平成11年度年次世界経済報告(要約)

目次

はじめに

  1. 第1章 世界経済の現況
    1. 第1節 緩やかながら回復に向かう世界経済
    2. 第2節 戦後最長をうかがうアメリカの景気拡大

      アメリカ:不透明感もみられるものの、景気の拡大は続く

      中南米:ブラジルの通貨危機を端緒に景気後退局面へ

    3. 第3節 ユーロ誕生を迎えたヨーロッパ経済
    4. 第4節 総じて回復の動きがみられるアジア・大洋州

      中国:景気が減速し、デフレ傾向に直面

    5. 第5節 国際金融・商品市場動向
    6. 第6節 国際通貨・金融システムの強化
  2. 第2章 アメリカ経済の長期拡大の要因と課題
    1. 第1節 90年代の景気拡大の特徴
    2. 第2節 90年代の安定した景気拡大の要因
    3. 第3節 アメリカ経済における生産性の向上
    4. 第4節 アメリカ経済のアキレス腱
  3. 第3章 物価安定下の世界経済
    1. 第1節 世界的な物価安定の現状
    2. 第2節 世界的なディスインフレの要因
    3. 第3節 物価安定下の経済の特徴
    4. 第4節 物価安定下の金融政策
    5. おわりに

むすび

はじめに

 アジア通貨・金融危機から2年が経過し、世界経済は総じて緩やかながら回復に向かっている。アメリカ経済は、株高等がもたらす先行き不透明感は払拭されていないものの、国際金融市場の混乱をも乗り越え、その景気拡大のペースは大方の予想を上回っている。ヨーロッパでは、99年1月、EU11か国において単一通貨「ユーロ」が導入され、アメリカに比肩する一大通貨圏が誕生した。西ヨーロッパ経済は、99年春以降、改善の動きが強まっている。東アジア経済にも回復の動きが広がってきている。

 翻って90年代の世界経済をみると、改めてアメリカ経済の好調さに着目せざるを得ない。アメリカ経済は、91年3月に景気回復を始め、99年10月に至るまで8年7か月もの長期にわたる安定的な景気拡大を続けている。これまでも、アメリカ経済の長期拡大の要因は何か、生産性は高まっているのか、さらにアメリカ経済に懸念材料はないのかといった問題に関して種々の議論がなされてきた。90年代最後の年にあたり、こうした議論を整理することは、今後の世界経済を展望する上でも有益であろう。

 90年代の世界経済において、国・地域を越えて共通してみられた現象は、物価の安定であった。ほとんどの先進諸国で70年代には二桁に達した物価上昇率は、今日では数パーセントまで低下している。先進国以上に高い物価上昇率に悩まされた途上国や市場経済移行国でも、近年総じて物価上昇率は大幅に低下している。こうしたなかで、世界経済の様相は80年代あるいはそれ以前と比べ大きく変わってきており、またマクロ経済政策の課題も変化してきている。

 本年度の世界経済白書では、このような問題意識に沿って、諸外国の事例の紹介と分析を行っている。第1章で世界経済情勢の年間レビューを行い、地域ごとに主要なトピックをとり上げる。第2章では、アメリカ経済の長期拡大の要因と課題について分析する。第3章では、物価安定下における世界経済の特徴やマクロ経済の課題などについて検討する。

 実質為替レートに対する、対外純資産の感応度は低下する一方、実質金利差の感応度は上昇

第1章 世界経済の現況

<第1章のポイント>

[世界経済の概観]

 98年の世界経済は、アジア通貨・金融危機の影響等により、成長率が鈍化した。99年の世界経済は、アメリカ経済が順調に景気拡大を続け、ヨーロッパ経済は景気の減速が一時的なものに収まり、アジア経済も回復することから、緩やかながら回復に向かうと見込まれている。

[南北アメリカ]

 アメリカ経済は、99年4月で景気拡大が9年目に入った。株高等の先行き不透明感は払拭されていないものの、アメリカ経済は98年の国際金融市場の混乱をも乗り越え、その景気拡大のペースは大方の予想を上回っている。

 中南米では、ブラジルの通貨危機を端緒に景気は後退局面にあるものの、後退の程度は年初の予想よりも軽度にとどまっている。

[ヨーロッパ]

 西ヨーロッパでは、各国通貨の増価やアジア危機等による外需の減少から、98年後半から景気は緩やかに減速したものの、99年春以降、アジア経済の回復等により外需が増加に転じたことなどから改善の動きが強まっている。EU11か国では、99年1月、単一通貨「ユーロ」が導入され、アメリカに比肩する一大通貨圏が誕生した。

 ロシアでは、景気は底入れしたとみられる。

[アジア]

 通貨・金融危機の発生から2年以上が経過し、東アジア経済に回復の動きが広がってきている。その要因として、金融・財政両面からの景気浮揚策の効果や為替レートの大幅な減価等による外需の増加等が挙げられる。

 中国では、国有企業改革の進展に伴う雇用不安などから消費の伸びが鈍化し、景気が減速傾向にあり、物価の下落が続いている。

第1節 緩やかながら回復に向かう世界経済

 1997年のアジア通貨・金融危機は、世界的な需要の低迷、貿易の伸びの鈍化、一次産品価格の低下等を通じて、世界経済全体にも大きな影響を及ぼし、98年の世界全体の実質GDP成長率は2.5%と鈍化した。アメリカでは順調な景気拡大が続いたが、西ヨーロッパでは年後半に緩やかな景気の減速がみられ、日本では景気の低迷が続いた。通貨・金融危機の影響から、東アジアの多くの国やロシアでマイナス成長となったほか、中南米でも成長率が大幅に鈍化した。

 99年の世界経済は、IMFの見通しによると、アメリカは順調な景気拡大が続き、西ヨーロッパでは年前半の景気拡大テンポの鈍化から成長率がやや低下する。日本がプラス成長に転ずることから、先進国全体の成長率はやや高まることが見込まれている。途上国については、中国では景気の減速が続くものの、アジア全体では回復する。一方、中南米では総じて景気が後退する。99年の世界全体の実質GDP成長率は3.0%と98年に比べやや高まることが見込まれている。

 世界貿易量の増加率は、97年に9.9%と高い伸びを示した後、98年には3.6%と大幅に伸びが鈍化した。99年については、アジアでは輸入の回復が見込まれるものの、市場経済移行国では輸入の減少が見込まれるなど、世界全体としては3.7%と98年と同程度の伸びとなることが見込まれている(第1-1-1表)。

第2節 戦後最長をうかがうアメリカの景気拡大

1 アメリカ:不透明感もみられるものの、景気の拡大は続く

 アメリカ経済は99年4月に9年目の景気拡大局面に入り、その後も、先行きには不透明感もみられるものの、順調に拡大を続けている。この一年間を総括して特筆すべきことは、①98年秋の国際金融市場の混乱を乗り越えて成長を続けたこと、②大方の予想を上回る高成長を続けていること、③インフレ懸念が改めて高まってきていること、④株高等がもたらす先行き不透明感が払拭されていないことである。

(1)実体経済への影響は軽微だった国際金融市場の混乱

 98年秋の国際金融市場の混乱が、アメリカ経済に与えた影響は、次のように整理できる。①投資家がリスク回避傾向を強めたため、低位格付けの社債発行の低迷など、金融市場への影響が比較的長期に及んだ。②しかし、政策金利の引下げ等の迅速な政策対応や、企業の資金調達方法の柔軟なシフト、堅調な所得環境などを背景として、実体経済にはほとんど影響がなく、高成長を続けた(第1-2-4図)。③むしろ、金融緩和により実体面や株式市場におけるインバランスが高まったきらいがある。

(2)予想を上回った景気拡大

 98年後半以降の景気拡大のペースは大方の予想を越えたものだった。議会予算局(CBO:Congressional Budget Office)やブルーチップによれば、98年後半の成長率は前期比年率2%程度ないし2%台前半の予測であった。しかし、実際の成長率は、7~9月期が同3.7%(旧基準ベース、新基準では同3.8%)、10~12月期が同5.6%(同5.9%)であり、高成長は99年に入ってからも続いている。この背景には、低金利が続いていること、株価の上昇が続いていること、インフレの兆候が明確には見られないことがある。

(3)インフレ懸念の再燃

 ここ数年来のアメリカ経済の高成長は、潜在成長力を大きく上回っている可能性が高い。これまでのところ、インフレの明確な兆候は見られないが、潜在的なインフレ圧力は、景気過熱に伴う更なる労働需給の逼迫に加え、石油価格の反騰や海外経済状況の好転などにより、高まっていると考えられる(第1-2-9図)。現在のアメリカでは、それが、金融引締めなどを通じて景気のハード・ランディングにつながる可能性は否定できない。

(4)依然として残る不透明感

 景気過熱などに伴うインフレ懸念に加えて、アメリカ経済は、割高感の指摘される株価、低下が続く家計貯蓄率、経常収支赤字の拡大など、いくつかのリスクを抱えている。(より詳細については第2章第4節を参照)。

2 中南米:ブラジルの通貨危機を端緒に景気後退局面へ

 ブラジルでは98年央以降景気は後退している。99年1月、ブラジル中央銀行は為替政策の変更を発表し、変動幅の拡大により事実上の変動相場制へ移行した。これを受け、ブラジル政府とIMFは99年3月に新たな経済安定化政策について協議を行い、その中でIMFはブラジル向け追加融資を承認した。通貨切下げ後の景気は、当初の予想よりも軽度の景気後退にとどまっている。また、物価は引き続き落ち着いた動きを示している。

 アルゼンチンでは、98年のロシア金融危機、ブラジルの通貨不安、一次産品の国際市況の低迷等から景気は減速し、前年同期比でみた実質GDP成長率は98年10~12月期以降マイナスに転じ、景気は後退している。今後も景気動向は、一次産品市況、周辺国、特にブラジルの景気動向といった外部環境と国際金融市場からの信任に依存した厳しい状況が続く可能性が高い。

 メキシコでは、97年に景気は急速に回復した後、98年以降は民間消費等の伸びの鈍化及び緊縮財政による政府消費の減少から、景気の拡大テンポは鈍化してきている。物価上昇率は、水準は高いものの安定的に推移している(第1-2-1516図)。

第3節 ユーロ誕生を迎えたヨーロッパ経済

 1999年1月1日、EU加盟国のうち11か国において単一通貨「ユーロ」が誕生し、90年7月に取組の始まった経済通貨統合(EMU)が最終段階に入った。99年1月から通貨統合に参加した11か国(ユーロ圏)の経済規模をみると、人口が約2.9億人(97年)、名目GDP規模が約6.5兆ドル(98年)であり、日本(約1.3億人、約3.7兆ドル)を上回り、アメリカ(約2.7億人、約8.5兆ドル)と比肩する一大通貨圏が誕生した。99年1月からは、現金を伴わない支払いについては各国の通貨とユーロのいずれでも使用可能となっており、2002年1月以降はユーロの紙幣とコインが実際に流通し始める。

(ユーロ圏経済の動向)

 ユーロ圏経済は、個人消費及び固定投資の拡大をけん引役として、98年前半まで景気拡大を続けた。しかし98年後半以降、各国通貨の大幅な増価や、アジア通貨危機がロシアへ波及したことなどにより、外需が大幅に減少し、景気拡大が鈍化した。しかし、99年1月の発足後、ユーロが総じて減価したことや、アジアの景気の回復、ラテンアメリカ及びロシアにおける金融危機の収拾により外需が回復し、個人消費及び固定投資の好調が続いたことから、景気の減速は一時的なもので収まり、99年春頃から改善の動きが強まっている(実質GDP成長率は、98年前年比2.7%、99年1~3月期前期比年率1.7%、4~6月期同2.0%:第1-3-2図)。

(ユーロ導入後の課題と取組)

 ユーロは、対ドルレートでみると、99年1月に導入されて以降、半年間で16%程度減価した(第1-3-4図)。こうした減価の要因として、98年末におけるユーロ圏通貨高の反動やアメリカとの景況格差、コソボ紛争の長期化などが挙げられる。ユーロの短期的な強弱は、ユーロ圏とその他地域との景況格差等に左右されるが、より中長期的な動向は、雇用や財政など、ユーロ圏の構造的な問題に対する取組に大きく依存する。

 EUにおける雇用への取組は、97年のルクセンブルク臨時首脳会議から本格化し、99年6月には、ケルン首脳会議において、欧州の経済成長と雇用を強化するために、雇用関係者の意見交換を充実させ、信頼を醸成することを目的として「欧州雇用協定」が採択された。また、99年3月には「アジェンダ2000」が採択され、EU全体の経済的な基盤の安定のための結束基金等の補助金の枠組みを見直すなど、EUでの財政構造改革に関する広範な合意がなされた。

 92年から始まった欧州単一市場の形成やユーロ誕生後のユーロと域内通貨との二重価格表示は、EU域内の価格比較を容易にし、域内の財の価格差は縮小に向かうものと予想されるが、EU域内では依然として価格差が存在する。域内の価格差を生む大きな要因として、税制や規制といった制度的なハーモナイゼーションの未整備が指摘できる。ユーロの導入は、ユーロという共通通貨による価格表示が行われることで域内各国において価格の比較が容易になることから、取引相手や消費者からの価格の下方修正圧力を生み、価格差を縮小させることに寄与するであろう。

 これまで、法人税などの直接税や社会保障賦課金などについては、EU構成各国の主権事項として、EU内で議論されることは少なかった。しかし、ユーロ誕生を控えた97年12月、税率の引下げ競争などの「有害な税競争」に対処するため、EU15蔵相/経済相会議において、企業課税等に関して検討グループを設置して議論を進めていくこと等、直接税に関して初めての合意を得た。99年6月のケルン欧州首脳会議においても、議長声明において、企業課税、利子課税への源泉課税等のほか、エネルギー課税に関する検討の必要性に言及するなど、税制に関する条項が盛り込まれ、現在検討が進んでいる。

(EU主要国の経済動向)

 ドイツでは、99年前半には景気は一時的に減速したものの、後半に入り生産面を中心に緩やかに改善してきている。98年10月に誕生したシュレーダー政権は、雇用問題と税制改革を重要課題として掲げている。6月には、歳出削減を内容とする「ドイツの再生」計画を策定した。同計画を含め、社会保障費の削減を中心とした財政再建案は重要な争点となっている。

 フランスは、内需の拡大により98年には90年代最高となる実質GDP成長率3.2%を記録し、99年に入ってからも景気は緩やかな拡大を続けている。物価の安定に加え、賃金の上昇、雇用者数の増加により消費者信頼感が改善していることが、個人消費の増加につながっている。雇用対策はフランス政府の重点分野となっており、労働時間の短縮による雇用の創出・確保のため、2000年1月から週35時間労働制に移行することとしている(第1-3-12図)。

 イギリスでは、98年後半に景気は一時減速したものの、99年4~6月期には、個人消費やサービス業を中心とした設備投資の増加、輸出の回復などにより改善してきている。政府は、欧州通貨統合第3段階への99年1月からの参加を見送った。その最大の理由は、世論の反対であるが、99年2月にはブレア首相が「参加移行計画」を発表、2002年までに行われる総選挙後にも通貨統合に参加したいとの意向を示した。イギリスが今後通貨統合に参加するためには、世論の合意という政治的条件と、ユーロ圏経済との収斂状況等の「5つの経済テスト」という経済的条件を満たすことが不可欠である。

(中・東ヨーロッパ諸国の経済動向)

 中・東ヨーロッパでは、計画経済から市場経済へと体制移行が進んでいるが、移行プロセス等の違いによって各国間の経済状況の差が顕著になってきている(第1-3-20図)。

 ポーランドでは、EU諸国の需要低迷やロシア金融危機の影響を受け、実質GDP成長率は97年の6.8%から98年には4.8%と、景気拡大のテンポは鈍化している。

 ハンガリーでは、95年以降の緊縮政策により落ち込んでいた内需がその反動で拡大したことや、外国からの直接投資が好調なことが景気を下支えし、98年の実質GDP成長率は前年の4.6%から5.1%となった。

 チェッコでは、緊縮政策による内需の落ち込み、企業リストラの遅れに起因する工業生産の不振等から景気は後退し、実質GDP成長率は、97年0.3%の後、98年には▲2.3%と大幅なマイナス成長となった。

 ユーロの誕生によってEUの統合が深化するなかで、中東欧諸国にとってEUとのかかわりはますます重要となっている。ポーランド、ハンガリー、チェッコは、現在EU準加盟国であるが、98年3月より三か国について正式な加盟交渉が開始されている。

(ロシアの経済動向)

 ロシアでは、金融危機に見舞われ、実質GDP成長率は98年▲4.6%とマイナス成長を記録した(第1-3-22図)。しかし、為替の大幅減価に伴い、国内産業の価格競争力が強まったことから輸入代替が進展し、また燃料などの国際価格の上昇と燃料関連品目の輸出及び生産の伸びが大きかったことなどにより、鉱工業生産は99年3月以降プラスの伸びとなっている。実質GDP成長率についても98年10~12月期前年同期比7.8%減の後、99年1~3月期同2.8%減、4~6月期同1.4%増となっており、景気は底入れしたとみられる。

第4節 総じて回復の動きがみられるアジア・太平洋

(景気回復局面に入った東アジア)

 通貨・金融危機の発生から2年以上が経過し、東アジア経済に回復の動きが広がってきている。東アジア各国・地域の実質GDP成長率は99年に入ってプラスに転じており、これを受けて、99年の経済成長率見通しは多くの国で上方修正されている(第1-4-3図)。

 景気回復の要因は以下のように整理できる。第一の要因は、①内需の大幅な縮小による輸入の激減から経常収支黒字が拡大→通貨の落ち着き→金利の低下、②為替レートの大幅下落→外需の増加といった経済の自動調整メカニズムが働いたことである。第二の要因は、財政・金融両面において、緊縮策から景気浮揚策へと政策転換されたことである。公共投資の拡大、減税、公共料金の引下げ、失業対策などにより景気を下支えした。第三の要因は、金融機関への資本注入等によって、金融危機の克服に一応の目途がついたことである。金融システムの破綻が回避されたことにより、投資マインド、消費マインドの悪化に歯止めがかかった。第四に、インドネシアやフィリピンなどでは、好天候による農業生産の回復も景気回復に貢献した。

 第五に、いくつかの海外要因が挙げられる。欧米諸国の金融緩和により、国際的に流動性が拡大し、アジアへの資金の再流入に寄与した。また、IMF等の国際機関や我が国の「新宮澤構想」などによる国際的な支援体制の強化は、各国の財政出動の余地を拡大し、金融部門再建に必要な資金の確保に寄与している。99年に入ってエレクトロニクス製品等の輸出が回復し始め、輸出指向型産業を中心に生産が拡大したことも景気回復に寄与した。

(本格的な景気回復への道)

 通貨・金融危機後、東アジア諸国の経済を支えてきたのは、公的需要と外需であった。回復の兆しが見え始めた個人消費は、雇用情勢が依然として厳しいことなどから大幅な増加は期待できない。生産設備の過剰や金融機関の慎重な貸出態度は続いており、実質金利が上昇している国もあることから、設備投資が上向くにはしばらく時間がかかるものとみられる(第1-4-7図)。  99年に入って広がってきた回復の動きを本格的な景気回復につなげるためには、国内民間需要の回復が必要であり、そのためには現在行われている金融部門を始めとする構造改革を着実に進展させることが重要である。


中国:景気が減速し、デフレ傾向に直面

 中国経済は、1978年の改革・開放後の20年間で例を見ないデフレ傾向に直面している。小売物価上昇率は、97年10月以降24か月連続でマイナスを続けている(第1-4-9図)。実質GDP成長率は、98年7.8%の後、99年1~3月期には8.3%(前年同期比)に達したが、これらの高い成長率は、公共投資に支えられたものであり、GDPの6割を占める消費の低迷と物価の下落は依然として収束の兆しをみせていない。成長率は、4~6月期には7.1%、7~9月期には7.0%となった。  中国の場合、デフレ傾向の基本的な要因として、所得の伸びの鈍化と先行き不安に伴う貯蓄率上昇による個人消費の低迷、企業の過剰設備と過剰在庫等が挙げられる。他方、国有企業改革に伴う失業の増大や金融制度改革における膨大な不良債権の表面化といった構造問題が背後に存在し、景気の減速と物価下落は単なる循環的問題を越えた問題である。

(所得の伸びが鈍化し、消費性向は低下)

 都市部の一人当たり実質収入の伸びは、国有企業改革に伴う失業者(あるいは潜在失業者)の顕在化が影響し、96年、97年と3%台に落ち込んでいる(1-4-11図)。他方、農村部の所得も、農業所得の低下や郷鎮企業(郷(町)、鎮(村)、農家等が経営する企業)からの収入の伸び悩みにより、90年代半ば以降は平均して5%程度にとどまっている。一時帰休の増加等雇用の不安定化や、福利・住宅制度の廃止、医療費の自己負担等の社会保障改革の下で、家計は将来に大きな不安を抱えている。また、耐久消費財をはじめとする財の価格は、少し待てば更に低下するとの心理から、現在の消費を抑える傾向が強い。貯蓄率をみると、都市では95年には17.4%であったが、97年、98年にはそれぞれ18.9%、20.1%と上昇している。農村においても、90~96年には10%台で推移していたが、97年には22.6%まで上昇した。

(供給過剰が表面化)

 中国は、景気が過熱した92~94年にかけてこぞって生産能力の増強を図った。これを受け、95年頃から耐久消費財等の生産設備が相次いで立ち上がった。その結果、生産能力が需要を大幅に上回り、供給過剰品目が数多く出始めた。供給過剰は稼働率の著しい低下を招いている。95年を対象に実施された第3次鉱工業センサスをみると、消費財産業の稼働率の低さが目立つほか、一部の生産財でも稼働率が60%を下回っており、全般的な生産能力過剰を裏付けている(第1-4-16表)。

第5節 国際金融・商品市場

(為替市場の動向)

 米ドルは、クリントン政権のドル高政策の下、1995年以降増価基調で推移してきた。名目実効レート(1990年=100)をみると、98年8月に116ポイント台の高値をつけた後、ロシアのルーブル切下げに端を発する世界的な金融収縮により、10月半ばには104ポイント台まで下落した。その後は金融情勢の安定化とともに増価基調を取り戻したものの、99年7月以降は対円で大きく減価したことなどから減価基調となっている(第1-5-1図)。ユーロの名目実効レート(1990年=100)をみると、97年8月以降増価基調で推移してきたユーロ(エキュー)は、98年10月以降は総じて減価基調に転じ、今日に至っている(前掲第1-3-4図)。東アジア通貨の対米ドル為替レートの推移をみると、98年10月頃から円高・ドル安につれて東アジア通貨は総じて増価傾向で推移したが、99年に入ってからはおおむね横ばいで推移している(第1-5-6図)。

(欧米の長期金利の動向)

 長期的に低下基調が続くアメリカの長期金利は、98年の9月から10月にかけてロシアの債務支払停止などに端を発する世界的な金融危機が発生したため、信用度の高い米国債へと資金が集まり、一層低下した。だが、FRBによる機動的な三度の利下げなどの金融緩和政策により金融収縮は収まりをみせ、99年に入ってからは景気の過熱と労働市場の逼迫によるインフレ圧力の高まりへの懸念などから長期金利は上昇を開始し、6%を超える推移となった。欧州では、ユーロ誕生後のドイツの長期金利をみると、ドイツやイタリアなどの通貨統合中心国の景気減速懸念から利下げが期待されたものの、欧州中央銀行(ECB:European Central Bank)幹部による度重なる利下げけん制発言などで長期金利は上昇した。また、ユーゴ情勢が不安定化した4月以降長期金利は上昇し、紛争が一服した後もユーロは安値圏で推移し、景気回復期待もあいまって金利は上昇している。

(株価の動向)

 アメリカの株価は、98年秋には世界的な金融収縮から一時的に大きく下げる場面があった。しかし、FRBによる迅速な金融緩和により逆資産効果などによる景気の減速は回避され、株価は再び上昇基調に復帰した。99年に入ってからも米株価は順調に推移し、最高値を更新し続けたが、5月以降は景気の過熱による長期金利の高まりとともに上値が抑えられており、ダウ平均で10,000~11,000ドル台の推移となっている。一方、欧州株は堅調に推移している。特に内需中心に景気が堅調なフランスのCAC40指数などの上昇が目立つ。また、東アジア各国の株価は、98年10月頃から通貨が増価するにつれて上昇に転じた。アジアNIEsでは、景気回復への期待などから再び海外投資家の資金が流入するなど、99年に入っても株価の上昇傾向は継続し、韓国では99年4月に通貨危機前の水準に回復した。また、シンガポールでは製造業生産が大幅に回復したことなどから、7月には株価は史上最高値を更新した。ASEAN諸国でも4月以降株価が上昇した。しかし、7月にはアメリカの金融引締め政策などの影響によりアジアNIEs、ASEAN諸国ともに株価はやや下落した。

(国際商品価格:20年振りの安値水準で推移)

 17品目の主要な商品先物価格から算出されるCRB(Commodity Research Bureau)商品先物指数(1967年=100)の動きをみると、96年前半に下落基調に転じてからは、一時反発した時期があったものの、ほぼ一本調子で下げ続け、99年2月末にほぼ24年振りとなる183ポイント割れを記録した(第1-5-20図)。その後は、緩やかな上昇基調で推移しているが、過剰在庫の解消にはなお一層の時間を要するため、99年10月(月平均値)現在でも204ポイントと、回復の足取りは力強さに欠けるものとなっている。

(原油価格:99年に入り上昇基調に転換)

 原油価格(北海ブレント・スポット価格)は、96年末を境に下落基調に転じ、その後も世界的な需要の減退等もあり下落し続けた結果、98年末には10ドル/バレルを下回る歴史的な低水準まで落ち込んだ。しかし、99年3月のOPEC総会で追加減産が合意されることが明らかになると、原油価格は上昇基調に転じ、産油国が比較的減産を遵守していることもあり、99年11月上旬には、ほぼ2年半振りとなる22ドル/バレル前後で推移している(第1-5-23表)。

第6節 国際通貨・金融システムの強化

 1997年後半から始まったアジア諸国における通貨・金融危機は、ロシア、中南米にも波及し、国際通貨・金融システムの脆弱性を明らかにした。本節では危機の予防・解決の視点から国際通貨・金融システムの強化ついて述べる。

(国際通貨・金融危機と群集行動・伝播効果)

 情報通信をはじめとするハード面に加え、デリバティブ取引をはじめとするソフト面における技術革新の急速な進展により、国際通貨・金融システムは大きな変貌を遂げてきた。具体的には、①国際通貨・金融問題の国内及び各国間の波及速度が高まったこと、②投資家による時差に絡む取引の比重が増加したこと、③外貨準備に比して外貨による短期債務の比率が高まったことなどが挙げられる。こうしたなかで群集行動と伝播効果による通貨・金融危機はグローバル化した金融市場の本質的な特徴となってきている。

 群集行動(herd behavior)は、例えば、「よい投資かどうか」よりも「他の多くの人がよい投資と思うかどうか」を基準として投資をした方が有利なときに生じる。ある国の対外短期債務残高/外貨準備が高い場合、その国の資本市場は投資家の突然の群集行動に対して無防備であるばかりか、そのような群集行動を誘発しやすいといえる。

 伝播効果(contagion effect)は、①経済構造や経済状況が似ているような国が、共通のショックに対して同じような通貨・株価の反応をする場合、②投資家がある一つの国で損をしたために、他の国で資産を売って損失を埋め合わせようとする場合に生じる。

(新興市場国における通貨・金融危機から得た教訓)

 近年の一連の通貨・金融危機から、①資本取引の自由化の進め方、②為替相場制度の在り方、③危機に対応した資本規制の在り方に関して教訓が得られた。

 資本取引の自由化の進め方については、順序良く(well-sequenced)、条件が整っているかどうかを見極めながら進めていくべきであるというのが、国際的なコンセンサスである。

 為替相場制度については、経済規模や貿易相手国の構成、貿易・資本自由化の程度などの違いにより、国や時代によって最適な制度は異なることに留意する必要がある。

 資本規制については、新興市場国のそれぞれの実情に応じて、危機管理の手法としてコストとベネフィットを勘案しつつ、どのような場合に資本規制をすることが正当化されるのか、現実的な立場から検討を進めていくべきである。

(国際通貨・金融危機の予防システムの構築)

 「G7蔵相からケルン経済サミットへの報告」(1999年6月)に基づき、ここでは①国際金融機関および国際的政策調整の強化・改革、②国際金融市場における透明性の強化、③先進国における金融規制の強化、④危機解決における民間関与の原則に焦点を当てる。

 国際金融機関および国際的政策調整の強化・改革については、①IMFの施策に対する説明責任を強化すること、②IMFの施策の有効性について内部・外部双方による体系的な評価を引き続き行うことが重要である。

 国際金融市場における透明性の強化については、国際金融機関、各国金融政策当局、民間セクターなどの情報開示の一層の促進が求められる。

 先進国における金融規制の強化については、①債権者と投資家にリスク評価及びリスク管理の改善をさせること、②過度のレバレッジが過度のリスクの集中を伴わないように、監督当局および規制当局が高レバレッジ機関の動向をモニターすること、③オフショア金融センターが国際的な基準を遵守するよう促すことが重要である。

 危機解決における民間関与の原則については、①債務全額を満期までに返済するという債務者の義務は不変であること、②債権者は自らとったリスクの結果を受け入れる(モラルハザードを防ぐ)ことなどが挙げられる。

(公共財としての国際通貨・金融システムと市場)

 金融市場においては、市場参加者から自然発生的に形成されるチェック・メカニズムともいうべきものが働いている。政府はもはや市場の動きを軽視して効果的な政策を実施することはできない。FRBのグリーンスパン議長は、民間の市場参加者の中から形成される規制をprivate market regulationと呼び、その重要性を指摘している。  一方、IMFのカムドシュ専務理事は、「被援助国の不均衡を是正するだけではなく、国際通貨・金融システムという公共財を発展させていくことは、IMFの金融援助の明確な目的である」と言っている。  したがって、国際金融市場の中から自律的・内生的に生まれる規制の機能を最大限にまで引き出すとともに、その限界を補完するための政府ならびに国際通貨・金融システムの在り方が問われ続けることになる。

第2章 アメリカ経済の長期拡大の要因と課題

<第2章のポイント>

[90年代の景気拡大の特徴]

 アメリカ経済は、91年3月に景気回復を始め、99年10月に至るまで8年7か月もの長期にわたる景気拡大を続けている。90年代の景気拡大の特徴は、良好な状態が「安定」して「長期にわたって」続いていることである。また、今回の景気拡大局面では、物価上昇率と失業率とがともに極めて低い水準にまで低下したことも特徴である。両者の和で定義される悲惨指数は98年4月には、ほぼ33年ぶりの低水準となった。

[90年代の景気拡大の要因]

 長期にわたる安定的な景気拡大の要因として、①予防的な金融政策に代表される適切な経済運営、②労働市場を始めとする経済構造の柔軟性の向上が挙げられる。他方、97年以降における低インフレと低失業率・高成長率の両立は、③ドル高や一次産品価格の低下といった一時的な要因によってもたらされた部分が大きかったと考えられる。

[アメリカ経済の生産性向上]

 ここ数年、経済成長率が高まる中で、景気変動要因等を取り除いても生産性の伸びが高まっている。産業別の動向をみると、製造業、特に電気機械などのハイテク産業の生産性の伸びが高い。生産性向上の要因としては、情報通信関連投資の高まり等によって資本ストックの質が向上していることなどが挙げられる。今後については、現在の投資ブームが長く続くとは考えにくいことなどから、高い伸びが持続しない可能性もある。

[アメリカ経済のアキレス腱]

 アメリカ経済に存在する不透明感として、①割高感の指摘される株価、②低下が続く家計貯蓄率、③経常収支赤字の拡大、④インフレ懸念の高まりの四つがある。株価やドルの急落を招くことなく、経済を軟着陸させることが重要な課題である。

第1節 90年代の景気拡大の特徴

1 長期にわたる安定的な拡大

 90年代の景気拡大の特徴は、良好な状態が「安定」して「長期にわたって」続いていることである。経済成長率についてみると、2~3%台と、歴史的にはそれほど高くないが、大きな変動もなく91年以来、約9年の長期にわたって続いている(第2-1-2表)。

(個人消費の特徴)

 今回の景気拡大局面において、GDPが安定的に推移した理由としては、その約7割を占める個人消費支出が安定的に推移したことが大きい。個人消費が安定的に推移した要因は、耐久財消費、中でも自動車関連消費の変動が過去に比べて安定していることである。

(設備投資の特徴)

 民間設備投資の伸びが安定的に推移してきた背景には、変動の大きな構築物投資や産業機械投資のシェアが低下する一方で、情報化投資など景気変動の影響を受けにくい投資項目のシェアが増加するという変化があった。

(住宅投資の特徴)  住宅投資の安定した伸びの背景には、金利の安定、所得の堅調な伸び、各種政策による需要の創出、及び80年代に購買層に達したベビーブーム世代による高額・大型住宅への買替え需要増といったものがある。

2 低金利・低インフレ・低失業率

 安定した経済成長の背景としては、低金利、低インフレ、低失業率が並存したことが挙げられる。実質金利は、80年代末にかけて低下した後も、低水準で安定的に推移し、物価上昇率も90年代初頭に大幅に低下した後、安定して推移している。さらに、失業率も持続的に低下し、30年ぶりの低失業率で推移している(第2-1-10図)。

3 株高:その要因と影響

 今次景気拡大局面における特徴の一つは、株価の上昇率(年率ベース)が高く、過去最大だったことである。また、こうした中、株と実体経済との結びつきはこれまでにも増して強くなっており、株価の動向が景気に与える影響も80年代までと比べて大きくなっている。

(90年代の株価上昇の特徴)

 今回の景気拡大局面の株価の動きの特徴は、ひとつは、株価の割高感が強い中で高水準の株価が続いていること、もう一つは、株価の変動度合いが低くなっていることである。この株価の上昇には、将来の期待収益率の上昇や低金利といった要因があるが、需給という側面から見ると、需要側からは、ベビーブーマー世代の老後に向けた資金運用先として、低金利・低インフレ下で相対的に有利な株に対する需要が高まったこと、供給側からは、企業の自己買入れ償却等が盛んであったことが挙げられる。

(株と実体経済の関係)

 株価の急激な上昇は、資産効果を通じて個人消費を押し上げ、ここ数年来の高成長をもたらしていると考えられる。資産効果が大きくなっている背景には、株価が急上昇していること、老後に対する備えとして株が選ばれるようになったことから、家計の金融資産と株式との結びつきが強くなったことがある。また、家計の金融資産保有額に占める株式の割合は約2倍に拡大している。

第2節 90年代の安定した景気拡大の要因

 長期にわたる安定的な景気拡大の背後にある要因として、①適切な経済運営、②経済構造における柔軟性の高まりが重要であった。他方、97年以降における低インフレと低失業率・高成長率の両立は、③一時的な要因によってもたらされていた部分も大きかったと考えられる。

(政策の効果)

 アメリカ経済は、平時における景気拡大の最長記録を更新し続けているが、その特徴である安定した景気拡大は種々の適切な政策によってもたらされた面が大きい。すなわち、予防的かつ機動的な金融政策が過度の景気過熱を抑え、物価の安定をもたらした(第2-2-2図第2-2-3図)。90年代におけるアメリカの金融政策運営の特徴は、市場との齟齬をきたさないようなコミュニケーションの重視、ラグの存在を念頭に置きつつ景気の行方を先取りした予防的な運営姿勢、政治的圧力から独立したFEDの政策運営環境、ということに大きく現れている。その結果、過去みられたようなインフレの昂進に伴う急激な利上げは避けられ、景気の長期にわたる拡大が可能となった。しかし、一方でグリーンスパンFRB議長に対する過度の信頼から株価が強い上昇を続け、割高感が高まっている。また、軍事費削減などの歳出抑制努力や好況に伴う税収増が財政赤字縮小を可能にし、その結果として国債の需給改善が長期金利を低下させ、投資や消費を刺激した。さらに、70年代から行われてきた通信、エネルギー、運輸業などにおける規制緩和などが物価の下落や雇用の創出、効率的な市場の形成による安定成長などをもたらした。このような一連の政策による低インフレ、低金利等によって消費や投資の拡大が長期にわたって安定的に続く素地が形成された。

(経済構造の柔軟性の向上)

 アメリカ経済がもともと有している経済構造の柔軟性の高さが、70年代以降の規制緩和や市場開放等により一層強化されたことも、安定した景気拡大に貢献したと考えられる。つまり、経済構造の柔軟性が高まることで、様々な構造変化に対する調整速度が速くなり、経済環境の変化に対する耐性が高まり、景気の安定的な拡大がもたらされるようになっていると考えられる。例えばアメリカの高い開廃業率及び企業増加率は、経済環境をめぐる諸条件の変化が速い昨今においては労働資源や資本の効率的な配分を行う上で適している。また、人材派遣業の隆盛や年金などのポータビリティの向上などによる労働市場の柔軟化は、NAIRU(インフレを加速させない失業率)を低下させ、低インフレと低失業率の両立を可能にしていると考えられる(第2-2-16図)。96年までのデータを用いてNAIRUを推計すると、90年代初めは6%前後であったものが、91~93年以降に低下し、4%台となっている可能性があることが分かった。

(一時的要因が大きく寄与した低インフレと低失業率の両立)

 このたびの景気拡大局面は、長期の景気拡大(Long Expansion)が続くなかで、97年以降成長率が4%近くに高まったものの、4%台前半の低失業率(Low Unemployment)と2%程度の低インフレ(Low Inflation)が両立している。つまり、いわば「3つのL」が現在のアメリカの良好なパフォーマンスを表しているといえよう。

 しかし、97年以降の高成長・低失業率と低インフレの両立は、一時的要因によってもたらされた面が大きいと考えられる。この一時的要因としては、①ドル高や輸入原材料価格の下落に伴う物価下落及びコスト減少があったこと(91~96年から97~98年にかけての消費者物価下落0.9%ポイントのうち、0.8%ポイントの寄与と推計される)、②輸入品増大に伴う価格競争激化により物価が下落したこと(同0.1%ポイント)、③医療費等の抑制が雇用コストの伸びを抑えたことが挙げられる(同0.2%ポイント)。

 このように一時的要因は、91~96年から97~98年にかけての消費者物価指数(総合)上昇率の低下の全てを説明している。したがって、現在の低インフレ状態には、為替や原油をはじめとする一次産品価格等の動向如何によっては、容易にインフレ圧力が加わる可能性が高いといえよう。既に原油価格は99年に入り上昇に転じている。

第3節 アメリカ経済における生産性の向上

(労働生産性の推移)

 ここ数年、経済成長率が高まる中で、96年以降は労働生産性上昇率の高まりが観察される。労働生産性上昇率は、物価統計の改訂や短期的な景気変動の影響を受けるが、それらの要因を取り除いても高まっていると考えられる。まず、物価統計の改訂の影響については、96年以降GDPデフレータは0.21%ポイント下方修正されており、同じだけ労働生産性上昇率も押し上げられている。次に、需要の拡大に労働投入が追いつかないため生産性が加速しているようにみえるという、短期的な景気変動の影響を計算すると、96年以降年0.30%ポイントだけ労働生産性上昇率を押し上げたと見込まれる。96年以降の民間非農業部門の上昇率1.94%からこれらの影響を取り除くと、真の上昇率は年1.43%程度(=1.94-0.21-0.30)であったと考えられる(第2-3-5表)。この上昇率は、それまでの上昇率(1.12%)よりも高いことから、真の労働生産性は、96年以降、高まっていると考えられる。

(産業別生産性の推移)

 しかし、この労働生産性の向上は経済全体で観察される訳ではない。労働生産性上昇率の高まりは、どのような産業で生じているのかをみてみると、90年代に入り、耐久財製造業において高い労働生産性の伸びが続いていることが分かる(第2-3-6表①)。特に電気機械などのハイテク産業で生産性の伸びが高く、90年代後半には、更に伸びを高めており、これらの業種における90年代に入ってからの労働生産性の高い伸びが、最近の経済全体における労働生産性の加速をもたらしたといえよう。

 非製造業全体では、サービス業におけるマイナスの伸びに相殺され、労働生産性の上昇はみられないが、サービス業については、生産量の計測の困難性などから生産量が過小評価されている可能性があり、実際は、真の労働生産性がみかけほど低くないとも考えられる。

(生産性向上の要因)

 90年代後半に耐久財製造業を中心に労働生産性上昇率が高まっているが、これはどのような要因によってもたらされたのであろうか。現時点では、データの制約もあり、不確定な部分も多いが、90年代における投資ブームなどによって資本ストックの質が向上していると考えられることや、情報通信革命によるプラスの効果、経営革新による効率性の向上などが挙げられる(第2-3-11図①)。情報化の進展にもかかわらず生産性の向上がみられないことは、生産性のパラドックスと呼ばれていたが、ミクロ的観点からは情報化と労働生産性の間には相関関係を見出すことができる。サービス業を除いた80年代と90年代の産業別の労働生産性上昇率と情報関連ストック比率(情報関連資本ストック/資本ストック総額)との間には明らかな正の相関関係がある。しかし、経済全体の5分の1を占めるサービス業において情報関連ストックの伸びと労働生産性の伸びとの関係が明確でないことなどから、経済全体でみると必ずしも情報化投資の比率を高めることで生産性がより向上するという関係はみられない(2-3-15図)。

(生産性向上の持続可能性)

 労働生産性の向上は今後も続くかどうかは、不確定な要素が大きく一概には断定できない。情報化投資は、コンピュータなどの技術革新スピードが早く、景気変動の影響を受けないため、今後も旺盛な投資が続き、また、それにより情報関連ストック比率が高まることで、生産性の伸びも高まっていく可能性もある。しかしながら、以下のような理由で、今後の労働生産性の高い伸びが持続しない可能性がある。すなわち、①情報化投資などによる資本ストックの質の向上が今後も続くかどうか不明瞭である、②情報化投資による代替が可能ではない労働や資本ストックを必要としている業界もある、③サービス業における労働生産性の向上が適切に計測できず、今後の労働生産性を見通すことが困難である、という三点である。したがって、情報化と労働生産性の関係に関するより精緻なデータ収集・分析やサービス業などにおける付加価値生産額の適切な把握などに努め、今後を見極めるのに十分な材料を用意することが重要である。

第4節 アメリカ経済のアキレス腱

 アメリカ経済は、近年大変良好なパフォーマンスを誇ってきたが、そのようなアメリカ経済も景気の先行きに課題を抱えており、①割高感の指摘される株価、②低下し続ける家計貯蓄率、③経常収支赤字の拡大、④インフレ懸念の高まり、の四つの懸念材料を挙げることができる。

(割高感の指摘される株価)

 ここ数年来、繰り返し株価の割高感が指摘されている。99年4~6月期の株価は、企業収益と長期金利から説明される水準からは、様々な尺度を使用しても20~55%ほど割高であると考えられる(第2-4-1図)。それならば、株価が割高であるにもかかわらず、なぜ高水準の株価が持続するのか。その理由の一つとして、当局への信頼の厚さが株価を上昇させているため、割高ではあるが調整が先延ばしになっているという見方がある。もし株価が急落するようなことがあれば、実体経済や海外市場への影響は大きいと考えられる。資産効果などを通じ、消費と株の関係が強くなっている(第2-4-10図)。このため、家計部門への影響は金融資産の縮小、消費の減退という形で現れる。また、企業部門にとっては資本調達コストが上昇するという影響がある。さらに、アメリカと各国との株価の相関関係が90年代後半に高くなっていることから、株価の下落が海外の金融市場に与える影響も懸念される。

(低下が続く家計貯蓄率)

 90年代に入り家計貯蓄率の低下が続いている。家計貯蓄率の大幅な低下の背景には、株価の高騰による家計部門における資産効果、失業率の低下と将来の期待所得の向上、また、これらを反映した消費者コンフィデンスの高まりなどが挙げられる。そのなかでも、金融資産/可処分所得の比率と貯蓄率の間には強い相関があることから(第2-4-13図)、株価の高騰による資産効果が大きいといえる。従って、株価の上昇が持続しない限りは、このような低水準の貯蓄率は持続しないと考えられる。

(経常収支赤字)

 旺盛な消費と投資により経常収支の赤字は非常に高い水準となっており、99年4~6月期の経常収支赤字額は約807億ドル(名目GDP比3.5%)と過去最高の水準に達した。(第2-4-20図)。80年代には経常収支赤字と並んで財政赤字も拡大したが、90年代には民間部門が大幅な投資超過になっており、部門別の貯蓄・投資バランスに大きな相違がある。また、貿易収支動向をみると旺盛な内需を反映して輸入の増加額が輸出の増加額よりも大きく、貿易赤字を拡大させている。この経常収支赤字拡大が続けば、①ドル安圧力をもたらす結果、海外からの資金流入が減少する可能性があること、②保護主義的な圧力が高まること、という問題点がある。

(インフレ懸念の高まり)

 景気の過熱感からくる労働需給の逼迫や、原油価格の反騰およびドル安、海外経済の好転による需要増などから、インフレ懸念が高まっている(前掲第1-2-9図)。インフレは個人消費や企業投資に直接マイナスの影響を及ぼすばかりか、長期金利の上昇や株価の下落、為替の変動を引き起こし、消費や投資の振幅を大きくする可能性がある。今後のインフレ動向如何では、強度の金融引締めを余儀なくされ、景気拡大に終止符が打たれる可能性もある。また、物価が高騰している状況下では、株価の下落局面での金融緩和余地が限られることから、経済のハードランディングを招く可能性もあり、今後インフレ動向が注目される。

第3章 物価安定下の世界経済

<第3章のポイント>

[世界的な物価安定の現状]

 物価の安定は近年の世界経済の大きな特徴である。ほとんどの先進諸国で、インフレ率は1970年代には二桁に達したが、今日では数パーセントという極めて低い水準にまで下がってきている。先進国以上に高いインフレ率に悩まされた途上国や市場経済移行国でも、近年総じてインフレ率は大幅に低下してきている。

[世界的なディスインフレの要因]

 先進国の物価安定の背景には、経済政策面の要因としては、①金融政策が物価安定を最大の政策目標として運営されるようになったこと、②財政の健全化によって物価安定を目指す政策当局への信頼感が高まったことなどが挙げられる。次に、供給側の要因としては、①原油を始めとする一次産品価格の下落、②グローバリゼーションの進展、③規制改革を始めとする経済構造改革の進展、④技術革新、⑤労働市場の変化等が挙げられる。

[物価安定下の経済の特徴]

 物価安定下の経済の特徴としては、名目金利が低く、名目賃金上昇率も低いことなどが挙げられる。また、分配面では、インフレによる債権者から債務者への実質的な富の再分配が抑制される。

[物価安定下の金融政策]

 物価安定を達成した90年代のマクロ経済政策は、景気後退局面での物価下落(デフレ)の可能性の高まりと資産価格の大幅な変動という新しい課題に直面している。数パーセントという物価上昇率が実現され、景気後退期にはデフレに陥る可能性も高まっている今日においては、物価上昇率が過度に下落することに対してはそれが過度に上昇することに対してと同様に警戒するべきと考えられる。とりわけ、経済がデフレスパイラルに陥ることのないよう注意を払うべきである。また、資産価格の動きが経済及び金融の安定性にどのような影響を与えるかということを無視して、金融政策の運営を行うことはできない。

第1節 世界的な物価安定の現状

 物価の安定は近年の世界経済の大きな特徴である。ほとんどの先進諸国で、インフレ率は、1970年代には二桁に達したが、今日では数パーセントという極めて低い水準にまで下がってきている。先進国以上に高いインフレ率に悩まされた途上国や市場経済移行国でも、近年総じてインフレ率は大幅に低下してきている。

(先進国:ディスインフレの進行)

 70年代に物価高騰に見舞われた先進諸国は、80年代に入ると物価安定を重要な政策課題として掲げた。金融政策を中心とした政策努力は、原油等一次産品価格の下落とも相まって、総じて成功し、先進国の平均消費者物価上昇率は86年には2.6%まで低下した。その後も、89年から90年にかけての時期を除き、物価上昇率は低下傾向を示しており、98年の平均消費者物価上昇率は1.4%と、約30年ぶりの低水準を記録している(第3-1-1図)。

(中南米:90年代にはインフレの収束へ)

 中南米における80年代は、累積債務の重圧下、大幅な財政赤字や高インフレを抱えた低成長の時代であった。しかし89年、90年の物価高騰後、90年代には、財政赤字削減などによりインフレは収束している。例えば、ブラジルでは、消費物価上昇率は94年7月のレアル・プラン(通貨レアルの対ドル固定、財政緊縮など)導入前の約5,000%(94年6月前年同月比)から、96年には16%にまで低下した(98年の消費者物価上昇率は3.2%)。

(市場経済移行国:価格の自由化)

 92年の価格自由化によりロシアの物価は一挙に数倍に上昇した。改革開始当初は財政・金融の引締めが徹底できず、インフレの収束が遅れたものの、IMFの指導による緊縮財政により、95年以降ロシアの消費者物価上昇率が低下した。ただし、98年のルーブル切下げ後、99年に入り消費者物価上昇率は前年比100%超と急騰している。

 ポーランド(90年)、チェッコ(91年)とも本格的な改革の導入に伴い価格が高騰したが、緊縮財政政策の取組などにより、95年以降物価上昇率は低下傾向にある。

第2節 世界的なディスインフレの要因

1 金融政策

 物価安定という目標を達成するためには、政策当局への信頼性を獲得することが何よりも重要である。そのための一つの方法は、金融政策に何らかの明示的なノミナル・アンカー(物価安定のための錨のような役割を担うもの)を設定することによって、期待インフレ率を低下させるとともに、金融政策当局の裁量の余地を小さくすることである。

 多くの国が変動相場制に移行した70年代半ば以降、先進国を中心に、貨幣数量をノミナル・アンカーとした政策がとられた。しかし、80年代に入り、金融市場の技術革新などによって、貨幣数量とインフレ率の関係が希薄化した結果、貨幣数量のみを目標とする政策の有効性が低下し、貨幣数量のほか、金利、物価、経済成長率、雇用など、様々な指標を勘案した金融政策の必要性が認識されるようになった。現在、アメリカ、日本などでこうした様々な指標を勘案した金融政策がとられている。

 さらに、90年代に入ると、物価安定の目標を明示的に設定し、金融政策をこの目標に向かって運営する国が増加している。それらの国においては、インフレ・ターゲティング採用後におけるインフレ率の低下が観察できる(第3-2-2図②)。ただし、インフレ・ターゲティングを採用していない国でも、インフレ率は概して低下傾向にあり、インフレ・ターゲティングの有効性について判断するには、もう少し経験の積み重ねが必要であろう。

2 一次産品価格の下落

 1970年代には物価を押し上げる要因であった一次産品価格は、1980年代前半には大幅に低下し、その後はならしてみれば、ほぼ横ばいで推移している。その結果、80年代以降、先進国の工業製品価格との相対価格は、大幅に低下している(第3-2-4図)。 代表的な一次産品である原油の価格下落の要因としては、供給側の要因として、①非OPEC加盟国の生産量の増加、②探査・探鉱技術の進歩などによる原油の確認埋蔵量の増加が挙げられる。また、需要側の要因として、①実質GDP一単位当たりの一次エネルギー消費量が80年代半ばから緩やかな下落基調で推移していること、②代替エネルギーの堅調な伸びに支えられ、一次エネルギー全体に占める原油依存度が引き続き低下していることなどが挙げられる(第3-2-7図)。

3 供給サイドの構造的要因

(グローバリゼーションの進展) グローバリゼーションの結果、各国間の貿易、直接投資は飛躍的に拡大した。特に近年の伸びにはめざましいものがある。貿易の拡大は、各国が比較優位の生産に特化することにより資源配分を向上させることなどを通じて、また直接投資の増加は、途上国への技術移転を促進し、途上国における生産性を向上させることなどを通じて、ともに物価の安定に寄与している。 (規制改革の進展)  規制改革は、市場メカニズムを有効に機能させ、競争を促進することにより、価格を低下させる機能を持つ。OECDの規制改革レポート(1997)によれば、規制改革の結果、例えばアメリカの航空業界では料金が33%低下している(第3-2-12表)。

(技術革新)

 技術の進歩は新しい商品を生み出したり、従来からある商品の性能を高めたりするほかに、商品の生産コストを低下させることによって商品の価格低下に寄与する。例えば、アメリカの「コンピュータ及び付属装置」の設備投資デフレータは基準年の92年から98年にかけて73%低下している。

(労働市場の変化)

 労働市場における変化を反映して、先進国で賃金上昇率が低下したこともディスインフレに貢献した。例えば、イギリスでは硬直的な労使関係の改善や、最低賃金の廃止などによって賃金が抑制された。

4 需要要因

 97年7月のタイ・バーツ危機に端を発するアジア通貨・金融危機により、東アジア6か国(インドネシア、韓国、シンガポール、タイ、マレイシア、フィリピン)では、6か国合計のGDP総額に対して約10%程度のマイナスのGDPギャップが98年に生じた。これが先進国の物価引下げ要因としても大きく働いたものと考えられる。

第3節 物価安定下の経済の特徴

(低い名目金利)

 物価安定下では、期待インフレ率が低い分、概して名目金利も低くなる傾向にあると考えられる。実際に主要先進7か国の物価上昇率と名目金利との関係をみると、80年代から90年代にかけて物価上昇率が低下傾向を示す中で、名目金利も低下傾向を示していることがわかる。しかし、実質金利にはそうした長期的低下傾向はみられず、逆に高インフレ下の70年代には実質金利はマイナスになるなど、インフレ率との逆相関がみられる時期もある(第3-3-2図)。

(名目賃金の下方硬直性とその実質賃金、失業率への影響)

 物価安定下では、名目賃金上昇率は概して低くなりがちである。実際に主要先進7か国の名目賃金上昇率の推移をみると、物価上昇率の低下を反映して、70年代から80~90年代にかけて大きく低下してきている。これに対し、実質賃金上昇率には長期的な低下傾向はみられない(第3-3-4図)。名目賃金には下方硬直性があるために、物価安定下では、本来需給を均衡させるのに必要な水準まで名目賃金(及び実質賃金)が下がらない可能性がある。そして、その結果自然失業率が高まる可能性がある。

(財政)

 各国の租税構造をみると、ほとんどの国において個人所得税を中心に累進構造が組み込まれているため、物価安定下では高インフレ下のような自然増収は望みにくいことになる。一方、物価安定下では概して名目金利が低いことから、利払い費は高インフレ時代と比べその分低くなるものと考えられる。

(分配面)

 物価安定下では、インフレによる債権者から債務者への恣意的な富の再分配(arbitrary redistributions of wealth)が生ずることが少なくなる。そして、物価が下落する場合には、逆に債務者から債権者への所得移転が発生することになる。 

第4節 物価安定下の金融政策

物価安定を達成した90年代のマクロ経済政策は、景気後退局面でのデフレの可能性の高まりと資産価格の大幅な変動という新しい困難な課題に直面している。すなわち、低インフレないしゼロインフレを通り越して物価下落(デフレ)が景気後退期に生じるような場合、あるいは、財・サービスの価格が安定する中で、資産価格が大幅な変動を示す場合にどのような対応をとるか、これが物価安定下における新しい政策課題として重要となっている。

(デフレ懸念と金融政策)

 80年代及び90年代の前半においては、より低い水準へと物価上昇率を下げていくことが先進国における金融政策の、あるいは経済政策全般の目標であったが、数パーセントという物価上昇率が実現され、逆に景気後退期にはデフレの可能性も高まっている今日においては、物価上昇率が過度に下落することに対してはそれが過度に上昇することに対してと同様に警戒するべきと考えられる。ある意味では、前者の方が問題が大きいとも言える。なぜなら、物価安定下では、金融政策の効果は非対称的となる可能性があり、引締めにより過熱する経済を抑えることに比べ、収縮している経済を緩和によって回復させることは困難な場合もあるためである。  需要面からの要因によってもたらされたデフレに対しては、一般論として、拡張的な金融政策及び財政政策を採るべきであり、それによってデフレスパイラルに陥ることのないよう最大限の努力を傾注するべきである。また、こうした拡張的な金融・財政政策をより実効あらしめるためには、金融システム上の問題や労働市場の硬直性等の構造問題への取組も重要と考えられる。

(資産価格変動と金融政策)

 政策当局、とりわけ金融政策当局は、物価の安定のみならず、資産価格の動向にも注意を払う必要がある(第3-4-1表)。90年代にいくつかの国で起きた金融危機の経験をみても、資産価格の大幅な変動が、マクロ経済の変動を引き起こす、あるいは増幅するということがしばしばみられた。金融政策は資産価格の安定化そのものを目標とするべきではないが、それと同時に、資産価格の動きが経済及び金融の安定性にどのような影響を与えるかということを無視して、金融政策の運営を行うことはできないであろう。  中央銀行は、資産価格が大きく変動している場合には、その変動がどのような理由によって生じているのかをつきとめるよう努力するべきである。そのためには、資産価格の動向のみならず、経済の他の側面において将来突然反転する可能性があるような不均衡が発生していないかどうかを検討するべきであろう。すなわち、民間部門の貯蓄・投資バランスや経常収支に大きな不均衡は発生していないか、さらに名目生産額の伸びと比較して貨幣供給量や信用残高の伸びが高過ぎないか、又は低過ぎないかといった点に注意を払う必要がある。

(ゼロインフレと低インフレのコストとベネフィット)

 数パーセントという低い物価上昇率を達成した先進国にとって低インフレとゼロインフレはどちらが望ましいのであろうか。ゼロインフレよりも低インフレが望ましい根拠としては、名目賃金の下方硬直性、物価安定下での犠牲率の高さ、名目金利のゼロ下限等が挙げられる。逆に、低インフレよりゼロインフレが望ましい根拠としては、インフレの持つ資源配分撹乱効果、所得分配歪曲効果、税制の歪み等が挙げられる。また、別の観点として、公式の物価指数は、多くの場合、真の物価上昇率よりも高くでる傾向があるということも考慮する必要があろう。これらを総合してどちらが望ましいかについては、一概に言うことはできない。各国は、経済の置かれている初期条件、特にインフレ率の状況や、各種経済制度の在り方を考慮しながら、検討していくことになろう。

おわりに

 物価安定という新しい状況下で、政策当局も、各経済主体も、長らく続いた高インフレ時代の行動様式をそのまま踏襲するのではなく、新しい時代にふさわしい行動様式に切り換えていくことが肝要である。経済全体でみれば、インフレは恣意的な富の再分配を行うに過ぎず、経済的問題の解決は基本的には経済成長によってなされるべきである。そして、富・所得の再分配は明確な意図を持った経済政策によってなされるべきであろう。

むすび

(アジア通貨・金融危機からの回復)

 97年7月のタイ・バーツ危機に端を発するアジア通貨・金融危機の影響は実物面及び金融面から世界経済全体に重大な影響を与えた。そうした中、98年8月中旬にはロシアで金融危機が発生し、その影響もあって8月末にはアメリカで株価の急落が生じた。その後、中南米などの新興国通貨・金融市場の混乱が一層強まり、それに伴い市場で損失を被ったアメリカの大手ヘッジファンドの経営問題も生じた。こうして、98年後半には世界経済の先行きに不透明感が一挙に広がり始めた。しかし、9月末からのアメリカの三度にわたる金利引下げを始めとする、主要先進国の金融緩和等もあって、世界同時不況といった最悪のシナリオは回避された。

 99年に入ると、危機に見舞われたアジア経済が底入れから回復に向かい、またアメリカ経済も予想以上の成長を続けた。さらに、ロシア、ブラジルといった新興国経済についても、通貨・金融危機の影響による落ち込みは、予想されたほどではなかった。また、日本も年前半には2四半期連続でプラス成長を記録した。こうしたことから、99年の世界経済は緩やかながら回復に向かっている。

 こうしてみたように、97年央以降の世界経済は、アジア通貨・金融危機の深まりとその影響の世界的規模での広がり、そしてそこからの回復という点に集約することができるであろう。幸いアジア経済も予想以上に速いスピードで回復しつつある。しかし、このことはアジア危機等の残した教訓の重要性をいささかも減ずるものではない。世界の通貨・金融システムの危機的状況がひとまず収まった今こそ、危機の再発防止のための努力を腰を据えて行っていくことが必要であろう。危機に陥った諸国では、危機の要因となった金融システムの改革などの経済構造改革に対する取組を強化する必要がある。それと同時に、世界各国は、互いに協力しながら、国際通貨・金融システムの安定化に向けた議論を深めていくことが必要である。

(世界的な物価安定の時代)

 1990年代の最後の年にあたる本年の白書では、こうした近年の世界経済情勢からはやや離れ、90年代の世界経済の大きな特徴について扱っている。一つは世界的な物価安定である。1970年代にはほとんどの先進国でインフレ率は二桁に達したが、今日では数パーセントにまで下がってきている。先進国以上に高いインフレ率に悩まされた途上国や市場経済移行国でも、近年総じてインフレ率は大幅に低下してきている。

 物価安定という新しい状況下では、政策当局も、各経済主体も、長らく続いた高インフレ時代の行動様式をそのまま踏襲するのではなく、新しい時代にふさわしい行動様式に切り換えていくことが必要である。政策当局は、財・サービスの価格が安定しているからといって安心することなく、資産価格の動向にも十分注意を払う必要がある。近年、資産価格の大幅変動がマクロ経済の不安定性の大きな要因となっている。また、高インフレ下では物価上昇率を引き下げることが常に望ましい政策対応であったが、数パーセントといった低い物価上昇率が達成されている現状では、物価上昇率が過度に下落することに対しては、それが過度に上昇することに対してと同様に警戒すべきと考えられる。とりわけ、政策当局は経済がデフレスパイラルに陥ることのないよう、最大限の注意を払うべきである。

 企業にとっては、高インフレ下での増収増益の時代とは異なる発想が必要となる。減収の下でも利益があげられるように、生産性の向上、新製品開発等の努力が従来以上に重要となる。また、高インフレ下とは異なり、債務の負担が物価上昇によって実質的に軽減されるということが物価安定下では期待できないことから、企業も消費者も過度の債務を負うことには慎重に対応するべきであろう。

(アメリカ経済の長期的・安定的拡大)

 また、90年代はアメリカ経済の好調さが目立った10年間でもあった。90~91年の景気後退は軽微なものであり、その後の景気拡大は、2000年2月まで続けば、戦後最長となる。構造的な失業の高さに悩むヨーロッパ経済、バブル崩壊後の低迷から脱しきれない日本経済と比べ、アメリカ経済の好調さは90年代において際立っていた。安定的な成長が長期にわたって続き、失業率が低下する中で、通常であれば高まる物価上昇率も低下してきている。また、90年代の初めには大幅な赤字に悩まされていた財政収支も、98年度には黒字に転じている。

 こうしたアメリカ経済の好調さの背景には、情報技術革新やグローバル化が急速に進展する時代に、変化への対応力に富んだ柔軟なアメリカの経済構造(柔軟な労働市場、効率的な資本市場等)がマッチしていたという点が挙げられるであろう。また、マクロ経済政策も概して適切に運営されてきたと言えよう。

 ただし、マクロ経済の長期的・安定的拡大は、必ずしも労働者、企業といった個々の経済主体にとって安定的な生活ないし企業経営を意味するものではない。労働市場が柔軟で、職種間・産業間・地域間移動が多いということは、逆に言えば、個々の労働者はそれだけ頻繁に転職を余儀なくされるということである。また、企業の開廃業率が高く新陳代謝が激しいということは、企業経営者にとっては極めて厳しい経営環境を意味する。アメリカ国民はもともと変化を前向きに受け止める性向が強いと考えられるが、いずれにしても個々の経済主体がこうした激しい変化を受け入れることが、マクロ経済の安定的成長につながっている。

 情報技術革命の急速な進展にもかかわらず、従来アメリカの労働生産性には向上がみられないと言われていた(生産性パラドックス)が、この点についても96年以降変化がみられ始めており、耐久財製造業を中心に生産性が向上している。この生産性向上のうち一部は物価上昇率の下方改定や景気拡大に伴う循環的要因で説明されるが、一部は真の意味での向上と言ってよいようである。ただし、今後の生産性向上の持続性については、ここ数年の向上は旺盛な投資によって支えられた面が大きいことから、今後景気が減速して、投資も下降局面に入ったときに生産性がどのような動きをするのかをも含め、今後の動向を見極める必要があろう。

 また、情報通信革命の生産性に対する影響については、これまでのところIT(情報技術)関連資本ストック比率が高い産業ほど生産性上昇率が高く、またIT関連資本ストック比率が上昇するにつれ生産性上昇率も高まる傾向がある。したがって、総じてみれば、情報通信革命と生産性の間には正の相関があるとみることができよう。しかし、IT関連資本ストック比率を急速に高めている卸売業で生産性上昇率の加速はわずかであること、非耐久財製造業ではIT関連資本ストック比率の上昇にもかかわらず生産性上昇率が高まっていないこと、サービス業においてはIT関連資本ストック比率が上昇しているものの生産性が低下していることなどから、情報通信革命の成果が広範囲の産業に行き渡っているとは言い難い。この理由については、アメリカ政府機関を含め解答は出ていないが、サービス産業における生産性計測の困難性もその一因とみられている。いずれにしても、情報技術革新の成果が目に見える形で経済の広い分野に浸透するにはまだ時間がかかるものとみられる。逆に言えば、今後成果が浸透していけば、生産性の継続的向上も期待できるということである。

(アメリカ経済の懸念材料)

 アメリカは97年以降4%程度の成長を続けているが、これは潜在成長力(CEAの推計では2.4%程度)を大きく上回るものとみられている。それにもかかわらずインフレ率が高まらないのは、これまでのドル高、一次産品価格の下落等の一時的要因によるものである。したがって、今後これらの条件が剥落していく、あるいは逆に物価上昇要因に転化する場合にはインフレ圧力が高まることが懸念される。既に、原油等の価格は反転上昇し始めている。

 アメリカの高い成長は旺盛な国内需要によってもたらされたものであり、またこの旺盛な国内需要には最近の株価の高騰による資産効果が大きく貢献している。99年4~6月期現在、株価は金利、企業収益によって説明できる水準を40%程度上回っていると推計される。したがってこれが急落する可能性は決して低くはなく、仮にそのような事態に陥ると、国内需要は消費を中心に大きな影響を受けることになろう。また、そうした実体経済面だけの影響にとどまらず、株価急落はアメリカのみならず世界の通貨・金融市場に大きな影響を及ぼすことが懸念される。もちろんその際、アメリカ政府は金融緩和等拡張的なマクロ政策によって対応しようとするであろうし、また今のところその余地は十分にあると考えられる。しかし、仮に物価が高騰し始め、その面からは緊縮的な政策が要請されるような状況下で株価の急落が生じる場合には、政策対応が極めて困難となろう。そのような意味からも今後の物価動向には注意が必要である。

 また、旺盛な国内需要を反映して、経常収支赤字は実額で見てもGDP比でみても過去最高と並んだ(99年4~6月期GDP比3.5%)。このような高水準の赤字を長期にわたって持続することは極めて困難であると同時に、ドル安を生み出す危険性が高い。そして、ドル安はインフレ要因となる。

 いずれにしても、株価やドルの急落を招くことなく、アメリカが現在の高成長から持続可能な成長へと軟着陸することが、アメリカのみならず、世界経済全体にとって極めて重要な課題である。