第3章 (1)構造変化への対応例

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本節では、産業構造の変化に適応してきた具体例を紹介しつつ、今後の示唆を探る。

1.製造業から非製造業への転換

1章でもみたように、我が国は他の先進国と同様に、長期的には第1次・第2次産業から第3次産業への移行、すなわち経済のサービス化が進んでいる。こうした中、地域経済をみるに当たっては、製造業が相対的に縮小する地域であっても、第3次産業にうまく移行していくことが重要であり、本項ではそうした観点から2つの地域を取り上げたい。

(工場跡地を利用して大型のショッピングモールを立ち上げ、商流を生み出す)

1章でみた集積タイプのうち、前章で多かった企業城下町型の集積は、中心となる大企業による業績悪化等によって、地域経済にも影響を与える19。前章3節では、具体例として、大阪府の民生用電気機械器具を取り上げたが、それに対して、大阪府の工場撤退地域では様々な転換が進んでいる。

まず、2001年に大手家電メーカーの工場が撤退した大阪府守口市では、2006年、当該工場跡地に、地下鉄・モノレールの駅直結の大型ショッピングモールが誕生した。そうしたこともあり、守口市の小売業は2002年から2007年にかけて、従業員数、売上高ともに大阪府内でのシェアが上昇した。その後、リーマンショックや人口減少によりややシェアが落ちているものの、2010年代以降、インバウンド消費が大きく伸びる中、比較的インバウンド観光客の少ない守口市20としては、売上シェアの落ち込みが小さく、一定の効果があったと考えられる(図表3-1)。

(長期的には、製造業に限らない多様な主体による、持続的な発展が求められる)

続いて、大阪府を含む広域での状況をみると、2005年から2010年にかけて、西は兵庫県姫路市から、南は大阪府堺市に至る大阪湾岸地域において、大型パネル工場の建設やそれに伴う中小企業の集積が進んでいた。「大阪湾パネルベイ」とも称され、製造業の再起とも目されたが、2010年前後の超円高期や新興国の生産増による国際的な価格下落に伴い、生産設備の操業停止や売却等がみられるようになり21、大阪府では、2009年に設立された堺市の液晶パネル工場が2024年9月に生産停止した。大阪府の工場立地も、2005年から2009年と比べ、それ以降は低調に推移している(図表3-2)。

そこで、大阪府、大阪市、堺市が中心となり、2019年に大阪広域ベイエリアまちづくり推進本部が設置され、2021年8月、「大阪広域ベイエリアまちづくりビジョン」が取りまとめられた。ビジョンでは、2025年7月現在開催されている大阪・関西万博や、2030年の開業を目指している特定複合観光施設等を見据え、2050年までの取組の方向性について示している。中身としては、既に建設・計画されている関連インフラを活かし、製造業だけでなく、観光や農水産業、物流など、多様な主体が一体となった大阪全体のまちづくりを目指している。持続的な地域経済の発展に向け、大阪・関西万博が終了した後も引き続き当該ビジョンに基づいて具体的な施策が行われていくことに期待したい。

(家電工場の閉鎖に対し、スポーツツーリズム等により活性化)

都心部である大阪府以外の例として、栃木県矢板市における産業転換の例もみていきたい。

矢板市には、長年にわたって大手家電メーカーのテレビの製造拠点があり、地域経済にも大きく貢献してきたが、2018年12月、当該企業のテレビ事業撤退に伴い、矢板市の工場生産も終了した。そうした背景もあり、同企業に大きく依存していた矢板市の2018年度の市内総生産額は、前年度に引き続き、大きく減少した22。一方で、その後は反動もあり、栃木県全体の成長率と同程度以上を記録している(図表3-3)。

矢板市は、2015年度より地方創生の施策として、スポーツツーリズムに力を入れており、2019年オープンのサッカー施設を始め、スポーツイベントや合宿等の誘致に取り組んできた。その結果、スポーツ交流人口は大きく増加し、一定の合宿誘致には成功したものの、施設不足による需要のとりこぼし、宿泊者の消費単価の伸び悩みなど、引き続き残る課題が指摘されている。現在、スポーツ交流人口の更なる増加やスポーツツーリズムにおける単価向上に向けた地域再生計画、観光振興計画の推進に取り組んでいる。

なお、上記工場跡地について、大手製材メーカーが2023年10月に土地を取得し、製材工場、木質バイオマス発電や太陽光発電の拠点として整備され、2025年4月より工場の試運転が始まっている。こちらも、新たな地域経済の中心となっていくことを期待したい。

コラム1:地方における情報通信産業の進展-徳島県名西郡神山町の例-

本文では、製造業から非製造業への転換例として、大阪府及びその周辺エリア、栃木県矢板市を取り上げてみてきた。製造業からの転換ではないものの、近年、ITベンチャー企業進出が続いている、徳島県名西郡神山町の例も取り上げたい。

神山町は、山間地に位置しており、2011年の地上デジタル放送移行を前に、2005年9月に光ファイバーが町内全域に敷設されることとなった。そうしたインフラ整備も背景に、2010年10月に、ITベンチャー企業が同町でサテライトオフィスを設立したことを始め、IT関連企業を中心に、サテライトオフィスの進出が相次いだ。さらに、2013年にはITスタートアップのためのインキュベーション施設、2015年にはサテライトオフィスやテレワークに関心のある企業向けの滞在施設が開設されるなど、こうした動きを更に加速させる取組が行われてきた。

周辺には、ビストロや弁当屋など、進出企業の顧客を見込んだ新規のサービス産業も生まれ、2011年には、神山町が誕生した1955年以来初めて社会動態人口が増加に転じた。その後、再び人口流出となるも、2020年にプラスとなって以降、流出入は均衡するかむしろ流入している(コラム1図表1)。2019年に進出企業社長らが町内で私立高等専門学校の開学を目指す計画を発表し、2023年4月に全寮制の高等専門学校が開学、起業家精神を持つテック人材の育成に取り組んでおり、こうした影響もあると考えられる。

2.製造業内の構造転換

製造業内の転換として、ある製造品が衰退しても、それまで培ってきた技術等を活かして、他の製造業に進出する例もある。本項では、そうした例をみていきたい。

(燕・三条では、金属加工技術を活かし、洋食器から他の家庭用品に多角化)

新潟県の燕市・三条市を中心とする地区では、1章でも触れたように、江戸時代の和くぎの製造に始まり、戦前より金属洋食器が盛んであり、伝統的な地場産業として有名である23。戦後にはその金属加工技術を活かし、金属ハウスウェア(金属プレス製品の一部)にも乗り出し、多角化、複合化が進んだ。一方で、1985年のプラザ合意以降は米国向け輸出がメインであった洋食器は大きく落ち込み、金属ハウスウェアも1990年代以降、減少に転じた(図表3-4)。

そのような状況下で、同地では加工技術を活かして複合金属加工、特に家庭用品や日用品にも進出、燕市や三条市に本社、工場を置くアウトドアメーカーも複数存在している。工業統計調査によれば、洋食器等の製造品出荷額の減少全体を補うほどではないものの、利器工匠具(包丁など)は緩やかに増加傾向にある他、金属プレス製品も足下では増加している。また、従業者数でみると、洋食器は出荷額同様大きく落ちているものの、金属プレス製品は出荷額ほど落ち込んでおらず、また利器工匠具は出荷額同様、緩やかに増加傾向にある(図表3-5)。

1章の分類ではマーシャル型とされる地場産業型では、中小企業が製造工程を分担していることが多く、持続的な地域経済のためにも、地場の中小企業がこうした技術を活かした多角化の工夫と、それを後押しする協力体制が重要である。


19 内閣府政策統括官(2024)では、三重県の例を取り上げている。
20 大阪府が令和元年度に行った委託調査「大阪府観光政策立案に係る調査・研究業務」によれば、携帯電話基地局データ(2018年)を用いて訪日外国人の入込状況を調べたところ、昼間時間帯(10~18時)は大阪市が年間3100万人超となっているところ、守口市は7.8万人と、府内の市町村で12位(43市町村中)であった。
21 内閣府政策統括官(2012)より。
22 なお、従業者数についても、矢板市の統計をみると、2018年6月1日時点の工業の従業者数が2,967人だったのに対し、翌2019年6月1日時点で2,203人と、25%以上の減少となっている。
23 以下、燕市の記載は、特段の注記がない限り内閣府政策統括官(2003)及び姜(2023)に基づく。
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