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第2章 財政再建と経済成長、金融システム

第2節 財政政策運営の失敗事例

2.ロシア財政危機(98年)

(1)危機の背景

●市場主義経済への転換に伴う構造改革の遅れ
  ロシアは、80年代後半以降、原油価格の下落による歳入の減少や、社会主義経済の下で生産性の低い企業への補助金支出が増加したことにより、財政が悪化した。このため、財政改革は90年代初めからの市場主義経済への移行過程の主要課題となり、92年には、税制改革と緊縮財政策が実施された。しかし、生産の減少を背景に歳入が伸び悩む一方で、不採算企業の財務悪化に対して抜本的な構造改革を断行することができず、再度補助金を支出せざるを得なかったことなどから、歳出が増加した。このため、90年代後半になっても財政赤字の改善は進まなかった(第2-2-5表)。

●開放経済のトリレンマ(三律背反)と低水準の外貨準備(5)
  ロシアの金融政策をみると、90年代半ばにかけて市場主義経済への移行に伴う混乱と財政赤字の拡大を背景に急激なインフレが発生したことから、政策金利を高めに設定する緊縮的な金融政策が実施された(前掲第2-2-5表第2-2-6図)。一方、為替制度では、95年にルーブルの減価を抑制するために、目標相場制(コリドール(コリドー)(6))が実施された。他方、96年の大統領選挙後、資本取引が自由化されたことなどを背景に資金流入が加速し、97年にかけて株式市場は高騰した。しかし、ロシアの経常収支黒字や外貨準備高をみると、90年代半ばを境に減少傾向にあった(前掲第2-2-5表)。このため、急激な資金の流出が発生した場合には、開放経済のトリレンマ(7)の関係から為替レートの安定(ないしは固定)を図ることができず、経済の脆弱性が増加するおそれがあった。

●財政と商業銀行の脆弱性(海外短期資金によるファイナンス構造)
  ロシアの財政赤字は、その大部分が海外短期資金によって調達されていた。96年の国債取引の自由化以降、為替市場がコリドールによって安定化していたことを背景に、高金利であるロシアの国債には大量の海外資金が流入した。96年以降、歳入に対する短期国債の発行残高は急速に増加したが、短期国債の30%は海外資金に依存していた(第2-2-7図)。また、残りの70%を保有する国内金融機関は、97年末には資金調達に占める外貨建て債務の割合が20%弱まで増加するなど、海外資金に拠っていた。このため、実質的には短期国債の大部分が海外資金に依存しており(8)、金利の上昇や海外資金の流出及び為替の減価に対して、財政は脆弱な構造となっていた。
  一方、90年代初頭の市場主義経済への移行以降、ロシア国内では商業銀行の設立が相次いだ。しかし、高金利によるクラウディング・アウト等により借入れ需要が低迷していたこともあり、商業銀行は国債への投資で収益の獲得を図った。このため、商業銀行の資産に占める国債等は、96年末には30%超に増加した。また、資金調達面では、為替レートがコリドールにより安定化されており、為替リスクが小さかったことから、低金利の外貨建てでの調達が増加し、97年末には資金調達に占める外貨建て債務の割合は20%弱なった。このため、海外資金の流出及び為替の減価に対して、金融システムも脆弱な構造となっていた。

(2)危機発生の経緯

●財政収支の悪化と信頼に欠ける財政再建策
  96年7月以降、ロシアはIMFの勧告(9)もあり、全ての輸出関税を廃止したため、エネルギー輸出から得られる税収等が大幅に減少(10)し、財政赤字は拡大した。さらに、97年に入り原油価格が下落に転じたことで、エネルギー産業の収益悪化に伴う税収の減少等による財政赤字の更なる拡大が懸念された。
  これに対し、97年初頭に財務省は、2000年までの基礎的財政収支の黒字化を目標とした中期財政再建計画を発表した。しかし、この中期財政再建計画は、マクロ経済見通しでは低金利の継続を想定し、国際収支においては資金流入の継続を想定するなど、前提条件が楽観的な見通しに基づいていたこともあり、その後の急速な経済環境の変化によって頓挫した。

●マクロ・ショックの発生(アジア通貨危機)とデフォルト
  97年7月にアジア通貨危機が発生し、世界的な投資家心理の冷え込みとともにリスク回避姿勢が鮮明となった。また、ロシア経済は、通貨危機が発生したアジア諸国と同様(11)に、海外短期資金への依存度が高いにもかかわらず、外貨準備が低水準であったことから、経済の脆弱性が懸念されることとなった。加えて、98年前半には、チェルノムイルジン首相の解任とキリエンコ首相の就任に関して、政府と議会の混乱が発生した。さらに、原油価格が下落を続けたことを背景に、エネルギー産業の収益悪化等により税収が減少したことから、資金流出の進行とルーブルの減価圧力が強まった。
  これに対し、政府当局は、為替市場においてルーブル買い介入を続行する一方で、政策金利を大幅に引き上げ、資金流出とルーブル減価圧力の低下を図った(前掲第2-2-6図)。しかし、政策金利の引上げは、かえって短期国債金利の大幅上昇につながり、利払い費が連邦支出の30%弱から40%前後に上昇するなど、財政の持続可能性への懸念が高まる結果となった(第2-2-8図)。また、外貨準備高は減少傾向となり、ルーブル買い介入の継続も厳しい状況となった。
  一方、金融面では、ルーブルの一層の減価懸念が、短期の外貨建て債務の増加を通じた商業銀行の資金繰りの悪化に対する懸念につながった。さらに、97年以降の株式市場の下落に伴う損失に加え、財政の持続可能性に対する懸念が強まったことにより、保有している国債からの損失発生も懸念され、商業銀行に対する信頼は著しく低下した。
  財政と金融の両面で持続可能性に対する懸念が強まった状況のもと、98年8月17日、政府当局は、新たな為替レートの変動範囲を発表し、事実上ルーブルを切り下げた。さらに、債務の再編まで、99年以前に満期を迎える短期国債(額面で3,870億ルーブル)等の支払停止等の措置を発表し、デフォルト状態に陥った。支払いが停止されたこれらの短期国債の債務再編にかかる政府と債権者との交渉は、99年3月までにほぼまとまり、現金による償還と新たな短期国債への転換が図られることとなった。

(3)危機発生後の影響

●財政再建への取組
  危機後の財政政策をみると、財政再建への取組として、98年以降税制改革が順次実施された。
  歳入面をみると、輸出業者に対しては、99年に輸出関税を再度導入した。エネルギー産業の生産拡大と輸出の増加もあり、輸出関税収入は大幅に増加し、財政再建を強く後押しした。他方、税収の約40%を占める付加価値税に関しては、99年に税率を20%から15%に引き下げる一方で、徴税率の改善を図った。
  歳出面をみると、短期国債の債務再編により、対内債務残高のGDP比は、98年末の28%から99年半ばには同18.4%に縮小し、対内債務負担は減少した。一方、対外債務残高のGDP比は、ルーブルが減価した影響から、97年末の30%から98年末には同113%に大幅に拡大した。このため、ロシア政府は、ロシア発足以前の対外債務と以後の対外債務を分離し、ロシア発足以前の債務返済を停止するなどの対外債務の再編を行った。この結果、危機後の物価の高騰の影響を除いた実質値でみると、99年の歳入が前年比9%減であるのに対し、歳出は同36%減となった。また、不採算企業に対する補助金の削減や、年金制度の確立等社会保障制度改革も実施された。

●金融システムへの影響
  国内の金融システムへの影響をみると、商業銀行は、財政危機による短期国債市場の混乱により、国債への投資を積極的に展開していた銀行を中心に、多額の損失を計上することとなった。ロシア中央銀行によると、危機前の98年8月初頭に1,020億ルーブルあった銀行の自己資本は、99年5月には464億ルーブルに減少し、物価の高騰も勘案すると、実質的には資本の80%が失われた。また、ルーブルの更なる減価に伴い、外貨建て負債の負担が増加するとともに、資金繰りが悪化したこともあり、商業銀行は破たんが相次いだ。これを受けて、商業銀行に対する国民の信頼は大きく低下し、98年後半には個人預金は実質的に国有の貯蓄銀行(ズベルバンク)に移動した。商業銀行を中心に金融システムは混乱したものの、企業の商業銀行からの借入れ額が大規模でなかったことや、消費者の借入れが少なかったこともあり、金融システムの混乱が企業の資金調達や消費に与えた影響は限定的であった。

●実体経済への影響
  実体経済への影響をみると、短期的には、(1)ルーブルの減価による輸入品の投入コストの増加、(2)期待インフレ率の上昇による企業の生産計画策定の難航、(3)銀行決済システムの機能不全等により、生産活動は落ち込み、失業率も98年末にかけて上昇するなど雇用環境も悪化した(第2-2-9図)。しかし、ルーブルの減価は、自動車産業や軽工業等の国内の輸入代替産業の活性化につながったことに加え、原油を中心としたロシアの輸出産業の競争力を向上させた。さらに、99年以降、下落傾向にあった原油価格が上昇に転じたこともあり、エネルギー産業を中心に生産活動は更に増加した結果、ロシア経済は急速に持ち直したため、財政危機の実体経済への影響は一時的なものにとどまった。

(4)危機の教訓

  以上でみたように、90年代に社会主義経済から市場主義経済に転換したロシアは、社会主義経済の下での生産性の低い企業に対する抜本的な改革を、財政による補助金の投入で先送りし、慢性的な財政赤字と硬直的な財政運営に依存していたこと、及びこのような経済の脆弱性が、アジア通貨危機により顕在化したことにより、財政危機に陥った。慢性的な財政赤字や硬直的な財政運営を解消するための構造改革の遅れは、財政の持続可能性を低下させ経済の脆弱性につながるため、危機への抵抗力が弱まることとなる。
  また、財政再建計画の策定については、前提条件が楽観的な見通しに基づいている場合には、アジア通貨危機等のマクロ・ショックによって発生する急速な経済環境の変化によって瞬時に有効性を失うこととなる。このため、財政再建計画の前提条件は、慎重な見通しに基づいて設定するとともに、リスクシナリオを考慮に入れ、仮に経済環境に大きな変化があった場合にも適応できる対処方針をあらかじめ定めておくことで、計画に対する信頼性を常に高めておくことも重要となる。


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