用が高付加価値製品の生産を行うための鍵となるとの指摘がある87。
同時に、特に高付加価値製品を製造する企業の産出も、単なる製品自体だけでなく付随するサービスにまで広がっている。例えば英国の大手機械機器メーカーの民間航空機部門の収益の52%88はアフターサービスであり、航空機エンジンの販売と併せてリアルタイムのモニタリングやアフターケアサービス89がパッケージとされている。
一般に90、製造業のサービス化とは、製造業でのサービスの購入、生産、及び販売が増加することを指す(第1-3-27図)。様々な指標で比較すると、先進国の中でもスウェーデンは製造業のサービス化が進んでいる、もしくはサービス化を意識した政策が早くから議論されている国である。製造業の中間投入のサービス比率を比較すると、14年にはアイルランドに次いで高い水準となっている91(第1-3-28図)。また、スウェーデン政府によると、95年から11年の間に製造業の付加価値ベースでのサービス産出比率、サービス関連雇用者比率、サービス産出のいずれの指標でも増加幅はEU平均やドイツを大きく上回っている92。
こうした製造業のサービス化は生産性上昇や収益性の改善につながるのだろうか。現時点ではサービス化がどのような経路でパフォーマンス改善をもたらすか解明し切れていないが、サービス化のプラスの影響を論じた成果がある。例えば、Lodefalk(2014)は、スウェーデン製造業企業のデータを用いて、サービス産出と輸出パフォーマンスの関係を分析した結果、企業内でサービス産出に従事する労働者が多いほど輸出に有利との結果を得ており、企業の国際競争力を考える上では、より競争が激しくなる中でマーケティングや現地での規制対応、輸送コストの低減などに従事する雇用者の役割が高まっていると指摘している93。また、知識のスピルオーバー等を通じ、海外サービスを中間投入としてより多く用いるほど、その企業の輸出の増加が大きく増加する傾向も指摘されている94。
スウェーデンとアメリカの自動車産業を例にとり、どのようなサービスが中間投入されているかを比較してみよう(第1-3-29図、第1-3-30図)。スウェーデン、アメリカ共に卸売・小売サービスの投入比率が最も高いが、アメリカと比べたスウェーデンの特徴は、いわゆる「知識集約型サービス」と呼ばれるコンピュータ関連サービスや、科学技術サービス等、自社が高付加価値製品を生産するために重要な役割を果たすサービスの購入比率が高いことにある95。
中間投入されたサービスのうち輸入サービスのシェアは、スウェーデンで2割、ドイツ・フランスで13%前後、アメリカでは5%未満となっている。サービスの分類別に輸入サービスのシェアを比較すると、スウェーデンで輸入依存度が相対的に高いものが目立つ(第1-3-31図)。スウェーデンの自動車産業では、大企業から中小の部品メーカーまで、リードタイムの削減と生産効率化のために研究開発、コンピュータ関連サービス、マネージメントサービス等を積極的に外部から購入し中間投入しているとの指摘があり、企業規模を問わず効率化のために外部サービスの活用が進んでいることがうかがえる96。
(まとめと製造業雇用の将来展望)
これまでの議論を簡単に振り返れば、グローバル化の進展に伴い先進諸国の製造業でも最終製品、中間投入ともに輸入浸透度が上昇し、従来の国内製造業の生産を代替する部分が生じている。同時に、国内生産の高付加価値化や高品位モデルへの特化等を通じ、海外生産との補完的な生産体制を構築し成長を続ける部門の例もあり、グローバル化が生産代替を通じて自国の生産にマイナスの影響だけを及ぼしたとは考えにくい。むしろ、理論が想定するように、比較優位のある高スキル部門への転換を進めれば経済全体としては成長にプラス寄与と考えられ、そうした事例も随所で指摘されている。
グローバル化のメリットを最大限活かすには、自国の生産要素の速やかで適切な再配分が重要である。但し、特に労働資源については賃金調整による再配分が進みにくいことや、制度的な要因で地域間の労働移動がスムーズに進みにくいこと、低スキル労働力を高スキル労働力に転換するには時間を要することなどから、経済全体としてグローバル化の恩恵を受けにくく、コストだけが際立つ可能性も高いため、政策による資源再配分のサポートが不可欠と考えられる。
最後に製造業雇用の将来展望を簡単に記述したい。GVCのあり方は技術進歩などを受けて今後も常に進化・発展していくと考えられる。例えば、3Dプリンターの登場を受け、製造業は従来の「組立型ものづくり」から大きく転換する可能性も指摘されている97。これは規模の経済性を追求する少品種、大量生産の従来型の生産モデルから、コスト低下による多品種少量生産モデルへの移行可能性を視野に入れた動きである98。多品種少量生産モデルでは、規模の経済性を追求することが従来ほど重要ではなく、むしろ、多様化する消費者の需要に合わせた迅速な生産と製品の供給が必要であることから、国外での生産から国内生産への切り替えが進むことも考えられる。こうした新たな動きに関する最近の具体例を挙げれば、世界的なスポーツ用品メーカーがアメリカやドイツに新工場を建設し、国内の多様なニーズに合った柔軟かつ迅速な供給体制を構築する動きもみられる99。技術革新の進展に伴う製造業の今後の動向が注目されるとともに、企業や政策当局が新技術やグローバル化を新たな成長のチャンスと捉えて取組を続けていくことが重要と考えられる。
6.グローバル化の影響と政策の方向性
これまで、国によってグローバル化の進展が様々であること、それに伴う経済や社会への影響も多様であることを、いくつかの先進国の例を取り上げて議論してきた。前述のように、グローバル化が成長にはプラスであり、開かれた市場を維持することに各国がコミットしていくことが重要である。他方、グローバル化により構造調整が必要となり、少なくとも一部の労働者に失業や転職に伴う賃金減など負の影響を及ぼしうる100ことから、政策対応の必要性が指摘されてきた101。これを受けて先進諸国は、構造調整を円滑に進めるため、労働市場政策102や社会政策、及び貿易政策などを実施している。具体的には、労働市場政策では、仕事を失うリスクに関して労働者に安心や保険を与える消極的労働市場政策(失業保険給付など)に加え、労働者の転職支援や転職に資する技能を習得するための教育訓練などを行う積極的労働市場政策を講じてきた103。積極的労働市場政策の中には、グローバル化の影響で職を失った人などに対象を限定した政策もある(コラム「グローバル化と先進国の積極的労働市場政策」参照)。社会保障については、解雇により職を失った人などが新たな機会を見つけられるのを手助けするための再分配政策(例えば給付金プログラムや就労インセンティブの強化)等が挙げられる(第1-3-32表)。
経済学的には、構造調整を円滑にする政策としては、対象を貿易に絞らず一般的な政策を用いることが望ましいとされている104。加えて、貿易自由化で負の影響を受けたすべての労働者を特定することは非常に難しい105。他方、貿易に関連して経済の一部に集中的な構造調整が生じる場合(特定の地域での工場労働者の大量解雇など)には、貿易に絞った調整策が有益である可能性も指摘されている。
各国の政権が、グローバル化をどの程度積極的に推し進めるのか、併せてその分配面での帰結に対しどの程度政策的なサポートを行うのか、政策の方向性を決めるにあたっては、政治情勢、労働組合の政治的影響力、福祉国家の度合い、さらに国民がグローバル化をどの程度失業リスクと感じ、どのような政策を選好するかなどが考慮されると考えられる106。OECD諸国の労働者のサーベイ結果を用いて、グローバル化の進展とともにどのような政策ニーズが高まったか分析した例をみると、失業保険等の事後的な所得補償政策の強化よりも、職を失わないようにするための教育投資など人的投資プログラムの拡充へのニーズが高いとの結果が得られている107。
グローバル化の進展度と構造調整政策(以下では第1-3-32表の「労働市場・社会政策」を指す)の充実度合いの関係については、OECD諸国などを対象に様々な分析が行われてきた。両者の関係についての考え方は大別すると二分され、(1)正の関係、すなわちグローバル化が進むほど、それに伴うリスクの高まりに対する補償強化など、構造調整政策が充実する(人々の経済面での不安が高まり、失業保険給付など社会保険の拡充を求めることへの対応108)、(2)負の関係、グローバル化に伴い資本移動の自由化が進展し、企業の海外移転を防ぐため法人税率を引き下げ、結果的に歳入制約が生じるため、構造調整政策は縮小せざるを得なくなる、の両面があるとされているが、いずれが有力か、はっきりした結論は出ていない109。
また、前述のようにグローバル化によるリスクや負の影響は個人間で相当程度異なるため、失業やより大きな生涯賃金の減少を経験した、もしくはそのリスクに直面している労働者に焦点を絞った政策対応が必要との指摘も増えている。具体的には、これまで述べてきたように、先進国であれば非貿易部門(一部のサービスなど)や貿易部門の高スキル労働者は相対的に低リスクである一方、貿易部門の低スキル労働者は高リスクであり110、構造調整政策に対するニーズも大きいと考えられる。
構造調整政策の中でも、積極的労働市場政策の効果は短期ではゼロに近いが、2~3年経過するとプラスになっていくことや、属性別では年齢層が高いと様々なプログラムの効果が出にくい111ことが指摘されている112。グローバル化の文脈で言えば、貿易部門の低スキル労働者で、かつ年齢層が高い労働者は転職に時間がかかったり、不利な条件での転職となる可能性が高いと考えられる。これに対し、年齢層が低い高スキル労働者への需要は相対的に強く、転職先も見つけやすいと考えられる。グローバル化の負の側面への政策対応としては、対象に応じて構造調整政策を使い分けることが一案と考えられる。具体的には、所得補償などについては前者に焦点を絞り、後者に対しては早期の再就職を促すインセンティブを与える政策の組合せが効果的との見方がある113。再就職を促すには、労働市場での労働者の移動の障壁となるような制度や慣行を取り除き、柔軟性を高めることが不可欠であろう。
加えて、低所得層の就労インセンティブを高め、貿易ショックなどに際して労働参加率を低下させないためには、アメリカの勤労所得税額控除制度114(EITC:Earned Income Tax Credit)や最低賃金の引上げなどの政策も有効と考えられる。また、人々の教育投資に対するニーズが高いことや、教育投資プログラムの効果の発現には時間がかかることを踏まえると、失業者に対する訓練・教育プログラムだけでなく、スキルアップ投資や教育プログラムの拡充が重要となってくるとも考えられる。
(参考1:世界における所得格差)
世界の所得格差の動向について、長期的視点から振り返る。初めに、20世紀における世界の所得格差の大まかな流れを、世界全体の格差、国家間の格差、国内の格差の三つの視点から概観する(第1-3-33図)。世界全体の格差をジニ係数115の推移でみると、20世紀半ばまでは拡大傾向にあったが、その後は、おおむね横ばいとなっている。国家間の格差も大まかにはこれとほぼ同様の動きとなっており、20世紀の世界の格差拡大は、国家間の格差拡大による影響が大きかったと考えられる116。国家間の格差をやや詳細にみると、20世紀に入り一貫して拡大してきていたが、90年以降わずかながら縮小に転じている。これは、中国やインドといった新興国・途上国が急激に経済発展を遂げた時期と符合しており、その影響により格差が縮小したものとみられる。また、国内の格差に目を転じると、30年ごろから50年ごろまで、かなりの程度の縮小がみられ、その後も緩やかな縮小傾向が続くが、80年ごろから顕著な拡大を示している。
また、異なるデータソース117になるが、2001年以降も含めたここ数十年の所得格差の動向をジニ係数とタイル指数118からみると、特に2000年以降、ジニ係数もタイル係数もともに低下傾向を示しており、世界の所得格差が縮小している様子がうかがえる。タイル指数を国家間の格差と国内の格差に分解してみると、国内の格差が上昇する一方で、国家間の格差が相対的に大きく低下しており、国家間の格差縮小により全体の格差が縮小してきた様子がみてとれる(第1-3-34図)。先にも述べたとおり、中国等の新興国・途上国の高い経済成長が、その後も国家間の格差を縮小させていったものと考えられる。
次に、国内の格差について、先進国及び新興国・途上国の主な国をとりあげ、それらの動向をみていきたい。ここでは、ジニ係数に加えて、より長期のデータが利用可能な上位1%の所得シェアの推移もみていく。
まず、先進国の動向をみると、ジニ係数も上位1%の所得シェアもおおむね同様の動きとなっており、いずれの国においても、40年代に急激に低下した後、70年代までは緩やかな低下傾向をたどり、80年代から2000年代の間に上昇傾向に転じている(第1-3-35図、第1-3-36図)。この上昇の様子をやや詳細にみると、大まかな傾向としては、80年代にアメリカと英国で大きく上昇し、それを追うかたちで2000年代になって、ドイツ、フランス、日本でも上昇傾向に転じているが、それらの上昇幅は比較的小幅なものにとどまっている。40年代の急激な所得格差の縮小は、第二次世界大戦による物理的資産の喪失が資産所得を減少させたこと、ハイパーインフレーションによる債券の実質価値の減少が金融資産の損失をもたらしたことなどによると指摘されている119。また、その後70年代までの緩やかな格差縮小は、社会保障制度の拡充による所得の再分配、累進所得課税による上位所得者の収入増加の抑制、最低賃金等の政府による労働市場へ関与や労働組合による団体交渉などによる影響が指摘されている120。
一方、新興国・途上国の格差の状況をみると、ブラジル(参考2にて後述)を除く主要国のいずれにおいても、ジニ係数も上位1%の所得シェアも80年代ごろから上昇傾向を示している(第1-3-37図、第1-3-38図)。ロシアについては、長期のデータは存在しないが、ソビエト連邦の社会主義体制が動揺した90年ごろにジニ係数が大きく上昇した後、いったん低下したが、その後緩やかに上昇している。中国についても、長期のデータは存在しないが、ジニ係数、上位1%の所得シェアともに、80年代より上昇傾向を示し、2000年代後半よりおおむね横ばい、またはやや低下傾向を示している。また、インドネシアについては、ジニ係数は80年代以降上昇傾向にあるが、上位1%の所得シェアは、80年代以降上昇した後、2000年代に急激に低下している。
さらに、所得階層別の動きを、先進国はアメリカについて、新興国・途上国は中国についてみると、両国ともに所得最上位層のシェア拡大が指摘できる(第1-3-39図及び第1-3-40図の80~100%部分)。この層は、アメリカで62年から14年にかけて約16%ポイント、中国で80年から14年にかけて約12%ポイントと大きくシェアを拡大させている。他方、シェアを最も縮小させた層は、アメリカでは中間層である40~60%であり、62年から14年にかけて約6%ポイント、中国では最下位層の0~20%であり、80年から14年にかけて約5%ポイントのシェアを縮小させている。
以上、世界の所得格差の状況を確認してきたが、ここ数十年の大きな特徴は、90年頃より国家間の所得格差が縮小傾向となった一方で、80年代以降多くの国で国内の所得格差が拡大基調となったことである。
(参考2:中南米における格差縮小の例)
参考1でみたとおり、80年代以降、世界的に国内における格差の拡大が続く中で、ブラジルでは格差の縮小に成功している。
Atkinson(2014)は、ブラジルを含む中南米諸国において、高学歴化に伴う教育水準の高い労働者への賃金プレミアムの減少といった「市場所得の変化」と、条件付き給付金プログラムであるボルサ・ファミリア等121の「再分配の拡大」が格差の縮小に寄与したと指摘している。ブラジルにおける再分配政策の効果を具体的に検証したGasparini and Lusting(2011)では、同国の90年代後半以降の格差縮小の約50%が非労働所得格差の縮小に起因するものとしており、非労働所得格差縮小の要因の大部分を公的移転によるもの122とした上で、年金、ボルサ・ファミリア、継続扶助123(BPC:Benefício de Prestação Continuada)等をその例として挙げている。中でもボルサ・ファミリアの所得移転効果について、同論文では、貧困世帯の所得を平均して約12%程度押上げる効果があったとしている。ボルサ・ファミリアについては、こうした単なる所得移転効果以外にも、教育・健康格差の是正に寄与したとの報告124も多く、再分配政策の成功例の一つとして注目されている。ただし、ブラジルを含む中南米諸国では、縮小傾向にあるとはいえ依然として所得格差は高い水準にあることから、引き続き果断な政策対応が求められる。
(参考3:アメリカの労働者の賃金変化と所得ショック)
どの国でもデータの制約から、個人所得の大規模な長期パネルデータを構築するのは簡単ではない。そのため、マクロショックが生じた時、それが労働者一人一人の所得にどの程度持続的な影響を及ぼすか定量的に明らかにされてこなかった。この課題に取り組んだGuvenenらの最近の研究成果125は、アメリカでの長期の大規模な個人所得のパネルデータセットを構築することで、毎年の賃金変化率の分布を詳細に(例えば年齢階層別に)把握し、分布の特徴に関する分析を行った画期的な成果といえる。
一般に、アメリカの労働市場では、労働市場がタイトな好況期には人々はより賃金条件の良い仕事への転職を行いやすくなり、逆も同様であるため、転職に伴う賃金上昇率は順循環的と考えられている。労働者がより高い賃金の職に移っていく状況は、「職のはしご(job ladder)」を上っていくと表現されている。対照的に、負のマクロショックによる解雇を経験した労働者は、業種固有の経験は一部しか他業種に転用できない126ため、次の職に就く際賃金が大きく低下し、その後も元の水準に戻れない場合が多いと考えられる。労働市場に負のマクロショックで解雇された少数の労働者と、より高賃金の職に転職していく多くの労働者が混在するとすれば、賃金変化率の分布は右寄りにピークがあるものの、左裾が長い形状になることが予想される。
Guvenenらはアメリカの所得変化率に関するマイクロデータを用い、ショックによる所得の変化率の分布では歪度が負方向に大きい(右側に歪んでいる、すなわち変化率はプラス側に偏って分布しているが絶対値が大きなマイナス値がいくらかある)ことを初めて実証的に示した。また、Guvenenらはこうした歪度の偏りは、特に45歳以上の労働者、もしくは高賃金労働者が所得上の「悲劇的状況(disaster)」を経験するリスクが、45歳未満の(もしくは低賃金)労働者にとってのリスクより高いためと指摘した。
また、Guvenenらによると、労働者が年齢や転職経験を重ねて、既にはしごの高い場所まで登っている(高賃金)ほど、次の職でより高い賃金の仕事を見つけられる確率は低くなる。このため、例えば45歳以上の労働者が自発的に転職する可能性は小さく、大半の労働者にとっての所得ショックはゼロとなる一方、大幅な賃金低下を経験するリスクが小さいながらも存在し、高賃金であるほどそうした場合の低下率も高いことが指摘されている。
このような所得ショックの要因は多様であり、様々なマクロショックが含まれると考えられる。概して、既に経験とスキルを重ねて高賃金になっている中堅労働者には、負のショックのリスクは大きな危機感を持って受け取られる。第2節でも議論したように、グローバル化により一部の国内産品の輸入品による代替が進むため、それらを生産していた労働者には職を失うリスクが高まったと受け取られる。仮に現在の職を失った後転職しても、スキルを活かした仕事に就けず、慣れない低賃金の仕事に就くことを余儀なくされるため、円滑な労働移動の障壁となったり、非労働力人口化する契機となりえる。
実際、KrishnaとSensesの研究では輸入浸透度が高い製造業の業種で働く労働者が大きな労働所得低下に直面するリスクが高いことを指摘し、所得ショックは同じ業種に留まる労働者のみならず、製造業の他の業種、もしくは非製造業に転職する労働者にも共通してみられたことを指摘した。また、Dix-Carneiroの試算によると、労働者が業種を変えることのコストは年間賃金の1.4から2.7倍に達するとされている。
こうしたリスクを引き下げるための一つの方法は、労働者の成長分野への移動を促していくことかもしれない。第1-3-41図は2011年から5年間の職種別の時給水準(中位値)変化率と、雇用者数の伸び率の関係をプロットしている。両者は必ずしも正の相関関係にあるとは言えないが、いわゆる成長分野と呼ばれるコンピュータ関連や個人ケアサービス、マネージメントサービスなどは平均を上回る時給の伸びと雇用の伸びを示している一方、ICT化の進展などを背景に販売関連や生産の職種では平均を下回る賃金と雇用の伸びとなっている。全体のパイが大きくなっている成長分野職種への雇用のシフトが進めば、労働者にとっては一時的なショックに直面しても、これまで蓄積してきたスキルを引き続き活用できる職に移ることができる確率が高まる(言い換えれば、はしごから落ちることなく、そのまま登り続ける)ことが期待できる。本文で言及したドイツの例のように、中高年層が長期間蓄積したスキルを他分野のスキルに転換することは若年層よりも難しいと考えられるため、成長業種での雇用増を後押しするような教育投資の強化を始めとして、各世代の特徴に応じたサポートの提供が重要であろう。
(参考4:グローバル化と先進国の積極的労働市場政策)
Cardら127によると、積極的労働市場政策には学校やオンザジョブでの訓練、転職支援、民間や公的部門での雇用への支援(補助金拠出、公共投資等)などが含まれ、いずれも業種間、地域間など様々なレベルで労働市場の流動性を高める効果がある。積極的労働市場政策のうち、転職支援などは相対的に短期で大きな効果を持つこと、他方訓練や民間での雇用支援プログラムは中長期でより大きな効果を発揮すること、公的雇用の効果はほぼゼロであることなどが指摘されている。本文で述べたように、グローバル化の文脈でも、特に新しい技術に対応した訓練プログラムの受講など、受講者のスキルアップにつながるような教育投資の重要性が高まっていると考えられる。
グローバル化の影響で職を失った人などに対象を限定した就労支援や各種の保障プログラムの代表例がアメリカのTAAとEU諸国の欧州グローバル化調整基金(The European Globalisation Adjustment Fund, 以下EGF)である。前者のプログラムでは、適格要件を満たした労働者に対して、クラス形式の職業訓練やオンザジョブトレーニングの実施を始め、職探しの手当てや所得手当の支給が行われる。TAA参加者は、TAAに参加していない失業者と比べ訓練プログラム受講の証明書や資格を取得した割合が3割以上高いとの指摘がある128。また、16年度は訓練プログラムを受講し正式な証明書を受領した労働者の約80%が、プログラム受講前と異なる産業に転職したとの指摘があり、より労働需要がある業種へと多くの労働者が業種間移動した可能性が示唆されている。後者(EGF)は、グローバル化の過程で結果的に職を失った労働者に応急的な支援を行うことを目的としている。具体的には、労働者の再訓練と再雇用に向け、積極的労働市場プログラムの6割を出資、残り4割を加盟国政府が負担する。EGFによる訓練プログラムを受講した結果、平均で5割程度の労働者が再雇用されたとの評価がある。EGFに対する労働者の認知度が十分高くないことから、制度の効果をさらに高める余地があるとの指摘129もある。
(参考5:EITCについて)
EITCは所得額や子どもの数に応じて税額控除を増やす仕組みである(第1-3-42図)。谷、吉弘(2011)は、こうした制度が成立した背景として、アメリカのフリーランチに対する反感を文化的土壌とした最低生活所得への批判がベースにあると述べている。格差是正の面からはSimpson et al.(2010)が貧困率低下に言及しており、中でも母子家庭への影響が大きいとしている。なお、受給資格のない家庭にも支給される可能性を含め、行政面での問題点もいくつか指摘されていることには留意する必要がある。例えばLiebman(2000)は、EITCで実際に支払われた額のうち20%以上が本来受給資格のない家庭への支払いに充てられていたとし、これがEITCを必要以上に膨張させている可能性が高いとしている。一方、そうした不正受給の存在を認めつつも、その影響は極めて限定的であり、EITC縮小の根拠とはならないとした指摘もある(McCbbin(2000))。