アジア経済1998(要約)
<目次>
- まえがき
- 第1章 アジアの経済と貿易・投資
- 第1章のポイント
- 1 マクロ経済の現状と見通し
- 2 貿易と投資の動向
- 為替の動向
- 貿易等の動向
- 第2章 アジア通貨・金融危機の要因と展望
- 第2章のポイント
- 1 東アジアの奇跡は終わったのか
- (1) 東アジアの奇跡はいかなる意味で奇跡なのか
- (2) 「アジアの奇跡」と今回の危機
- (3) 今回の危機はなぜ起こったのか(コラム4)アジア通貨・金融危機と「中南米の失われた10年」の共通点、相違点
- 2 金融政策の失敗がもたらした歪み
- (1) 遅れた金融政策の転換
- (2) 資本流入がもたらしたマネーサプライの増大
- (3) なぜ多額の資本流入が起こったのか
- (4) 固定レート制とワシントンコンセンサス
- (5) 東アジア各国に求められた方策
- 3 奇跡を揺るがした金融構造の脆弱性
- (1) アジアの金融仲介構造
- (2) 製造業の財務分析による確認
- (3) なぜ、危険な金融構造を持っていたのか
- むすび何が問題だったのか
- 第3章 アジア・大洋州の各国・地域の経済動向
- (本文参照)
- 参考資料
- 参考統計
まえがき
アジアの多くの国が景気の減速を経験しています。1997年7月にタイで始まった通貨・金融危機は、韓国、インドネシアなどに波及し、さらに、今回の危機は、金融・貿易取引を通じ世界経済への伝搬も懸念されました。
今回の危機を契機に、東アジアにおける為替の過大評価、不十分な金融監督体制の下での性急な金融・資本自由化など政策上の問題が指摘されています。「アジア経済1998」では、最近の経済動向と見通しについてまとめるとともに、奇跡と讃えられたアジア経済がなぜ通貨危機に翻弄されたのかについて、分析をしています。マクロ政策面では過度に短期資本に依存する形で資金が流入したこと、流入した資金が効率的でない投資に振り向けられた部分があったこと、経済構造では監視体制が不十分であり、過度の政策介入により市場のチェックが働きにくいことなど、金融構造に脆弱性があったことについて分析し、再び成長を回復するための課題について検討しています。
なお、今回は、金融面の問題に焦点を絞り、アジア諸国が今後さらに労働の質の向上に努めるべきことなど、実物面の問題には触れていません。これらについては昨年の「アジア経済」で分析していますので、ご参照いただければ幸いです。
調査対象国・地域としては、中国、アジアNIEs(韓国、台湾、香港、シンガポール)、ASEAN主要国(インドネシア、タイ、マレイシア、フィリピン、ベトナム、ミャンマー)、インド、パキスタンの13カ国の経済動向を詳細に分析していることに加えて、ラオス、カンボディアなどその他のアジア諸国についても簡単に概観しています。
「アジア経済1998」の特徴としては、次のような点があげられます。
(1)アジア地域のマクロ経済の動向について、現状と展望を体系的にまとめています。
(2)東アジアの通貨・金融危機の要因について、経済政策面、経済構造上の問題を体系的に分析・評価しています。
(3)各国ごとの経済動向では、貿易、直接投資、為替レート、財政金融の最近の動向も分析しています。また、貿易・投資については、日本との関係も整理しています。
(4)アジア問題や経済問題の専門家以外の一般読者にも、わかりやすい内容になるよう記述しました。また、各国・地域の動向を比較しやすいよう、共通の様式でまとめています。
(5)長期にわたる比較統計がとりにくいアジア各国・地域の60年代以降の主要経済指標などの参考資料を掲載しました。
第1章のポイント
[1997年以降のアジア経済]
・1997年のアジア経済は、中国等で拡大が続いたが域内他地域は概ね減速し、アジア全体の成長率は6.1%となった。域内のうち、アジアNIEsでは台湾、香港、シンガポールの堅調な拡大から、97年の成長率は6.0%となった。しかし、ASEAN諸国は通貨・金融危機の影響が色濃く、97年には3.9%と大幅に減速した。物価は通貨危機に見舞われたインドネシアなどで上昇している。経常収支は、通貨が大幅に減価したタイや韓国で、輸入の減少などから黒字に転じている。
[東アジアの通貨・金融危機]
・97年7月にタイで始まった通貨危機は、ASEAN諸国、韓国に波及した。タイ、インドネシア、韓国の3か国がIMFに支援要請し、その後の財政緊縮策等からこれら諸国では景気が後退している。通貨危機は対外債務の返済懸念等から生じ、通貨減価は脆弱な国内金融システムを機能不全に陥らせた。
[アジア経済の98年見通し]
・アジア経済は、一部諸国で景気が後退し、98年には4.0%に減速すると見込まれ ている。危機の影響が大きいASEAN諸国で一段と成長率が低下(98年▲0.4%)するためである。物価上昇率は高まり、内需の減少などから経常収支は黒字に転ずるとみられる。インドネシアでは、経済危機が社会不安を招き、政治危機に至った。
[貿易と投資の動向]
・97年のアジアの貿易は、96年に続き低い伸びに止まった。97年半ば以降、通貨が 大幅に減価した国で輸出が回復に転じているが、ドル建てでは期待されたほど伸びていない。内需の不振から輸入が大幅に減少し、貿易収支は多くの国で改善している。
・アジアへの直接投資は、通貨・金融危機の影響によりこれまでの拡大テンポに変化がみられる。特に、域内の消費市場を目的に進出した企業が、原材料調達難や内需の不振など、深刻な影響を受けている。
[アジアをめぐる地域経済協力]
・97年のアジアを巡る地域経済協力では、貿易自由化の推進に加え、域内の金融・ 通貨の安定を目指した協力体制の在り方もテーマとなった。これまで、自由貿易と経済発展を軸に結び付きを深め、拡大してきたアジアの地域協力体制は、加盟国拡大に伴う利害の不一致などの問題から転機を迎えつつある。今後は、「経済技術協力」などの新たな課題に積極的に取り組むとともに、ASEMなど域外との新たな協力の軸を模索する動きが強まってくるとみられる。
第2章のポイント
【東アジアの奇跡と今回の通貨危機】
・東アジアの経済はこれまで急速で持続的な成長を遂げ、「東アジアの奇跡」と評価されてきた。ところが、1997年には、東アジアの成長が大きく減速することとなった。これは、東アジアの生産性に限界があったからではなく、大量の海外資本を取り入れた東アジアの金融政策と金融構造に問題があったからである。
【金融政策の問題】
・東アジアでは、90年代に資本が大量に流入し、株価が上昇し、一部の国では投機的な不動産投資など非効率な投資が行われていた。大量の資本流入がマネーサプライの増大につながり、結果として拡張的な金融政策となっていた。
・では、東アジアに大量の資本が流入した90年代には、どのような政策が採られるべきだったのだろうか。第1に、安定的な金融環境の維持が求められていた。第2に、資本が大量に流入する状況では為替制度の選択も重要であった。固定的な為替政策の下では、流入する資本はバブル発生の一因となる。これに対し、変動為替レートでは、流入する資本にリスクを認識させ、過大な資本流入を抑制する効果も期待できた。第3に、直接投資への規制を残したままで短期の資本流入を促す外資の流入規制緩和に問題があった。また、突発的な危機を防ぐ上では、チリのように短期の資本流入にコストを課すことも場合によっては有効である。第4に、金融監督の強化により無謀な貸出を防ぐ必要があった。第5に、貸し手である海外投資家にもリスクを認識させることが必要だった。
【金融構造の脆弱性】
・経済の発展に伴って、間接金融に代わり直接金融が発展する傾向がある。ところが、タイ、韓国などでは、直接金融の発展が遅れており、直接金融システムの発達を妨げる、あるいは間接金融を促進する何らかの規制や制度があったと考えられる。
・間接金融主体の国では、企業は金融機関からの借入に依存する財務構造を持つようになる。韓国と台湾で製造業の財務状況を比較すると、韓国では自己資本比率が台湾に比べて低く、インタレスト・カバレッジ・レシオも危険な水準にあった韓国企業の財務状況は、高度成長期の日本と比べても脆弱である。他のASEAN諸国の状況をみても、右肩上がりの中で財務構造を強化するタイミングが遅れてしまったことがうかがえる。
・韓国などが危険な金融構造を持っていた理由は、政府が過去、主要企業の救済を度々実施したこと、金融機関に対する中央銀行からの補助金があったことなどが指摘され、これらが金融機関や企業の行動にモラル・ハザードを生じさせたと考えられる。
東アジア諸国は、これまで急速で持続的な成長を成し遂げてきた。第2章では、東アジア経済の突然の失速がなぜ生じたのかを明らかにする。まず1では、この失速が、金融システムの不備によって起こったことを指摘する。その上で2では、金融政策の問題点を、3では金融構造の脆弱性を分析する。最後に、今後の東アジアの回復の条件を展望する。
1 東アジアの奇跡は終わったのか
アジア通貨・金融危機と成長の減速は、クルーグマン教授の言うような「アジア経済のまぼろし」論を実証したものなのだろうか。1では、東アジアの成長がいかなる意味で奇跡であったのかを探り、「アジア経済のまぼろし」論を整理し、東アジア通貨・金融危機と成長減速の要因を検討する。
(1)東アジアの奇跡はいかなる意味で奇跡なのか
(「所得収斂仮説」からみた東アジアの成長)
初期の所得水準が低いほど高成長を実現できるが、所得が高くなるにつれて成長率は下がるという「所得収斂仮説」がある。この仮説を確認するために、1960年時点の一人当たり名目GDP(為替レートでドル換算)と1960年~96年の一人当たり実質GDPの年平均成長率の関係をみてみよう(第2-1-1図)。初期時点における所得とその後の一人当たり実質GDPの成長率との関係を示す傾向線は、わずかながら右下がりとなっており、所得収斂仮説はある程度は成立するのかもしれない。そして傾向線より上にある国をみると、東アジアの国が多い。1997年まで、東アジア諸国は持続的な高成長を遂げた点で、「奇跡」を成し遂げたと言っても良いようだ。
(2)「東アジアの奇跡」と今回の危機
(クルーグマン教授の予言と今回の通貨・金融危機)
90年代前半、東アジアは、世界銀行が「東アジアの奇跡」と名付けるほど優れたものとしてとらえられ、一部では高い成長率が今後も長期的に続くという楽観的な予測も見られた。これに対し、94年、クルーグマン教授は「アジアの奇跡という幻想」を発表、アジアNIEsの経済成長は、ほとんどが労働参加率の上昇や投資率の上昇など生産要素の投入増加によるものであり、全要素生産性の上昇を伴っていないため、アジアの経済成長は続かない、と指摘した。
これを契機として、東アジアの全要素生産性の上昇についてさまざまな議論がなされてきたが、コンセンサスは得られていない。なぜなら、全要素生産性の計測は、どのようなデータを用いるかなどによって計測値が大きく変動するからである(第2-1-3表)。
(クルーグマン教授の予言は今回の危機を言い当てたのか)
クルーグマン論文は突発的に生じた今回の危機を言い当てたわけではない。資本・労働投入での成長(資源動員型成長)の限界は徐々に現われるはずであり、資本・労働の投入量が突然止まることはあり得ないからである。
(3)今回の危機はなぜ起こったか
大きな影響をこうむった国(韓国、インドネシア、タイ)は、短期の借入に依存しすぎていた(第2-1-4表)。借入が健全な投資に向っていれば、問題は生じなかったわけであるが、借入の少なからぬ部分は不動産投資のようなバブル的な用途や製造業への過大投資に向かった。海外の投資家が東アジアの返済能力に疑いを向けたとき、経済の変調は必然的であった。問題が外資の管理能力にあるとき、それは金融仲介を行う金融構造の脆弱性の問題となる。また、企業や金融機関が過度に楽観的になる経済環境を生んだ金融政策の問題でもある。
コラム4 アジア通貨・金融危機と「中南米の失われた10年」の共通点、相違点
多くの中南米諸国は、1960年代、70年代には成長を遂げたが、80年代にはマイナス成長、100パーセントを超える激しいインフレなど深刻な経済状況に陥り、80年代は中南米の「失われた10年」と呼ばれている。これは、80年代初めの債務危機がきっかけとなっている。その要因は東アジアの危機と同様、過大に流入した外資が非効率な用途に向い、その返済可能性が危ぶまれ、資本が急激に流出したことによる(図1)。しかし、中南米と東アジアでは、違いもある。第1に、中南米が財政赤字、過剰消費の問題を抱えていたのに対し、東アジアのファンダメンタルズは中南米に比べては良好だった。第2に、債務残高/輸出額比率は、東アジアが中南米に比べ一般に低い。第3に、中南米では、アメリカの金利上昇により金利負担が上昇したという外的要因があった。
2 金融政策の失敗がもたらした歪み
東アジアの経済は高い成長を遂げてきたが、90年代央には、直接投資のブームが去り、成長は一服という状況になっていた。ところが、このような状況になっても、マネーサプライの供給は続き、経常収支の赤字などの経済の歪みが目立つようになっていた。
では、なぜ東アジアの国々では、危機の後になって考えてみれば合理的でないような金融政策を行っていたのだろうか。それを探ることによって、東アジアの危機をもたらした、金融政策の問題点を示したい。
(1)遅れた金融政策の転換
東アジア諸国では、1980年代の後半から、日本を中心とする直接投資のブームにより、力強い成長が続いていた。しかし、90年代央になると、直接投資の流入に代わり、海外からの資本流入の中心は対外借入、証券投資に移っていた。同時に、経常収支赤字の継続、累積債務の増大などの歪みが目立つようになっていた。このような状況では、景気を引き締め、成長をスローダウンすることが必要になっていた。
金融政策を、マネーサプライの動きでみると、今回のアジア通貨危機の影響が比較的小さかった台湾、香港、シンガポール、中国において、90年代央の伸びが小さくなっている(第2-2-1図)。
(高騰した資産価格) 高い成長と金融緩和もあって、株価が上昇し、国によっては、活発な不動産投資が行われた。東アジアの国が総じて不況であった1985年を起点として、いずれの国の株式もピーク時には、10倍前後にまで増加し、フィリピンでは20倍以上に増加した。株価は96~97年以降総じて下落している。また、オフィス需給状況をみると、ジャカルタ、バンコク、上海では、空室率が10%以上と高い中で、供給の増加が続いていた。(2)資本流入がもたらしたマネーサプライの増大 東アジアでは、大量の資本流入がマネーサプライの増大につながり、結果として拡張的な金融政策となっていた。
では、なぜ東アジアの国々で、金融緩和の抑制が必要な段階で、抑制することができなかったのだろうか。東アジアのほとんどの国では、自国通貨をドルに固定、もしくは自国通貨の変動幅を一定の範囲にとどめるような政策を採用していた。このような状況で外資が流入すると、自国通貨の増価圧力を抑えるために、中央銀行が「自国通貨売り・外国通貨買い」の為替介入を実施する必要があった。こうした為替介入の結果、各国ではベース・マネーが増大することとなった。実際、東アジアのほとんどの国で、中央銀行の外貨建資産が増大するとともに、ベース・マネーが増大しており、これが信用乗数過程を経て、マネーサプライを増大させたと考えられる(第2-2-4図)。
ただし、国によって、中央銀行の外貨建資産とベース・マネーの動きには多少の相違がある。今回通貨危機の影響が比較的軽微だったシンガポールや台湾のみならず、影響の大きかったタイ、インドネシアでも、外貨建資産の増大に比べてベース・マネーの増大は小さく、ベース・マネーの増大を抑えようとしたことが窺われる。例えば、タイでは、中央銀行の外貨建資産が90年の 3,606億バーツから97年には1兆 752億バーツに急増したが、ベース・マネーは90年の 1,858億バーツから97年の 4,950億バーツに増加したにとどまった。しかし、外貨建資産の増大はあまりに大きく、中央銀行が不胎化政策を行うのにも限度があったと考えられる。これだけの資本流入があれば、実質上の固定為替レート制を採用している限り、マネーサプライのコントロールはほとんど不可能になるだろう。
(3)なぜ多額の資本流入が起こったのか
1980年代後半から90年代央にかけて、東アジア諸国への急激な資本の流入が、ベース・マネーの大幅な増大をもたらし、ベース・マネーの増大がマネーサプライを増大させることにより、金融緩和を継続させ、必要な調整を遅らせたという関係が明らかになった。それでは、なぜこの時期に、急激に資本が流入したのであろうか。
(どういう形態の資本が流入していたか)
東アジア諸国への資本流入の状況をみると、1980年代の初期には 200億ドル程度であった資本流入は、90年代の半ばには 1,000億ドル近くにまで増加していた(第2-2-5図)。この内訳をみると、80年代半ば以降、直接投資が過半を占めているが、中国を除くと、直接投資は90年代初にピークとなり、それ以後、証券投資やその他投資の大半を占める借入が資金流入の主流となっている。
(なぜ東アジア諸国に資本が引きつけられたのか) 90年代になって、急激な資本流入が生じたことの理由としては、次の3点が考えられる。まず、【1】東アジア諸国では高い経済成長率が続き、豊富な投資機会が存在すると考えられたことが挙げられる。【2】高成長を持続させるために、外資の流入を促進するべく流入規制の緩和を行っており、外資が流入しやすい土壌づくりを積極的に行っていたことが挙げられる。特に、ASEAN諸国では、新たに設立されたオフショア市場を通じ、海外からの低利の短期資金を賄えるようになった。また、資本取引に対する税制優遇措置も多くの資本を引きつけたと考えられる。【3】固定為替レート制度の下で、国内の高いインフレ率を反映して名目金利が国際的に高かったことが挙げられる。国内の名目金利は、特にASEAN諸国や韓国において、米国の名目金利に比べ数%ポイント高くなっており、大幅な内外金利差を有する状況が続いていた。このように状況から、インドネシア、タイ、韓国などへ流入する資本は、次第に短期のものが中心となっていた(第2-2-8図)。そして、この短期の資本が流出するときには、今度は、急激な為替の減価圧力を受けることになった。
(加重ペッグ制の効果)
なお、96年以降のドル高局面で、米ドルに実質上、ほぼ固定されていた東アジア諸国の通貨が過大評価になったことから、実際の貿易相手国別の貿易ウェイトに沿った円・ドル加重ペッグ制がとられていれば今回のような危機を招かなかったとの議論がある。確かに、例えば、実際のタイ・バーツの変化率からバスケットのウェイトを推計すると、米ドルの比重は8割と高かった。円のウェイトを現実の貿易ウェイトに高めた場合のバーツの加重平均レートを試算すると、今回よりももっと早い時期に、通貨が大幅な割高となっていたことが分かる。したがって、加重ペッグ制にしておけば、通貨危機は生じなかったと言うことはできない。
このように、東アジア諸国では、資本流入が大幅に増加する中、自国通貨を米ドルにほぼ固定する政策が行われた。事実上の固定レート制を維持したままでマネーサプライの増加を抑制すると、金利が上昇し、さらに資本の流入を招くというメカニズムが働く。このような悪循環を断ち切るためには、事実上の固定レート制を脱却すべきであった。
(4)固定レート制とワシントン・コンセンサス
東アジアの国々で事実上の固定レート政策に固執したのは、固定レート制は海外からの資本流入を増大させ、海外資本の流入が投資を増大させるという、「ワシントン流の考え方(いわゆるワシントン・コンセンサス)」が影響していると考えられる。しかし、今回の東アジアの経験にみるように、海外資本の流入が投資効率を低下させるという関係もあり、資本流入が効率的な用途に向けられ成長を促進するとは限らない。
(5)東アジア諸国に求められた方策
東アジアに大量の資本が流入した90年代に、金融拡張的な状況とリスクを無視した貸出が行われた。東アジアの各国は、どのような政策をとるべきだったのだろうか。
【1】安定的な金融環境の維持が求められていた。金融環境を安定的なものとするためには、為替制度の選択も重要であった。
【2】資本が大量に流入する状況からみても、為替制度の選択は重要であった。固定的な為替政策の下では、流入する資本はバブル発生の一因となる。これに対し、変動相場制度は、リスクを十分に考慮しない外国資本の取入れを抑制することが期待できる。
【3】直接投資への規制を残したままで短期の資本流入を促す外資の流入規制緩和に問題があった。多くの国では、直接投資に対して外国人(外資系法人)による現地企業の株式取得に対して制限を設けるなど、十分に規制を緩和していなかった。一方、海外との資本取引は80年代後半から自由化され、一部の国で短期の資本流入が促進された。
【4】金融監督の強化により無謀な貸出を防ぐ必要があった。IMFに支援を要請した国で金融機関の抱える不良債権が急増した。これは、経済状態の悪化がもたらした部分もあるが、外部の検査という厳正な視点が入ることで不良債権の実態があらわになったと考える方が自然である。また、東アジアでは、金融機関が保護され、度々救済されてきたこともリスクを考慮しない貸出を助長したと考えられる。
【5】貸し手である海外投資家にもリスクを認識させることが必要だった。為替リスクについては、変動相場制度であれば、資本の貸手側もドル建で借り入れている企業の直面するリスクを認識することになり、投資家側の誤ったリスクの認識を避けることができる。信用リスクについては、銀行や企業が過去に繰り返し救済されたことが、貸手側のリスク認識を誤らせたと思われる。これに加え、金融機関破綻処理のスキームが、過度に外国投資家を保護するものとならないように整備すること、破産法の整備によって、借手側の責任が限定された上で厳しく追求されるとともに、破綻企業の処理が迅速になされるようにすることが必要である。
90年代の東アジア諸国では、資本移動の規模が拡大する中で、流入した資本を不胎化することにより、固定的な為替制度を維持しようとしていた。しかし、固定レート制は、投資家のモラル・ハザードを招き、短資の流入を増加させ、それが脆弱な金融構造の下で非効率な、またリスクを考慮しない貸出をもたらした。
3 奇跡を揺るがした金融構造の脆弱性
本節では、アジア諸国の通貨・金融危機をもたらした金融構造の脆弱性に焦点をあてる。各国の金融仲介構造をマクロ的に概観し、企業の財政構造の比較によって脆弱性を明らかに紙、脆弱な構造となった要因について、特に政策や制度面の問題を明らかにする。
(1)アジアの金融仲介構造
(直間比率と経済発展)
豊かでない国々では、主に家計からなる余剰部門の提供する資金は、より小口かつ短期的な傾向を持つと考えられる。しかし、こうした資金は、企業などの需要部門側のニーズとしての、大口、かつ長期的なニーズには一致しない。そのため、資産変換の役割を持つ間接金融のウェイトが相対的に高い水準になる。一方、経済が豊かになると、資金提供者である家計は多様化し、長期間あるいは大口の投資や、また多少リスクが高くても高配当が見込める投資も可能となり、直接金融のウェイトは相対的に高まってくる。したがって、一般的に、豊かになるにつれて、直接金融の比率は上昇する傾向があるといわれている。
ところが、経済成長が一定の段階に達した後も、人為的規制によって、間接金融のウェイトが大きくなっている場合には、問題が生ずる可能性がある。預金を預かり、決済を行う銀行部門はどこの国においても預金者保護や信用システム保護のために、倒産を避けるよう保護される傾向がある。保護された資金仲介者は、本来あるべきリスク管理があいまいになり、過大なリターンを追い求める可能性がある。
このようなことから、本来あるべきリスクとリターンの関係があいまいとなり、資金配分に歪みが生ずる可能性もでてくる。これに対し、直接金融の場合には、直接の投資家がモラルハザードを生むほど保護されることも少ないので、リスクとリターンの関係がより明確である。
(アジアの金融仲介構造)
一人当たりGDPと、間接金融(非金融業向銀行貸付)に対する直接金融(株式時価総額、但し一部の国は社債を含む)の比率を1986年時点と97年時点でみた(第2-3-2図)。これをみると、既に直接金融の比率が高水準にあったシンガポールを除いて、マレイシア、フィリピン、台湾、香港などが、一人当たりGDPが増加し豊かになるに伴って直接金融・間接金融比率も上昇しているのに対し、危機が深刻化したタイ、韓国では、豊かになっているにもかかわらず、直接金融のウェイトがそれほど上昇していないという点が指摘できる。すなわち、これらの国々では、資本市場など直接金融システムの発達を妨げる、或いは間接金融を促進するような、何らかの人為的な要因があったと考えられる。
(2)製造業の財務分析による確認
一国全体の金融構造の違いは企業の財務構造の違いをもたらす。以下では企業部門の財務状況(ここでは特に製造業)について分析を行い、企業の財務体質が弱かった国は通貨危機の影響を強く受けたことを示す。
1)韓国、台湾の比較
データの整備されていることと、アジアNIEsの中で経済規模の大きい国であることから、韓国、台湾について、企業財務の安定性を比較してみよう。
まず、自己資本比率の推移を見ると、韓国では70年代以降、概ね25%程度で推移しているのに対し、台湾では45%程度と高水準にあり、この比率で比較した体力では、台湾が韓国を大幅に上回っている(第2-3-3図)。
次に、インタレスト・カバレッジ・レシオ((営業利益+受取利息・配当金等)/支払利息割引料)の推移を見ると、台湾企業は利払い費の2~4倍といった水準の事業利益を上げており、フローで見た安全性も高い(第2-3-7図)。一方、韓国企業は利払い費の1~2倍弱の事業利益(営業利益+受取利息・配当金)しか稼いでいなかった。ただし、韓国企業は多額の固定投資を行っていたため減価償却費が膨らみ、利益が低水準となるのはやむを得ない部分があった。減価償却費は損益計算上経費となるが、実際に現金が外部流出するものではなく、利払い等の原資に利用することもできる。
韓国企業が実際に手元現金をどの程度持っていたかを推計するため、減価償却費と営業利益の金額を求め、他国と比較するために総資本で割ったものがキャッシュフロー対総資本比率((営業利益+減価償却費)÷総資本)である(第2-3-8図)。同比率をネット支払利息について総資本で割ったもの(以下ではネット支払利息対総資本比率と呼ぶ)と比較すると、常に上方に位置していたことから、利払いに回す現金については韓国企業も十分手元に保有していたことが分かった(前掲第2-3-8図)。
以上の結果、台湾企業の安全性は韓国企業を上回り、両国の企業財務には大きな差があることが分かった。韓国企業は歴史的に財務安全性が低く、特に91年以降は流動比率が100%を下回る等、危険な状態にあった。また、韓国企業は、自己資本比率が25%程度と低く、米ドル建の借入も相当額に上ったため、ウォンが対米ドルで大きく減価した際には、ウォン・ベースでの借入金額が大きく膨らみ、債務超過となる危険性があった。借入金の利払いを行うだけの手元現金はあったが、元本返済に支障をきたす可能性は高く、通貨危機の直撃を受け多くの韓国企業が破綻に至ったのは不思議ではない。
2)その他の東アジア諸国の企業財務
以下では、タイ、インドネシア、マレイシア、シンガポール、香港について、証券取引所上場企業のデータを基に、各国(地域)企業の財務状況を見てみたい。サンプル数が少なく上場企業が対象であるため、台湾、韓国のデータと比較して各安全性指標は高めに出るが、ある程度は傾向や問題点を示しているものと考えられる。
各国企業について、フローの安全性を見るために、各国の95、96年の総資本営業利益率と利払い費用対総資本比率を散布図で現した(第2-3-13図)。図の45度線を下回ると、利払い費用が営業利益を上回り危険な状態と言える。タイ、インドネシアは95、96年とも45度線より下方に位置しており、両国では借入金利の負担が過大で、本業の収益のみでは利払い費用を負担出来ず、韓国のように減価償却費を考慮してやっと利払いが可能になる状況にあったことが分かる。また、総資本営業利益率が国内銀行貸出金利を下回っており、国内銀行から借入を行って事業を行うことが効率的と言えない状況にあった。さらに両国では、自国通貨が事実上米ドルにペッグしており為替リスクが顕在化していなかったために、低金利のドル建借入を行うインセンティブが高まっていたと考えられる。
以上の製造業企業財務分析の結果、通貨危機によって大きな被害を受け、IMF支援を求めざるを得なくなった国の企業は、フローで見た安全性が低く、特に韓国ではバランスシートから見た安全性も低かったことが分かった。これらの国々では、通貨危機以前から本業の利益である営業利益が支払利息を下回るといった異常事態に陥っており、また国内銀行貸出金利が高く、ドル建ての借入に走りやすい環境にあったことが共通していた。
(3)なぜ、危険な金融構造を持っていたのか
では、なぜ通貨の大幅下落を経験した国は、経験していない国に比べ、間接金融偏重、高債務・低利益率の経営体質という脆弱な金融構造を持っていたのだろうか。ここでは、【1】歴史的に政府が企業を救ってきたか、【2】中央銀行による商業銀行や企業に対する優遇制度があったのかどうか、の2点に注目して検討する。
【1】 歴史的に政府が企業を救ってきたか?
台湾では、企業のほとんどが家族支配であり、企業家は、長期における自分の利益の最大化に関心を持っており、投資の際に、自分の資金を守るためリスクを見極めた行動をしていた。そして、自分が投資をしている産業に陰りが見え始めると撤退し、別の成長産業を見出し、そこに投資を行うようにしていた。実際、台湾の製造業をみると、81年時点で、設立後10年以内の企業の占める割合が約8割と高く、しかもその43%が次の10年以内にその分野から撤退している(第2-3-17表)。
一方、韓国では、政府が主要企業の緊急救済を度々実施した経験がある。特に72年の景気後退時に出された「大統領緊急令」では、インフォーマルな信用市場におけるすべての融資に即時の支払い停止を課し、また銀行貸出金利を23%から15.5%に引き下げることによって、財務的に破産した多くの企業を救済した。さらに、企業向けの短期高利の商業銀行貸付のほぼ30%が、年利8%、3年据え置きを含む、5年返済の長期譲許融資に転換された。政府による主要企業の救済は、72年以降も、79~81年、84~88年、92~93年に行われ、「何かあっても政府が救ってくれる」という見方が醸成されたものと考えられる。
【2】中央銀行による商業銀行及び企業に対する優遇制度があるか?
中央銀行による優遇金利での貸出制度があれば、資金不足時の資金調達手段として、商業銀行は高金利のコール市場に頼る必要性が小さくなる。この際、商業銀行はコール・レートと中央銀行借入金利の差額を「暗黙の補助金」として受け取ることができる。
補助金は、経済発展のある段階では、成長のために有効なものであるかもしれない。しかし、長期にわたって継続すれば、銀行のリスク管理努力に対するモラル・ハザードを生じさせることから、その国の金融構造をリスクの高いものにしてしまう原因となる。
韓国と台湾をみると、台湾で80年代前半には補助金が事実上消滅しているのとは逆に、韓国では、同時期における補助金の割合は、台湾より高く、さらに90年代には再び上昇している(第2-3-18図)。補助金が大きい分、モラル・ハザードが発生し、銀行経営及び間接金融への依存度が高い財閥の経営をリスクの高いものとしてしまったといえよう。
インドネシアでは、公定歩合自体は市場金利より高いものの、中央銀行から国営銀行への貸出とそれにかかる金利は相対交渉のもと、優遇的に低い水準で決定され、銀行は中央銀行の割引窓口を介さず、直接優遇貸出を受けていた。この中央銀行からの直接優遇貸出は、80年代には商業銀行の全貸出量の3~4割を占めるほどの大きさであり、相当の補助金が与えられていたと考えられる。 東アジア諸国の金融構造は多様であり、企業の資金調達において、自己資本を重視した安全性の高い財務構造を持つ国とそうでない国がある。安全性の低い財務構造を持つ国では政府や中央銀行が度々企業や銀行を救って来た。このことが、むしろ企業が危険な財務構造を持つことを助長してきたのである。そのようなシステムの顕著であった韓国、タイ、インドネシアでは通貨危機の影響もまた大きいものだった。巨大な外資の逆流が生じた時、これらの国の政府は、危険な財務構造を持つ企業や銀行を救うには全く無力であった。
むすび -何が問題だったのか-
長期にわたり高い成長を示してきた東アジアの経済は、90年代には「奇跡」とされるほどの高い評価を受けるようになった。しかし、1997年央の、タイから始まった通貨・金融危機により、いずれの国も成長の減速は免れない状況となり、いくつかの国では、98年にはマイナス成長が予測されている。なぜ、このような事態が生じたのだろうか。また、東アジアは、今回の危機を克服して、再び成長軌道に戻ることができるだろうか。
「真実の成功」と「みせかけの成功」
東アジア経済の突然の失速は、成功の代価と言えるものだった。ただし、成功には「真実の成功」と「みせかけの成功」とが含まれる。「真実の成功」とは、高い貯蓄率、相対的に高い教育水準、勤勉な国民性、開かれた比較的自由な経済制度の下で、直接投資を導入し、技術水準を向上させながら、高い成長を続けてきたことである。しかし、この成功も、90年代になると、次第に「みせかけの成功」になっていった。
直接投資の拡大が一服する中で証券投資や借入の形態での外資が流入し、金融緩和が続けられ、過度に楽観的な経済環境が醸成されていった。多くの東アジアの国々は、このような環境の中で、金融システムの強化を図ることなく、対外資本の流入規制を緩和した。規制緩和によって、これまでの成功をもてはやした海外からの投資が流入した。この資本流入を、事実上、固定されていた為替レート制度がさらに助長した。東アジアは、この外国資本を、為替リスクを考慮することなく取り入れた。流入する外国資本は、次第に短期資本中心のものになっていった。外国資本の少なからぬ部分は、バブル的な不動産投資、あるいは楽観的な需要予測に基づいた過大投資となった。不十分な監視体制にあり、リスクを十分に考慮しない金融機関が、誤った投資を促進した。度々救済され、市場の規律のききにくくなっていた企業と銀行もこのことを助長した。これらの投資によって、高い成長は続き、東アジアの成功は持続しているようにみえた。しかしそれは「みせかけの成功」に過ぎなかった。
流入した外国資本が、東アジアの債務返済能力に疑いを抱いたとき、外資は一挙に逆流し、通貨を急落させた。当然のことながら、より短資に依存していた国で、より外資の流出が急激だった。通貨の急落は、外貨建てで借り入れていた東アジアの銀行や企業の債務を増大させ、巨額の不良債権となって金融危機をもたらした。通貨・金融危機によって、東アジアの経済は、困難な状況に陥った。
もちろん、東アジアは一つではない。インドネシア、タイ、韓国がもっとも厳しい影響を受けたが、中国、台湾、シンガポール、香港のように、その影響が比較的軽微な国もある。これらの国は、90年代央に抑制的な金融政策を採用していたこと、対外純債権国であるか、債務の規模が小さかったこと、外資を利用する場合にも、長期資本、特に直接投資を利用していたこと、中国を除いては相対的にすぐれた監視体制、高い自己資本比率など、強い金融システムを有していること、企業の財務構造が健全であることなど、多くの点で共通項がある。これらの国も、東アジアの通貨・金融危機の余波を受け、成長の減速は免れていないが、危機に陥っているわけではない。
東アジア経済復活の可能性
東アジアの経済は復活し、奇跡を再現できるだろうか。東アジアの通貨・経済危機が生じたとき、多くの専門家は94年12月のメキシコ通貨危機を想起したように思われる。メキシコも通貨が約半分に減価し、IMFとアメリカ主導の金融支援を受けたが、通貨下落と国内緊縮策によって輸出が95年30.6%(ドル・ベース)と急増した。実質GDPは95年6.2%減少の後、96年5.1%増、97年7.0%増と順調に回復した。しかし、東アジアの場合、ドル・ベースでの輸出の急増は見られていない。韓国やタイなどでは経常収支は、危機後、劇的に改善したが、それは輸出の増加よりも内需の縮小に基づく輸入の減少によるものである。金融の混乱が、部品・原材料の輸入金融に混乱をもたらし、輸出品の生産が阻害されている。
それでは、東アジアの経済も、1980年代初期の中南米のように、長期の停滞を余儀なくされるのだろうか。中南米諸国は、1970年代までそれなりの成長を遂げてきたが、80年代初期の債務危機をきっかけに経済が混乱し、ほぼ10年間にわたる停滞を経験した。これは中南米の「失われた10年」と呼ばれている。
東アジアと80年代初期の中南米には、少なくとも3つの相違点がある。第1に、東アジアは貯蓄率が高く、財政も黒字であるなど、ファンダメンタルズが中南米に比べては良好であった。第2に東アジアの債務規模は中南米よりも一般に小さいことである。債務残高/輸出比率は、82年のメキシコ 311.5%、ブラジル 392.8%に比べ、96年のタイ 120.5%、韓国 87.8%と低い。ただし、インドネシアは 221.4%となっている。第3に80年代初期にはアメリカの高金利により利払い負担が上昇したが、今回、世界的高金利が起きそうにはないことである。
ただし、東アジアの回復をあやうくする要因もある。中南米の場合、債務の処理がなかなか進まず、新たな資本が流入するまでほぼ10年が経過した。東アジアの国々においても同様のことが起きるリスクはあり、早急な債務処理が必要である。また、インドネシアでは、経済危機が政治的な不安定をもたらしている。これが他のアジア諸国にも経済的な影響を与えることも懸念される。 80年代のチリの経験は、今日の東アジアに大きな希望を与える。チリも82年に金融部門の脆弱性から債務危機を経験したが、金融機関の処理を迅速に進めた結果、他の中南米諸国とは異なり、84年以降現在まで、連続してプラス成長を経験した。84年~97年の年平均実質GDP成長率は6.6%である。
多くの東アジア諸国でも、金融破綻処理が進み、市場の信任が回復すれば、資本は再び流入し、力強い成長が始まることが期待される。