第I部 海外経済の動向・政策分析 |
第2章 官から民へ
効率的な公共サービス供給を達成した結果として、官が事業を継続したか民に移管したかにかかわらず、人員の余剰が発生する可能性がある。より良い公共サービスを提供することこそが最終的な目的であるとの考え方からは、雇用の問題がボトルネックにならないようにすることも重要な課題であり、各国において各種制度が準備されている(第2-4-1表)。また、制度実施時における運用面での対応等、雇用の問題には相当程度の配慮がなされているといえる。
過度な対応は競争環境の喪失につながることから望ましくないが、制度の導入及び実施を円滑に進めるための配慮は、各国においても必要であると考えられている。
●英国
英国においては、政府部門、民間部門にかかわらず、事業移管に際しての雇用者の権利保護を定めたTUPE(Transfer of Undertakings
(Protection of Employment)
Regulations)が81年に施行され、改定が重ねられている。この制度は雇用者保護を目的とする77年のEC指令に基づき制定されたもので、企業や事業の全体または一部が新しい雇用主に移管される場合には、それまでの雇用条件が維持され、これを制限するいかなる協定や同意も無効とされる(移管を理由に不公正に解雇された場合、また、移管に伴い雇用契約を不当に変更された場合、従業員は契約を破棄し、雇用裁判所に申し立てる権利がある)ことを規定している。
日本政策投資銀行(2003)による聞き取り調査では、PFIで非医療業務を委託している病院において、通勤の困難性(当病院はそれまでの二つの病院を統合し、これまでと異なった地点に建設された)のため新病院で働くことを諦めた者もいるが、ほとんどの被雇用者は受託会社に移ったとのケースや、都市鉄道のPFIにおいて、仮に次のフランチャイズ契約を取れない場合には受託会社の交代により上層部の管理者は替わり、経営スタイルは変わるが、被雇用者はそのまま新受託会社に引き継がれるので、雇用の問題は少ないとのコメント等が紹介されている。
ただし、TUPEが適用されるための条件は必ずしも明確でなく、実際には、雇用への対応としては次のように様々な取組が行われているとされている(20)。
(a)他の職場への配置転換を行う。
(b)あらかじめ、当該公共サービス提供に従事している公務員の継続雇用や退職者への割り増し手当、再教育費用等の取扱を入札評価要素として落札者を決定する。
(c)退職を選択したり、他の民間企業などで仕事を探す職員に対し、経済的インセンティブと職業紹介サービスを提供する。民間部門で仕事を見つけ易くするため、職業紹介サービスを行ったり、早期退職奨励制度を実施することもある(政府は早期退職にかかわるコストの8割を補う特別基金を創設している)。
●アメリカ
アメリカでは、A−76の中で、職場を失う連邦政府職員について援助を行うことを規定しており、民間事業者は連邦政府職員に対して転職の打診義務を負うと同時に、職員は雇用にかかわる拒否権を有する、とされている。
民間事業者に採用されなかった職員及び拒否をした職員は、(a)省内、政府内で配置転換される、(b)早期退職の勧告を受けて退職する(この場合、上限25,000ドルが退職金に上乗せされて支給される)、(c)解雇の対象になる、のいずれかの処遇を受けることになる。解雇の対象となる場合には、一定期間、従前の省庁内における同様の職位に優先的に配属される権利が与えられるほか、CATP、ICTAP等各種の職業訓練等の支援を受けることも可能になっている。また、この期間中には離職手当や失業手当も支給される。さらに、解雇後1〜2年間、再雇用優先リストに掲載され、解雇以前に所属していた省庁に再雇用される機会を待つことも可能となっている。
また、2003年のA−76改定では、職員の雇用についての人材アドバイザーを各省庁に設置することも盛り込まれた。
こうした配慮もあり、国防総省の市場化テストに伴う95〜2004年初にかけての実績調査によれば、政府内異動や早期退職の比率が高いのに対し、非自発的失業は少ないとされている(第2-4-2表)。
●オーストラリア
オーストラリアにおいて官民競争や外部委託を実施する上での公務員の雇用に対する基本的な考え方は、アウトソーシングにより影響を受ける全ての職員を公平かつ平等に取り扱うということである。以下では具体的な処遇について、清算方式(Clean
Break approach)と調整方式(Phased approach)の2種類を紹介する(21)。
(1)清算方式(Clean Break approach)
この方式は、事業が民間企業に移管される場合、公務員が解雇されることを基本とする方式で、民間事業者が従業員として公務員を採用するかどうかは、民間事業者の管轄事項となる。したがって公務員の雇用の継続や雇用条件は基本的には保証されない。公務員年金制度や連邦年金制度に加入している職員が定年前に退職する場合は、特別の退職金を得ることができる。
(2)調整方式(Phased approach)
この方式は、事業に携わる公務員の一定割合が民間事業者の従業員となる方式で、この場合政府は、民間事業者と移管される公務員の雇用条件について交渉するとともに、移管対象者とも別途協議を行うことが求められている。民間事業者に移管された公務員については、雇用内容は継続的に保障され、移管された公務員の年金は、過去に積み立ててきた拠出分についてのみ公務員年金の受給資格が保障される。
再雇用されない職員は内部で配置転換されるか、退職する。退職時には対象職員には4〜48週相当分の退職金が加算支給される。
どちらの手法を用いるかについては、機関によって、またケースによって異なるが、清算方式は合意に時間やコストがかかりそうな場合や影響を受ける職員が再雇用を望んでいない場合に望ましく、一方、追加の退職金を受ける職員の数が多い場合やサービス提供に現在の職員の専門性が必要な場合には調整方式の方が望ましいとされている。実際には、かなりの割合の職員が民間側の事業者に再雇用されている(第2-4-3表)。
公共サービスの提供主体を官から民に移行する際に、民のどのような主体がサービス提供主体になるかという視点も必要である。民による公共サービス提供の歴史が長い英国では、企業の「公共サービス業」とも呼ぶべき部門(22)が存在し、これまでの経験等を踏まえて、より効率的で質の高いサービス提供に努めている。こうした企業の中には、Jarvis社、AMEC社といった建設会社系、WS
Atkins社といったコンサルティング系会社等、様々なバックグラウンドを持つ企業が多数存在するが、以下では最も代表的なSerco社の概要について紹介する。
なお、「公共サービス業」の基本は民間の効率的な経営能力であり、公共的なサービスを提供する特殊な公益性を条件とした、独占的な供給を行うというものではない。以下で紹介するような公共サービス業の優良企業が元公務員を職員として活用していたり、公共的なサービスの供給を重点的に提供している事例も多いが、その経営の基本は民間的な手法にあるという点が重要である。
●サーコ(Serco)社
サーコ社は、88年にRadio Corpolation of
America社から独立して発足した総合サービス企業である。事業内容は多岐にわたるが、(a)司法、教育、医療といった民政サービス、(b)国防関係、(c)研究機関の運営といった科学関係、(d)高速道路や空港施設の運営といった運輸関係等、政府及びそのエージェンシーによる公共サービスの受託が全体の9割以上を占めている(第2-4-4図)。英国を中心に世界各地で事業を展開し、売上高や利益、従業員数は増加を続けており(第2-4-5図)、2004年の売上高は16億3,680万ポンド、純利益は7,390万ポンド、従業員数は35,000人となっている。なお、英国においてはこれまでに15,000人以上の公共部門の職員がサーコ社に移っている。サーコ社のマネジャー(彼らの多くは元々公共部門に在籍していた)によると、公共部門で仕事をしていた時とサーコ社とでは業務の遂行に当たって大きな意識の変化があるわけではないが、業務の自由度が高いことから、より速い変化が可能であること、スタッフの緊密な管理、アウトカムに対する説明責任の要請についてこれまでと異なる点がある(23)としている。
サーコ社が行っている事業で有名なものの一つが、Wishaw総合病院の事例である。Wishaw総合病院の設計、建設、資金調達、運営に関するPFIは1998年に契約が締結されたが、その中でサーコ社は施設管理サービスを提供しており、パートナーシップは日々のサービス提供から戦略的計画にまで及んでいる。
他にも、例えば国立理化学研究所(NPL:National Physical Laboratory)は、一種の公設民営(GOCO:Government
Owned Contractor
Operated)が適用されており、施設は国が所有しているが、運営はサーコ社が行っている。NPLでは、ナノテクノロジー研究に、より新しい工業素材を開発したり、測定技術によりガンの放射線治療の正確性を高めるなど、英国産業の競争力を高めることに貢献している。
また、教育分野でも、英国では2つのLEA(24)(Local
Education Authority、地方教育委員会)の運営を行っており、GCSE(General Certification of Secondary
Education、政府の標準試験)での結果が改善されるなど成果を上げている。さらに、OFSTED(25)(Office
for Standards in
Education、教育水準局)と契約しており、年間300件の監査も行っている。これらの他にもサーコ社では全体で600以上の契約を抱えているが、そうした契約は大きく次の6種類に分類される。
(a)組織全体の管理、運営
(b)委託先がコアな事業に集中することができるようにするための、ITシステムや機器のメンテナンス等、単独の業務プロセスの管理
(c)特定の資産、施設の日々の運営、効率性の改善
(d)これまでの多様な運営実績を通じて得られた専門的知識に基づく、リエンジニアリングやチェンジマネジメント、事業の強化のためのコンサルティング
(e)組織または個人の能力を高めるための訓練プログラムの提供
(f)航空管制やネットワークの架設等、専門的、技術的サービスの提供
このように、サーコ社は、単なる労働力の提供にとどまらず、公共部門のエージェントとしての位置を獲得して成長を続けている(26)が、サーコ社の強みは、技能と経験の幅の広さを独自の管理システムと組み合わせることで、サービスを顧客のニーズに正確に合わせることができる柔軟性を得ているところにあると考えられる。サーコ社の管理システムは、実行したい事業のビジョン、そしてどのようにその事業を実行したいのかという過程の明確化を重要な要素として構築されている。また、業務のプロセスを改善することでコストを削減する能力を一層高めるため、サーコ・インスティテュート、ベストプラクティス・センターという組織を持ち、マネジメントスキルの蓄積、ベストプラクティスの共有を図るなどもしている。
コラム 企業の社会的責任(CSR)と社会的責任投資(SRI)
官と民の適切な役割分担に向けた議論が進むなか、官側には「本来的に官が行うべきものは何か」という問いかけがなされています。一方、民の側にも求められる役割に変化がみられます。ここでは、官から民へという流れからは少し離れ、現在の企業に対し求められている役割、責任といった観点から、企業の社会的責任及びこれに基づく投資手法である社会的責任投資についての最近の流れを説明します。 参考文献
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