第1章 物価安定下の世界経済 |
第3節 物価安定下の金融政策
本節では、主要国・地域(以下主要国)について、まず初めに最近の金融政策動向を概観した後、政策運営の特徴と最近の変化についてアメリカ、欧州中央銀行(ECB)、英国を中心に解説する。
1.主要国の金融政策動向
ITバブル崩壊後、世界経済の同時減速を受けて主要国では緩和的な金融政策がとられた。しかし、最近では、アメリカを中心とした景気拡大及び原油価格高騰等によるインフレ圧力を背景に、アメリカの金融政策は緩和的から中立的水準へと移行している。ECBも05年12月以降利上げに転じ、中立的水準への移行過程にある(第1-3-1図)。 各国の金融政策の市場への影響を実質長期金利(長期金利―消費者物価上昇率)でみると、04年初以降欧米では緩やかな低下基調にあるものの(第1-3-2(1)図)、変動の大きいエネルギー等の品目を除いたコア物価上昇率を用いて計算した実質長期金利(長期金利―コア消費者物価上昇率)でみると、この金融政策の動きを反映して、05年半ば以降欧米において上昇傾向が明確になってきている(第1-3-2(2)図)。
(1)アメリカにおける金融政策
(i) アメリカにおける最近の金融政策
●1%までの大幅な引下げとその後の引上げ
連邦準備制度理事会(FRB)は01年1月から年末までに緊急利下げを含む合計11回に及ぶ利下げを実施した。政策金利(FF金利)は6.5%から1.75%まで大幅に引き下げられ、コア消費者物価でみた実質長期金利も低下した(前掲第1-3-1図、第1-3-2(2)図)。その後地政学的リスクの高まりやデフレ懸念等によりさらに引き下げられ、03年6月には大恐慌時を含めた過去最低水準である1.00%に低下した。
03年後半から景気は回復傾向に向かったものの、物価上昇率が低いこと及び雇用等が軟調であることを理由に、金利は1.00%に据え置かれた。しかし、やがて雇用も回復をみせ始め、04年6月には利上げを開始した。
●金融緩和局面を終え中立的水準へ
05年には、エネルギー価格のさらなる上昇や、ハリケーンによる被害等の一時的な影響はあったものの、景気は堅調に拡大し、「金融緩和の慎重な取りやめ」と表現される利上げが0.25%ポイントずつ小刻みに継続して行われた。年後半にかけて緩和局面の終了時期や政策金利の中立的水準についての議論が市場で活発になる中、FF金利が4.25%に達した05年12月の連邦公開市場委員会(FOMC)において、「金融緩和の取りやめ」との表現が削除され、金融緩和局面は終了した。この間、コア消費者物価でみた実質長期金利(前掲第1-3-2(2)図)は、落ち着いた動きとなった。
しかし、その後も「ある程度のさらなる引締め」と表現される利上げは継続している。物価上昇率は、05〜06年初を通じ総じて安定的に推移しているものの、エネルギー価格、雇用等経済資源の利用率上昇等から、潜在的なインフレ圧力が高まっているとの判断がこの利上げの根拠として示されている。5月8日に開催されたFOMCにおいても0.25%ポイント引上げられ(連続16回の利上げ)、5.00%となった。ただし、6月末のFOMCでは、利上げ中断もあり得るとされている。
●グリーンスパン議長からバーナンキ議長へ
06年2月にはグリーンスパンFRB議長が18年半の任期を終了し、バーナンキ前大統領経済諮問委員会(CEA)委員長が後任となったが、同月に行われた議会証言で、「金融政策については、グリーンスパン議長の下で行われた政策と政策上の戦略を引き継いでいくことを最優先課題としたい」と発言するなど、当面は従来の金融政策運営を継続していくとみられる。
(ii) アメリカにおける金融政策運営−90年代半ば以降にみられる変化
●グリーンスパン時代の金融政策とテイラー・ルール
アメリカの金融政策は基本的に物価安定と完全雇用の二つを目的としているが、グリーンスパン時代の金融政策は、テイラー・ルールでよく説明できると言われている(1)。テイラー・ルールとは、政策金利の決定にあたり物価上昇率と景気(需給要因)の両方を考慮するという考え方である。
そこで、FF金利と物価上昇率、GDPギャップ(需給要因)の動きをみてみよう。GDPギャップについては推定誤差も存在するため、断定的な判断は回避すべきであるものの、今次政策金利の引上げ開始である04年6月は、物価が安定する中でGDPギャップがマイナスからプラスに転ずるタイミングとほぼ一致していることが分かる(第1-3-3(1)図)。
90年代後半以降についてみても、物価がおおむね安定する中で、政策金利がGDPギャップにある程度対応した動きになっている。これは物価安定を図りつつ景気の動向に応じて政策金利を決定したことを示唆し、テイラー・ルールとも整合的な動きといえる。
テイラー・ルール型政策反応関数によりアメリカの金融政策を検証しようとする文献は数多くあるが、例えば、Blinder and Reis (2005)は、テイラー・ルールはグリーンスパン時代のアメリカの金融政策を実証的によく説明するとする一方で、FOMCあるいはグリーンスパンによる政策決定を文字通りに示すものではないとしている。彼らは、推計結果の残差及び当時の経済状況を踏まえ、政策金利がテイラー・ルールから乖離する時期として、89〜92年の高金利からのソフトランディングを試みた時期、98年10〜12月期〜99年1〜3月期の金融危機、01年1〜3月期〜02年1〜3月期の超緩和局面の三つをエピソードとして挙げている。この分析によれば、彼らも主張するように、グリーンスパンによる政策運営は、テイラー・ルールに基づいたものであったとしても、ルールとして常に硬直的に採用していたものではなく、裁量的な余地があったことが示唆される。
●「予防的」引締め
94年2月には、93年後半以降の景気拡大に伴うインフレ圧力の高まりを未然に防ぐため金融引締めに転じ、FF金利は95年2月までに3.00%から6.00%まで引き上げられた。この時の対応は、足元でインフレ圧力の高まりを示す兆候がみられなくても、将来インフレ圧力が高まると考えられる場合に、従来に比べより早い段階で「予防的(preemptive)」に利上げを行い、インフレを未然に防ぐようにした対応と言われている(2)。
前掲第1-3-3(1)図をみると、94年1〜3月期時点でのGDPギャップは確かに若干のマイナスであり、足元の物価上昇率も落ち着いている中での引上げとなっている。その後、GDPギャップは94年4〜6月期にはマイナスから若干のプラスに転じ、物価上昇率もやや加速した。ただし、両指標ともに安定圏内の動きとなっており、予防的引締めが有効に機能したとも判断される。
その後、95年7月には、失業率が5.6%(95年6月)と当時の失業率水準に比べると相対的に低い水準にあり、物価も消費者物価上昇率が約3%であったにも関わらず利下げを開始したが、GDPギャップは95年1〜3月期には既にマイナスに転じており、足下及び先行きの経済減速に対応しての引下げと推測される(3)。
● 政府との関係にみられた変化−独立性の向上
中央銀行の独立性と物価安定には一般に相関があることが知られているが、クリントン前大統領は、グリーンスパン議長の判断を尊重し、FRBの独立性を支持したといわれている。
例えば、ルービン元財務長官によれば、「93年までは、大統領と財務長官がFRBの政策について度々口を挟み、圧力をかけようとしていたが、クリントン大統領(93年1月着任)は公の場でFRBの政策について発言しないという原則を常に守った。」とし、その理由として、(1)金融政策に関するFRBの決定は、可能な限り政治的圧力に左右されるべきではない、(2)FRBの独立性を明確に支持すれば、大統領への信頼、経済政策への信認、健全な金融市場への信認が増す、(3)FRB議長に政治的圧力を加えているという印象は、国際市場に悪影響を及ぼす、などを主張したとしている4。FRBの場合、以下でみる英国等とは異なり、法制度の改正等を伴わず実態として政治的圧力から独立していったといえよう。